53 じゅんけっしょう だいいちしあい も おわらない!
――その日は雨が降っていた。
寂れた街の北端にある、雨露凌ぎ程度にしか使えない廃教会。
その講堂で、さあさあと降り注ぐ雨の中、2人の少女が向き合っていた。
「"契約"をしましょう。試合で人を殺めぬよう」
「お断りいたしますわ。わたくしが殺されかけた時に、何の抵抗も出来ないではありませんか。それとも――貴女が連帯で死んでくださる?」
「それはお断りします。貴女と試合になった時が面倒です」
「そうですの」
軽く息を整えた銀の少女と、髪を払う金の少女。
銀の少女が持ち掛けた取引は、概ね話として纏まった。
大会へのエントリー、および彼女のこの王都での立場を用意する代わりに、銀の少女の計画に手を貸せという代物。
貴族に追われる身の上であった彼女にとっては、特に断る理由のない取引であった。
ただ、逆に受ける理由もない取引でもある。
問題は――フウタ1人。
「困りましたね……」
「そうですわね」
心底悩むような素振りを見せる銀の少女を正面に、金の少女はどこか投げやりだ。
目の前の女はただ焦らしているだけ。困ったなどといって、譲歩する余地を削っているだけ。
ならば、と金の少女は拳を握った。
「貴女をここで殺めても、フウタが飛んでくるのでは?」
「わたしが今、貴女と真っ当に戦う理由がありません」
「……」
軽く揺さぶってみても、「殺しに来るなら逃走するまで」と簡単な言葉が返ってくるだけ。その後で討伐隊を組まれて、自分は終わりだ。
言ってみただけだとばかりに肩を竦めて見せれば、銀の少女はそっと自らの唇を撫でる。
「本選に進めば、フウタと当たることも可能でしょう。それで手を打ってはくれませんか?」
「……悪くはありませんけれど、面倒ですわ。一回戦で当ててくださらない? そのくらいの仕込みは出来るでしょう?」
貴女が主催者なのだから。
しかしその問いに、銀の少女はゆるゆると首を振った。
どこか優しげにさえ見える慈愛の表情に、金の少女は片眉を上げる。
「わたしが欲しいのは、"優勝"の称号ではなく"チャンピオン"ですので。そこに主催者として仕込みを入れることだけは、しません」
「なぜ?」
「それを貴女に教える理由は、ありませんね」
――闘技場スペクタクラ。
「随分と迂闊な行動に出たな。殺気が駄々洩れだぞ」
「くっひひっ……!!」
「うわぁ……」
『つ、』
その光景に、観客から歓声が沸き起こる。
『つかんだーーーー!?』
正面から飛び掛かった少女が、まるで熊の爪が如く振るった腕。
それをリヒターはグラディウスを持たない左手が掴み取った。
俯き気味の顔を上げれば、不気味なくらいに愉快そうに笑うアイルーンの表情。
思わず引いた顔のリヒターはしかし、右手のグラディウスを力強く握りしめる。
「《鎮魂歌》だったか。確かに、体勢を崩した状態で襲われれば僕とて危うかったが……これは何の冗談だ?」
「冗談?」
掴み掛ろうとした右手。抑えつける左手。
拮抗した膂力が軋み震え、今にも均衡が崩れんとするその状況。
『お、お兄ちゃん?』
ただ、その膠着状態を――眉をひそめて見守っているのが、解説席から乗り出しかけたままのフウタだった。
考えてみればおかしな話だ。
リヒターは危なげなく《鎮魂歌》を掴み取った。
ならばどうしてフウタはこんなにも心配そうな顔をして、飛び出そうとしたのか。
《鎮魂歌》が放たれることが想定外だった?
『……お兄ちゃん、リヒターがあれ避けられないと思ったの?』
『いや。リヒターさんは殺気には敏感だ。真正面から何のフェイントもなく飛んできた《鎮魂歌》に対応できないとは思ってない……ただ』
『ただ?』
そう。決闘術を学び、戦場にも何度も出たことのあるリヒターは、殺気というものには敏い。
逆に言えば、殺すことも害することも考えていない不意打ちモッピングなどは当たり前のように喰らってしまうので、これも天敵たる所以かもしれないが。
『――もしも鋭いというのなら。今も、警戒はしているはずだと信じよう』
『え、なに、それ。それってまだ』
――終わってないってこと?
