この花が好きな理由
パスタちゃん短編。
――無力を噛みしめるのは何度目だろうか。
忘れはしない。忘れることは出来ない。
初めて自らの無力を自覚したのは、まだ齢が3つの頃。
その存在を不貞の証として追い出された自分と母親は、首に輪を掛けられて放逐された。
思えばその日、初めて名前が変わった。新しい名前は、23番。
金で買われた先で、眼前でまわされ惨殺された母親を、彼女はただ見つめていた。
悲鳴を上げ、子を守るために死んでいく親を、ただ見ていることしか出来なかった。
『――。――』
喉が潰れているのだろう。擦れた風の抜け道のような、乾いてささくれた奇妙な音だけが、瞳を大きく見開いてこちらを見やるナニカから紡がれていた。
その時――いや。今。
今、目前で行われている惨劇は強く、強く心をかき乱す。やめろ、と口元が動くのは何故だろう。きっと、目の前で”何が起きているのか”が分かってしまっているからだ。
それは、かつてとは異なる曖昧な境界。
あの日、自分は何が起きているのかなんて分からなかった。
なのに、今目の前で起きていることを必死に止めようとする自分はいったいなんだ。
手を伸ばす。
その細く頼りない、栄養も満足にいきわたっていない、幼くして枯れ枝のような指先を。
届いたところで何になるのか、分からないまま。
ばさ、と音がして。
強く瞳を見開いた、その瞼を押し開ける力によって光が生まれた。
差し込む陽光。天蓋付きのベッド。苦しそうなランディ。
「…………ゆめ」
強く胸に抱いていた、自らにとっての商会という立ち位置の象徴。
目を、瞬かせて思う。
曰く――夢とは後悔であり、羨望であり、そして奥底の想いである。
その事実に、つけてしまった知識に歯噛みする。
「――もう気にしてないってのに」
あんな過去のことを、引きずっていて何になる。
変えられないかつてのことに、思いを馳せて何になる。
だから今の己は全てを切り捨て、振り払ったはずだった。
自分の名前と、それから――ばっさり断ち切った髪とともに。
なのにこんな夢を見ているようでは、まるで。
「今さらあの過去に、用なんてないのよ」
商会という戦場で、こうして今日も生を奪い取ることが出来ている。
それは、かつての己や……
『――。――』
血走った瞳でこちらを見続けていた、親のようなナニカとは違うと。
そう、言い張ることでしか、保てない心があったから。
――パスタのおうち。
今日の予定を思い出しながら、1人ぽてんとベッドから飛び降りる。
靴をつっかけ、ぺたんぺたんとクローゼットへ。
開いたと同時にしかめ面になってしまうのは、致し方のないことで。
以前までの威厳を伴う服装(当社比)から、やけに可愛らしい子供向けの服へと早変わり。
『パスタちゃんの気に入った服って感じに出したいんでテスター頼みますわー!』
とかなんとかほざいていた無敵の商会員は、服を運んできたトランクケースに詰めて送り返してやった。
「……ぐぎぎ」
かといって、このパジャマのままというわけにもいかない。
ハンガーが棒を擦る音が幾度かして、彼女はため息と一緒に数枚の服をベッドへと投げ込んだ。
ぽそぽそと、うつむきながらパジャマのボタンを1つ1つ外していく。
下着も脱ぎ終わると、そのままクローゼット下段の引き出しからキャミソールを取り出して、するすると袖を通していく。
別に、胸元をきつくしたりはしていないのだから、そろそろ変化があってもいいものとも思うけれど。
今の立場を考えれば、まあこれはこれで得だからと言い聞かせた。
だからこれは負けじゃない。そう、負けじゃない。
『メイド、姫様の服きちーんですよ』
負けじゃない。
ベッドに投げた一枚の服は、太腿あたりまでをすっぽり包むワンピースタイプだ。
かといってスカートやパンツを履かないわけではなく、レギンスを着用するらしい。
薄桃色のワンピースに、黒のレギンス。足首に花が咲いたようなレースのデザインは嫌いではなかった。
ワンピースの方はといえば、肩が露出していてキャミソールの肩紐がちらりと見えるタイプ。「これ、本当に大丈夫なの?」と聞いてみたものの、無敵の商会員は無敵のファッション担当と並んで「パスタちゃんが着れば世界が順応する」とのこと。
