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バンドー  作者: シサマ
82/85

第80話 クーデター鎮圧! ロシア剣士最後のプライド


 7月19日・19:30


 「……!? 追手が来たみたいです! 皆急いで下さい!」


 軍隊時代の部下、ガンボアとキムを引き連れて3階へ向かう非常階段ルートを確保していたシルバ。

 除隊して4ヶ月の今、借り受けた拳銃にはやや引け目を感じている彼だが、この戦場は己の肉体だけで乗り越えられるレベルではない。


 「リン、手洗い場から水を出してきた! これで水魔法も使えるはずだよ!」


 バンドーは親指を立てて魔道士トリオにアピールし、ハッサンはトイレのドアの下から僅かに水道水が滲み出ているのを確認する。


 「よし、そろそろ魔力も回復してきた。降りてくる奴等に冷たいお土産と行くか!」


 ハッサンは左手でリンとバーバラを制止し、自分だけで軽めの水魔法を発動させる準備を完了。

 非常階段から全員が3階に向かうまで、短時間の足止めをすればそれでいいのだ。


 「今までの戦いを監視していれば、奴等はマスクやゴーグルを着用しているはずだ! 水魔法での窒息攻撃が通用するとは限らんぞ!」


 「そんな事分かってるさ! 奴等をびびらせるだけだよ、早く行け!」


 ハッサンは首から蒼白い光を放ち、ロドリゲス隊長を最後に混合部隊は非常階段に移動。

 魔力の光に細い水流を絡ませ、手洗い場から流れる弱い水圧を限界まで高める事に成功する。


 「……加減が分からねえ。死んじまったら許してくれよ!」


 追手が2階に到着してしまえば、銃器は乱射し放題。

 ハッサンは自ら間合いを詰めに行き、兵士達が階段を全速力で下降中に先手を打つ算段だった。


 「そおおりゃあぁ……!」


 先頭の兵士が視界に入った瞬間、ハッサンの指から放たれた水魔法は相手のゴーグルさえもかち割り、額から出血した兵士は部隊の隊列を大幅に乱す。


 「おい!? 倒れるな……どわああぁぁっ!」


 階段の踊り場に叩きつけられた追手達は四肢を負傷し、ハッサンは神に祈りを捧げつつも爆弾の火種を彼等に向けて蹴り飛ばした。


 「ロドリゲス、成功だ!2階は重傷者が多い、救急車を増やしてやれ!」


 

 雨足が強くなる中、どうにか視界を確保しながら非常階段を進む混合部隊。

 

 3階の相手戦力が薄くなった事から、彼等はこのまま会議室のある5階まで一気に駆け上がろうと試みる。

 ここで隊列の先頭を走っていたシルバは、5階非常口のドアが不自然に開放されている事に気がついた。


 「……危ない! 伏せて下さい!」


 混合部隊は非常階段の4階踊り場で動きを止め、次の瞬間、5階非常口から手榴弾が投げ込まれる。


 ドオオォォン……


 手榴弾は5階非常口へと繋がる階段の大半を破壊し、加えて4階の階段に留まる混合部隊の足場を激しく揺さぶった。

 だが幸運な事に、激しさを増す雨が階段の溶解を冷却で防ぎ、歪んだ手すりにしがみついた彼等全員が4階に避難する。


 「……ああ! 死ぬかと思った……」


 「何だアイツら、俺達どころか建物もぶっ壊す気満々じゃねえか!」


 九死に一生を得て、興奮冷めやらぬバンドーとカムイ。

 しかし、これで敵が総力を結集させる5階に、彼等は真正面から乗り込まなければいけなくなった。



 

 その頃、自身の任務を完遂したノルドベイトは、少しずつ救急車と警察のバックアップが集まる軍事会館を横目に、とある不安を抱えている。


 (……ジルコフが簡単に捕まるはずがない。あらゆる手を使って追手をかわし、屋上のヘリを操縦してでも脱出するだろう。モスクワかサンクトペテルブルクの基地まで逃げ切れば、まだ武器も味方も残っているんだからな……)


 狙撃に使ったこのビルは3階建てで、軍事会館の屋上に弾丸が届く事はない。

 最悪の事態に備え、ノルドベイトは軍事会館の屋上を狙撃出来る高さの建物を物色した。


 (あそこからなら……だが……)


 彼が目をつけた物件は、建設中の高層マンション。

 

 しかし、作業用の足場に囲まれ自由な動きは出来ず、建設中である為にエレベーターも使えない。

 このタイミングで現場に急行すれば狙撃位置に間に合うだろうが、いざ狙撃を前にして相手に気づかれてしまえば狙い撃ちは避けられない。


 ジルコフ大佐をのさばらせる訳にはいかないが、特に恩義もない混合部隊の為に、そこまで命を懸けられるのか?

 そもそもそこまでの正義感があるのか?

 

 

 ノルドベイトはノルウェーのオスロに生まれ、裕福だが仕事一筋の両親の下で育つ。

 その為なのか、妙に醒めていた少年時代は周囲と馴染めず、同じ北欧出身の剣士アッガーに憧れていた。


 仲間と群れる事なく、ストイックに悪党を追い詰め、自身の手柄もアピールしない。

 そんなアッガーを目標に、一時は剣を学んだものの、大柄な男性の多い北欧で剣士の道は挫折してしまう。


 だが、持ち前の手先の器用さとずば抜けた視力を活かして得た新たな道が『射撃競技』。

 

 友人の付き合いで高校から始めた競技でいきなり北欧トップレベルに躍進した彼は、体力面のハンデをものともせず軍隊にスカウトされ、弱冠22歳でエリート軍人の集うレンジャー部隊に大抜擢。

 それから2年、未だ任務成功率100%を誇る彼は憧れの剣士、アッガーにも認知され、まさに射撃の天才と呼ぶに相応しい活躍を見せつけていた。


 しかし、常に醒めた目で物事を見る彼は、自身の天才をいつか失うかも知れない自覚がある。

 両親からの遺伝なのか、努力を努力と感じずに現在の地位を手に入れた彼に、狙撃手(スナイパー)への執着はない。

 

