63 けっしょう が はじまる!
その日。会場は、大会開催初日以来の大入りだった。
外壁に高々と掲げられる対戦カードは、"決勝"。
アイルーン・B・スマイルズ VS フウタ・ポモドーロ
チケットを握りしめた彼らは、我も我もと入場門へ押し寄せる。
彼らを捌くスタッフたちも大忙しだ。罵声にも似た怒鳴り声がそこかしこに響き渡り、人が溢れかえる広場から、砂時計宜しく人が次々入場門の中へと消化されていく。
闘技場に入ればまた席を求めて人々がぶわっと広がるあたり、本当に蜂の腰、といった風だった。
「入場門は20箇所あります!! それぞれ、それぞれチケットの番号に従って入ってください!!」
「なぁおい、どっちが勝つと思う」
「俺はアイルーンの試合は全部見てきた」
「姫様が負けちまうとはなあ」
「リヒター様の仇を、どうか……どうか……!」
ざわざわと。否、わーわーと。
行儀の悪い子供ばかりを万人集めたかのような大騒ぎは、隣の友人の声すらうまく聞き取れはしない。
どん、と撃ち上がるは炎。
王国の国旗と、それから武闘大会を示す刀と刀が描かれた旗。闘技場の外周壁に掲げられた旗たちの間に、魔導術による火柱が上がる。
ぎゅうぎゅうに押しかけた観客たちによって、50000人以上を収容できるはずのスペクタクラはもはや超満員だ。
今日ばかりは、通路も殆ど歩けないくらいに立ち見の客もわんさかと居ることだろう。
致し方ない。今日は"決勝"。
彼らの見てきた試合の全て――その軌跡が詰まった道のりが、終着する日なのだから。
スペクタクラの内外に人がごった返し、広場どころか大通りもろくに人が動けないような状態の中。
馬車が一台、人を押しのけ進んでいく。
どけどけと御者が声を荒げて道を作り、どうにかこうにかスペクタクラの方角へと向かっていく。
果たしてカーテンの閉められたその馬車の中には、2人の男女が並んで腰かけていた。
「窓開けるのは、やめておきなさいよ」
「あ、ああ。すまん気になって」
「開けたら最後、試合に間に合うかすら分からなくなるわ」
じっと睨みつける視線は鋭い。
膝の上に大きなクマのぬいぐるみを乗せてさえいなければ、なるほど"経営者"の眼光たるやたいそうなものだったろう。
彼女の提案――もとい殆ど強制的に、今日は馬車でスペクタクラに向かっていた。
昨日まではバラバラであったり、入場開始前には先に関係者席から入っていた為に、客と時間が被ることは無かったが。
今日は決勝戦。たった1試合だ。
準備するものもそう多くないとくれば、自然と関係者の到着も遅くなる。
こんなところに平然と二人で歩いていけばパニックになることなど容易に想定出来た。
パスタなど、もはや人に溺れてスペクタクラに辿り着けないどころか、子供たちに身体を掴まれて身動きが取れない、などという事態まであり得る話。
相手は客だ。吹き飛ばしたりおしのけたりするわけにもいかず。
なるほどこれは馬車で来て正解だったと、フウタも納得するばかりだった。
「……俺とアイルーンの試合に、こんなに人が来るなんて」
思わず、呟いた。
他の試合があるわけでもない。
正真正銘、決勝戦だけを見に彼らはやってきているのだ。
それが、フウタには不思議で仕方がなかった。
否、もう分かっている。自分たちは、やったのだと。やれたのだと。
夢に、届くことが出来たのだと。
けれどこうして目の前に現実として現れると、どうしても不思議な気持ちになってしまうのは――仕方のないことではあった。
「あんたはともかく、アイルーンは歴代最高の【天下八閃】の1人なんでしょ?」
「それはそうなんだけどな」
馬車の中で腕を組むフウタ。
隣の彼女は、フウタを覗き込むように首を傾げた。
頬の半分がぬいぐるみの頭に埋まって、ただの童女にしか見えない。
「そうなんだけど?」
「人気で言えば、多分下から二番目くらいだったはずだ。あ、もちろん俺は除くな?」
「今その自虐要らないから。八人の中で、七番目ってことね。番付も七位、人気も七位。憶えやすくて良いわ」
「そんなこと覚えても仕方ないとは思うんだが……。いやもちろん、コロッセオで七番目に人気だったと考えれば相当なヤツではあるんだけど」
メジャークラスたる天下八閃は、捌之太刀と漆之太刀はシーズンごとに入れ替え戦が行われる。
頻繁に顔が入れ替わる為に人気が取れない、と言えばそれはそう。
けれど、前座扱いとはいえマイナーリーグの試合もコロッセオできちんと行われることを考えると、それにしては人気が低迷し続けたとも言える。
