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バンドー  作者: シサマ
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第79話 切り開け……突破口!


 7月19日・16:00

 

 モスクワ空港の到着ロビーで強盗を狙撃した男、ノルドベイトは現役のレンジャー隊員。

 詳細を知らず、銃声を聞いて駆けつけた現地の警官はロドリゲス隊長からの説明を受け、ノルドベイトの事情聴取を取り下げる。


 「こいつは死んだ親父の形見なんだ。姿勢が自由に決められない建物からの狙撃には、手首の置き場があった方がいいからな」


 細身の体型にブロンドヘアー、そして夏でも革ジャンという私服スタイル。

 そんなロックミュージシャンの様なルックスには似合わない、地味な配色のセカンドバッグを強盗から取り戻し、ノルドベイトは少々バツの悪そうな表情を浮かべた。


 「ノルドベイト、それじゃあ……力を貸してくれるのだな?」


 「……ああ、やるよ。ジルコフが病院に放り投げた遺体はリトマネン参謀だった。参謀にも何か問題はあったんだろうが、彼がロシア人なら殺すまではいかないはずだ。北欧人としては、ジルコフの選民意識みたいなもんが見えてムカつくぜ」


 これでロドリゲス隊長の不安は解消され、いよいよ役者は揃った。

 後は作戦会議用のシャトルバスに乗り込み、軍事会館近くのスポーツ施設に向かうだけである。



 「……あ? おいおい隊長、こりゃ上手くやりやがったな!」


 飛行機では爆睡していたハインツも思わず笑みを漏らす、空港に用意された3台のシャトルバス。

 それは地元モスクワのサッカークラブ、『CSKAフットボール』の専用バスだった。

 

 統一世界誕生以前、ロシアの中央陸軍所有のクラブとして一時代を築き、現在も軍部の予算と意向が反映されている、言わばジルコフ一派の身内とも言える『CSKAフットボール』。

 このクラブのシャトルバスであれば、軍事会館はともかくとして、モスクワ市内を走る事を規制される事はないだろう。


 「私が社長のリガチョフです。我々は先週から、怪我をしている選手のリハビリを軍事会館近くの施設で行っていました。しかしながら、スポーツは平和でなければ出来ません。現在の軍事会館の過剰な警備を見れば、ここ数日の様子がただ事でないのは明らかです」


 一同の背後からゆっくりと現れたのは、人相が悪く、やたらと派手なアクセサリーの趣味もいただけない印象のクラブ社長、リガチョフ。

 だが、かつては軍部の予算で甘い汁を吸っていたと思われる彼でさえ、この非常事態を静観する事は出来なかった。


 「……正直、スポンサーである軍部を裏切り、警察に力を貸すべきかとても悩みました。私の身の安全だけは保証されても、選手やスタッフの未来に影響するかも知れません。ですが、民主的な選挙の結果を暴力で歪める事は、軍部の傘下にある我々にとって他人事ではないのです。皆様が過剰な暴力ではなく、被害を抑えて法の裁きで軍部を鎮圧してくれる事を期待していますよ!」


 自分は十分稼いだから、そろそろいいイメージで退任……。

 そんな思惑も窺えるリガチョフだが、彼自身に不正があるのであれば、その時に調査をするだけの事。


 立場の違いで相手を選んでいる、今はそんな時間がないのだ。


 「ありがとうございます! ご期待に応えてみせますよ!」


 ロドリゲス隊長はリガチョフ社長を揺さぶる様な言葉は一切使わず、ただ結果だけにフォーカスを絞る。


 「それぞれのバスの代表者を決めろ! この端末の操作を代表者に任せ、バスのモニターで作戦会議を行う。ノルドベイト、君は我々のバスに乗るんだ。キムから狙撃の手順を聞いてくれ」


 軍事会館のロック解除キーを狙撃するには、見張り役の妨害を受けない場所からの遠距離射撃が有効。

 事前にノルドベイトの射撃実績を調べ上げたキムは、安全性と距離感の最大公約数から狙撃場所を決定していた。


 「1号車には警察関係者とノルドベイト、2号車には軍隊関係者、そして3号車には賞金稼ぎ関係者だ。上半身にはクラブが提供してくれたレプリカユニフォームを着て、外部からのカムフラージュに対応しろ!」


 ロドリゲス隊長の指示の下、シャトルバスに乗り込む混合部隊。

 賞金稼ぎバスの代表者は、機械の扱いとロドリゲス隊長とのコミュニケーションを考慮してシルバに決定する。


 

 「カムイに合うサイズはキーパー用しかないわね、ほい!」


 「お、1番じゃねえか? 縁起がいいぜ」


 ユニフォームを巡る、レディーとカムイの微笑ましいやり取り。

 自身の背番号など全く意識していないバンドーだったが、ハインツが7、ルステンベルガーが9、シルバが6など、各々が好きな番号を手にしており、女性陣が番号にこだわりがなかった為、彼の手元にはサッカー界のエースナンバーである「10番」が偶然転がり込んできた。


