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バンドー  作者: シサマ
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第81話 執念の仕置人 バンドー絶体絶命!


 7月20日・0:00


 ジルコフ大佐の射殺により軍部強硬派のクーデターを鎮圧した、ロドリゲス隊長率いる混合部隊。

 

 ジルコフ大佐本人をはじめとする死者12名の中に、レブロフ一派の人質と混合部隊隊員は含まれていない。

 負傷者こそ多数出てしまったものの、総勢600名に及ぶ人間が関与した衝突としては穏便な結果と言えるだろう。

 

 しかしその一方、クーデター鎮圧の事実を知らない北欧出身の賞金稼ぎアッガーが、所属先のフェリックス陣営とともにモスクワ入りを目指しているという情報が入る。

 これにより、混合部隊の解散は先送りされてしまった。


 「クーデター鎮圧により、モスクワ市民は避難の必要がなくなった。軍人や警官に加えて、ギネシュやスコット達が集めてくれた賞金稼ぎも戦力になる。フェリックスと言えども、モスクワの交通規制を簡単に突破する事は出来ないだろう。ノルドベイト、君には本当に感謝している。フェリックスの始末は我々に任せて、自宅でゆっくり休むがいい」


 アッガーと交流があり、相手も戦いを回避する事を臨んでいた北欧出身の狙撃手、ノルドベイト。

 アッガーの安否が気になる彼は、ロドリゲス隊長からの命令に戸惑っている。


 「ノルドベイト、大丈夫だ。アッガーの生き方から考えて、奴は馬鹿じゃねえ。ジルコフが死んで、部下達も逮捕されたと分かりゃあ、無意味な復讐は諦めるだろうよ!」


 肩を負傷したとは言え、まだまだ闘志みなぎるハインツ。

 ナシャーラの魔力は強大だが、フェリックス陣営に対しては逮捕拘束が基本方針であり、狙撃手は必要ないだろう。


 「……ノルドベイト、仮に部隊の身に何かあった時、君は貴重な証人になるのだ。不安があるなら、私とヒメネス議長と一緒にモスクワの警察本部に行こう」


 「了解です、レブロフ司令官!」

 

 レブロフ司令官からモスクワ警察本部行きを勧められたノルドベイトは、晴れて司令官の座を継続する事となった上官に従う。

 長時間の監禁生活から解放され、未だ身体のバランス感覚が回復していないレブロフ司令官は、ノルドベイトとヒメネス議長に支えられながらパトカーに乗り込んだ。


 「皆よく聞け! フェリックスの部隊は貨物ヘリ2機分、戦力としては50名程だ。モスクワの交通規制を強行突破出来るのは、その半分もいないだろう。数は少ないが、その分実力と覚悟の備わった精鋭だと考えろ。気持ちは高ぶるだろうが、奴等がここまで来るのは恐らく朝方だ。見張りは医療機関に任せて、今は少しでも仮眠を取っておけ!」


 「おう!」


 剣士としての人生があるアッガーやメナハムはまだ説得の余地があるものの、より政治的な意図と野望を持つナシャーラやヨーラムを門前払いする事は難しい。

 混合部隊に今必要な事は、何はさておき体力と気力の回復なのである。



 7月20日・3:00


 「ナシャーラ様、物々しい交通規制です! 暗くてよく分かりませんでしたが、どうにかモスクワに到着したみたいですよ!」


 新興宗教団体『POB』の熱狂的信者であり、教祖のナシャーラに心酔する中年男性マギンは、モスクワの隣街、ニジニ・ノヴゴロドにある自身の空き農地を教団に売却。

 その土地に不時着した貨物ヘリからフェリックス陣営を誘導し、仲間とともに車を走らせていた。


 「マギン、貴方は革命のリーダーのひとりです。その偉業は今後100年は語り継がれる事でしょう。いずれは貴方に、特別なポストを用意します」


 マギンの運転するワゴンバスには、まずはマギン自身と彼を称えるナシャーラ、参謀役の第1御曹司ヨーラムが前列に陣取る。

 

 加えて中列に第2御曹司のメナハム、アッガーの剣士コンビと、武器の専門家エスクデロ。

 そして最後列の車椅子シートには、フェリックス創設者のデビッドとレオンという、まさに中核メンバーが顔を揃えていたのだ。


 「……最悪の場合、後続車にこの場を任せて私達だけで軍事会館に向かいます。お義父様、ファケッティ顧問、よろしいですね?」


 フェリックスの影の支配者として台頭したナシャーラは、高齢である創設者コンビを戦力としては数えていない。

 しかし、彼等が警察の手に落ちてしまえば、これから行われる革命の意義は消失し、宗教の皮を被せた単なる暴力に成り下がってしまう。

 

 彼女の魔力をもってすれば、それでも目先の勝利は得られるかも知れない。

 だが、そこから先の一族には、全世界を敵に回したテロリストとしての人生しか残されていなかった。


 「わしらはもう長くない。ロシア主導に偏ったこの50年の歴史を書き換えるチャンスが今なのだ。いずれにせよ、わしらを空爆しようとする軍人を生かしておく意味はないだろう? 統一世界の民も、わしらの味方をしてくれるはずだ。わしはこの目で革命を見届けてから死にたいのだよ」