「正直に言えば、本来は女の子ってだけで人気は出る」
「まあ、そうでしょうね」
「プリムともう1人の女性選手の人気は、それはもう凄かった。2人と比較すると、どうしてもアイルーンは一段落ちるというか」
「そりゃそうでしょ」
パスタは口角を引きつらせた。
プリムとアイルーンが同じくらいの人気など、どんなバイオレンスなコロッセオなんだとツッコミたくなる。
「まあお前も分かるとは思うけど。人気の度合いと、観客の応援は一致しないんだ」
「それはそうでしょうね」
たとえば、三番人気の選手と四番人気の選手が試合をしたとして。
最初の歓声は、圧倒的に前者が勝る。
何割対何割、とはならないのだ。
それはそうだ。観客の中で何番目に推したい選手か、という格付けがはっきりしている以上、今日の対戦相手との比較にしかならない。
人気が1つ違えば、歓声は一色に染まりあがる。
コロッセオとは、そういう場所だった。
例外など、レザード・ブレードキッドVSオーシャン・ビッグウェーブのカードくらいだ。ここは明確に歓声が"割れた"。
ただ、そんな2人をもってしても、参之太刀相手となると応援が相手一色に染まってしまうのだから、闘剣においての人気というステータスは凄まじい。
つまり何が言いたいかと言えば。
アイルーンは殆どの試合で応援されない側であり、そんな彼女と、フウタのカードでここまで観客が埋まるのは、それはもうフウタにとっては夢か幻かと疑いたくなるのも無理はないということだった。
「もちろん、試合展開によって歓声の度合いは変わるし……実際、どんなに人気で負けていても中盤の試合の魅せ方で歓声を五分に持っていけるから、【天下八閃】の連中は凄かったんだが」
「昨日みたいなことね」
ふむ、と頷くパスタ。
昨日。人気で劣るライラックを上回ったあの試合。
人生で、初めての……勝利。
「……っ」
「どうした?」
「なんでもない」
気付けば顔をぬいぐるみに押し付けている彼女の奇行。
致し方ない。思い返すだけで、胸の内がいっぱいになってしまうのは――記憶に鮮明である昨日の出来事であればこそ。
もっとも、彼女に忘れるなどという機能は備わっていないのだが。
「……で。その相対的人気低めの2人でやる決勝が人気なのがおかしいと?」
「おかしいってわけじゃない。それに、俺らの人気だけで集客してるわけじゃないことは分かってる」
「ふぅん。そこはちゃんと理解してたのね」
「大会だしな……ただ」
そう。これは大会だ。単なる対戦カードではない。
彼らも今まで見てきたであろう数々の試合の軌跡。そのゴールであればこそ、皆が皆こぞって見に来るのだ。
この試合ではなく、この大会の幕引きを。
けれど、敢えてその上で、この集客は想像以上だとフウタは言いたかった。
「ただ、何よ」
「前にちらっと聞いた気もするんだけどさ。やっぱり、アイルーンみたいなのが、悪役なのかなって」
「どうしてそう思うわけ?」
「あいつの試合って、全然アイルーン応援されないって言っただろ?」
「うん」
「むしろ、相手側の応援が強くなるんだよ。アイルーンに負けるなって」
「なるほど?」
「だから、あいつみたいなのこそ、悪役じゃないかと」
悪役。
解説兄貴として自分を売り出した以上、もう不要かと思っていた彼の役回り。
けれどパスタはそこに否を唱えた。
解説役としての今の功績は問題ない。だが、だからといってそこだけに甘えて良いほど、その立場、そのキャラ付けは強くない。
今回ライラックの人気を超えられたのだって、1回こっきりの熱をありったけ込めたからだ。
ライラックが人生で一度の大技を使ってきたように、彼女の人気に対抗したフウタたちも、人生で一度の大技だったのだ。
過去という手札は、そう何度も使いまわせるものではない。
そうである以上、パスタはまだフウタのキャラ付けについては考えていたし――やはり悪役が適任だろうと結論付けていた。
そうなると、だ。
フウタが思い返すのは、ダーティプレイで観客を敵に回し、相手に人気を押し付けて盛り上げるアイルーンの姿。
もっとも本人にそのつもりはないのだろうが、聞くだに悪役には彼女のような人種が適任なのではないかと、そう思うわけだった。
ただ。
パスタは呆れたように嘆息する。
「はーあ。所詮"無職"ね」
「悪かったな」
「言ったでしょ。アレは参考にならないって。そもそも、あれは悪役じゃないの」
