メイドのリラさん
昨日予約投稿ミスってほんの3分ほど公開されちゃってたんだけど、そこで読めちゃった人はなんか昨日の占いが良かったくらいに思ってくれ…すまない…。
ある日の植物園。
王城の中でも人気の無い部類に組み分けされるその場所は、貴族たちが目の保養のために足を運ぶことが殆どだ。
あとは庭師と、その手伝いに駆り出される侍従の姿程度のもの。
例外があるとすれば、夜中に手合わせをするようになってから、まるで自分の道場とでも勘違いしたのか時折刀の素振りにやってくる1人のヒモくらいであった。
正面に構えた刀をゆっくりと頭上に掲げ、振り下ろす。
その速度たるや、丈の短い足元の芝が風圧で道を開けるように背を寝かせるほど。
息を吐き、もう一度。
姿勢を崩さず、踏み込みは的確に。
もう何万何十万と繰り返してきたその反復動作は、それでも決して手を抜くことはない。
徹底した基礎の鍛錬。
飽きもせずに毎日毎日繰り返すその動作と、丁寧な筋肉トレーニング、柔軟。
そうしたひたむきな"身体作り"だけが、この男の強さを引き出す鍵なのだ。
もしもフウタが模倣出来ない相手が居るとすれば、それは簡単だ。
フウタの筋力では届かない膂力。
フウタの身体では出来ない動き。
フウタに"慣れ"は通用しない。鍛錬の末に身に着けた技の動きは、一目で模倣し、こなしてしまう。
だが万が一物理的にフウタには不可能な挙動であれば、彼の模倣をすり抜けることは出来る。
そしてフウタは、その万が一を潰す為に、日々の努力を惜しまない。
千の素振りを終えたフウタは、刀を腰に収めると一息吐いた。
直立の姿勢から、仰向けに倒れるかの如く上体だけを反らしていく。
足裏で体幹を支えながら、そのまま後方で両手をついての――いわゆるブリッジ。
だが彼の作る橋はやけに短かった。
まるで折り曲げた紙切れのように、背骨が折れるのではないかというほどに反った背。
「よっと」
そのまま彼は、自らの両足首を両手で掴んだ。
異常なほどの軟体。
これも日々ひたすらこなした体操によって手に入れた代物。
何ならこのまま歩くことも出来る。
一歩二歩。
と、足裏から全身に伝わる妙な振動。
感じ慣れたこの微かな揺れは、おそらく近くを台車が進んでいるから。となればそろそろティータイムの時間かと、フウタはそのままの姿勢で揺れを感じる方へ振り向いた。
一歩下がって、回転。右に回るように。
そこには果たして、ワゴンを押していた金髪の少女の姿。
ばっちりと目が合ったその瞬間、彼女の金の二房が逆立つ。
「ぎゃああああああああああああああ! おばけ!!!」
ホワイトブリムが頭からすっ飛ぶような勢いでビビり散らかしたメイドさんに、フウタは足首を掴んでいた片手を手放し、ひらひらと振ってみせた。
「フウタだよー。フウタだよー」
「キモい!!!」
「がはっ……」
この世の終わりのような顔をしたフウタはそのまま力なく後方へ倒れ、折れ曲がったゴムが形状記憶で戻るように足を投げ出し、うつ伏せに動かなくなった。
「あり?」
首を傾げたメイドさん。
しーん、と静かになってしまったフウタ。
その辺に転がっていた枝を拾い、メイドさんはその傍に座り込んでちょんちょんと彼の脇腹を突き始めた。
微動だにしない。
「めいどー?」
こてん、と首を傾げる彼女。
なんで倒れたんだろう。
「鼻にでも突っ込んでみますかね」
棒きれの先端をまじまじと見つめ、コローナは呟く。
と、その背後で声。
「あ、あの。へ、平気なんですか……?」
「んー、ちょっとイレギュラー発生中ですねっ」
ワゴンの後ろに隠れた影に振り返り、笑顔で応対。
さて、鼻に枝を突っ込むか、と気合を入れて、
「へいへーい」
「ふがっ」
こちょこちょ。
ようやくびくんと反応したフウタが息を吹き返す。
「フウタ様、なにしてんの?」
