めいころころーな
――武闘大会から数日明けて。
フウタは、自らの拠点を王城の私室へと戻していた。
毎日暇な時は部屋の中や、王城の植物園に赴いて鍛錬を続ける日々。
これはこれで日常に戻ってきた気がして、どこか胸の内が落ち着くような心地があった。
今日も今日とて部屋で刀を振るう鍛錬の真っ最中。
広い部屋の真ん中で模造刀を構えるフウタの前やら後ろやらを、ちょろちょろと駆けまわる影があった。
洗濯籠を抱えて目の前をぱたたたたたー。
はたきを持って目の前をぱたたたたたー。
何やらワゴンで目の前をぱたたたたたー。
特に意味もなく目の前をぱたたたたたー。
なんだかデフォルメされたようにも見える、あくせく働くメイドさん。
今日はいつにも増して忙しそうであった。
いや最後は完全に無意味に走り回っていたけれど。
「フウタ様ったらフウタ様っ」
「はいはい、どしたの」
ちょうど素振りが終わったタイミング。
もはや目の前を駆けまわるメイドさんに集中を乱されることもなく、この程度は慣れたものとばかりに鍛錬を続けていたフウタ。
彼は差し出されたタオルを手に取ると、にこにこと満開笑顔のコローナに顔を向ける。
「メイド、ちょっと行きたいところがあるのですよっ!」
顔の汗を拭ったフウタは、もの珍しさに彼女を一瞥した。
行きたいところがある。
それは良い。
ただ普段の彼女なら、行きたいところがあると思いついた時点で忽然と姿を消しているはずだ。ここにあるのはメイド型の空白だけ、というのがいつものこと。
とすると。
「ありがと」
「ほい」
タオルを返して、一瞬の思考。
「もしかして誘われてる?」
「誘ってる!」
ふんふん、と頷く彼女。
合っていて良かった、とほっと一息。
これで「あ、そういうんじゃないです」とか言われたら10日は立ち直れない。
「よし、じゃあ行こうか」
「話がはやいぜー!」
いえーい、とタオルを持った拳を突き上げるコローナ。
さて、彼女はどこに行きたいのだろうか。
ひょっとして魔獣でも出るところなのか。ならば――。
「コローナの身の安全は、俺が守るさ」
そう、ぎゅっと刀を握りしめ、強気に笑ってみせた。
「あ、そういうんじゃないです」
10日立ち直れなかった。
――王城城下。老舗通り。
露店の多いメインストリートとは違い、貿易商会や宝石商、仕立屋に古物商など、王城御用達の品も多く取り揃えた治安の良い一画。
メインストリートほどの馴染みはないものの、フウタもコローナの付き添いでよく足を運ぶ通りである。
広い道は馬車がよく往復しており、今日はにこにこスマイルのメイドさんと珍しく2人で、同じように馬車に乗り込んでこの通りを訪れていた。
「るーんぱっぱー、うんぱっぱー」
「御者さんには話を通してたみたいだけど、どこに行くんだ?」
「おみせ!」
「そりゃそうだろうけども」
「ぺろりんっ」
それほど広くない馬車の中、隣りあわせ。
洗濯ものの気持ち良い香りが、彼女からふんわりと漂ってくる。
ちらりと見れば、上機嫌なコローナが窓の外を眺めていた。
「そんなに楽しみな場所なのか」
「そーともゆー」
「そうとしか言わなくない?」
「どーかなー。そーかなー。あ、大して期待しない方が良いですよっ」
「このご機嫌で!?」
楽しそうなコローナを見れば見るほど期待感は上がってしまうというのに、なんだか納得いかないフウタであった。
「あ、つくみたいっ」
そうして辿り着いた先。
馬車を降りた2人の目の前には、小さな喫茶店。
「あれ、ここって」
「そー、一回来たことあるー」
何度も老舗通りに足を運んでいるフウタとコローナだ。
休憩と称して店に入ることも少なくはない。
ただこの店は実は、一度別の理由で来店したことのある店だった。
「――ライラック様の」
「そーそー。姫様が、フウタ様に良い店探してほしいって頼んだ時のやつー」
からんからん、と店に入れば。
渋い雰囲気の店主が軽く顎を引くだけ。
カウンター席が幾つかと、2人用の向かい合ったテーブル席がいくつか。
窓際の陽光が差し込む席を迷うことなく選んだコローナについて、彼女の正面へと腰かけた。
落ち着いていて、良い雰囲気の店。
いつかライラックがフウタに、とある依頼をしたことがあった。
曰く、自分が遊びに行けるような店を捜して欲しいと。
フウタとコローナは彼女の頼みに従って、老舗通りを歩いたことがある。
「姫様とのデートの予行演習してた!」
「だからそんなんじゃないってば」
ライラックの依頼を素直に受け取り、店を探したフウタに対し。コローナは、姫様がフウタ様と一緒に行きたい場所を探せ! とばかりにデートの予行演習だと口にしていた。
「で、なんでまたここに?」
おすすめのコーヒーを2つ注文して、しばらく。
絶えず笑顔で楽しそうなコローナに問いかけると、彼女はにへらと口角を緩める。
「ほら、最近忙しかったじゃないですかっ」
「あー、それは確かに。いや俺は全然だけど」
パスタのおうちから戻って数日。
しばらく掃除しないうちに汚れていた部屋をはじめ、コローナには10日以上王城を空けたツケが回ってきたと言っても良かった。
大忙しのメイドさんは、確かに今日は日常業務に戻っているように見えていた。
なるほど道理で、と納得する。
「今日は朝から楽しそうだったもんな」