じゃあ何なんだ、という疑問には、パスタは答えることはなく。
その代わりに、彼女は告げた。
「悪いことをしろっつってんじゃないの。あんたは、あらゆる闘剣士の壁になる男よ。その絶対者としての、最強としての格を――と言いたいけど、まだ付け焼刃だから、不遜に構えているだけでいい」
「……いつか、部屋で言ってたヤツか」
「憶えてるんじゃない」
ふん、と鼻を鳴らすパスタ。
彼女には、いやに確信があるようだった。
ならフウタには、彼女を疑う理由もない。
ただ、意外だったのは。アイルーンは悪役ではない、という台詞。
どう考えても、悪役なのだが。
とはいえ。
パスタの方針がそうである以上、フウタが否を唱える理由もない。
ただ、不遜であれ。
馬車が関係者入り口の前に到着したことを確認して、フウタは扉を開いた。御者を一瞥して、一言。
「ふむ、ご苦労」
「偉そうに振る舞えっつってんじゃないのよこのバカ」
引っ叩かれた。
――闘技場スペクタクラ。
ぎっしりと埋まった席は、まさしく壮観だった。
ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめて、実況席から周囲を見渡す。
勝利の味は、未だ消えず。
けれど、その熱は既にスペクタクラからは消えていて、今日は今日を望む期待の波が、徐々に徐々に押し寄せてきているような感覚だった。
「パスタちゃーん!」
10も行かないくらいの歳の童女から大きく手を振られ、にこりと笑って振り返す。
「パスタっちゃああああああ!!」
野太いおっさんの声にも振り返す。引きつった口角を見られないようにぬいぐるみで口元を隠しつつ。
妹というポジションなら聞き手役としてちょうどいいだろう。
そんな簡単な考えで臨んだのに、思わぬ誤算であった。
変に噂が広まっても困る。
さっさと引退するべきだろうか。後釜は、そう。
リーフィ辺りに押し付けて。
「いやでもあいつ田舎帰るのかしら」
婚約がどうのと言っていた。
祝儀くらいは渡してやろう。
試合が始まるまでは暇なのだろう。
皆が皆、思い思いの時間を過ごしているからこそ、既に席についているパスタくらいしかおもちゃが無いのかもしれない。
ひっきりなしにかかる声に手を振るだけで応えつつ、彼女は思案する。
思い返すのは、別れ際のフウタの話だ。
『……1つ、分からないことがあるんだよな』
『なに?』
『アイルーンがコロッセオを辞めた理由』
『そんなの、プリムとかイズナと同じじゃないの?』
『いや』
と口元に手を当てるフウタ。
『アイルーンとは、正直一番接点がなかった。試合をしたこともない』
『え、そうなの?』
それは意外だった。
『だから――もしかしたら旅の途中で寄っただけとかかもしれない』
『そんなバカな。……いや、だからといってあたしには別にどうでもいいけど。あれじゃない? みんなやめたからなんか流れで、とか』
『そんな雑な処理ある?』
そもそも、アイルーンが辞めたのは結構最初の方だったと聞く。
何なら流れでやめた説が浮上するべきは最後のオーシャンである。
『みんなやめたから流れでやめた。なんて話が噂されたら、オーシャン凹むんじゃないの?』
『あいつはきっちり壮行試合終えて引退したらしいから……』
ともあれ。
『まあ、あんたが正面切って聞くのが恥ずかしいってんなら、あたしから聞いておくわよ』
どのみち、試合前に話を聞いて、それを入場に盛り込むのがパスタのスタイルだ。
どうしてコロッセオ辞めたの? 俺追いかけてきたの? とストレートに聞くのは確かにフウタの性格を考えれば躊躇われる話だ。
だから、彼女は引き受けた。
そして、アイルーンの控室で聞いた答え。
「……」
それが、パスタを悩ませる要因だった。
「フウタ。あんたほんと……罪というか、業が深いわね……」
溜め息。
彼女から聞いた話は、あまり紹介ですべきものではなかった。
やはり彼らの因縁については当人たちで消化して貰うとして……紹介については、この大会の話題で乗り切ろう。
そう、軽く構想を練る彼女の背後から、声。
「確かに、業は深いのかもしれませんね」
振り返る。
くまのぬいぐるみとセットで向いたのが悪かったか、声の主は少し口元を押さえて笑いをこらえるようにして。
ただ、そんな彼女に特に感慨を浮かべることもなく、パスタは首を傾げてみせた。
ぬいぐるみとセットで立ち上がり、形だけの礼儀を取る。
その意味くらいは、分かっているのだろう。
