32 フウタ は おうじょ と はなしている!
――日が落ちる前。闘技場スペクタクラ。
プリムと別れたフウタは、スペクタクラの内装を見て回っていた。
赤い斜陽に照らされた、誰も居ないフィールド。
静まり返って、足音が反響する廊下。
閉められた案内所や売店には、先ほどまで居たプリムたちの姿ももう無い。
ただ、その中を歩くフウタは不思議と、物悲しくなったりはしなかった。
観客の居ない闘技場なんて、もう少し記憶が呼び覚まされて、心が傷つくものと思っていた。
コロッセオ時代の胸の痛み、がなり立てる頭痛に魘され、答えの出ない暗闇に、死ねもしないのに溺れ続けていた、そんな記憶。
払拭されたわけではない。癒されただけだ。
だからもう少し、暗い気持ちになると思っていたのに、何故だろうか。
こんなにも、明日が待ち遠しいと。
闘技場で明日を楽しみに出来るのは。
「探したわよ」
背後からの声。
振り向けば、ちんちくりんな寸胴鍋が、フードを被ったままそこに居た。
「妹は良いのか?」
「誰も居ないじゃない。妹はもう閉店よ閉店。心が死ぬわ」
「ああ、そう。まあどんまい」
「あんたね」
はぁ、と小さくため息を吐く彼女から、フウタは視線をスペクタクラに巡らせる。
数日前、ライラックからの呼び出しの帰りに歩いた一般客席内部の通路。高いこの場所からは、バトルフィールドが一望できる。
もうじき沈む夕日に大きな影を作って、それはそれで綺麗だった。
「じゃあ、帰るか」
闘技場を見て回っていたのは、彼女の命令だ。
帰りがてらその話をして、明日からの本選に備えて。そんなロードマップが、フウタの中では既に構築されていた。
ただ、パスタは首を振る。
「おあいにくさま。あんたは呼び出しよ。ライラックが控室で呼んでる」
「先に言えよ」
「あんたが無駄話始めたんでしょ」
「俺のせいかよ」
「そーよ」
――あんたのせいよ。
にや、と口角を上げて見せる。
ライラックの呼び出しと聞いたらすっ飛んでいくだろうから、面白がって伏せていただけのこと。ただそれだけだ。
だから、すぐさま走っていくだろうと思っていた。
「じゃあ、今日見て回った話は夜にでもするか?」
「……そうね。帰って来られたらね」
「俺帰って来れねえのかよ」
「本望でしょ」
「どういう意味だ」
――目の前の大きな身体は、自分から背を向けないまま。
「早く行けば? 普段だったら犬みたいに駆けていくでしょ」
「俺そんな風に思われてたの? そりゃライラック様を待たせるわけにいかないけど」
「けど、なに?」
本気で彼が足を止める理由が分からなくて、珍しく純粋に小首を傾げた。
まさか見送るなんて殊勝なことを言い出すはずもない。毎日、ライラックからの呼び出しの帰りは1人だ。目立たないようにというのもある。
かといって一緒に行こうというのもないだろう。ライラックがフウタ1人を呼びつけているのだ。背く彼ではない。
だとすると、今日見て回った話とやらを、すぐにしたい、とか?