思わず呟くパスタの言葉に、観客の注目はフィールドの均衡へと移る。
ぐぐぐ、と力押し同士の膠着はしかし、いつまで続くのかと心配になったところで――動きが出た。
その瞬間、わっと歓声が上がった。
「ぐ、ぁああああああああ!!」
腕を掴まれたままのアイルーンが――その手にぶら下がるようにして両足を地面から離し――そのままタコか何かのように素早く足を絡ませ、リヒターの首を締めあげた。
同時に掴まれていた腕の力が緩んだのをいいことに、腕ひしぎの関節まで極める完全な関節技。
「あはっあはははははははは!!!!!」
《狂想曲》
三角を作るように首を締めあげる足。
両腕で引っ張り、逆関節を極める左腕。
『――アイルーンの真価は、こっちだ』
『こっち……?』
『アイルーン・B・スマイルズは、《鎮魂歌》という強烈な技の印象で知られてたけど、あいつの本領はそんなもんじゃない。肉体を使った技の引き出しの数。どんな状況からでも自分の攻撃へ移すそのやり口こそが、アイルーンの強さ』
――力が、入らない。
呼吸すら危うい状況で、完全に上を向いてしまっていて状況が見えない。
左腕に走る激痛と、掴まれている感触。そしてリヒター自身が感じている妙な重量から想定すると、完全にアイルーンに取りつかれていると考えるのが早そうだ。
だがいったいどうなっている。
右腕を掴んでいたところから、どうやったら一瞬でこんなことになる。
最後の記憶は彼女の足裏が目の前に迫ったところ。
回避したと思ったら、絡みつかれていた。
ぐらり、と力の入らなくなった足が膝をつく。
「あははははははははは!!!!」
そうなると頭の回転で勝負するしかない。
徐々に力を失っていく四肢の感覚。それはグラディウスを握った右腕も同じこと。
ならばいっそ、"今の内"に斬りつける――。
――その、つもりだった。
『――あいつに関節を取られたら、すぐにでも攻撃に転じるべきだ。そうでないと』
『でないと……?』
「あ゛はァ……」
極められていた左腕の感覚がなくなる。
首に組み付かれた足を軸に、まるで振り子のようにアイルーンはリヒターの背に回った。
左腕を後ろに引っ張り上げたまま、右腕も同じように逆関節を極める。
首を足で締め、両腕を完全に取られた形、まるで両翼を摘まみ上げられた蝶のように、リヒターの攻撃手段は奪われる。
「こ、この女……」
「タノシイ……タノシイ゛……!!」
「えぇ……?」
呼吸がおぼつかなくなった今でも、常識人としての心は忘れない。
空気を欲しがった口がぱくぱくと無意識に動き、ちかちかと視界に陰りが起きる。
頭の中を埋め尽くす、苦しい、という感覚。
このまま意識を失ってしまえば己の敗北だ。
ただ。
思わず口角が緩んだ。
この女は、"分かっていない"。
「意地ってもんを……分かって……ないな……!!」
「はい?」
彼女がどんな表情をしているのかは、自分からは見えない。
けれど、別になんでも構わない。
――苦しい。辛い。負けたくない。
きっと、あいつは今の自分以上に――悔しい想いをしたのだろう。
ならばそれを覆してこその、高貴なる者。
「悪いが……僕は相手が女でも……容赦は、しない……!!」
そんなことをわざわざ言っている時点で、いつもの甘さが抜けきっていないのがリヒター・L・クリンブルームという男ではある。
覚悟を決めなければそう出来ない時点で、いつものリヒター・L・クリンブルームでもある。
だが、それでも。
果たすべき時に、果たすべき役割を果たすのが、貴族としての誇り。
「おおおおおおお!!」
アイルーンを伴っての跳躍は、受け身を考えない勢い任せ。
そして落下は――背中から。
つまりアイルーンを押しつぶすように叩き落とす。
「――なるほど?」
だが彼の企みは実を結ぶことはなかった。
全力の泥臭いボディプレスじみた行動など、アイルーンにとっては止まって見える。
するりとリヒターの身体から四肢をほどき、落下を免れるようにハンドスプリングからの着地。
対してリヒターはモロに背中から落っこちた。
「"貴族"が随分と、泥にまみれるものですわね」
「げほっ……ごほっ……違うな……」
「?」
またしても呼吸を奪われるような衝撃にせき込むリヒター。