 御年85歳のデビッドはスーツのポケットに拳銃を忍ばせ、気力だけは戦士の自覚を忘れない。

 一方のレオンは、既に孫娘を通して警察に情報を提供している為、自分に出来る事をやりきった穏やかな表情で窓の外を眺めている。



 「モスクワ警察です。ご存知かと思われますが、現在、軍事会館でクーデターが発生しております。ここから先は、警察の通行許可証を持っている車両しか通行出来ません。通行許可証がない場合、無料の休憩所をご案内致しますので、どうぞこちらへ」


 交通規制の現場で、警官から指導を受ける2台のフェリックス陣営バス。

 フェリックス役員は表向き正装で身なりを整えていたが、剣士や魔道士は防具姿、エスクデロや兵士に至っては迷彩服だ。


 「……!! お前達、フェリックス社の者だな!? 訊きたい事が山程ある、至急モスクワ警察本部まで来て貰おうか!」


 ナシャーラ達の正体に気づいた警察は大声を上げ、周囲の警官や軍人、賞金稼ぎをバスの周りに呼び寄せる。


 「……!? フェリックスなの!? レオン・ファケッティはいる!? おじいちゃん!」


 交通規制と並行して、近所でペットの散歩コースを指導していたアニマルポリスの3名。

 偶然現場に近づいていたルアーナは、本名であるシンディの祖父、レオン・ファケッティとの接触機会を模索した。


 「……シンディ? その声はシンディなのか!?」


 わが人生に悔いなし。

 そう心に言い聞かせていたレオンだったが、孫娘の声を聞いてこの世に未練が溢れ出す。


 既に80歳近い高齢とは言え、彼はフェリックスの特別顧問として悪行の責任がある立場。

 これから逮捕される事になれば、恐らく獄中でその生涯を終えるだけの刑期が言い渡されるに違いない。


 「……おじいちゃん!? バカな事はやめて! 今出頭すれば、罪も軽くなるから!」


 「シン……ルアーナ危ない! 近づいちゃダメ!」


 祖父の声がする方向に駆け寄って行くシンディ。

 アニマルポリスの同僚、メグミとターニャは慌てて彼女を制止に向かうものの、既にルアーナという偽名は意味を為さなくなってしまった。


 「……デビッド、すまん! 私はやはり出頭するよ! 出来るだけ罪を被り、君達に有利な証言をする。だから孫娘に会わせてくれ!」


 シンディの存在を確信したレオンは、非常スイッチで内側からトランクをこじ開け、転がり落ちる様にワゴンから飛び出す。


 「くっ……やはりファケッティ顧問が寝返ったか!? 母上様、強行突破しましょう!」


 不審な行動を取るレオンを疑っていたヨーラムは、混乱に乗じてレオンを生贄にし、そのまま脱出するプランをナシャーラに訴えた。


 「お前達、先に行け! レオンは……わしが始末する! フェリックスの影は、わしが地獄まで持って行く! お前達が新しい時代を作るのだ、心配するな!」


 愛用の電動車椅子を捨て、自ら這う様にワゴンから飛び降りるデビッド。

 その手には、拳銃が握られている。


 

 「シンディ!」


 「おじいちゃん!」


 遂に再会を果たした、レオンとシンディ。

 レオンは孫娘に遺言を残すかの様に、自身の思いのたけを一気にまくし立てた。


 「シンディ……すまなかった! 私はただ、災害で消滅したアメリカ合衆国の名誉を回復させたかっただけなのだ!」


 シンディが生まれた時、アメリカやカナダ、日本と朝鮮半島は既に災害で消滅していた。

 統一世界の歴史授業で習ったアメリカ合衆国は、世界のリーダーとして長く君臨した功績よりも、環境破壊と世界の緊張を拡大した罪悪がクローズアップされていたのである。


 「……偉大なる私の祖国にひれ伏していた奴等が、災害をきっかけに掌を返した様なアメリカ批判……私はそれが許せなかったのだ! アメリカがいつも正義だったとは、私も思わない。だが、ロシアが主導する統一世界の治安は良かったのか? 人々の格差は縮まったのか? 我々フェリックスが賞金稼ぎシステムを整備しなければ、大変な事になっていたのではないか?」


 「レオン、もういい喋るな! 我々の時代はもう終わるのだ!」


 地面を這いつくばりながら、デビッドは拳銃をレオンに向ける。

 だが、明け方前の暗闇の中、周囲の人間に地面を這う拳銃の姿は見えなかった。


 「武力を軍や警察に集めた結果の軍部クーデターは、統一世界の限界だよ! だが、我々のやり方が行き過ぎていた事だけは認める。シンディ、お前には私の汚名を着せたくなかった……ぐおっ……!?」


 闇夜を引き裂く一発の銃声。

 フェリックスの未来を守る為、デビッドは断腸の思いで親友レオンに弾丸を撃ち込む。


 「おじいちゃん! そんな……!?」


 近距離からの弾丸は防弾チョッキではカバーしきれず背中に喰い込み、レオンの出血はシンディの身体にも降り掛かっていた。


 「どうだ! わしが現行犯だ! フェリックスの闇は全てわしの命令だ! さあ逮捕しろ! いくらでも尋問するがいい!」


 誇張した悪党の演出を用いて、周囲の視線を自らに集めるデビッド。

 

