53 おうじょ の おかたづけ
花火の夜から、しばらく。
随分な大騒ぎだったにもかかわらず、フウタの周りにこれといった変化は見受けられなかった。
一夜明けて、もう一夜。
数日の期間を経ても、花火の前後で変わったことは殆ど無い。
「めいどー……それで、どうなったんです?」
「うーん、俺の知ってるのはそれくらいかなあ」
さっさ、と部屋の掃き掃除をしていた少女に、フウタはぼんやりと天井を眺めながら呟いた。
事の顛末。
フウタが知る情報は決して多くない。
慌てて駆けていった先に居たグラシアルや、西から攻め入ろうとしていたビシエド。
――ビシエドとライラックのことについては、自分から話すことでもないだろう。
後から聞いた話では、反対側の東でイズナが大暴れしていたようだがそこはそれ。
聞いた話でしかない彼の活躍は、目の前の少女に語って聞かせるにはひどく曖昧だ。
「まあでも、何が言いたいかというと」
「ほ?」
背をもたれていたソファから跳ね起きるようにして。
振り向いた彼の視線の先には、ふりふりと揺れる金の二房。
「……元気になって、良かったよ」
「…………まーな!」
腰に手を当てて、何故か自信に満ちた笑み。
コローナの容態は、もう心配要らないと言っていいだろう。
それこそ、くしゃみをすることすらなくなった。
随分と眠っていたせいで鈍っているのか、身体のあちこちが痛いと愚痴を漏らしてはいるものの。
それでも、フウタのよく知るコローナの姿がそこにあった。
「メイドはこんなところで終わるわけにゃあ、いかねえんだっぜっ……!」
「誰だよ……」
「ぺろりんっ」
知らない姿だった。
もとい。
「コローナ」
「んー?」
目を合わせれば、悪意の欠片も感じない優しい翡翠の瞳。
こんなにも無邪気で優しい少女に、これから先も悪意が迫ることがあるというのなら。
その全て、己が身を挺して庇おうと誓う。
そして。
「録術の代償のこと」
「――」
「必ず、なんとかする手段見つけような」
「……あー」
そのことか、とバツが悪そうに苦笑いするコローナ。
真剣なフウタの眼差しに、どこか申し訳なさそうに、そして心配そうに彼女は問う。
自然な上目遣いは、まるで粗相をした子供のようで。
「もし、見つからなかったら?」
その問いはきっと、フウタに自分の状況を明かさなかった理由そのものなのだろう。
「なんだ、どうにかする方法なんかないって分かってるのか?」
「んーん。分かってるわけじゃ、ないけど」
そもそも調べすらしなかった。
自らの行いにより、代償を支払う。当たり前のこと過ぎて、考えもしなかったのだ。だから、もしかしたらこの世のどこかに、自分の置かれた状況をどうにかする手立てがあるかもしれない。ないかもしれない。分からない。
ただ、その分からないに付き合わせて――結果、どうすることも出来なかったとして。
目の前の青年が何を思うかを考えれば。最初から知らない方がマシだったと思うのだ。
「ほどほどにー」
「他人事だなぁ」
苦笑。
フウタは決して、今のコローナを咎めるようなことはない。
またぞろ、自分のせいで人を縛ることはしたくないだとか、そんなことを考えているのだろう。
そうじゃないよ、と言ったところで彼女を苦しめるだけなのなら。
「死にたくないって言ってくれたじゃないか」
「……」
「だから、俺は頑張るよ」
「……ぅなー」
目をバッテン印のようにして呻くコローナに、フウタは笑う。
無理やりにでも、頑張るだけだと。
「ならばこのメイド、フウタ様だけに任せておくわけにはいかぬ……」
「ああ。そうしてくれ」
そうして決意してしまえば、責任を感じて動いてしまうのもまた彼女なのだから。
「――さて、と。一応、約束ではヒューラさんがある程度情報を集めてくれてるはずだけど」
「筆頭魔導師? でも今日は」
「ああ」
頷く。
今日は――裁判の日だ。
――王都議会。裁判所。
ぐるりと周囲を埋め尽くすこの国の重鎮たちに囲まれて、まるで小さな鳥籠のような場所に閉じこめられた1人の青年。
魔導を扱えるという危険性から、"貴族"に相応しくない場所に押し込まれた彼は、諦めたように目を伏せてその場に立っていた。
「被告人グラシアル・G・グリンゴット」
裁判の長を務める初老の男が上げた声に、青年――グラシアルは頷く。
己は、しくじった。
