29 フウタ は やりつかい と たたかっている!
プリム・ランカスタ。
彼女のルーツは、世界三大槍術の一つである常山十字槍術にある。
"闘剣士"として生まれた彼女の故郷こそ、常山。
常山十字槍術の総本山だ。
並ぶ者無しと謳われた彼女は、故郷に錦を飾ることを夢見て公国のコロッセオにやってきた。
故郷で鍛えた槍術は、コロッセオに来てさらに磨きがかかった。
多くの猛者と研鑽し、多くの猛者の骸を越え、そして。
チャンピオンの前に、膝を屈した。
初めて鎗を弾かれた日のことは、昨日のように覚えている。
あの日も、今日のような晴天だった。
王宮の庭園に巻き起こる歓声。
静かに植物を愛でるべき場所に場違いな情動の嵐は、本来それを咎めるべき立場の人間によって起こされている熱狂だった。
熱を上げる者たちが一心不乱に見つめる先には、艶やかな花の代わりに鈍い銀と火花が散っている。
「まだ、まだまだまだぁ!!!」
黒き二房の髪を振り乱し、怒涛の如く鎗を振るう少女。
その熟練の鎗捌きに、一度たりとも対応を誤ることなく受けいなし続ける青年。
剣舞の開始から、紅茶が冷めるほどの時が経って尚、闘いの熱はまだまだ上がるばかり。
しかし、一部の者たちにとっては当然というべきか。
食い入るように戦況を見つめていたリヒター・L・クリンブルームは、1人呟いた。
「……あの女でも、ここまで追い込まれるか」
視線の先には、十字鎗を手に舞う少女闘剣士の姿。
あの日リヒターを完膚なきまでに叩きのめした彼女の変幻自在の槍術でさえ、目の前の男には届いていない。
否、同じ得物と、力量でもって捻じ伏せられている。
諦めずに槍を振るうさまは美しく、それでいて儚くすら感じた。
リヒターにしか分からない感覚だ。
他の者は、押している彼女を優勢と見て声を上げている。
違うのだ。あれほどに勝負を決めにかかって押し切れていない。
相手のフウタが、その槍術全てを"知っているが如く"冷静にいなしているせいで、まるで竹槍で要塞に挑んでいるようだ。
無謀と笑う者もいるだろう。
諦めろと首を振る者もいるだろう。
だが。それでも挑む気持ちは、痛いほどわかった。
一番その愚かを笑われたくない相手は、終始真剣に、一切の手加減なく立ち合いに応じてくれているのだから。
剣を執る者である以上、"最強"に挑まずにはいられないのだ。
「なら、これはどう!?」
《常山十字:満天》
その技は、ライラック・M・ファンギーニの《宮廷我流剣術:雨》によく似ていた。
鎗として繰り出される分間合いは広く、そして避けようがない。
だが長く握った鎗をあの速度で突き続ける大技は、ライラックの《宮廷我流剣術:雨》よりも遥かに腕の持久力を消耗することだろう。
それでも放った。分かっていても放った。
つまるところ、切れる手札が少なくなってきている証明だった。
《模倣:プリム・ランカスタ=常山十字:満天》
がががががっ、と鎗と鎗が正面から打ち合わされる。
その見栄えの派手さに周囲が沸く中で、プリムは一つ大きく息を吐いて顔を上げた。
――チャンピオンは、強い。
同じ時間だけ舞台に立ち、同じ得物で戦っているにも拘わらず。
既にプリムは息が荒くなっていた。
だがそれでも。
「それでも――負けたくない!!」
前を向いて、鎗を振るう。
彼がコロッセオに居た頃であれば、既に腕の感覚がなくなって、鎗を弾き飛ばされている時間だ。
頭の片隅で、プリムはそんなことを考えた。
常山十字槍術の看板を背負い、三大槍術の一角を代表する心構えで挑んだコロッセオ。
最初のうちは敵なしで、十字槍術の凄さ、素晴らしさを証明できるのが楽しくて仕方が無かった。
――強いだけでつまらない、というチャンピオンの話も、何れ自分が打倒して在位を終わらせるくらいにしか考えていなかった。
だが現実はそう簡単ではなくて。チャンピオンどころか、メジャークラスに昇格した途端に勝てなくなった。
常勝無敗の常山十字槍術。故郷で謳われたその呼び声に、プリムは応えることが出来ていなかった。
落ち込み、凹んだ。
そんな時に、フウタと出会った。
その日は、チャンピオンの防衛戦があった。プリムを下した闘剣士との試合だった。
どうせ奴が勝つ、などと観客に吐き捨てられる不人気で不動のチャンピオン。
プリムが見かけたのは、案の定相手を圧倒した試合の後のフウタ。
落ち込んでいたプリムの瞳に映ったのは、勝利の余韻に浸ることもなく、ただ黙々と剣を振るうチャンピオンの姿だった。
――憧れたのは、きっとその時だったのだろう。
強引に手合わせを挑み、そしてあっという間に鎗を弾かれて敗北した。
笑えるくらいにあっさりだった。同じ十字槍を使われて、築き上げた誇りがへし折れるかと思った。
でも。手合わせが終わるなり、今度は十字鎗の練習を始めた彼の背中が眩しかった。
大の字に倒れ伏したまま見た彼の背中は大きくて。
寝ている場合ではないと奮起出来た。
――公式戦では勝つ。そう言い捨てて、プリムは駆けだした。
