11 フウタ は けいえいしゃ と かいぎしている。
――パスタのおうち。
日が暮れて、星々が夜空にぼちぼちと顔を出し始める時間帯。
メイド印の豪華ディナーにテンションを上げるリーフィと、同調するフウタなどという妙な絵面が見えた夕食の時間もとうに過ぎ去って、各々が部屋へと戻っていった。
コローナの洗い物に付き合うリーフィは、冷たい水を使っての作業にはいまいち慣れていないようで、むしろ足を引っ張っていたと言えなくもないが。
そこはお騒がせお掃除メイド、上手くフォローしているようだった。
一階では、そんな優しい光景。
そして、二階では。
「……よっ」
扉を開いた男の開口一番に、少女は不愉快そうに眉をひそめた。
「何よ、その気持ち悪い挨拶は」
「あーいや……まあ、ほら。なんか、ノリ?」
少しばかり普段と違う雰囲気の青年に、昼のやり取りを思い出して何かを察する彼女。おおかた、なにを話したものかと悩んでいるのだろうが……どうでもいい。もとより、彼女は仕事の話にしか興味はないのだ。
「馬鹿じゃないの?」
鼻を鳴らして本を閉じる。
ここは、少女の私室であった。
応接間とも客間とも違う造りになっている彼女の部屋は、柔らかそうな天蓋付きのベッドが1つと、ドレッサーにクローゼット。
桜色の絨毯に、高級な1人用の、これまた淡い桜色のソファ。
可愛らしい女の子の部屋といった風のレイアウトの中で、しかし彼女が今座っているデスクだけが随分と物々しく、無骨な印象を漂わせていた。
「……じろじろ人の部屋見てんじゃないわよ」
「あのソファに掛かってるシーツは何なんだ?」
「じろじろ人の部屋見てんじゃないわよ!!」
1人用のソファ。私室。ならば使用するのは彼女本人だけだろう。
ならば確かに物置代わりに何かを置いておくのは、別に不思議でも何でもないが。
他の場所が全て整理整頓行き届いているのに、ソファの上だけまるで隠すようにシーツが被せられているのは、気にするなと言う方が無茶だろう。
「さくさく始めるわ。あたしも暇じゃないのよ」
「そりゃまあ、分かってるけど」
デスクの上で、今もスクロールに何かしら書き込みを続けている彼女が暇だとは思わない。
よし、出来た。
そう呟いた彼女は、執筆を終えたばかりのスクロールを軽く扇いで乾かしながら、頬杖をついてフウタを見やった。
「色々考えたんだけど」
「なんだ?」
「ちょっと一回、黙りこくってくれない? なんかこう、この世の全てを恨むような感じで」
「どんなだよ」
フウタのツッコミに、返答はない。
彼女の鋭い視線が、良いからやれと言っている。
今日も今日とて、フウタに与えられた役割の練習。
ただのフウタでは人気が取れないからと、目の前の少女が提出してきた彼のプロデュース案。
現状は、難航していると言わざるを得ないそれ。
けれど、彼女曰く。
最初こそが一番大事なのだから、必ず武闘大会までに仕上げると意気込んでいた。
その努力の殆どをフウタは知らないし、何を考えているのかは分からない。
それでも、ライラックによって引き合わされた日から今日まで、彼女が準備を怠らなかったことは知っている。何冊も渡された分厚い本の、いたるところに用意されていた栞。
引かれた線の意味と、時間を割いた彼女の努力に気付けないほど、フウタとて間抜けではなかった。
「――む」
とりあえず、無口になってみる。
そして――この世の全てを恨む、だっただろうか。
果たしてその要求は、フウタにとってそう難しいことではなかった。
何度だって、そう思った。
直近でさえ、コロッセオを追い出されて、生きることすら億劫になったあの頃。思い出したくもない過去だ。
だがそれが、フウタの"夢"に届くと。きっと"無職"であっても願いに届くことが出来ると。
そう思っている今なら、苦ではない。
追い出された直後。国を出るまでの間はそれはもう悲惨だった。
コロッセオを知る人々からの扱いはまるで国賊に対するそれ。
どうやっても勝てない、つまらないチャンピオンが、最後は大人気の選手の想いすら汚したとあって、総スカンだった。
やけになって、全員皆殺しにしてやろうかと思ったことも、一度や二度ではない。
