66 ひーる の じょうけん
――3年前。
チャンピオン・フウタは、誰ともまともにコミュニケーションを取らないことで有名だった。
何人か根気強く話しかけている者もいたにはいたが、殆どが空虚な返事が返されるばかり。
人気闘剣士のお前たちに何が分かる、とでも言いたげな姿勢はしかして一部の闘剣士には"孤高"と映った。
関わりの薄かった、プリム・ランカスタやアイルーン・B・スマイルズがそれに当たる。
理解とは最も遠い場所に居るからこそ、彼女らは形は違えど無邪気であった。
その日も、結局トーナメントに勝利することが出来ず挑戦権獲得を逃したプリムが、むくれながらフウタに絡んだのだ。
選手専用通路で彼を呼び止め、アドバイスでも求めるかのように自分の試合の話をするプリム。
別に本人にも内緒話をするつもりは無かったのだろう。
比較的近くに居たアイルーンにも、その声は届いた。
当時のアイルーンはマイナーリーグで燻っており、天下八閃まであと一歩のところまで手を伸ばしながら、届かない。
反則だのなんだのを取られないように手加減してもなお、勝手に死ぬ弱者ども。
日々の苛立ちをどこかにぶつけることも出来ず、渋面を浮かべていた彼女は、"目標"の声に顔を上げたのだ。
隣に居るのは、アイルーンがマイナーリーグに昇格すると同時に天下八閃入りを決めていた――今は陸之太刀のプリム・ランカスタだったか。
自分の試合の話をしても、ああ、まあ、だのと曖昧なことしか言わない彼にむくれたプリムは、続けて聞いたのだ。
「じゃあチャンピオンは、技なんて全部受ければいいと思ってるわけ!?」
オーシャンの技が避けられない。
そんな愚痴をひたすら零していたプリムの、怒ったような言葉。
フウタは首を傾げた。
別に、それで人気出ているんだから良いんじゃないか? などと的外れなことを考えながら。
フウタ自身なら、どうするか。
少し考えた。
確かに相手の模倣をすれば、どんな技だろうと避けなくていい。
やり口を知っているのだから、適切な受け方さえすればいい。
ああ、ただ。
とふと思い出したようにフウタは顔を上げた。
「避けなければいけない技があるとしたら……アイルーン・B・スマイルズの《鎮魂歌》くらいか」
「だれそれ?」
――その言葉は、アイルーンにとっての希望だった。
あの、相手のどんな技でも跳ね除けてきたフウタが唯一警戒するのが、己の持つ"強さ"。
思っていた通りだ。自分と彼は同じ修羅なのだ。
でなければ、マイナーリーグなどで甘んじている自分に目を配るはずがない。
凹んでいる場合ではない。
すぐにでも。
すぐにでもチャンピオンへ届かなければ。
やはり、王座を賭けた戦いにこそ、己の望む死闘が待っている。
その日からしばらくして、アイルーンは漆之太刀として天下八閃への昇格を決めた。
あとでアイルーンを調べたプリムは、表情を曇らせて呟いた。
「ただの殺しじゃん」
――闘技場スペクタクラ。
「――あ゛はっ」
一瞬、アイルーンの身体がブレた。
《独奏曲》
フウタの視界に、靴裏。
ほんのわずかに身体を逸らしてこれを回避。
アイルーンの拳が急所を狙い、フウタの体幹を崩しにかかる。
その拳一発であれば、対応のしようもあるというもの。
だがアイルーン・B・スマイルズの戦いは修羅のそれ。
相手を確殺するまでひたすらに続く、殺しの乱舞。
軸足が崩れれば次は身体を。
無理に避けようとズレれば今度は視界を。
顔を狙われ反射的に動けば、その次はまた足を。
ある種リヒターの"一筆"に似たその動きは、同じ殺しの技であればこそ。
次から次へ、獲物を仕留めるまで延々と。
