むかしだんぎ
『めしくいいこうぜ』の続きです。
短編は思いついた順に書いてるんで、時系列の前後は許して。
ちょっと最近仕事が多くて、短編書き溜めることも出来ないまま進行してます。
――"食堂リュート"
壁に掛けられた篝火の数々が、店内をオレンジの暖色に彩る。
ぱちぱちと薪の水分が爆ぜる音はしかし穏やかなもので、談笑する客たちの喧騒の中へと溶けて消える。
店の名にもなっているリュートというのは楽器の名前だ。
なんでも先代店主が趣味で弾いていたそうで、昔は毎日決まった時間になると公演がされていたそうだ。
ウェイトレスの少女曰く、大してうまくもなかったそうだが。
そういうわけで現在そのリュートは、弦を外した状態で店の奥――つまりはフウタとイズナ、モチすけが座るテーブルの真上の壁に飾られていた。
「楽器か……とんと縁がなかったな」
アペタイザーを適当につまみながら、フウタは壁に掛けられたリュートを見上げて呟く。
「俺もねぇわ」
洋なしを半分に切ったような独特な形をしたその楽器を、イズナは「何度見ても瓢箪みてえだな」と評していた。
「モチすけも、該当する記憶はありません。聴けば音階は認識できますが」
音階。納得したようにイズナは頷く。
「あー、ハニホヘトイロハな」
「なんだそれ。ドレミファソラシドだろ?」
「なんだそれ」
大の男2人が互いを珍妙なものを見る目で見据えた。
「国によって音階の名称は違うと、モチすけは回答します」
「そーなのか」
「知らなかった」
無知な大の男2人が、童女に窘められていた。
「ってこたぁ、俺ら全員この国の人間じゃねえんだし……ひょっとしたらこっちじゃ言い方違うのかもしんねえな」
「聴いてみれば良いんじゃないか?」
問い合わせたところ、満場一致でドレミファソラシドだった。
「マジかよ。俺の祖国はマイナーなのか」
「別に凹むところじゃないだろ。――それに」
ちらりと賑やかな客席の中心に目をやれば。
「イズナさんの国ではドレミはハニホなんだって!!!」
「じゃあ今日からこの店はそれだ!!!」
「決定!!」
「ハーニーホーヘートーイーローハー!!!!」
無言でフウタはイズナに振り返る。
「……ここはお前の独裁国家になってるぞ」
「あったけえ店だぜ」
「素直か」
鼻の下をこすって酒をあおるイズナだった。
「既にアニェーゼは先代の楽譜を書き換えに行きました、マスター」
「あったけえ店だぜ」
「先代のものに手を付けるのは流石にどうなんだよ」
アニェーゼというのは、額にバンダナを巻いたウェイトレスの少女のことだ。当代店主の娘ということは、先代の孫にあたるのだろう。
孫に好き放題弄られる自分の大事なもの。
少し考えて、フウタは泣けてきた。
自分にもし孫が出来たら、もう少し自分のものは大事にしてほしい。
「にしても」
ぱくぱくとチーズの乗せられたペンネを次々平らげながら、イズナは呟いた。
「音楽なんて、しばらく聴いてねえな」
「言われてみれば、あんまりこの国で"詩人"も見ないな」
フウタにとって音楽と言えば、真っ先に思いつくのは部屋に置いてあるメイドお手製オルゴールくらいのもの。
ことさら音楽が好き、というわけでもないから気にかけてはいなかったが――そういえばと自分の前に置かれた皿に目をやって。
注文したパスタ・ポモドーロを食べながら、フウタは思った。
「そういやパスタが歌って踊るとか言ってたけど、曲のアテとかあんのかな」
「パスタが? へぇ、自分からそんなこと言い出したのか?」
「……うん、まあそう。部分的にそう」
「へへっ。年頃の女の子らしくて可愛いじゃねえか。妹は大事にしろよ」
「お、おう」
ぽん、とフウタに肩を置くイズナの満面の笑み。
その人好きのする笑顔に、フウタは否と答えることは出来なかった。ましてや。
「フウタ・ポモドーロ。妹は大事にするものです」
「そうな。うん、そうだよな」
目の前でさっきイズナとモチすけの関係を掘り下げたばかりで、言えるはずもない。
話を逸らすように、フウタは告げた。
「イズナは音楽に詳しいヤツとか、知り合いに居たか?」
「んぁ? あー、どうだろうなあ」
腕を組み、煤けた天井を見上げるイズナ。
「故郷にゃ、まあ結構音楽はあった。俺ぁそんなに興味は無かったが。そいから――いや、これは関係ねえか」
「気になるから言えよ」
「大したことじゃねえよ。なんか霊山に歌を届けなきゃいけねえっていう巫女さんが居たなーと。コロッセオに入る前の話だが」
「良い歌だったのか?」
「知らね。歌ったら死んじまうとかなんとか言ってたからその霊山とやらにカチコミ入れた。なんやかんやあって歌わなくてよくなったし、多分今も国で巫女やってんじゃねえの?」