 彼の覚悟は会社の未来だけではなく、息子の嫁であるナシャーラや、孫のヨーラムとメナハムの未来を守る為でもある。

 孫娘のシンディの為に出頭を決意したレオンとの強い絆は、こうして皮肉な形で明らかにされていた。


 「貴様がフェリックスの黒幕か!? 言われるまでもなく現行犯逮捕だ!」

 

 「おい、レオンは大事な証人だ、絶対死なせるなよ!」


 突然の悲劇に泣き崩れるシンディを尻目に、警察の思惑と救急車のサイレンが虚しく交差する。

 アニマルポリスのメグミとターニャは互いに目を合わせて頷き、到着した救急車にシンディと3人で乗り込む事となる。


 「シンディ、大丈夫だから! 急所は外れているから!」

 

 メグミはどうにかレオンの傷口を正視し、シンディを必死に勇気づけていた。



 「ヨーラム様、ここは俺達が引き受けます! イカれた軍人など、ナシャーラ様の魔法とヨーラム様達だけで簡単に倒せるでしょう、革命を実現して下さい!」


 後続のバスに乗っていた兵士と賞金稼ぎは、役員達を先に軍事会館へ送る為、自ら武器を持ってバスからの下車を決意する。


 「頼もしい戦士達よ、お前達の使命はヨーラム達を軍事会館に送り込む事だ。無駄な殺生さえしなければ、安心して暴れるがよい。我が社は金ならいくらでもあるのだ。公務執行妨害レベルならすぐに警察を買収して揉み消せる。時間を稼げ!」


 連行されるデビッドからもサポートを約束されたフェリックス陣営は、賞金稼ぎ達を中心に人間の壁を作り、役員の乗るワゴンバスを軍事会館へ送り出す準備を完了。

 レオンとデビッドが不在となった車椅子シートには、強力な銃器を詰め込んだテロリスト2名がすかさず乗り込むなど、戦力の増強にも余念がない。


 「ナシャーラ様、行きますよ!」


 ワゴンバスを運転するマギンは思い切りアクセルを踏み込み、警官隊の発砲をものともせずに深夜のモスクワを激走した。



 「ベガの言葉を思い出すんだ! 各々の役割に忠実に、皆で力を合わせるぞ!」


 フェリックスに雇われた賞金稼ぎは、アッガーやベガを除けば特に秀でた者はいない。

 だが、全員がひとつとなって力を合わせれば、少なくともフェリックス役員達の逃走援助は出来る。


 「……くっ、魔法が来るのか!? こっちにも魔道士が必要だ!」


 魔法への対処に慣れていない警官は、近くを巡回しているギネシュの娘メロナ、つい先程シドニーから到着したばかりで時差ボケ休養中のキャロルなど、賞金稼ぎ達を慌てて呼び寄せた。


 「お前ら、久しぶりだな! 街中で暴れるたぁ、やる事がただのチンピラだぜ!」


 先陣をきって駆けつけたのは、つい2週間程前までフェリックス社の専属賞金稼ぎだったラトビアの剣士、カレリンとコラフスキ。

 

 彼等はフェリックスから高く評価されていたものの、自身の不注意から仲間を失ったショックで剣士を引退。

 現在の職場の上司であるレジェンド剣士、ダグラス・スコットの手引でこの地に呼び寄せられていた。


 「……なっ!? 貴様カレリンだな! この裏切り者が……やれっ!」


 まだ魔法の準備が整わない魔道士をガードする様に、2名の剣士がそれぞれカレリンとコラフスキにマッチアップする。


 「フッ……タイマンとは敬意を払われたな。今の俺達が誰とトレーニングをしているか、分かっているのか?」


 元来冷静な実力派剣士だったコラフスキだが、レジェンド剣士スコットとのトレーニングで更に凄味を増している。

 相棒のカレリンとともに、相手に重傷を負わせる事なく冷静に防具を破壊して戦意を喪失させていた。


 「よし、風魔法だ! この一帯ごと吹き飛ばせ!」


 モスクワ市街に妖しく拡がる蒼白い光。

 流石に4人分の風魔法をまともに喰らえば、屈強な軍人も空中に吹き飛ばされてしまうだろう。


 「ちょーっと待ったあぁ!」


 カレリン達の背後から響く、甲高い声。

 

 その声の主は、膝の古傷で全力疾走が出来ない父親アーメト・ギネシュを大きく引き離し、快活なイメージそのままに駆けつける初級魔道士、メロナ・ギネシュ。

 彼女はその手に持っているペットボトルの水のキャップを外し、覚えたての水魔法を大舞台で堂々披露するつもりだ。


 「はああぁぁっ……!」


 気合いみなぎる叫びとは裏腹に、力なく細い水流が何となく飛び出して行く。

 

 しかしながら、彼女の狙いは魔道士達の「目」。

 失明の恐れがない軽い水魔法で相手の攻撃を止め、戦力が整うまでの時間稼ぎが目的なのだ。


 「……おい、何だこれ……うおっ!?」


 メロナの水魔法は明らかに貧弱だったが、魔道士達の目には確実にヒットし、風魔法は初期段階でストップ。

 隊列を乱した魔道士達の背後に真打ち登場、泣く子も黙るレジェンド剣士、ギネシュとスコットである。


 「正義と理想は大いに結構。だが、場所と時間をわきまえてくれたまえ!」


 ふたりは息の合ったコンビぶりで瞬く間に魔道士達を気絶させ、市街戦最大の脅威であった魔道士部隊の拘束に成功した。

 

