28 にかいせん だいいちしあい
――十年前。
どさり、と鈍い音を立てて、乾いた土の上に弾む体躯。
小柄なそれはごろごろと転がって、力なく止まったと同時に勢いよくげほげほと嗚咽交じりの咳を漏らした。
絡まるように指先を締め付ける糸。
目を閉じていても煩く瞼を焦がす日照り。
息と同時に鼻腔に入る、土と汗の混じった臭いは最悪で。
どうして自分はこんなことをさせられているのかと、涙が零れて土に染みた。
あっという間に乾き干上がる、荒れた野のひび割れた大地。
大小、浅深問わず切り傷だらけの手を支えに、ふらつく重心を支えてなんとか立ち上がる。
「敵は待ってくれません」
「ぎゃっ……!!」
およそ、10歳程度の女の子が出すべきではない声は、腹部を貫くような痛みに臓器が上げた悲鳴に等しい。
つま先がめり込んだみぞおちは、身体をくの字に曲げる起点。
宙に浮いた嫌な感覚の次に、無遠慮に引き寄せられるような感覚。
ここでぼうっとしていては頭を打つ。
刹那に判断して首を折りたたむと同時、叩きつけられた地面は相も変わらず硬いまま。
何とか受け身を取って、痛みは最小限に抑えられた。
けれど。――憶えられたのは、こんなことばっかりだ。
悔しさと痛みと――それを跳ねのけられない理不尽に嗚咽が止まらない。
収まり切らずに溢れる感情は、視界すらぐしゃぐしゃにしたままだ。
なのに正面に立つ少年の"いじめ"は止まることがない。
「痛い……痛いよぉ……」
「痛いと言えるだけ、体捌きは憶えましたか。良かったですね、腕の1つ、足の1つ――尊厳、心。そのどれもが無事なうちで」
「うっ……あぁ……!!」
「ああ、身内は失ったんでしたか。しかしそれは」
――生きる上で言い訳にはなりえない。
まるで己に言い聞かせるように、少年はそう呟いて腕を振るった。
同時地面を迸るような土煙と、ほんの僅かに陽を反射する銀の閃き。
「いたいよお、やめてよお……!!」
「だから、そう言っても敵は――」
糸を握る手は、赤子のようで。
へたり込み、泣きじゃくり、防御もへったくれもない構えで、腕を交差させて頭を守る。俯いた顔は、"敵"と向き合っているとはとても思えない、幼子の駄々。
「……はぁ。なんであの人は、こんな子を拾ったんでしょう」
「ひぐっ……ぐすっ……」
「……まァ、どうせ俺の時と同じ気まぐれか」
どうしたものかと頭を掻いて。
その白髪の少年は、黒髪の童女に背を向けて歩き出した。
「――待って」
ぴたりと、足を止める。
あれだけ痛い思いをして、理由も分からず打ちのめされて。
その相手を呼び止めた。
泣きじゃくっていただけの女の子が。
それが意外で、彼は振り向いた。
斜陽を背に、ぼたぼたと血を流しながらも、無理やりに腕で涙を拭った彼女は言う。
「おいて、いかないで……」
「……不思議ですね。俺なんかでも、居てほしいと?」
散々に嫌われた自信があった。
だからこその問いに、彼女はふるふると首を振る。
「嫌だ……嫌だよ……もう誰も……」
「……?」
「誰も私を置いていかないで……!!」
たとえその相手が、手酷く自分を痛めつける者であったとしても。
少年は思わず、「はは」と声を漏らした。
掠れたような笑いだった。
「……俺は、復讐以外に興味はありません」
「ぇ……?」
「身内殺したクソ共を、1人残らずぶっ殺すっつってんだよ。テメエも憶えておけ、クソガキ」
ぐ、と胸倉をつかみ上げて。
彼女の幼い瞳に憎悪の炎を叩きつけるように。
少年は気炎と共に言い放つ。
「置いていかれたくないなら。失いたくないなら。――邪魔するヤツは皆殺しにしろ」
「み、みなご……」
絶句する彼女を、手放す。
またしてもへたり込んだ彼女に差し伸べる手は、持ち合わせていない。
けれど。
少年とて未だ幼い年頃だった。己のことで手一杯だった。
許せない相手を、許さないことに燃やす炎は、理性という蝋を容易く削っていく。
だからこそ教えは短絡的で。
けれどそれは、分かりやすいからこその真理だった。
「奪われる前に、奪うんだよ。………………それだけが、この世界で心に余裕をもって生きる方法です」
取り乱した、とばかりに首を振った。