 堅気の仕事よりも稼げて、軍の中ではひとりの時間が多い狙撃手は嫌いな仕事ではないが、アッガーの様な自由な正義は貫けない。

 軍隊の仕事とは結局の所、権力者の為にある。


 

 (ジルコフは軍の権力者だ。奴を撃つ正義は魅力的だが……俺がその集団に平気な顔をして居座るのはおかしいだろう……) 


 ノルドベイトは迷いながらも、高層マンションの建設現場に到着していた。

 



 「ここから5階までの階段に、何のトラップもないなんてあり得ませんよね……。エレベーターなら5階に到着次第、蜂の巣にされるでしょうし……」


 ミューゼルは冷静に状況を分析しながら、チームメイトのゲリエ、そしてヤンカーやハドソン達と追手の妨害工作に余念がない。


 4階にある食堂の油を階段に撒き、スリップと発砲による引火を誘導する。

 非常口からの侵入者に備えては、包丁やアイスピックが横から降ってくるトラップを軍人達が完成させていた。


 「見た所爆弾はないな。刃物が降って来そうな気配もない。だがこの階段、今までの階と少し色が違わないか? それに、何かノイズも聞こえる……」


 混合部隊はエレベーターを早々に諦め、階段からの移動を模索する。

 

 とは言うものの、今この階段から相手の兵士達が降りて来ないという現実が、トラップが隠されている事の証明になるはず。

 ロドリゲス隊長はそう睨んでいた。


 「さっき買った水を垂らしてみるか。何か反応があるかも知れないしな」


 グルエソがロシアン・ミネラルウォーターを階段に数滴振りかけると、階段は激しい音と光を放つ。


 「……高圧電流だ! 短時間で駆け上がるとしても、靴底のゴム程度じゃ凌げねえぞ!」


 バンドーをはじめとする賞金稼ぎ達は、これまでの戦いでは目にする事のなかった現実的なトラップの数々に、複雑な思いを巡らせていた。

 

 軍の戦いの基本コンセプトは、殺戮ではない。

 死なない程度の障がいとトラウマを残す事による、戦意の喪失と希望の剥奪……それこそが究極の目的であり、そのコンセプトは、ジルコフ一派にも混合部隊にも適用される危うい正義なのである。


 「隊長、水道作業用の胴長ズボンがあったはずです。それを切り分けて、靴のゴム底を厚くしては如何でしょう?」


 ひとりの軍人から提案が出される。

 この状況では最も無難な提案だったが、生憎100人近い部隊の靴底をカバーするだけの胴長ズボンは、少なくとも4階には在庫されていなかった。 


 「ロドリゲス隊長、ガラスです! 窓ガラスを階段に敷いて、またいで乗りましょう! 軍事会館の防弾ガラスはプラスチックのコーティングで、絶縁効果も耐久性も高いです。先頭の者にリレーしながらガラスを渡して、それを敷いていけばいいんですよ!」


 危機管理能力に優れるキムからの提案は、周囲からも賛同が相次いだ。

 だが、ノルドベイトにロック解除キーを狙撃させた為、機械仕掛けの窓ガラスはフレームに収容されて取り出す事が出来ない。


 「……ダメだ、フレームに収容されたガラスは使えない。他の絶縁体……この階の木材を集めて並べるしかないか……」


 サバイバル知識に長けた軍人を擁する混合部隊であれば、その作業は可能だろう。

 

 しかしながら、今ここで長い時間をかけてしまえば、人質をはじめとした戦況に変化が出てしまう。

 ロドリゲス隊長が頭を抱えたその時、意外な情報をもたらしたのはバンドーだった。


 「俺、さっきトイレに行ったんだけど、トイレの窓ガラスは普通に手動だったよ。設計した人だって、流石に全部機械仕掛けじゃまずいと思ったんでしょ!」


 「バンドーさん、ナイスです!」


 シルバはバンドーの背中を強く叩いて早速作業に取りかかり、一同はやや後ろめたさを抱えつつ女子トイレにも突進。

 ふたつのトイレからガラスを外せば、階段をフォローするだけの枚数を確保出来る。


 「体重が重過ぎて防弾ガラス割ったら大変よね。あたし、胴長ズボン取ってきてあげるわ」


 レディーはカムイをからかいながらその場を立ち去り、残された重量級の隊員達は互いに苦笑いを浮かべていた。




 「ジルコフ大佐、奴等が階段を上ってきます!」


 監視カメラで混合部隊の動きを追っていた兵士は、エレベーター前に準備させていたマシンガン部隊を慌てて階段へと呼び戻す。


 「くっ……この短時間で5階まで来るとはな……。だが、こちらには人質がいるし、頭数もまだまだ多い。お前達は階段から奴等を掃討しろ! 魔法が来ても武器を奪われるなよ!」


 「了解! ゴキブリども覚悟しやがれ!」


 硝子の上を渡らざるを得ない、混合部隊のスピードには限界がある。

 ジルコフ大佐からの命令を受けた兵士達は、全てのマシンガン所有兵士を集結させるだけでなく、風魔法に備えて武器を腕に縛りつけており、会議室の前に死体の山を築く覚悟を見せつけていた。


 ダダダッ……


 「……!!」

 

 試し撃ちされるマシンガンの銃声に思わず耳を塞ぎ、なかなか顔を上げられない女性陣。

 

 しかしながら、この局面の打開には彼女達の力が必要不可欠。

 幸いにして、先頭に立つ軍人が抱える防弾ガラスは、階段に敷き詰めるまでは高性能の盾として機能している。


 「皆、水魔法は準備しているな!? 3人の意識を合わせて、階段の電流から相手の武器まで水流を1本に繋げるんだ!」


 「はい!」


 ハッサンのリーダーシップによって2階の手洗い場から引き上げられた水魔法は、ホースの様に長く連なる。

 高圧電流にも霧散しない量を確保した水流は階段に触れ、電撃を撒き散らす凶器として混合部隊と歩調を合わせていた。


 「来たな……蜂の巣にしてやる!」


 「今だ! 奴等のマシンガンに絡ませろ!」


 相手の影を確認し、一斉に構えられるマシンガン。

 だが、混合部隊が最後の盾となる防弾ガラスを階段に置いた瞬間、彼等どもともに駆け上がる感電水流がマシンガン部隊に襲いかかる。


 「何だこの水飛沫は……ぎゃああぁぁっ!」


 高圧電流をたっぷり吸い込んだ水流は、マシンガンの金属部分から容赦なく兵士達を蹂躙(じゅうりん)

