デッサン用の ピーマンに対する考察が長すぎる山田君と早く課題を描き終えたい私
初投稿作品になります。宜しくお願い致します。
『この姿を表現するとすれば、「官能美」。上品でなく、スマートではなく、肉感的でエロティック。触らなくても視覚からその存在の生々しさを感じて手を伸ばさずにはいられない。この自然界が生み出した野性的エロスから僕は目を離すことができず、時の流れから乖離してしまっている。美しさは罪という言葉を聞いたことがあるが、今の僕には痛々しい程その言葉が理解できる。見ている僕をこんなにも焦がらせ熱中させるこれは、人類を狂わせる神が落とした禁断の果実なのだろう。』
***
また今日も山田君は変なことをしている。美術の授業用に配られた「ピーマン」を手に取り、じっと眺めている。何を考えているかよくわからないし、こういう時は少し話しかけ辛い雰囲気だがそんな事も言っていられない。なぜなら私のデッサン対象が彼の手の中にあり、全く課題が進んでいないからである。
それにそもそも美術の先生が授業時間の半分をかけて熱弁した「旦那が気付かない家事・掃除・育児について」のせいでデッサンする時間がほぼ無いのだ。そんなわけで私は彼から私の獲物を奪還すべく話しかける。
山田君は少し変わっている。教室の片隅で物思いに耽っているかと思うと、私に脈絡のない質問や彼の考えを(一方的に)披露してくれたりする。そして彼の見る世界は常に色々なものに繋がっていて、野菜の分類について話をしていたかと思えば、ギャンブル必勝法の話に変わり、しまいにはペットボトルの形についての考察を語ってくれた。……私を置き去りにして。
そしてなぜか私に一般的な答えや考え方とは違う意見をもらえないかと期待した目で見てくる。なぜそんなことを求めてくるのか分からないし、正直面倒くさい。そういう難しいことは有名大学に推薦が決まってそうなクラスの人に聞けばいいのに。
そんな自由と言うか自分の世界全開な彼ではあるが、こちらからの質問に対しては親切に優しく教えてくれたり、ただ聞いて欲しい話は素直に聞いて喜んでくれたり、相槌を打ってくれる。
私から見ると山田君は「無邪気で自由な子供と年相応以上に落ち着きのある青年のハーフ&ハーフ」というイメージである。どちらかが主でどちらかが副ということもなく、50%50%なのだ。
同じ高校生として見ると勉強はかなりできて、部活にも入っているし、とても仲の良さそうな友達もいる。独特ではあるけど、周りと大きく違っているわけではない。でもなぜか私にだけ彼の脳内ワールドを展開させてくる、少し変わった男子。それが山田君。
そんな山田君はピーマン片手に、ピーマンの「官能さ」というものを私に語ってくれていた。
「……という点からもこのピーマンは凄まじい熱量を持っているよね。ところで、なんでピーマンって美術のデッサン用に使われるのだろうね。野菜だったらなんでもよかったのかな。でもデッサンと言えば、赤いトマトなイメージで、その赤にこそピーマンの緑が映えるのかもね。それに球に近いトマトとぼこぼこ角張ったピーマンという形状の対照的要因で選ばれたのかもね。あと、子供の頃から身近にあってなじみ深いし、イメージしやすいって点もあるかも。ピーマンを嫌いな子供も多いから、逆に強くイメージに残っているかも。うん、よく考えられているよ、本当に」
話が途切れた。どうやら彼の長い長い考察は終わったようだ。私は適当に返事をし、ピーマンを奪い取る。彼のこの類の話はいつもほぼ聞き流している。時々、あまりにも聞いていなくてさすがの彼も怒るのではないかと考える時もあるが、今まで怒られたことはない。むしろ、私は彼が怒っている姿を見たことがない。
私はこの怒らないという点は彼の一つの美徳であると思っている。人によっては、怒らないことで弱気な人だと思われることもあるし、無理難題を押し付けられることもある。彼もそういう場面に出会っているはずなのに、それでも気にせず流している。そういう成熟している面を見せられると、恰好良さというよりも、自分の未熟さを感じて嫌な気持ちなる。いわゆる無いものに憧れるというやつかもしれない。それか自分のダメなところが浮き出てくることを拒んでいるだけなのかもしれない。
取り戻したピーマンをテーブルの上に置き、書き始めてそこそこ時間が経った。一度集中力を戻すために一息ついて、またペンを走らせる。
しかし、このスケッチの進まなさを表現するのであれば、走らせるというより歩かせると言った方が適切だろうか。のろのろという擬音付きの。そしてチャイムが鳴り、提出は明日以降へと先送りが決定した。明日から頑張ろう。曇り空に私は誓った。
放課後、手早く帰り支度をして下駄箱まで下りてきたが、とうとう降り出してきてしまった。しばらくは止みそうにないようだ。朝はあんなに晴れていたのにと友達に愚痴ると、「新潟県民たるもの……」と私のおじいちゃんと同じ口調で折りたたみ傘の必要性を説いてきた。折りたたみ傘もそうだけど、朝、天気予報を見逃していたのは大きかった。見ていれば雨とお説教を避けれたのに。