 「さあ、君達も諦めろ! いくら剣や銃があっても、この戦力差は圧倒的だぞ!」


 ギネシュの忠告に唇を噛む、フェリックス陣営。

 

 残されたのは20名程の剣士とテロリスト。 

 一時的な抵抗は出来るだろうが、彼等を包囲する為に集まった警官や軍人はその数倍である。


 「……ケッ、剣士どもがどう考えるかは知らねえが、生憎俺達の辞書に改心って文字はねえんだよ。オラァッ……!」


 テロリスト達は素早く拳銃を抜き、捨て身の銃撃戦に挑む。

 

 だがその瞬間、メロナの魔法とは比べ物にならない程の風と光が、空から垂直に降下。

 フェリックス陣営の剣士とテロリストは、その凄まじい風圧で軒並み地面に這わされた。


 「間に合った! みんな大丈夫!?」


 長旅の疲れと時差で足取りも頼りないキャロルが、師匠のリンも認めたその潜在能力を遺憾なく発揮。

 とどめはイスタンブールとシドニーから遥々駆けつけた、チーム・ギネシュとチーム・スタフィーの登場である。


 「喧嘩で俺に勝てる奴! ウチの店から何でも好きな物を持って行きやがれ!」


 スポーツショップを経営するチーム・スタフィーのサッカージャンキー、ファーナムとグラハムは武器を失った剣士とバトルロイヤルに挑み、バンドーやシルバと交流を深めたチーム・ギネシュのハカンとトルガイも助太刀に現れた。


 「……まだだ……。テメエらこれを見やがれ!」  


 拳銃を吹き飛ばされ、追い詰められたひとりのテロリストが季節に似合わぬコートを脱ぎ捨てた瞬間、そこには上半身に括り付けられた複数の手榴弾が姿を現している。


 「どうだ!? 撃ちたけりゃ撃てよ!ビビッてんなら1個ずつ投げつけてやるぜ!」


 自爆覚悟で包囲網に近づいて行くテロリストに、手をこまねいている警官と軍人。

 だが、そこに辮髪(べんぱつ)を颯爽となびかせて登場したチーム・ギネシュのユミトは、世代屈指の技巧派剣士だった。


 「ハァッ……!」


 ユミトは冷静に手榴弾を繋ぐロープだけを斬り裂き、素早く危険を除去。

 呆気に取られたテロリストが我に返る暇もなく、チーム・スタフィーのアフリカ系格闘家、トーマスのハイキックが後頭部に炸裂する。


 「……がはあぁっ……!」


 無抵抗のまま、地面に崩れ落ちるテロリスト。

 これで勝負ありだ。


 「……ありゃ? 俺だけ何もする事ないじゃん!」


 クレアとハインツの剣術学校時代の同僚である、スタフィーことスタフィリディス。

 何処となくバンドーと被る役回りの彼は、とりあえず剣を素振りして周囲の笑いを誘っている。


 「奴等が乗っていたこのバスを借りましょう! 頭数では我々が圧倒的に有利ですが、ナシャーラという女は人間離れした魔道士だという噂です! ひとりでも多く軍事会館へ!」


 軍事会館で被弾し、一時的に病院で治療を受けていた特殊部隊のガンボア。

 彼は賞金稼ぎ達を中心に戦力を集め、敵の目を欺く為にフェリックス陣営のバスを乗っ取った。



 7月20日・4:00


 「……どうしたフクコ君、何か心配事でもあるのか? 君と親しい人間達は軍部のクーデターを鎮圧し、モスクワ市街の混乱も防いだ。更に内通者を得て、フェリックス社までも追い詰めている。大したものではないか?」


 その頃天界では、神官ヤロリームを中心に神族から警察や賞金稼ぎの実力が注目を集め、フクちゃんの活動が改めて評価されていた。

 だが、新鮮な驚きに沸く他の神族とは対照的に、フクちゃんの表情は曇っている。


 「……これで脅威がひとつ減り、残りはフェリックス陣営だけになりました。ですが神官ヤロリーム、あのナシャーラという魔道士だけは人間のレベルを超越しています。まだ安心は出来ません」


 フクちゃんのこの見解には、他の神族も理解を示している。

 彼等がナシャーラの存在を意識したのはウラジオストクでの短い時間のみだったが、その魔力にはただならぬものを感じていたに違いない。


 「ナシャーラは自分の力を自覚しており、これまでは余り攻撃的な姿勢は見せていません。ですから私も、彼女とは話し合いで争いを避けられると考えてきました。しかしながら最近、フェリックスの怨念の様なものが彼女に積み重なっていると感じます。もしナシャーラがその攻撃性を解放してしまった場合、彼女を止めるには対立する人間に更なる覚醒が必要なのではないかと……」


 「神族にとって都合が悪くとも、我々が直接人間を殺したり、死者を生き返らせる事は許されない。我々が警察や賞金稼ぎに出来る事は精神的な啓蒙くらいだが、フクコ君にはまだやるべき事がある……その認識でよろしいのかね?」


 神官ヤロリームからフクちゃんに、やや遠回しな質問が飛んでくる。

 フクちゃんは無言で頷き、自分に残された最後の仕事を確信していた。

 

 