 幻想的な火花を放つ水流に加え、腕に縛りつけられた武器が更に感電被害を拡大し、マシンガン部隊はひとり残らずその場に崩れ落ちた。


 「遂にここまで来たな! ジルコフ、覚悟しろ!」

 

 ジルコフ一派に人質を含めて、未だ数百名が残る会議室。

 

 その入口に、わざわざ爆弾が仕掛けられている可能性は殆どないだろう。

 ロドリゲス隊長は自ら拳銃で鍵を破壊し、先頭を切ってドアを蹴破る。



 

 「……そこまでだロドリゲス君! いくら魔法が使えても、人質の命には代えられないだろう?」


 混合部隊が会議室の中で見た光景。

 それは目前に積み重なった椅子によるバリケードと、その後ろでレブロフ司令官をはじめとする人質達に拳銃を突きつける、ジルコフ一派の姿だった。


 「君達の実力には感心するよ。とはいえ、我々が何故ここに大半の戦力を残していたのかも、理解していただけると光栄だね、フフッ……」


 追い詰められたジルコフ一派が約束を破り、人質を盾にする事は想定範囲内。

 とは言うものの、固定された椅子を取り壊してまで積み上げられたバリケードは、魔法攻撃が届く前に人質達の命が危険に晒される危険に満ちている。


 「あんた達、人質の安全は保証するって聞いてたわよ! もうフェリックスの連中は追い出したんだから、大人しく捕まって、あんた達の望む歴史の審判とやらを受ければいいじゃない!」


 いつになく感情を剥き出しにし、ジルコフ大佐に喰ってかかるクレア。

 

 だが、これは彼女の作戦だ。

 クレアの感情を高める事によって発生する火炎魔法は、これまでも相手の発砲の瞬間に戦局を覆しており、今や公認パートナーとなったハインツはその狙いを見逃さなかった。


 (……奴等も数は減っている。あの辺を見ろよ。人質を見張っている奴は素人臭え。事が動いたら、全力の風魔法であそこから狙え)


 小声で指示を出すハインツに、ようやくマシンガンの恐怖から開放されたリンとバーバラも落ち着いて頷き、静かに魔法が生成されていく。


 (おっと、バレねえ様に隠してやるぜ)


 魔法の光が漏れる事を防ぐ為、カムイやハドソン、ヤンカーといった巨漢剣士達がこぞって、魔道士トリオを囲む立ち位置に着いた。


 「ねえ、銃持っていても軍人じゃない人がいるんでしょ? 早く投降しないと死刑になっちゃうよ! 俺達を皆殺しにする覚悟があるの? ここまで大事になるって分かってたの!?」


 広い会議室にこだまするシュワーブの言葉は、まだ幼い少年の面影を残しており、よく通る高い声が真っ直ぐに相手の耳へと突き刺さる。

 そこから自身の家族を思い出してしまったのか、ジルコフ一派の上院議員達には明らかな動揺が見られている。


 「……ジルコフ大佐、話が違う! 私達の役割はレブロフ一派の拘束と見張りだったはずだ! リトマネン参謀の遺体を運ばされたり、チェーンソーで椅子を壊してバリケードを作らされるなんて聞いていないぞ! 私達の余罪を増やさないでくれ!」


 遂に議員からの不満が噴出した。

 

 しかしながら、そもそも自らの利権の為に軍部の強硬派を利用しているだけの薄汚れた上院議員が、ジルコフ大佐に半旗を(ひるがえ)すなど許されるはずがない。

 議員の言葉が逆鱗に触れたのか、ジルコフ大佐は怒りも露に拳銃を構えた。


 「このドブネズミどもめ! お前達は未来のビジョンも何も持たない、ただの金の亡者ではないか! いいだろう、今ここで殺して肉のバリケードを積み上げてやるわ!」


 良識のある大半の上院議員はレブロフ一派に加わったが、それでも20名程の議員がジルコフ側についている。

 議員も半ば自暴自棄気味に拳銃を構え、ジルコフ大佐の部下は慌てて射撃体制を整える。


 (……皆、あたしがジルコフを狙うわよ。後はお願いね!)


 (オッケー! 俺とゲリエのタックルで、バリケードだって崩してみせるよ!)


 クレアの火炎魔法発動に合わせてバンドーは大きく息を吸い、ラグビー技の名コンビ、ゲリエとの活躍を誓う。

 銃を持たない剣士や格闘家の仕事は、何はさておきバリケードの撤去だ。

 

