王城散歩"ルリ・アースノート"
――あの日。だだっ広いコロッセオで、ただ見つめていた。
振り回す刃は人の命を刈り取るもの。
ぶつかり合う気迫は相手を倒さんとする強烈なそれ。
だというのに、何故だろう。
怖くは、なかったのだ。
それどころかとても楽しそうで――楽しかった。
終わって欲しくないと漠然と抱いた気持ちは、未だ言葉に出来るほど心は成熟していないけれど。
どっちにも負けないで欲しかった。
『めいどぉー』
だからだろう。
終わってしまったその後に、見知った青年の方ではなく、もう1人の方に駆けていってしまったのは。
理由は分からなかった。
けれど、彼の"刀"が言っていた気がした。嘆いていた気がした。
終わりたくない。終わってほしくない。――ここで、終えたくはないと。
『おう。めいどー。どしたい』
『えとね』
にか、と爽やかな笑顔は、彼の持つ雰囲気も相まって、ルリの心を穏やかにさせる。
けれどその瞳の奥に宿る、未だ滾り沸き立った感情は、どうしても隠しきれるものではなかった。
ルリには、あの闘剣に込められた気持ちの殆どが理解出来なかった。
中途半端に寄り添うことさえ、許されない。分かっている。
でも。
彼の瞳に滾る熱を想う。
ぱちぱちと爆ぜるのは、ルリの短い人生経験では暖炉のそれくらいしか思いつかないけれど。
ずっと松ぼっくりを入れ続けた暖炉なら、そんな風にもなるのかな。そう思った。
まだ火は消えていない。なのに、なんだか祭りは終わってしまったような強い寂しさが辺りを占める。
このままじゃ終われないと、彼の瞳だけが訴えていた。
だから。
『がんばったね』
そう、告げた。
終わったよ。終わっちゃった。でも、凄かった。
思いを込めた一言は稚拙だけれど、それでもきっと彼には伝わった。
――終わっちゃったのは、本当だ。
けれど、一度の終わりは、それで全部がお仕舞いじゃないんだって。
きっとルリは、そう伝えたかった。
一番欲しいものはなに?
彼にとってのそれは、期待できる何か。
なら、この戦いの続きを。次こそ、勝利を。
『ルリ、待ってる。待ってるから、一緒にフウ兄倒そう』
『――はは!! そいつぁ最高だ!』
どうしてこの青年に、ルリがここまで入れ込んだのかは分からない。
親しいフウタを、どうして一緒に倒そうと思ったのかは、分からない。
でも。
きっとそれこそが、フウタも、バリアリーフも、そしてルリも。
望む楽しい未来のはずだ。
――王城、フウタの私室。
「ねえねえフウ兄」
「ん?」
鍛錬の最中であったフウタの袖を引く感触。
声に従って視線を下げれば、そこには何やら自信ありげな笑みを浮かべる童女の姿。
両手に抱えているのは、……見慣れた看板。
【構って!】
「……」
ふう、と息を吐いたフウタは木刀を下ろすと、彼女に問う。
「誰に教わったのかな?」
おおよそ分かってはいるが、とりあえず聞いてみた。
すると彼女は、少し考えて。
「えと、女はひみつをかかえてるのよ……ぼうや……」
なるほど。
「犯人は確定的だな」
「ば、ばかな……」
驚愕の表情で震えるルリの頭にぽんと手を置いて、フウタは木刀を仕舞った。
バリアリーフの帰国からしばらく。
ウィンドとの約束も終わり、ルリを預かる理由は無くなった。
しかしだからといって縁が断たれたわけではなく、こうして今日のように遊びに顔を出すこともしばしばある。
そういう日は決まってコローナやウィンドが送り迎えをしているのだが、最近は1人で勝手に来ることも少なくなくなっていた。
パスタ曰く、6歳にもなって王都を1人で歩けないとは何事か、とのこと。
幾らパスタがスパルタとはいえ、それは流石に、と思ったフウタだったが、後で調べればきちんと護衛は付けているようだった。
そうとは知らず1人でやってくるルリは心身ともに健やかに成長し、護衛を付けた分の代金はウィンドの給料から天引き。