「お前ほんとそういうことばっかしてんな……」
「? だから関係ねえっつったろ?」
確かに関係はないが、とんだトラブルシューターだ。
解決したことに興味はないとばかりに、本当に今思い出したようなテンションであったからより顕著な無頓着さ。
結局のところ、この男は自分が納得出来ればそれでいいのだろう。
「ってことでまあ、コロッセオだが――あいにくと、コロッセオの連中でつるんでた人間のが少ねえわ」
「俺もだ」
「はっはっは」
「はっはっは」
杯を酌み交わす2人。
「マスター。何が面白いのですか。マスター」
むしろ物悲しいのだと、答えることも辛かった。
心底分からないとばかりに首を傾げるモチすけをよそに、イズナは思案する。
「俺ぁ新入りの捌之太刀とは全然絡みも無かった」
「それは俺もだけど……あれ、一緒に辞めたんじゃなかったか?」
「パスタから聞いたのか? まあそうだ。俺が辞めるっつったら、なんか覚悟決めたみてえに『僕も辞めます!』っつってた」
「慕われてたんじゃないか?」
「んなこたねえと思うぜ? 試合以外でまともに話したのそん時が初めてだったし。一緒に旅したわけでもねえし。むしろ辞める動機なんてお前くらいだろ。心当たりねえのかよ」
「……いや、無いな」
無い、が。とフウタは頭を抱えた。
「どうした」
「今更俺に心当たりがないことなんて、もう信用なんか置けないだろ……」
「あー……」
そもそも天下八閃の面々が自分を探していることそのものにすら心当たりが無かった男である。
「まあとにかく、捌之太刀は交流無いから知らねえと。んじゃ漆之太刀だが」
「あいつ決勝の後見てないんだけど、イズナは何か知らないか?」
「なんも知らん。けどあいつ負けたあとはいつも消えるだろ」
「そうだったっけか……」
「せめて試合見てろよ」
「違うんだ。試合しか見てなかったんだ……」
「責めきれねえな。俺もそうだった」
「はっはっは」
「はっはっは」
「マスター。フウタ・ポモドーロ。あの。理解不能です。マスター?」
そっとしておいてほしい。
そんな意を込めてイズナはモチすけの口元を拭い、フウタは新しいジュースを差し出した。
モチすけは仕方なくぶどうジュースをちゅーちゅーしていた。
「なんつーか、アイルーンなら楽器の1つや2つ演奏出来てもおかしくはねえが」
「あー……待て。言われてみれば思い出した。あいつヴィオラ弾いてた」
「マジか。え、うそ、どこでだ?」
フウタの記憶にあるアイルーンの姿。
驚いたように声を上げるイズナもだが、2人とも過去の楽器該当者探しが楽しくなってきてしまっていた。
「俺が鍛錬終えて家に戻る途中、閉められたあとのコロッセオのど真ん中で弾いてたわ」
「似合い過ぎるんだが……」
いわゆる、ヴィオラ・ダ・ブラッチョ。つまるところ、肩に乗せて弾くタイプのヴィオラだ。それを星空の下で1人演奏する彼女の姿は、今思い返せばひどく幻想的であった。
「で、どうだった。上手かったのか?」
「いや……」
「下手だったのか?」
「……すまん。ヴィオラ弾いてるなー……くらいのことしか考えずに立ち去った」
「余裕なかったもんな」
「ああ」
「はっはっは」
「はっはっは」
「マスター。マスター」
もはや何度も繰り返したやり取り。
フウタは彼女にピザを一切れ与えた。
半ば買収じみてきている。
「で、陸之太刀だが」
改まったフウタの言葉を、煩わしそうにイズナが手で払った。
「あいつに楽器なんか弾けるわけないだろ。次」
「じゃあ伍を飛ばして肆。…………肆………………」
「肆………………」
2人して頭を抱えた。
「マスター? フウタ・ポモドーロ?」
伸びるチーズと格闘していたモチすけが、空気の変貌に首を傾げる。
「……なんか楽器は弾けそうじゃねえか?」
「それはそう。確かにそう。なんでも出来そうだ」
「けどあいつに楽器を弾いてと頼む選択肢は」
「ない」
互いに意見が一致し、頷き合った。
「じゃあ参か」
「参なー……」
「なんだフウタ。浮かない顔して」
「失礼なのは分かってるんだけどさ」
ゆるく首を振って、フウタは呟く。
酒をひと口あおって、ぼんやりと壁の篝火を見つめた。
「俺、あの人苦手だったんだよな」
「へぇ。意外――でもねえか。良い人だったと思うぜ?」
「分かってる。分かってる。……"だから"苦手だったんだ。分かるだろ?」
「ああ、まあ。俺も得意じゃなかった。嬉々としてナンパして100連敗かましたオーシャンが羨ましいくらいには」
「あいつそんなことしてたのかよ」
互いに脛に疵持つ身。
良い人というのは、時として害にもなりえるというそれだけの話だった。
