15 フウタ は メイドと――
『どーせそんなに長生きしないんですよ。何だったら、明日には死ぬかもしれないんです、実は』
『貴方にそこまでさせて生きたい理由なんて、ないよ』
「――他に考えられる可能性はあるまいよ」
そう告げるヒューラの前。
書庫のように本棚が部屋を圧迫するその場所で、フウタは立ち尽くしていた。
リフレインするのは、かつての記憶。
どういう意味か咀嚼する暇もなかったあの言葉。
生きたい理由がないのだとは言っていた。
けれどまさか、だからといって。
己の寿命を削って、魔導を行使することに何のためらいもなかったなどと、思いもよらなかった。
それだけこの世界に頓着がなくて――執着もなくて。
そんな彼女だから、処刑台に乗せられてなお、することが人の心配だったのだ。
拳を握りしめる。
気付かずにいた己が情けない。
水仕事を懸命にこなす彼女に、「録術は使わないのか」なんてとぼけたことを言っていた自分が許せない。
あまりにも己が愚かで、膝から崩れ落ちそうだった。
大事だ大切だと口にしながら、彼女を守るようなことが今まで一度でもあっただろうか。
結局は所詮、口だけに過ぎなかったのではないか。
そんな怒りと無力感が、己の心を蝕んでいく。
でも。
『やだ!』
そう、花のように笑った彼女を思い出す。
『えへへ。メイドもね、ちょっとやりたいこと増えてきた!』
そう、楽し気に目を瞬かせた彼女を思い出す。
ああそうだ。
彼女と約束したんだ。
「また」
呟く言葉に、ヒューラは顔を上げた。
「また、コーヒーを飲みに行こうって。約束したんだ」
そのフウタの想いに、ヒューラへ伝えたい意志があったかどうかは分からない。ヒューラはそれに興味もない。
ただ、その瞳に宿る人の決意が見えただけで、彼にとっては十分だった。
「私もそう時間があるわけではない。手短に話は聞こう」
「……ああ。ありがとう、ヒューラさん」
声をかけてみれば、先ほどまでの悲愴はどこへやら。
顔を上げたフウタの目は、真っ直ぐに己を捉えている。
「何か、方法はないのか?」
「録術で減った寿命を戻す方法だね。考えたこともなかったが――私とて筆頭宮廷魔導師。本腰を据えて調べれば、きっと何かが見つかるはずだ」
両手を広げれば、書庫の膨大な本たちが一斉に棚から飛び出し、彼の前で螺旋を描いて踊り始めた。
思わず一歩後ずさるフウタを前に、彼は笑う。
「ただ。その見つかる何かが、キミを絶望させるものかもしれないとは言っておこう」
「……何か」
生唾を飲み込むフウタ。
乾いた喉を引き絞って呟く声は、ようやくヒューラに届くかどうかという小さなもの。
「何か俺に出来ることはないか」
「手伝いを申し出てくれるのは結構だが」
そう言って彼は、フウタの目の前に一冊の本を差し出す。
空中に踊っていたうちの1つが、まるで意志を持ったようにフウタの前にやってきて、その中身をぱらぱらと開いてみせた。
「それ、読めるかい?」
「……」
唇を噛んで、首を振った。
どこかで見た文字のような気もするが、どのみちフウタには解読が出来ない。
ここでは自分は役立たずなのだと突き付けられた、そんな気分だった。
「ヒューラさん」
「なんだい?」
「頼みます」
「良いとも。――対価は、考えておくがね」
「ああ。俺に出来ることで――ライラック様に迷惑が掛からないことなら何でも」
「よく言ったとも」
うんうん、と頷いたヒューラは続ける。
ライラック、という名前が出たことがちょうどいい。
「殿下にも伝えるといい。何らかの手段がないか調べてほしいと。もっとも、彼女なら既に手は打っているかもしれないが」
「そうか、ライラック様は知っているかもしれない!」
コローナの魔導が寿命を使うことそのものを、ライラックは知っている。
それはあり得ない話ではなかった。
フウタは頷き、ヒューラに背を向け駆け出す。
その背を見送って、ヒューラはゆっくりと目を細めた。