相変わらずのパスタに、呆れにも似た溜め息を吐いたことを憶えている。
「――で、何をすればいいのかな?」
「んとね。お話がしたいのです」
「ほう。俺が相手でよければ」
お話。
そう聞いたフウタは彼女をひょいと両脇を抱えてベッドに座らせ、フウタはサイドチェアに腰かけた。
コローナはどうしたのだろうか。
普段はルリで遊んでいるはずの――もといルリと遊んであげているはずの彼女の姿はここには無い。
すぐに戻ってくるだろうと結論付けて、フウタはルリと向かい合う。
「それで、どんなお話?」
「んー……フウ兄は、恋とかする?」
「そういう話かー……。俺より女の子の方が適任――」
そこまで考えて、ルリの周りの"女の子"を思い浮かべるフウタ。
メイド。寸胴。以上。
「――ルリちゃんのお世話してくれる"侍従"さんとかの方がちゃんとお話できるかもよ?」
自分と同じく戦力外と判断したフウタであった。
「んー、フウ兄がいい」
「それはまた。なんでだろう」
「フウ兄がいいの!」
「分かった分かった」
そこまで言われたら、フウタに否はなかった。
わざわざ自分を相談相手に選んで貰えたのだ、そんなに光栄なことはない。
「じゃあ、話してごらん?」
「ん。えっとね。ルリね、フウ兄と、あのお兄ちゃんが闘ってる時ね。すっごく楽しかったの」
「あのお兄ちゃん――ああ、オーシャンか」
「おーしゃん? ばりーんじゃなくて?」
おそらくはバリアリーフのことだろうと認識して、フウタは頷く。
「あー……そうそう、ばりーんばりーん」
「ん、ばりーんのお兄ちゃん。あの時、フウ兄よりばりーんのお兄ちゃんの方行ったでしょ?」
「ああ。……そう言われるとちょっと寂しいけど、あの時は嬉しかったな」
「? ……でね。なんでだろって思ったの」
「ほう」
「――これが、恋?」
「んーーーーーーーーー……待とう」
「はい」
頭を抱えた。
とりあえず、フウタの頭の中から速攻で、恋という選択肢は消えていた。
同時に理解する。バリアリーフの話であったからこそ、フウタに聞きたかったのだと。
大人しく、両手をお膝の上に置いてフウタの言葉を待つルリに、目を合わせてフウタは言う。
「……恋の方が嬉しい?」
「んー。おとなっぽい」
「だよねえ」
この子はちょっとおませな感じに育つのかな? と疑問を抱きつつ。
目の前の6歳児にどう話をしたものかと悩むフウタ。
「パパより好き?」
「んーん」
「だよねえ」
ますます違うよねえ。そもそも、彼女はまだ6歳だ。
世情に疎いフウタでも分かる。まだ、流石にちょっと早い。
「恋じゃない?」
こてん、と可愛らしく小首をかしげるルリ。
ここで否定してしまうのは簡単だが、果たしてそれはウィンドの教育方針に適っているのかどうかも難しいところだ。
ただ。
「ルリちゃんはさ。どうしてばりーんのお兄ちゃんの方行ったの?」
「んー……むずかしい」
小さな腕を組むルリ。
しばしの間、無言の時間が過ぎゆく。
ぱちりと、暖炉の薪が小さく爆ぜた。
「……終わっちゃいやだったんだ」
「……終わっちゃ、嫌だった? それは、俺とあいつの?」
「うん。フウ兄は、終わったー! って感じだったけど。ばりーんのお兄ちゃんは、終わっちゃった……って感じだった!」
「……そっか」
ふ、とここに来てフウタの表情が緩んだ。
同時に、少し自省した。
試合の後のバリアリーフに、自分は声をかけなかったし、かけるべきではないと思った。
それは決して、今でも間違っていたとは思わない。
けれど、あの日のバリアリーフは、いつものバリアリーフとは違った。
いつも負けた後は1人で立ち尽くしていた彼。
だからフウタはそっとしておいたのだ。その最後だったから。
でも、そうではない。
最後だからこそ、いつもとまた違った想いがあったはずだ。
彼の最後の感傷を汲み取れなかったのは、少し恥ずかしく思う。