 7月20日・4:30


 空に薄明かりが差し始めた頃、医療活動を終えた救急車の一団は病院へと帰還。

 軍事会館には混合部隊と、ジルコフ大佐の忠実な部下の中で唯一健康体だったヒョードル少佐だけが、参考人として残されている。


 「……自分達は確かに、レブロフ司令官の続投には反対していました。そして多彩な地域の人間に権限を与えるよりも、ジルコフ大佐の掲げるロシア主導の統一世界を望んでいました。それは間違いありません」


 自分の運命を受け入れたヒョードル少佐は、混合部隊を率いるのが元参謀のロドリゲスという事もあり、彼からの尋問には丁寧に受け答えをしていた。


 「ですが信じて下さい! 自分達だってウラジオストクの空爆には反対していたんです! ロシアの民と大地が傷つくのだから……。空爆のミサイルを発射したのは、サンクトペテルブルク基地に帰還したジャブニン少尉ですよ!」


 戦争犯罪者の汚名を着せられる事を恐れたヒョードル少佐は、早速仲間の切り売りを開始。

 混合部隊の面々は言い訳に終始するヒョードル少佐に冷ややかな眼差しを向けてはいたものの、この光景は警察署や役所、民間企業でもよくある事なのである。



 「……おい! 見慣れないワゴンバスが1台来たぞ! 奴等フェリックスの連中じゃないか!?」


 交代で周囲の見張りを行っていた混合部隊。

 この時間帯の見張り役は、チーム・カムイのゲリエとミューゼルだった。


 「こちらに向かう車両には報告が義務づけられている。ワゴンバス1台とは予想より少ないが、無断侵入車両は奴等で間違いないだろう。皆、迎撃準備を固めろ!」


 「了解!」


 交渉役にロドリゲス隊長と、特殊部隊のキムとグルエソ。

 そしてナシャーラとの面識があるチーム・バンドーとハドソン、そしてパクを残し、残りの部隊は後方と物陰から迎撃準備を整える。


 「皆様おはようございます! 我々は新しい時代の夜明けを見に来ました! これは殺し合いなどと言う野蛮な表現は相応しくありません! そこの所をご理解願います!」


 演説調の大袈裟な話しぶりで登場したヨーラムを先頭に、ナシャーラとメナハムもワゴンバスから降りて軍事会館正門前に歩みを進める。

 少し間を置いた背後からアッガーとエスクデロが続き、混合部隊がその存在を知らないテロリスト2名と大量の銃器は、未だ車内に隠されたままだ。


 「また会えましたね、ヨーラムさん。突然の実力行使ではなく、まずは穏便な登場で嬉しいですよ」


 ワルシャワでヨーラムと話をしているロドリゲス隊長。

 当時の話し合いは決裂に終わったが、面識のある相手との再会に、僅かながら安堵感が窺える。


 (……あの人が、ナシャーラさん……!)


 バンドーとシルバは、ナシャーラと初対面。

 見慣れた両親と同世代でありながら、浮世離れした美貌とカリスマ性をまとう彼女を目の当たりにし、何処か不穏な緊張感が高まっていた。


 「……私達の最優先事項は貴方達ではありません。クーデターを起こし、私達をウラジオストクごと空爆した軍人達を探しているのです。彼等は何処にいるのですか?」


 ナシャーラは先程までの穏やかな表情を一変。

 殺気すら感じさせる鋭い目つきで辺りを見回し、参考人のヒョードル少佐は思わず物陰でうずくまる。


 「おいナシャーラさんよ、この雰囲気で分かんだろ? 奴等は俺達が倒して、もうブタ箱行きだぜ。首謀者のジルコフ大佐も死んだよ」


 ナシャーラの美貌は認めつつ、 常にため口姿勢を崩さないハドソン。

 礼儀を超越した彼の不動の振る舞いには、ナシャーラの口元も少し緩んでいる様に見えた。


 「手ぬるいですな。警察が入れば互いの利権で罪が軽くなるではありませんか。奴等の収容場所を教えていただきたい。さもなくば、いずれ貴方達にも天罰が下る事でしょう」


 フェリックスの野望をことごとく潰してきた賞金稼ぎ達を前に、ヨーラムも冷静さを保てなくなってきている。

 彼はしきりに上着のポケットに右手を這わせており、そこに拳銃がある事に疑いの余地はない。


 「お言葉ですがヨーラムさん、我々も既にフェリックスの悪行の証拠は掴んでいるのですよ。その証拠によると、貴方とデビッド会長の罪は特に重く、いくら金を積んだ所で懲役30年は固いと思われますがね……」


 レオンからの密告で証拠資料を手に入れた警察だけに、ロドリゲス隊長の言葉も自信満々。

 先程拘束されたデビッド、治療中のレオンに続き、ヨーラム達役員を芋づる式に逮捕出来るまたとないチャンスが到来していた。


 

 「その女が凄い魔道士だとは聞いている! だが、話がまとまらない時はお前ら、たった5人でこいつら100人に勝つつもりなのかよ!? 俺達倍の人数でも勝てなかったんだぜ! バカじゃねえのか!?」


