表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バンドー  作者: シサマ
9/85

第8話 ブラックバンドー


 5月9日・12:00


 ケルンからベルリンへの列車の中、チーム・バンドー一行はホットドッグとコーヒーの質素な昼食を取っていた。

 

 ケルンでの稼ぎは、クレア達に支払われた小学校の警備依頼に10万CP、ケルン署から支払われたハインツとバンドーへの褒賞金15万CPの合計25万CPにとどまり、これをパーティーの5人で分割すると、ひとり僅か5万CPに過ぎない。

 

 賞金稼ぎとしての初仕事で初賞金を得たリンの表情は満足気だが、ポルトガル、フランスでの稼ぎに比べるとやや渋く、パリでリンの兄・ロビーとの喧嘩により汚れた貸衣装を男性陣がやむなく買い取っていた事実を踏まえると、そろそろ堅く稼いでおく必要がある。

 

 観光はひとまず後回しに、まずは首都ベルリンで仕事探しだ。


 「長旅よね……ベルリンに着くの、夕方近くなんでしょ? 取りあえず組合登録はするとして、観光する時間でも無いし、仕事も明日からになるし……二手に分かれない?」

 

 「……? どういう事ですか?」

 

 クレアの突然の提案に、それまで列車の窓から流れる景色を眺めていたリンも振り返る。

 

 「うん、つまり、組合登録と宿探しを同時に済ませちゃおうって話。ベルリンレベルの街だと、良い宿と安い宿の両極端がすぐに埋まっちゃうから」

 

 「流石クレア! すっかりチームマネジャーが板に付いてきた」

 

 ホットドッグの端を千切ってフクちゃんに食べさせていたバンドーは、視線も向けずにクレアに適当な相槌を打ってその場を繕う。


 パーティーが経験値を積んでいく過程に於いて、段々と各々の役割分担が明確になっていくのは、ごく自然な成り行きであった。

 

 財閥の長女で、かつひとりで長く剣士の経験を積んでいたクレアは、パーティーの行動計画とお金の管理を、剣士としての経験値と実力が抜きん出ているハインツは、パーティーの戦術・戦略部分を、EONアーミーの若手有望株だったシルバは相手側の戦力と、その地域に於ける社会的・政治的背景の分析にそれぞれ力を発揮している。

 

 バンドーとリンには際立つ経験値こそないものの、動物・自然環境への親和性、一般人への聞き込みに適した人当たりの良さ、加えてそれぞれに体力と学術知識が備わっていた。

 

 とりわけリンのパリ図書館司書身分証は、一般人が閲覧できないレベルの資料にアクセス出来る、情報収集の最終兵器と言っても過言では無い。


 「東側なら、安い宿が沢山有ります! 自分、旧東ドイツ地域にはよく行かされましたから……」

 

 シルバが宿探しに立候補する。

 軍人時代の彼の経験値ならば、治安と料金のバランスを取ってくれるだろう。

 

 「……私、フランスから出た事が殆どありませんでしたから、ベルリンの壁をどうしても見てみたいんです……私も行っても良いですか?」

 

 リンの問い掛けを耳にして、シルバの顔色に気力がみなぎる様をバンドーとハインツは見逃さなかった。

 

 ハインツがすかさずフォローを入れる。

 

 「東側の連中は、初対面の余所者には無愛想だ。でも悪気はねえ。東側が歴史の変わり目に色々と翻弄されて来た経験を、今も皆が実感しているからなんだ。そんな奴がいても気にするなよ」


 「じゃあ決まりね。あたし達は組合登録を済ませて、目ぼしい仕事を2〜3件持ってくるから、夜にでも検討しましょう。シルバ君とリンは宿を探して、予約したら駅で待ち合わせでいい?」

 

 「場所を電話で教えてくれたら、宿で2人で待っててもいいんだよ」

 

 クレアの素早い段取りに野暮な突っ込みを入れたバンドー。

 ハインツは堪らず吹き出したが、シルバとリンは互いに顔を見合わせた後、バツの悪そうな表情で目線を逸らしてしまった。

 

 「お〜ま〜え〜は〜!」

 

 クレアはバンドーの頬に拳を押し当て、グリグリと捩じ込む。


 

 5月9日・15:00


 ベルリン駅に到着したパーティー一行は、手荷物預かり場に預けていた剣やナイフを受け取り、集合場所の物色を始めていた。

 

 この街を訪れたからには、歴史と魅力は当然として、ラテンの薫りが残るポルトガルやフランスとはまた違った着実な都市計画を感じさせる風景を、目的や計算のない自由な感性で楽しみたい所である。

 

 しかし、これから駅周辺が混雑する時間帯を迎えるに当たって集合場所の選定には注意が必要であり、意外と手間取る事となってしまった。

 

 チーム・バンドーは悪党を退治する賞金稼ぎパーティーと言う立ち位置ではあるものの、物騒な装備をぶら下げ、ぱっと見は悪党と見分けのつかない格好をしているのも事実。

 

 場所が分かりやすいという理由だけで、病院や学校といった社会的弱者の集う場所で待ち合わせする事は、一般人の心情的に少々厳しい。

 

 簡単な協議の結果、家族連れからフーリガン風サポーターまで多彩な客層がトラブルも無く集う不思議な空間、サッカークラブのグッズショップを集合場所に決定した。


 ヘルツォーク・ベルリン・オフィシャルショップ。

 

 

 「それじゃあ、17:00にここ集合ね。遅れる時は携帯電話に連絡を頂戴。シルバ君、大丈夫だとは思うけど、気を付けてね」

 

 「分かりました、気を付けます」

 

 クレアからの呼び掛けに応えるシルバ。

 彼が怪しい道を通る事はまずないが、リンが一緒だけに警戒は万全にしておくべきであろう。

 

 「何だか、ケルンよりも寒いね」

 

 鳥籠の中で何となく落ち着かない様子のフクちゃんをなだめながら、バンドーは肩をすくめて見せる。

 

 ベルリンに到着した瞬間から、今までに旅した地域とは違う、何やら冷たく澄んだ空気が張りつめていた。

 

 時間的にはまだ西陽も当たる頃であり、5月のこの時期として、たまたま今日が涼しいだけなのであろうが、この肌寒さはパーティーの誰もが感じている様子である。そんな時……。


 「どけっ!」


 突然、細い路地裏から2人の男が飛び出す様に現れ、フクちゃんとじゃれ合っていたバンドーに体当たりする形で停止し、彼もろとも派手に道路に転がり落ちる。

 

 「……あっ!? 大変!」

 

激突の弾みで高く舞い上がったフクちゃんの鳥籠を、眼鏡をかけていて魔法が使えないリンが慌てて両手でキャッチし、誰にも助けて貰えなかったバンドーは2人の男とともに道路で揉みくちゃになった。

 

 「痛てて……何だよあんたら……」

 

 バンドーが強打した尻を擦りながら起き上がろうとすると、彼の上にのしかかった男の顔が目前に現れる。

 

 「うぅ……う……」

 

 呼吸は荒く、顔色は蒼白い。

 眼差しも虚ろで、急ぎの用事の途中で激突したとは思えない、病人の様な表情。

 

 もうひとりの男はくわえ煙草をふかしながらゆっくりと立ち上がり、何やら貴金属の擦れる音がする袋を大事そうに抱えている。

 

 この2人、どうやら泥棒らしい。

 

 「おい! 大丈夫か!?」

 

 路地裏から2人の男を追って来たらしい男がバンドーに駆け寄って来た。

 何やら年季の入った剣と防具に身を包んだ男、賞金稼ぎであろうか。

 