しくじったのなら、こうなることは覚悟していた。
王女に捕まった時点で定まっていた運命。
――民を拐かし、凌辱していたコンラッドなどとは比べ物にならない国家大逆の罪をその肩に乗せて、彼は裁判に臨んでいた。
見知った面も、何人も傍聴席に座っている。
悲しそうに俯いた国王と、その隣で沈鬱なツラを引っ提げた王女。
数々の"貴族"たちに加え――と、そこでグラシアルは思わず口角を上げた。
なんて顔をしてやがる、と。
失望と、悔しさだろうか。そんな色を浮かばせる男にグラシアルは嘆息する。その顔をするべきは自分のはずであり、お前ではないと。
「"義勇団"なるテロ組織を煽動し、また犯罪の隠蔽に手を貸した。相違ないな」
「……ああ」
「数々の"貴族"の邸の爆破。また商会をはじめとした国の重要地点への甚大な被害――」
朗々と読み上げられる罪状に、頷く。
初めて聞いたとばかりに驚く蒙昧も多い。
これでは結局、奸雄に踊らされてこの国は終わるだろう。
否、自分も踊らされた一人かとため息を吐いた、その時だった。
「――クリンブルーム別邸。ウォルコット別邸」
幾つもの、爆破された箇所の名が連ねられる。
黙って聞いていたグラシアルは、弾かれたように顔を上げた。
「――コルセスカ商会本部。ウェストブルック別邸。オードロット商会本部」
「なっ――」
知らない。
そんな場所を指示した覚えはない。
コルセスカ商会。ウェストブルック家。オードロット商会。
むしろ彼らは、傍観者の類だ。もうそろこちらに引き込めるかどうかという段階にまで持ち込んで――そう。
どちらかと言えば、王女の政敵――!!
まさか、と傍聴席の王女を見やる。
王女の口角が吊り上がる。
その一瞬をグラシアルは見逃さなかった。
「いつからだ」
「被告人グラシアル。何か?」
「いつからだ!!!」
がしゃん、と檻を殴りつけ、吼える。
「いつから鼠が潜り込んでいた!!! いつから……いつから!!」
計画が崩れたと気付いた時には、既に終わっているものだと彼女は言った。
ああなるほど確かにそうだ。気付いた時には終わっていた。
――だがまさか、自分にとっての邪魔者を排除するために利用されていたなどと誰が想像しようか。
どうりで。
「どうりで……平民どもが何も知らねえはずだなァ!!!」
情報統制を行っていたのは誰だったか。
必死に状況をどうにかしようと後手後手に回って、スペクタクラの興行の為に平民たちに情報を卸さずにいた。
そういう風に見せていた裏側で。
既に尻尾を掴んだばかりか、この騒ぎを利用して自分の良いようにことを進めていたなどと。
「静粛に」
「黙れ!! ははっ、クソ……クソがァ!! よくもやってくれたな"奸雄"!! 最初から俺はッ……俺たちは!! テメエの手のひらの上だってか!!!」
「静粛に!!」
ざわ、と議場がざわめいた。
"奸雄"の仕業。そう騒ぎたてる被告人の必死な形相は、嘘を言っているようには思えない。
だが。
だがだ。
「――お父様」
「大丈夫だ、ライラック」
悲しそうな表情で顔を上げた己の娘に、国王は頷く。
「いつもながら。犯罪者はどうにもならなくなると、どうして娘のせいにしようとするのか」
「はっ……ふざけろ。娘のせい、とかじゃねえよ。ははっ」
乾いた笑み。
それはそうだ。自分も裁判で何度も見た。
コンラッド・イーストウッドなどが良い例だが、他にも沢山、この裁判で"奸雄"を罵る輩は居た。
ハメられた、と叫ぶ者。
奸雄のせいだ、とわめく者。
なるほど確かに怒鳴り立てたくもなるとグラシアルは1人思う。
ここまで見事に利用されたなら、もうヤケクソになるのも仕方がない。
どのみち、己は死罪なのだ。
ならばとグラシアルは開き直った。
「娘のせい、ねえ」
「被告人、無駄口は――」
「確かに。確かにだ。俺はテメエの娘のせいだと思って、こうして行動を起こしたよ」
「なっ――」
テメエ、などと国王に向かって口にしたのは、当然ながら初めてのこと。
思わず鼻白むギルバートを置いて、あっけに取られた議場に向かい、彼は続ける。
皮肉なものだと、グラシアルは思った。
ギルバートが絶句しようと、グラシアルが喋りたてることは許されるのだ。
なにせ――隣の王女が、静かにグラシアルの言葉を待っているのだから。