無尽蔵のスタミナは、ただ修羅として己を高めていたが故。
リヒターとの違いがあるとすれば。"一筆"に勝るとも劣らないその乱舞を、彼女はその場の感覚だけで繰り出すことが出来るということ。
格闘術であるが故に崩されやすい欠点もあるが、それを差し引いてもすさまじい技であった。
『――どうやら』
アイルーンの猛攻で盛り上がる観客席に、王女の静かな呟きが響く。
『フウタはもう1つの選択肢を取ったようですね』
『もう1つの、選択肢』
『ええ。アイルーンに合わせるか、或いは』
仕留めきれず、怒涛の攻撃を繰り出すアイルーン。
恐ろしいのはその技に限界が見えない部分ではあるが、幾ら攻めてもフウタが攻勢に出ないことがアイルーンは気になった。
アイルーン・B・スマイルズを模倣した彼ならば、既に理解しているはずだ。
アイルーンのこの攻勢を止めるためには、自ら攻撃に打って出るのが最も速いと。
なのにどうして、と顔を上げるアイルーン。
『――"闘剣"の世界に引きずり込むか』
その瞬間だった。
《模倣:アイルーン・B・スマイルズ=独奏曲》
フウタが消えた、と認識した瞬間飛んでくる痛烈な蹴り。
至近距離を嫌うように勢いよく放たれたそれを、まともに受けるのは悪手だと気付いた刹那、アイルーンはバックジャンプでフウタの技を回避する。
一瞬空いた、2人の間。
「……求めるものは、最初から違った」
地面についていた両手をバネのようにして、逆立ちから一転着地するフウタは呟く。
「でも確かに、目的の為になりふり構わなかったのは、同じかもしれない」
こんな戦いのさなかであっても、すぐに思い出すことが出来る――コロッセオ時代の記憶。
苦々しくて、ひたすら辛くて。
足掻いて、足掻いて、足掻き続けた。
"無職"であっても、この世界で戦っていけるのだと証明するために。
それは奇しくも、"最強"を目指し続ける修羅の少女には、同じ輝きに見えたという話だった。
でも。
「でも。もう俺とキミは違うんだ」
拳を構えるフウタは、"相手の軌跡を模倣する"。
いつか、コロッセオでは《鎮魂歌》の警戒しかしていなかった。
けれど今のフウタには分かる。
誰かを想うことが出来るからこそ、必死に足掻いてきた彼女の軌跡が読み取れる。
どんな過去があるのかは分からない。
でも。
――幼少期から"殺し"で鍛えていたことが分かる以上、ろくな環境で育ってこなかったことくらいは読み取れる。
「違うモノ……?」
腕をだらりと下げた彼女が、首を振る。
そんなはずはないと、子供のように。
だってそうだろう。
"無職"でありながら、闘剣の頂点を極めたい理由など、他に何が存在するというのだ。
「いいえ、いいえ」
だ、と駆ける。
拳を振りかぶる。
怒り狂って尚精密に、一撃当たれば人間を再起不能に出来る手甲の一発。
鋭く速いだけの拳は、だからこそ回避のしようがない。
けれど。
全く同じ動きで拳と拳をぶつけられれば、その比ではない。
「違う、違う違う違う!!」
首を振るう。
今の一撃は、正面からこんなパフォーマンスじみた受け方をするよりも、もっと良い、もっと相手の命を脅かす動きに転じられたはずだ。
「……鎮魂歌、撃てたことは認めるよ」
そうだ。
誘ったのだ。この分かりやすい攻撃で、フウタに。
《鎮魂歌》くらい、放つことが出来るだろうと。
でも、彼は、そうしなかった。
拳を放つ。
受けられる。
蹴りを放つ。
受けられる。
全く同じ技で、アイルーンの全てが跳ね返される。
「――ふざけるな」
顔を上げ、拳を振るう。
「貴方とわたくしは同じものだ!」
その感情の発露は、闘気となり闘技場に吹き荒れる。