「へ? あれ? 俺は鍛錬を――なんだ、寝てしまっていたのか。ごめん、もうティータイムの時間になってたか」
「いーえー」
軽く服を払って立ち上がるフウタ。
コローナは枝をぽいすると、そそくさとワゴンの方へ戻っていく。
この芝生の隅に設けられたガーデンテーブルは、頻繁にいつもの三人がお茶を共にする場所だ。
「ところで」
と、フウタはそこで何かに気付いたようだ。
ぴく、とワゴンの裏で人影が跳ねる。
「誰か居るのか?」
「あ、そうでしたっ。フウタ様に紹介しろって姫様に言われてたんですよっ」
「ライラック様が?」
ワゴンの元へと駆け戻った彼女が、誰かをどんとワゴンの裏から突き飛ばした。
よろけて出てきた影に、一瞬フウタは目を見張る。
服装こそコローナと同じクラシカルなメイド服。
ほんのりと朱に染まった頬と、美しい蒼の瞳はまるでライラックを思い出させるそれ。
ホワイトブリムをちょこんと載せた頭はこれまた美しい銀色で――その髪をシニヨンに纏めていた。ホワイトブリムの左右から、玉のような可愛らしい二つのお団子が覗いている。
「――」
言葉を失うフウタ。
そのメイドをつつくコローナ。
何故か彼女は半ばやけくそになりながら、視線を泳がせて呟いた。どうにでもなれ、とでも言いたげに。
「あー、王女様からの命令でお付きになりました、リラと言います」
沈黙が痛い。
我慢が出来ないとばかりに唇をきゅっと結んで黙り込むメイドのリラさん。
何故か凄いシリアスな空気を醸し出し、動静を窺うコローナ。
桜季から爽季に移り変わる涼やかな風が、芝生をすくい上げるようにざあと吹いた。
フウタは、ようやく我に返ったように目を瞬かせると、まじまじとメイドのリラさんを見つめる。
上から、下まで。
リラさんは所在なさげに自らの腕を抱き、フウタから目を逸らすように顔をそむけた。
そして。
「ああ、分かった。ライラック様がそう言ったんなら、俺に文句はないよ。宜しくリラさん」
「!?!??!??!??!??!??」
「……ふふっ……よ、予想通り、ですよっ……これっ」
爽やかな笑顔で手を差し伸べるフウタ。
握手のつもりだろうか。流石に手を取るのは拙いと察したリラさんは、侍従として完璧なカーテシー。
「そ、それでは本日はご挨拶だけですので、これでっ」
一転、そそくさと逃げるように去っていくリラさんを、呆気にとられた様子でフウタは見送っていた。
握手し損ねた手を、そのまま後頭部へとやって溜め息。
「参ったな。なんだろ、男が苦手とか?」
「ふ、フウタ様フウタ様フウタ様っ……! ふふふっ……フウタ様っ……」
「ふふふフウタ様ってなんだよ……」
「やー」
心底笑いをこらえるように、コローナはお腹を押さえてフウタを見つめていた。何がおかしいのか、目じりには涙まで溜めている。
「そ、そっくりでしたねっ、姫様に!」
「あ、コローナもそれ思った? 俺もそう思うんだよ」
「ぶふっ……」
実際よく似ていた、とフウタは頷く。
だが、戯れとはいえ敬愛する王女殿下ともあろうお方があのような恰好などするはずがない。
「実際どうでしたっ? びっくりした? どっきりした?」
「びっくりしたしどっきりしたよ。綺麗なメイドさんだなー」
既に植物園から姿を消した彼女の軌跡を追うように、王城への入り口を見やるフウタ。
「…………」
「ん? どうしたコローナ」
「たった今、こっちのメイドさんの好感ポイントが下がりました」
「そんな?! どうして!!」
「綺麗なメイドさんの方がいいのかー!」
拳を突き上げ、抗議を訴えるような彼女の怒りに燃える視線。
なるほど、と納得したフウタは頷く。
「どんなに綺麗なメイドさんでも、コローナの方が大事だよ」
「……許すっ」
ふんす、と鼻を鳴らしたコローナは、それにしても、とフウタから目を逸らして呟く。
