35 おうじょ の いつもの
――翌朝。闘技場スペクタクラ。
既に観客は超満員。やいのやいのと飛ぶ野次の中には、予選を生き残った選手に対する応援も響き渡る。
コロッセオ時代によく表現された"地鳴りのような歓声"とはまた別物の、どこか優しい声援が多い気がするのは、国民性なのか、或いはそこまでの熱をまだ持ち合わせていないのか。
フウタには判断できかねるところではあったものの、解説席から背後にぐるりと見渡す限り、空席なんて1つも見えなかった。
これがフウタとパスタの功績、というわけではないだろう。
1日で客が帰ってくるようなら簡単だ。
きっと多くの偶然や多くの施策が重なって、こうして客の入りを維持できている。
あとは昨日と同じように、やってきた人に"楽しかった"と、"また来たい"と、そう思って貰えるように頑張るだけ。
「……ふぅ」
息を吐いた。
昨日は確かに好評だった。だがそれは、ただの"解説兄貴"としてだ。
――今日は、試合がある。
チャンピオン・フウタではなく、フウタ・ポモドーロとしての初めての試合が。
対戦相手ももう分かっている。
その上で、果たして自分は、このスペクタクラに貢献できるのか。
信じるべき相手との仲は、修復されていないまま。
でも。
『俺の勝ちを、あいつの勝ちにしてやりたい。いや、俺たちの勝ちにしたい』
その気持ちは本物だ。
きっと口では信じて貰えないだろうから、行動で示すしかないけれど。
行動で示す。
それは、王都にやってきてから、何度も積み上げてきたものだ。
ぐ、と前を向いた。
バトルフィールドは無人。
だが、そのフィールド上に浮かび上がる文字があった。
『本選開会式』
ぐるりとフィールドを囲むように見下ろす観客たちの、誰もがしっかりと見えるように。ゆっくりと文字は、バトルフィールドの中心を起点にくるくる回り続けていた。
あれもきっと、宮廷魔導師の"魔導"なのだろう。
ライラックが協力を取り付けたという人物について、未だフウタは知ることも無かったが。
いつか、会うこともあるのだろうか。
「――あ、お兄ちゃんごめんね、遅くなっちゃったっ」
その時だった。ふらりと現れた赤髪の少女が、流れるような動作で席についたのは。
既に芝居モード入っているのか、と少し驚くフウタ。
とはいえ、一日目とは違い注目している人も居るだろう。
会話の中でさりげなく交わす言葉ならまだしも、身振り手振りや表情から芝居を見抜かれてしまっては困る。
幸いというべきか、フウタはそこまで演技をする必要はないが、彼女の一挙手一投足に過敏な反応をしてしまっては、彼女の努力が台無しだ。
そう、少し落ち着いて隣を見れば。
外套の下に抱えていたらしいスクロールや、魔導器のチェックなどさくさくと準備を進めていた。
視線に気づき、彼女の蒼い瞳が目だけで振り返る。
「どうしたの、お兄ちゃんっ。今日も頑張ろうねっ」
フウタは、一瞬目を閉じて頷く。
「――ああ」
どうやら。今日は――或いは今日からは、だろうか。この場所では一切仮面を脱ぐことはないらしい。
微妙な空気が周囲に伝わるよりはよほどいいと判断したのか。それとも、ビジネスパートナーとしての距離感を明確に保つためか。
いずれにせよ、強く壁を感じたフウタの感性は、おそらく間違ってはいないのだろう。
「もう、緊張してるの? 変なお兄ちゃん」
軽口宜しく仲良し兄妹の会話を続ける彼女は既に視線からフウタを外していた。まるで意図的に排除しているかのように。
――これは見せかけだけの仲。
――あんたとはこのくらいの距離感で。
そう直に伝えるような振る舞いに、フウタは少し目を細めた。
確かに、自分の想いなんて口で言っても伝わらないし、戯言だと叩き落とされることだろう。
けれど、実行すると決めたことなら、後で真実になるのなら。
これもいつだって同じことをやってきた。
「俺たちの勝ちを、取りに行くぞ」
