51 まつり の おわり に
未だ、己を肯定することはできない。
それでも。
――闘技場スペクタクラ外部。南方。
特に、合図があったわけではない。
駆け出したのはほぼ同時。
強いて言うならば、と男は1人空を見上げた。
闘剣を終えた者たちに贈られるような万雷の拍手にも似た、空の花が打ち鳴らす瞬きの音。
おそらくは興行も終幕が近いのだろう。
その美しい七色の光と、咲き誇る度に響き渡る弾けたような音。
それこそが、戦いの幕を開ける鏑矢の風切り音にも似た合図だったのかもしれない。
風に乗ってやってくる、少女の歌声も終演を迎えようとしているならきっと。
この戦いも、終わりが近いとリヒターは1人思った。
「はああああああああああああ!!」
「っぁああああああああああ!」
閃くは鎗の穂先。花火の煌輝に照らされて、眩いばかりの光を反射する刃を前に、アイルーンは軽いステップで体を反らす。
その瞬間――今までとは何かが違うことにリヒターは気付いた。
目を見開く一瞬。
別に新しい技だとか、見たことのない技術だとか。
難しい要素は特に無かった。
だが。
「なっ」
「――」
驚いたのはリヒターだけではなかったらしい。
鎗を放った姿勢のプリムも同じく目を瞠った。
アイルーンが行ったのは、単なる回避だ。
だが、ただ身体を反らすだけで済んだはずの彼女の体捌きがそこで終わらなかったことが、プリムにとっては驚きに値したという話だった。
体を反らすと同時、アイルーンは文字通り沈んだ。
鎗の懐に潜り込む――つまりは一歩を詰める真っ最中だったというのに、彼女の姿が消えたのだ。
何故か。
それはひとえに、彼女のしなやかな体が足を前後に深く開いたということ。
股を割るようなその動きはさながらバレリーナのそれだ。
一気にその高い身長が座高程度にまで下がったことに驚く間もなく、彼女はそのまままるでダンサーが起き上がり際に捻りを加えるように、両手を突いて下半身を上へと持ち上げる。
《独奏曲》
「くっ」
「――」
アイルーンはその切れ長の瞳をさらに鋭くし、普段のような哄笑も愉快そうな恍惚も表情には存在しない。
ただ、正面の敵を下す。
それだけを考えているように、プリムには感じられた。
「良い、じゃんか!」
死角から蹴り上げるような踵に狙われたのは彼女の顎。
これを紙一重で回避してしまえば、そのまま踵落とし宜しく振り下ろされた足の餌食になるだけだ。
引き戻した鎗を回転させ、得物は得物で迎え撃つ。
鈍い響きと共に、蹴りの勢いを活かしてプリムは後方へと跳躍した。
着地は低く、鎗は片手に握りしめて手をつく。
獣を狩るハンターが身を隠すように腰を落としきったその姿勢は、突貫する速度を最大限に高める型であることもプリムは知っていた。
最速の鎗は伊達ではない。
だがそれを知っているのは、アイルーンとて同じことだ。
「っ」
《常山十字:流星一矢》を放たれればプリムのペース。
だからこそ、出鼻をくじくように。
気が付けばアイルーンは、着地した彼女の隙を狙うように、跳躍から拳を引き絞って構えていた。
――来る。
そう判断したプリムの行動は早い。
戦いの基本は、相手を崩すことだ。
たった今、プリムの得意である速度を潰すような動きをアイルーンがしたように。実力が拮抗している間柄では、如何に相手に自由を与えないかが勝負の鍵となる。
そういう意味で、アイルーンの強みは手数であり連撃だ。
リヒターがグラディウスで取っていた戦法は正しく、アイルーンの動きを真逆から打ち砕くことは確実にアイルーンの気勢を削いでいた。
だから、プリムが同じことをするのは当然のことと言えた。
真似だとか、見ていただとか。