最先端になったつもりはない。そう言ってやろうかとも思ったが、商会の窓に映るメインストリートにパスタちゃんもどきがわんさか見える現状、否定材料の方が乏しかった。
「袖の方は余ってるし。意味わかんない」
手首どころか、手の甲のあたりまで浸食するこの袖は、結構汚れたり擦り切れたりして消耗が早そうだとも思うのだが。
そのあたりはテスターとしての仕事を果たすべくあとで報告するとして、パスタはぱたぱたと部屋を出た。
普段はもう少し部屋の中で書類を片付けたりと忙しい彼女が、この時間に外に出るのは珍しい。本人は決して認めないし、半ば以上無意識であろうが――もしかすると、夢見の悪さというものは人の生活に強く影響を及ぼすのかもしれない。
「――今日はこのあと、少し時間があったはず」
花壇の手入れと、書類のチェック。 リーフィは昨日から北の森に連れていかれてゴリラがどうとか。
午後の予定の前に出来ることはしてしまおう。そう思い立って、彼女はほんの少し居心地の悪さのような、むず痒さのようなものを覚えた。
そして、その理由にほんの僅かにだけ心当たりがあって、舌打ちをする。
今日は珍しく、ずっと1人だ。
――だから何だと、作り立てのホットレモネードを口に運んでやけどした。
花が、咲いていた。
今日の花壇も良い調子。
くるくるくるっと、慣れた手つきで握るのは一本の棒だ。串のようにも見えるそれを片手に、彼女は花壇の中へと入っていく。
目的は単純。
虫退治である。
『めいどー! この虫はー、だららららら……40点!!』
『やたー! コロ姉、最高点だよ!! ……ベアトお姉ちゃん、どう? どう?』
『とりあえずお姫様にぶつけてきたら?』
『めいどー……姫様は虫嫌いだからぶちきれる』
『あっそ』
『ベアトお姉ちゃん、この虫何点?』
『は? ……そいつ葉っぱ食うから0点』
『リーフィ?』
『なんならあいつに虫食べさせようかしら』
……庭でのやり取りが甦る。
『なんだ、お前も虫嫌いなの? ライラック様も――』
『一緒にすんな』
『別にそのくらい良いだろが……』
『あー。でも。うん。そうね……ふふっ。良いわ、それはライラックとの楽しい話題になりそうね?』
『そうかもな。話に困ったら聞いてみるよ』
自分も不快だったけど、あいつはもっと不快なはずだ。
そう思って了承させて、果たしてあのあとの進展はあっただろうか。
なんて。
「消えろ」
葉を食う芋虫を串にのっけて、遠くにぶん投げる。
イライラが募って、その飛距離はいつもより長い。あれでは家の前の街道に出てしまうだろうが、構うものかと鼻を鳴らした。
「ほんと、むかつく」
あたしの家なのに。
越してからそう時間の経っていない、思い入れもないはずの邸。
それなのに――どこを見たって誰かの顔が甦る。
忘れることが出来る、他の誰もが羨ましい。どんな記憶も、どんな過去も。あっけらかんと「忘れた」と、口に出来る誰もがひどく羨ましく感じた。
「水」
立ち上がって、花の水やり。
キッチンの水道から、簡単に汲むことが出来る便利な世の中。
ぺたぺたと邸の中に戻ってきて、まずは――窓辺に咲く花瓶の一輪にそっと注いだ。
今日も、真っ赤に咲いていた。
「――あんたは、全部覚えてる?」
ぽつりと問うて、首を振る。
バカらしい話だ。花が応えるはずもない。
けれど、何故だか。この花はきっと、全部覚えていた上できれいに咲いているとは思えなくて。
こんなにきれいな花ならば、きっと嫌なことは全部忘れているだろうと――そう思った。
「全部覚えてそうな気がするな」
「っ!?」
慌てて振り向けば、どん、と頭にぶつかる硬い何か。
それが誰の腹であるかは、目を開く前に気が付いた。
「なっ……えっ? なんで」
「なんではこっちの台詞だろ。家誰も居ねえのに扉開いてるから、慌てて屋敷ん中走り回ったわどうしてくれる」
「悪かったとすればあんたのタイミングでしょ。庭とキッチン往復してたのよ」
「んな間の悪い……」
見上げれば、額を拭うその姿。
こんな狭い屋敷で走っただけで汗かいてて、チャンピオンなんか務まるの?
そもそも探すなら声くらい先に出したらどう?