 ヨーラム達のド直球な戦術に、思わず彼等を罵倒してしまうヒョードル少佐。

 だが、その発言から彼がジルコフ一派の生き残りだという事実が判明してしまい、フェリックス陣営の顔色が変わる。


 「……何だ、あんな所にゴミが転がっていたのか……」


 ヒョードル少佐を認識したアッガーは自身の剣に手をかけ、やがて小走りでヒョードル少佐との距離を詰めていく。


 「……な? おい、やめろ!」


 手錠をかけられ、ヒョードル少佐は全力疾走が出来ない。

 とは言え、気怠い雰囲気で相手に近づくアッガーから特に変わった様子は感じられず、せいぜい相手を素手で殴るか、剣を寸止めする程度の威嚇で終わると思われていた。


 「まあ、いい見せしめになるだろう」


 「……!? ぎゃああぁっ……!」


 顔色ひとつ変えず、ウォームアップの様なモーションからヒョードル少佐の左胸を貫くアッガー。

 激痛を感じた瞬間の即死、悲鳴と沈黙が明け方の空の下に不気味なコントラストを描く。


 「アッガー……!?」


 余りにも素っ気ない惨殺に、メナハムは茫然とアッガーを眺めている。

 だが、やがて彼は剣士のプライドを激しく揺さぶられ、その目に怒りをたぎらせた。


 「お前……何をしているんだ!?」


 会心の角度で刃が刺さったのか、ヒョードル少佐の身体から抜いたアッガーの剣には血痕のひとつも残っていない。

 彼はその成果に満足気な笑みを浮かべていたが、メナハムは我を忘れて仲間に強烈な張り手をお見舞いする。


 「バカ野郎! こいつは今殺す程のタマじゃねえだろ! しかも手錠に繋がれた、無抵抗な相手じゃねえか……!」


 余りに殺伐としたアッガーの行動に、一瞬言葉を失う混合部隊の面々。

 しかし、そこで彼等に再び正義感を呼び戻していたのは、意外にもメナハムの熱さだったのだ。


 「おやおや、同じ兄弟でもヨーラムとは随分違うんだな。流石は子どもにも剣を教えられる人格者だよ。お前と同じヘリに乗らなくて良かったぜ」


 メナハムに叩かれた頬を擦りながら、バツの悪そうな笑顔を浮かべるアッガー。

 だが、その目だけは笑っていない。


 「メナハム、これは誰かがやらなければならない裁きだよ。悪党が逮捕されたのに、獄中で安全に第2の人生を考えられる様な世界には意味がないだろ? 警察が悪党を逮捕して達成感に浸っても、犯罪だらけの街で偉そうなツラが出来る世界には意味がないだろ? こんな奴等を始末出来る所まで連れて来てくれたフェリックスに、俺は感謝している。だからやるのさ」


 アッガーの価値観とその冷徹さに思わず目を背け、感情すら失いかけていたバンドーは何かに急かされ、整理出来ない言葉のまま反論を展開する。


 「そ……それは違う! その人は確かに悪党だけど、俺達の参考人になる事を受け入れたんだ! 少しは罪が軽くなるかも知れないけど、これから多くの人に恨まれて、暗殺の不安とかある中で色々話してくれていたんだよ! こんなクーデターを繰り返さない様に証言を取っていたのに、あんたは台無しにしようとしたんだ! あんたはただ、未来の悪党を増やそうとしているだけだろ!」


 混合部隊の、少なくともチーム・バンドーの気持ちは代弁しているバンドー。

 彼に続いたのは意外にも、特殊部隊の朝鮮系隊員キムだった。


 「お前達と俺達がやっている事が同じだと言う奴もいるだろう。気に入らない悪党を金や権力で追い詰めて、殺す権利まで持った人間という訳だ。だが少なくとも俺達は、地質調査をしに来た学者まで殺す様な真似はしていない!」


 バンドーファームのアジアビジネスに尽力していたバイヤーであり、優秀な地質学者でもあったスンフン・クォン。

 彼は同胞のキムと交流を深め、フェリックスの人工地震疑惑の現場を突き止める事に成功する。

 

 だが、現場の証拠写真をキムに送信した直後、フェリックスに寝返った仲間の学者によって暗殺されてしまったのだ。


 

 「……さて、フェリックスの皆さん。クーデターを起こし、貴方達を空爆した人間でここにいるのは、今殺されたヒョードル少佐だけです。しかしながら我々も、貴方達にこれ以上の情報は与えられませんね。どうしますか? 我々に勝利し、尋問出来るレベルまで戦うおつもりですか? それともモスクワの警察署や病院で暴れ回って、世界の敵になりますか?」


 ロドリゲス隊長は努めて冷静に、そして的確にフェリックス陣営を追い詰める。

 ナシャーラの魔力は強大かつ未知数だが、ここで彼等を倒さなければ未来は掴めない。


 「……分かりました。自分の価値を示す為、避けられない戦いもありますからね……。この世界には、不可能を可能にする人間が存在するという事をお見せ致しましょう。エスクデロ、車から準備を」


 「はい、ナシャーラ様!」


 エスクデロはワゴンバスに戻り、ふたりのテロリストと大量の武器を連れて帰還する。

 100名規模の特殊部隊との比較は無意味だが、少なくとも武器は持久戦に耐えられる物量だ。


 「……おい、お前バンドーとか言ったな? お前の様な甘い人間こそ悪党を増長させるんだ。悪いがここで消えてもらうぞ」


 「えっ……? うわわっ!?」


 突然の宣戦布告から、バンドーに襲いかかるアッガー。

 バンドーはひとまずガードを固め、アッガーの強力な突進を防ぐ。


 「魔力が整うまで魔道士は退避しろ! まずは銃の対処だ!」


 バンドー対アッガーのバトルスタートを合図に、いよいよ戦いの火蓋が切って落とされる。

 フェリックス陣営で銃を扱うのはヨーラムを含めて4人しかいないが、混合部隊側に弾切れが目立つマシンガンを使えるだけに、戦局は予断を許さなかった。


 「メナハム! 俺は昨日、キリチェンコを倒した! 俺がランキング1位なんだよ、かかって来い!」


 銃撃戦の中で、自身の居場所を探しあぐねているメナハムを挑発するハインツ。

 彼等ふたりにとって、剣術に没頭出来るこの瞬間はむしろ喜ばしいと言えるだろう。


 「おっと! まずは俺達を倒してからだな!」


 「面白い! 俺の時代が来た事を証明してやる!」

 