ちなみにその友達は、傘を忘れてきた彼氏と一緒に仲良く帰っていった。当然、彼氏にはあのセリフ無しで。……少し納得はできないが、ちゃんと反省しよう。
そんな風に少し不貞腐れていた私に声がかかる。
「あれ、春ちゃんどうしたの。傘忘れちゃった?」
山田君だ。テスト期間前で部活のない彼も丁度こっちまで下りてきたみたいだ。私を見て何かを思いついたのか、「もし良かったら……」と続けた彼は、リュックサックをごそごそと確認し始めた。折り畳み傘を探しているのだろうか。さすがに傘を二本も持っていないだろうし、少し照れくさいがありがたいし甘えさせてもらおう。
これはつまり一本の傘を二人で使う例のアレだ。そう相合傘だ。私は相合傘を気にするようなタイプではないと思っていたが、いざ誘ってもらうと思うと嬉しいものだな。私は彼が準備するのを待った。ほどなく彼は、紺色の折りたたみ傘を見つけ出し、私に手渡してきた。
「はい、これ使ってね。新潟県民たるもの折り畳み傘忘れちゃだめだよ」
優しい笑顔で渡してくれた。あれ、想像していたお誘いの言葉と何か違うような……。よく見ると、彼のズボンの後ろポケットに大きなビニール傘が引っかかっている。
……うん、今、最高に恥ずかしい。なんだろうこれ。とりあえず顔だけは折り畳み傘を借りるのを待っていた風に装った。そしてお前も県民感推してくるのかよ。どうなってんの私のまわり。
色々と複雑な気分になってしまったが、まずは傘を貸してくれたことに感謝だ。それにこれは思春期のせい。そうに違いない。誰しもがかかるやつだろう。それならば、この罠にかかってしまったのは仕方ない。うん、仕方ない。仕方ないよね。
この恥ずかしさを顔に出さないように借りた傘を開いた。私が使っているものより、一回り大きい。普段から私は横風で荷物が濡れるのが嫌いなので、できるだけ大きな傘を使っている。でもこの傘は私の傘よりも大きく、取っ手も大きい。無意識に彼の広い肩幅や大きな手を連想してしまい、こういう所で急に男の子を感じてしまう。
私の乙女回路がフル稼働している時、そのぬくもりは突然やってきた。
「春ちゃんの手冷たいね。ちゃんと手袋をしないとだめだよ」
一瞬、私の中が空白になった。空白。真っ白。音もなく何もない。そしてその何も無い空間が右手から、ゆっくりと、じんわりと温かみに満たされ、私の時間が動き出した。
山田君の左手が私の右手を握っていた。
「カイロとか持っていない?寒くない?ごめんね、最近うちでは服に貼るタイプのカイロばっかりで手持ちがないんだよね。でも貼るタイプはかなり温かいからおススメだよ。でもこの擦ることで温かくなるっていいよね。ちょっと管理が難しそうだけど。そう考えると、簡単に熱くなるから飛行機の預け荷物とかに乗せられるのかな。ちゃんと袋にいれて積込むなら問題ないのかな。そういえば、飛行機の手荷物ってチェックされて没収されちゃうことあるよね。最初は特によく分からないから、そのまま持って行って没収されて、『あ、預け荷物に入れとけば』なんてこともあるよね。あの没収されたものってどうなるのかな」
彼が何か言っているが全く耳に入らない。いま私の脳内には彼の手の感触と自分の手汗が出ないことへの祈りしかない。割合で言うと後者の方が大きい。
私は元々手汗が出やすい体質で、特に緊張時には本当にハンカチを手放せない。唯一の救いは今日は寒く乾燥していて、手汗が出ていなかった。今日は天気に左右される一日だな。
もっと山田君には私を理解して欲しい。
マンガや小説をよく読む私ではあるが、当然、私の体はマンガのヒロインのように綺麗で完璧ではない。準備が必要なのだ。それも他の人以上に。そんな気も知らないであろう横の朴念仁に文句の一つを言いたくなってしまうのは仕方ないだろう。
でも、手を繋ぐのは嫌じゃないし、彼の手の温かみは私の手だけではなく、心まで温かくしてくれる。正直に言おう、嬉しい。私自身、面倒くさい女子だとは自覚しているが、男の子からアプローチして欲しいし、してもらえれば嬉しいのだ。ここまで言うのなら、正直に言おうじゃないか。山田君にして欲しい、というか山田君じゃないといやなのだ。わがままと言われるかもしれないが、私はかまって欲しいのだ。絶対に本人に伝えることはないのだが。
それに彼氏が彼女の手を握るのは不自然なことではない。
***
手を繋いでから何かを堪えているような顔をしている可愛い女の子、恋人の春ちゃん。誕生日は10月生まれ。春ちゃんのお父さんが春の季節が好きだから、春香と名付けたそうだ。本人は特に気にしていないようだけど、氷が融け始め緩やかに広がっていくようなあの暖かさとじんわりとした優しい感じはまさに「春」のようで、僕はとても合っていると思っている。
