ぱすたのぱすた
王城内部には、書庫が幾つか存在する。
中でも王都の細々とした事件等の記録を保管している第四書庫は、普段はあまり人が寄り付かない場所だ。
というのも、もう書物が書庫の許容量を超えていて、現在は別の書庫に役目を取って代わられているからだ。
そういうわけで、ここは恰好の隠れ場所でもあった。
ぺらり、ページを捲る音がする。
天井近くにほんの少しだけ設けられた小さな窓から差し込むのは、弱弱しい陽光。
微かに塵が舞い続けるのが、光の中でだけよく見える。
黴と紙の匂いが充満する部屋で1人、彼女は梯子台の上に腰かけて本に視線を落としていた。
「あ、居た居た」
扉を開く音と同時、最早聞きなれた声。
メイドの耳障りな高い声とも、人を不愉快な気分にさせる王女の冷たい声とも違う、低いそれ。
無感情に視線を文字列から入り口に流してみれば、案の定そこには1人の青年が立っていた。
「……何の用? 今日は顔を見なくても良い日だと思っていたんだけど」
「俺もそう思ってたよ。けど……ちょっと付き合ってくれよ」
「はあ?」
ぱたん、と本を閉じる。
一瞬視界に入れたページ数と、最後に目を通した文章を記憶して、彼女は本を棚に差し込んだ。
高い位置に座っていた彼女が、よちよちと梯子を下りて地面に足を付けると、青年の胸元程度も無い身長で彼を見上げて鼻を鳴らした。
「どこ行くの」
「こっちだ」
背を向ける青年に、赤髪を払った彼女は、フードを被ってついていく。
「――会話になってないんだけど」
「厨房だよ。使用人用のな。場所知ってるのか?」
「もう王城の地図だって書けるわよ。売ったら結構な値が付きそうね」
「その前に処刑されそうだけどな」
悪口、と取れなくもなくもない、微妙な掛け合い。
普段通り、変わらぬ日常。――と、お互いに認識しているそれは、しかし確かな変化を見せていた。
まず、付き合ってくれと言われて素直に彼女が書物より彼を優先する時点で、王女に引き合わせられた頃とは異なっている。
今更罠にハメることもないだろう、という読みからくるそれは決して、王女やメイド相手ではこうは行かない。
書物を読む忙しさでもって、追い返すはずだ。
別に、彼を特別気に入っているというわけではない。
そもそも好意的に人間を見るという感性が殆ど無い彼女のことだ。他の相手よりマシ程度でも、相当な高評価と言える。
ビジネスパートナーだから気を遣っているというわけでもない。
そんな相手に気を遣うほど、彼女は軽くはない。自らの持つ能力を決して安売りしない姿勢は、"経営者"として優秀であればこそ。
では何故、それなりの付き合いに見えるのか。それは。
『――あの時は悪かったな』
『は?』
『金取れるように頑張るよ、俺』
『――っ』
きっとあの時、彼女は諦めた。
効率を求めて露悪的に振る舞ったところで、きっとこの男相手にはもう意味がない。
『……ありがとな。ベアトリクス』
何を見抜いたような面を下げているのかは知らないけれど。
変に煽られるのも癪だから、フラットな心持ちでいる。
ただそれだけのことだ。
「あんた、そういえば料理ハマってるんだって? 趣味に実益を兼ねる理由はないけれど、娯楽は安定した環境に身を置いてからにしたら?」
「安定した環境なんて、いつ出来るかもいつ崩れるかも分かんないだろ。それ言い出したらお前は一生遊べなくなるぞ」
「あたしは金が趣味みたいなものだから良いのよ」
「またそういうねじ曲がった言い方を」
「ただの事実よ」
「取り繕えとは言わないけど……じゃあ他にも色々試すとかどうなんだ?」
「安定した環境に身を置ければ、考えてあげなくもないわ」
「別にお願いしてるわけじゃねえよ」
特に感情を表に出すこともなく、淡々と行われる会話は廊下を歩む間ずっと続く。
のんびりとした、世間話。
何かに焦ることもなく、いがみ合うわけでもなく。
今の2人に、必死にならなければならない差し迫った問題はない。
だからこうして、特に意味のない言葉の応酬。
きっと2人が知ることはないだろう。けれど、彼らの人生において最も"日常的"なことがあるとしたら、それはきっとこうしたやり取りだった。
歩む速度はゆったりと。
歩幅は小柄な彼女に合わせられて。
それはもちろん彼が意図的に行っていることだ。
けれど、別に礼を言って欲しいだとか、恩を売っているわけではない。
意外と彼にとっても、この一切気を遣わずに済む会話というのが心地いいものである証拠だった。
初めて出会った日から、色々と腹に据えかねることは多かった。
性格の悪い女だ。性根はねじ曲がり切っていて、言動は人の神経を逆撫でする不愉快なもの。
けれど、その露悪的な雰囲気は、効率の為に狙って出しているもので。
姉の孤高と対を為すような孤独であると気づいてしまった今は、どうにも突き放せないというのが彼の想い。
『あんたは――"経営者"なんだから』