 「10番か。これ着るの、何だか荷が重いな……」


 自分にチームを操る影響力や、チャンスを必ずものにする勝負強さはまだない。

 その言葉はバンドーの謙遜(けんそん)だったのかも知れないが、この命懸けのミッションにふさわしいものとは言い難い。


 「……おいバンドー。お前はまだ自分の力を理解していない様だな。武闘大会で俺に負けた時のお前と、今のお前はもう別人だ。格闘技の基礎があり、あれ程の魔法が使えて、剣も着実に上達している。お前みたいになりたい奴はこの世界に何万人もいるんだ。そろそろ自分に見合った発言を意識した方がいい」


 ルステンベルガーは、敢えて厳しい口調でバンドーを引き締める。

 

 彼自身、血の滲む様な鍛錬(たんれん)を重ねて現在の地位を築き上げた剣士であり、バンドーの様に短期間で急成長した訳ではない。

 ましてや魔法の才能など、どれ程の探求心をもってしても得る事は出来なかったのだ。


 「お前の実力を疑っていた仲間は、恐らく俺が最後だろう。この戦いにルールはない。軍の反逆者を鎮圧し、フェリックスの悪行を裁くには、俺達全員のポテンシャルを開放する必要がある。俺やハインツ、カムイが勝てない相手でも、お前が魔法や肉弾戦で倒す、そんな瞬間が必要だ」


 バンドーはその言葉に、激しく感化されている。

 彼の剣士ランキングが急上昇したのは、ハインツでさえ劣勢に置かれていた当時の剣士ランキング3位、ボロニンを倒す魔法を発動させたから。


 しかも、その魔法はあらかじめ準備されていたものではない。

 無理を承知の戦いを決意したバンドーの闘志が、リンのアドバイスと結合する形で生まれたものなのだ。


 「そうですね。フェリックスが地上戦に勝利した事で、軍部は精神的に追い込まれていると思います。彼等は人質の安全を保証すると言ったみたいですが、いざという時は人質を盾にして逃亡する可能性もありますよね。最後の最後に勝負を決めるのは、バンドーさんやクレアさんの魔法の様な、相手が予期していない奥の手なのかも知れません」


 チーム・ルステンベルガーの一員となり、かつては魔法学校の教官として自分のポテンシャルを理解しているバーバラ。

 父親の再出発も決まった彼女は早くも冷製な分析を見せ、この戦いに対する迷いは既にない。


 「うん、皆ごめん。俺、賞金稼ぎ引退してもすぐ実家に帰れる安心感みたいなもんに甘えていたよ。ここまで世界の危機にしゃしゃり出てきて、今更他人事で戦える訳がない!」


 バンドーは自身の頬を叩き、気合いを新たにする。

 そんな彼の決意を知ってか知らずか、ロドリゲス隊長から各シャトルバスに新たな通信が入ってきた。

 

 

 『……皆、心の準備は出来たか? 作戦会議に入る前に、警察本部から新たな連絡が来た。ジルコフ一派がフェリックス重役の殲滅を狙い、偵察機でウラジオストクを空爆したらしい』


 「ええ……冗談だろ!?」


 想像を遥かに超えるジルコフ一派の蛮行に、一時騒然となる車内。

 これではただのテロリストである。


 『……だが、幸いにしてミサイルが外れたらしく、フェリックスの連中を含めてウラジオストクに被害は殆どなかったそうだ。どうやら奴等もなりふり構わず来るらしい。容赦は無用、生きるか死ぬかの戦いだな!』


 常に命懸けの任務に身を投じている現役軍人、そしてロドリゲス隊長やシルバの様な軍隊OB組に動揺はない。

 だが、軍隊に剣や魔法が通用する確信を持ちきれずにいる賞金稼ぎ達を落ち着かせる為に、ロドリゲス隊長はすかさず朗報を持ち出してきた。


 『皆、恐れる事はないぞ。軍事会館近隣の市民を避難させる為、新たな警官、軍人、そして賞金稼ぎがモスクワに向かっている。賞金稼ぎのメンツはレジェンド剣士のギネシュとスコットが選んだ、君達の仲間だよ!』


 「おう!? カレリン達が早くも現役復帰かぁ?」


 ハインツの相槌(あいづち)は何処となくコントじみており、車内の空気を明るくする。


 『……更に加えて、フェリックスに内通者がいる事が分かった。特別顧問のレオン・ファケッティが戦乱を憂慮(ゆうりょ)したのか、社内の極秘資料を提供してくれる事になったんだ! これで重役の逮捕にまた一歩前進する。理想的に事が運んでいるぞ!』