僕が春ちゃんと話すようになったのは、ある放課後の事だ。一つの事柄から色々と発想を広げていった時に、ある発想が浮かび、つい口から出してしまった。特に誰かに向けた言葉ではなかった(というか独り言だった)が、横の席に居た春ちゃん(その当時の呼び名は佐藤さん)が僕が思いもしなかった新しいアイディアをツッコミ気味に教えてくれた。その日から彼女のことが頭から離れない。
そこから紆余曲折でゆっくりとした歩みだけど仲良くなれた。それから、別に少女漫画のように壮大な物語はなかったが、僕の初恋は成就して今とても幸せである。
それからというもの、僕は色々な部分が少し変わった。より顕著に変わったのが、料理を覚えたいと思ったことだ。
一度、春ちゃんが熱を出して学校を休んだ時があった。お見舞いに行ったときに、お粥の一つも作れない自分がいて、とても後悔した。結局コンビニでレトルトのお粥を購入し、プリンと飲み物もセットで用意したら、春ちゃんは本当に喜んでくれた。
しかし、ふと、もし将来同じ場面が来た時に、一生コンビニダッシュし続ける男のままでいいのかと自分の中の何かが囁いた。今まではコンビニやオンラインですべて補えると思っていたのが、急に間違いのように感じた。間違いなのか味気ないなのか色がない無色ではないかという想いが芽生えた。
そこからだろう。料理を憶えることですべてを解決できるわけではないと思ったが、何かをやらずにはいられなかった。それと同時に少しでもわずかでも春ちゃんに何かをしてあげたいと心に火が灯った。僕に多くのことを気づかせてくれて、たくさんのことを育ませてくれる大好きな春ちゃんに喜んで幸せになって欲しいと思った。
いつも僕は思う。本当に春ちゃんは天才だと思う。彼女が一つの分野に熱中したら、どんな新しく素敵なものを作り上げていくのか本当に楽しみだ。僕は彼女にその気持ちを伝えても、流されてしまう。それでも、もし春ちゃんが本気で何かに立ち向かう時は、一番に支えてあげたい。かっこうをつけずに言うと、本気だろうがなかろうが何かあろうがなかろうが春ちゃんのそばにいたい。ずっと一緒にいたい。
***
山田君が静かである。大体そういう時は何かをくだらない事を想像しているのだろう。それよりも、せっかくお付き合いしているのだから、そろそろ「山田君」呼びはまずいだろうか。今まで色々と理由をつけて呼ばなかったが、本当はただの照れ隠しである。残念ながらそれは彼にも伝わっているのか、名前に関しては何も言われていない。私としては、ナメクジのような前進スピードかもしれないが、これでも一応前に進んでいるつもりだ。そのつもりだし、彼の優しさに甘えているのも分かっているが、しかし、こればっかりはなんとも。と、いつもの言い訳で締めくくってしまう。
ふと、日時を示す電光掲示板が目に映った。
一つ息をもらした。そうだな、もう少しで彼の誕生日がある3月になる。
単純ではあるが、私みたいなタイプには分かりやすいキッカケが必要なのだ。面倒くささと恥ずかしがりとロマンチックで夢見がちさを入れ交ぜたのが私だ。キッカケと理屈と屁理屈で武装して、一歩を踏み出したい。つながった手の先から目一杯の私の気持ちが伝わるように。そして、今度はちゃんとあなたに伝えにいきます。
だから、言葉で伝えるまでもう少し待っていてください、蛍太郎君。
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山田君のイメージを友達に聞いてみた。印象は悪い人ではないが、パッとしない。頭良いよね。でも、まあ、普通。時々私へする良くわからない長々とした山田君の考察論はちょっと引く。というような感じである。ちなみに私の彼氏であるということは伝えている。というか、付き合う前のモヤモヤした時期から相談に乗ってもらっていたりなんやりで、すべて筒抜けだったりする。
正直、彼氏がモテるような事は望んでいない。ハイスペックだったり、オシャレ過ぎると自分も頑張らなきゃいけないという気持ちが強くなり過ぎそう。むしろ少しファッションに疎いぐらいが望ましい。若干上から目線でダメ出ししたい。
どちらかというと山田君はオシャレに疎い方だと思うので、概ね私の理想通りだ。
しかし、疎いからといってモテないとも限らない。
彼と長く接点があり、彼の優しさや落ち着いた雰囲気を感じることで、彼の良い所に気づいてしまう人もいる。
そう、山田君の所属する茶道部での話である。私の心のモヤモヤ指数は急上昇中だ。
ちなみに、私自身はどの部活にも入部していない。友達からは茶道部に入ればと勧められたがそれは断っている。
彼氏について行きたいという理由で部活に入るのは私的にはあまり好ましくない。そんな理由では長く続けられる気がしないし、他の部員もあまり良い気はしないだろう。それに私は和菓子があまり好きではない。実際の部活では和菓子が毎回出てくるということは無いと聞いているが、そういう諸々含め、入部しないと決めている。