 パーティー一行は、突然の出来事に言葉を失っていたが、やがてハインツは臨戦体勢を整え、袋を抱えた男の前に立ち塞がる。

 

 「……待て! 危険だ! そいつは俺がやる!」

 

 男を追って来た賞金稼ぎは、ハインツに目の前の男から離れる様に警告した。

 

 自分の目の前に泥棒らしき男がいる中、手を出せない状況にやや納得が行かないものの、ハインツはひとまず賞金稼ぎの男の言葉に従い、剣を構えたままの状態で数歩後退りする。


 「があぁっ!」

 

 泥棒が全身に力を込めた瞬間、彼の胸が蒼白く光り、その光がくわえ煙草の煙と絡み合う様にまだら模様を描き、煙草の火種を拡大させた。

 

 「!!」

 

 攻撃魔法をいち早く察知したリンは眼鏡を外し、対峙する賞金稼ぎの男を危惧して視線を向ける。


 ドオォッ……


 泥棒の胸から火の玉が吐き出される。

 くわえ煙草の火種が火元とは思えない、人の顔程もある火の玉だ。

 

 「……くあっ!」

 

 男は素早く剣を抜き、剣の側面で火の玉を下から掬い上げる様に振り切る事で、火の玉を空気中に消滅させる。

 

 ハインツもバンドーも、この剣捌きには眼が釘付けとなった。

 タイミングが遅いと火の玉が直撃し、タイミングが早いと火の玉に剣の風が当たって火力が増す、まさにギリギリの判断が要求されるからだ。

 

 シャアァッ……


 次の瞬間、素早く泥棒との間合いを詰めた男は右手1本で肘を伸ばし、剣を地面に平行に滑らせて泥棒の両脛を斬り、背中から地面に転倒させる。

 

 転倒の衝撃で泥棒の抱えた貴金属入りの袋が落ち、中からこぼれ落ちた貴金属のプレートを即座に拾い上げた男は、プレートを泥棒の胸の上に押し当て、ほぼ時を同じくして火の玉の魔法の2発目を発動させた泥棒の胸の光を反射させた。


 ドオォォン……


 泥棒の火の玉の魔法は、自らの胸で爆発し、泥棒は火傷を負ってその場で動かなくなる。

 

 周囲が沈黙に包まれる中、賞金稼ぎの男は淡々と泥棒の火傷を治療し、バンドーと揉み合った後、立ち上がれずにもがき苦しんでいるもうひとりの男を、時折視線を送りながら見張っていた。

 

 やがてサイレンとともにパトカーが現場に到着する。

 どうやら男が追跡しながら警察に通報していたらしい。

 

 男はパトカーから警察官が出てくるとゆっくりと立ち上がり、警察官の肩を叩いて話し掛けた。

 

 「あっちの男はヤク中です。コカインを持っていますが、かなり質の悪いヤクですね。暴れて逃走した後、今は酩酊状態です。宜しくお願いします」

 

 男はそう言って警察官と別れると、息も絶え絶えのヤク中の男にも近づいていく。

 

 「……お前はヤク中だから警察案件だ。だからお前にも一応黙秘権があるが、吐かないとヤクで死ぬぞ。吐いてもいずれ死ぬかも知れないが、せめて家族や友達に謝ってから死ね。じゃあな」


 男は泥棒の元に戻り、治療を終えた後に肩を抱いて立ち上がらせようとしたその時、体内からのゴキッという鈍い音とともに、その場に屈み込んでしまった。

 

 「……痛てて……くっ……だあぁっ……!」


 どうやら、男は腰をやってしまった様子である。

 この屈み具合は、恐らく慢性だろう。

 

 つい先程までの、パーフェクトなヒーローぶりとのギャップが凄すぎる。

 

 「す、すまん……そこの人達、賞金稼ぎだろ? ちょっとコイツを組合に連れていくの、手伝ってくれる……?」

 

 バンドー達も、脱力して暫く動けなかった。


 

 バンドー、クレア、ハインツの3人は、ベルリン駅前で出会った腰痛持ちの凄腕剣士とともに、泥棒魔導士を組合に護送する。

 

 「協力してくれてありがとう。俺の名はシュティンドル、東ベルリンで賞金稼ぎをしている」

 

 男はバンドー達に感謝の言葉を添えて、自己紹介を始めた。

 

 「シュティンドルさん、宜しく。俺はバンドー、こっちがクレア、あっちがハインツです。さっきは凄かったね! 腰痛さえなければ完璧なヒーローだよ」

 

 バンドーは腰痛を話のネタに茶化して見せたものの、シュティンドルの無駄の無い戦いぶりには素直に感銘を受けている。

 

 「恥ずかしい所を見せちまったな。俺ももう36だし、剣士としてはそろそろ引退かもな」

 

 シュティンドルは短髪にシンプルな顎髭、アクセサリーやタトゥーの類いも無い、至って普通の36歳の男性という風貌。

 顔立ちこそ若々しく見えるが、頭髪や髭には若干白いものが混じっていた。

 

 「若い頃は何処で稼いでいたの?」

 

 クレアからの質問に、シュティンドルは待ってましたとばかりに声に力を込めて即答する。

 

 「俺は生まれも育ちも東ベルリン、旧東ドイツを守る剣士なんだ。だから、ベルリンより西には行った事が無い。一族の誇りみたいなもんさ」

 

 2人のやり取りを聞いて驚いたハインツは、尊敬と嘲笑が入り混じった様な複雑な表情で、シュティンドルにその理由を尋ねた。

 

 「おいおい……あんたぐらいの腕があれば、ヨーロッパなら何処でも通用するだろ。寧ろ西側で稼がないと意味がねえんじゃないのか? 東の賞金の低さは有名だぜ」


 

 賞金稼ぎの賞金は、彼等自身の登録料と、仕事を依頼する一般人の依頼料、それに加えて緊急時の自治体や軍、警察等の補助金から賄われ、故に地域の経済格差が如実に賞金に反映される形となる。

 

 ドイツは100年以上も昔から統一していたが、地域によって当然産業や資源が異なる為、旧東ドイツ側が西側に比べ、経済的に苦しむ構図は現在も変わっていなかった。

 

 ハインツが生まれ故郷のチェコではなく、ドイツを拠点に活動している理由はふたつ。

 

 ひとつ目は、当然ドイツの方がチェコよりも賞金が高いから。

 そしてふたつ目は、最強の剣士を目指すハインツにとってはライバル剣士のレベル、悪党のレベルの両方が高いドイツの方が、鍛練の場としての魅力があるからだ。


 

 西陽の眩しさが夕暮れに変わりかける頃、ヨーロッパ最大級の賞金稼ぎ組合・ベルリン支部が見えてくる。

 

 パリの組合すら霞んで見える、巨大で重厚なスケール感。

 ポルトで見た小ぢんまりとしたセンスの良い造りとは対照的な、ビジネスの拠点としての要塞だ。

 

 併設された宿舎は、世界中から集まった賞金稼ぎ達で既に満員。

 クレアはこの光景を目の当たりにし、シルバとリンに宿探しを依頼した、自らの判断が正しかった事を再確認する。

 

 そしてすかさず自分へのご褒美として、ポケットからお菓子を取り出してこっそりと口に含む。


 

 その頃、シルバとリンは観光地としての「ベルリンの壁」の前に立っていた。

 

 ベルリンの壁は東西ドイツ統一後に撤去され、分解された壁の1枚1枚がアートとなり、重要観光地に分散して展示されている。

 

 先の大災害で幾つかは破損したものの、特に修復等は施されず、今や世界がひとつの国に統一された時代に於ける「遠い日のメモリアル」として、人類の自由への渇望の歴史を振り返る資料となっていたのだ。