「ちなみに言っておくぞフウタ」
「うわ、なんか聞きたくない話の気がする」
「察しが良いな。一番最初に辞めたのはあの人だ。お前探して」
「…………マジなんなんだよ」
頭を抱えるフウタであった。
一番最初に彼女が辞めた、という情報はフウタもパスタから聞いていた。
けれど、その動機が自分を探すとなると。
複雑な気持ちにもなろうというものだ。
「つーか、俺はお前とあの人が裏で付き合ってるとすら思ってた」
「そんなわけないだろ。俺があの人に何かしてあげた記憶なんか一つもない」
「いや……それにしてはよぉ……」
「自分で言うのもなんだけど。最初はチャンピオンへの憧れとか、俺を篭絡してどうこうとかじゃないかって疑ってた。……けど俺にお節介焼いてきてたのは、そういうのじゃなかった。っつか、イズナのことも気に掛けてただろあの人」
「だから俺も苦手だったぜ。はっはっは」
「……ははは」
「せめて笑い飛ばせよ……」
苦しんでいる人が居ると、つい声をかけてしまう。
そんな人だった。だからフウタもイズナも彼女のことが苦手だった。
けれど、その程度で済んだなら良かった。
わざわざフウタを追いかけて自分の立場を全て捨てるなど。
そこまでするような何かは、自分には無いはずだ。
連絡が取れるなら、今すぐ説得して引き返して貰いたい。
「――ちなみにあの人、楽器とか弾けたのかな」
「さあ? 見たことは無かったな」
「じゃあ次行こうぜ」
次。そうなるともう、弐之太刀になってしまう。
弐之太刀。つまり、オーシャン・ビッグウェーブ。
「あいつさ」
フウタはふと思い出した。
「なんか楽器出来たよな、確か」
「そうだっけか?」
「いや分かんない。街の酒場で『盛り上がっていきまっっっしょうッ! プ、プ、プ、プウウウウウン!!!』とか叫んだあと、なんか打楽器みたいなの打ち鳴らしてなかったか?」
「あーやってたな。打楽器……確かに打楽器だな。なんか、なんだあれ。パーカッション1人で担当してるみたいな人外じみたことやってたな」
「音楽、っていうと微妙に外れる気もするが……あれ模倣できないかな……」
幾つものドラムをバチで捌きながら、足でも太鼓を叩いていたような気がする。
とにかく会場は大盛り上がりであった。フウタにはあまり馴染めない空気であったことだけははっきりと覚えている。
杯を干して、フウタは一息。
「んで壱之太刀か。俺詳しく知らないんだけど」
そう言って、壁に掛けられたリュートを見上げて呟いた。
「あいつリュート弾けなかったっけ?」
朧げだが、リュートを弾く彼の姿は何となくイメージ出来る。
しかし実際に弾いていた記憶はなく、何故イメージ出来てしまうのかが謎だった。
するとイズナは首を横に振った。
「いや、あいつ多分リュート弾けねえよ」
「え? じゃあなんで」
「リュート弾くふりはよくしてた」
「……ふり?」
「リュート弾ける男はカッコいいって感じの空気あるだろ。だから、なんかリュート持ってるようなポーズだけとって、さも弾けますよみたいにジェスチャーはしてた。よく、試合後とかのパフォーマンスで」
「ああ、道理で」
そのせいでイメージだけが先行しているのか、とフウタは納得した。
「――けど、そう考えるとアイルーンもオーシャンも楽器は弾けるのか」
「だから何だって話ではあるけどな。まさか闘剣士が急に試合前に楽器弾くのか?」
おどけたように言うイズナ。
だがフウタは少し考えて……呟いた。
「少しパスタに話してみるか」
フウタは、自分があそこまで人気を獲得出来た理由を考える。
それはただ"闘剣"を魅せるのではなく、解説兄貴という立場で客に自分を知って貰ったが故のことだ。
そうパスタは言っていたし、事実としてそれを成功させた。
そして現在、パスタは自分が歌って踊ることで興行収入を支えようとまでしてくれている。実に涙ぐましい話だ。
となるとだ。
皆の知っている闘剣士が、別のパフォーマンスをすることは――決してマイナスにはならないのではないかとフウタは考える。
イズナから零れた言葉だけでも考えてみよう。
試合前。
たとえばアイルーンの入場。
誰が出てくるのかもわからないところから急に響き渡るヴィオラ。
ソロを終えたところで、オーケストラが彼女の曲を引き継ぎ、堂々と入場してくるアイルーンが、紹介を背にフィールドの中央に立つ。
そして指揮者宜しく曲を止める。
カッコいいのではないだろうか。
「なんなら試合に勝ったら一曲披露して貰うとか」
「アイルーンが承諾するとは思えねえけどな」
「それはそう」
ただ、これは少し。
パスタ辺りならうまく面白い方向に転がしてくれそうな気がして、フウタは1つ頷いた。





