06 おうじょ は おしばい している!
――王城内廊下。
コンラッド・A・イーストウッドは焦っていた。
国王の許可を得て駐屯させている騎士団は、現在王都内で殺人鬼"アリア"の捜索任務を遂行中だ。
だがその結果は芳しくない。
別に、相手がただ隠れ潜んでいるだとか、どこに居るか皆目見当がつかないだとか、初手から詰んでいるという状況ということではない。
むしろ逆だ。追い詰めているからこそ、被害が続出している。
討伐隊として連れてきた騎士200名のうち、既に74名の死者が出ているのだ。その全てが――戦闘による死亡。
それはもう凄惨な死にざまであり、死体など見慣れているはずのコンラッドでさえ気分を悪くするほどのもの。
「……おのれ、何故だ。殺しても構わんと言っているだろう」
ぐ、と拳を握りしめる。
戦争経験も豊富な、コンラッド肝入りの騎士たちを連れてきているはずだった。
少なくとも、小隊単位の戦闘で後れを取るようなことはあり得ない。ありえないはずなのだ。
一度は捕縛した女1人、どうしてすぐに殺せないのだと歯噛みする。
速やかに処理を遂行する。
そうでなければ、計画は全てがおじゃんだ。
「衛兵に捕まえさせるわけにはいかんのだ」
吐き捨てるように呟きながら、コンラッドが向かう先。
そこは、王城の中にあっても奥まった部屋。
日当たりも悪く、とてもではないが王族が好んで居座るような位置にある部屋ではない。
けれど、"奸雄"の少女はどうしてかその場所に自らの執務室を構えた。
幼い頃から"奸雄"だと警戒されていたからか、ふさぎ込んでいたという話も小耳に挟んだことがある。
単なる"噂"だが、少々不憫にも思った。
不憫に思ったところで、その手を取るようなリスクを侵すことはないが。
国王の政治が取り立てて良いとは思わないが、今のところ国の建て直しを懸命に計ろうとしているところを見ると、叛意は感じられない。
それに、と思う。
政の一端を任されているとはいえ、所詮は蝶よ花よと育てられた小娘。
陰謀の類には明るくないだろう。
「闘技場のお祭り騒ぎなどの為に、我々が立場をこれ以上悪くするようなことは困るのだ」
所詮は王女の遊びだ。
腕が立つという話は聞いている。彼女自らが出場するらしいということも。
気まぐれな我儘にも困ったものだが、どうやら自分の知らぬところでタイミングよく彼女に風が吹いたらしい。
法国との同盟時に、彼女のメイドを処刑してどうこう。
そんな話は、当時王都に居た兄から聞いていた。
兄と交代して王都へやってきた弟のコンラッドにとっては、迷惑な話だった。
隣国への遠征もなくなり、法国との縁も殆ど切れた。
そんな状況で、王女を持ち上げる神輿をさらに飾り立てるような王都闘技場。
このまま王女に増長でもされたら困るというもの。
国王同様、大人しく我々軍閥派の言うことを聞いて貰わねば。
「――お呼びでしょうか、ライラック殿下。イーストウッドです」
「入ってください」
戦争を嫌うお優しい姫様の声に従って、部屋へと入る。
彼女はコンラッドを見るなり微笑んで立ち上がり、ソファを勧めた。
ああ、本当に優しい方だ。以前目にしたのはもう4年ほど前のことになるが、変わらない。
頭は良いのだろうが、人の善性ばかりを見てきたようなほわほわとした箱入りっぷりが隠せていない。
「それで殿下、ご用件というのは?」
「はい……。その、殺人鬼についてのことです」
「衛兵たちも、捜索には参加していただいて、我々も全力を尽くしております」
「……ええ」
酷く落ち込んだように俯いて、上目遣いにコンラッドを見上げるライラック。
コンラッドは思わず喉を鳴らした。
箱入りだとか、世間知らずだとか、そんなことはどうでも良い。
見てくれが美しく、ただ優しいだけの姫であれば。
これで政に一切の口を出さないなら、最高の嫁であろう。
わずかに漏れ出た情欲を、冷静に飲み下して。
「やはり、武闘大会の開催についてですか?」
「はい。だって、もう残り2日です。皆さん楽しみに遥々王都までいらしたのに、中止だなんて」
「とはいっても、市民の安全に変えられはしません。ご理解ください」
「どうか、2日で捕縛出来ないものでしょうか」
「希望としては、そうですね。ただ、確約は難しいです、殿下」
「そう……ですか」
気落ちした様子の王女に、コンラッドは思案する。
一瞬、適当に励まして口説きにいくのも一興かと考えたが、流石に大事な第一王女は"リスクが高すぎる"。
どうしても武闘大会を開催したいらしいが、こちらとしてはいい迷惑だ。
「全力を尽くしますよ、殿下」
「……」
にこりと微笑んでみれば、少し驚いたように目を見開いて、ついで頬を染めて視線を逸らした。
随分とうぶな人だと、コンラッドはまた少し心が揺らぐ。
無色透明な美しいものを、自分の色に染め上げたいと思うのは男の性だ。
今すぐに目の前の美姫をものにしてしまいたい、とそんな気持ちを抑えていると、何やらライラックは決心したように顔をあげた。
「あ、あの!」
「どうかされましたか?」
「殺人鬼が居るような状況で、武闘大会が開催出来ないのは、分かります」
「ええ」
「だから、わたしにも協力させてください!」
「……というと? 衛兵たちにも随分手伝って貰っておりますが」
「わ、わたしっ」
立ち上がり、手元のコンツェシュを抱え上げるライラック。