ただ、そうする気力も、そうすることで得られるものもなくて。
じゃあどうすれば良いんだと、どんどん追い込まれていく自分の精神。
元々、コロッセオに居た頃から分からなかった正解から、さらに遠ざかっていくばかり。
自分では最早、何も成し得ることが出来ないと。
やはり所詮は"無職"なのだと――
「ちょっとフウタ! フウタ!」
と、そこで、ふと我に返った。
気付けば、べしべしと腹部を叩く感触。デスクに居たはずの彼女はどこにも居な――居た。足元に。
悲しい身長差のなせる技である。
「なんだ?」
「なんだってあんたね。瞑想するくらい入り込むのは良いけど」
「そうだな。迷走していた。俺は、ごみカスだ」
「フウタ!!!」
べしん、と勢いよく腹部を叩く彼女は、痛そうに自らの手を払った。
「あんたのは、なんかこう……違う!」
「違うって言ったってな。この世の全てを恨めというから」
「恨むっていうより諦めてんのよ! もっとギラギラした憎しみとか、そういうのを求めてたんだけど! あんたのは、もう……俺に明日はないぜ、ははっ。みたいな感じ!」
「俺に明日はないぜ、ははっ」
「帰ってこい!!」
勢いよく踵でフウタの靴を踏んづける彼女。
ぐねったのか、泣きそうな表情でフウタを睨む。
「無駄に頑丈なんだから!! ……ああもう!!」
凄まじい葛藤の末に、彼女は叫んだ。
「今のあんたには、居るでしょほら、両手に!」
「……はっ」
「これで戻ってくんのほんとこいつ死ねばいいのに」
我に返ったところで、もうやっていられないとばかりに彼女は背を向け、デスクの方へと帰っていく。
どちゃ、とデスクのチェアに勢いよく腰かけて、彼女は改めてフウタを見据えた。
「ってことで、もうあんたに何かを求めるのは辞めるわ」
「ってことで、ってなんだ」
「台詞は棒読み、感情は出せない、演技はへたくそ、覚えもよくない。劇団だったらあれよ。木Aとか、そういう配役しか貰えないわよ」
「木A……」
エキストラのモブにすらなれない。
肩を落とすフウタを見て、鼻を鳴らした彼女は手元のスクロールを手に取った。
先ほど乾かしていたそれに目を通し、改めてフウタを見やる。
「あんたは、どんなに圧勝しても、どんなに相手をボコボコにしても、興味なさそうにしていなさい。それだけでいいわ」
「興味なさそう?」
「そうよ。実際、事実でしょ?」
「事実ってお前な」
戦いそのものに興味がないかと言われたら、勿論そんなことはない。
闘剣も、昔と違って今は楽しい。
見てくれている人が居る。戦いを求めてくる人が居ると知っている。
だから決して、興味がないわけでは――。
「あんたにとって、闘剣は手段」
「……っ」
「一番大事なのは、"無職"でも戦えるっていう証明でしょ。取り繕わなくていいわよ、別に」
「それは、そうだけど」
「だからそのことだけに集中しなさい。見栄えする戦いなんて、考えなくていい」
そう、手を払う彼女にフウタは渋面を浮かべた。
無職でも戦えるという証明の為に戦う。
見栄えを考えない。それは、まるで。
「それじゃ俺が昔、コロッセオでやっていたことと、変わらない」
「変わるわよ」
びし、とフウタの胸を指さす彼女。
その蒼の瞳に映る確信の色に、思わずフウタは息を飲んだ。
「なんでだ?」
「何も考えるなと、あたしは言った」
「……」
「迷うことも、変に人気を気にすることもするな。人に媚びようとするな。目の前の相手を気遣うようなこともするな。ただ、最強であれ」
「……それで、興味なさそうにしろ、って言ったのか」
「そうよ」
あの日。熱砂のコロッセオで、ずっと考えていた。
どうすれば良いのだろうか。
どう振る舞えば人気者になれるだろうか。
どうすれば、皆がこっちを見てくれるだろうか。
どうすれば、もっと熱戦を演じられるだろうか。
どうすれば、チャンピオンとして認められるだろうか。
その迷いは、情けなさと映る。
大したこともなさそうな、情けない"無職"がただ強い。
その光景は確かに、観客にとってはあまりにもつまらないものだろう。
「それが、どうして"悪役"なんだ?」
「あんた馬鹿?」
「なんで罵られなきゃならねえんだ」
「あのねぇ」