 肩の負傷があるハインツを、100%のメナハムとは戦わせたくない。

 いや、自分こそがメナハムを倒してランキングでの下剋上を達成する。 

 

 両者の戦いに割り込んで来たルステンベルガーとカムイだったが、そんな彼等を疎ましく思う事もなく、やる気満々のメナハムはつくづく剣術馬鹿と呼ぶに相応しい男だった。


 

 

 「……もう一度お訊きします。私とともにこの世界を変えるつもりはありませんか?」

 

 ナシャーラは涼しい顔をして加速魔法を使い、リン達魔道士トリオの退路に先回りする。


 「お断りします! 私達にそんな大それた野望はありませんから!」


 真面目に受け答えるだけ時間の無駄だが、天然に律儀なナシャーラに太刀打ち出来るのは、魔法でも口でもリンしかいない。


 「リン、暫く話し相手を頼んだぜ! そりゃっ……!」


 ナシャーラ相手では大した効果は期待出来ないが、ハッサンは軽い風魔法を用い、近くの草木を相手の顔面に向けて吹き飛ばした。


 「ふーっ!」


 ナシャーラの魔力は彼女の口の中、喉元から発せられている。

 それ故に外部から魔法を阻止する事が出来ず、吐息でさえも簡単に風魔法へと変換出来るのである。 


 「うわっ……! 何て早い切り返しだ!」


 ナシャーラの視界を遮る為にハッサンが放った草木が、一転して彼の顔面に襲いかかる。

 イスラム教徒らしく立派な彼の顎髭は、瞬く間に草木を植え付けるガーデニングベースと化していた。


 「まあ、なかなか風流な盆栽ではありませんか!」


 この戦いの中で見せるナシャーラのユーモアに、バーバラは不謹慎にも笑いを抑えられない。 

 リンは落ち込むハッサンの戦いからヒントを得て、足下が草木から砂に変わるタイミングで風魔法を発動させる。


 (裏口に隠れて魔力を高めましょう!)


 「……くっ、何処に隠れましたか!?」


 砂埃でナシャーラの目を眩ませ、軍事会館の裏口に身を潜めた魔道士トリオ。

 

 しかしながら、半端な魔法では相手に勝てない。

 部隊との合流を含めて、作戦が必要だ。



 

 「フッ……流石にガードは基礎が出来ている様だな。スタミナもありそうだ。面白い……倒すにも手応えが欲しいものよ!」


 これまでの相手からは感じた事のない、真っ直ぐで絶対的な殺気。

 

 狙った悪党を生かして返さない事で知られるアッガーだが、まさか自分が存在悪として認識されるとは夢にも思わない。

 上半身はどうにか耐えていたバンドーも、下半身は緊張の余り固まっている。


 「バンドー! そいつはお前には少し厳しい相手だ! 軍事会館に逃げ込め! 隠れ場所のひとつくらい覚えてるだろ!?」


 ハインツからの助言はありがたいものの、相手の圧力に負けて下半身が言う事を聞かない。

 そんなバンドーの現状を知ってか知らずか、アッガーは狙いを下半身に移した。


 「……がああぁぁっ……!」


 アッガーの剣がバンドーの右太ももに喰い込み、確実に感じる「皮膚が切れた激痛」。

 流れる鮮血から意識して目を背け、痛みで感覚が戻った下半身で必死の回避用フットワークを試みる。


 「バンドーさん!? とおっ……!」


 親友のピンチに駆けつけたシルバとヤンカーが、力任せの体当たりをアッガーにぶちかます。

 衝撃を受けたアッガーは一瞬怯んだものの、すぐにバンドーに向けて更なる攻撃を加えてきた。


 「お前達の相手などするまでもない。俺は狙った相手にしか興味がないからな!」


 「うわあっ……!」


 一心不乱なアッガーの正面突きはバンドーの頬を掠め、その顔面からも鮮血が流れ出す。


 「くそっ……いい加減にしやがれ!」


 怒りも(あらわ)に、バットのスウィングばりのフルパワーでアッガーに斬りかかるヤンカー。 

 流石にこれは避けられたが、転がりながら上着のポケットに手を入れたアッガーは、エスクデロから譲り受けた手榴弾を取り出した。


 「仕方がないな……邪魔する奴には消えてもらう。指紋も証拠も残らない、完全なる死体になるがいい!」


 「ちょ……ちょ待てよ!? 冗談じゃねえぜ!」


 手榴弾を投げつけるアッガーを円の中心に、バンドー、シルバ、ヤンカーは互いに大きく距離を稼いでどうにか危険を回避。

 やがて手榴弾は爆発し、砂嵐の吹き荒れる軍事会館正門前で、メナハムと彼を囲む剣士以外は物陰に潜み、互いに睨み合いの様相を呈する事となる。



 