 「ファケッティって……シンディのおじいちゃんだよね!? アニマルポリスの皆は知っているの?」


 未来のパートナー候補であるメグミをはじめとして、縁の深いアニマルポリス達の身を案じるバンドー。


 この様な事態に備えて、シンディはルアーナと改名し、現在フェリックス人脈からは隔離されていた。

 しかしながら、レオンの裏切りが表沙汰(おもてざた)となれば彼は粛清の対象となり、シンディが祖父を救う為に身を危険に晒しかねない。


 『その声はバンドー君だな? 安心しろ。アニマルポリスは全員警察の管理下に置き、モスクワ市民やペットの避難に協力してもらう事になった。孤立はさせないが、危険な現場には近づけさせん!』


 「バンドー、心配するな。レオンとフェリックス会長のデビッドは若い頃からのマブダチだ。仮にレオンが会社の疑惑を密告したとしても、デビッドにレオンは殺せねえ。フェリックスがこの戦いに勝ち、ヨーラムと世代交代したら話は別だが……勝つのは俺達だから、それはあり得ねえ」


 両腕を組んで悠然と振る舞う黒人剣士ハドソンは、旧アメリカ富裕層の末裔に生まれながら、フェリックスのプロジェクトに呼ばれていない。

 それ故にフェリックスへの対抗心は強く、レオンとデビッドの素性も徹底的に調べ上げていた。


 「……しかし妙だな。なあシルバ、戦闘機に乗れるレベルの兵士が、着陸している貨物ヘリにダメージを与えられないって、おかしくないか?」


 これまでハドソンの陰に隠れていた、チーム・HPの相棒パク。

 彼はうっかり聞き流しそうになったジルコフ一派の大失態に、大いなる疑問を抱いている。


 「自分もそう思いました。仮にミサイルが外れたら、機銃掃射でも何でもして相手を殲滅させないと復讐されますからね。ひょっとしたらパイロットがジルコフに逆らったのか、それともナシャーラの魔法がミサイルが命中した様なトリックを見せたのか……?」


 パクとシルバの考察は、予想外に長々と続く。

 だが、他の賞金稼ぎ達、とりわけクレアはこのやり取りを煩わしく感じていた。

 

 (……ウラジオストクが無事だったんだから、今はそれでいいじゃない……)

 

 決戦を控えたこんな時だからこそ、過去に気を取られずに集中力を高めたい。

 そんな意見を代表して、クレアが口を開こうとした瞬間、リンが絶妙なひと言を放つ。


 「きっとフクちゃん達が……いや、神様のご加護があったんですよ」

 


 

 『作戦会議を始めるぞ。相手には議員の様な戦いの素人も混じってはいるが、単純に見て我々の倍の人数だ。隊列を乱して行動すれば命の保証はない、心してかかれ』


 モスクワの西陽に目を細めながら、特殊部隊の手引きで進められる作戦会議。

 その間シャトルバスは誰からも怪しまれる事なく、モスクワ市内を快走していた。

 

 しかし、やがて夕焼けが厚い雲に覆われ、運命の舞台がひと雨来そうな悪天候に彩られてしまう。



 7月19日・17:00


 トイレの個室内で携帯電話を破壊した、フェリックス者の共同創立者であるレオン・ファケッティ。

 彼はその理由を外部への弱気な態度を封印する為と弁明し、親友である会長のデビッドは納得した。


 だが、若い世代のヨーラムはレオンの言葉を信じる事が出来なかった為、彼を監禁する許可を得る。


 「ファケッティ顧問、申し訳ありません。貴方のフェリックスへの貢献は計り知れませんが、我々はあらゆる不安要素を排除しなければならないのです。今の貴方の言動には不明瞭な点がいくつか見受けられますので、窮屈でしょうが暫くこの部屋でお過ごし下さい」


 午前中まで魔道士のベガを監禁していた個室にレオンを閉じ込めた後、貨物ヘリのコックピットに戻ったヨーラム。

 そこで目にしたものは、離陸して暫く時間が経過していたにもかかわらず、ヘリの航路がモスクワから微妙にずれているという現実だった。


 「……おい、モスクワから離れているのではないか!? どういう事だ? 我々には時間がないのだぞ!」


 慌てて操縦士に詰め寄るヨーラム。

 操縦士は苦虫を噛み潰したような表情を見せながら、端末のモニターに映るナシャーラの顔を指差す。


 『ヨーラム、どうやら先程の空爆が警察やマスコミに知られた様です。フェリックス社の貨物ヘリは、市内の安全対策の為にモスクワ入りを拒否されてしまいました』 


 「……そんな!? やられてもやり返せないという仕打ちですか!? バカげている!」


 ハバロフスクでの戦果に気を良くしていたヨーラムだけに、この停滞への落胆は大きい。

 しかしながら、ここでモスクワ入りを強行してしまえば、フェリックスもジルコフ一派同様、世界的な信用を失ってしまうに違いない。


 『……やむを得ませんね。私の信者で、ニジニ・ノヴゴロドに空き農地を持っている者がいます。彼の土地を買収して不時着しましょう。幸い、彼の地元の仲間が車を用意してくれる予定ですから、陸路移動は可能になります』