「まあ。殿下が見つけているとは思えんし、なにより――」
――王城内部。コローナの部屋。
いつかフウタが、居なくなった彼女を探しに入った時よりも、幾ばくかものが増えたこの部屋。
荒い呼吸で胸を上下させる少女の手を、フウタはそっと握って、心配そうに見つめていた。
あの後フウタは、ライラックの執務室へと出向いた。
やはり彼女はコローナの寿命については知っていて、半年前から調査中だったという。
ただ、魔導の力によらない情報ではどうにも限界があるらしく、宮廷魔導師と手を組んだ背景には実は彼女の存在もあったのだと、教えてくれた。
どうやらフウタがコローナの寿命について知ったことについては、あまり歓迎していなさそうな表情ではあったが――知ってしまったことは仕方がない。
むしろ、コローナの窮地に動けない方がフウタにとっては辛いのだから。
『貴方は、コローナの傍に居てあげてください』
ライラックは最後にそう告げた。
フウタに今できることは、どうやら殆ど無いようで。
だからこそ、彼女の容態を確認し続ける役目が適任だと自分でも思った。
そしてそれ以上に――かつての後悔を二度としないように。
そんなことを、無意識に考えている自分が嫌になった。
そもそも、死なせたくなどないのだ。
熱をもってしまった彼女の手を、フウタはそっと包み込む。
これが冷ますことになるとは思えない。なんなら、先ほどから何度も水に浸した布を替えているほど、体温は高いのだ。無意味な行為だ。分かっている。
けれど。それでも。
ここに居るからと安心させてあげたい。
そんな想いは、たとえ無意味な行為であろうと、拭えなかった。
「……ぁ」
「っ」
瞼が、開く。
その翠の瞳がうっすらと。熱に潤んだ先で、フウタを捉える。
ぼんやりとした思考。うっすらとした意識。
けれど視界に入った人間が誰で、今がどういう状況で、そして彼の表情がどんなものかは、どうやら彼女も理解が出来たらしい。
へにゃっと笑って、彼女は言った。
「おはよー」
「……ああ」
「そんな顔するなよっ。メイド、嬉しくないのですよ」
「……ごめんな」
「なんか違う意味で、謝られてる気がするー」
あっけらかんとした言葉はいつも通り。
けれどどうしようもなく息切れして、声にも張りはなく、またか細くて儚い。
フウタの表情が全く明るくならないことに気が付いたコローナは、諦めたように緩んだ笑みを見せた。
「……むりか」
「無理だよ。俺が元気になるとしたら、コローナが元気になった時だけだ」
「そっかー……」
じゃあ頑張らないと――などという明るい言葉は、決して出てくることはなく。なんとなく、フウタを笑顔にすることだけでなく、何もかも諦めてしまっているような、そんな顔。
呼吸は荒く、顔は強く熱を持ち、身体1つ動かすことすらしんどそうに身をよじる。
「……どうして」
呻くようなフウタの言葉に、目線だけで応えるコローナ。
彼女と視線を合わせて、フウタは吐き出すように声を漏らす。
「どうして、言ってくれなかったんだ」
「……それひょっとして」
「寿命のこと」
「バレたかー……ついにバレたかー……」
みぎゃー、と目をバッテン印のようにしながら、こんな状況でも空気をなごませようとするメイドさん。
ただどうもそんなおちゃらけで許される空気ではないことを悟ったのか、彼女は1つ小さく息を吐くと、続けた。
「……ほんとはね。もし"そろそろ"かなーって思ったら、1人でどっか行こうかなって思ってた」
「……それが、今回の」
「んーん。くしゃみは毎年だから、全然気にしてなかった。けど、桜季の終わりくらいから……なんか普段より長いなーとは思ってて。ちょっと、考えたよ。もしかしたら、寿命かもしんないって」
でも、と彼女は天井を見上げた。
その表情は笑顔。笑っているのに寂し気で、そして泣き出しそうで。痛々しい笑みとともに、彼女は呟く。
「もちっと居たいなー……って、思っちゃったんだ」
「コローナ……」