 

 この通りには僅か4枚の壁が、当時のドイツ人の思い思いのストリートペインティングで彩られていたのだが、110年もの歴史を重ねて壁画は色褪せ、そこに訴えられているメッセージは、今や余りにも基本的な権利に過ぎない。

 

 しかし、だからこそ世界の今があるのだ。


 「当時の自由化は……富への競争力とチャンスを求めた資本主義への渇望だったんですよね、多分……。でも、それが正しいのであれば、環境破壊や大災害なんて起きなかったと思うんです。単純な問題じゃないんですけど……」

 

 リンの呟きは、如何にも読書家らしい。

 

 人類は自然保護を訴える様になって、結果としてより凄惨な自然破壊を行う様になってしまったのだから、歴史はその皮肉に落とし前を着けざるを得なかった……とも考えられるだろう。

 

 「……自分は軍で育ったので、社会主義は独裁者を生みやすいシステムだと単純に考えていました。でも、世界が資本主義に統一された今でも、困難に遭った人を救う為に社会主義的な政策は必要になります。ドイツでも、東側の都市の独自政策はまさに歴史の賜物ですよ」

 

 シルバはそう呟きながらも、リンの横顔の美しさに見とれそうになっていた。

 

 そんな時ふとシルバは、リンが眼鏡を外して首からかけたまま、観光の説明書きを読んでいる事に気が付く。

 

 「……ジェシーさん、眼鏡無しでもちゃんと読めるんですか?」

 

 シルバの素朴な質問を耳にして、ようやく自分の状況に気が付いたリンは、今更ながらに照れ笑いを浮かべてシルバと向き合った。

 

 「……あ、ご免なさい。言ってませんでしたよね。私、眼鏡は伊達なんです。普段の生活で、突然魔法が発動してしまわない様に、眼鏡をかける事で自然の力をレンズで外に反射させているんです。コンタクトを入れても良いんですけど……」

 

 「あ……そうだったんですか! いえいえ、眼鏡の方が似合っていると思います! 第一、コンタクトは読書の邪魔ですよね、痛いし……」

 

 こちらも、今更ながらにリンの秘密を知った気分になったシルバが照れ笑いを浮かべる。

 

 「そう! 痛いし恐いんですよ!」

 

 このやり取りは、何気ない社交辞令に過ぎないのかも知れない。

 だが、お互いにまた一歩理解を深めた様に感じられる、微笑ましいひとときでもあった。

 

 少なくともシルバにとっては。

 

 「……シルバさんは真面目で、凄くしっかりしているから、私よりずっと歳上だと思っていたんです……でも、クレアさんから聞いたら、私よりひとつ歳下なんですよね? 私も……シルバ君って、呼んでもいいですか?」

 

 シルバは一瞬硬直したが、すぐに落ち着きを取り戻した。

 

 「君」付けには正直、弟分として見られている様な複雑な気持ちもあったが、親しみを持ってもらえるのならばそれでも良いと思ったのである。

 

 「勿論いいですよ! ケンちゃんでさえ無ければ」

 

 シルバはわざと苦笑いを浮かべて見せた。

 「ケンちゃん」の愛称の使用が許されるのは、バンドーを始めとするニュージーランドの知り合いだけなのだ。


 

 ベルリンの壁を後に、再び歩き出した2人の目前に、一軒の古びたホテルが姿を現す。

 

 古びてはいるが、所謂モーテルとは違う、れっきとしたホテルだ。

 客室は30程、小規模なビジネスホテル的な佇まいながら、ちゃんとレストランも併設されていた。

 

 「ここです。……アサモアいるかな?」

 

 シルバは独り言の様に呟き、リンを連れて入口に向かう。

 

 「……ああ、お泊まりかい……? シ、シルバ少尉!?」

 

 フロントにひとり、気だるそうに佇んでいたアフリカ系の黒人男性は、シルバの顔を見て驚きを露にしていた。

 

 「アサモア! 久し振りだな! 良かった、お前がいてくれて。今日は客として来たよ。5名頼む」


 

 このホテルの従業員マシュー・アサモアはガーナ移民のドイツ人で、ドイツ東部のロストク育ち。

 シルバとはEONアーミー時代に1年間だけ同じ部隊に所属していた間柄である。

 

 戦闘時の負傷により片足を失い、義足を着けて復帰したものの、彼の将来を心配した両親の繋がりを活かして地元に近いホテルに採用され、シルバより早く軍を除隊していたのだ。

 

 「アサモア、少尉じゃない。俺はあの後中尉までいったんだ」

 

 リンには当然、この状況が全く把握出来ていなかったが、シルバが自分の事を「俺」と呼び、軍隊時代の事を楽しげに話す姿を初めて目の当たりにし、このアサモアという人物がホテルの従業員であった事に、ある種の安堵感を抱いている。


 

 その頃、バンドー達とシュティンドルは組合に泥棒を連行し、シュティンドルの賞金300000CPからお助け料30000CPをお裾分けしてもらっていた。

 

 しかしながら、そんじょそこらではお目にかかれない火の玉を放つ魔導士。

 これが東側の依頼でなければ、500000CPは堅い案件であるはず。

 

 シュティンドルが経済的な不利を受け入れてまで、東側での生活に拘る理由は一体何なのだろう?

 

 「ベルリンは随分、ドラッグ絡みの依頼が多いのね……」

 

 クレアは仕事を探しながら、真実の隠蔽疑惑も多い、警察案件の依頼の多さにやや辟易していた。

 

 「最近は特に、南米から一旦アジアを経由した質の悪いコカインが蔓延しているんだ。薄利多売が見込める環境で、偽物商売の規制が緩い地域と言えば、恐らく中国だろう。そして、ヨーロッパでビジネス以上に中国との繋がりがあるのは、EONP本部のあるロシアだ」

 

 シュティンドルはドラッグ関連の依頼をこなしながら、そのルートについて独自の仮説を立てている様子である。

 

 「俺達がリヨンで捕まえた泥棒も、質の悪いコカインにやられていた。だが、ヨーロッパの薬物汚染に政府が関与していると?」

 

 ハインツは、やや胡散臭げにシュティンドルの仮説に視線を送っている。

 

 知り合いがドラッグに巻き込まれれば、その怒りや憎しみで本質を見失う人間を、ハインツ幼い頃から数多く見てきた。

 そして、そんな人間が時に死に急ぐ懸念を常に警戒してもいた。

 

 「俺のひい祖父さんは、1988年生まれ。去年まで生きていたんだ。110歳だぜ!?正真正銘、最後の東ドイツ人さ。俺はそんなひい祖父さんから沢山のものをもらった。今じゃ骨董品の東ドイツ製の時計や家具、社会主義と資本主義に揺れた歴史、貧しくても忘れちゃいけない地元の産業や資源とかな。今でも、東側なら貧困層の為に社会主義的な対策が一時的に取れる。これは否定すべきじゃない財産だと思う」

 

 シュティンドルの独白を聞いていたバンドーは、彼の思想に共鳴している。

 

 バンドー自身に、社会主義に関する知識はまだまだ不足していたものの、祖父がかつて話していた、失われた故郷・日本に流れていた「助け合い精神」にも似た感覚で対策を捉えていたのだ。

 

 「……だが、今東側で蔓延するドラッグの問題の背景には、経済格差と失業で無気力化する奴等に悪魔が忍び寄っている現実があるんだ。何故、仕事は無いのにドラッグがどんどん押し寄せるんだ? 自分をダメにして、家族や仲間を裏切れば何とか買えるレベルのドラッグが貧しい地域を狙い撃ちするのは自然な事か? おかしいだろ? 俺には妻も子どももいないが、仲間を守る事だけは出来る。そして、救えない奴は安らかに眠るまで施設や病院に入れる使命があるとも思っている」