茶道部は週三で活動している。部員は四名で山田君以外は女子。モヤモヤする。一度だけ山田君に誘われて部活を見学したことがある。緩やかな雰囲気だが、席に着く人とお点前をしている人は真剣でみんな真面目に取り組んでいるように感じた。特にその時はお茶会というものを開催する少し前だったので、より一生懸命稽古に取り組んでいたという。そのみんなが協力し、信頼しているような感覚にモヤモヤする。
一度山田君の事を考えだすと止まらない。
茶道部に入部したからか、元々なのかはわからないけど、山田君は所作が綺麗だ。物を運んだり片付けたりする細々とした所が丁寧で、落ち着いているけどただ遅いわけではない。それとご飯の食べ方が本当にきれいだ。箸の持ち方も茶碗の持ち方も魚の食べ方も。私なんかより全然。
料理自体はあまり得意では無さそうだが、少し前から簡単な料理を作っているみたいだ。最近は豚汁を作れたと笑顔で報告してきた。
以前、料理を振舞ってもらったことがある。彼は基本的にレシピ通りに作るので、普通に美味しい。ただ、何度も私の好みを聞いてくるので、少し塩分を控えめな方が好きと伝えたら、次からはそうすると喜んでくれた。あの時は、自分の表情と気持ちが外に出て爆発しないように抑えるのに必死だったな。本当に嬉しかったな。
……ダメだ、乙女回路が暴走している。
原因は分かっている。昨日のあの事だ。あ、またモヤモヤしてきた。気分悪い。
私は自室のベッドに大の字になって、ゆっくり目を閉じた。
***
「あの、佐藤先輩、すみません。ちょっと、少し、お話したいことがあります。あの、少しお時間頂けませんか」
放課後、校門を出たところで誰かに声をかけられた。見覚えが無い女の子だ。うちの制服を着ていて、胸元につけたネームの色から後輩と分かったがそれだけだった。なんとなく嫌な気分がしたが、まずは相手の素性を聞いた。
「あ、すみません。一年の相馬と言います。茶道部です。山田先輩の後輩です」
それだけで嫌な気分が確信に変わった。そして、話を聞かずに帰りたくなった。
……もちろん帰るわけにもいかなかったので、近くの行きつけの喫茶店に誘った。自分も落ち着きながら話を聞きたいというのもあったが、下級生の相手があまりにも緊張しているのが目に見えたのもあって喫茶店へ。レモンティーを二つ頼み、先に出てきたお冷を飲み干すと相馬さんは話し出した。
「えっと、佐藤先輩は山田先輩とお付き合いしていますよね。長くお付き合いされているとかでしょうか。いつからお付き合いされているんですか」
等々、なんとも要領を得ない質問というか、本題へ踏み込み切れない質問が続いた。これでも私は女だし、こんな話をされていて気づかないわけがない。
私はストレートに彼女へ聞いた。山田君への好意を。
一瞬息詰まった相馬さんだが、そのまま彼女の思いを話してくれた。
「は、はい。私は山田先輩が好きです。山田先輩の彼女になりたいです」
そこから彼女は好きになった理由や山田君の良い所をたくさん話し出した。まさに勢いよく湧き出す泉のように。そして、それを聞けば聞くほど私はイライラした。相馬さんにも、山田君にも。
話すことを話し切ったのか、彼女は落ち着いてきて、しきりに私の顔を伺い始めた。そこでやっと私は彼女に一つ質問をした。なんで私にこの話をしたのかと。
「先輩が山田先輩と付き合っているのは知っています。山田先輩自身も幸せそうでした。でもどうしても山田先輩のことばっかり考えて、辛くなって・・・。あ、つまり、えっと、すみません、よくわかりません」
急に、落ち着いた気持ちになった。私も人のことは言えないが、この子の乙女回路もなかなかに暴走しているな。納得はできないが、この子の気持ちを少し理解してしまった。どうすれば良いかわからないし、どうにかしたいし、上手くいかないし、ただただ本当に迷子なのだろう。迷子、道に迷っている子なのだろう。
そして、今、この子の話を冷静に聞けている自分に少しびっくりしている。相手が年下で緊張してていっぱいいっぱいで、自分のお気に入りのお店というのも理由なのかな。我ながら良い場所選びだった。それに不安定な時の私の話をちゃんと聞いてくれる山田君を思い出したのが大きい気がする。このタイミングで山田君を褒めるのには抵抗があるが、感謝はしておこう。
一息おきてから、私は彼女にこれからどうしたいのかと聞いた。
「断れられると思いますけど、告白したいです。あ、もしかしたら、佐藤先輩にお話したのは、ただ、自分勝手な罪悪感を減らしたくて、お話した、んだと思います。すみません」
そこで話は終わった。会計を終えて、それぞれの帰路に。
帰り道、私は私自身の思いを気持ちを考えて考えて、よく分からなかった。
***
翌日、ぼぅっとしていた私は、スマホのメッセージ着信音で、現実世界へ引き戻された。山田君からだ。
『今、時間ある?