 「兄上、ノヴゴロドならモスクワのすぐ隣だ。車でも明日早々には到着する。警察や賞金稼ぎ達も軍部を止めようとしているらしいから、奴等を戦わせて弱った後で俺達が美味しい所をいただこうぜ!」


 ナシャーラに心酔する信者の人脈と、フェリックスの財力をもってすれば、この代案にさほど不安はないだろう。

 メナハムのポジティブさもムード高揚を手伝い、フェリックス陣営の野望は繋がった。



 7月19日・17:30


 「……デューク社長、貴方には根負けしましたよ。会社までお送り致します、ご協力ありがとうございました」


 フェリックス社長のデュークを早朝から拘束し、どうにかしてロシアからの撤退を呼び掛け続けていた、警視総監補佐班のモクーナ達。

 しかしながら、デュークは顧問弁護士の到着までは一切無駄口を叩かず、軍部が先に発砲してしまった現実から、世論はフェリックス側に傾きつつある。


 「あの動画を見せられてしまうと、軍部の処分なしに貴方達を抑圧する事は出来ませんよ。フェリックス社のシステムに適応した報告書とサインを残さなければなりませんので、少しだけ社内でお時間をいただけますか?」


 「……分かりました。一番振り回されたのは警察ですからね、こちらこそご苦労様と言いたいですよ」

 

 デューク社長は安堵の笑みを浮かべ、今頃になってどっと押し寄せる疲れを抱えて帰路につく。

 当代きっての有名企業、フェリックスは社員に無駄な残業をさせない社風だが、ワーカホリックな彼の仕事はむしろ社員の帰宅後が本番だ。 


 「物々しい一団はもう不要です。帰り道は私とナイティンクだけでお相手させて貰いますよ」


 モクーナは同僚のナイティンクに車の運転を任せ、デュークとの雑談で時間を潰す。

 

 だが、補佐班の活動は勿論これで終わりではない。

 

 モクーナがデュークと報告書を作成している間に、ナイティンクが人目の少なくなった本社ビルの6号室ロッカーを物色し、レオンから報告があった極秘資料を入手する。

 仮に誰かに気づかれたとしても、俊足で鳴らした彼を捕まえる事は容易ではないのだ。



 7月19日・18:00


 小雨が降り始めた生憎の空の下、作戦会議を終えて最小限の軽食を取り、いよいよ戦いに挑む混合部隊。

 

 特殊部隊のキムの計算が導き出したノルドベイトの射撃場所は、スポーツ施設と軍事会館の間に位置する商業ビル。

 飲食店や小売店の並ぶ3階建ての小さなビルだが、周囲の物々しさから今日は営業を休止していた。


 (これだけ軍事会館に近いのに、見事な死角だ。あのキムとか言う男、なかなかやるじゃないか。あいつやロドリゲスを斬り捨てた奴等は、そろそろ軍部でも淘汰されるべきなのだろう……)


 ノルドベイトの視界に入る、軍事会館の2階東側の外壁にひっそりと佇む非常用のロック解除キー。

 通常であればハシゴ車を使い、ドライバーを用いて強化プラスチックケースを開けなければキーは押せない。

 

 だが、握り拳サイズの大型キー自体は抵抗が軽くなっている。

 強化プラスチックケースを破壊する衝撃が、キーの面積である10cm四方へピンポイントでもたらされる事により、この機能は作動する様になっていた。


 非常階段の踊り場から狙撃を試みるノルドベイトに渡されたライフルには、既に十分な弾丸が充填済み。

 

 狙撃音が小さいに越した事はないのだが、サイレンサーを装着するとライフルの長距離弾道は不安定になる。

 また、サイレンサーを外せば当然銃声は大きくなり、ターゲットを照らすライトの存在もある為、1発必中、多くても2発でキーを仕留めない限り、ノルドベイトの居場所は察知される危険があった。


 (……普段なら余裕の仕事なんだが、今日はこの小雨が厄介だな……)


 ノルドベイトは今一度軍事会館の全長を眺め、その構造を回想する。


 

 モスクワ軍事会館は軍部の東欧拠点となる建物であり、地上10階、地下2階。

 司令官選挙が行なわれたと思われる会議室は5階にあり、地下1回は通信室。地下2階は避難用シェルター、9階、10階はトレーニングルームに大型アリーナ、そして屋上は1機の非常用ヘリが常駐するヘリポートとなっていた。


 (……地下に隠れても逃げ場はない。通信室に残っているのは部下数人だろう。ジルコフは戦いを指揮しつつも、非常時には屋上のヘリで脱出する算段か……。ついでに奴等の拠点を炙り出してやる!)