子供か。
鼻で笑ってその考えを否定するパスタだが――案外と。その答えが、実は的を得ていた。
「ありがとうな」
「は? 何が?」
何の礼だ、と彼の目を見れば、しかし視線の先にはパスタではなく、スペクタクラの優待席付近。おそらく映っているのは、彼女と一緒に並んで喋った解説席。
「俺1人じゃ、あんなこと絶対に思いつかなかった」
「当然でしょ。こっちはあんた使ってスペクタクラそのもの以上に金儲けしてやるっつってんのよ。頭使うのはあたしに任せて、きりきり働きゃいいの」
「――そうだな」
「嫌に素直ね。気持ち悪い」
「お前ほんとに一言余計だな……」
呆れたような視線がパスタに移る。呆れたいのはこちらの話だとパスタは腕を組んだ。
そもそも、これが自分の仕事だ。フウタという素材をどれだけ人気の商品に仕立て上げるか。そこに一切の妥協はない。金儲けの為、オルバ商会の為、せいぜい金の生る木であり続けて貰わねば、こちらが困るというもの。
だいたい、礼を言われるような関係ではないはずだ。
利害の一致で動いているビジネスパートナーに、随分と入れ込み過ぎではないか。
そう言って、もう一度改めて突き放してやろうかと思ったその時だった。
「――初めて、人に囲まれた」
その呟きの重さが、伝わってしまった。
聞いてしまっていた"過去"が。このスペクタクラに懸ける彼の思いが。分かってしまっていたから。
「思っていたような対応とか全然出来なくて、改めてプリムがすげえと思ったんだけどさ。いや、そんなことは良いんだ。ただ、お前のおかげで一歩近づけた気がするからさ。もっとうまく解説? が出来るように頑張るよ。……言いたいのはそれだけだ」
「……」
ライラックのところに急ぎたいのも本音ではあるのだろう。
あとはまた夜にでも、と踵を返した彼は、どうやらこちらの返事はどうでもいいらしい。
はっ、と胸の内にこみ上げたものを吐きだすように息を吐いて。
「何を恩に着ちゃってるわけ? あたしはあんたの大好きなクソ女の味方じゃないわ。ほいほい恩義なんか感じてたら――後悔するわよ」
精一杯の言葉だった。
なのに背を向けた彼は、まるでどうでもいいと言うように、振り返りすらせずにひらひらと手を振って走っていく。
ああ、蹴り飛ばしてやりたい。あの背中。
大きく息を吸い込んで、彼女は叫んだ。
「フウタ!!」
いつも通りの不遜な表情を無理くり浮かべて、彼女は自信満々に言い放つ。
「明日から忙しくなるわよ!!!」
さっきは見向きもしなかった男が、振り返って親指を突き立てた。
「――だっさいなぁ。なにあれ」
チャンピオンにするにはあまりにも魅力に欠ける。
その辺りの振舞いも考えなければと、あれこれ考えながら帰路についた彼女は――
数ミニトもしないうちに、追われる身となった。
「ライラック様。フウタです」
「どうぞ」
選手控室の1つに、ライラックの姿はあった。
何故この場所を選んだのかは、フウタには分からなかったが。だからといって別に問う理由もなかった。
控室の静けさは、試合前のそれとは違い張りつめた空気もない。
戦いの終わり、弛緩した闘技場と同様に、夕日の差し込むほんのわずかな寂しい雰囲気。
ゆったりと長いすに腰かける彼女は、いつも通り振り返ってフウタを出迎えた。
その手に持つカップは、空だった。
「紅茶、淹れてきましょうか?」
「いえ。結構ですよ」
珍しく首を振る彼女に、そうですかと断りを入れて。
「掛けてください」
「――では」
ぽんと示されたのは隣。間を詰めすぎるのも気が引けて、ただ開けすぎても失礼で。迷った末の妥協点のようなところに腰を下ろすフウタ。
「なんだか、久しぶりな感じがしますね」
「ふふ。スペクタクラの事業を立ち上げる間は、やはり目的に邁進しなければなりませんでしたから。お互いに」
「そうですね。……最初、パスタと組めって言われた時はどうしようかと思いましたけど」
「悪くない案だったでしょう?」
「はい。……本当に」
しみじみと頷くフウタ。
元はと言えばライラックの采配によって、無理やり組まされた2人。
最初のうちは酷いものであったし、不仲が祟って揉め事を起こしたこともしばしばあった。
ただ、それでも互いの努力を知った今は。
「どうですか。この先」
す、と視線がフウタへと向けられる。
何故だろうか。
なんてことのない会話のはずなのに、知れずフウタは息をのんだ。
まるで、間違えてはいけない選択肢を突き付けられているかのようなこの張りつめた空気は、興行の終わったスペクタクラにはおよそ似つかわしくないもので。