「心配、させたくなくて。でも、なんか、ダメだったや」
ぎゅっと彼女の手を握る。
だんだんと弱弱しくなっていく彼女の声。
このまま消えてなくなってしまうのではないかと思ったフウタは、思わず声を荒げた。
「大丈夫だから!」
「……?」
「また元気になれる!! 風邪如きが寿命であってたまるかよ!」
「…………えへへ」
ほんわかと、彼女は微笑む。
そして、真っ直ぐにフウタを見つめて、告げた。
わたしね、
「幸せだよ、フウタ様」
にへら、と表情を緩めた時にはもう瞳は閉じ切っていて。
一瞬表情をなくしたフウタは慌てて彼女の呼吸を確認した。
――どうやら、もう一度眠りについただけらしい。
相も変わらず荒い呼吸と、持つ熱の高さは変わらないままではあるが。なんとか、命を保っているらしい。
薬は貰ったと言っていた。あとは、食事を取って、体力さえ保てればどうにか、とフウタは思案する。
いつか、自分の妹には出来なかったこと。
今度こそ、大事な人を死なせてなるものかとフウタは慣れない頭を回す。
確か、食欲のない風邪の時は――リゾットが良いと言っていたか。
ちょうどこの前"食堂"で食べたばかりだし、自分で作ってみようかと思案する。
だからどうにかそれまで。
ぽん、と額に手をおいて、フウタは口角を緩めた。
瞳には相変わらず、不安と心配ばかりが渦巻くけれど。
必ず、無事で。
――ノックが聞こえたのはその時だった。
「はい」
「――フウタ様、こちらにいらっしゃいますか?」
「ああ、何かあったなら入って」
そう言うと、現れたのは1人の侍従。
たまに来客があるとフウタに許可を求めにくる彼女は、酷く困惑した様子で扉を開く。
「あの――イズナとモチすけ、なる人物が面会を求めています」
「あいつが俺らに会わねえってこたぁねえだろ」
「マスター。可能性として、既に死亡しているというものが」
「あってたまるかよ」
がやがやと、――コローナが寝込んでいることを知らないのだから当然だが――許可を得るまでもなく割って入ってきたのは見慣れた2人組。
フウタを目にするや否や「イエァ」とばかりにハンドサインを送るイズナと、正式な挨拶と勘違いしたのか彼のマネをして「いえぁ」と同じように指を向けるモチすけ。
騒がしい奴らがやってきたと、フウタは僅かに瞳を鋭くして。
しかしどうやらイズナの方が、妙なシチュエーションに気付いたらしい。
ベッドのサイドチェアに座って、身体は背を向けているのだ。
1人で寛いでいるようには見えない。
となれば病人でも居るのかと、モチすけの口を塞いだ。完全にとばっちりであった。
「……取り込み中か?」
「まあ一応」
「そうか。参ったな」
がしがしと後頭部を掻くイズナ。
何やら用事があるようだが、残念ながら今のフウタにとってはそれどころではないのだ。
やんわりと断ろうとして――ふと隣に感じる気配に振り向く。
気付けば、じっと寝込んでいるコローナを見つめる少女の姿。
「……あー、モチす、け……?」
息を飲んだ。
彼女の真っ赤な瞳に迸る文字列。
何かの魔導を行使する時、何かの分析をする時、彼女が瞳にこういった文字を浮かべることは、フウタも覚えていた。
イズナ曰く不思議生物で片づけられているモチすけだが、確かに魔導には精通していることもフウタは分かっていた。
だがそれそのものに今更驚いたわけではない。
『読めるかい?』
ヒューラがそう言っていた、魔導書に記されていた文字列。
見覚えがあると思ったのは、彼女の瞳のせいだ。
もっとも、それが今分かったところでだからなんだという話ではあるのだが……。
と、フウタが息を吐いたその時だった。
「魔導の気配を感知。排除しますか?」
「えっ」
思わず呟く言葉に対し、モチすけは特に感慨も浮かべずコローナを指さして繰り返す。
「魔導の気配を感知。排除しますか?」
魔導の気配。彼女を蝕んでいる、何らかの魔導があるということ。
それを――排除?
