60 ゆめ に とどけ
ずぶ濡れの雨の中。
小さなスラムの赤髪の少女が泣いていた。
お腹がすいて、泣いていた。
彼女はずっと泣いて、泣いて、泣き腫らして。
雨に濡れて寒くなって。肌の感覚がなくなって。
野犬が群がって、追い立てられて。
疲れ果てて、眠くなって。
気付けば、お腹がすいていることすら、忘れて。
欲しい物さえ分からなくなって。
いつの間にか。
ただ、生きることだけに、必死になっていた。
――闘技場スペクタクラ。
折れた細剣を振るうフウタに迷いはない。
リーチは短く、刺突剣としての機能は果たせず、しかして尚闘気は一切衰えず。
それでこそ、とライラックは僅かに口角を上げてコンツェシュを振るった。
当然ながら対フウタ戦において、手を抜くような選手は殆どいない。
それぞれ全力の出し方こそ異なるものの、自らの手札を全て出し切ることでわずかな勝機を見出していく。
自分の武器を壊されるという経験はフウタも何度も味わったことだった。
ライラックが優れていたのは、同じ強度の武器を使ってこの結果を引き出したこと。
たとえるならばオーシャン・ビッグウェーブの持つ世界最高峰の刀"七海征覇"であれば、数打ちの鈍らなど打ち合っているだけで折れる可能性は十二分にある。
だが、まず武器を破壊することを目的とした闘剣士たちは、フウタの用意できるものよりも優れた得物を持参した。
技量だけで乗り越えようとしたのは、下手をすればライラックが初の成功者かもしれない。
けれど――武器を壊されたという一点に絞れば。フウタにとって、そう珍しいことでもなかった。
「――行きます」
ライラックの放つ刺突を、全て打ち合い弾いていく。
変わらず拮抗した戦いに、歓声は爆発的に膨れ上がった。
『わ――お兄ちゃん!! 折れても互角!!』
『ん? マジか。それは予想以上だな』
『そうなの?』
『もう少しフウタが追い込まれるもんだと思ってたが』
顎を撫でるイズナの声に、想定以上の善戦を行うフウタへ声援が集まる。
だが、ライラックもさる者、その長髪を払い、くるりと左足を軸に回転。華やかな運動エネルギーの充填から、突き上げる鋭い一撃。
《宮廷我流剣術:雷霆》
その凄まじい一撃は風を纏う紫電のような、衆目を奪う絶技。
やはり王国最強は彼女なのだと、無色の歓声がライラック色に染まりあがる。
首を傾けてその刺突を回避したフウタの凄まじさは武人にこそ届くものの、華やかな彼女の技に見栄えという意味では劣る。
――しかしフウタは冷静だった。
ならば技を放たせないことが重要なのか。
そうではない。彼女の全力を受け止めることでこそ、観客は盛り上がる。自分のするべきことは、この不利な状況であっても変わらない。
ただ、剣を振るうことのみ。
『――どうして追い込まれると思ったの?』
『ん? ああ、それはな』
イズナの解説はフウタには届かない。
だが、フウタ自身もわずかに驚いていた。
折れた剣で、ライラックの相手をしている。
なのに、彼女を相手とした"模倣"は機能し、その軌跡をたどることが出来た。
瞳が金色に染まりあがると同時、口角を上げる。
「凄い人です、貴女は」
「思いついた時は最初、過去の己を恨みましたよ?」
剣を交える。
不利であることは間違いない。
だが、フウタの身体は"憶えていた"。
『普通のヤツは、折れた時の鍛錬なんて積まないんだよ』
なんてことはない。
目の前の彼女は、自らの剣が折れた想定でも鍛錬を繰り返していたということ。
考えてみれば当たり前の話だ。あれだけ不測の事態に備えていた彼女が、自らの剣が役に立たない展開を想像しないはずがない。
「でも」
振るう剣は、鋭く。
「どうでしょう――案外、こちらの方がわたしの有利になるのでは?」