 「おいおい、いくら何でも俺ひとりにこの人数は反則だろ? そんなにこの俺を潰したいのかよ!?」


 メナハムはまるで稽古をつけるが如く、賞金稼ぎ達とかわるがわる剣を交えていく。

 

 彼の本心としては、ヨーロッパ剣士ランキング暫定第1位のハインツを倒し、剣士として実質的な世界の頂点に早く立ちたい所だろう。 

 とは言うものの、ルステンベルガーやカムイのみならず、ミューゼルやゲリエ、クレアまでが戦いに乱入し、流石のメナハムも体力を奪われていた。


 「……へっ、メナハム。俺達が何故お前をよってたかって包囲しているのか、まだ分からねえのか?」


 「何だと!?」


 ようやくメナハムの正面に姿を現したハインツ。

 だがその表情からは闘志というより、何やら慈愛の様な温かい雰囲気が感じられている。


 「警察から情報が入ったのさ。レオンからの密告でフェリックスの悪事を証明する資料を手に入れたんだが、他のフェリックス役員に比べてお前の罪は軽い。密輸やドラッグに手は染めていねえし、一般人を斬ったりもしていない。剣士として慈善活動もしている」


 「……何が言いたい!?」


 ハインツの言葉の意味が理解出来ないメナハムは、自身への攻撃が弱まってきたタイミングで一気にハインツへ詰め寄った。


 「お前とは年末のモスクワ武闘大会で戦いたいのさ! こうして俺達とスパーリングしていりゃ誰も殺さなくて済むから、何らかの恩赦はあるだろ? まあ、暫くは剣術どころじゃない身分になるだろうが、お前が少し弱くなれば年末まで俺が1位を守れるしな!」


 「くっ……敵の分際で、この俺に情けをかけるつもりか!? 俺が一族を見捨てて、ひとりだけ善人のふりをするとでも思うのか!?」


 希望と屈辱が入り混じった複雑な感情に支配され、がむしゃらに剣を振り回すメナハム。

 アッガーへの態度を含めて、彼にも迷いがあるに違いない。


 「メナハム、お前さんも薄々気づいているだろ? お袋さんの魔法で俺達に勝ったとしても、未来はお前達の命を狙う刺客と戦うだけの人生になっちまう。家族愛は大事だが、距離感はしっかり考えろよ!」


 カムイは自身の父親パパドプロスとの関係、そしてアテネでの殴り合いとバレンシアへの移送を踏まえて、メナハムに的確なアドバイスを贈る。


 「まあ、あんたの人生あんた次第よ。あたし達を全員倒せるなら、それからゆっくり考えればいいわ!」


 クレアはメナハムのプライドに配慮し、彼が雑念を捨てて剣術に専念出来る時間を延長した。




 「はあ、はあ……」


 太腿から流れる血を押さえながら、軍事会館内部に避難したバンドー。

 やがて頬からの出血も増え始め、口元に汗と混じり合った塩味を感じる。


 (ちくしょう……ちくしょう……)


 戦いの決意も虚しく、アッガーに手も足も出なかった自分。

 殺し合いの覚悟も持てず、固まってしまった下半身。


 今までの経験と実績は何だったのか?

 仲間との出会いが、訓練が、自分を成長させてくれたのではなかったのか?

 

 バンドーは溢れる涙を止められず、怪我の手当が出来る隠れ場所を探して会館内を駆け回った。


 「……あっ、4階までしか無かったんだっけ……!」


 非常階段に逃れたバンドーは、ジルコフ一派の攻撃で半壊した5階以上の階段を諦め、4階の非常階段から中庭に降りてアッガーの裏をかこうと画策。

 芝生に座り込んで傷口の手当をしていたその時、背後から何やら声がする。


 「みゃ〜、みゃ〜」


 その声の主は、小さな野良猫。

 ジルコフ一派がいなくなったからなのか、今日から新しい軍事会館の主になるつもりらしい。 


 「わっ! びっくりした。よしよし、これから軍の統括よろしくね!」


 こんな時でも、バンドーは動物に好かれている。

 野良猫はバンドーの怪我を凝視したのち、彼を振り返りながらゆっくりと何処かへ誘い出そうとしている。


 「……? 何処行くの? ちょっと待って」


 野良猫に誘われるまま到着したのは、同じ中庭の反対側。

 2階のトイレの窓からホースが突き出ており、そこから流れる水で大きな水溜りが出来ていた。


 「みゃ〜」


 満足気に水を飲む野良猫の姿に癒やされるバンドーだったが、元来この水は彼が魔法の為に流したもの。

 

 そして、彼自身はまだ魔法を温存している。


 (……魔法はナシャーラさんと戦うまで取っておくつもりだったけど、もう限界だ。俺、まだ死にたくない。どうせ水魔法は1回きり。全力で行くぞアッガー! 覚悟しろ!)


 ホースから流れる水で太腿の傷口を丁寧に洗い流し、頬の傷ともども頭から水を被るバンドー。

 頭髪をオールバックにして視界を確保し、顔面には泥を塗り付け、迷彩仕様のカムフラージュを完成させる彼は無言で剣を握り締め、運命の瞬間が訪れるまで静かに集中力を高め続けた。



  (続く)

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