 「温室育ちのお前らでは、まともに拳銃を撃つ事すら出来まい? 覚悟するんだな!」


 ジルコフ大佐は拳銃の引き金に指をかけ、部下達は議員集団を包囲して発砲準備は万端。

 クレアはジルコフ大佐の銃口に意識を集中し、限界まで感情を高める。


 「死ねっ……!」


 「ああぁぁっ!」


 両者の叫びが交差した瞬間、ジルコフ大佐の銃口が暴発し、行き場をなくした弾丸の破片が彼の額を掠めた。


 「ぐおおっ……!? な、何だ!?」


 顔を押さえる左手の指の間から、流れる鮮血。

 突然の不可思議な現象に、兵士も議員もただ茫然とその場に立ち尽くしている。


 「今だ! たたみ掛けるぞ! レブロフ司令官、皆を伏せさせて下さい!」


 「了解だ!」


 ロドリゲス司令官の合図とともに、議員団に向けて全力の風魔法が炸裂する。

 武器の扱いに慣れていない議員はいとも簡単に銃を手放し、強風に足下をさらわれて床を転げ回った。


 レブロフ司令官をはじめとする人質達は、元来手錠を掛けられていた事もあり、上手く床に這いつくばって強風の被害を逃れる。

 兵士達はどうにか混合部隊への銃撃を開始したものの、強風とバリケードに遮られて成果を上げる事が出来ない。


 「どぉりゃあぁ!」 


 バンドーとゲリエは息のあったラグビータックルでバリケードを崩し、シルバやカムイ、ヤンカーとハドソンもそのパワーを活かして次々と椅子の残骸を撤去する。 


 「おい、あのバケツに水があるぞ! リン、バーバラ、風魔法は任せた!」


 人質の為に用意されていた飲み水に目をつけたハッサン。

 彼はバケツの水を巧みに操り、マスクやゴーグルを着用していない兵士達の顔面を素早く水で覆った。


 「ぐっ……息が出来ない……!?」


 兵士達は窒息を避ける為、顔面から水を剥がそうと悪戦苦闘。

 その際にやむを得ず拳銃やライフルを投げ捨てざるを得なくなり、戦局は益々混合部隊に有利に進む。


 「くそっ……舐めんじゃねえ!」


 「……ぐわっ……!?」


 だが、頭数だけは上回るジルコフ一派。

 議員の身体を盾にして抵抗を続ける兵士の弾丸が、混合部隊にも被害を生んでいた。


 「ガンボア、大丈夫か!?」


 相手の銃弾を脇腹に受けた、混合部隊のガンボア。

 だが、幸いにも防弾チョッキが直撃を防ぎ、命に別条はない様子である。 


 「よっしゃあ! 銃のない奴等から片付けるぞ!」


 バリケードの撤去を終え、バンドーら賞金稼ぎ達は一斉に戦場へとなだれ込む。

 訓練された軍人とは言え、素手やナイフ程度で長剣のリーチに勝つ事は難しかった。


 「痛えっ!? やりやがったな!」


 格闘家としてパクとコンビを組んだバイスは、兵士から受けたダメージを特殊能力である『レセプター・リフレクター』で、すかさず相手にお返しする。


 「お!? お前も殴られないと気合いが入らねえのか? 気が合うな! 誰か俺を殴ってくれよ!」


 相手からダメージを受ける事が自身のスイッチとなる格闘家パクは、その奇妙な言動で一瞬場の空気を凍らせていたが、念願叶ってヤケクソ気味の兵士からドロップキックをお見舞いされた。


 「……てめえ! くそがああぁぁっ……!」


 キレたパクは血筋もあるのか、簡単には止められない。

 必要以上の反撃をなだめる様に相方のハドソンから頭を叩かれ、ようやく我に返っている。


 

 

 「ジルコフ大佐、ここはもう限界です! 下に降りるのは危険ですから、屋上のヘリでモスクワかサンクトペテルブルクの基地へ行って、革命を継続して下さい!」


 忠実な部下に守られていたジルコフ大佐も、遂に自ら助けを求めなければならなくなった。

 

 だが、モスクワとサンクトペテルブルクの基地にはまだ同志と武器が待機している。

 戦争とは、いくら兵士が死のうとも、司令官が生き残る限り続けられてしまうものなのである。


 「待てジルコフ、逃さんぞ!」


 長年の天敵を逮捕する為、執念の追跡を続けるロドリゲス隊長。

 しかし、両者の間に銃弾に怯える上院議員達が転がり込んできた。


 「助けてくれ! 私達はジルコフ大佐に騙されていただけなんだ! 助けてくれ!」


 「ええい……お前達みたいな人間が最低なんだよ! 俺が警察じゃなかったら、今すぐここで殺したい!」


 ジルコフ追跡を邪魔され、ロドリゲス隊長も問題発言連発。

 その脇をすり抜けたハインツが手元に転がる拳銃を拾い上げ、ロドリゲス隊長に合図してジルコフ大佐の追跡を継続する。


 「ジルコフ! そろそろ諦めろ!」


 銃器初心者のハインツは拳銃をしっかりと両手で構え、基本通りの発砲でエレベーターのスイッチを破壊する。

 この結果、ジルコフ大佐の逃走ルートは階段に限定されてしまった。


 「……何っ!? エレベーターが……。くそっ、キリチェンコ! キリチェンコ出番だ! この剣士を片付けろ!」


 ジルコフ大佐の言葉の後に、ひとつの影が5階の休憩室からゆっくりと現れる。

 

 その正体は、どうやらバンドーやゲリエを思わせるどっしりとした体格の男性らしい。

 しかしながら、身の丈程もある巨大な剣を片手で軽々と振り回す腕力に加え、ウォームアップでは軽やかなフットワークも見せつける強者オーラの持ち主だ。


 「ちっ、用心棒ってやつか……。だが、その前に少し痛い目に遭って貰うぜ、ジルコフ!」


 ハインツは謎の用心棒を尻目に、階段を駆け上がるジルコフ大佐の足首を狙う為に拳銃の引き金を引く。

 だが不運な事に、彼が拾った拳銃には弾丸が1発しか残されていなかったらしく、空砲が虚しく響くだけ。


 「エレベーターを壊しただけでも大手柄だぜ、ハインツ! 後は俺に任せろ!」


 混合部隊屈指の俊足、グルエソにジルコフ大佐の追跡を託したハインツは、改めて自身に近づく用心棒剣士と向き合う。

 

 「お前、キリチェンコとか言ったな……。つまりは剣士ランキング第2位のロシア人か?」


 剣術マニアのハインツは、剣士の名前を聞いただけで最新ランキングをほぼ当てられる。

 一方のキリチェンコも、自身と同じTOP10ランカーであるハインツの存在は意識していた様だ。


 「……いや、俺が今の暫定第1位だ。かつて3位だったボロニンも、1位だったイグナショフも、ウラジオストクの津波で死んだよ……」


 ともにトレーニングを積んだイグナショフは勿論、ライザと出会う前のボロニンとも交流があったキリチェンコ。

 彼の横顔からは仲間を失った悲しみが色濃く滲み、剣士ランキングで自分が頂点に立ったという喜びは微塵も感じられない。


 「お前が戦わなけりゃ、誰にも負けない。誰にも負けないって事は、ランキング1位もキープ出来るんだろ? 何故今戦うんだ? それもジルコフみたいな悪党の為なんかによ……」