 非常階段の踊り場に這いつくばり、手すりの間にライフルの銃口をセット。

 僅かに斜め下方向への狙撃が必要になる為、スタンドの下にセカンドバッグを半分挟み、残りの半分に右手を置く。


 (いつでもいいぜ……ロドリゲス!)




 「……なかなかしぶといな。いつまで飲まず食わずでいるつもりだ? 手錠に繋がれたまま、犬の様に空腹を満たしてみたまえ、ハハハ……」


 レブロフ司令官達がジルコフ一派に監禁されてから、既に29時間が経過していた。


 手錠をかけられた状態で抵抗ができない人質達にも、広い会議室のトイレで用を足す権利だけはある。

 しかしながら、常に拳銃を構えたジルコフ大佐の部下達が交代で彼等を監視しており、時に銃口を突きつけられ、時に罵声を浴びせられながらトイレを介助される屈辱は、筆舌に尽くし難いもの。


 「君達がプライドに生きるのは勝手だが、体力がなければ万が一助けが来たとして、満足に歩けず足手まといになってしまうだろう?」


 ジルコフ大佐は満面の笑みを浮かべながら、彼等の側にパンの欠片を乱暴に投げ捨て、バケツに汲んだ水を複数横に並べている。

 だが、レブロフ司令官をはじめとして、穏健派の軍人や上院議員は冷静な意志の力で統率を保っていた。


 「ジルコフ、貴様が我々に外からの情報をシャットアウトしている時点で、クーデターの雲行きが怪しくなっている事がよく分かるよ。我々を絶望させる情報がひとつもないのだろう? 我々の仲間はもうすぐ来るさ。確かに武力は脅威だが、それを使う人間のレベルが低ければ、新たな秩序など確立出来ないのだからな!」 


 喉の乾きと睡眠不足により、人質達の体力は落ちている。

 しかしながら、議員はともかくとして、かつてテロリストとの過酷な戦場を経験している軍人達が、僅か1日の監禁に音を上げる事はないだろう。


 「フッ、負け惜しみは見苦しいぞレブロフ。まだ報道はされていないが、我々はウラジオストクでフェリックスの貨物ヘリを空爆したのだ。あの状況下で生き残っている人間がもしいたとして、モスクワまでは来れまい? 我々の計画は順調に成果を上げているのだよ」


 「な……? 空爆だと!? 冗談だろ! 一般の被災者や救援隊を巻き込んだのか!? お前達はもうテロリストじゃないか!」


 顔面蒼白でジルコフ一派を非難する、ヒメネス議長。

 仮にこれからフェリックスの悪行が証明されたとしても、軍部の暴走はもう擁護のしようがなかった。


 「お前達、本当にジルコフと運命をともにするつもりなのか? このまま軍法会議にかかったら、良くて終身刑レベルの罪なんだぞ!?」


 両手の自由を奪われ、拳銃を前に強硬策に出られないレブロフ司令官。

 だが、ジルコフ一派の結束を揺さぶる為に、ひとりでも多くの人間と目を合わせ、説得する姿勢は崩さない。


 ジルコフ一派の中には、まさか本当にフェリックスと戦争状態になるとは思っていなかった人間もいるはず。

 彼等はロシア主導の統一世界とそれに伴う利権を守る為、いち企業の影響力を抑制出来ればそれでいいと、不正も押し通すジルコフ大佐の権力を望んだのだろう。


 「おいおい、それじゃ俺達が腰抜けみたいじゃねえか。俺達はお前らの始末も、戦争も恐れちゃいないぜ! 現にもう、フェリックスの重役は社長以外全滅なんだろ? 奴等や警察が俺達を止めに来るなら、こっちも武力で吹き飛ばすだけだ。新しい秩序作りと利権にありつけるなら、俺達に金や武器を流してくれる企業やテロリストなんて、いくらでも出てくるぜ!」


 意気揚々と未来のビジョンを語り始める軍人もいれば、その背後で戸惑いを隠せない議員もいる。

 頭数ではロドリゲス隊長率いる混合部隊を大きく上回るジルコフ一派だが、これは純粋な戦力値ではなかった。


 「レブロフ君、私も今……いや、近頃色々と学んでいるよ。剣士や格闘家だけでは、賞金稼ぎは銃器の前に無力だ。しかし魔道士が集まれば、その魔法はある程度の脅威になるとね」


 ジルコフ大佐はハバロフスクでの敗戦を、人質達の前では頑なに隠し通す。

 だが、その要因に関しては冷静に分析しており、彼の目つきはひと回り険しくなっている。


 「君達の身の安全は保証するつもりだが、それはあくまでウラジオストクの詳細が判明し、フェリックスの敗北を世界が認めてからだ。仮に今、ロドリゲス達が我々を排除する動きを見せれば、君達の命はありがたく利用させて貰うよ。会議室の中で起きていたのは、選挙に敗れたレブロフ一派の反乱と、ロドリゲス率いるテロリスト達が仕組んだプロパガンダだったとな!」