この団のトップもそうだが。どうして自分もこんな、1人で何も出来ない女の子に世話を焼いてしまうのか。
なんてことはない。その優しさが。
「……似てた、なんて。虚しすぎて言える台詞でもありませんや」
かつて己の心を救ってくれていた少女の優しさが去来する。
しかしそれはただ、この世界に於いては無意味な感傷であることも知っていた。
優しさは弱さで甘さで、弱者の言い訳に過ぎないと。
だから己は高みに至る。
高みに至って、恨みを晴らす。
そう、空に向かって鼻息を飛ばした。
童女の名を、ミオン。
少年の名を、リブラといった。
――闘技場スペクタクラ。
アイルーン・B・スマイルズ
ライラック・M・ファンギーニ
プリム・ランカスタ
そしてミオン。
試合開始の合図と共にそれぞれがそれぞれの思惑を持って動き出す。
その速度、ないし動きは一瞬のこと。
であればこそ、予想は先にしておくもの。
『――先手を取るのはほぼほぼプリムだ。コロッセオでの初撃決着の数もダントツで、かつミオンさんが2人を相手取ることになるのが最悪のシチュエーションだからだ』
向き合い、開始される寸前。
フウタが繰り出した予想は以上のようなもの。
だが、フウタはそう言いながらも少し猜疑的な目をフィールド上に向けていた。
『だが……』
と、否定的な繋ぎを口にしたその時だった。
「行きますよ、プリムさん!」
「うん!」
《開演》
ひゅん、と風を切る音と共に、展開するは魔導糸。
先端に括りつけられた、踊る短剣は空へ舞う。
同時――ミオンが狙ったのはアイルーン。
「……」
狙われた彼女はと言えば、軽くその波打つ金の髪を払って、拳を握る。短剣の1つや2つ、ものともしない彼女だが。
その得物を操るのが、人間ではなく魔導糸であることの利点も、彼女は理解していた。
即ち、人体には出来ない挙動を取るということ。
関節が無い、持ち替えも必要ない、リーチだって自由自在。
その読めない動き、新たな戦術に戸惑いながら死んでいった人間は数知れず。
とはいえ、今目の前に居るのはアイルーン・B・スマイルズだ。
冷静にその動きを見極め、ともすれば短剣を打ち壊して再起不能にしてやろうかと目論む彼女の周囲を、ひゅんひゅんと踊るその刃。
やろうと思えば背後からだって突き刺すことが出来る短剣は、こと速度という意味においては絶大な力を誇る。
アイルーンがこの距離からミオンに飛び込んで殴りつけるより先に、背中から刃で刺すくらいは可能だろう。
ましてや。
「面倒ですわね」
そのミオンの前には、十字鎗の切っ先をこちらに向けて構えるもう1人の少女の姿。
あの構えは、アイルーンも見たことがある――導星。
下手に攻勢に出れば、足止めをされて短剣でフィニッシュ。
その絵がありありと浮かんだからこそ、アイルーンは迂闊に動けない。
まずはにらみ合いの構図を作る。ミオンの目的は果たされた。
相手の実力は双方ともに自らより格上である。
だからこそ、この状況に持ち込むことで迂闊な手は取れないように仕立て上げた。
だが、当然の情報がもう1つ。
「――なるほど。少しばかり不愉快です」
《宮廷我流剣術:雨》
放たれたのは、驟雨の如き刺突の連打。
不愉快。その言葉が何をもって口を突いて出たのか、分からないアイルーンではない。
王国最強の看板を引っ提げた、この国の王女殿下が。
試合開始直後に無視されたのだ。相手2人がこぞってアイルーンをマークしたことに対する"不愉快"。
なんて沸点が低いのだろうと、他人事のようにアイルーンは思った。
目を見開くのはミオンだ。
言ってしまえばライラックのこれは悪手と言える。
状況を動かす為の遊撃こそが、今のライラックに取れる最大の妙手。それは彼女にも分かっていると思ったからこそ、ミオンはこの動きに虚を突かれた。
その驟雨の目標は正面のプリム・ランカスタ。一瞬の驚いたような表情から、喜悦へと歪むその容貌。
「あはは、そう来なくちゃ! 私、それと比べてみたかったんだよ!」
《常山十字:満天》
面と面。
向き合う2人がぶつけ合う、互いに得意とする刺突のラッシュ。
制圧力という点で軍配が上がるプリムの《常山十字:満天》は、その連撃で繰り出す角度の広さが売りだ。