 仮にキリチェンコの弱みを握っていようが、もうジルコフ大佐は軍事会館の配下を見捨てようとしている。

 ハインツには、何故キリチェンコが逃亡する君主に忠義を示そうとしているのか、全く理解出来なかった。


 「……いや、大佐の為ではない。俺自身のケジメさ。俺達が賞金稼ぎから良く思われていないのは知っている。しかし、それは俺達が自ら選んだ道。だからこそボロニンもイグナショフも、お前達やフェリックスの刺客と戦ってその力を証明しようとしていた。今更俺だけが、強いふりをして運命から逃げ続ける訳にはいかないだろう……」


 淡々とした語り口だが、その目には決死の覚悟がみなぎっている。

 ハインツはキリチェンコの説得を諦め、この戦いを自身のキャリアに於ける大チャンスだと意識を切り替える。


 「……分かった。だが、俺が勝ったら警察に全てを明らかにしろよ。お前がボロニンの様な犯罪に手を染めていないなら、剣士としてやり直せるだろうからな!」


 未だ激しい戦いが続く会議室を離れ、静寂に包まれる異様な空間。

 両者の耳から雑音が消えた頃、クレアはハインツの姿を探して会議室を見回していた。


 

 「ふおっ……!」


 挨拶代わりの一撃を真正面に振り降ろすキリチェンコ。

 その風圧だけで並の剣士を圧倒するパワーに、流石のハインツもファーストコンタクトは回避する。


 「どうした、俺のスタミナ切れを待つつもりか? 何時間かかるかな?」


 キリチェンコのパワーはボロニンと同レベルだが、ボロニンに目立つ攻めの強引さはない。

 スピードとテクニックでパワー型の剣士を振り回したいハインツにとって、パワーだけに頼らないキリチェンコは簡単な相手ではなかった。

 

 (……一番動きの少ない、腹に狙いをつけるか……!)


 幸いにして、キリチェンコはハインツと上背が殆ど変わらない。

 やや寸胴な相手の体格から腹部は狙いやすく、ハインツも手足のリーチには若干のアドバンテージがある。


 「背丈が近いと、お互い狙いがつけやすいな……でやあぁっ!」


 キリチェンコが繰り出す、相手の心臓を抉り出さんばかりの豪快なスウィング。

 しかし、まだ軽いジャブのつもりなのか剣から片腕が外れ、彼の腹部はがら空きになった。


 「……チャンス!」


 ハインツは軽やかな身のこなしからキリチェンコのスウィングをかわし、一旦しゃがみ込んだ反動から相手の腹部を切り裂きにかかる。

 防具はあるが、直撃なら勝負ありの重傷を負わせる事が出来るだろう。


 「甘いな!」


 キリチェンコが腹部を空けたのは、バランスを維持しながら身体を回転させる為。

 そのまま左足で回し蹴りを炸裂させ、そのダメージはハインツの左頬を捉えた。


 「……がはっ……!」


 サウスポースタイルである事が幸いし、ハインツの顔面とキリチェンコの左足の間には剣が挟まれている。

 故に顔面の骨折こそないものの、口の中を切ったハインツは僅かに血を吹き出してその場に倒れ込む。


 「……ハインツ! 大丈夫!?」


 混合部隊の勝利が見えてきた会議室を抜け出し、パートナーの助太刀に現れたクレア。

 だが、ハインツは慌てて口から血を拭い、膝を着きながら立ち上がる気力を見せた。


 「……格闘技か……。おもしれえ、さしずめバンドーの上位互換って所だな! 意地でも負けられねえぜ!」


 クレアの存在だけではなく、バンドーの急激な成長にも向上心を刺激させられていたハインツは、改めて剣士としてのプライドを呼び起こす。

 その一方、キリチェンコにも自身の成長を支えたプライドがあるらしい。


 「……俺が格闘技もこなす理由は単純だ。剣だけでは1回もイグナショフに勝てなかったからだよ。奴の姿を最後に見たのは、ウラジオストクの沿岸でメナハム・フェリックスと戦う姿だと聞いている。俺がジルコフ大佐の下についていると知れば、やがてメナハムも現れるだろう。お前を倒し、メナハムを倒すまで、俺は軍部の雇われ剣士で構わない」


 形容し難い緊張感の中、クレアはハインツのプライドを承知しつつ自らの剣にも手をかけていた。


 「……お前の女か? くだらん。女など俺の人生には必要ない。女は金や強さになびき、男の人生を狂わせるだけの魔物だ。だが、お前がどうしても俺に勝ちたいのであれば、いくらでもその女に泣きつくがいい」


 クレアを冷ややかに見下すキリチェンコは、女性に対して偏見を持っている。

 

 しかしながら、それは自身の母親の浮気と離婚を経験していたから。

 それ故にボロニンとライザが相思相愛である事を認めず、ライザを疫病神とみなしてイグナショフに任務を奪われてもいた。


 「……へっ、舐められたもんだぜ。俺が1対1で始めた戦いから逃げるとでも思ってるのか? キリチェンコ、お前は可哀想な男だよ。細かい事は言わねえけどよ、お前は色々可哀想な男だよ!」


 ハインツはクレアと目を合わせて微笑み、キリチェンコのメンタリティを一刀両断する。

 

 「クレア、ありがとよ! だが、俺ひとりで十分だ。会議室に戻って、ジルコフ一派にとどめを刺してくれ!」 


 「……で、でも……」


 ハインツの言葉を耳にしながらも、どうにも歯切れの悪いクレア。


 

 これまでの彼女であれば、すぐに会議室の戦いに戻った事だろう。

 自己中心的だった頃のハインツには、多少の痛い目に遭う事さえいい薬になる、そう考えていたはずだ。 


 だが、互いの想いを自覚した今は違う。

 ハインツが大人になっていく一方で、クレアはハインツが戦いで傷つく事を恐れ始めている。


 剣士ランキングではバンドーにも追い抜かれ、彼女の意識は徐々に現役の賞金稼ぎから、将来の夢である剣術道場の師範へと移行していた。

 その道場で隣にいる、未来のパートナーとの生活に想いを馳せながら……。


 「クレア、お前は剣士だろ! お前の力で、会議室の戦いを早く終わらせるんだ! 俺なら大丈夫だ、俺を……俺を信じろ!」


 ハインツから全身全霊の叱咤激励を受け、クレアは目を覚ました様に会議室へと走り去る。

 