《宮廷我流剣術:雨》
放たれたのは、無数の突き。
ぐ、とフウタは歯噛みした。
対応は出来る。だがこれは――。
「1つ。たとえ鍛錬をしていたとして、万全のわたしとは比べるべくもない」
フウタのコンツェシュが弾き上げられる。
目を見張るフウタに、ライラックの次の手が迫る。
「1つ。生半可にわたしの"模倣"が出来るからこそ、わたしにとっては読みやすい」
ライラックの模倣。それを逆手にとられたからこそ、フウタの武器は折られるに至った。
同様に、彼女の模倣であるからこそ後手に回る可能性。
がら空きの胴体目掛けて放たれる、一撃。
「1つ。貴方と出会ってから、1人で身を守る鍛錬などしなくなった。即ち――」
《宮廷我流剣術:雷霆》
まずい、とフウタが身構えると同時。
「所詮それは過去のわたしだ!!!」
全力で放たれた、先ほどよりも高威力で美しい一撃。
それは、フウタの対応が遅れればこそ。
闘剣の基本――対人戦の基本は、相手に得意なことをさせない妨害にある。
"全力で全力を出させないこと"。
相手への対応がおろそかになればなるほど、相手は自由に動き、万全に近い状態で得意な技を繰り出せる。必勝パターンとは、こうして構築されるもの。
腰からフウタの胴体目掛けての雷霆は、その勢いのままに強烈な風を巻き起こした。
フィールドの埃が舞い、観客も「あっ」と声を漏らす。
フィールド中央を起点とした風の唸り。
『決まったか?』
思わずイズナも呟いた。
パスタでさえ思わず生唾を飲み込む。
ライラックの技量は知識として知っていた。
けれどどの程度フウタに通用するのかは、知らなかったから。
ぐ、と拳を握る。
脳裏をよぎる、"負け"の二文字。
戦略的撤退は"経営者"の常。本来ならここですぐに手を引いてリカバリ案を考えるのが彼女にとっての当たり前。
なのに。
どうして。
こんなにも、"嫌だ"と心が叫ぶのか。
『いえ』
土煙に未だ2人の姿が見えない、観客にとっての"待ち"の時間。
熱を充満させながらも、不気味なくらいに静まる会場に空気を読まない童女の声。
煙が晴れる。
愉快気に口角を歪める姫君が、伸び切らない腕を震わせて、放ち損ねた雷霆の穂先を見据えていた。
完璧に捉えたはずの紫電。それはフウタの喉元には至らず。
『この程度で終わるなら』
短いコンツェシュの先端が、真正面からライラックの剣を受け止めている――。
『マスターは負けてなどいません』
わ、っと溜められた熱が放出されるような大歓声。
『くははははは!!!』
盛大に笑い声をあげるイズナが、モチすけの頭に手を置いて、半ば叫ぶような勢いで怒鳴りつけた。
『な!? 言ったろ!? ちょっとバカなとこもあるが、たまに鋭いことも言うってよ!』
しっかし、とイズナが見据える先には未だ膠着した2人。
『すげえなおい……』
感嘆の溜め息が漏れる。
それはそうだ。コンツェシュは細剣。刺突に特化した、先端を鋭く尖らせた得物だ。
幾ら。そう、幾ら半ばから折れて、先端が短く太くなっているからといって。
『ここまで完璧に受け止められるものかよ』
ぎぎぎ、と拮抗する刃と刃。
彼女の笑みの理由も分かろうと言うものだ。
まさかこんな形で止められるなどと思ってもみなかった。
「確かに、かち上げた以上、引き戻してから払う、そんな時間は与えませんでしたが……」
「ライラック様が、あまりに綺麗に折るものだから。受け止めやすくて助かりました」
「貴方って本当に……!!」
互いの力の拮抗が崩れ、ライラックの剣が徐々に歪む。
不味いと思考する一瞬。ほんのわずかな引き戻しと共に奇襲じみた刺突をフウタに放つ。
承知とばかりにフウタ、これをスウェーで回避。
一瞬の空隙にライラックは距離を取る。