 

 シュティンドルの更なる決意を耳にしたバンドーは、何か彼の役に立てる事がないかを考えている。

 

 「クレア、ハインツ、仕事探すならシュティンドルさんと一緒に出来るやつにしようよ! ケンちゃんとリンが宿探ししているんだから、どうせ何日かはベルリンの東側にいるんだろ、俺達」

 

 バンドーからの提案に、クレアとハインツも嫌な顔は見せていない。

 ホテルから向かえる仕事という条件であれば、大半がドラッグ絡みの仕事にならざるを得ない現実もあったのだ。

 

 「……いいぜ、シュティンドルが良ければな。だがバンドー、ドラッグ絡みの悪党は本物の悪党だ。今のお前の甘さじゃ命取りになりかねない。シュティンドルから心構えと、剣をもう少し教わっておけ」

 

 ハインツからのアドバイスを受けたバンドーは、意気揚々とシュティンドルに弟子入りを申し出る。

 

 「俺は、剣を握ってまだ1ヶ月です。でも、同じ仕事をするなら過ぎた犯罪の犯人を捕まえるより、助けた人の顔が見える仕事をしてみたいと考えています。役に立てるかどうかは、まだ自信ないですけど、良かったら色々教えて下さい!」

 

 深々と頭を下げるバンドーの「熱さ」が嬉しかったベテラン剣士、シュティンドルは弟子入りをその場で快諾し、チーム・バンドーの宿泊先まで同行する事となった。


 

 5月9日・17:15


 シルバからの連絡を受けたバンドー達は、サッカークラブのグッズショップで待ち合わせた後、ホテルへと向かう。

 

 シュティンドルに稽古を付けてもらう約束をしていたバンドーは、彼にもホテルに泊まる事を勧めたが、仲間との待ち合わせがある為に、明日の朝に再び集合する運びとなっていた。

 

 外は瞬く間に暗く冷え込み、この時期としては異例の気候にベルリンは包まれている。


 夕食までの間、バンドーはシュティンドルから剣の稽古を受け、その一方でハインツ達は明日からの仕事の選定作業に入っていた。

 

 ハインツ達が選んだ仕事は、ドラッグ中毒で実家に毎週金をせびりにやってくるならず者を捕らえ、警察に引き渡すというもので、近くに潜む売人を追うのはシュティンドルの担当となっている。

 

 バンドーやリンの経験が不足している事もあり、最初は無難に危険の少ない仕事を選定したはずであったのだが……。


 

 「そこ、そこだ! お前は初速が遅い。力が強いだけじゃダメだ。走り方を変えてみろ」

 

 シュティンドルからの稽古は、剣術以前のものが多かった。

 

 これまでクレアやハインツとの稽古で剣術の基本はそれなりに身につけていたバンドーではあったが、体力に任せて動き方に無駄が多い事を、今になって指摘されている。

 

 剣士同士の戦いならば誤魔化せる動きも、魔導士や飛び道具を持った相手に対しては誤魔化しは利かない。

 そんな相手の懐に如何に素早く飛び込めるかは、剣士戦術の生命線でもあるのだ。

 

 仕事の前に行うダッシュ型のウォームアップ等、目から鱗の知識を得た所で今日の稽古は終了する。

 

 「……痛ててて。久し振りに基礎練習したら腰が痛てえ痛てえ。だがバンドー、今日の練習だけでも違うはずだせ。剣士は攻める事は勿論だが、時には逃げる事も仕事だからな。じゃ、また明日な!」

 

 「ありがとうございます!」

 

 最後にバンドーとシュティンドルは、互いの携帯電話番号とメールアドレスを交換して別れの挨拶を交わす。

 

 季節外れの暗い寒空を、腰を擦りながらゆっくりと消えていくシュティンドルに手を振りながら見送るバンドーには、心地好い疲労感と剣士としての確かな使命感が感じられていた。


 

 5月9日・22:00

 

 バンドー達が夕食を終え、眠りに就かんとする頃、自宅で剣の手入れをするシュティンドル。

 辺り一面に保管された旧東ドイツの骨董品や、家族や仲間との写真に囲まれながら、彼が最もリラックス出来る時間がここにある。

 

 彼の最愛の両親は、近年の治安の悪化を恐れて隣のオーストリアへと渡ったが、交流は問題なく続いており、来月にはシュティンドル自身もオーストリアへ足を運ぶ予定があるらしい。

 

 優秀な鍛冶屋であった、今は亡き祖父が作り上げた世界にただ1本の剣。

 そして父から子へ、ドイツ東部の伝統を伝承してきた、シュティンドルの命とも言える大切な剣だ。

 

 だが、彼に息子はいない。

 この剣は恐らく、自身の引退とともに役目を終える。

 

 無理の利かない身体にはなったが、彼はまだ剣を置く訳にはいかなかった。


 

 ピンポーン……


 呼び出しのベルが鳴る。

 予定より1時間も遅い到着を不審に思いつつ、シュティンドルは玄関のドアを開ける。

 

 「……シュティンドルさん、すみません……」

 

 そこに立っていたのは、眼鏡をかけた細身の男であった。

 

 蒼白い顔色に、蚊の鳴く様な細い声。

 

 病み上がりなのだろうか?

 取りあえず、深夜にひとりで出歩く様な男には見えない。

 

 「……遅かったなベンダー、今日はいくらだ」

 

 シュティンドルは、ベンダーというその男に対し、やや突き放す様な態度で接していた。

 

 「すみません、シュティンドルさん……50000CP程いただけたら……」

 

 ベンダーはシュティンドルに金銭を要求している。

 だが、その少々卑屈な態度からして、何やら後ろめたい事情がありそうにも見える。

 

 「カウンセリングの料金なんだろ? だが怪しいな。正直、俺はお前がまたドラッグに手を出しているんじゃないかと疑っているよ」


 

 ベンダーはシュティンドルのかつての剣士仲間で、ともに東部の治安を守ってきた間柄であった。

 しかし、賞金稼ぎを続ける事に反対していた妻と幼い娘に別れを切り出され、彼は喪失感から偶然押収したドラッグに手を出してしまう。

 

 仲間や親族との絆を失う程の壮絶なリハビリを経てベンダーは再起し、シュティンドルも自らが賞金稼ぎに誘った責任感から、彼を支え続ける。

 だが、ベンダーには既に賞金稼ぎに戻れる体力とモチベーションは存在せず、ドラッグ中毒の前科者には堅気の仕事も見つからなかった。

 

 「……信じて下さい、シュティンドルさん。俺、今はやってないです。ちょっと高い要求だとは思いますけど、カウンセリングの数を増やして、誘惑に負けない様にしてるんです」

 

 ベンダーは蒼白い顔に、不自然なまでに大量の汗をかいている。

 シュティンドルにも、流石に彼の実情は露呈していたのである。

 

 「ベンダー、金はこれで最後だ。お前の人生の責任の一部は俺にある。だから今まで支えてきたが、もし今度来た時はまたリハビリ施設に押し込む。分かったな。分かったら明日からひとりで生きろ」

 

 シュティンドルはそう言い残し、寒さを凌ぐ為か手袋をしているベンダーに50000CPを手渡し、玄関のドアを開けた。


 だが外には、見た事の無い2人の男が立っている。


 「シュティンドルよぉ、昔の仲間にその態度は冷た過ぎるんじゃねえかぁ?」

 

 季節外れの寒空の中、眼が隠れる程深くニット帽を被った2人組の男は、如何にもドラッグの売人らしい不敵な人相の持ち主であった。

 片方はドイツ系、もう片方は中国系だろうか?