 そう、まだ彼女の戦いは終わっていない。

 軍部の暴走を止め、フェリックス社の悪行を裁くその時まで、彼女の戦いは終わらない。


 「ああぁぁっ……!」


 これまでのもやもやを晴らすかの如く、ヨーロッパ最強女剣士と恐れられたクレアの、華麗なる復活だ。


 

 

 「ハァッ……!」


 持ち前のスピードとテクニックを活かしたヒット&アウェイ戦法で、僅かずつではあるが確実にキリチェンコにダメージを与えるハインツ。

 

 だが、相手には一撃必殺のパワーがあり、詰めの甘い攻めには格闘技によるカウンターが待っている。

 ハインツ自身、元来スタミナで勝負するタイプではないだけに、長期戦には向いていなかった。


 「流石はTOP10ランカー、その辺の自称剣士とは格が違うな。しかし、まだまだイグナショフには及ばない……そろそろケリを着けてやる!」


 メナハムとも名勝負を展開したイグナショフ。

 彼の無念を受け継ぐキリチェンコはスタミナ自慢だが、わざわざ長期戦に持ち込むつもりはないらしい。


 「ふんっ……!」


 ハインツの攻撃パターンを掴んだキリチェンコは、相手の退避するタイミングに合わせて咄嗟に喰らいつき、フルパワーでガードの弱いハインツの左肩めがけて剣を振り降ろす。


 「くっ……ぐあぁっ……!?」


 急場凌ぎのガードはキリチェンコのパワーで弾き飛ばされ、ハインツは防具ごと左肩を斬りつけられた。


 「ハインツ! 大丈夫か!?」


 ハインツが苦悶の声を上げる事は珍しい。

 9割方勝利を手にした混合部隊から、バンドーも慌てて隊列から抜け出そうとしている。


 「……バンドー来るな! こいつは俺の戦いだ!」


 左肩の防具を破壊され、ハインツは肩口から出血している。

 サウスポースタイルの彼にとって、痛みで左肩が上がらなくなる事は致命的だ。


 「強がりはよせ! 俺に低い攻撃は通用しない。肩が上がらなくなればお前に勝ち目はないぞ!」


 衰えないスタミナを活かしたフットワークで、ハインツを翻弄するキリチェンコ。

 剣に加えて、時折繰り出されるキックが相手の下半身を蝕み、足にもダメージが蓄積されたハインツは立つ事さえ覚束(おぼつか)なくなっている。


 「とどめだ!」


 利き腕ではない右腕のガードに限界のあるハインツを、斜めから心臓ごと斬り裂く。

 フィニッシュから返り血を避けようとするキリチェンコは、最初の攻撃と同じく腹部を空け、剣を大きく振り抜いて回転する為に右手を離した。


 「待ってたぜ! この瞬間!」


 腰砕けになりながらフロアに屈み込んだハインツは、剣に相手の右手を絡ませ、両手でキリチェンコの右手首をがっしりと掴む。


 「……!? 何のつもりだ? 離せ!」


 ハインツに向けて咄嗟にキックをお見舞いしたキリチェンコだったが、激痛に顔を歪めながらもハインツは相手の右手首を離さなかった。


 「……格闘技なら、俺もバンドーやシルバから習っているさ! だが、ここぞの時までは使わねえ。お前と俺との違いはそこだよ!」


 形勢逆転を確信したハインツ。

 彼はキリチェンコの右手首を容赦なく捻り上げ、自身を上回るハンデを相手に背負わせる。


 「ぎゃああぁぁっ! この野郎……!」


 健を断裂した右手が使えなくなっても、左腕1本から振り降ろされるキリチェンコの剣には相変わらずのパワーが宿っていた。

 

 だが、人体の構造とフロアの存在で、片腕だけの攻撃では剣の軌道が180度を超える事はない。

 キリチェンコの剣と彼の足の間にあるスペースは、細身で素早いハインツなら利用出来る。


 「手荒く決めてやる! 死ぬんじゃねえぞ!」


 ガキイイィィン……


 キリチェンコの全力で床に振り降ろされた剣は、先端部が折れて弾け飛ぶ。

 その剣と足の間に滑り込んだハインツは、下から剣を右手で押し出す様にしてキリチェンコの胸へと突き刺した。


 「……ぐはあぁっ……!?」


 防具の存在が心臓への刺し傷を回避したものの、胸の中央部に強力な攻撃を受け、呼吸を一時的に止められたキリチェンコはうつ伏せのままフロアに崩落。

 やがて胸から流れ出す鮮血と、長引く呼吸困難から唇は紫色に変化し、ハインツから身体を起こされてどうにか彼は一命をとりとめる。


 「……お前が殺しやドラッグをやってねえなら、早く怪我を治すんだな。モスクワ武闘大会で返り討ちにしてやるぜ!」


 ハインツの華麗なる逆転劇に、遂に勝利を収めた混合部隊はスタンディングオベーションで彼を祝福。

 人質に掛けられていた手錠はそのままジルコフ一派に掛け替えられ、クレアは涙ながらにハインツに駆け寄り、やがて両者は熱く長い抱擁を交わしていた。


 

 「……ユスティン・キリチェンコだ。俺はティム・ハインツに完敗した。潮時だから剣士を引退するよ。今はハインツが第1位、メナハム・フェリックスが第2位だ。最近ランキングが分かりにくかったろ? すまんな、俺のせいさ。これからは武闘大会だけじゃなく、人の為にもなっている剣士が評価される時代になるべきだからな……」


 罪滅ぼしのつもりなのか、キリチェンコはモスクワの賞金稼ぎ組合に伝言を残し、自らランキングを書き換えようとしている。

 しかし、その余りにも安らかな話しぶりにむしろ不安を隠せなくなったハインツは、彼の元へと歩みを進める。


 「……剣士として、俺の役目は終わったよ……。ボロニン、イグナショフ、待たせたな。俺もお前達と一緒に天国で……いや、地獄でまた戦いたいよ……ふおおぉぉっ!」


 「な……!? バカ、やめろ!」


 祝福ムードは一転、キリチェンコは砕けた剣先で自ら喉元を掻き斬り、吹き荒れる鮮血の海の中で溺れていた。


 「ああぁぁっ……おい、死ぬんじゃねえ! 畜生、馬鹿野郎……!」


 慌てて駆けつけたハインツに抱かれ、穏やかな笑顔のまま息絶えるキリチェンコ。

 