急で悪いんだけどちょっといつもの公園で会えないかな?』
メッセージを読んだ瞬間に、『やだ!』と返したくなったが、それをすると一生会えなくなるような気がして、少し後なら会えると返信した。
いつもなら用件がわかるメッセージを送ってくるのに、会いたいとだけ書かれたメッセージに憂鬱になる。絶対にやましい事があるに違いない。こんなにモヤモヤさせるメッセージを送ってくるのはやめてよ。会いたいけど、会いたくない。
そう思いながらも、メイクをする手は滑らかに動いている。
昨日会った相馬さんの事を思いだしていた。相馬さんは本当に可愛い。私より細いし、恋愛以外にも一生懸命な感じもした。一生懸命ゆえのあの不器用な感じも男子からは好まれそうな感じがした。いやだな。
なんで山田君なのだろう。他にも男子はたくさんいるのになんで彼女持ちを好きになるのかな。最悪だよ。話を聞きたくないな。
そんな不安とは裏腹に、準備が整う度に謎の高揚感が溢れてきた。どんな話でもまずはヤツの言い訳を聞かせてもらおうじゃないか、ちゃんと私を納得されられるやつをな!と謎の余裕を携えた私は決戦の地に赴く。
家の玄関を出たときはずんずんと力強く前に進んでいたはずが、公園に近づくたびに足は段々と凍り付き一歩一歩が鈍くなり、歩幅が狭くなる。それでも、止まるわけにはいかないし、山田君の言い訳を聞いて文句をたくさん言おうと決めていた。
そして、公園にたどり着いた。公園にいた山田君はいつものように優しい笑顔で私を待っていた。
それを見た瞬間、私は弾けた。
***
「やだ、やだ、本当にやだ」
「他の女の子に優しくしないで!」
「別れたくない」
「山田君が好きなの」
「もうやだ、つらいの!」
はやつぎにあふれ出す春ちゃんの言葉と涙。公園に集合して挨拶をする前に、春ちゃんは泣き出しながら思いのたけを僕にぶつけてきた。言葉は上手くまとまっていない。泣きじゃくるせいで若干何言っているかわからない。本人自身も自分を全然コントロールできていないと思っているに違いなさそうだ。それでも、僕の心に強く響いた。今、僕は、初めて春ちゃんの生の感情に触れている。
春ちゃんに会う前から何かしら言われると思っていたが、こういう形だとは思っておらず、少し面食らった。今まで見たことがない姿だったのも大きいかもしれない。そして原因は相馬さんのことだろう。一瞬で色々なことが頭をよぎったが、何かを決める前に体が勝手に動いていた。
僕は春ちゃんを強く抱きしめていた。
本当に体が勝手に動くということがあるのだなと変な感想と一緒に。
僕の腕の中にいる春ちゃんは最初抵抗というより溢れる気持ちに任せてもがいていたが、段々とその動きが収まり僕に強く強くしがみついている。抱き合うというよりしがみついているという形なのは、彼女の腕を僕の胸と彼女の胸で挟んでいるからだ。
こんな状態の彼女を前にだいぶズレているかもしれないが、心の底からこの子の事を愛おしいと感じた。こんなにも人を手放したくないと思ったのは、本当に初めてだろう。そしてこんなに大事な人を泣かせてしまった事をとても後悔した。
抱きしめて少し経った後、僕は一呼吸おいてからゆっくりと春ちゃんへ話かけた。まずは、急に呼び出したのに来てくれたことへの感謝を。そして伝えたかった話を。
***
山田君の腕の中でもがくのをやめる頃には、私は少し落ち着いていた。でも、絶対に離すもんかと彼のシャツを思いっきり掴んでいた。間違いなく爪痕は残ってしまったと思う。それにしても山田君は温かいな。こうしていると山田君の温かさ以外を感じなくなる気がする。温かさで満たされて、安心する。あー、やっぱり山田君の事が好きだ。
私の心がだいぶ安定してきた頃に山田君が深呼吸しているのが聞こえた。そこからゆっくりと私に語り掛けた。その声はとてもとても大事な物を優しく包み込むような声だった。
「ごめんね、春ちゃん。急に呼び出しちゃって。それと来てくれてありがとね。実は春ちゃんに話したいことがあってここに来てもらったんだ」
わずかに私の体が硬くなった。山田君はそれを気にせず話を続けた。
「でもその話の前に言いたいことがあるんだ。心配させてごめんね。不安になったよね。辛かったよね。僕は春ちゃんが好きです。他の誰でもなく、春ちゃんだけが大好きだよ」
私はそれが聞けた瞬間に足の力が抜けた。シャツに引っ付いているため、倒れることは無かったが、膝が少し、くの字になった。あんなに不安だった気持ちもモヤモヤもそれだけで、無くなった。後々、この時の私はちょろ過ぎるだろと思う事になるのだが、今はそれだけで良かった。
今一番欲しいものを受け取れた。それだけで嬉しい。
