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らぶこめ



 ――パスタのおうち。


 その日の午前中には、珍しく来客があった。


 もとより彼女の(もと)を訪れる人間の数はそう多くない。

 彼女がこの家を拠点にしていると知る者も両手の指で足りるほどであるし、何より彼女がオルバ商会を今でも裏から動かしていると知る者も、商会の中でさえごく限られているときた。


 そのうえ予定があれば彼女の方から出かけることも少なくない。


 自分の居場所をあまり知られたくないという彼女の心中は、そのまま行動に現れていた。

 移動も殆ど、家から直接馴染みの馬車を使っている。


 彼女の邸を訪れる人間は、それだけである程度候補が限られるということだった。


 そして。

 自室に招いて話をするとなると、それこそ片手の指すら折ることがかなわないほど少ない。

 というか、殆ど1人だ。


「――却下」


 そっとローテーブルにマグカップを下ろして、彼女は一言そう告げた。


 正面の1人掛けソファに腰かける青年は、意外そうに目を丸くしたあと、少し思案して眉を下げた。


「そう、か。結構良い案だと思ったんだけど」

「良し悪しの問題以前の話ね。発案なんて誰にでも出来るわ。物事は実現までこぎつけて初めて意味があるのよ。そして、この話には今のところ実現性がない」

「……実現性、か」


 ふむ、とその筋肉質な腕を組む青年。

 爽季(なつ)も近づき、誰しもが薄着になる時期だ。

 長袖とはいえ薄手のその生地は、彼のシルエットを綺麗に浮かび上がらせている。


「……」


 パスタは抱きかかえていたくまのぬいぐるみに口元を埋め、彼の腕ないし胸元辺りに目をやったまま呟く。


「何故かやらされることになったあたしの方もそうだけど、そもそも音楽って素人にやらせられるもんでもないでしょう」

「ああ」

「本職を呼ばなきゃいけない。そうなると必然的に宮廷音楽家になるわけよ。分かる?」

「――ああ、国営だからか」

「そういうこと」


 頷いてみせ、彼女はデスクの方へと視線を移す。

 全体的に淡い桜色で揃えられた彼女の部屋にある、雰囲気から浮くほどに落ち着いたシックなデスク。


 その上にあるスクロールにも、必要経費については事細かに書き起こされていた。


「下手に民間に声かけられないのよ。国が経営してるものに、王城に務める本職を呼ばないわけにいかないから。けれど、そっちに声を掛けるには今度は王家の許諾が必要……まぁ、あの女に話を通すのが一番早いわけだけど……」

「だけど?」

「確実にあたしへの貸しにしてくるから。利権が絡むものってね、面倒なものなのよ。棒きれ振ってりゃいいフウタにはわかんないでしょうけど」

「悪かったな。ぬいぐるみ抱いといて偉そうに」

「えー、パスタちゃん9歳だからわかんなーい」

「開き直りやがった」

「開き直んなきゃやってらんないわよ……」


 青年――フウタもこれには口角を引きつらせた。

 ぬいぐるみの話で多少からかえれば、いつも通りのなんてことない応酬でも出来るかと思ったが。やけ酒している中年のような凹み方をされては、フウタとしてもなんとも触れづらい。