「そうですか? そーかもっ。今日は息抜きしょー、って思ってたから!」
えへへ、と照れたように微笑む彼女の顔は、いつもよりもずっと近い。
この店のテーブル席は、基本的に2人用しかない。
そして、そのテーブルというのも。
「どうぞ」
「どもっ」
「ありがとうございます」
差し出されたコーヒーと、それからお菓子でも置けば完全に埋まってしまうほど小さなものだ。
直径にしてフウタの前腕ほどもないだろう直径のそのテーブルを挟み、向かい合って座ればどうなるか。
必然、目と鼻の先に相手の顔があるような状態だ。
そっと手を伸ばせばすぐにでも、コローナの頬に手が触れられそうなくらいに。
だからこそ、コローナはいつの日か、ライラックとのデート向けだとかなんとか言っていた。
「フウタ様はお砂糖2つ?」
「そういうキミはブラックで飲むんだったな……」
「挽いた豆の味がする!」
「そりゃそうだろうよ」
初めて知った時は驚いたものの、料理上手で舌の肥えた彼女だ。素材の味を一番味わえる状態で味わう。
なるほど確かに彼女らしいとも言えた。
ライラックは紅茶に何か入れることを、親の仇のように憎悪しているし。
コローナは紅茶もコーヒーもストレートで飲む。
少し甘くしないとダメなのはフウタくらいであった。
なお、パスタはパスタで「コーヒー? あんな苦汁なんで飲むの?」と言いながら紅茶に大量の砂糖とミルクを投入する。
あれはあれで、フウタも見ていて胸やけしそうだ。
――つまりパスタはライラックの親の仇である。
「ここに来たかったのか?」
「そー」
椅子が少し高いせいで足が届かないのか、ぱたぱたとスカートの中の足を揺らせながら。
にこにこ楽しそうに彼女は頷く。
「買い物とかじゃなくて?」
「メイド、まだお仕事終わってないのですよっ。お店出たらすぐ帰る!」
「そう、か」
それは、と思いフウタも表情を緩めた。
正直なことを言えば、フウタは別にこの店にそこまでの愛着があるわけではない。
雰囲気は良い。だが、それだけだ。
察しの良いコローナのことだ。それは分かっているだろう。
だから「期待しないで」とも告げたのだ。
けれど。むしろそれがフウタにとっては嬉しかった。
彼女が珍しくも自分のことを優先してフウタを連れ出した証左だから。
「コローナがしたいことに付き合えたなら、こんなに嬉しいことはないよ」
「えへへ。メイドもね、ちょっとやりたいこと増えてきた!」
至近距離。長いまつ毛が、ぱちくり瞬く瞳に連動して忙しそうに動く。
目が合えば、その翡翠の瞳を細めて楽しそうに破顔する。
確かにフウタはこの店にそう思い入れはないけれど。
この何気ない時間は、フウタにとっても暖かくて幸せなものだった。
コローナのやりたいことが、こうしてこの店にやってくることだったのなら。
この先、幾らでも付き合おう。
「最近、結構大変だったからさー。お掃除もそーだけど」
「だけど?」
「みんな! けんかばっかりするので!!!」
「あー……すまん」
「フウタ様が悪いことしてるわけじゃないのがなー……なんかなー」
テーブルに頬杖をついて。頬を押さえるその両手。
ただでさえ近いのに、そこから踏み込むように近づけば、もう本当に目と鼻の先だ。
――2人用のテーブル席。
それはきっと、友人や恋人、家族と2人で語らうことだけを目的とした、この店の粋な計らいだ。
差し込む陽光にきらきらと彼女の金が反射して。
「……フウタ様?」
どうしたの? とばかりに問いかけるような上目遣いの笑顔。
それがまるで、1枚の絵画のようで。
「俺も好きだ。この店」
「っ……そですか。良かった」
一瞬驚いたような表情。ついで、緩く微笑む。
「でもフウタ様。ここはみんなで来るのは無理ですね」
「そうだな……カウンター席をわらわら埋めるわけにもいかないし」
「じゃー、あれですよフウタ様」
「ん?」
ぴ、と立てた人差し指は、フウタの口元に触れるか触れないかというぎりぎりの空隙だけを残して。
「言うだけ言って、一緒に行けないのはよくないのです」
「黙ってろってことか?」
「………………ぅー」
目を逸らす。ほんのり朱に染まった頬と。呻くような声。
葛藤、だろうか。
教えない、ということに何かしらの罪悪感があるのか――それは定かではないが、いずれにせよ優しい彼女のことだ。
確かにみんなで来るのは無理だ。
教えたところでまともに来ることも出来ないのでは結局みんなで不幸になるだけ。それも一理ある。
かといって教えないというのが胸に引っかかっているのなら。
「まあ。俺の知り合いで、コローナほどコーヒー好きな人も居ないしさ」
それとなく差し出す助け舟。
先も言ったが、コーヒーを好んで飲む人間は、フウタの周りには殆どいない。
ましてや味わい深いおすすめのコーヒーとやらを喜んでブラックで飲むような人物は、コローナくらいのものだ。
「コーヒー飲みたい時に、来ればいい」
ぱちくりと、目を瞬かせて。
コローナは、嬉しそうに頷いた。
「ん」
じゃあ。
「コーヒー飲みたい時は、また誘う!」
「ああ」
えへへ、と笑って。その豆の味がするコーヒーを最後まで飲み切った。
コーヒーが飲みたい時は、この先多くあるだろう。
けれど、コーヒーが飲みたい、と口にする時に抱いている気持ちは、きっとまた別のものだ。