山田君の話を要約すると、やはり今日相馬さんに告白されたらしい。そして、その場で断ったとのこと。ただ、昨日相馬さんが私に宣戦布告のようなものをしたという話も聞いたので、そのフォローも含めて、今日すぐに伝えたかったらしい。ただ、メッセージで伝えると誤解が生じるかと思ってあえてぼかして連絡したことを謝罪してくれた。
うん、ほぼほぼ私の早とちりと暴走でした。ごめんなさい。うわ、恥ずかしい。そして何よりも山田君への罪悪感で圧し潰され地中深くまで埋まりそうである。謝ろうとしても、山田君の方が申し訳なさそうに、不安にさせてごめんとか言ってくる始末である。
今回の一件があったおかげで、私は自分の気持ちが素直に出せるようになって山田君、いや蛍太郎君と心から話せるようになれた……気がする。
まだまだこれから先もこういう事とぶつかって悩んでいくと思う。それでもやっぱり蛍太郎君と一緒にいたい。
私は蛍太郎君が好きだ。
***
僕は春ちゃんが好きだ。
将来のこととか結婚とかはまだ全然よくわからないができるだけずっと春ちゃんと一緒にいたい。彼女に幸せになって欲しいし、ずっと笑顔でいて欲しい。ものすごいわがままだけど、他の人ではなく、僕の手で幸せになって欲しい。本当にそれだけだ。
ただ、今、僕はよく分からない現実というものの中でぐるぐると迷子になっている。理想と現実。できることできないこと。お金。将来。夢。そしてやっぱり現実。よく分からない。
一度、深く息を吐いた。
そして、僕は手元にある紙から逃げるように目を閉じた。
その「進路希望調査表」から。
□□□□□□
私は今、あの相馬さんと会っている。あの喫茶店で。
「この前は、本当にすみませんでした。私も勢いといいますか、暴走しちゃっていまして……。でも、まず佐藤先輩に謝りたくて。本当にすみませんでした」
恋の熱にうなされて、暴走していた相馬さん。告白し、振られ、そのあと友達とゆっくり話し合うことでこの病から解放されたそうだ。そこで友達から私にちゃんと謝罪して和解した方が後々の部活の人間関係にも良いとアドバイスされたそうだ。そして、彼女はそれを実践しているというところになる。その背景まですべて話してしまう彼女は、やっぱりだいぶ不器用と感じるが、その謝罪は本心からのものと信じ、私たちは和解した。元々喧嘩していたわけではないので、ただ私ははいはいと受け入れただけなのだが。
そこから学校の話に移った。文理選択や部活の引継ぎや嫌いな先生の話とか。
相馬さんはどの話にも素直に受け答えしてくれるので、意外と本音で話せる相手だった。蛍太郎君の件もあったので、腹を割って話やすいのかもしれない。変な知り合いができてしまった。
話は色々変わり、進路の話になった。そこで相馬さんから、唐突に聞かれた。
「やっぱり佐藤先輩は山田先輩と同じ大学へ進むのですか」
***
「トイレの数ってどうやって決めるんだろうね」
今、蛍太郎君とデート中で、ランチセットメニューがお手頃なレストランに来ていた。
こういう時はまったく空気を読めない彼は唐突に変なことを言ってきた。私が適当な相槌を打つ前に、止まらない彼の興味は溢れ出す。
「学校でもレストランでも図書館とかでも大人数が生活や利用する場所のトイレの個室の数ってどうやって決めているのか気になるんだ。建物の間取りが決まっている以上、増設が難しいと思うんだ。だから最初から利用頻度とかを考えて作られていると思うんだけど、それをどうやって決めているのかわからないんだよね」
私も知らないし、興味もない。
彼はちゃちゃっとスマホにメモをし、食事に戻った。基本的に二人でいるときは両方ともスマホをいじらないが、このメモをとるのだけは、どうしてもしたいらしく許している。いや、許しているというのはちょっと傲慢な言い方だったな。認めている。彼のこういう所やちょっと変なところや子供っぽいところもまとめて認めている。受け入れているという程全部を許容できていないが、彼の個性として私は理解して、受け止めたい。
メインのパスタを食べ終え、デザート待ちの時間に相馬さんとの会話が蘇った。
軽い気持ちで蛍太郎君に最近していなかった進路の話を聞いてみた。
そう本当に軽い気持ちで、デザートが来るまでの時間潰しぐらいに。
この後どうなるかなんて何も考えずに。
蛍太郎君の表情が一瞬で固まった。
私は一瞬で雰囲気が変わったのが分かった。が、なぜ彼が固まったのかわからない。
私たちは文理選択を理系にし、一緒の大学に行きたいねとは話していた。もちろん蛍太郎君と私では学力に差があるので、同じ大学に行くのはもしかしたらできないかもとは思っていた。それでもお互いに近いアパートを借りるとか、一緒に住んでみるのもいいかもと漠然としたイメージを持っていた。というか、母親には勝手にそういう妄想を相談していた。母親からはすんなりOKを出してもらっていたので、妄想に拍車がかかっていた。