『"闘剣"なんざ、決まる時ぁ一瞬だからな。俺はこれで王女様が勝ってもおかしくねえと思った』
『そ、そっか……』
『くははははは!!! そんな露骨に安心すんなよ。お兄ちゃん想いだな!』
『そういうわけじゃっ――』
『かー、羨ましいぜ。なあお前ら! フウタの野郎に腹立つ気持ちもあるけど――好きな女とか母ちゃんとか、娘とか妹とか、まあ誰でも良い。そういう相手が居る男の子なら分かるよな!? こりゃフウタの野郎、負けられねえよ!!』
一瞬顔を真っ赤にしたパスタだが、自分の役割はこれで良いのだと必死に言い聞かせて平静を取り戻す。
と、イズナの袖を引く感覚。
『マスター。女の子は?』
『女の子もだ!!』
たまに物凄く雑なイズナ・シシエンザンであった。
カッコ良いところを見せたい相手。
カッコ悪いところを見せたくない相手。
そういう相手が思い当たるなら、きっと今のフウタの気持ちは分かるだろう。
ああそうさ、とイズナは一瞬目を伏せる。
カッコつけすぎたのは、カッコ悪いところを見せたくないからだ。
なんてことはない、今の台詞が一番突き刺さるのは、他でもないイズナ・シシエンザン本人だった。
『勝負が決まらなかった理由は、"気持ち"なのかもしれねえな』
『え?』
『折れた剣の断面ってのは、当然だがガタガタしてるもんだ。受け止める為に使おうなんざまず考えねえ。考えねえってことは、とっさの時にも繰り出せねえってことだ』
いざという時に体が勝手に動く、というのがある。
だがあれは、己の無意識が生存の為に切る手札。そこに好手も悪手も無い、がむしゃらの極地だ。
であればこそ、己の身体が、目が、無意識が「これならどうにか」と切る手札が眼前に現れる。勝手に身体が動くというヤツだ。
一手間違えば負ける土壇場で、しかしフウタはあの手を取り――そして賭けに勝ったのだ。
何故、勝てたのか。それをイズナは、気持ちと断ずる。
『さっき言っておいて何だが。ああ畜生悔しいな。俺ん時よりも――勝ちたいって気持ちが伝わってくる。フウタにそこまで思わせるなんざ、王女様も相当だぜ』
『お兄ちゃん……』
『ひょっとすると、王女様の為じゃなくて、妹の為かもしれねえけどな! くははははは!!!』
『イズナさん!!!!!!!』
誰の為なのか。
果たしてその問いの答えは"両方"であったと、きっと誰もが知る由もない。
フウタは解説を聞いていないし、フウタ以外はとっさに放ったその受けの理由を知らないだろう。
どうして、その断面が綺麗であると分かったのか。
それは――万が一にもライラックを傷つけない為に、断面を確認していたからだ。破片が飛び道具のようにでもなってしまったら、事故では済まされないからと。
身体が動いたのは、"勝利"の為だ。
たとえばこれが、単なる模擬戦の1つであったとして。下手をすれば、フウタはライラックから一撃を貰い、"見事でした"の笑顔を添えて勝ち星を渡していた可能性もある。
それは勿論本気で戦っていないからであるし、初見の技に真新しい戦法を組み合わせた彼女を賞賛する意味もある。そして何より、結局は一発芸だ。一度見た時点で、もうフウタには通用しない。
ライラックとてそれを分かっていた。もうこの先一生通じない手を、ここで使った。そして防がれたことの意味を、彼女とて理解していないはずもない。
負けて欲しいとは思わない。
けれどやっぱり悔しいし、何より。
とっさに動けた理由がライラックの為であったとして。
その勝利は誰の為なのかと言えば、話は別だ。
「ですが――まだ!!」
剣を折ることでさえ、次からは対応される。
ならばこの先もう無いであろう、折れた剣というアドバンテージを使い倒して、確実にこの勝利をものにする。
その気持ちを胸に、ライラックはコンツェシュをまた放つ――!