「――1人でも、やっていけそうですか?」
その問いが何を言っているのか、一瞬分からなかった。
1人でもやっていく、つまり、パスタが隣に居なくてもいいかどうか。
「それは」
実のところ。
フウタは、パスタの"実況"という立ち位置の有難さを、いまいち理解していなかった。
解説をしろと言われたところで、その通りに答えていただけ。
もしかしたら1人、或いはパスタ以外の人間があの席に座っていても、同じことは出来るかもしれない。
それこそ、コローナが隣に居たら楽しそうだ。
そんなことを夢想するくらいには、実況という立場をある種、軽視していたと言ってもいい。
仕方のないことではある。
パスタがどんなに頑張っても武人の凄さを肌で感じられないように、"経営者"たる彼女の領分でどんな曲芸を見せたとしても、理解することは出来ない。
そういう意味ではある種、彼女の実況がどう優れているか"解説"してくれる人でも居れば、また話は変わったのだろうが、所詮はたらればだ。
言ってしまえばフウタは、確かに実況の席に座るのがパスタ以外でも、別に良かった。
だから。
「――無理ですね。あいつじゃないと、俺は多分何も出来ません」
素直な気持ちを、そう告げた。
ライラックは、細まっていた瞳を僅かに見開く。
「聞きましょうか」
「正直、俺に実況はよく分かりません。あいつ以外でも、状況が見られる人ならうまくやってくれるのかなって、思います」
フウタには分からない領域で、彼女が戦っていると知っている。
フウタが寝こけている間、書斎に閉じこもっていた彼女を知っている。
フウタが語った"夢"を、小生意気に叶えようとしてくれている彼女を知っている。
「でも、きっとあいつじゃなかったら、俺はダメなんです。あいつが、本気で俺を頂点に届かせようとしてくれてるから、ようやく今俺は立ってる」
初めて人から歓声を浴びたのは、あいつの機転。
初めて金を取れると、闘剣士として見出したのは外ならぬあいつで。
初めて人に囲まれたのはきっと、言われるがままに立たされたから。
悔しいけれど。
そこに至るロジックをフウタは知らないし、この先も分からない。
ただ頼るわけではない。
彼女は言った。ビジネスパートナーとして対等であると。
これから先、フウタは今まで積み上げてきた全てを出して、彼女のお膳立てに応えなければならない。
本来進むことさえ出来なかった道を、整えてくれたなら。走るのは自分だ。胸を張って言おう。走るのは自分であると。
だが、胸を張れるのは。それだけは。
ライラックの前でも、コローナの前でもない。
「――あいつと組ませて貰えたから、俺はきっと"無職"でもやれるって証明できる。それは全部ライラック様のおかげです」
「です、か」
ライラックは、僅かに不愉快そうに眉をひそめた。
「正直なことを言えば、そう。……少し寂しいです」
「えっ」
「彼女とばかり、貴方が仲良しな気がして」
「あーいや……流石にその」
パスタ相手のような気楽さで、貴女と接することができるとでも?
そんな言葉は胸に仕舞って、フウタは首を振った。
「アレと一緒にするのはライラック様に無礼が過ぎるというか」
「姉妹なのに?」
「そんな言葉が出ます???」
ねじきれそうなほど傾げられた首に、ライラックは小さく嘆息すると、立ち上がった。
「分かりました。では行きましょうか」
「え、どちらに?」
――唐突に見える、彼女の言葉。
思わず顔を上げたフウタに、ライラックはこともなげに告げる。
「貴方の意見次第で、どうするか考えていたまで。やはり、同道して貰った方がよさそうです」
なにを、と言う前に、彼女は続けた。
「ちょっとした罠の為に、彼女には囮になって貰っています」
「囮――え、パスタが!?」
「はい。死んだら死んだで、と思っていましたが。貴方にとって必要なら、急ぎましょうか」
「ら、ライラック様!!」
囮。死んでも構わないとでも言いたげな表情。
それはまさしく、いつかと同じ。
結局のところ、ライラックのやっていることは今も昔も変わっていない。
「なんですか?」
――今から、血を分けた異母妹を酷い目に遭わせます。
――血を分けただけの他人など、どうなろうと知ったことではありません。
分かっている。
分かっては、いるから。ぐ、と奥歯を噛みしめる。
「……いえ。急ぎましょう。場所はどちらですか」