「で、出来るのか?」
「…………魔導の気配を感知。排除しますか?」
「苛立ってる!? 出来ないことは言わねえよ的な意味なのか!?」
「…………ま」
「分かった分かった! ちょっと待ってくれ」
藁にもすがる想いであったことは事実なのだ。
「その魔導って、コローナのものじゃないのか?」
「作用としては彼女を苦しめる原因になっているかと」
「それ取っ払っても平気なのか?」
「今よりは9割ほど」
「やってくれ!」
「マスターは、人に比べて判断が早い人間なのですね」
「あれ、俺なじられてる?」
無表情ながら、まるで半眼で見据えられているかのような諦観を覚えられていた気がしなくもないが。
別に、それでも構わない。
コローナが苦しむ可能性が少しでも減るのなら、全てを尽くすべきだとフウタは思う。
一歩前に進み出たモチすけは、もぞっと毛布の中に手を入れた。
「ちょ……」
ごそごそ、ぺたぺた。
明らかに服の中に手を突っ込んでいる音に、フウタは何となく居心地が悪くなる。
「――法則解析。解除実行。識別個体名モチすけ。該当魔導の分解に当たります」
す、と顔を上げると同時。モチすけの瞳から光が消える。
まるでステンドグラスのような光亡き赤に迸る文字列は、いったい何を示しているのか分からないが。
「俺ぁ馬鹿じゃねえからよ。分かるぜ」
「……何がだ?」
「モチすけがどうにかしたいって思ったんなら、悪いようにはならねえよ。あいつは馬鹿だが、良い奴だからな」
「お前に馬鹿って言われるの、本当に釈然としないだろうなあ……あの子」
「……なんでだ?」
その言葉の意味が理解できない男にだから、である。
とはいえ、口は手持無沙汰に会話へ興じていても、目はコローナから離れないままだ。
まるで"癒師"のように手に光を纏って彼女の腹部辺りを照らしているモチすけは、先ほどからしばらく微動だにしない。
大丈夫なのか、とコローナの表情を見つめていたフウタはしかし、何かに気付いて目を見開く。
次第に、荒かった呼吸が整っていっている。
そっと握っていた手の温度が、心なしか下がったように思える。
まだ熱はあるし、呼吸も決して正常とは言い難い。
けれどそれでも、だいぶ先ほどより平常に近づいたのは、誰の目にも明らかだった。
「……工程終了。通常モードに復帰します」
そう、棒読みじみた声を最後に手のひらから光は失われた。
同時に彼女の瞳には生気が戻り、描かれていた式も掻き消える。
「……排除しましたが?」
「ありがとう、ありがとう!! 別に疑ってたわけじゃないんだけど!!」
首を傾げ、当然のことのように装いながらも、わずかに勝ち誇ったような雰囲気を纏う彼女。
彼女の手を取り、何度も礼を言いながら頭を下げるフウタを見て、モチすけはイズナに顔を上げる。
「初勝利です、マスター」
「いやこれそういうのなの?」
「違いましたか……」
どうやらフウタに勝とうとしていたらしい。
何故かは分からないが、フウタにとってはもうどうでもいい。
全然負けで良い。
だって。
「……」
コローナの息遣いは、すやすやと安らかに眠っている少女のそれだ。
先ほどまでの苦しさはどこにもない。
それだけで十分、感謝するに値した。
「ありがとう……ありがとう」
"癒師"にも出来ないことを平然と成し遂げてみせた異常さは、フウタの目には映らない。
ただただ感謝を述べるその表情に、モチすけは少し意外そうにしながらも受け取っていた。
――と、イズナは頃合いを見計らってフウタに問う。
「ところで俺らが来た理由なんだけどよ」
「あ、ああ。もう何でも言ってくれ」
コローナの容態が落ち着いたのだ。
その恩に報いるのは当然のことだとばかりに顔を上げた彼に、イズナは言う。
「ミラベルがどっか行っちまったっぽいんだが、知らねえか?」
厄介事の種は、やまない。
「まあ。殿下が見つけているとは思えんし、なにより――今回が寿命とは限らんがね」