はちきれんばかりの歓声は、スペクタクラを過去最大規模の盛り上がりに押し上げていく。
流麗に立ち回り、剣を折ったアドバンテージを活かし徹底的に追い詰めるライラック。
『おお、やったれやったれェ!!』
快哉の声を上げるイズナの心情は複雑だ。
自分では成し得なかった、フウタへの勝利。
自分たちでは成し得なかった、チャンピオンへの勝利。
それを、たった一度切りの一発芸仕込みとはいえ飛び越えようとしている少女が、目の前で剣を振るう闘剣士だ。
フウタを拾ったのが彼女であったことを喜ぶ気持ちもある。
けれどそれでも、初めての黒星を与えるのは己でありたいと――心のどこかで剣士の心が叫ぶのだ。
負けて欲しくない。俺が倒したい。俺が頂点に立つのだと、胸の内を焼き焦がして突き破ってがなりたてるほどに、勝利の味を求めている。
それでもなお王女を応援する気持ちが滲み出てしまうのは、"フウタが負けるわけがない"という信頼と。
『気持ちは痛ぇほど分かるからよォ、王女様ァ!!!』
ヤツを越えたいと胸に滾る志は同じだから。
コンツェシュを振るう、一度二度。
フウタを崩す決定打は未だなく、防戦一方とはいえ崩れぬ牙城。
流石の技量は、得物がどうあれ勝利してきたが故のことか。
短さを逆手に取った小回りの利く防御は、相手の得物がコンツェシュという軽い武器だからこそ余計に上手く機能する。
だが、剣の腕は間違いなく互角だった。
ライラックは、自らの想定が正しかったことに勝機を見出す。
即ち、かつての己を上回る技量であったとしても――今の己と比較するなら、互角程度には持ち込めると。
「いけー!! 殿下ーー!!」
「王女様ぁー!」
「勝ってくれぇ!」
「最強は王女様のはずだ!!」
多くの声援が響く響くスペクタクラ。
会場に駆け付けた、ライラック王女を一目見たいと願ったファンたちの想いは如実にこうして沸き立つ大歓声として表れる。
けれど――と、少女は拳を握りしめた。
「っざけんなこれで終わりかフウタァ!!」
「おらパスタちゃん泣かせんなコラ!!」
「優勝してパスタちゃん笑顔にすんだよオメエはよォ!」
「黙って勝つんだよオラァ!」
「決勝で負け犬の解説聞きてぇとは思わねえぞ!!」
やいのやいのと野次を入れる客層は、およそ闘技場もとい荒事慣れした者たちの声が大半だろうか。
いや、違う。
「がんばれー、パスタちゃんのおにいちゃーん」
「いけー」
「ぴんちにまけるなー!」
剣を折られて尚戦う姿が、ヒーロー然として見えるのか。
身近なアイドルと化してきた少女パスタの"お兄ちゃん"が、自分のお兄ちゃんのようにも思えるのか。
子供たちの声援も、徐々に力を増してきた。
数で言えば未だに3:7が良いところ。
だが確かに、明確に、徐々に波を押し返してきている――!!
思わず生唾を飲み込んだ。
彼らの声が。
たとえば王女ライラックを求める声よりも、フウタにかかる声援が勝るようなことがあったとして。それは、"何だ"?