溜め息を吐いた彼女が、首を振る。
「これは応急処置よ?」
「応急処置?」
「そう。あんたが武闘大会までに仕上がらないからやった妥協案。色々とまだ練習はして貰うわ。今のあんたに出来る最低限の仕事がこれ。……それともう1つ」
ぴし、と指を立てて、少女は続けた。
続く言葉は、フウタにとっては衝撃の一言。
「本当に人気の出る闘剣士はね、勝ったり負けたりするもんなの」
「……え?」
「誰も勝てない最強なんて、面白くもなんともないの。ぼけっと眺めるにはちょうどいいかもしれないけど、勝つか負けるか分からないから、人は会場に足を運ぶのよ。何事にも、ちょうどいいくらいってのがあるってこと」
世界中の人間が束になっても勝てない最強。
そう成れるとしたら、望む者は多いかもしれない。
けれどいざそういう人間が居たとして、多くの者が覚えるのは反感と、排他的な感情だ。
ましてやそれが、闘剣などという戦いの世界に居たとして。
どうせそいつが勝つと分かっていて、どうして戦いを楽しめようか。
「じゃあ……俺のやっていたことは」
「無駄とまでは言わないわよ。けど、浅はかだとは言っておくわ」
「……」
外ならぬ目の前の少女に言われたからこそ、堪える言葉だった。
彼女がフウタの為に持ってきた書物の中には、闘剣に関するものも多く記載されていた。どんな選手がいたか、どんな戦いが心に残ったか。
そんな物語じみたものも含まれていて、フウタとて心を躍らせたものだ。
多くの書物をフウタに持ってきたということは、それ以上の数々の文献に目を通しているということ。
そこに彼女の持つ才を足してしまえば、彼女の語る闘剣観の信頼度は高い。
「だから、みんなオーシャンを応援する」
「――っ」
コロッセオの時から変わらない現実。
かといって、八百長試合などしたくもない。
どうすればいいんだと、目を伏せるフウタに彼女は告げる。
「――それでいいのよ」
「え?」
「みんなオーシャンを応援する。応援せざるを得ない。だからあんたは、絶対的な壁になりなさい」
フウタとオーシャンの戦いを、"金は取れそう"と評価した彼女の言葉。
「絶対的な壁は、全ての闘剣士の敵よ。誰もがあんたを越えようとする催し。……分かる?」
にたぁ、と表情を歪める彼女の言葉に、フウタの思考は追い付かない。
「あの女のコロッセオじゃなくて。皆があんたを越えようとする催しに変えてしまえつってんのよ」
「……みんなが、俺を越えようとする催し」
「お膳立てはこっちでやるわ」
ぴ、とスクロールを手に取った彼女は続ける。
「あたしが、あんたを仕立て上げる。最強の悪役に、皆が挑む武闘の祭典。それが、王都の新しい観光地よ」
「……俺を、仕立て上げる」
「つまりはこういうことよ」
こほん、と咳払いした彼女が立ち上がり、スクロールを片手にフウタの前に立った。
しかし、それは"背を向けて"だ。
まるで彼女は、フウタと彼女の周りに誰かが居るかのように、この部屋を見渡し始める。
そして、す、と息を吸って。
「――さぁさぁさぁさぁ!! 結局誰も勝てねえのかぁ!? チャンピオンに挑む権利を手に入れたってことは、こいつが"二番目"だったってことだろう!? 冗談じゃねえ、笑えねえ。これじゃフウタの準備運動にもなりゃしねえ!!」
「っ!?」
「かかってこいよ有象無象! 王都に居ねえなら世界に叫べ、誰か助けてくれってなぁ!! 誰かこいつを止めてくれ、誰かこいつに勝ってくれ!! まさかとは思うが腰抜け共!! 俺様は強いぜみてえな面しておいて、挑んでこねえってこたぁねえだろう!?」
目を見開くフウタをよそに、彼女の舌鋒は止まらない。
フウタの周囲をぐるりと回りながら、まるで観客全体に叫ぶように彼女は言葉の雨を降らす。
「これから目をかっぽじっておけよお嬢さん方! 将来有望な男の子! お前の周りでデカい顔してる野郎どもはみーんな……フウタよりは雑魚だってなあ!! むかついたか? 腹が立ったか? ならかかってこい這い上がってこい!! 世界の頂点は、いつでもここだ!!」
背を向けながら、しかし寸分たがわずフウタを指し示す彼女。
真正面にあるソファの背もたれにどん、と手を叩きつけ、拳を握って吼える。