 そうでなくとも、だ。

 今日は何故か、普段よりぎこちない気がしていた。

 その理由は簡単で、なんだか今日は彼女が目を合わせてくれないのだ。

 いつも通りに戻そうとして軽くからかってみたフウタの目論見は、こうして失敗に終わる。


「発案者として、少し出来ることないか?」

「まず発案程度で責任感じるのはやめておきなさい。けど……んー……そうね。ライラックに自分から動くよう仕向けるのは悪くないか」

「俺にライラック様を唆せって?」

「その字面めちゃくちゃ面白いわね。ありありと『出来る訳がない』ってのが伝わって来るわ」

「俺もそう思ってるよ! うるせえな!!」


 くすくすと笑いながら、手元のカップケーキを食べるパスタ。

 フウタがライラックを巧みな話術で誑かす。

 叶うならぜひとも一度見てみたい演目ではあるが、羽虫が肉食獣を躍らせるくらい難しいのは目に見えている。


「あんたから頼みゃいいのよ。入場に音楽つけてかっこよくしたいって。あたしがあんた利用してんじゃなくて、あんた自身の発案なんだし、別に悪くは思われないでしょ」

「俺から言ってもお前から言っても変わんないんじゃ……いや、流石に俺のがマシか」

「そーね」


 小さくあくびを1つ。

 お前の中の認識どうなってんだ、と内心思いつつも、特にそこに触れるようなことはしない。


「事業に関わることだから、そう全肯定はされないとは思うけど……ま、あんたならあたしよりは無下にされないでしょ」

「ああ」


 幾らフウタの進言とはいえ、そのまま「はいやりましょう」とはならないというのがパスタの読みだ。

 とはいえ、パスタが言うどころか全世界の誰が言うよりこいつの口から言わせた方が早いのは間違い無かった。


 もっとも。

 パスタはまだまだライラックの分析が足りないということの証左でもあるのだが。

 それはフウタがどうのというよりも。


 音楽に合わせてカッコよく入場、という字面があの王女にどれだけ刺さるのかを知らない、という話でしかないのだが。


 忘れがちだが、スペクタクラの演出のためだけに宮廷魔導師を抱き込んだ女である。


「で、そもそも音楽と一緒に入場っていうのも含めて、要は"パフォーマンス"ってことになるんだけど……あんた分かってる?」

「何がだ?」

「それやったらまたあんたが一番盛り下がるの」

「………………あー」

「ばーか」


 遠い目をするフウタを鼻で笑い、彼女はマグカップのホットレモネードを傾ける。


 小さな顔をカップで隠すと同時、ほんのわずかに目じりを下げる。


 スペクタクラのことばかりを考えて、自分のことを忘れるくらいにはきっと、武闘大会は彼にとって大きかったという話だということは分かるから。


 夢に届いた。夢が叶った。悲願が成就した。

 そうして手に入れたものを、失うべきではないけれど。

 それでも最早自分のことで手一杯ではないのだと。



 ――何を感慨深く思っているのだか。

 緩く、笑って。

 彼女は似合わない表情から元の生意気なそれに引き戻して、カップを置いた。


「冗談ってほどでもないけど、まあ。あんたは堂々と歩くだけっていうならやりようは幾らでもあるわ。そこまで気にしなくて平気よ。からかっただけ」

「いや……これも練習して上手く出来れば良いんだけどな」

「その辺はもう、本人のひととなりが大きいから。普段から人を惹き付けるような闘剣士に、あんたがなれるってんなら話は別だけど」

「無理」

「そうね。そのままでいなさい」


 たとえばイズナ・シシエンザン。食堂(タベルナ)リュートに足を運ぶ度、彼の人気には目を見張る。

 たとえばオーシャン・ビッグウェーブ。彼の天性のカリスマは、コロッセオでも多くの人々を魅了していた。


 そうそうに諦めて首を振るフウタを、彼女は笑う。


「とはいえ、少しずつでも普段の自分と闘剣士の自分を切り離して考えられるようにしなさい」

「そう、だな。一応、外では闘剣士で居るように――っていうかお前に言われた通り不遜なヤツであれるようには努力してる」

「……悲惨なヤツにならないことだけを祈ってるわ」

「信用ねえなあ……」


 がっくりと肩を落として、ふとフウタは思う。


「なんかこう、参考資料とかないか?」

「参考資料? 不遜な人間の? あんたの大好きなお姫様でも見てたら?」

「あいにく、生体資料でいいならちょうどいいのが目の前に居るから間に合ってる」

「あたしのは才能が釣り合ってるからいいのよ」

「そういうのだろ不遜って」

「……ちっ、たまにはまともなこと言うのね」

「たまにはは余計だろおうコラクソガキ」

「まあ、参考資料っていうならやっぱり本――」


 と。そこでデスクを指さしかけた彼女の動きがぴたりと止まる。

 じわじわと表情が朱に染まる彼女のことなど見向きもせずに、フウタは立ち上がった。


「なんだ、用意してくれてたのか」


 そんなはずはないのだが、姉妹揃って用意周到なのが祟った。

 フウタにとって、自分の行動を見抜かれていることなど日常茶飯事。

 であればこそ、納得したようにデスクへ手を伸ばす。


 言われてみれば確かに、戯曲の台本や物語の中には、手本にするべきカッコいい不遜な人間もいるはずだ。


「ぅ、ぁ」


 その先で、茹でられパスタが声にならない声を上げていることなど気づかずに、デスクに開かれた読みかけの本を手に取った。