彼の鎗術は自分と殆ど同じ。使う技も殆ど同じ。違いは、多くの猛者を相手にしてきた経験と、鍛錬からくる単純な力量差。
なら、きっといつか自分も同じ高みに届くはずだ。
届いてみせる。必ず。
金のかかっていないところで、チャンピオンを相手に振り回した鎗はどうしてか、とても"楽しかった"。
いつか勝つ。そう誓った。
だから。そう、だから。
チャンピオン・フウタが八百長に手を染めて街から逃げたと聞いた時は――何かが砕け散る音がした。
あの孤高のチャンピオンが。どんな不人気にも屈さず最強であり続けたチャンピオンが、何故。
疑問と、怒り。
それからのコロッセオは、プリムにとって酷く味気なかった。
なんてことはない。
彼女の目には孤高に映ったそれは、ただ孤独であったというだけだ。
それだけの話だった。
フウタは強かった。
昔も、そして今も。
自分の槍術をぶつける度に分かる。伝わってくる。
だったら、何故。
だったら何故――
「なんでだよっ……」
零れるように、プリムは呟く。
ぴく、とフウタの頬が動いた気がした。
振るわれる鎗に込められる力は変わらない。
それでも沸々と内から煮立ってくるやるせなさ。
「お前は――キミは、昔からずっと真っ直ぐだ! そんな、そんな美しい武術を、どうして八百長なんかで汚せたんだ!!!」
かち合う鎗と鎗。
そこに想いも乗せて、プリムは吼えた。
「答えろよ!! あの日から――キミが居なくなったあの日から! コロッセオの猛者どもはみんな目標を失った! 私は――私は、コロッセオに居る意味さえ分からなくなった!!」
目を見開くフウタに、沸点を越えたプリムの怒りがぶつけられる。
「そうだろ!? キミに勝てなくて、何がチャンピオンだよ笑わせるな!! 観客がどう思うかなんて知ったことか! キミが居ないコロッセオで被る王冠なんか、私に言わせればただの侮辱だ!!」
彼女の鎗は受け流せても、彼女の心はおいそれと流すわけにはいかなかった。
この言葉を王女が聞いていれば、肩を竦めて論破するくらいのことはやってのけるだろうが、フウタは真面目だった。
真面目が故に、あの日まで苦しみ続けた。
だが、その真面目さは、時として人を救う優しさにもなるのだ。
「――辛かったんだ」
馬鹿正直に、恥も外聞もなく呟かれた言葉は、プリムにとっては理解の範疇を越えた一言だった。
「つら、かった?」
「何をしても、観客に喜んでは貰えない。それじゃ、闘剣士の意味がない。強いとか、弱いとか。それ以前に俺は――闘剣士として大事なものを持ってなくて。それを、他人にゆだねてしまった」
剣戟を交わす中で紡がれる言葉にしては、あまりにも情けない一言。
フウタは自嘲気味に笑う。
プリムがあっけに取られるのは仕方のないことだった。
戦えば喜んで貰える。それは、"職業:闘剣士"にとっては当たり前のことだったから。
むしろプリムは、チャンピオンに届かない自分たちのせいで、フウタの試合をつまらなくしていると思っていた。
それでも、飽くなき研鑽を続け、王座で挑戦者を待ち続けるフウタの孤高に、プリムは憧れていたのだ。
だが、違った。
「なんだ、それ」
「八百長をしたのは俺の責任だ。言い訳なんてしないさ。でも、だからもうしないと誓ったんだ。許してくれとは、言わないけど――」
「ははっ」
プリムは笑う。
笑って、鎗を振るいきった。
バックジャンプで間合いを取って、荒くなった呼吸を整える。
「……なんだ、憧れていたのが馬鹿みたいじゃないか」
その言葉に、フウタは目を閉じた。
いくらでも罵倒してくれて構わないと。
自分の心の弱さで招いたことだから、正面から受け止めようと。
だが、その姿勢も想いも、プリムにとっては、意味がなかった。
「そっか。そういうことだったんだね」
「ああ。すまない」
プリムは、鎗を構える。
その表情は、前髪に隠れて見えない。神速の一撃を放つ前動作。
ここで決める気だと悟ったフウタも身構える。
そして、技が放たれた。
《常山十字:流星一矢》
プリムがフウタのことを、そんな風に思っていたなんて知らなかった。
だからこそ、フウタは申し訳なく思った。
《模倣:プリム・ランカスタ=常山十字:流星一矢》
だが。
「――伝えるべきだった。簡単なことだったのにね」
勢いよく弾かれた十字鎗が、あの日のような晴天を舞う。
くるくると、ほんの一瞬にも満たない時間なのに、何故だか長く感じた。
「みんな、キミを倒すために必死だった」
ぽつりと、呟く。
同時、からん、と地面に鎗が転がる。
「みんな、キミへの挑戦権が欲しかった」
そして彼女は、鼻先に突き付けられた十字鎗と、その奥に見える双眸に微笑んだ。
「聞いてくれるかな、チャンピオン。私ね」
真っ直ぐな瞳に、もはや敵意も害意もなく。
代わりにあったのは、憧憬と後悔。
「キミに強引に手合わせを迫ったあの時間が、何より楽しくて幸せだった」
――勝者、"チャンピオン"・フウタ。
プリム・ランカスタの初挑戦は、幕を閉じた。
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