 

 「……やっぱり、そうだったのか……」

 

 シュティンドルはベンダーを睨み付け、睨まれたベンダーは肩をすくめて震えていた。

 

 「シュティンドル、俺等はベンダーの付き添いに来た訳じゃない。東での商売に邪魔な奴をそろそろ始末したくて来たのさ。あんたの部屋にはカネになる物も沢山あるしな」

 

 ドイツ系の売人が、シュティンドルの財産である旧東ドイツ製の家具や時計を、舐め回す様にゆっくりと眺める。

 

 「……お前ら、俺が誰だか知っていて、それでも始末出来ると……!」

 

 シュティンドルが剣に手を伸ばそうと、売人に背を向けた瞬間、中国系の売人が隠し持っていた金属バットがシュティンドルの背中を全力でヒットした。

 

 「……がはあぁっ!」

 

 突然の激痛に悶え苦しむシュティンドルは、机にもたれかかる様にして倒れ込み、床にうつ伏せの状態で動けなくなってしまう。

 

 「ハハッ! こいつ腰痛持ちなんだとよ! 東のヒーローが笑わせるぜ。もう動けないんだろ?」

 

 激痛と屈辱感に震えながらも、シュティンドルはこっそりと携帯電話を胸の下に隠し、メールにメッセージを託そうと試みていた。

 

 「俺はよぉ、いたぶって殺すのは好きじゃないんだ。出来るだけ痛みが無い様に、一発で殺してやりたい。優しいだろ? おいベンダー!」

 

 売人の男はベンダーを怒鳴り付け、机の上で手入れされていたシュティンドルの剣を指差す。

 

 「お前手袋してんだろ? 殺れ。自分の剣で死なせてやれ」

 

 蒼白い顔を更に蒼ざめさせ、ベンダーは激しく頭を横に降って命令を拒絶する。

 

 「無理だよ! 出来る訳無い! 恩人を殺すなんて……」

 

 中国系の売人はその光景に動揺する様子もみせず、ベンダーを突き放してみせた。

 

 「……そうか、嫌か。じゃあお前との取引は今日で終わりだ。東で俺達より安くヤクを売る奴がいるかな?」

 

 「……そ、そんな……!」

 

 激しく動揺するベンダー。

 

 だが、ドラッグの誘惑は、例え身体が拒否しても脳が受け入れる。

 

 ドラッグの誘惑は、恩人の命の重さをも上回る。確実に上回る。

 

 「……ベンダー、今俺を殺らなきゃいけねえレベルなら、どうせお前は長くない。好きにしろや……」

 

 「うるせえっ!」

 

 最後の抵抗に業を煮やしたドイツ系の売人がベッドから枕を奪い、床とシュティンドルの顔の間に挟み込んだ。

 

 「シュティンドルを黙らせろ! ベンダー! 殺るんだ!」

 

 脂汗と涙でぐしゃぐしゃの顔で、ベンダーは剣に手を伸ばし、背中からシュティンドルの心臓の位置を推測する。

 

 頭の中は真っ白だ。


 だが、その真っ白な色は、ドラッグの色でもあるのだ。


 ドスッ……


 声にならない悲鳴とともに、売人達は部屋の中を物色して金目の物を略奪する。

 

 大量の返り血を恐れて、シュティンドル以外の指紋は付いていない彼の剣を身体に刺したまま、売人達はベンダーに1回分のコカインを渡し、手際よく撤退した。


 「うわああぁぁ! うわああぁぁ! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 ベンダーはひとり泣き叫びながら、手元のコカインに手を伸ばして吸引する。

 

 無我夢中で吸った。

 

 満ち足りた幸福感。

 全てのマイナス感情を忘れる至福のひととき。


 そうだ、俺は無敵だ、無敵だ。


 薬の効果が切れるまでは、無敵だ……。


 その頃、既に眠りに就いていたバンドーの携帯電話には、シュティンドルからの最後のメッセージが届いていた。


 

 5月10日・10:00


 バンドー達が目を覚ましたのは、パトカーのサイレンがホテルを通過した丑三つ時。

 

 地元のヒーローの突然の暗殺にドイツ東部全体は深い悲しみと絶望に包まれ、ロストク育ちのアサモアもいち早くシルバに現状報告している。


 バンドーは暫し呆然と立ちすくみ、携帯電話のメールを見るまでは、その事実自体を信じようとはしなかった。


 

 「ベンダーと」


 シュティンドルからの最後のメッセージは、ここで途切れている。


 「……恐らく、ベンダーという人間が実行犯でしょう。その後に、売人なのかチンピラなのか、共犯者の特徴を知らせようとしたんだと思います」

 

 まだ現場には行っていないものの、シュティンドルの部屋から貴重品が無くなっているという情報が入り、シルバは冷静に複数犯の分析を行っていた。

 

 「シュティンドルは、優しい男だが甘くは無い。昔の仲間にヤク中がいると言う噂は聞いていたから、多分そいつだ。仲間だけは突き放せなかったんだな、可哀想に……」

 

 アサモアも、かつて客として来ていたシュティンドルに哀悼の意を表する。


 「……どうするの? シュティンドルがいる前提で仕事を引き受けたけど……」

 

 クレアは、今日の仕事の行く末を不安視していた。

 ヤク中患者は見分けられても、パーティーのメンバーにベルリンの売人についての知識は殆ど無い。

 

 「そんなの、やるに決まってるだろ!」

 

 バンドーは、いつになく荒々しい態度で声を絞り上げた。

 

 「ヤク中の方を締め上げれば、売人だって芋づる式に引き上げられるだろ!」


 殺気立つバンドーに少々懸念を抱きながらも、ハインツは仕事を予定通り行う事を決断する。

 シュティンドルの死に賞金稼ぎが怖じ気付けば、それこそ売人の思うつぼである。

 

 「……バンドー、落ち着けよ。今日は無理しなくてもいい。リンと一緒に、シュティンドルの盗難品を探ってくれ」

 

 ハインツからのその指示を受け入れられないバンドーは、仲間が肩に差し伸べた手を強引に振り払ってしまう。

 

 ヨーロッパに来て以来、賞金首の悪党を含めても、自分とともに行動した人間の死を経験する事自体が初めてだったのだ。

 

 バンドーは何処か遠くの一点をまっすぐ、ひたすらまっすぐに見つめている。

 

 「俺は犯人を探す。ヤク中も売人も締め上げてやる」

 

 バンドーの様子を暫し観察していたクレアから、ハインツに向けてバツサインが出される。

 今のバンドーは他人の意見は聞けない精神状態にあった。

 

 「盗難品探しは、あたしとリンがやるわ。あんた達はまず、患者の確保を最優先でお願いね。バンドー、これから会う患者はシュティンドルとは関係無いわ。乱暴はしない事、いいわね?」

 

 バンドーは渋々承諾した様な、苦み走った表情を浮かべてクレアの指示に頷いて見せる。


 

 クレアとリンは、犯人と売人が資金確保の為にシュティンドルの貴重な時計や家具を売り捌いたと推測し、警察と賞金稼ぎ組合の協力を得て、ドイツ東部の骨董品店を手当たり次第に回っていた。

 

 店の開店から1時間余り、恐らく売却と追いかけっこの様な状況が生まれ、運がよければ犯人と対面出来るかも知れない。


 「えっ? あの時計、盗品なんですか? ……そんなぁ……あんな貴重なもの、2度と手に入りませんよ……」

 

 残念そうに目を伏せて語り、後ろ髪を引かれる思いでカウンターに時計を持ってきた店主。

 3軒目で初めて見つけた盗難品は、どうやら200万CPの高値が付いた様子である。

 