今はそんなことを置いておいて、彼の態度が気になる。この前の件で、二人の仲がより親密になったし、母からのOKも後押しし、浮かれていた私。何も考えず尋ねた。尋ねてしまった。特に大した問題もないだろうと思って。
「んー、あのね、春ちゃん。実はまだ決まっていないし、迷い中だし、今言うつもりはなかったんだけど、海外の大学受験の話が出ているんだ」
空白。脳内が真っ白。目の前を見ているのに見えていないような感覚。前に味わったものとは全く性質のことなる空白。
言っている意味が分からない。浮かれていた気持ちが急に冷え固まる。
蛍太郎君が何か続けて喋っているが聞こえない。聞き取れない。
が、私は気がついた。彼がなぜ進路を悩んでいるかを。
私は知っている。蛍太郎君は新しい事に強い興味があり、色々チャレンジするのが好きなこと。特に物理の分野に進みたいこと。そのために、毎日遅くまで勉強していること。それと同じくらい私の事を大切にしていること。
つまり、私だ。私と夢で迷っているんだ。いや、正確に言うと、夢を諦めるか、別れるかどうか迷っている。普段出来ないほどの察しの良さをこんなところで発揮している私。
だから最近進路の話がでていなかったんだ。
そして、今何が起きているか理解できてくると、蛍太郎君の声も聞こえてくる。
「……したい。それにまだ行けるかも分からないし。もし海外に行けたとしても、数ヶ月に一回は日本に必ず帰れるようにするから」
え、知らないよ、そんなの。それに急にそんなこと言われても分からないよ。私はそんなに我慢できないし、耐えられない。部活の後輩にすらあんなにモヤモヤしたのに、不安にならないわけない。私は毎日会いたいし、遠距離恋愛ができるほど頑丈にできていない。そんなことは蛍太郎君は分かっているでしょ。
私は蛍太郎君の声を拒絶するように、店から逃げ出した。
……いつ、どうやって家に帰ってきたか覚えていない。気がついたらベッドの上で枕に顔をこすり付けるように泣いていた。みっともなく。
なんだこれ、少女漫画みたい。しかもよくあるやつ。現実でもあるんだ。
何度も蛍太郎君から着信が来ていたが全部無視している。
蛍太郎君と別れたくない。でも、遠距離恋愛なんてできない。でも蛍太郎君から夢を奪いたくない。同じことを何度も何度もぐるぐると繰り返し考えている。もちろん答えなんて出てこない。出て来るのは鼻水と涙だけ。
「春、ごはんできたら部屋から出てきて」
母の声が聞こえた。気がつくと夕方になっていた。それと同時に空腹にも気がついた。
話は物語みたいなのに、私の体は現実で夕方になるときちんとお腹が空く。
夕飯は私の好物のすき焼き風鍋だった。私は良く分からないが、母曰く、作り方と材料が違うからすき焼きではないそうだ。が、今はそんなことどうでもいい。
父はまだ帰ってきていないため、二人で先に食べる。
母は何も聞いてこない。母なら少しは心配してよと思うが、これが母なりの優しさなのだろう。
すき焼き風鍋はいつもと同じ大好きな味で、少しずつ心とお腹が満たされていった。
涙を出し切り、料理で満たされ、気持ちが落ち着いて、母にぽつりぽつりと今日の話をした。
蛍太郎君の海外留学、遠距離恋愛、夢、別れる、とかとか。
母は口を挟まず全部聞いてくれた。そして、話し終わった私へ一言。
「で?」
え? 今、この人、『で?』って言った? こんな状態の娘へ?
一瞬で沸点に達した私は母へマシンガンのような文句をぶつけようとしたところで、母から追撃。
「前にあなた言っていたじゃない。同じ大学が厳しいなら、近くに住むか同棲したいって」
いやいや、母よ、私の話を聞いていた? 新潟とか東京とかじゃなくて、海外なんだよ、海外。私英語なんて話せないよ。どうやって海外で家見つけるの。そもそもパスポートとかもないし。
私は人生で初めて、文句というかツッコミたいことが多すぎると逆に喋れないということを体験した。そんな状態の私を無視し、母は私の方へ手を伸ばしてきた。
「ちょっとスマホ貸しなさい」
また良く分からないことを言ってきた。そして、あまりにも分からなさ過ぎて素直に渡してしまう私がいた。
スマホを手際よく操作した母は、どこかへ電話をかけた。
そして電話相手へ、「今決めろ」「すぐ決めろ」「なら早く来い」と命令していた。はっと、意識を取り戻した私はスマホを奪うが通話は切れていた。相手は蛍太郎君だった。
本当にキレた。何してんだこの親は。私が掴みかかる寸前に母は目で私の動きを止めた。
「もうすぐ蛍太郎君来るから」
あー、もー、意味が分からない。なんで蛍太郎君呼ぶの? 何してくれんの?