 

 遂にその狂気を全開にしたジルコフ大佐に、彼の支持者の中にも少しずつ後退りする者が現れ始める。

 その空気を敏感に感じ取ったのか、彼は不敵な笑みを浮かべながら両手を大きく広げ、堂々と勝ち誇ったアピールをしてみせた。


 「強大な魔法も自然の力がなければ完成しないのだ。季節は夏、そしてこの会議室は蒸し暑い。しかし、今はクーラーどころか1ミリたりとも窓を開けさせていない。それが何故なのか、賢明な君達ならお分かりだろう? フハハハハ……!」

 


 パアアァァン……


 「……何だ!? この銃声……誰が撃ったのだ!?」


 正義の鉄槌を下す銃声が、モスクワの空にこだまする。

 ノルドベイトが放った弾丸は会議室より低い位置から聞こえており、その成果はすぐに目に見えるものとなってジルコフ一派の視界を襲う。


 「ジルコフ大佐! ま、窓が……勝手に開いていきます!」


 若い兵士は恐らく、ロック解除キーの場所すらも教えられていないのだろう。

 目の前の現実に動揺を隠せず、窓を閉める術を求めて近くの配電盤をまさぐる事しか出来なかった。

 

 「しまった、非常用のロック解除キーが……ええい! 見張りは何をやっていたのだ!?」


 事の重大さに気付かされたジルコフ大佐は、怒りも剥き出しに窓の外を見回す。


 「誰だ!? 何処から狙っている!?」


 続いてテンポ良く撃ち込まれるノルドベイトの弾丸と、そのひとつひとつに翻弄される兵士達。

 ノルドベイトは1階、3階、そして5階と、ジルコフ一派の拠点を探す様に壁を狙撃し、やがて衝撃を感じた5階の窓から銃を持った兵士達が群がる動きを確認した。


 「ロドリゲス、狙撃は成功した!奴等はまだ会議室を拠点にしている! 人質は恐らくそこにいるだろう。これからまとめて降りてくるぞ、気をつけろ!」


 軍を離れれば、かつての上官さえも呼び捨て。

 そのドライな感性の下、ノルドベイトは1発の無駄弾も出さずに任務を完了させる。



 「ノルドベイトが狙撃に成功した! 奴等の拠点は5階の会議室、異変に気づいた今、兵士達が下に降りてきている。皆行くぞ! 心してかかれ!」


 「おう!」


 ロドリゲス隊長の合図とともに、混合部隊は各々の持ち場から作戦を開始した。

 

 ライフルやマシンガンを持つ軍人達を正面突破最前線に、そして背後に特殊部隊と賞金稼ぎの剣士、格闘家。

 魔道士3名は拳銃を持った警官達にガードされながら、裏口の金網を見渡す通りに隠れ、一気に魔力を高めている。


 『魔道士部隊、魔道士部隊、こちらシルバ。正門警備の兵士達は風魔法に備えたのか、ベルトで片手に武器を固定しています。ターゲットを武器から足下に変更して下さい!』


 「OKシルバ! 皆行くぞ、時計回りに地上30cmだ! 向こうも対策をしているらしい、まずは奴等を地面に転がすんだ!」


 シルバからの連絡を受けた、魔道士部隊の代表ハッサン。

 同時に警官達は裏口前に姿を現し、見張り役の兵士の気を引いて魔法発動の時間を稼いだ。


 「ここを突破しなけりゃ何も始まらねえ、出し惜しみするなよ、はああぁぁっ……!」


 ハッサン、バーバラ、そしてリン。

 現在世界トップレベルの魔道士達による魔力の饗宴。

 

 互いの蒼白い光に小雨のモヤが交わるその幻想的な美しさは、警官と見張り役の間に発生した殺気さえも削ぎ落とす。

 そして、その魔法の大河が流れ行く様を、彼等はただ茫然と眺める事しか出来なかった。


 「……!? 魔法の光? まさかこんな所から……うわああぁぁっ!」


 武器を腕に固定する事は出来ても、足を大地に固定する事は出来ない。

 自身の対策を無に帰す横殴りのピンポイント突風に、兵士達は次々と将棋倒しになっていく。


 「よし、今だ! 奴等の正面に立つなよ! 無駄な殺生は必要はない、武器を持つ腕にダメージを与えれば、奴等はもう立てないんだ!」


 「了解!」


 足下をすくわれ、片手に固定した武器の重さで立ち上がるにも時間がかかってしまう、見張り役の兵士達。

 