だが――これで苦しさは無くなった。
「"貴族"だから、泥の中で足掻くんだ。ましてやそれが――」
首元を緩めるように、シャツのボタンを外して彼は言う。
「苦しい泥に溺れた身内を救うためなら、当然だ」
「……身内」
「ああ」
片眉をあげ、未だに違和感を訴える喉を押さえながら彼は観客席をぐるりと見渡す。
「全員の顔までは、覚えられんが」
「それを身内とは――」
「呼ぶんだよ。"貴族"っていうのは。ただ、まあ。今回はその中でも随分僕に近いヤツをやってくれたものだから。容赦はしない」
ぶん、と景気づけにリヒターはグラディウスを振るう。
そんな彼を、目を細めて見つめるアイルーン。
「……傲慢ですわね。権利ばかりを主張して、義務をおろそかにする連中は皆」
「何が言いたい」
「いえ――愉しい戦いには不要の感情ですわ」
目を閉じればゆうに想い出せる劣悪な環境下。
残飯とも呼べぬような餌を同じ屋根の下で奪い合い、"職業"もへったくれもない"子供"としての価値のみを下劣に貪られた日々。
搾取するだけだった"貴族"が、"権利"とはよく言ったものだ。
「別に何でも構いませんわ。貴方の誇りとやらも、わたくしにとっては興味のないこと。わたくしの興味は、そのグラディウスだけ」
「そうか。別に何でも構わんが」
す、とグラディウスを構えた男は告げる。
「"民"として助けて欲しい時は言え」
「――っ!」
ぎり、と歯を軋ませるような鈍い音と共に。
「今更何を――!!」
だん、と石畳を抉るような蹴りからの突貫。
凄まじい速度で構えられた拳に、リヒターは冷静に対処する。
グラディウスを振るい、それを弾いた。
だが。
「同じことを繰り返すのは、いただけませんわね」
「なにっ」
《夜想曲》
首に腕を絡みつけて、勢いのままに石畳へと叩き落とすネックブリーカー。
プリムであれば十字鎗で持ちこたえたそれは、リヒターでは対処しようがない。
またしても首を狙われ、地面に倒れたリヒターの背筋が粟立つ。
転がっての回避は果たして正解。彼の今まで居たところを、強烈な踵落としが打ち砕く。
破片が舞う中で起き上がった彼の目前に迫る靴裏を、紙一重で回避。
けれど。
『ああ、またこれって!!』
思わず叫んだパスタの声は、届かない。
『足を回避されるのは、アイルーンにとっては次の技への繋ぎでしかないんだ。だが』
《狂想曲》
ぐるん、と足がまた首に絡みつく。
足を使っての完全なチョークスリーパー。
『――あんただって、同じことの繰り返しは対応できるだろう』
眼下に見据えるリヒターを見下ろし、フウタは呟く。
今となっては言う必要はないが。
彼女の《狂想曲》は、5人ほどの首の骨を折っている。
決して《鎮魂歌》だけが対戦相手を殺めてきたわけではないのだ。
だからこその不安はしかし、リヒターが自力で打開した。
おまけにアイルーンに挑発までしているらしいとなれば、フウタとしても口角が緩む。
もっとも、挑発は無意識だが。
「おおおおおおおお!!」
「っ!?」
足が首に絡まるかどうか、という一瞬のタイミングで、リヒターは両手でグラディウスを握りしめると、自刃でもするかのように己の首目掛けて剣を突き刺す。
となれば、首よりも先に絡まっている足に刃が届くのは必然。
不味いと察したアイルーンはすぐさまその足を解くが――グラディウスの刃がその太ももを決して浅くはない程度に切り裂いた。
「っ――!!!!」
声にならない声を上げるアイルーンとは別に、リヒターはそれでも次の攻撃に備えて身構える。
あの女が、"その程度"の痛み程度で止まるはずがないのだから。
けれどその予想に反して、リヒターへの攻撃は止まった。
ぽた、ぽた。と血の垂れる音。
リヒターは表情を歪めた。
『おいおいリヒターさん。ここまでカッコつけておいて、忘れたんじゃなかろうな』
フウタの声は、もちろんリヒターには届かない。
『アイルーンは、自分の血見ると……もう止まんないぞ』
――あ゛は゛っ゛。
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これは凄いぞなレビューせんきゅー!
でも感想返しは気まぐれよ!