王女としての立場を失い、幼少期から生きる為に必死にならざるを得なかった、似た境遇の"経営者"に自分を重ねて。たった1つ、まだ肉親が生きているという違いを、決して離さないようにときつく握りしめさせた行いは、どう取り繕おうと悪人のものではなかった。
だからこそだろうか。
「あんたの手料理振る舞う相手なら他に居そうなものだけど」
「俺のじゃねえよ。ほら、パスタ・ポモドーロって名乗ったことあったろ? ポモドーロが一番美味いとかなんとか」
「美味いかどうかは客観的なものよ。あたしが、好きなだけ」
「どう違うんだ?」
「好みは人それぞれってことよ。あんたがあのメイドのパスタが好きなのは否定しないわ」
「いや別にそこで論争を起こしたいわけじゃないんだが」
「他に何があるってのよ」
「いや色々あるだろ」
辿り着いたのは、使用人用の厨房。
既に中から漂ってくる、香り高いポモドーロソースの甘みに、彼女――パスタは足を止めた。
「――コローナが前に、美味しいポモドーロスープ作ったことがあってさ。パスタも美味いし、作れるか聞いたら快く引き受けてくれたんだ」
「……どういうつもり?」
「別にこれでお前に何か要求したり釣ろうってわけじゃない。好きなものが作れるらしいって聞いて、お前に食べさせようってのはそんなにおかしなことか?」
「そうね、裏がありそう」
「お前な……。じゃあアレだ。リヒターさんちに呼びに来た時、ルリちゃんあやしてくれた礼ってことで」
「……そんなのを恩に感じてたら、首が回らなくなるわよ」
「その時は、不愉快ポイントを積み上げて帳消しにするだけさ」
「そんなのあたしにしか効果ないじゃない」
「はあ?」
意味が分からない、といった顔でフウタは首を傾げ、そのまま厨房の扉を開いた。
「俺別に聖人じゃないから、親しい相手にしか律儀にこんなことしないよ」
「……」
コローナ、連れてきたよー、と楽し気な声。
応じるメイドの「全部食べちった」に対する盛大なツッコミを聞きながら、パスタは鼻を鳴らした。
「いつか後悔するわよ」
フウタの背にそう吐き捨てて、彼女は部屋へと足を踏み入れた。
「へい、パスタ・ポモドーロ! パスタ・ポモドーロおまちい! パスタ・ポモドーロはパスタ・ポモドーロが好きと聞いてパスタ・ポモドーロを作ったんだけどパスタ・ポモドーロのお味はどうだいパスタ・ポモドーロ!」
「まだひと口も食べてないのにほんっとに煩いわねこの魔女は!!」
皿にのせて調理台の上に差し出されたのは、温かな湯気を立ち上らせる香り高きパスタ・ポモドーロ。
くるくる金髪メイドは、座らされたパスタの左右からちょろちょろちょろちょろ騒がしい。
助けを求めてフウタの方を見れば、彼は特に何の感慨も浮かべないまま言い放つ。
「誰かとの食事って、こんなものじゃない?」
「こんなものじゃない!!!」
気合いの入った全否定。
苛立ったまま、カトラリーを手に取って見つめるはパスタ・ポモドーロ。
アーリオとオニヨンが刻んで入れられたポモドーロソースと、完璧な調整がされた硬さのパスタ。
見るからに一級品の食事を前に、しかしパスタの表情は浮かなかった。
すこし彼女の物憂げな表情が気になったフウタだが、食べればきっと喜ぶはずだと自分もフォークを進める。
甘いポモドーロソースの中に効いたオニヨンの食感とアーリオの風味。それが麺とよく絡んで、咀嚼する度に唾液がこみ上げる。またパスタの硬さが旨味を滲みださせ、あとを引く旨味が次の一口を求めてやまない。
「めっちゃ美味しいよ、コローナ」
「だろーな!」
でも、とコローナはちらりとパスタを見やる。
「――想い出の味には、勝てませんよ」
ゆっくりとフォークを進める間、ずっと黙ったままのパスタにフウタも視線を向けた。もくもくと食べ続けているところを見ると、気に入らなかったわけではなさそうだが。
『お前、名前もねえのか。ふーん。この前死んだ猫の名前でもいいか?』
『おう。こんなもんしかねえが、まあ食えや』
『どうだ美味いか。5日も何も食ってなかったんだろ。――なに、不味いだと!?』
『――うーん、確かに麺も固いし、ポモドーロも潰しただけだからな』
――ねぇパパ。
――助けられなくて……恩返しできなくて、ごめんね。
すん、と鼻をすすったような音を最後に。
全部を綺麗に食べ終わったパスタは、フォークを下ろす。
「どうだった、パスタ」
「そうね」
口元を拭って、彼女は立ち上がり背を向ける。
厨房を出て行こうとする彼女を、フウタは慌てて呼び止めた。
「おい、感想くらい言ってけよ」
「……美味しいものを作って貰った礼は言っておくわ。でもごめんなさい」
一息ついて、パスタは言った。
振り返りざま、見せた彼女の表情は柔らかくて。
「あたしの好きなパスタ・ポモドーロはね。こんなに美味しくないのよ」
とてもいつもの悪態とは結び付かないほど儚い笑顔は、一筋の涙も相まって、酷くフウタの心に残るものだった。
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