三十八話 一方その頃⑥ 崩落
結論を言うと、ナザン達は間違えた。
ナザン達は未だはっきりとした確信を持っていないが、彼らが今まで身軽に動けていたのはシドロが無意識下で【軽量化】を発動していたことにつきる。
しかし、だ。体が軽くなることは確かに戦闘においてかなり有利になることなのは間違いない。だが、それも軽くなった者たちのポテンシャルが高いがゆえのもの。
以前の彼らならば、四十九階層の魔獣相手でも問題はない実力を持っていた。だが、シドロがいなくなった今も、A級冒険者としての実力は兼ね備えてはいるのだ。
とはいえ、以前までと同じように戦うことは、不可能と言っていい。
当然だ。A級冒険者の実力はある、と言っても、シドロがいなくなったことの影響があるのも本当のこと。弱体化したというのは変えようがない事実なのだ。
だというのに、以前も倒せていなかった魔獣を倒す、なんてことはできるわけがない。
ゆえに、だ。
ナザン達が、ヒュドラの前で膝を屈したのは当然の結果だと言える。
「はぁ……はぁ……」
「くっそ……!? ふざけんじゃねぇぞ、こいつ……」
「強い強いとは聞いていたけど……ここまで差があるの……!?」
それぞれが既に息があがっており、身体も方もボロボロだ。
幸い、致命傷は受けていないものの、それでも戦闘においての影響はかなりのものだろう。
(くそっ……)
思わず、心の中で毒づくナザン。
今回、ヒュドラを倒すにあたって、ナザンは色々と対策を講じてきた。ヒュドラが吐く毒に対しての解毒薬、及び耐毒性の防具の準備。加えて、ナザン自身が、全員に対し、耐毒魔術をかけていた。
だが。
それだけのことをしても、ヒュドラには届かなかった。
(毒の方はなんとかなってるが、再生速度が速すぎる……!!)
ヒュドラのもう一つの脅威、再生能力。
それについては、無論ナザンも知っていた。だが、これだけはどうしようもない。傷が治らないという、『不治の武器』なら対処もできるかもしれないが、しかし生憎とそんなものは持ち合わせていない。
しかし、ヒュドラの再生能力には弱点がある。
それは、九つの首の中で、一つだけ再生しない首が存在する。それがヒュドラの弱点であり、そこを徹底的に狙えば、ヒュドラは死ぬ。
だからこそ、その一つを狙う算段だったのだが……。
(残りの八本が邪魔をして近づけない!! 二人が近づいても、傷だらけになりながら、弾き飛ばされる……!!)
フローラとクシャル。二人がどれだけ弱点の首を狙おうとも、他の首がそれを許さない。時に盾となって身代わりになり、時に突撃してきた方を弾き飛ばす。そして、どれだけ傷だらけになっても、傷は塞がってしまうため、他の首を攻撃したところで意味はない。
ならば、魔術による遠距離からの攻撃、及び二人に対して援護魔術を使う、という手もあるのだが。
(くっ……耐毒に魔力を使いすぎて、他の魔術が使えない……!!)
ヒュドラの毒。これに関しても、完璧に対処できているわけではなかった。
先ほど用意していた耐毒防具と耐毒魔術。これらは今、二つが揃って、初めて何とかヒュドラの毒を帳消しにできている。故に、どちらか一方が崩れてしまえば、毒への対処ができなくなってしまう。
そして、ナザンはこの戦闘が始まってから、一度も休むことなく、耐毒魔術を使い続けていた。
(イリナの方も、治癒のしすぎてもう体力が限界だ……いや、それは皆同じか……)
イリナだけではない。
他の二人も、そしてナザン自身も体力が底をつきようとしている。ナザンに至っては、魔力の方もかなり限界だ。
彼の場合、皆には黙ってもう一つ魔術を使っているため、それが切れるのも時間の問題。
絶体絶命。
そんな状況下の中で、だ。
「―――撤退だ」
それを言ったのは、他の誰でもない、クシャルであった。
彼の言葉に、ナザンは大きく目を見開き、声を上げる。
「っ、クシャル、何を……!!」
「何をじゃねぇ!! これは明らかにやばい状況だろうが!! これ以上やるのは自殺行為と変わねぇだろうが!!」
「けど、ここで諦めたら……!!」
今までの行為が、全て無駄になってしまう。
そうなれば、S級に行くことも……あの人に認められることも、もっと先になってしまう。
「そんなのできない……折角ここまできたのに!! 折角あと少しのところまできていたのに……!!」
「目を覚ませ、ナザン!! そんなことを言ってる場合じゃないのは、お前もよく分かっているだろうが!!」
気性が荒いクシャルだが、しかし彼は戦況というものをよく理解している。この中で一番長く冒険者をやっている彼だからこそ分かる。
このままいけば、確実に負ける。いいや、全員死ぬ。
そのことは、フローラやイリナは分かっているはず。だから、彼女たちはクシャルの言動を否定しない。
そもそも、この中で一番状況を理解できているのはナザンのはず。いつもの彼ならば、すぐに撤退を推奨しているだろう。
だというのに、今の彼は、まるで何かに取り憑かれたかのように、撤退を拒んでいた。
「ダメだっ。何とかして奴を倒す方法を探る!!」
「馬鹿野郎が!! この状況で、まだそんなくだらねぇことぬかすつもりか!!」
「何とでもいうがいいさ!! 僕には、ここで逃げ出すなんてできない!! ようやくなんだ。ようやくここまで来たんだ……あいつがいなくても、僕らは大丈夫なんだって証明するためにも!! じゃなきゃ、あいつを追い出した僕は間違ってることになってしまうんだから!!」
その瞬間、空気が凍る。
戦場だというのに、まるで何もかもが止まったかのように、音が静まっていた。無論、今も尚、ヒュドラは動き、咆哮している。
だが、それすらどうでもいいと思えるほどの言葉に、クシャルは問いを投げかける。
「―――ナザン、お前、今なんつった?」
「……ぁ」
言われ、ナザンは自分が今、何を口走ったのか、ようやく理解する。
それは決して他のメンバーには言ってはならないこと。絶対に知られてはならないタブー。どんなことがあろうと聞かれるわけにはいかない事実。
その、破滅の言葉を、彼は今、はっきりと自分で口にしたのだった。
「お前、まさか……シドロの野郎を……」
信じられないと言わんばかりのクシャルの表情。
その視線に、その言葉に、ナザンは体を震わせながら、首を横に振る。
「違、僕は……」
すぐさま否定しようとする。
だが、彼らはここで重要なことを忘れていた。
自分たちが、今、何と戦っているのかを。
『グォォォオオオオオオオオオオオオオッ!!』
雄たけびが洞窟内に響き渡る。
これまでにない程の叫び声だ。
そして、それが終わると同時に、九つの首が、ナザン達に襲いかかる。
「くそ……!!」
クシャル達は、それぞれに何とかして、ヒュドラの攻撃を避けていく。
だが、問題なのは、攻撃が終わった後のこと。
ヒュドラの頭は、それぞれ地面に突き刺さり、大地を抉っていった。
そして。
その大きな衝撃に耐えられなくなったのか、ナザンの足元の地面が、一気に崩落していった。
「しまっ―――」
「っ、ナザン!!」
クシャルが駆け寄ろうとするも、時すでに遅し。
ナザンは皮肉にも、かつて自分が殺した相手のように、そのまま暗闇へと落下いていったのであった。