 仮にこのままジルコフ大佐の逃亡を許せば、この剣士の名誉が回復する事は2度とないだろう。

 失望の谷底に佇むハインツ、彼に寄り添うクレア、そして数名の見張り役を残し、混合部隊は残された最後の巨悪、ジルコフ大佐の追跡に最後の力を振り絞った。




 「……ええい、しつこい奴だ、これでも喰らえ!」


 俊足のグルエソから執拗な追跡を受けているジルコフ大佐だったが、彼とて並の中年ではない。

 時に防火シャッターで進路を塞ぎ、時に弾切れを起こした拳銃や隠し持つナイフを投げつけ、ギリギリの所で追手をかわしながら屋上のヘリポートを目指している。


 「……ちっ、奴を舐めていたぜ! 俺に奴を殺す権限はねえが、逃げられるよりはマシだろうよ!」


 防火シャッターのせいで5階の下が吹き飛ばされた非常階段を登らされ、一時は生命の危機に瀕したグルエソ。

 ジルコフ大佐が10階に到達しようとするタイミングで、遂に処分覚悟の銃口を向けざるを得なくなっていた。


 「そうはさせん、これでとどめだ!」


 グルエソの殺意を知ってか知らずか、ジルコフ大佐は遂に奥の手、手榴弾を階下に向けて投げつける。


 「どわっ……マジかよ!?」


 防弾・防災仕様に優れた軍事会館とは言え、目前で手榴弾が爆発すれば無傷とはいかない。

 グルエソはやむなく9階非常口まで退避し、どうにか爆発をやり過ごした。


 「何だ!? 今の爆発は? ……くっ、防火シャッターが降りている。危険だが、非常階段に回るしかないか……。皆会議室に戻れ! ここは俺とキムに任せろ!」


 防弾チョッキを脱ぎ捨て、拳銃だけの軽装備となったロドリゲス隊長とキムは慎重に非常階段を登り、ジルコフ大佐の追跡に執念を見せる。



 「やったぞ! 私の革命は継続された!」


 遂に屋上のヘリポートに到達したジルコフ大佐。

 彼の気持ちを代弁するかの様に先程までの雨も上がり、夜空には満天の星。

 

 同志と武器が待つ基地には、警察組織もそう簡単に近づけない。

 再び混合部隊が戦力を整えるまでに、ジルコフ大佐はロシアからの脱出も可能だ。


 「最悪の事態に備えて、ヘリの整備はしておいたのだ! レブロフ君、ロドリゲス君、さぞ悔しかろう! フハハハハ……!」


 

 意気揚々とヘリに乗り込もうとしたジルコフ大佐の視界に、一瞬の閃光。

 その閃光はやがて一発の弾丸となり、恐ろしい程の精度でジルコフ大佐の眉間を撃ち抜く。


 「……ぬおぉぉ……」


 まるで水滴が光熱で蒸発する様に、束の間の命が大気に燃焼。

 力なくヘリポートに崩れ落ちるジルコフ大佐の亡骸は、追跡を続けていたグルエソ、そしてロドリゲス隊長とキムの目にもはっきりと映っていた。


 「やったぞ! 大丈夫か!?」


 近くの建設現場から聞こえる叫び声。

 ビルの足場を登りつめたノルドベイトが、普段は出さない大声に喉を涸らしてグルエソの無事を確認する。


 「……あれは……ノルドベイト!?」


 グルエソのレンジャー隊員時代の親友、チェンは新興宗教団体『POB』に傾倒し、クーデターを起こそうとした所をノルドベイトに阻止された。

 その行動は正しかったが、グルエソは親友を撃ったノルドベイトを認める事が出来ず、レンジャー隊員から警察の特殊部隊へと転職していたのだ。


 「おう! 大丈夫だ! サンキュー、お前は英雄だよ!」


 心のわだかまりが解けた両者は互いに大声で健闘を讃え合い、ヘリポートに辿り着いたロドリゲス隊長とキムも、これで軍部の暴走が終わる事を確信する。



 7月20日・23:00


 真夜中の戦いを制した混合部隊に、ようやく休息の時が訪れた。


 ジルコフ大佐という求心力を失った軍部強硬派は、軍事会館とモスクワ、サンクトペテルブルク両基地からの撤退を決断し、一部の上院議員達とともにその罪を問われる事に。

 ユーシェンコ大統領も、自らが軍部の問題に的確な対処をしてこなかった事を自戒し、ジルコフ大佐を射殺したノルドベイトや混合部隊に対する処分はないと発表する。


 一方、両陣営を合わせて12名の死者と多数の負傷者を出した軍事会館付近では、医療活動が活発化して事情聴取が進まない。

 その為、この事件の詳細報道は翌日まで延期され、混合部隊で負傷のない者は軍事会館で一夜を明かす事になっていた。


 

