三十六話 別れの時に騒がしい連中っているよね
そうして、シドロ達が地上へ帰る日がやってきた。
とは言っても、『転移の間』の鏡を通って、そのまま地上へ、などという簡単な話ではないらしい。
「忘れものはないな? 『転移の間』の鏡は一方通行。こちらから送ることしかできない。何か忘れ物があっても取りに戻ることはできないぞ」
「ああ、分かってるって」
「それから説明したように、この鏡は、五十階層に繋がっている。そこから先は、自力で戻れ」
どうやら、『転移の間』の鏡は、地上にすぐに繋がっているわけではなく、五十階層に繋がっているとのことだ。
地上に戻れる、と思っていたために、てっきりシドロは地上に即戻れると思っていたのだが、現実はそんなに甘くないらしい。
「それはもう聞いたが……はぁ。よりにもよって五十階層かよ。俺、まだ五十階層まで行ったことないから、あの場所のこと全然知らねぇんだよなぁ。っつか、何で五十階層? そのまま地上に戻れりゃ便利だってのに」
シドロはナザン達と四十九階層までは行ったことがあるが、五十階層は未だ未知の場所。そこに行くとなれば、少々不安になるのも当然だろう。
だが、そんなシドロに対し、カウロンは呆れた口調で言い放つ。
「つべこべ文句を言うな。帰れるだけありがたいと思え」
『そうだぞー、シドちん。五十階層でも上に続いていないここより全然マシじゃないかー』
「そりゃそうだけどよ……」
『っていうか、五十階層だろうがなんだろうが、ここよりはマシな魔獣なんだから。今のシドちんなら、どんな魔獣も余裕っしょ』
そうなのだ。
よくよく考えてみれば、ここは最下層。五十階層よりも強敵な連中がうようよいる場所だ。そこに、少しの間とはいえ、戦いながら過ごしてきたのだから、五十階層の魔獣など相手ではない、と思うのが普通かもしれない。
だが、それに対し、フールは待ったをかける。
「やめてください、ムイ。そうやってマスターを調子に乗らせてもいいことがあるとは思えません。確かにマスターのスキルは強いです。しかし、それはスキルが凄いのであって、ご自身については少し……いえ。それなりに……いや。ほんの少し……違いますね。そうそう、以前よりもちょっと毛が生えた程度は強くなってる程度なんですから。油断したら即座に寝首をとられるのは目に見えています」
「うん。まぁ、事実なんだけど。事実なんだけれども!! それでも、もっと言い方ってもんがあると俺は思うんだが!?」
相変わらずの厳しい指摘に、シドロはちょっとガチで悲しんだ。しかも、その内容が間違っていないだけに、否定ができないのだから、余計に心を抉ってくる。
『それにしても、これでカーちんとはおさらばかぁ……ううぅ。私がいなくても、ちゃんと一人で生きていくんだぞ、カーちん』
「喧しいわ。こっちは、お前がいなくなって、これでようやく静かに暮らせる。せいせいするわ」
『などと、ツンデレを発揮するカーちんなのであった。いやー、この照れ屋さんめっ!』
「あー、もういい。もういいからさっさと行け。そして二度と戻ってくるな」
『ひどーいっ!! 感動のお別れなんだから、もうちょっと悲しんでくれてもよくない!? ってか、アタシにいうことないの!?』
「ない」
『即答!?』
「当然だろうが。お前に伝えるべきことは、もうない。さっさと外へ出て、自分の体をみつけるなりなんなりしてろ」
そして、と言わんばかりにカウロンは、シドロ達のほうを指さす。
「お前達も、これに懲りたら、こんな場所に落ちてくるんじゃないぞ」
「いや、好き好んで落ちてきたわけじゃないだが」
「右に同じく」
そもそも、こんな場所にもう一度落ちてくることなど、もう絶対にありえないだろう。
そう考えると、カウロンと話せるのもこれが最後ということになる。
ならば、だ。
言うべきことはきちんと伝えなければ。
「カウロン。今更だが、ありがとな。アンタがいなかったら、俺達はずっとここを徘徊したままだったかもしれない。アンタのおかげで、俺達は上に戻れる。だから、本当にありがとう」
「私からもお礼を。今日まで家を貸してくださり、本当にありがとうございました」
シドロとフール。二人からのお礼の言葉に、カウロンは思わず、言葉を失っていた。見るからに、どんな言葉を返すべきなのか、困っているような、そんな感じだ。
そして、彼がとった行動は体を反転させて、背を向ける、というものだった。
「ふん……礼など不要だ。俺はただ、そこの厄介な幽霊を追い出したかっただけだ。それ以外の他意はない。そら、さっさとそこのじゃじゃ馬をつれて地上に戻れ」
しっしっ、と言わんばかりのその態度に、シドロ達は苦笑を浮かべた。
そして。
「―――それじゃあな。あばよ」
「お世話になりました」
『んじゃねー、カーちん!! 元気でなーっ!!』
そう言い残し、シドロ達は、そのまま『転移の間』へと向かっていく。
その背中を見て、カウロンは。
「ふん……最後の最後まで、喧しい連中だったな」
そんな言葉を残し、彼もまたその場を去る。
彼の目は依然として包帯で撒かれており、どんなものになっているのかは分からない。
だが。
その口元は、少しだけ、緩んでおり、まるで笑みを浮かべているようであったのだった。