 「眼鏡をかけた、痩せた男です。病気の治療の為にお金が必要なんだって……見たら誰でも信じちゃう位に具合が悪そうでしたよ。まさか麻薬だなんて……」

 

 「これで犯人の人相が割れましたね。シルバ君に連絡します」

 

 リンはそう言って、シルバに電話をかけて詳細を報告した。

 

 クレアはふと、リンがシルバだけに君付けしている事実に気付いたが、私事は後回し。

 ドラッグに取り憑かれると、たった1回の快楽の為に全てを投げ出してしまう現実に、改めて戦慄が2人を襲う。

 

 4軒目の店では、家具と剣が見つかった。

 

 店の奥に目を向けると、何やら初老の夫婦らしき2人組が警察と会話している。

 

 報せを受けて、隣の地域であるオーストリアから急いで駆け付けたシュティンドルの両親だ。

 

 着のみ着のままで駆け付けた両親は身なりも乱れ、顔もやつれている。

 

 恐らく、現場を見て堪らずに捜査に協力する方を選んだに違いない。

 息子はまだ生きている、今はギリギリの治療をしているんだと、自らに言い聞かせて……。


 警察との会話をうっかり盗み聞きしてしまった所、家具や剣は回収せずに、欲しい人に譲るという内容であった。

 

 息子が殺された事を思い出すから剣は見たくない、という気持ちは理解できる。

 旧東ドイツの貴重な家具も、博物館にでも預けるべきだと考えたのではなかろうか。

 

 「クレアさん! 残りの時計と家具も見つかったそうです! これでシルバ君達に合流出来ますよ」

 

 組合から連絡を受けたリンがクレアに調査状況を報告する。

 これを受けて、クレアは少しばかり考え込み、やがて決断してシュティンドルの両親の元へと歩み寄った。

 

 「初めまして、シュティンドルさんの友人のクレアです。この度はこんな事が起きてしまい、友人としても責任を感じております。申し訳ありませんでした……」

 

 クレアの突然の挨拶に、シュティンドルの両親は驚きを隠さなかったものの、彼女からの礼儀をわきまえた謝罪に胸を撫で下ろし、深々と頭を下げて対応する。

 

 「……最期こそ残念でしたが、息子はやりたい事を貫けて幸せだったと思います……。親としては、もっと早く賞金稼ぎを引退して欲しかったのですが……」

 

 これは紛う事無き、親としての本音であろう。

 

 「……こんな時期に大変失礼かと思いますが、シュティンドルさんには弟子がいました。彼は仇を討とうと、シュティンドルさんの教えを守って精進しようとしています。宜しければ、シュティンドルさんの形見の剣を、そのお弟子さんに譲りたいのですが……」

 

 シュティンドルの剣を造った祖父は既に他界しており、堅気の両親としては、剣の存在はさほど重要なものでは無かった。

 

 「……ええ、いいですよ。息子の遺志を継いでくれる方がいるのであれば、それは有り難い事です」

 

 「有り難う御座います」

 

 両親の快諾に、クレアは育ちの良さを活かした丁寧な感謝の意を述べて、その場を後にする。

 

 「……クレアさん、まさか……?」

 

 リンの推測はその言葉を最後に、表に出る事は無かったが、恐らく彼女の推測は正しい。

 

 これが今、自分を見失いそうになっているバンドーへの、間違いない最終兵器だ。


 

 5月10日・13:00


 昨夜とはうって変わった晴天の中、汗ばむ程の陽射しが照りつける住宅街の一角で、バンドー達はとあるドラッグ中毒患者を待ち続ける。

 

 名前はヨハン・ツィーラー、40歳。

 

 失業・離婚を機にドラッグに手を出したが、両親が西側の賃貸も運営していた背景がある為金銭的に余裕があり、自らの持ち物である住宅でツィーラーが暴れても様々なフォローが利く事から、これまで家の面目を重視して身内だけで問題を解決して来た。

 

 しかし、今回彼は西側のクラブで純度の高いコカインにも手を出してしまい、流石の上流階級も首が回らなくなって来たのである。

 

 初老の両親としては、息子の行く先の不安に怯えるよりは、罪を償って施設で更生して欲しいと考えるのが普通であろう。

 

 ツィーラーの普段の性格は、真面目で大人しい。

 体格も172㎝・65㎏と、ドイツ人としては小柄なくらいである。

 

 だが、一度ドラッグが絡むと人間は変わってしまう。

 コカインは特に、キマると痛みを感じなくなる為、本人がギブアップしない限りは無敵となり、素人が喧嘩の相手をするのは危険だ。


 「来たぜ!」

 

 ハインツは住宅の敷地を蛇行する様にふらつくひとりの男をマークする。


 確かに、身長、体重ともデータに近い体格で、髭は立派だが頭が寂しくなって来た風貌も年齢的に近そうだ。

 

「親父、開けてくれ」

 

 初めの内は、どんな容疑者でもごく普通の挨拶に来るのである。

 

 「……開けろよ! ブッ飛ばすぞ!」

 

 玄関のドアを蹴り飛ばし、いよいよ禁断症状が出始める頃だ。

 

 「そろそろ行くぜ……? おい、バンドー!」

 

 バンドーはひとりで勝手にツィーラーの元に歩み寄り、いきなり胸ぐらを掴んで尋問を始める。

 

 「お前はベンダーか?」

 

 バンドーは、ツィーラーとは何の関係もないベンダーの名前を出してきた。まずい。

 

 「……? 何だコラ。ラリってんじゃね……ぶっ!」

 バンドーはいきなりツィーラーの顔面に全力パンチを喰らわせ、コンクリートの地面へと転がす。

 

 「お前はベンダーかって訊いてるんだよ!」

 

 ハインツとシルバは、バンドーの暴走を目撃して慌てて住宅前に飛び出した。

 

 これでは計画も何もあったものではない。

 

 「し、知らねぇよ! 俺はツィーラーだ! ベンダーって、シュティンドル殺しの犯人だろ? 俺とはヤクの入手先が違うんだよ!」

 

 ツィーラーは鼻血を流しながら慌てて弁明する。

 普通に考えれば、バンドーの方が悪党であった。

 

 「バンドーさん! やめて下さい! こいつとベンダーは関係ないんです」

 

 シルバはバンドーを後ろから羽交い締めにし、何とか動きを止める。

 

 「ケンちゃん……離せよ! こいつを痛めつけて、売人の居場所を吐かせる、売人を痛めつけて、別の患者と売人の居場所を吐かせる、そうやればいずれは全員検挙だろ! ひとりひとり、命が惜しければの話だがな!」

 

 怒りで周りが見えなくなっているバンドーに、シルバとハインツは愕然としていた。

 そして何より、仲間に取り押さえられても自分への敵意が微塵も衰えなかったバンドーを見上げて、ツィーラーは恐怖のあまり秘密を白状せざるを得なくなっていた。

 

 「……分かったよ、俺がヤクを買う売人は、隣のマンションの2階の部屋から監視してるんだ。野球帽の男さ」

 

 「……任せろ!」

 

 ハインツは全速力で隣のマンションへと向かい、ツィーラー周辺の異常に気付いた売人は、ハインツがマンションの入口に向かうタイミングで2階の窓から飛び降り、すれ違いの距離感を利用して逃げ切ろうとしていた。

 

 だが、着地予想地点にはバンドーが……。

 

 「ぎゃあぁっ!」

 

 一瞬の隙を見計らってシルバから逃れたバンドーは、売人の着地予想地点から全力のハイキックを喰らわせる。

 

 着地の体勢を取る前であった為、売人は小枝の様に地面に転がり、気絶してしまったのか微動だにしなくなってしまった。

 

 「馬鹿野郎! 目を覚ませ!」

 

 激怒したハインツは、自らの剣の峰で思い切りバンドーの頭を叩く。

 

 峰打ちとは言え、これだけの全力であればバンドーも無傷では済まない。額から出血したバンドーはそのまま膝から崩れ落ち、呆然と座り込む。


 バンドーの行為自体には許しがたい部分もあったが、結果としてそれが仕事を早く終わらせてしまった。

 バンドーの言う「全員検挙」が凶悪犯に於いて、結局の所唯一の解決策になってしまうのであろうか?