だいたい、来るなら来るで連絡とかすることあるでしょう。
色んな言葉が、喉まで出ては、帰っていった。
「ああ、でもお前あれだ」
「なによ」
じろりと睨んでやれば、目を逸らしたその男が言う。
「部屋……片付けろよ」
「あっ……!!」
今日だけだったのに。
リーフィに洗濯物をぶつけ忘れたのも。纏めずに部屋を出たのも。それに、それに。
「きょ、今日だけよ」
「嘘こけ、そう言うヤツは毎日やらかしてんだよ」
「ほんとに今日だけなの!!」
「はいはい、そういうことにしといてやるよ。リーフィにも言っておくか。片づけられない雇い主の代わりに頑張ってくれって」
「違うっつってんでしょ!!」
どん、と腹を殴ればいつも通り痛い。
目の前の男がきょとんとしているのも含めて、むかつくばかりが募っていく。
「……そこまでマジになることかよ?」
片眉を上げたフウタが見下ろした先で、うつむいたままのパスタ。
普段なら、「別にそんなことないし」とか「マジになってんのはあんたの方でしょ」とか「じゃああんたが片づけてよね」とか。
目の前の女が吐きそうなセリフなら、フウタの頭の中にいくらでも出てきた。
なのに、なんだろう。珍しいくらいに、何も言わない。
「――たかが片づけ1つでそこまでバカにするつもりはねえよ」
なんだかフウタの方がバツが悪くなって、そう口にした。
だってそうだ。打てば響くから口も軽くなろうというもの。それがこうなってしまえば、まるで自分が責めているようだ。
「……違う」
「ん?」
ようやくぽつりと紡がれた言葉は、何にかかっているかも分からない否定。
眉を寄せるフウタの前で、パスタは小さく歯噛みした。
「関係ない」
果たして、その打てば響くやり取りとやらがあったとして。
そんな会話のコミュニケーションに、フウタは敏感な方ではない。
むしろ交渉事に手慣れているのは目の前の彼女の方で――失う予兆に気付くのは、どちらが先かという話で。
違う、という否定があったとすれば、それは。
「あんたは、関係ないことだから」
関係ないとそう言って、この話題から突き放す。
ああ、もう。今日は誰かしらの顔が、ちらついてやまない。
「あのさ……お前さ……」
でも。突き放されて、関係ないと拒絶されて。
それで仕舞いなら最初から、"こんなこと"にはなっていないのだ。
ぼんやりとフウタが視線を向けるのは、窓辺に咲く一輪の花。
「お前のことで、俺に関係ないこと。それが両立すること、ねーんだよ」
「は? なにそれ」
「なんでこんなことで変に落ち込んでんのか分かんないけど。めんどくさいのはいつものことだし」
「うるさいなあ!!」
そう言って、フウタはようやく顔を上げた少女の瞳を見据えて続ける。
「お前は両手のことをどうこう言ったけど」
言われるだけで傷つく、そのフレーズに加えて。
「ならなおさら、お前のことは見てる」
「……」
「手が届かないところにあるって言うなら、たとえどこに行ったって」「……ぁ」
『――。――。――』
見開かれた瞳を思い出す。かつての記憶は夢にまで見た怨嗟の想い。
伸ばした手は、届かなくて。届いたところで何になるかも分からなくて。
それでも。たとえそれでも見ているというのならそれは――。
「……どうして、最後まで見てるのよ」
その、震える口で紡がれた問いはきっと、目の前の青年に向けたものではないけれど。
あっけらかんと彼は言った。
「心配だからに決まってんだろ」
――遠い、遠い、重い過去。
なぜ、こちらを見ているのか分からなかった。
なぜ、あの"ナニカ"は血走った瞳で、自分が何をされてもこちらから視線を逸らさなかったのか、分からなかった。
分かろうともしなくて、それはとても怖い記憶として刻まれていて。事実怖いものではあって、そして過去は変えられないけれど。
「――そう」
呟くように。彼女は、憑き物が落ちたような笑みを見せた。
「……」
反対にフウタは少し呆けてしまって、彼女の笑みがすぐさまジト目に変わる。
「なによ」
「いや」
視線を、彼女から逃げるように窓辺の赤い花へと向けて。
その美しく、可憐で、可愛らしい花に向けて呟いた。
「――やっぱ、全部覚えてると思うよ」
だからこんなに、綺麗なんだと。
コミカライズ第二巻を記念して、第一巻冒頭を彩るボイスコミックがYouTubeで公開!!
声優さんは、
フウタ:石谷春貴さま(ヒプノシスマイク:山田二郎役,Fate/grand order:ベリル・ガット役など)
ライラック:大西沙織さま(冴えない彼女の育てかた:澤村・スペンサー・英梨々役,ウマ娘 プリティダービー:メジロマックイーン役など)
やーなんか、凄いことになってきたね……!
https://www.youtube.com/watch?v=2S8mE5Fe9kQ