それは。
勝利だ。
「フウタっ……」
握りしめた拳に入る力は強烈で、爪が皮を食い破るか、その爪がひしゃげて割れてしまうか――自らの身体に起こっている現実に気が付けないほど。
彼女の目に映るのはフィールドで舞う2人。広いバトルフィールド。観客。スペクタクラ。
広角的な視野こそが、"経営者"の真骨頂。
気を抜けばすぐ見入ってしまう中心の2人から、彼女は懸命にこの会場の流れを模索する。
ここが勝負所だ。己の勘がそう叫ぶ。囁くだけで十分なのに、まるで熱を入れた観客のように声を上げる。
この世界の中心でコンツェシュを振るう男は、やるべきことをやってくれた。
ただ戦うだけでいい。そう言っただけなのに、熟練の闘剣士をして"気持ち"の技だと言わしめる強い信念の剣だった。
それが何の為かなんて、分からないほど馬鹿ではない。
――ある日、自分の部屋で目標を語り合った。
"悪役"談義の果てに、この闘技場を"全ての闘剣士がフウタを越えようとする催し"に変えてしまおうと決意した。
――ある日、書斎でうたた寝しかけたところを見つかった。
一生の不覚を晒したと思ったけれど、見返りに語られた過去は無視できない願いで。より一層、仕事に打ち込む動機が出来た。
――ある日、食堂で嫌いなものを並び立てた。
しょうもない自分語りは、温かい飲み物のせい。俺は勝つよ、と何の気なしに吐かれた言葉がどんなに大きなものか、彼はその時知らなかった。
――ある日、客席で希望を見出した。
夜中のくだらない論争から始まった彼の台詞回しは、確かな可能性を孕んでいた。
――ある日、長年を共にした髪を切った。
大事なものを捨ててでも、手を伸ばす価値を見いだせた。
――ある日、初めて闘技場を盛り上げた。
夕刻の晴れやかな"ありがとうな"を、この身は忘れることが叶わない。
――雨が、降ってきた。
悪党に温かさは似合わない。ずぶ濡れがお似合いだと過去を思い出した。両手が塞がっている男を前に、情けなくて惨めだった。
――ある日、悪党を取り戻そうと振る舞った。
もうどうしようもないほど手遅れで、彼の試合では己の制御できない感情を突き付けられた。
――そして、ある日。
『1人でレモネードなんか作ってんじゃねえよ』
『1つ、聞かせてくれよ』
『お前の"勝ち"は、なんだ?』
夢を、託した。
「あたしの」
震える唇が勝手に動く。
辛うじて出来たのは、もはや魔導器から手を離すことだけ。
「"勝ち"は」
――負けしか味わったことがないから、分からないのよ。
「あんたの"勝ち"よ!!! 勝って!!!!!! フウタ!!!!!」
俺たちの。あたしたちの。
勝利を。
あんたは今、"その為"に剣を振るっているんでしょう!?
「ああ――」
声が、届いたわけではなかった。
――今度は俺が、お前の夢を叶える番だ。
けれどその胸の内を満たす想いは同じ。
スペクタクラを縦横無尽に駆け回り、放つ剣技は全てが必中。
凄まじい技の冴えは流石王国最強の剣士。
受けるこの身が折れた鈍らでは、そうそう勝ち筋を見出すことは出来ないけれど。
それでも、今の彼はフウタ・ポモドーロ。
「ライラック様」
相対、構える王国最強の剣に告げる。
「確かに。今の俺が模倣出来るライラック様の剣は、万全の貴女と比べるべくもない。読みやすいとも、思います。でも」
短く、刺突剣としても役に立たないその刃を、真っ直ぐに向けるその様はまさしく"折れない心"。
「俺の模倣は、かつての貴女の最大限を引き出す。負ける理由はありません」
「……です、か」
構える。
目線が絡み合う。
――初動。
ぶつかり合う剣と剣。
振るわれる鋭いコンツェシュが、フウタの挙動の1つ1つを縛っていく。
「っ――」
「よく言いました。ですが――わたしとてこの勝機を逃すつもりはない!」
その咆哮に目を見開く。
歓声が沸き起こる。
イズナや、モチすけ。そして、あいつが何を言っているのかは分からない。
けれどここが、己にとって最大限の勝負所と彼も踏んだ。
あいつなら、出来る。そう書いてあるメモがあった。
"普段感情を見せない者が、誰かの為にと感情を露わにすることは、大きな大衆の関心を買い、共感を与えることが出来ます"
その文言を、フウタは大事に記憶していた。
「俺だって、負けるわけには――いかないんだ!!!」
吼える。
同時、最早幾度目になるか分からない剣と剣のぶつかり合い。
それでも、集中は切らさない。真正面から勝ちを取りにいく。
この頼りない剣でも、攻めに出る。
だって俺は。
――あんたに賭けて、いいのね?