そんな次元の話ではない。戦いに剣を握る者であれば誰だって知っている、正しい"戦い方"だ。
引き絞られた腕に照準を合わせ、プリムが鎗を構え――放つ。
リーチの差は絶大だ。せいぜいが己のウィングスパンを限界とするアイルーンに対し、長柄の鎗を持つプリムのアドバンテージは計り知れない。
だが勿論、アイルーンもそれを知らぬはずがなかった。
が、と正面からぶつかる鎗と拳。
最大まで放たれた鎗と違い、まだ振り降ろす真っ最中のアイルーンの拳には体重が乗り切っていない。
完全にプリムの勝ちだと、そう思っても仕方のない話。
だからリヒターは驚いた。
それこそ、ここが解説席であればアホのように「凄いぞこれは」と連呼していてもおかしくはなかった。
アイルーンが、飛んだ。
結末は最初から分かっていたのだろう。
打ち合った際にどうなるか。理解していたからこそ、むしろこれを狙っていた。
拳を振り抜こうとしていたのではない。
むしろ、その鎗を起点に拳で"飛ぶ"のが目的だった。
そのまま踵落としのような姿勢で、縦回転する独楽のように降ってくるアイルーン。
その金の波打つ髪が、まるで流星が尾を引くように夜空に煌めく。
「――そう、か」
リヒターは何かに気付いた。
だがその"何か"を口にするよりも先に、響くはまるで終幕近い花火のように美しい、鉄と鉄の打ち合う音。
プリム・ランカスタは"闘剣士"だ。
その鎗捌き、そして合わさる彼女自身の舞い躍るような動きは、見る者全てを虜にするまさしく輝夜姫。
彼女の鎗は、ただ鎗に非ず。
鎗と一体となった彼女こそが、戦場の華。
対してアイルーン・B・スマイルズ。
今ひたすらプリムと打ち合いを続ける彼女の異名は、"屍山血河の人魚姫"。
セイレーンの名は、リヒターとて知っている。
有名な童話だ。
冒険に出た果敢な船乗りたちが、さる岩場で必ずと言って良いほどその美声に惹かれ、気づいたら船ごと沈められているという、そういう話。
屍山血河とはなるほど、彼女に挑みかかった者たちの骸で出てきた山と河。
ならばその恐ろしい女は、何故歌い続けていたのだろうか。
"強さ"を目指す為か。"高み"に至る為か。
或いは、もっと別の――。
いずれにせよ。
今1つだけ言えることがあるとすれば。
「――ぁあああ!!」
「こんのっ――まだまだぁ!!」
終幕を告げる大花火の下。
大地に散る鉄の火花は中々どうして。
「空よりも美しく感じるのは――これが"闘剣"だから、なのかもしれないな」
そう。
リヒターの気付いた、変化。
《夜想曲》
「沈め」
「お断りだい!」
自らの身体を投鎗に見立てた、相手に突貫するスピアタックル。
狙われた部分を守ろうと鎗を構えれば、アイルーンは身体を捻り螺旋魔導弾のようにプリムの首を腕で絡め取りにかかる。
絞め技かと考え抜け出そうと身を捩るよりも先、その勢いに乗って体を地面に叩きつける首切り落とし。
「ぐ、う」
「――」
無防備に墜ちれば頭を打つ。
受け身をしくじれば呼吸が出来ない。
高い位置から無理やりに叩きつけられたプリムはしかしその一瞬でごちゃごちゃ考えていた頭をひっくり返し、鎗を起点に立ち上がる。
まるでポールダンスの如き妖艶さを纏ったその動きは、星空の下に熱を灯した。
普段ならその隙を追撃せんとするアイルーンが、しかし息を吐いて軽く自らの髪を払う。
余裕、とばかりのその表情に、プリムは口角を上げた。
「お前」
「……なにか?」
「別に、なんでもないよ!!」
果たして、地面に倒れたプリムを追って拳の1つでも振り下ろしていたらアイルーンの有利に働いていただろうか。
その答えは否だ。
プリムはもう、アイルーンがどんな戦い方をしようと自らの鎗で受け止める。卑怯と叫ぶよりも先に、真っ向から叩きのめすことが出来る。