「腕は立ちます! ですから――」
「ちょ、ちょっと待ってください! まさか、捜索に参加すると?」
「はい!」
「いや、それは流石に。貴女の身に何かあったら!」
冗談じゃない、とコンラッドは首を振った。
あの殺人鬼の技量は、とてもではないが王国の常識では測れない。
確かに王女の腕が立つのは知っている。けれど、それを信頼してあの女にぶつけることなど不可能だ。
「陛下のお気持ちにもなってください」
「で、でも……!」
「ご自愛ください、殿下」
ぐ、とコンツェシュを抱きしめて、彼女は言葉を零す。
コンラッドは顔を上げた。徐々に嗚咽を交え始めた彼女の声に、思わず反応してしまったのだ。
泣いていた。
「わたしが呼んだのに……やっぱり中止だなんて……そんなの……あんまりではありませんか……」
「殿下……」
コンラッドは生唾を飲み込んだ。
どうしてこうも、悲愴な表情の女性というのは魅力的なのだろう。
「コンラッド……」
「はい、なんでしょう」
「わたし、なんでもします。どうにか、どうにか開催にこぎつけられないものでしょうか」
「なんでも……ですか」
なんでも。
それはつまり、なんでもということだ。
一瞬脳裏に浮かんだあれやこれやを、すぐに掻き消す。
"そういう私欲"は後だ。
「なんでも……何度でも?」
「何か手があるんですか!?」
「あると言ったら、なんでも、何度でも、私の言葉を聞いてくれますか?」
「はい!」
「…………そう、ですか」
歪んだ口元に手を当てて、コンラッドは思考する。
確かに今、この状況で殺人鬼の殺害を急くのは難しい。
だが、この女は今なんでもすると言った。
ならば問題はない。
そう、武闘大会の開催そのものすら、取り立てて問題にはなりえない。
全て軍閥派の功績に仕立て上げることが出来れば、それを彼女が表立って言ってくれれば、何の問題もない。
「分かりました。全力を尽くし、すぐにでも殺人鬼を処理してみせましょう」
「……本当に?」
「ええ、本当に。ご安心を」
もう一度、微笑んでみせる。先ほどもあんなに恥ずかしがっていたのだ。そしてコンラッドは自分のマスクには自信があった。
案の定というべきか、むしろ窮地を救われるということでさらに輪をかけてか、朱に染まった頬に加え、潤んだ瞳がコンラッドを見つめる。
「ですから」
そう、そっとライラックの手を取った。
一瞬びくりと驚いたように跳ねた手はしかし、そのまま委ねるように力が抜ける。
少女1人と考えれば、なるほど容易い。
「その代わり、我々の頼みを聞いてください。貴女にしか出来ないことです」
「は、はい! 何でもすると言ったではありませんか。……でも、その」
戸惑うように、絡められた手を見つめるライラック。
「こういうのは……まだ、伴侶でもないのに」
「はは。そう言いながら、抵抗もしないなんて悪い子だ」
そう、告げた瞬間のことだった。
ノックの音と、少女の声。
「姫様。宜しいでしょうか」
「っ……」
慌てたように手を離すライラックと、やれやれと首を振るコンラッド。
「す、少し待っていてください」
「仕方がない。また今度。朗報を持ち帰りますから」
コンラッドは最後にもう一度微笑むと、優雅に踵を返す。
「あ……」
名残惜しそうなライラックの吐息を背に、コンラッドは実に上機嫌に部屋をあとにした。
侍従だか何だか知らないが、フードを被った少女が部屋の前で待っていたのを一瞥して。興味もないとばかりに去っていく。
入れ替わるように入ってきたフードの少女は、後ろ手に扉を閉めると開口一番言い放った。
「あんたマジで気持ち悪かったわ」
「まあ、貴女には出来ないやり口でしょうね」
「死ね」
煩わしそうにフードを取った彼女の視線の先で、ライラックはさくさくとハンカチで手を拭っていた。
「で、何でもするとか言ってたけど?」
「"契約"もしていないのに、無茶が利くわけもなし。"アリア"という名前しか掴んでいないのは好都合でしたね」
「何が好都合よ。本名知ってたの、フウタしか居ないじゃない」
「ええ。ですから、わたしのものです」
「あっそ」
面倒くさそうに頬の裏を舌で突いて、少女はライラックを睨みつける。
「それで?」
「あの男は情報通り、婦女子には目がないようでしたし。これで"アリア"の替え玉でも用意して、殺人鬼事件は一旦幕を閉じるでしょう」
「そんな分かり切ったこと聞いてるんじゃないんだけど。アレどうすんのよ」
親指で示すは、背後の扉。
つまり、出て行った男の処遇だろう。
ライラックはつまらなそうに告げた。
「伯爵家の次男坊など、幾らでも替えは効きますが?」
「あんたのそういうところだけは気が合うわね」
「どうでもよろしい。それより、フウタはどうですか?」
「どうにもならないからあたしの方で少し考えてるって感じ。ま、このあと合流するつもりだから」
「です、か。では、例の件が動いたらまた連絡を。フウタのことは宜しくお願いします」
「はいはい。人使いの荒い女ね」
ひらひらと手を振って、少女も背を向け去っていく。
閉じた扉から、何一つの感慨も浮かべずに手元の資料へと目を落としたライラックは、切り替えるように呟いた。
「さて、次」
資料には、"アリア"の人相書きが添えられていた。
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