「なんだこれ。『禁じられた初恋』?」



 テディベアが吹っ飛んだ。 



「うわあああああああああああああああああああああ!!!!」

「うぉ!? なんだ!?」

「見るな見るな見るな見るな!! 違う! 違うの!!」

「何が違うんだよ。こんなにたくさん栞まで付けて。昔、俺に参考資料くれた時と同じじゃねえか」

「不覚!!!!!!!!!! そんなもの全部捨て――いいえその本を今すぐ捨てなさい!!」

「なんだお前真っ赤になって。めっちゃ面白そうだから絶対嫌だ」

「こんのクソ無職ううううう!!!」


 ソファから立ち上がり、髪を逆立たせて駆け寄るパスタ――の頭をフウタは片手で抑える。


「うがああああああ!!」

「……どれどれ。『黙って俺に従え』……おお、やっぱり不遜な主人公じゃないか!」

「そいつが婚約者の妹誑かす話よ!! 別にあんたの目指すもんじゃないから!!」

「これ読み切ったのか?」

「話聞いてる!?」


 しっかりと為された本の装丁。

 どうやら、過去に演じられた戯曲の台本らしいそれ。


「こいつカッコ良かった?」

「べっつに!? よしんばカッコ良かったとしてあんたに演じられるようなもんじゃないわよざーこ!! ざああああこ!!!」

「なんだとお前、頭押さえられて俺から本も奪えないお前の方がよっぽど雑魚だろ」

「ぐううううううう!!」


 まるで兄妹喧嘩である。

 たまたま開いた栞のページに、フウタは目を通す。


 婚約者の妹はたいそう強気で、昔は男を従え野山を駆けるようなお転婆であったらしい。

 婚約者の屋敷に招かれ、初めて彼女と出会った主人公は、今まで見たこともないようながさつで気の強い少女に興味を抱く。

 幾ら気張っているとはいえ、その膂力は少女のそれ。

 主人公の抱いた感情は、本人も無自覚に、興味と言う名の、まだ知らなかった初恋であったと。


 ふむ、と視線を本から、暴れている少女に落とす。

 流石に女の頭を押さえるのはよくないか、と手を離すと、つんのめったように前へ倒れてくる。

 少し屈んで抱き留める。


 作品では無理やりにしていたが――。


 そのまま強く抱きしめて。


「えっ……!?」


 そっと耳元で囁いた。


「黙って俺に従え」

「……」


 栞を挟んだ理由を、フウタは知らない。

 そもそも彼女にとって、わざわざ書物を読み返すのは道楽以外の何物でもない。


 にも拘わらず、彼女が栞を挟んだのは。

 ――そもそも今日、目を合わせてくれなかったのは。


「……」


 おや、とフウタは内心で疑問を浮かべる。

 大人しくなってしまった。

 作品の中では突き飛ばされた後に、「面白ぇ女だ」となるはずなのだが。

 そこまでキメて、結構不遜に出来たんじゃないか、と告げるまでがフウタのプランである。あった。


 しかしこれでは計算が食い違う。


 なるほど一度読んだからこそ覆そうとしているのか、と一瞬頭をかすめるフウタの思考はしかし――妙なものに遮られた。


 抱き留め、彼女の耳元で囁いたということは、当然自分の耳元にも彼女の唇があるということで。


 わずかな彼女の息遣い。艶めかしくも感じるその吐息が、フウタの耳朶を打つ。


 ぴり、と感じてしまう少女の温もりにフウタも我に返る。


 あれ、俺今なにやってる?


 抱き留めた肢体は柔らかく、フウタの身体とは全く違う華奢なそれ。

 ほんのりと香る甘さは首元から。

 身体がカップケーキかレモネードででも出来ているのではないかと疑っていたが、そんなことはない。甘やかな香りは花。しかしそこに砂糖の入り混じったような、優しいそれ。


 花壇と、砂糖と。それから、少女の華奢な柔らかさ。


「……ねぇ」


 吐息に交じる小声が耳をくすぐる。

 まるで普段の彼女とは違うその雰囲気は、自信なさげで、湿っていて――可愛らしくて。


 『俺に従え』と言った彼に対しての、答え。


「どう、したいの?」

「っ……」


 どうするつもりもなかったのに。

 どうしたいかと聞かれて、答えることが出来ない。

 どうもしたくないと言うのは簡単だ、簡単なはずだ。


 では言葉に詰まるのは何故か。他にしたいことでもあるというのか。


 思考がクリアになればなるほど、自分がなにを考えているのか分からなくなって――敏感になった身体は常に"少女"を肌越しに伝えてくる。


 爽季(なつ)の服装をこの時ばかりは呪った。






「おーい、昼飯食おうぜー」






 勢いよく離れる双方。

 デスクを背にしていたフウタは背中を強打。

 パスタはパスタでひじ掛けに膝裏をひっかけソファに転がった。



「なにやってんだお前ら」

「お、お昼、お昼だな!! ――ただしお前は麺一本だ」

「そうね、そろそろお腹すいてきたし!! ――ただしお前はフォークでもしゃぶってろ」




「なんでだよ!!!!!!!!!!」




 我に返ったあと、流石に2人も謝った。

 リーフィはフォークをしゃぶって拗ねていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] う〜ん徳川
[良い点] 尊ああああああああああ(語彙力の死)
[一言] ノクターンまだ?
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