 利き腕で武器のベルトは外せるものの、敵を倒すにはその武器を素早く使わねばならない。

 圧倒的な不利な状況が彼等の思考を更に奪い去り、混合部隊は冷静に攻撃を仕掛けてきた。


 「……ぐおっ……!」


 軍人と特殊部隊は兵士達の利き腕に銃弾を撃ち込み、賞金稼ぎ達は協力して立ち上がろうとする相手を剣で引き離しながら、どうにか立ち上がった見張りも格闘技で再びダウンさせる。


 『こっちも終わったぜ! だが、警官にひとり怪我人が出ちまった。命に別条はないが、弾が太腿に入っているから走るのは厳しいな、どうする隊長?』


 ハッサンから作戦成功の報告と、それでもゼロには出来なかった味方の負傷者情報が入ってきた。


 「既に正門前にはバックアップと救急車を要請している。開放された窓から奴等に狙われる前に、魔道士部隊は怪我人を連れてこちらに合流しろ! だが、強力な武器が欲しくても奴等からは盗むなよ! 我々はテロリストではないのだからな!」


 正門を突破した部隊に負傷者はなく、相手の兵士達も腕に被弾こそしているが、死者、そして命に関わる重体者はゼロ。

 ジルコフ一派の推定戦力244名のうち、入口前の見張り役兵士合計35名を拘束し、混合部隊側の脱落者は負傷の警官1名。


 ロドリゲス隊長がテロリストとの差別化を意識している通り、ここまでは混合部隊の面目躍如と言っていいだろう。


 「……今、ここに奴等が畳み掛けて来ないのは、我々の様子を見ながら戦力を小分けにして配置しているからだろう。5階に到着するまでは魔法をセーブし、白兵戦が中心になる。待ち伏せ被害を防ぐ為、エレベーターではなく階段を使うぞ!」


 「了解!」


 ジルコフ一派としても、拠点である軍事会館を迂闊(うかつ)に破壊する訳にはいかない。

 ここから先は手榴弾やバズーカ砲攻撃の恐怖がなくなり、混合部隊は魔道士の多い女性陣を中央にガードした隊列を完成させて会館内に乗り込もうとしていた。


 

 「くっ……待ちやがれクソガキ! どうせ俺達には未来はねえ、ひとりでも多く道連れにしてやるぜ……」


 右腕を負傷した見張り役の兵士ひとりが、小柄で手の届きやすい10代剣士、シュワーブの剣の鞘に左手をかけ、拘束されていない足で執拗な蹴りを加える。


 「痛てててっ……! このオヤジ、俺がガキだからって舐めてんじゃねえぞ!」


 シュワーブは兵士の左腕だけを斬り付けるつもりだったが、その腕力で上半身を起こしていた兵士の首筋に、彼の剣が直撃してしまった。


 「……!? ヒッ……!」


 まるで真空状態の様に首筋に現れる、剣で引かれた肌の裂け目。

 だが、次の瞬間、その裂け目からは止めどなく鮮血が流れ出し、やがてそれは滝の様に激しく吹き出していく。


 「あ……!? うわああぁ!」


 自身の過ちに気づき、瞬く間に血の気が失せていくシュワーブの表情。

 彼は恐怖と罪の意識が混濁し、無意識のうちに隣にいるバンドーの腕にすがっていた。


 「あ……おおぉ……」


 徐々に白眼を剥き出しにし、挙動不審な動きを繰り返す兵士。

 仮に救急車が今到着しても、彼の最期の瞬間が近づいている現実は誰の目にも明らかである。

 

 「バ、バンドーさん、死んじゃうよ! フクちゃんは来てないの!? 魔法で何とかしてよ!」


 10代の剣士として、既に地元ドイツを中心としたヨーロッパでは高い評価を得ているシュワーブ。

 だが、今は亡き師匠のシュティンドルやルステンベルガーの庇護の下で大事に育てられてきた彼は、バンドーやリンと同じく、まだ自分の力で人を殺した事はなかったのだ。


 「……シュワーブさん、如何に強大な魔法でも、人の死という運命を覆す事は出来ません。仮にそれが出来てしまえば、この世界は犯罪者達の天国となってしまうでしょう……。貴方は悪くありません、まだ若い貴方に目をつけて攻撃した、その兵士に問題があります」


 魔法学校の教官としてのキャリアが長いバーバラは、今はチームメイトとなったシュワーブを気遣いつつ、まるでフクちゃんの様な悟りを見せている。

 魔道士として生き続けるという事が、やがてそういう境地へと人を導くのかも知れない。


 「ティム、気にするな! この仕事をしてりゃ、誰もが一度は通る道だ。むしろ今経験して良かっただろ? こいつらは歴史に残る悪党になるんだからな!」


 同名のよしみで可愛がっていた少年を、力強く励ますハインツ。

 そしてヤンカー、ルステンベルガー、バイスの3名は、動かなくなった兵士からシュワーブを遠ざけ、頭から包み込む様に抱き締めていた。

 