 「隙間風が強くて、まるで野宿だぜ。まあ、今が夏で良かったな」


 配給の食料だけでは物足りなさそうなカムイは、かなりのダメージを受けた軍事会館を感慨深げに眺めている。


 「今回は魔道士大活躍ね。あたし達もハッサンがチームの一員で誇らしいわ!」


 レディーの横で熟睡するハッサンは、暫く眠りから覚める事はないだろう。

 リンとバーバラも、それぞれシルバやルステンベルガーの隣で寝息を立てていた。 


 「……ハインツ、病院に行かなくて大丈夫なの? もしかしたら、ランキング1位になったあんたを狙う奴がここに来るかも知れないじゃない?」


 ハインツの肩の怪我はさほど重傷ではないが、クレアは悪い予感に(さいな)まれている。 

 追う側から追われる側へ……売られた喧嘩は必ず買うハインツの性格にも不安が絶えない。


 「俺を狙うって……メナハムかよ? 奴等ウラジオストクで足止め喰らってるんだろ? それに、奴と戦えるなら俺は構わないぜ!」


 強気な所は相変わらずのハインツ。

 苦笑いを隠せないクレアを思いやり、バンドーがすかさずフォローを入れる。


 「大丈夫だよクレア、俺まだ魔法使ってないから、メナハムが来ても出来るだけ弱らせてからハインツに渡すから!」


 「お前、自分では倒さねえのかよ!?」


 ハインツとバンドーのボケツッコミに、混合部隊は笑いに包まれた。


 「……いや、万が一バンドーがメナハムに勝ってランキング2位になったら、俺がTOP10から落ちてしまう。まずは俺とミューゼルにやらせろ!」


 「おいコラ! 俺を忘れてんじゃねえ!」


 ルステンベルガーやカムイまでを巻き込んだ漫才合戦の裏で、グルエソを中心として特殊部隊にノルドベイトを引き抜こうという話題が、密かな盛り上がりを見せている。

 渦中のノルドベイト本人も、この戦いで距離を縮めた特殊部隊に悪い印象は持っていない。

 

 しかしながら、彼はそもそも狙撃手にすら執着のない男。

 その性格からして、個人で動く私立探偵といった仕事の方が向いているのかも知れない。


 

 ピピピッ……


 「……ん!? 誰だ? こんな夜中に……」


 突如として鳴り始めた、ノルドベイトの携帯電話。

 軍隊入りしてから家族とも疎遠になっている彼は、仕事以外で携帯電話が鳴る事は殆どないはずだった。


 「……はい、ノルドベイトですが……」


 上官の可能性を考慮し、改まった態度で電話に出るノルドベイト。

 だが、その声の主は余りにも意外な男だった。


 「ノルドベイト君か? アッガーだよ、覚えているかい?」


 電話の主は、ノルドベイトの憧れの存在であり、レンジャー部隊入りを機に交流が始まった剣士アッガー。

 しかし、今の彼がフェリックスの配下で冷徹な仕置人に変貌している事を、ノルドベイトは知らない。


 「アッガーさん!? お久しぶりです! こんな夜中に何か用なんですか?」


 ノルドベイトにしては珍しく、携帯電話を持ちながらしきりに頭を下げている。

 今や世界屈指の狙撃手となった彼も、自身のヒーローの前ではひとりの少年なのだ。


 「君は軍人だろ? 今話題になっている軍部強硬派のクーデターで、俺の知人が被害に遭っているんだ。今軍部がどうなっているのか、君は無事なのかを知りたかったんだよ!」 


 アッガーが自分の身を心配してくれていた事は、素直に嬉しい。

 だが、暫くぶりの相手にまずクーデターの様子を訊こうとする姿勢には、少々疑問が残る。


 ノルドベイトは周囲の顔色を伺いながら、 まずは無難な対応に終始した。


 「……自分は偶然、今週は休暇で非番だったんです。狙撃手として駆り出される事もありませんでしたし、そもそもジルコフ大佐は余り好きではありませんでした。ですから、今の自分はただの暇な軍人ですよ。クーデターの様子は……分かりませんね。お役に立てなくて申し訳ありません……」


 「……そうか。いや、君が無事で何よりだよ! クーデターは軍事会館で行われているんだろ? 仮に上官から呼ばれても近づかない方がいいぞ! 君と戦いたくはないからな!」


 アッガーからの反応は、まるで今から戦地に赴く兵士の様なもの。

 妙な胸騒ぎを覚えて電話を切ったノルドベイトは、楽観的なムードの混合部隊に新たな危機を警告する。


 「ロドリゲス、今アッガーという剣士から電話が来た。彼はここに来て、軍部の強硬派に受けた被害の恨みを晴らそうとしているらしい。彼ひとりなら恐れる必要はないが、背後に何かあるかも知れない。どうする?」


 急に話を振られたロドリゲス隊長も、アッガーという男に対する予備知識は殆どない。

 いや、そもそもアッガー自体が、剣士からも半ば隠居している存在だと思われていたのだ。


 「……アッガーだって? たまにデカい悪党を始末してランキングをキープしているあいつか? ジルコフでも倒して逆転1位を狙ってやがるのか?」 


 既にジルコフ大佐は故人となっている。

 従ってハインツの認識も、アッガーの行動に賞金稼ぎ界隈以上の影響力はないという程度である。


 「……何だか不気味ですね。調べてみます」


 シルバは早速賞金稼ぎ組合の剣士リストを検索し、組合のリストからつい最近、アッガーが脱会している事を突き止めた。


 「デニス・アッガー、6月30日付でコペンハーゲンの賞金稼ぎ組合を脱会していました! 脱会理由は……フェリックス社専属賞金稼ぎへの転職です!」


 「何だって!?」


 混合部隊の後夜祭気分を粉砕する、驚愕の事実。

 アッガーの知人が軍部の強硬派に受けた被害というのは、恐らくハバロフスクの衝突とウラジオストクでの空爆で間違いない。


 「今のモスクワはフェリックスの貨物ヘリ上陸を拒否しているはずだ! 仮にウラジオストクから陸路でモスクワ入りするつもりなら膨大な時間がかかるし、最悪モスクワの近くから陸路を選択しても、交通規制は厳格に行われている。だが、犯罪覚悟で包囲網を強行突破するつもりなら……」


 ロドリゲス隊長の声のトーンは、徐々に深刻さを増してきている。

 フェリックス役員が勢揃いなら、並の剣士が束になっても敵わないメナハムと、もはや人間のレベルを超越している最強魔道士、ナシャーラがいるのだ。


 「……今更あいつらが、何の為にここへ? 恨みのあるジルコフ大佐を殺す為だとしても、その後自分達だって逮捕されちゃうじゃない?」


 フェリックスの執念が理解出来ず、困惑するレディー。

 バンドーは嫌な予感に背中を焼かれながら、フェリックスの究極の目的を推測する。


 「……奴等、俺達も始末するつもりなんだよ。会社の不祥事は役員を入れ替えて出直す事にすればいい。この戦いの不祥事は、真実を知る俺達が皆いなくなればいい。奴等はもう会社員じゃない、歪んだ時代の救世主にでもなるつもりなんだ!」



  (続く)

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