わっと沸いた歓声は、おそらく解説席に彼女の姿が見えたから。
軽く手を振った彼女が席につくのを見届けて、自分も実況席に座り直す。
「こんなに可愛い妹を作ってしまうのですからね」
「えー、パスタちゃんわっかんなーい。お姫様って、随分と余裕がないんだね?」
「余裕、ですか。確かに……どうでしょう。まさかこんなことを提案されるとは思ってもみなかったもので」
「かもねー。あたしもびっくり。どういうつもりなんだろね?」
可愛い笑顔の9歳児と。
深窓の美姫が楽しそうに笑い合う。
「敗北の味はどうだったァ?」
だが、そのガワは。ずるりと溶けて消え去った。
不快そうに眉をひそめる王女も、すぐに冷たい空気を纏う。
「初勝利の味はいかがでしたか?」
「わたしは最低でしたね。まあ、もう二度と味わうこともないでしょう」
「あたしは最高だったから、邪魔しないでくれると助かるんだけど?」
「邪魔? それは確かに。すぐに手を引くことにしますよ」
「ああ、手は残しておいてくれて構わないわ。ていうか、手?」
「なにか?」
「あんたの身体にくっついてるものじゃないでしょ? どうせ手袋なんだし、ちょうだい。妹はおふるで十分だからさぁ」
「残念ながら、この通り腕までしっかりくっついていますよ。姉の腕を切り落とすつもりですか?」
「へぇ。お姉ちゃん……妹に詫びるつもりもないんだ?」
「こらーーーー!」
小声で怒鳴るという器用な真似をやってのけたのは。
2人の背後からにゅっと出てきた金髪。
驚いたように目を瞬かせる赤髪と。
諦めたように嘆息する銀髪。
どういうことかと困惑するパスタの前で、そのメイドさんは王女の顔の前に指をやった。
「めっ」
「……公衆の面前で」
「メイドが王女様に言伝してるようにしか見えませんよ! てゆか! 公衆の面前で堂々とそんな顔で揉める!?」
「顔はわたしも彼女も取り繕っていました。近くで見なければ分かりませんよ」
「子供か!」
うなー! と発狂するメイド。
「ええっと。何なの、コローナ」
「麺もそんなすぐ臨戦態勢になるなしー。もー。はい、姫様謝って」
「謝るの!? こいつが!?」
思わず声をあげたパスタに、ライラックは煩わしそうに髪を払う。
けれど、一瞥したメイドの怒り心頭な姿に小さく首を振って。
「詫びるつもりがどうの、という話がありましたが。貴女の実況、ないしは貴女のビジネスに付き合うのが、今回の一応のけじめですよ。ほら」
懐から出したスクロール。
そこには確かに刻まれた"契約"。
契約なしでこの女と付き合うなど御免被る。
けれど。そう、けれど。
パスタは手元にあったペンで、さらさらとサインをした。
「……普段のように、一度持ち帰っても構いませんよ?」
「一回読んでも百回読んでも内容なんて変わらないわ。……あんたに本当に人に詫びる気持ちがあるのなら。ここに罠なんて仕込まないでしょ」
「……」
「……え? 仕込んだの?」
「仕込んでません。……疑い深いことに呆れただけです」
「お前やっぱ詫びるつもりねーだろ」
思わず口調がリーフィになるパスタであった。
とはいえ。
今回最初に喧嘩を売ったのはパスタだ。
"契約"を用意していた以上、確かにライラックには今回思うところがあったのかもしれない。
なら、こちらも誠意で返す。それだけのこと。
ビジネスなのだ。殺したいほど憎らしい相手であろうと、笑顔で握手を交わすことくらい造作もない。
それに、不思議ともう、この女のことは怖くなかった。
だって。
「可愛い妹を害するわけにはいかないもんね」
「はい? ……ちっ。ああ、そういうこと」
ライラックも理解したようだ。相変わらず頭の回転は速い。
彼女が舌打ちするのも無理はない。だってこれは。
ライラックの妹という意味ではなく。つまるところ。
あいつの身内を害するなんて、もう出来ないよね?
という完全な煽りであるからして。
「妹で居る間は見逃してあげますよ」
「いーよー。パスタちゃん、口では何とでも言えるしー」
だが、火花を散らす2人の間に割って入る、影。
「なかよくしろください」
お怒りのメイドさんがそこに居た。
別に彼女とことを構えるつもりは、基本的には無いのだ。
諦めた様子のライラックに、パスタは笑う。
「ま、いいわ」
解説席から見えるのは、満員の観客が試合を待ち望んでいる姿。
「今日は宜しくね、解説者さん?」
「ええ。会場操作は任せました」
初めて、姉妹が手を組んだ。
 