 野球帽の売人が目を覚ますと、自身はツィーラーと仲良く手錠で繋がれた状態にある。

 警察への連行をハインツから告げられると、悔し紛れの捨て台詞を吐きながら、売人は悪態をついて見せた。

 

 「……へっ、どうせ警察に送られたって、今の俺が売るべきヤクを持っていなければ、証拠が足りなくてすぐ釈放さ。残念だったな」

 

 「そしたらまた蹴り飛ばしてやるよ。もう1回やれるんなら楽しみだな」

 

 額から出血しながら不適な笑みを浮かべるバンドーの圧倒的な殺気に、売人は血相を変えて黙りこむ。


 「シルバ君! ベンダーと共犯者の情報が出揃いました!」

 

 「盗難品も回収出来たわよ〜!」


 リンとクレアが、仕事を終えて合流した。

 

 だが、今のバンドーに2人を近づけてはいけない。

 

 「ジェシーさん、クレアさん、止まって下さい! バンドーさんがおかしいんです!」

 

 シルバは、バンドーとクレア達の間に入って両手を大きく広げた。

 その様子を見て2人も急ブレーキをかけて止まり、ブレーキの反動でリンが持っていたフクちゃんの鳥籠の入口が開き、フクちゃんは住宅街の空に飛び立ってしまう。

 

 「あっ……フクちゃん!」

 

 リンが慌てた様子で地面からジャンプして手を伸ばすものの、そんなジャンプで手が届く訳は無かった。やはり天然である。

 

 しかし、自由の身であるはずのフクちゃんは、何故か大空を雄大に飛び回る事はせず、5メートル位の低空飛行からバンドーの頭上にスタンバイする。

 

 そして、自らの背中にある光沢のある白い物体から光を放ち、やがてそれが1本の光線となってバンドーの頭上へと落とされた。


 「ぎゃっ! 痛ってぇ」


 皆が呆然と見守る中(ツィーラー、売人含む)、ハインツの峰打ちに加えてフクちゃんの光線まで頭上に喰らったバンドーはその場に卒倒し、やがてフクちゃんは自ら凄まじい車庫入れテクニックを駆使して、バック飛行で鳥籠に収容される。


 

 バンドーが目覚めた時、彼の視界には皆の姿があった(ツィーラー、売人は既に警察行き)。

 見るからに憑き物が取れたと言うべきか、普段のバンドーの雰囲気に戻っていると感じたリンは、恐る恐るバンドーに話かけてみた。

 

 「バンドーさん、頭打って倒れたんですけど……大丈夫ですか?」

 

 「……あ、うん、大丈夫。皆ありがと」

 

 何の曇りも無い、いつもの太字スマイルのバンドーがそこにいる。

 

 「ああ〜、良かった! 心配させないでよね!」

 

 「全くだ、凶悪なお前なんて誰も見たくないからな!」

 

 クレアもハインツも、バンドーが普段の穏やかなキャラクターに戻れた事を、安堵の表情を浮かべて喜んだ。

 

 バンドー本人としては、他人から言われて初めて悪い夢を見ていた様な気分になる、その程度の意識しか無かったのだろう。

 

 だが、誰の心にも極限状態に於ける闇は潜んでいるのである。

 

 ベンダーが、僅かなコカインの為に10年来の恩人を殺せてしまった様に……。

 

 それにしても、フクちゃんの光線が無ければバンドーは暴れ続けていたのだろうか……?

 

 やはりこのフクロウ、普通の動物ではない。

 

 

 ツィーラーと売人を警察に引き渡し、ツィーラーの家族が謝礼を弾んでくれた事から、40万CPの賞金を手に入れたチーム・バンドー。

 東の仕事としては、なかなかに良い額である。


 「シュティンドル殺しの犯人はマーカス・ベンダー、かつてシュティンドルの仲間だったけど、今では眼鏡をかけた痩せこけている男よ。ドラッグを売人から買う時以外は自宅に引き込もっているから、捜索は簡単ね。売人の方は、マックスとリャンの2人組。リャンは中国系で、多分中国とドイツを行き来してドラッグの仕入れを指揮しているんだと思うわ。陸路と海路の警備を強化しているのに、中国経由の安価で悪質なコカインの輸入は増え続けているみたいね。恐らく、ヨーロッパの何処かの空港をチャイナマネーが買収しているのよ」

 

 クレアは、今までに出揃った情報を読み上げる。

 だが、この情報が事実ならば、いずれリャンは中国にとんずらする可能性が高いと言えた。

 

 「空港の手配は、ドイツ、オーストリア、スイス全土が協力してくれました!」

 

 シルバは、シュティンドルの功績と、オーストリアから駆け付けた彼の両親の訴えが3地域を動かした現実を強調する。

 

 110年前のドイツ統一、そして現在の元ドイツ語圏の協力。

 時を重ねて、世界が少しでも前に進んでいると信じたかったのだ。

 

 「よし、まずはベンダーの検挙だな! バンドー、憎いだろうが、冷静にな」

 

 ハインツは仕事の大詰めを前に、バンドーに釘を刺す事を怠らない。


 「……ふふん、バンドー、これを見て!」

 

 クレアが皆の前に見せたものは、シュティンドル愛用の剣。

 

 彼の両親が物に執着するタイプでは無かった為、旧東ドイツの骨董品は博物館へ、剣はシュティンドルの遺志を継ぐべき弟子に贈る事となり、クレアの機転もあってバンドーに剣が贈られる事となったのである。

 

 「……ご両親が……これを俺に?」

 

 責任やら感動やら、武者震いやら、様々な感情が混ざり合って、今の心境を上手く言葉には出来ない様子のバンドー。

 

 だが、シュティンドルの遺志を継いだ彼がするべき事はただひとつ、守るべきものを見つけて、剣士として戦う人生を送る事だった。


 (……シュティンドルさん、見ていてくれ。俺、まだまだ新米剣士だけど、ベンダーを改心させて、売人を捕まえて、東ドイツのドラッグを防いで見せる!)