あいつに"賭けられた"んだから。
負け続けても、賭ける相手は自分しかいなかった。
何度となく無力をかみしめて。
それでも誰一人味方はいないまま。
手を貸す相手が出来たって、願いを託すことなんて出来なくて。
常に握る賭け金は、己にベットし続けて。
勝ちを知らないまま、14歳の今まで生きてきた。
ねえ、神様。あんたは要らない。
願うとしたら。託すとしたら。賭けるとしたら、1人だけ。
一度だけ。
一度だけでいいから――
「一度でいいから、勝たせてよ……!!!」
瞳から零れる何かすら気にすることなく、絞り出した彼女の声。
想いを託した男の闘剣は視線の先。
振るう剣に"華"と呼べるような見栄えはないけれど。
想いを背負って"気持ち"で振るう、その意志は誰もが目にする闘気の奔流――。
『おいおいマジか!!』
どん、とテーブルを叩き興奮気味に声を上げる解説者。
何事かと思いつつも、観客は視線をフィールドから離せない。
だって今、明確に"攻守"が入れ替わったのだから。
『王国最強を!! その折れた剣で超えるのか!?』
眼下切り結ぶ2人の速度は、試合開始からヒートアップする一方だ。
準決勝ほどの時間は経過していない、イズナの言う通りの短期決戦とは言えど、それでも疲れ知らずの加速通しはおよそ尋常の戦いではない。
「どうなるんだこれ、おい」
「やれんのか」
「フウタ」
観客の熱も、つられるように押し上げられる。
「負けんな」
「がんばれ」
「勝つんだろ」
その歓声は波のように。叩きつけるように、フィールドへと投げかけられる。
もはやどちらへの声援なのか分からないほど。
ライラックへの歓声も、フウタへの歓声も。
合わさって響く、50000人からなる魂の声楽。
どんな音楽よりも極上のそれを、しかし肝心のフウタは耳にすることが出来ないほど集中力を高めていた。
だから、理解出来たのはパスタだけだ。
明らかに。
あの願いと。あの咆哮と。そして、負けたくないというあの闘気が。
間違いなく、観客を味方につけた。
今やその熱は5:5、全くの互角。
『フウタ――頑張って!!!』
思わずと言った様子で、しかし敢えてぶちかました"名前呼び"。
『なんだ!! 家では名前で呼んでんのか!?』
『バレちゃったっ……でも、もう取り繕ってられないもん!! こんなもの魅せられて――猫被りなんかできるはずないでしょ!!!』
『はっ、違いねえ!! 王国最強か、元チャンピオンか――どっちが勝っても!! ああ、闘剣ってのぁ面白ぇ!!!!!!』
実況解説は"燃料"だ。
それを自覚しての、適切なタイミングでの適切な投下。
その手腕は流石"経営者"と言わんばかりの実力を見せ、しかしてその"演技"は最早ただの本心だ。
渇望をそのまま声にして、隠すことなど何もない裸の心をスペクタクラに響かせる。
「フウタ!」
「フウタ――!」
「フウタ!!」
「王女様!」
「姫様!」
「殿下!!」
もはや合唱と化した熱量は、たった2人の剣士に向かってぶつけられる。
炉の鉄を丹精込めて打つように、闘剣の歌は響き続ける。
だからこそ。
「これで決めます、ライラック様――!!」
イズナが告げたように、勝負というのは一瞬だ。
「来なさい――!」
かつての己を模倣したフウタの技。
それだけなら自らの下位互換として捌けるはずだった。
分かっている、ただの模倣ですら上回られるのだから、かつての己だろうとその上位互換として相対されると。
けれど、だからこそかつての己となら五分にまで持ち込めると考えた。
実際それは正しくて、ここまでは互角の戦いを演じられた。
だから、フウタが攻勢に出たのは半ば無理やりだ。
防戦を重視し鍛錬を積んでいた、かつての己。命を守ることを最優先としていたあの日の自分をどれほど鍛えようと、今の"闘剣"を志した自分と比べれば攻撃の技は劣るのだ。
勝ちたいと願い、じり貧を避けて勝負を挑んできたフウタは、身体をひねって刺突を放つ。