それは何も言わずとも、その闘志に溢れた瞳が何よりも証明していることだった。
――ではアイルーンは、そうと分かっていたから手を出さなかったのか。
それは、まだ分からない。
ただ1つだけ言えるのは。
立ち上がるプリムは流石人目を惹く"闘剣士"であったのと同様に。
ただ優雅に彼女を見据え、軽く髪を払ってみせた彼女もまた――きっと闘技場では衆目を集める存在であっただろうというだけの話だ。
「でも。勝つのは私だ!!」
飛び掛かるように躍り出たプリムを、今度はアイルーンが迎撃する。
1つ息を吐いて身構えたアイルーンは、強烈に薙がれた鎗の一閃を見極め、ぎりぎりのところで後方へ跳んだ。
「まだ!」
アイルーンの特技が連撃だと言うならば、プリムの特技はその速さだ。
その2つは決して相容れないものなどではない。連撃に速さは付き物で、速さを活かすためには連撃だ。
であればこそ、プリムの鎗の取り回しは最速。
防ぐアイルーンを徐々に徐々に崩すように――砂の城を指で崩していくが如く、アイルーンをジリ貧へと追いやっていく。
「――」
だがそれはアイルーンも心得たもの。
十字鎗に直接掴みかかるわけにはいかないが、やり方ならば幾らでもあった。
たとえば地面。
その辺に転がっている石ころでも、アイルーンに掛かれば凶器に変わる。
たとえば隣。
そこでとぼけた面を下げているレフェリーは、勝敗の決着こそ見極めることはできるだろうが、盾にするくらいは容易い。
「――」
「なにさ」
瞳が交錯する。
絶えず鎗を振るい続ける彼女。
このままいけば押し切れるとでも思っているのだろうか。
それとも、"闘剣"とでも言っておけば、こちらが彼女に合わせるとでも思っているのだろうか。
相手は己だと言うのに、随分と楽しそうに鎗を振るうものだと、アイルーンは冷めた目を向ける。
「――別に、好きにしなよ」
呟きは、彼女の方からだった。
打開策を考えるアイルーンの耳に飛び込んできた、想定外の台詞に彼女は顔を上げる。
「お前がどんなことをしたって――私は負けない!」
ああ。随分と、吹っ切れたものだ。
まるで――己が強くなったとでも思っていそうな、その表情が。
どうしようもなく、ムカついた。
「ぶべっ!?」
「な……!?」
叩き込んだのは、右の渾身のストレート。
狙い通りに、吸い込まれるように顔面へと炸裂した。
面白いくらいに吹き飛んで、アイルーンは笑う。
綺麗なクロスカウンターだ。
鎗を振るい、自らを攻勢だと勘違いしていたからこうなるのだ。
彼女の言う"汚い手"などとやらを使わずとも、お前と同じ土壌でもこの程度の芸当は出来るのだと。
アイルーンは、ざまあみろとばかりに口角を上げた。
「いったいなぁ!!」
頬にめり込んだ拳の跡。
泣き叫ぶようなプリムに、アイルーンは大きく息を吐いた。
随分と鎗を貰い過ぎた。
体からの出血は馬鹿に出来ず、そして何より。
もたれた、背。
大木の前にまで追いやられていた己が嫌になる。
ああ。
「――終わりだな」
「そうですわね」
「……っ」
頬を押さえ、涙目のプリム。――その手に、鎗は無かった。
「――勝者、プリム・ランカスタ!」
その宣言と共に。
喉元を掠めて大木へと突き刺さった十字鎗を見据え、アイルーンは目を閉じた。
すとん、と体を落とせば、十字鎗の戈をすり抜けて地面に腰がつく。
そのまま転がって、立ち上がった。
土を払い、出血していた右の脇腹を押さえて、歩き出す。
「――アイルーン!!」
振り向けば。
そこには、つまらなそうに立つリヒターと。
手を差し伸べるプリムの姿。
「やればできるじゃん、楽しい試合」
だから。とそういうわけだろう。
その手を、アイルーンは叩いた。
「あだっ」