 


 5月10日・15:30


 「何だって!? ヤクが足りない?」

 

 明らかに憮然とした表情で詰め寄るベンダーを、薄ら笑いでからかうマックスとリャン。

 

 「おいおい、ここはお前のアパートだろ? 隣にヤクなんて言葉、聞かれたらまずいんじゃないか?」

 

 マックスの言葉にベンダーは慌てて口に手を当て、感情的な振舞いを悔やむ。

 しかし、怒りは後悔をも突き破って前進した。

 

 「金は、前払いで渡したはずだ! シュティンドルを殺してまで、貴重な骨董品を売ってまで得た金なんだ。1000万CPはあったはずだろ? 今までの値段なら、1年分の額だ!」

 

 シュティンドルを殺した後、ベンダーは部屋の骨董品を盗んで売り捌き、その売り上げで得た約1000万CPをベンダーがそのままマックスとリャンに支払う事で、1年分のコカインを売ってもらう口約束である。


 「……だから、後で持って来るって言ってるだろ。最近俺達大人気で、お前にやる分くらいはまだ残っていると思っていたんだが、また中国に戻ってヤクを持って来ないといけなくなったんだよ。俺達はお前の金を少しの間借りるだけさ。飛行機の燃料が必要だし、空港への賄賂も必要だしな。それに、ちゃんと当面の分は手元に置いてっただろ?」

 

 リャンは、ベンダーの態度にうんざりした様な表情を見せ、取りあえず間に合わせで彼に渡した5回分のコカインを指差した。

 

 「帰るんなら、5回分の金だけ持って行け。お前達、シュティンドルの死で東が騒がしくなったから、ほとぼりが冷めるまで中国にとんずらするつもりなんだろ? 金さえ戻れば、お前らからじゃなくてもヤクは買えるんだ! もっと上物をな!」

 

 ベンダーはようやく、自分が食い物にされている事に気付く。

 考えなくても、誰にでもすぐに分かる搾取の仕組みである。

 

 だが、ドラッグに一度犯されたら最後、人間の脳はドラッグをキメた日にしかまともに働かないのだ。

 

 全てが遅すぎる。


 「……このクズが!」

 

 マックスが素早くベンダーの懐に入り、挨拶代わりの軽いパンチを相手の顔面にお見舞いした。

 

 ベンダーは思わずよろめき、頬を押さえながら後退りする。

 

 「お前が集めた1000万CPって、何だよ。迷惑をかけても見捨てずにいてくれた恩人を、僅かなコカインの為に殺して、そいつの御先祖様の大切なコレクションを盗んで売り捌き、俺等が見逃した剣まで抜いて売ったんだろ? 何でそんなデカい顔が出来るんだよ?ああ!?」

 

 マックスの説教は、至極真っ当なものだった。

 

 ただ、語る資格の無い者が語っているという現実を除けばの話だが……。

 

 「……俺が、何の苦労もなくここまでのし上がったと思ってるのか? マンホールで暮らして、泥水をすすり、仲間が死ぬ所を何度も見せられて、やっとここまで来たんだ。お前みたいに、嫌な事から逃げるだけの行為にもヤクがいる、弱っちい奴と一緒にするな! お前は自分が数日間生きる為だけに、大切なものを殺し続ける人生をこれからも送るんだよ!」

 

 リャンも我慢の限界が訪れたのか、いつになく感情的になっている。


 「そうだな……俺はクズだよ。クズらしく死ぬ時が来たのかもな……!」

 

 ベンダーは、クローゼットに隠していた自分の剣を抜いた。

 

 何年ぶりだろう。剣を振るのは。

 

 ドラッグの為に全てを捨てたはずの男は、自分だけでも生き延びる最後の決戦の為に、剣を捨てる事だけは出来なかったのである。


 「おらあっ! ちょっと待ったぁ!」


 ハインツが叫び声とともにドアを蹴破った。

 

 そこで彼等が見た光景はまさに、「こんな狭いアパートにクズがぎっしり」である。

 

 「……ちょうどいいな。ベンダーは賞金稼ぎさんに任せて、俺等はとんずらしようぜ」

 

 リャンはマックスに目で合図を送り、金と最低限のコカインを持って立ち去る準備を整えた。

 

 「……行かせないわよ!」

 

 クレアとシルバが売人コンビの行く手に立ち塞がる。

 

 最近、剣の出番の無い仕事やオヤジに下半身タックルを受ける等、ストレスが溜まりまくっていたクレアは、やる気満々であった。

 

 「ちっ……通せんぼして航空機のフライト時刻が過ぎるのを待つってか…? 残念ながら、俺達は社長の自家用ジェットで来てるんだよ。ゆっくりお相手してやるぜ」

 

 リャンに比べて屈強な体格のマックスは、シルバの素性は知らずとも、全く相手を恐れていない。

 

 「……せいやあぁっ!」

 

 マックスは少しばかりの助走を付け、シルバと真っ正面から組み合った。

 

 シルバはその助走の分だけ押し込まれたものの、持ち前のパワーですぐに盛り返す。

 

 「……いいですね……こう言う戦い方。訓練を思い出しますよ……」

 

 シルバはマックスと組み合いながらも、その長いリーチとパワーを活かして少しずつ組み手を下半身に移動させ、マックスの膝裏を強く握った。

 

 「……!! あがががっ……」

 

 突然の激痛に、堪らず上体が反れるマックス。

 シルバはその隙を見逃さず肩から首に手を掛け、ものの数秒でマックスを絞め落とす。

 

 クレアはリャンが振り回すヌンチャクに気を取られてはいたものの、適切な間合いを取って刃にヌンチャクを絡ませない限り、剣技に長ける彼女にとってさほど問題では無かった。

 

 「はあぁっ!」


 クレアはわざと大きな身振りで身体を屈め、リャンのヌンチャクが届かない下から剣を振る素振りを見せつつ、左の腰に忍ばせた短刀を素早く抜き、リャンの顔に近づける。

 

 「……くっ!」

 

 顔に迫る刃にとっさにピンチを感じたリャンは、ヌンチャクを真っ正面の短刀に絡めてしまい、クレアが左手の短刀を放り投げるといとも簡単に丸腰となり、クレアは右手の剣でリャンの胸に触れ、勝負を決した。


 「畜生! 寄るんじゃねぇ」

 

 ただでさえ久し振りの剣で型が覚束無いベンダーは、左右からバンドーとハインツに挟まれて明らかに狼狽している。

 

 少々呆れた様子のハインツは剣を収めて後退し、バンドーにシュティンドルの仇を伐つ様促した。


 (初速のスピード……相手の懐に飛び込む……)

 

 まるで剣が喋っているかの様に、バンドーはシュティンドルとの稽古を詳細に思い出し、納得が行くまで細かいステップを刻み続ける。

 

 「この野郎……踊ってんのか?」

 

 痺れを切らしたベンダーは、バンドーのその足を狙い剣を上下に大振りし始めた。


 バンドーはその動きを反復させて見切り、ベンダーが剣を振り上げた瞬間、剣を降ろせない間合いまで相手の懐に飛び込む事に成功する。

 

 「……あぐっ……!」

 

 斬り付けるまでもないと判断したバンドーは、ベンダーのみぞおちに膝蹴りを喰らわせてダウンを奪った。


 全くする事の無かったリンは、クズ3人衆に丁寧に手錠をつけて差し上げ、最後にドイツ語圏地域の空港手配を知らせる事で売人の希望を奪う。任務完了である。


 

 戦いを終えたパーティーが警察を待つ間、手持ち無沙汰にベンダーの部屋を見回していたバンドーは、剣が隠されていたクローゼットの中から、妻と幼い娘との色褪せた3ショット写真を見つけた。

 

 何故、この幸せが続かなかったのだろう……。

 

 ベンダーの離婚の原因が本当に賞金稼ぎを辞めなかった事なのであれば、今の自分も何時かは幸せの為にこの仕事を捨てる時が来る。

 

 それに抗い、最期まで賞金稼ぎとして輝こうとしていたシュティンドルの人生は、結局は妻も子も無い、僅か36年の生涯なのだ。

 

 だが、ドイツ東部を愛し、歴史と文化、産業をリスペクトし、最期まで故郷を守り続けたヒーロー、シュティンドルは、例え人々の記憶から消えたとしても、バンドーの手の中で今も誰かの為に戦い続けている。


  

  (続く)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ヨーロッパのお国事情がたくさんあって旅行番組が大好きな人間としてはチームバンドーと旅行気分が味わえます。 [気になる点] 「…」バンドー、落ち着けよ。今日は無理しなくてもいい。リンと一緒に…
2020/06/30 18:29 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