「悔しいと少しでも思うなら、その手に握ったしょうもない得物を担いで向かってこいよ雑魚共が! また次の試合も、格の違いを見せてやる。誰が相手だってなぁ!!」
一瞬の、沈黙。
「……と、まあこんなところね」
振り返った彼女は、いつも通りの半眼。
今までの熱演はどこへやら、といった雰囲気に、しかしフウタは息を飲んだ。
なるほど、これだけ煽れば確かに色んな猛者がフウタに向かって挑んでくる。
自分は興味なさげにしているだけで、十分に"悪役"だ。
人気への逆張り。
それこそが、孤高な最強の生きる道だと彼女は言ったのだ。
「でも、こんなに煽る?」
「そんな煽るのよ」
「そうか……あれ?」
と、そこでフウタは気が付いた。
「……じゃあお前、公衆の面前に立つってこと?」
「流石に変装はするけどね。フードは被ったままにするし」
「でも声が……」
「そうね。流石に声を変えることは出来ないから、そこはまだ考え中だわ」
ふん、と腕を組んで。
「別に、そういう煽りをするヤツを雇っても良いんだけど」
「良いんだけど?」
「こういうのは演技の上手さよりも、観客に"本気で"嫌われないバランス感覚のが大事なのよ」
「なるほど、ただ演技が上手いヤツだと……」
「そう。二度と来るか、って観客の感情が大炎上する可能性はあるわ」
彼女自身がトークをするという回答に辿り着いたのは、本当に最近のことなのだろう。
とはいえ、彼女の生存が露見するのは、本当にリスクが高い。
世界中から人がやってくるという以上、生存が露見することは十分にあり得る話だった。
「でも大丈夫なのかよ」
「生きるか死ぬか? そんなの、今更だわ。あんたに心配されるよりずっと前から、あたしはこういう橋渡って生きてきてんのよ。馬鹿にしないで」
「そうは言うけど」
「それに、商売が出来なくなったらどのみちあたしは死ぬ。その程度には、弱い生き物なのよ。生き残るために勝つ。当然でしょ」
「……」
そう言われてしまっては、フウタに食い下がることは出来なかった。
けれど、フードだけでどうにかなるものだろうか。
少し悩んでフウタが思案するように視線を巡らせると、ふと目に付くものがあった。
「……なあ、パスタ」
「なによ」
「キャラ性が大事だとか、って話してなかったっけ」
「そうね。人を売るに当たって、特徴というものはとても大事」
分かってきたじゃない、とばかりに指を一本立てて、説教よろしく目を閉じ話を始めるパスタ。
「だからこそ、人気の逆張り。人気の出るものっていうのは、幾つかパターンがあるけれど、あんたの場合は逆張りよ。人気が出る奴らを相手にするから、逆に突っ切って悪役にする。キャラクター性というのはそうやって――むぎゅ」
顔に何かを押し付けられたと気付いたのは、その時だった。
何事かと"それ"をひっつかんでどかせば、フウタが片手をこちらに向けた状態。その押し付けられていた何かに視線を落とし――
「んなぁ!?」
「足が出てたからさ」
「出てたから何よ!!!」
フウタが指を差す先には、薄い桜色のソファ。
そこに掛けられたシーツは、フウタの手によって外されている。
足が出ていた、とはつまり。
パスタが今抱えている"もの"の足。
おそらくは、先ほどのパスタの演説で叩いた時に、シーツがずれてしまっていたのだろう。
「オルバ商会の元会長がそういうの持ってるって、知られてんの?」
「知られてるわけないでしょ!?」
「じゃあ、それ持ってれば意外とカモフラージュに」
「死ね!!!」
ぼご、とフウタは殴られた。
柔らかい感触は、彼女が手に持ったそれで殴られればこそ。
「キャラ、って、俺もお前から貰った本で読んだけどさ。多分、それ持ってた方がキャラは立つんじゃない?」
「ふっ……このっ……!!」
顔を真っ赤にした彼女が、潰れるんじゃないかというほど握りしめるそれ――クマのぬいぐるみ。
「出ていけぇ!!!!」
叫ぶパスタの声が、屋敷中に響き渡った。
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エイプリルフールなので、なんでも許せる人向けの話を活動報告に投下しました。よろしければどーぞ。





