九話 振り向いたら変なことになってると怖いよね
最初に思ったこと。
それは。
「普通、だな……」
率直な感想は、まさにその一言に尽きる。
ここは『試練』の洞窟だと聞かされていたために、入った途端、狂暴な魔獣に襲われる、と考えていたのだが、そんな気配は一切ない。
いいや、そもそも、だ。
「魔獣が全くいないじゃねぇか」
それは今だけ出現していない、という意味ではない。
シドロは今までダンジョンの中で嫌と言う程、魔獣というものに遭遇してきた。その匂いは無論、行動原理や体質なども、それなりに理解している。
だというのに、ここには、魔獣がいた、あるいは住み着いているという痕跡がまるでなかった。
足跡も、喰いカスも、何もかも。
まるで、ここには何もいないと言わんばかりに、伽藍洞なのだ。
『マスター。気を抜かないでください。何かの罠かもしれません』
「分かってるて……こんなの、逆に怪しすぎて、安心できねぇよ……」
道はただ、一本のみ。それをシドロはただひたすら歩いている。
無論、ただ歩いているわけではない。注意深く、ゆっくりと。周りには何かしらの罠がしかけられてはないか、十分に気を付けながら。
けれど、どれだけ前へ進んでも、何も起きない。起こらない。
魔獣が突然出てくることも、罠が作動することも。
「どうなってやがるんだ、これは…………まさか。もう魔王がここに来て、『助言者』とやらを殺しちまった、とか……」
『分からない、としか言えませんね。以前、魔女同士は気配で分かる、と言いましたが、それは実物あってのもの。あの女がここに来たかどうかは、流石に把握できません』
「そうか……ま、そんな都合よくはいかないよなぁ……」
魔王が来たかどうか。それだけでも分かればまた変わってくるのだろうが、世のなかそんなに甘くはないもの。
今はとりあえず、やるべきことはただ一つ。
進んで。
進んで。
進みるづけるのみ。
そう。それは分かっている。分かっているのだが……。
「さ、流石に、これはちょっとおかしいだろ……」
思わず、そんな言葉が漏れてしまうシドロ。
当然だ。もう既にここに来てから数時間が経っている。
そう。シドロはただひたすらに、一本道を歩いているのみだった。
ここにくるまでの過程の中で、何かおかしなことは一切ない……そう思っていた。だが、それこそがまさにおかしなことなのだ。
数時間。数時間だ。それを曲がることも、下ることも、昇ることもせず、ただひたすらに真っすぐ。そんな洞窟が普通に存在するのか?
答えは簡単。普通なら、ありえない。
『……マスター。これはまずいのではないでしょうか。ここまで来て何もないというのは……』
「つってもなぁ……ここまで来て、何もせずに帰るのは、それはそれで……』
と、次の瞬間、シドロが後ろへと振り向いた時。
そこには、あり得ないものがあった。
「―――へ?」
壁。
一言で言うのなら、まさにそれだった。
まるで、洞窟の中にある行き止まりと言わんばかりの壁が、シドロの後ろにあったのだ。
「何で……来た道が、無くなってんだ……?」
そう。これが、突き進んだ結果、壁にぶち当たった、というのなら何の問題はない。
問題なのは、ここに来る途中までの道が、塞がれたかのように、唐突に壁が出現したということだ。
「なぁ、フール。さっきまで、確かにここに、道、あったよな……」
『はい。間違いありません。そもそも、ここは一本道。マスターは、ただそれを真っすぐに歩いていただけです。迷うとか、そういう次元の話ではないかと』
「だとするなら……」
『ええ。これが「試練」とやらの一つではないかと』
そう考えるのは自然だ。
ふと、シドロは壁を触る。しかし、何も変化は起こらない。触れた感触も、土の壁そのものだ。それも、しっかりとしている。
「おいおい……何なんだよ、これは」
『訳が分かりませんね……』
フールの言う通り、訳が分からない。
先に進めど進めど、どこにもたどり着かない道。そして、振り返ると、先ほどまであったはずの帰り道が無くなっている。
その異常事態に、しかしシドロは慌てなかった。
「ま、とりあえず、前に進むしかねぇってことだな」
『マスター……その発言は、あまりにも楽観的すぎるのでは?』
「けど、実際のところ、それ以外選択肢はねぇだろ。それに、つべこべ考えるってのは、俺の性分じゃねぇし」
『なるほど確かに。こんなところでマスター程度の頭を捻ったとしても、無意味ですしね』
「うぐっ。事実だけれども、他人に言われると、やっぱ気に入らねぇな……」
などと冗談めいた会話をする二人。
それによって、この怪奇な現象を前に、どこか落ち着くことができた。
そして。
「んじゃ。再出発と行くか」
『はい』
言いながら、二人は再び前へと進みだしたのだった。