「――っ」
その返答は、果たして無視であった。
だが、どうやら感情は揺さぶられたようで。
一瞬、不快そうに歪めた口角をフウタは見逃さなかったし、
「ほら、貴方のお姫様の演説が始まるよ」
その一言に込められた険に、どうしてかフウタは少し安心した。
まだ、完全にシャットアウトされたわけではなさそうだと。
「俺だけのじゃねえよ」
だからそう言って、魔導器に手を翳した。
準備は、万端だ。
『――皆さん、良い日よりですね』
にこ、と柔らかな慈愛の笑みは大衆の意識を一瞬で自らに集める彼女の業。
姉妹揃って完全に芝居モードであることはさておき、フウタが見つめる先のバトルフィールドで、少女は躍動する。
身に纏うは、武闘大会開会式のようなドレスではなく、フウタとの稽古で愛用する軽鎧姿。
腰にはコンツェシュを差したその出で立ちに、否応なく観客たちも気が付くのだ。
今日は、彼女の試合もあるのだと。
だからこそ声援は加速する。ただ一言の挨拶に、過剰なほどに。
観客たちの熱に応え、しばらく手を振っていた彼女は、少し困ったように告げた。
『えーと、そろそろ、その、お話を』
瞬間、柔らかに空気がはじける。先の熱はどこへやら、可愛らしい王女を見つめるものに。
その空隙にするりと入り込む、彼女の弁舌。
『闘技場スペクタクラ、第一回武闘大会。開催までも、そしてこの本選までも、多くの障害がありました』
胸に手を当てる彼女。
ふとフウタが気付いたのは、彼女の先。つまりちょうど反対側の優待席。貴族や王都議員、出資者が招かれるその場所には、以前はコンラッドも並んでいた。
当然ながら彼の姿はない。
だが、どうにも貴族たちは彼女の言葉に賛同するかのように深く頷いていた。
多くの障害。そう聞いてまずフウタが思い当たるのは、さきの連続殺人鬼だが。
『――事件が解決に導かれた今、こうして皆さんにもお伝えすることが出来ます。実は、最近王都では治安を揺るがす悪い人が居ました』
聞いたことのある人間は、隣の知らぬ人間に訳知り顔で説明する。
知らぬ者は、周囲を見渡して知る者を探す。
悪い人、治安を乱す。そう聞けば、王都にこうして今生きている者である以上、気にならないと言えば嘘になる。
『そのせいで、この大会は一度中止寸前にまで追い込まれました。決断は、予選開始の2日前。もしも中止になっていれば、きっと遠方から旅をしてきてくれた方などは、酷く気落ちする結果になっていたでしょう。――わたしは、それが許せなかった』
ぐ、と胸元を握りしめ、深刻そうな表情の彼女。
なるほど、御前試合の時とは違い、声を張らずともよく響く。
パスタは内心白けながらも、昨日のことに怯えるような表情を作ってちょこんと着席していた。
利益を天秤にかければ、またしてもあの女の策に乗っておいた方が良いのだから。
かわいそうなパスタちゃん。同情票だって逃さない。
『ですから、手を尽くしてその悪い人を捕まえようとしたのです。結果として、さる貴族が"捕まえた"と報告をしてくれました。わたしはほっとしましたし、予選を開催することが出来たのです!』
おお、と観客がどよめく。
――ああ、確かに。
彼の功績は本選のこの場所にて大いに公表された。
彼が願った通りに。
『ですが。……それは、かの者の敷いた罠だったのです』
しん、と静まり返った夜の湖に、語り部が腰かけ滔々と物語を紡ぐように。
彼女の言葉は、この大観衆の中で染み渡る。
『昨日のことです。皆さんも記憶に新しいでしょう。――実況解説を買って出てくれたパスタ・ポモドーロがその悪い人、いえ、悪い人たちに狙われました』
ここに来ての複数形。
どういうことだ、と首をひねるも、彼らが答えを持ち合わせているわけではない。
昨日のことなど初耳だ。
『妹を探すフウタ・ポモドーロに合流し、わたしたちが駆け付けた時、そこに真実が待ち受けていました』