「じゃあ、ルリちゃんは優しかったんだね」
「んー……それが、よくわかんない」
「そうなの?」
「うん。よしよししてあげなきゃ、とは思わなかったもん。――でも、頑張ったねって、すっごく言いたかった。なんでだろ」
「何でだろうな……」
少し、想いを馳せる。
「やっぱ恋?」
「いや、それは違うと思うな」
軽く苦笑いで応じながら、フウタはそっとルリの頬を撫でた。
柔らかく、温かい。くすぐったそうに目を細めるその愛くるしい表情は、きっと誰もが守りたいと願ったもの。
ただ、きっと彼女はあの時から、守られるだけの偶像ではなくなっていた。
『いっぱいね。いっぱい笑ってあげるから。パパを、助けて』
誰かの心を救うことができる、立派な"経営者"がそこに居た。
「きっとルリちゃんは――」
ルリは今でも、彼と肉親であることを知らない。
けれど。否、だからこそ、彼女の想いは本物だ。
同情したわけでもない。憐憫でも、恩返しでもない。
ただ、あの時のバリアリーフを見て、きっと思ったのだ。
「ばりーんのお兄ちゃんと一緒に、何かがしたくなったんだと思うよ」
「……ほ?」
「それが、俺を倒すっていうのなら、それは全然」
彼のあの姿を見て、何かを共に成し遂げたいと思ったのなら。
それは、フウタとしても望むところだ。
「――ふーん。じゃあ現実の厳しさってヤツを叩き込まないとダメじゃない?」
声。
振り向けば、壁に寄りかかって欠伸をしていた少女の姿。
赤く燃えるような長髪はツーサイドアップ。いつも通り目立たない恰好で、外したばかりの外套を弄びながら、彼女はルリに目をやった。
おそらくは、ルリを迎えに来たのであろう彼女に、ルリはきょとんと首を傾げる。
そこにはもう、怯えはない。
「現実の厳しさだ?」
「バリアリーフとルリで挑んでくるとしたら、相手をするのはあんたと誰だと思ってんのよ。それまでにしっかりチャンピオンとしての人気を絶大なものにして――こいつらがブーイングと一緒に入ってくるくらいにしないとダメでしょうが」
「――それは、そうかもしれないが」
「だから」
つかつかと、真っ直ぐにルリの元へと歩いてきた彼女は、腰かけるルリを見下ろすようにして言い放つ。
「捻り潰すわ」
「――」
見据えられた瞳を、ルリは正面から見返した。
「まけない!」
「そ」
一瞬。
ただ一瞬だけ、彼女の口角が軽く緩んだ気がした。
けれど、すぐにその表情をいつもの厳しいものに戻してフウタに目を向ける。
「あんたも、次にあいつとやるとしたらコロッセオよ。試合結果だけが正義だなんて……まさかとは思うけど考えてないわよね?」
「ああ。……そうだな」
「……?」
彼女は少し目を丸くした。
やけに素直だな、とでも言いたげな表情に向けて、フウタは言う。
「分かってる。指導宜しくな」
「……まあ、いいけど。じゃあ明日から再開よ。……ほら、ルリも帰る」
「ん。ベアトお姉ちゃん、今日のごはん何?」
「あたしに聞かないでよ。なんか適当に注文すればいいでしょ」
ぽて、とベッドから飛び降りたルリは、彼女と並んで歩きだす。
ふと振り向いて、満面の笑顔を向けて手を振った。
「またね、フウ兄。そーだんできてよかった!」
「ああ、またな」
並んで歩く背中を、フウタは見送った。
きっと、彼女はルリのことを、もう対等に見ているのだろう。
今後伸びる"経営者"として、子供だと侮ることもなく。
たかが子供に大人げない、と思ってしまえばそれまでだ。けれどきっと、彼女自身がそう思ってきた大人を殺してここまでやってきている。
そうなればこそ、ルリに向ける目は厳しく――正しく先達だった。
「あいつに何の相談したのよ」
「……恋?」
「………………いや、無理でしょ」
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