《模倣:ライラック・M・ファンギーニ=宮廷我流剣術:雷霆》
「――それを、待っていました!!」
攻めに転じたフウタの剣を、ライラックは刺突剣で待ち構える。
リーチの差は即ち刺突の差だ。
出だしがたとえ遅れようと、その剣の長さでカバーできる。
だからこそ、全力の刺突こそ最大の罠。
『それは無茶だフウタ!!』
だからイズナさえ声を張り上げた。
フウタの腹部に迫るライラックのコンツェシュ。
自らのそれは、未だ放つ道半ば。
このままでは届かない、分かっていた。
フウタに声援を送っていた側から悲鳴じみた声が上がる。
ライラックの放つコンツェシュが、フウタの下を掻い潜り、突き付けられんとする――その瞬間だった。
《模倣:ライラック・M・ファンギーニ=王国宮廷剣術:雪》
はたき落としからの。
蹴り穿ち。
時が止まったかのように、一瞬の沈黙がスペクタクラを支配する。
もうダメかと思わせてからの、起死回生の一手。
「なっ――」
「すみません、ライラック様」
出来るはずがない。ライラックの頭が真っ白になる。
しかし彼女の冴えは流石と言うべきか。何故こんなことが起きたのか、その答えをすぐさま弾き出した。
――かつての己を模倣したフウタだから、ここまでは互角の戦いを演じられた。
そう、フウタが思わせていた。
いったい何故、フウタの方が小細工を弄さないと決めつけていた?
「これが、俺の"全力"です」
思えば。
彼とは"手合わせ"は何度もしたけれど。
全力の"試合"をしたのは、これが初めてだった――。
『わあああああああああああああああああああああああああ!!』
沸き起こるは大歓声。
『マッジかよおい、ああくそ俺も騙された!! あいつ、ここまで隠してやがったのか!!!』
『――これは、なるほど。想定外です』
解説席も大騒ぎとなれば、観客席が一瞬の熱からさらに沸き立たないはずがない。
大興奮の熱狂は、今の攻防に対する熱。
つまり。
実況席の少女だけは、気付いた。
「ぁ……」
折れた剣を突き付け、ライラックに向けるフウタ。
レフェリーたるミオンが手を振り上げ、宣言を叫ぶその瞬間。
『勝者――フウタ・ポモドーロ!!』
「っしゃああああああああ!!」
「勝ったあああああああああああああ!!」
「フウタああああああああああああ!!」
彼に向けられる声援は確かに。
「6割……」
「いえ。パスタ・ポモドーロ」
呟く彼女に掛かる声。恐る恐る振り向けば、解説の少女がこちらを見つめていた。
「観客の声援。おそらくはフウタ・ポモドーロに対するそれは――7割を僅かに越えました」
「っ――」
鳴りやまぬフウタコールの中。
思わずフィールドへともう一度目を向けた彼女の瞳から奔る雫に、イズナは軽く肩を竦めて、モチすけと連れ立って席を立つ。
「――フウタっ」
魔導器に手を翳すことも忘れて上げたその声が届いたかどうかは分からないけれど。
彼は顔を上げ、目を合わせて。
愚直に、勝っても感情を出すなというのを守っているのだろう。
無表情のままの彼がする、小さな仕草。
「だっさいなぁ……なにあれ」
いつかを思い出して、彼女はフウタを笑った。
今度は互いに目を合わせたまま。
目元を拭って応えるように、合わせて親指を突き立てた。
ずぶ濡れの雨の中。
小さなスラムの赤髪の少女が泣いていた。
お腹がすいて、泣いていた。
彼女はずっと泣いて、泣いて、泣き腫らして。
ふと、雨粒が庇に遮られた。
顔を上げると、1人の青年が傘を差しだしていた。
そして彼は、懐からそっとパンを差し出した。
「くれるの……?」
ゆっくりと顎を引く彼は言う。
せめてもの恩返しになれば、と。
そんなことない、と小さな少女は首を振った。
これだけで、十分。
大事そうにその温かなパンを抱きしめて。
「……ありがと」
笑い、嗤い、哂うだけだった少女が。
――初めて、咲った。
勝利の味は、格別だった。