ここまでくると逆にもう落ち着いてしまい、すき焼き風鍋を味わうことにした。
母はもう一人分の茶碗とか用意しだしているが気にしない。
追加分の準備を終えた母が、私の正面に座り話し出した。
「春、あなた何か勘違いしているみたいだからいうけど、前に彼と一緒に住みたいって話を私にして、私もOKを出したじゃない。あれは、あなたが本気でそうしたいって言ってると信じて許したのよ。場所がとかお金がとか相手がとか私は何も気にしていなかったし、そんなものは本当に重要じゃないと私は思っているの。本当に重要なのはあなたの決心だけ。私はあなたの母親をやってきたから、あなたを見る目だけは自信があるの。言葉では仮の話だとかもしもだとか言ってし、自分自身では気がついてなかったかもしれないけど、私はあなたが本気で望んでいるって気がついてた。だからOKしたの。
それに、人生は、同棲とか、婚約とか、結婚とか、出産とか、それなりのいいタイミングで、いい雰囲気で、何もかもが幸せで進んでいくと思ってんの?それは夢見すぎよ。人生はそんなに甘くできてないから。そんなに簡単だったら、人生相談の雑誌は売れないし、テレビのワイドショーもあんなにゴシップならべてないわよ。よくある結婚適齢期とかなんとかって勝手に誰かが決めたものさしで自分の人生をはかれるわけないじゃない。
あとさ、自分だけがなんでこんなにつらいのって思ってるわよね。もちろん、人生の分岐点はだいたい辛いし、何選んでも大変になるわ。でもそれはみんなが何かしらでどこかしらで出会うの。あなたは周りより比較的早めに出会ったの。出会ってしまったの。なら、あとはやるしかないの。どんなに辛くても選ぶしかないの。春自身が。
そして、選んだら今度は私を信じなさい。絶対に私はあなたを信じ続けるし、私もあなたが選んだ道を選ぶ。私はあなたがお腹に入っているときからそう決めているの。なにがあっても、どんなことでもあなたを信じるって。だから、まずは私を信じて、そうして自分を信じて選んでみなさい。大丈夫だから」
***
十分後、汗びっしょりな蛍太郎君は我が家に到着した。
そして、我が家のすき焼き風鍋を食べている。
「秋葉さん、すき焼きとても美味しいです」
「いや、これはすき焼きじゃなくて、すき焼き風鍋よ。作り方と材料が違うの」
母から、まず夕食を食べ終えるまで何もするなという殺人鬼のような眼で言われているので、同じテーブルでムスっとしている私。蛍太郎君はいつものようにきれいにご飯を食べている。ああ、こういう姿も本当に好きだな。また胸がチクチクと痛む。なんか悩みすぎて良く分からなくなってきた。
この後に話されるであろう憂鬱な話が、私の心を底なしの泥沼へゆっくりと引きずり込んでいく感じがした。
食器を片付け、キレイになったテーブル。
食べ終えた蛍太郎君は一呼吸おいて、私と母の方を見て言った。
「春香さんを愛しています。必ず春香さんを幸せにしますので、結婚させてください」
***
「ええええええええ、ちょっと蛍太郎君!何を言っているの!」
春ちゃんはテーブルの上に体を乗り出していた。かなりびっくりさせてしまった。
秋葉さんから電話がきた。春ちゃんが僕との関係で悩んでいるからはっきり決めて伝えろと。今日、僕がちゃんと伝えていなくて春ちゃんを不安にさせてしまっていた。
あのレストランで海外の大学と婚約したいと話をしたのだけど、僕はかなり緊張していたし、春ちゃんも気が動転していて僕の話が伝わっていなかったらしい。
一般的な普通の段取りを踏んでいないのは十分理解していた。こういう方法では多くの敵を作ってしまうことも分かっていた。でも夢も春ちゃんも両方諦めない方法はこれしかないと思った。別れるなんて考えは一切なかった。他の誰かに春ちゃんを渡すなんてできない。
そうだ、僕は初めから決めていたんだ。ただ、勇気が出なくて言えなかったんだ。でも今ならわかる。これが僕の決心だ。
***
うちの母親は中々に変わっていると実感し直してすぐ、恋人も変わっていることを知った。
自分のことなのになんだか可笑しくなってきて、肩の力が抜けた。もしかして意外と単純なことだったのかも。そう思うと、悩んでいたことが嘘みたいに消えていった気がする。
これは私も変わっているってことなのだろうか。
でも、それはそれでまた色々な悩みが出てきた。というか、さすがにいきなりすぎなんじゃないだろうか。いや、もちろん別れ話じゃなかっただけで頭がいっぱいいっぱいなのに、プロポーズって。
「で、春はどうするの」
また、母は一言のみ。いや、もー、あー。
わかった、わかったよ、もう。いいよ、ここまできたなら、全部まとめて全てを蛍太郎君にぶつけてやる。
覚悟しないさいよ!
***
後日談として、あのあと父が帰ってきて、もう一度蛍太郎君が例のセリフを父に言って色々とあったが、概ね問題無しである。
それから、一週間後には両家顔合わせがあり、なんかあれよあれよと進んでいった。
実はあのレストランで婚約の話をされていたらしいのだが、私は全然話を聞けてなかった。ちなみに、数ヶ月に一回日本に帰るというのは私と蛍太郎君が一緒に海外に住んでいる場合の話だった。
そして、今、私たちはものすごく忙しい。語学勉強やVISA取得や私の海外で準備や学校の勉強やその他もろもろ。
本当にありがたいことに、金銭面もその他困ったことも親がかなりバックアップしてくれることになった。改めて心からありがたく感じたし、この人達の子供で良かったと思った。
準備中にふと感じる。これからもまだまだ大変なことがある、というよりこれからが本番なのだが、おそらく私は蛍太郎君となら乗り越えられる。いや、二人で乗り越えていきたい。周りのみんなにもたくさんの迷惑をかけていくと思うけど、一生懸命頑張るから応援よろしくお願いします。
蛍太郎君に会えて本当に良かった。愛しています、蛍太郎君。
End
Thanks so much for your reading!