「――慣れ合うつもりはありませんわ。借りはまたどこかで。今度は叩き潰す」
そしてまた、背を向ける。
一歩、また一歩。
闘技場の花火も、もう終わった。
暗がりの中に消えていこうとするアイルーンを、もう一度呼び止めるプリムの声。
だがそれは、彼女には聞き入れられなかったようで。
アイルーンはそのまま、路地裏へと姿を消した。
「なんだ、許したのか」
「……どうなんだろうね。わかんないや」
あっけらかんと、後頭部に手をやって彼女は笑う。
「でも、確かに」
『戦う、戦うってさぁ……戦って、勝ったから……なんなんだよ……』
『あいつの言葉、あいつの論理を否定したいなら、勝つしかないのよざーこ。――保証してあげるわ。勝てばすっきりするわよ』
「勝つと、すっきりするね!!」
「そうか」
ふ、と軽く口角を上げて、リヒターは踵を返す。
スペクタクラにも背を向けて、歩き出した。
「帰るぞ、蛮族」
「あー、また悪口!」
手に馴染んだ鎗を握り、彼女は後ろから付いてくる。
それでいいと、リヒターは思った。
あとは、そう。願わくば。
一度だけ、彼女が消えていった路地の入り口を振り返り、息を吐いた。
願わくば――彼女が、彼女たちの望む場所へ歩んでいけることを。
「前途多難だな」
「? なんか難しいこと言った?」
「そうだな。蛮族にも分かりやすく端的に言うとだ」
「言うと」
「殿下がこのままにしておくはずがない」
――闘技場スペクタクラ。
『――ずっと、大好き!!!!』
その歌詞を最後に――一際盛大な花火が空へと放たれた。
ステージの周囲も火柱が吹き上がり、その日一番の大歓声がスペクタクラを起点に爆ぜる。
クライマックスだと、誰もが気付いた。
名残惜しい気持ち、この日この一番を待ち望んでいた気持ち。
色んな感情が混ざり合ってスペクタクラの夜を彩る。
「襲撃、来なかったな」
専用通路からステージを覗きながら、リーフィはぽつりと呟いた。
それならそれで構わない。
一応、終わるまで気は抜かない。
ただそれでも、恙なく進行を終えつつあるスペクタクラにほっと一息ついているのも事実だった。
「はい。ですがマスターも戻ってきません」
「それは確かに心配っちゃ心配か。まあ、あと心配の種といやあ」
「??? どうして私を見るんですか???」
「自覚皆無かお前」
「え、だって音楽は作り終えましたし。用済みかなって」
「どんだけだよ……」
きょとん、と首を傾げてみせるのは、橙のポニーテールが特徴的な少女。ミラベル・G・グリンゴットだ。
彼女もまた、通用口から今日一日の音楽を聴いて、随分と楽しんでいた。
爆破とか何も頭に残っていなさそうだった。
「いやー、良い日でした……。音楽って、こういうことも出来ちゃうんですねー。素敵だなー」
「こいつほんとに頭ん中花畑で出来てんじゃねーのか」
「割ってみるのは、止めはしませんよリーフィ・リーングライド」
「止めろよ」
馬鹿と天然の御守かよ、とため息を吐くリーフィである。
「結局お前、追われてたとかいうのも解決してねーしな」
「そうでした! 夜逃げするほどの荷物がありませんどうしましょう!」
「何の心配なんだよそれはよ」
会話が通じない。
ただ、リーフィは後から合流しただけに、知らないことも多くあった。
「お前、南の吟遊詩人なんだろ?」
「"詩人"なのは間違いありませんよ! あと南に住んでます!」
「じゃあ聞きたいんだが」
そう。肝心なことを1つ、聞き忘れていた気がしたのだ。
終演近い、スペクタクラで。
リーフィはこともなげに、パスタの演技と華々しいステージを見つめながら、ぽつりと問う。
「お前、なんで王都来たんだ?」
「ヒューラ様に呼ばれたからですよ?」