「だが言われてみりゃその通りだ。俺は王女に尽くした覚えはねえ。国を亡ぼす"奸雄"だからな、そりゃそうだ」
どんなに王家に尽くしてきたとしても。
王女に尽くしたわけではない。
ならばその王女が国をぶっ壊すと言ったところで――"貴族"に止める手立てはない。
結局のところ。
「三大名家なんて言われてもこの程度だ、おい。国の為に、領の為に……家族の為に。必死こいて足掻いてみたがこのザマだ。なんでだと思う? 俺が及ばなかったってのはおいといてだ」
「――何を言っている! 議長、この男を」
「お父様」
止めようとした国王を、ライラックが制した。
ああ、本当に見ていて笑えてくる。
結局のところ――既にこの国は"奸雄"のものではないか。
自分たちの先祖が尽くした国など、もうどこにもない。
「それはな、ギルバート王。俺たちに力が無かったからだ」
「なに……!?」
「……」
そうだろう? とちらりと王女その人を見据えれば。
己を測るような瞳を冷静に向けている。
グラシアルはもう終わった人間だ。
何を言おうと勝手だ。
あとはせめて、自分の領を統治する後釜がマシな部類の"貴族"であることを祈るだけ。
だからこそのヤケと本音。
「終わってんだよ、もう。――議長。判決は好きにしろ」
何が終わっているのか。
彼の言葉を理解した人間が、この場にどの程度居るのかは分からない。
だがもう、それでも構わない。
諦めたように嘆息して、グラシアルは採決を待った。
グリンゴット家には、大規模な賠償命令と領地返上。
そして、グラシアル本人は――当然の如く、死罪が決定した。
――地下牢。
己の死を待つのみとなったグラシアルは、牢のど真ん中に寝転がって天井を睨んでいた。
貴族としての暮らしが窮屈だったわけではない。
むしろこの上なく、"貴族"の己に相応しかったと思う。
だからこそこの牢に閉じこめられた気分は最悪であったし、さっさと死刑にでも何でもなってくれとため息を吐いた。
だから。
こつこつと石の階段を降りてくる音が響いてきた時はそろそろ時間かと身体を起こしたし、松明に照らされた案内人の顔が見えた瞬間には、何の冗談かと眉をひそめた。
「……笑いに来たのか?」
「さて、どうでしょう」
小首を傾げる少女を相手に、苛立たし気にグラシアルは鼻を鳴らす。
だが、次の瞬間。
ちゅう、と鳴く鼠が足元を駆け抜け、思わずグラシアルは飛びのいた。
「ひぃっ……!! おい!! 衛生最悪じゃねえか!! もうとっとと殺せ!!」
「衛生が最悪、ですか。面白いことを言いますね」
「ああ!?」
「掃除を思い出させてくれたのは貴方ですから」
「……ちっ。このクソアマ」
「形上すら敬わなくなりましたね」
「今更だろうが」
小汚い鼠が服にでもついたら最悪だと、忙しなく周囲を見渡すグラシアル。
「で、何の用だ。死刑が決まったのか」
「その割に随分と落ち着いていますね」
「当たり前だろうが。テメエに捕まった時点でもう諦めてる。勝敗が決まるまでは足掻きはするが――決まったら潔いのが"貴族"のならいだ」
「です、か」
さて、何から話そうかと迷っているようなライラックを、グラシアルは睨みつける。
茶飲み話をするような仲でもないのだから。
「誰にハメられたのか、分かりましたか?」
「……まあな。ビシエドにしてもそうだ。集められた時点から、もう罠だったってことだろうよ。っつか、なんだ。テメエは知りませんってツラしやがって」
「ですから言っているではありませんか。"わたしではない"と」
「……どういうこった。独断専行か?」
「さあ。これからじっくり話は聞くつもりですが……まあ、味方ではないということですよ」
「……………………」
「わたしからの提案は、そう難しいことではありません」
「あ?」
顔を上げたグラシアルに、つまらなそうにその銀髪を弄りながら彼女は告げる。
同時――響くは階段を降りてくる足音。
「ああ、勿論これはわたしの独断。誰にも露見はしていませんので、ご安心を」
「……まさか」
「ええ、まあ。わたしは愛すべき兄妹など存在しない身ですから、貴方の気持ちは欠片も分かりませんが」
「――」
「あんな土壇場で馬鹿げたリスクを侵すほど大事な相手なのでしょう?」
最後に、会っていったらどうです?
そう、一歩を引いたライラックの前に。
「…………兄様?」
1人の少女が、姿を現した。