「……新しいメイドを姫様が入れることに、何か一言どうぞ」
「え? そうだな」
まるでメイドは自分1人で十分だ、とも取れる言い方だが、実のところコローナが聞きたいのはそういうことではなかった。
そもそも、この植物園にライラックが"よそ者"を入れるということが、フウタにとっては驚きであるはずで。
ちらりと彼を見れば、思案げな表情。
しかし何か答えを得たように、手を打った。
「ひょっとしたら、あれじゃないか?」
「というと?」
「王女の立場で動けない時の為に、入れ替われる人を見つけたとか」
「それどういう意味か分かってます?」
つまりは替え玉だ。
あのリラという少女はいざという時にライラックの為に犠牲になるかもしれないということ。
フウタとてそれくらいは承知だ。
いざという時とは――良い時も悪い時も、多くのパターンが該当する。
けれど。
「分かってるよ。リラさんがどんなつもりでライラック様に仕えているのか分からないから、なんとも言えないけど」
かといって、ライラックならそれくらいやるだろうとも、フウタは思っている。
「メイド、そんなこと考えるフウタ様がなんで姫様のこと大好きなのか、これがわっかんないのですよ」
「いや、だって」
その瞳にあるのは、ライラックへの強い信頼。
「ライラック様なら、保険はかけるかもしれないけど、そんな下手は打たないだろ」
「何故バレない……! フウタの節穴っ……!!」
その夜。
執務室のデスクで頭を抱えるリラさんもといライラックの姿があった。
「ねー、メイドの言った通りっしょー?」
「フウタなら……フウタならわたしがどんな姿をしていても気づくものと……」
「やー、麺ならそうかもしんないけど、姫様はそーゆーんじゃないし」
「いちいちあの女を引き合いに出すのは、暗に今からでも消せと言ってますか?」
「そういうとこだよ」
しらーっとした目を向けるのは、執務室の掃除をしているコローナ。
普段ならライラックの居ない時間に行うそれを、敢えて今日はこうして仕事中にお邪魔していた。
もちろん、この話をするためだ。
「フウタ様ったら、姫様のことはいつも余裕で凄くて綺麗な最強王女様だと思ってるから」
「当然です」
「だからバレねーんですよ」
「……」
「ちなみに麺は完全に互いに素で付き合ってるから、多分バレる」
「いちいちあの女を引き合いに出すのは」
「ねぇメイドからおふざけを奪わないでくれます?」
そういうのメイドの仕事なんだが????? と光の失せた瞳で首を傾げるコローナであった。
「まーでも、好都合ですよ。素のフウタ様から姫様の話とか聞けるし。なんなら姫様の可愛いとことか、他人事みたいにフウタ様に話せばいいじゃないですかっ」
「それは……確かにそう考えましたが……」
実のところ。
コローナの提案は、メイドにでも扮して見ればいい、というところ止まりであった。
流石に無茶だと思ったライラックであったが、絶対にバレないという確信めいた言い回しのコローナに渋々従い、とりあえずプランを練った。
今日すぐに見抜かれればそれでおしまい。
もしも、万が一、露見しなかったら。
その場合は、この先に時たまメイドのリラとしてフウタにあれこれ接触しようというものだった。
ライラックに対しての対応から上手くフウタの気持ちを引きずり出せない以上、他人のふりをすればいい。
けれど。
「どうして、瓜二つの人間が出てきて、本人の可能性を疑わないのでしょうか……」
「フウタ様、姫様が替え玉にするつもりで連れてきたのかなって言ってた」
流石にちょっと、と唇を尖らせるコローナに。
ライラックは顔を上げて言った。
「なるほど確かに、ここまで似ている人間が居たらわたしならそうしますね」
「フウタ様、ちゃんとお前に理解あるよ」
もはや全てがおざなりなメイドさんであった。