それは、と置く一拍。
押し黙る観衆。
『悪い人――いえ、この際言ってしまいましょう。"殺人鬼"として指名手配されていた人は、実は捕まっていなかった。いえ、そればかりか、彼女は冤罪だったのです』
『にも拘わらず、わたしに殺人鬼の来訪と武闘大会中止を申し出た貴族の男は、自分が捕まえたと吹聴したばかりか――元から、自分のしでかしたことを彼女になすりつけ、裏で処分するつもりでいた』
『彼女は、王都を――いえ、王国を嫌っても良かった。気付けば無差別殺人鬼として手配されていたのです。怒りに任せて何をしでかしたっておかしくはない。ないはずなのに――わたしが目にしたのは、パスタ・ポモドーロを窮地から救う彼女の姿でした』
『彼女の名は、本人の希望により伏せさせていただきます』
ここまでくると、王都の裏側で起きていた物語に誰しもが気付く。
まるで英雄譚だ。
そして当然というべきか、怒りは好き放題を繰り返した"貴族"に向く。
『皆さんの怒りは分かります。貴族として国を守るべき存在の悪事ではないかと。ただ、どうか。どうか聞いてください。彼――コンラッド・A・イーストウッドの所業は、即ち貴族を統べるわたしたち王族の責任です』
落ち込んだように呟きながら、さらりと漏れ出た実名。
『けれど! お父様は! お父様に従う、貴族の方々皆がこうではありません! "だからこそ"こうして今、わたしは皆さんに真実を話せている!』
『どうか信じてください。捕縛したコンラッドの実家、イーストウッド家は王国で長い歴史を持つ家柄。漏れ出た不祥事をもみ消そうとしたって不思議ではない。けれど、お父様も、他の貴族の皆もそうはしなかった。誠実に王都と向き合い、狂乱の殺人鬼を、長年に渡り国を支えてきた屋台骨の1つであっても容赦なく叩き折った。これは、皆さんへの誠意なのです』
昨日の今日、ということが説得力を加速させる。
致し方のないことではあったのだ。
"何故か"錯乱したコンラッドは、今までの自らの主張を全て翻し、皆が皆王女の仕組んだ罠であると騒ぎ始めたのだ。
間違いなく彼女は"奸雄"であり、自分はハメられただけだと。
そう叫ぶ彼の家から出るわ出るわ拷問器具や遺体の数々。
まともに証言をしていれば、まだ昨日の今日でこんなに彼をつるし上げることも出来なかっただろうに、酷いありさまだ。
彼女が"奸雄"として覚醒することを何より嫌う国王や、裏で王女とともに甘い汁をちゅーちゅーしている貴族たちは一斉にコンラッドを見捨てた。
ついでにイーストウッド家という名家の持つ財や資産も抑えられるということなのだ、大変うま味である。
『ですから、そう。"おかげで武闘大会は無事開催することが出来ました"』
その感謝は、王族貴族、そして観客に対する者なのか。
それとも――。
『これからも、少数の悪い人によって、多くの無辜の民が迷惑を被る。そういったことがあるかもしれません。ですが王都は一丸となり、脅威に立ち向かいたい。今回はわたしたちの落ち度で皆さんを不安にしてしまったこと、とても申し訳なく思っております』
『また、この一件で亡くなってしまった方々に、祈りを捧げたいと思います。この場を借りて――御唱和ください』
この中に、知人が死んだ者も居るだろう。王都でも何度も子供が攫われ、殺されたのだ。
悔しさ、怒り、そういった感情はどうしてもある。
だからこそ、この場で。
いくらライラックとて、ここを計算に入れるようなことはしない。
貴族により弄ばれ惨殺された少女。果たして幼き日の自分はそれに立ち向かえただろうか。
きっと答えは否だ。
故にこそ。イーストウッドに、ライラック・M・ファンギーニが一切の容赦をすることはない。
『――弔葬の六花が、冥に福音をもたらさんことを』
王国の祈りを終えて、一度ライラックは息を吐いた。
『お付き合いいただいて、ありがとうございます。――では、本選の話に切り替えましょう!!』