対するライラックの刺突は、コンツェシュを使った高速の刺突。これはあのプリム・ランカスタ相手に速度で勝るという凄まじい技でもある。
『わーーー!! ががががががー!! って!! プリムと王女様の間に、火花の壁みたいなのが!!』
『俺も一度見てみたかった、《常山十字:満天》と《宮廷我流剣術:雨》のぶつかり合いだ。生で見ると相当だな』
『どうなるの! どうなるの!』
『十字鎗を使った満天は、ライラック様の雨よりも広い範囲を刺突で制圧することが出来る。反面、ライラック様の雨は刺突の連打の速度に優れている。つまり、ライラック様からすればコンツェシュで捌き切れない範囲の鎗がきつくて、プリムからすればコンツェシュに押されている状況だ』
『え、じゃあ相打ち?』
『いや? ライラック様も、捌き切れないところにある鎗は放置しよう、なんて考えない。だって傷つくのは自分だから。逆にプリムも、押された先にあるのは押し負けだ。鎗が弾かれたら、満天どころの話じゃない』
『……んぅ?』
『つまりだ』
凄まじい速度で放たれる、十字鎗と刺突剣。
範囲を攻める十字鎗と、それを穿つ刺突剣の応酬を、よく見ると分かる状況の変遷。
『先に、"防がなきゃいけない"状況に持ち込んだ方の勝ちだ』
範囲外の十字鎗が王女にチェックメイトを掛けるか。
或いは、コンツェシュが十字鎗の刺突を掻い潜って突き抜けるか。
技量もそうだが、これは――速度の勝負。
『でもな』
『あれ? なるほどって思ったんだけど』
『いや、俺は別に嘘をついたわけじゃない。……ただ、1対1なら、って話だから』
ミオンは一瞬ためらった。
ほんの少しでもプリムを邪魔する可能性を嫌ったのだ。掩護するつもりが、糸が十字槍にでも絡まったら最後。そのまま一瞬での敗北すらあり得る。
――そして、ライラックはそれを見越していた。
ミオンという少女の人となり、そして戦いへのブランクを知っていたからこそ、プリムとの打ち合いに飛び込んだのだ。
如何に"王国最強"と言えど、プリムとミオンを同時に相手取ってなお順調に試合を運べるほど技量に差があるわけではない。
だがこうしてプリムとぎりぎりの間合いを作ってしまえば、ミオンに手出しは出来ないだろう。
そう考えたのだ。
しかしてそれは正しかった。
彼女の思惑通り、ミオンは躊躇ったのだから。
だが。
この"闘剣"において。誤算がたった1つだけあった。
ミオンがこの闘剣にもう一度飛び込んだ理由は知っていた。アイルーンに敗北したという情報もライラックは掴んでいた。
そのリベンジを考えていて、財務卿を守ることの出来なかった己を悔やんでいることさえ、織り込み済みだった。
しかし、それでも。
直前に"ある出来事"で、ミオンが己の初心を想い出していたことを、彼女は知らなかった。
――試合を眺める、影が1つ。
「……ミオン。そうですか、財務卿の、もとで」
柔和に目じりを下げて。
見知った兄妹が騒ぎ立てる闘技場の最上段で、"闘剣"を見下ろす青年。
ミオンはただ、リブラ・ロビンソンという男を危険視していて。リブラ自身、それで良いと思っている。
《楽団》に居た人間など、その全員が脛に傷を持っていると言っていい。
きっと人生に安寧は訪れない。ならせっかく手に入れた場所を守る為に、修羅になることも必要になる。――そう、心の底から知っている。
だから別に、その輪に入ろうとは思わない。でも。
「……その、アイルーンという方に因縁と、"借り"があるのなら」
どう見ても格上の武人相手に、戦わなければならないのなら。
「腹ァ括れクソガキ。誰にもおいていかれたくねえんだろ」
そう、誰にも聞こえない程度の声音で。リブラはほんの僅かに、口角を緩めた。
『おおっとおおおお!! お兄ちゃんの言った通りだ!!』
『まあ、単なる事実だからな。1対1じゃないっていうのは』
まずは一撃。
プリムの"満天"に混ぜ込まれた、魔導糸に繋がれた短剣は。
不規則な軌道を描き、ライラックのコンツェシュを弾き上げた。
「っ!」
「――申し訳ありませんが」
ぐ、と白の手袋を限界まで引っ張り、指先の感覚を確かにして。
ミオンは強気に、格上の三人を見据えて笑う。
「私、今日は全力ですので」
第一試合は、終わらない。