「第十二区画アイテール教会。まあ、今は廃教会ですが……アイルーンの根城ですよ」
――アイテール教会付近。路地。
ずりずりと。その女は、"ナニカ"を引きずっていた。
「夜散歩というには少し早い時間ではありますわね……かといって、優雅に行楽観光ご一行、というにはいささか物々しい」
多くの男たちを前に、一歩も退かないどころか。殺気を浴びてなお楽しげなその笑みは、まるで陽光に照らされた向日葵のよう。
「"アリア"……!」
身構えるコンラッドを先頭に、男たちも身構える。
彼らをまるで値踏みするようなぶしつけな視線は、おそらく"アリア"と呼ばれたが故。
「今日は教会の周りで楽しい行事があると聞いておりましたが……これはなかなか」
ぴしり、と路地の壁に罅。
具現化した闘気の発露が、風を纏って彼らを切りつけるように突き抜ける。
「おい……引き摺っているのは、なんだ」
「ああ、"これ"?」
どしゃ、と。水を含んだ袋をぶちまけたような音を立て、彼らの前に片手で放り出されたのは――上半身しかない死体だった。
「ベック!!!」
「お友達でしたの? デートを申し出になるものですから、つい興が乗ってしまって――気づけば、半分つでしたわ」
「貴様……何人の騎士を殺めれば気が済む……!」
「はい? 騎士?」
小首を傾げ、日傘を差したまま彼女は笑う。
「ああ……わたくし、戦士に区別は付けませんの。騎士だとか、傭兵だとか……つまらない区分だと思いませんこと? 人は皆それぞれ」
慈愛に満ちたような言い回しはしかし、歪に歪んだその表情から発されるだけで酷く不気味だ。
「剣を使う者、刀を使う者、拳を使う者、心の強い者そうでない者、誰一人同じ人はおりませんわ。騎士という札を貼られた者だけを特別扱いするのは、傲慢ではなくて?」
「黙れ!! お前さえ殺せばこっちのものだ!!」
叫ぶコンラッドから、一度少女は隣の童女へと視線を落とす。
「ところで」
「……なによ」
隙あらば逃げ出そうとしていた。
だが、どうにもこの女は、自分を助けにきたわけではないらしい。
逃走経路を阻むように立ちふさがる姿はむしろ自分を逃がさないとでも言いたげで。
「1つお伺いしたいのですが、宜しいかしら」
「……ここで?」
「ええ。貴女がここに居たのは、大変都合がよいのですわ」
「はあ……!?」
何を言っているのかと見上げた先に――思わずパスタは。そう、パスタでさえ、声を引きつらせる。
「ひっ……」
「貴女…………フウタの妹というお話は」
「嘘に決まってるでしょ……!」
一歩後ずさる。
だが、それを彼女は許さない。
「では、恋人と?」
「冗談はそのくらいにしてもらえる……?」
じぃ、と見つめるその視線が孕む、狂気。
ともすれば飲み込まれそうな、光のない真っ暗な目。
彼女はしかし、パスタの言葉に嘘がないと判断したのか。
「……あまり親しくないと?」
と寂しそうに首を傾げた。
「そ、そうよ」
「……………………致し方ありませんわね」
「なにが?」
諦めたような嘆息。
もしかしたら、フウタの妹と言っておけば助かったのか? と一瞬判断ミスが頭をよぎるパスタだが、あの瞳の狂気に対し頷いていた時の方が恐ろしい気がしたのだ。そしてその直感は果たして正しかった。
「親愛の絆で結ばれた相手なら、ここで殺しておくのも一興かと思いましたが……なら貴女に興味はありませんわ」
拍子抜けするほどに一瞬で彼女は視界からパスタの姿を消した。
期せずしてパスタとコンラッドの間に割って入る形になったのは好都合といえば好都合。
「馬鹿言わないで。あたしが死ぬくらいであいつがどうにかなるはずないわ」
そう吐き捨て、一歩を下がる。ここから全力で逃げ出すことも考えたが、兵を分けられて追われたら今度こそ拙い。傷が痛む足で逃げられるほど、甘くはない。
ここは、彼女の戦いぶりを見て判断する。
騎士10人を惨殺した、という話が事実なら、この人数相手ならどのくらいやれるのか。細い路地だけに一度に通れる人数に制限はあれど、既に四方から回り込まれている状態。
その辺りはコンラッドも手際が良い。
「そこの金髪。貴方がコンラッドですの?」
「いかにも。お前を殺す者の名だ!!」
「いい気迫ですわね。では貴方さえ殺さなければ、他は何をしても良いそうなので――共に唱いましょう。沈み、泡と消えるまで」
傘を持ったままの彼女が――一瞬にして掻き消えた。
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