外ならぬ王女の一声。
先の流れから決してすぐに切り替えることは出来ないだろうが、それでも最も上の人間がそう言った以上、自然と空気は弛緩していく。
すぐに盛り上げる必要はない。
徐々に熱をもって、このスペクタクラを満たす。
『ルールを説明しましょう。本選は1on1のトーナメント方式。試合の組み合わせは事前に抽選をしておりますが、一回戦は必ず予選通過者と優待枠が激突します』
予選通過者、という名を聞いて、観客たちの心に彼らの雄姿が甦る。
『つまり、わたしも今日は試合があります』
にこ、と微笑む王女の一言に、思い出したように会場は声を上げ始める。
『優待枠の方々の紹介は――試合の時まで待って貰いましょう。パスタ・ポモドーロがきっと今日も元気にやってくれるはずですから』
注目を浴びたと気付いたパスタが、曖昧な笑みを浮かべて手を振り返す。
昨日のことは怖かったけど、職務を全うするために頑張るよ。
そんな微笑ましい9歳児(偽)の健気ぶりに、もはやスペクタクラの陰鬱な空気は完全に消し去られた。
『――さぁ!!』
一声。
響き渡る声にもう一度、フィールドへと視線が集中。
拳を突き上げたライラックの声と共に、スペクタクラ外壁の仕掛けが全て作動。爆熱の光と音が会場を包み込む。
『武闘大会本選の開幕です!!』
その音に負けないくらいの大歓声が、王都に響き渡った。
ライラックがフィールドを後にした、それとほぼ同時のタイミング。
今度はライラックの透き通るような声色とは異なる、明るく愛らしい音がスペクタクラを満たした。
『さあさあお兄ちゃんお兄ちゃん!! 本選が始まるよ!!』
『そうだな』
『もー、お兄ちゃんったらこーんなに盛り上がってるのにぶあいそー!! ひょっとして疲れてるの? 大丈夫?』
『いや、そんなことはない』
『そっかそっか。昨日はあたしを捜して走り回ってくれたんだもんね。ごめんねっ』
『今必要な話かそれ』
昨日のアクシデントを経ても健気に振る舞う少女と、妹の為に必死になったにも関わらずつっけんどんな兄。
その構図に、やはりというべきか観衆は味方する。
やいのやいのと盛り上げるべく湧き上がる歓声の中、パスタは声を上げた。
『さてっと!! お兄ちゃん、あたしたちの手元には既に対戦カードが配られております!! もう第一試合が始まるけどさ!! ずばり!!』
声をあげる妹。
第一試合の始まりと、対戦カードという言葉にスペクタクラの空気はいよいよ闘剣へ向けて盛り上がる。
その熱を見計らい、試合直前に最大になるよう調整し、パスタは言葉を選んでぶつけていく。
『――今日の見所はどの試合だろ! いや、きっと全部凄いんだろうけど、お兄ちゃん的なイチオシを教えてよ!!』
解説兄貴のイチオシ。
決して彼の推す試合が優れているとは限らないし、ましてや彼の言動に対する信用は、1日だけでは築き切れてはいなかったものの。
早くも玄人ぶったり、闘剣や戦いというものに自信がある人間の間では既に解説兄貴の株はうなぎのぼりであった。
昨日のショップで盛り上がっていたようなおっさんたちを中心に、彼の言葉に耳を傾ける者は実は多い。
『本選の見所か。断言しても良い』
そんな彼からの、断言。
にわかにざわめくスペクタクラ。
『え、どれどれー?』
幼子のようにどれどれー、と聞きたいのはパスタだけではない。
だからこそ彼女の役割は必要だった。
『これから始まる、第一試合だ』
告げる眼下。
フィールドに魔導で映し出された試合カードに、内容を知っているパスタでさえ改めて「わぁ」と呟いた。
王都アイゼンハルト主催闘技場スペクタクラ建設記念、第一回武闘大会。
――本選、第一試合。
アイルーン・B・スマイルズ VS プリム・ランカスタ
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