――どうしてか。彼女の叫びが、耳に届いた気がした。
「……貴方とわたくしは同じもの、か」
「……ベアトリクス?」
実況席。会場の盛り上げを全力で行う最中。かといってひたすら喋りっぱなしというわけではない。
息を飲むような技のラッシュ、凄まじい一撃の直後。
そういった、視覚だけで人の心を奪える瞬間には、敢えて黙ることもある。
今この瞬間もその例に漏れず、拳と拳をぶつけあった瞬間吹き荒れた風に観客たちは大熱狂だ。
一呼吸入れた今だからこそ、耳に届いたのかもしれない。
ベアトリクス――パスタは、そう思った。
違う、と首を振る。
フウタとアイルーンは、決して同じものではない。
むしろ近いのは、自分とアイルーンだ。
泥の中で生まれて、溺れ死にそうになりながら、世界を憎む力だけでここまで生き延びてきた。多くの屍を踏み越え、時折自ら屍を生み、足場に変えて。
そういう意味ではなるほど、自分も同じ"修羅"なのかもしれない。
けれど敢えて、自分流にこう言おう。
彼女も、自分も、"悪党"であると。
――ねえ、フウタ。やっぱり違ったでしょう?
熱と剣の場に相応しくない、慈愛に満ちた笑みが"お兄ちゃん"に向けられる。
悪役の参考に、アイルーン・B・スマイルズは使えるか。
その答えは、彼女には最初から分かり切っていた。
「あんた、今自分がなにしてるか分かってる?」
口角を上げたパスタが呟く。
周囲を見渡せば、もちろん決勝開始時と変わらぬ熱狂がそこにあった。
けれど、少しだけ異なる点がある。
それは。
「アイルーン!! 負けんじゃねえぞ!!」
「クッソ、フウタ強すぎんか!?」
「いや、でもワンチャンがある、関節さえ入れば!!」
7:3……いや、もうすぐ6:4か。
あれだけ、本選一回戦、本選準決勝と悪党として周囲に嫌われ、会場を冷めさせた彼女が"声援を受けている"現状。
それは、ひとえに。
フウタがアイルーンを想い、"闘剣"で相手をすればこそ。
その圧倒的な強さと、目に見える余力。
アイルーンが完全に挑みかかっている構図であるからこそ、感情というのはどうしても流れていく。
アイルーンの闘気がここまで極まれば猶更だ。
「本当の悪役は、人の痛みが分かるやつにしか出来ないのよ。アイルーンも、あたしも、所詮は悪党。でも、あんたは違う」
"闘剣"を盛り上げる要素とは何か。
この武闘大会で、パスタは大きな収穫を得た。
予選で、"解説"の必要性を。
本選一回戦では、闘剣士が生み出す熱を。
そして準決勝では――気持ちの揺れ動きこそが本当の熱狂を作るという事実を。
自分の考えは間違っていなかった。
フウタにも勝って欲しい。アイルーンにも負けて欲しくない。
フウタコールが強まりすぎるのも、アイルーンへの声援が膨らみ過ぎるのもどこかもやもやするからこそ、心というのは難しくも面白い。
そんな、どっちつかずな感情をただ"声"としてぶつけられたスペクタクラの熱狂は、それはもう凄まじいものだった。
だからこそ"闘剣"でアイルーンを応援する空気が形成されることには、確かな意味があった。
そして。それを成し遂げたのはフウタ。
「最初から分かってたわ。あんたはちゃんと才能あるのよ。だって――」
――貴方は、優しいヤツだから。
だから。
『アイルーン、すっごい必死に食らいついてる……?』
『……そのようですね。フウタの模倣を超えることが出来るかどうか、そこが焦点になるでしょう』
自分は自分に出来ることを。
さあ、めいっぱい煽り立ててやろうじゃないか。
『やっぱり! あたしのお兄ちゃんは、と~っても強いんだから!!』
 