 「フクちゃんをここに呼ぶのは危険過ぎます。それに、彼女には大切な用事があったんですよ……バンドーさん、そうですよね?」

 

 リンから差し伸べられた助け船に感謝して頷くバンドーは、取るべき態度も決めかねたままシュワーブを囲む輪の中に入る。

 いずれは自身にも訪れる、賞金稼ぎとしての十字架を背負うその瞬間を覚悟しながら……。

 

 「……これまでのジルコフ一派の行いを考えると、対等な条件下であれば奴等を殺しても正当防衛は成立する。好戦的になる必要はないが、我々が今怖気づけばこれから50年の暗黒時代が到来するだろう。未来の為に力を貸してくれ!」


 いかなる言い訳も、フェリックスを排除する為にウラジオストクを空爆する理由にはならない。


 戦争に正義など存在せず、フェリックスが統一世界に挑戦状をちらつかせていたのも事実。

 だが、ロドリゲス隊長の言う暗黒時代とは、最初に武力行使に出た側の責任を曖昧にする時代を指している……そう考えて間違いないだろう。

 


 

 「おりゃあ! 銃がないからって舐めんなよ!」


 軍事会館の中に入ると一転、軍人や魔道士ではなく剣士、とりわけ気を取り直したシュワーブやバンドーの大奮闘が始まった。

 

 ノルドベイトからの報告によれば、かなりの数の兵士が下に降りてきたはずなのだが、1階で戦いを挑んできた兵士は僅か20名程度。

 その中で銃器を持った兵士は4〜5名だけで、残りはナイフや警棒を持っただけの「噛ませ犬」レベルの戦力である。


 「……何か弱すぎない? 俺達が逮捕を前提にしているから、こいつら戦うふりをして降伏しに来た……って訳じゃないよね!?」


 不慮の事故による兵士殺害を乗り越える為、敢えて前向きに戦うシュワーブ。

 だが、ジルコフ一派は仲間のピンチに新たな兵士を送り込む訳でもなく、階段に続くドアは不気味に閉め切られていた。


 「階段ドアの裏に、小型爆弾でも仕掛けられているのかも知れんな。窓は開放されていて風は取り込める、正門まで後退して誘爆を試みよう。すまないが魔法でドアの裏に衝撃を与えてみてくれないか?」


 「ロドリゲス隊長、爆弾なら俺に任せてくれ! 窓から出て壁伝いに階段に回り、爆弾を解除してみせる!」


 爆弾のスペシャリストであり、かつてレンジャー部隊でノルドベイトとも同僚だったグルエソ。

 混合部隊が後退した所を、ジルコフ一派が囲い込む可能性を危惧した彼は、魔道士の魔力を温存し、自身の知識と経験を活かす道を提案する。


 「……分かった、無理はするなよ。ガンボア、キム、グルエソを援護する! 周囲を見て窓から外に出るぞ!」


 「了解です!」


 ロドリゲス隊長を含めた特殊部隊カルテットが窓から身を乗り出した頃、クレアとレディーは協力して最後の兵士をダウンさせていた。


 「えいっ! こんな美人ふたりにやられるなら、あんたも本望でしょ!」


 今日も舌好調のレディーだが、彼女(?)のコメントは窓からの換気よりも確実に周囲の温度を下げている。

 

 「ヘッドライトの光は最小限にしろ! まだ何とか外は見える!」


 軍事会館1階の外壁は白い部分が多く、幸いにして目前が暗闇に包まれる事はない。

 特殊部隊の面々は不自然な光を抑え、周囲に行動を気づかれない様に細心の注意を払っていた。


 「奴等が1階の土台を破壊するとは思えません。小型爆弾ならロビーまで下がれば大丈夫です!」


 軍隊OBのシルバが先導し、万一の事態に備えた退避を済ませる混合部隊。

 後はグルエソの腕を信じるだけである。



 「……へっ、やっぱり仕掛けていやがったぜ!」


 壁伝いに窓からの侵入を果たしたグルエソ。

 階段周囲の電灯は消されていたが、彼の視界には早速階段ドアと踊り場にセットされた、小型爆弾2個の姿が飛び込んできた。


 (……なるほど、ドアを開けたらまず爆発。ドアを開けずに窓から侵入しても、階段に張り巡らされたビアノ線に触れると、起爆装置の発火を呼ぶ様に仕組まれている……。この仕組みを短時間で作るとは、流石に軍隊レベルだな)


 専門知識をくすぐられ、不謹慎な高揚感に包まれたグルエソは時に笑みすら浮かべて爆弾の識別に入る。

 しかしながらその瞬間、彼の目は大きく見開かれたまま動きを止めてしまう。


 「……何だ? 紫5角形のカバーだと!? こんな爆弾は見た事がねえ。見た目は現行軍需品の緑4角形カバーにそっくりだが……」


 「どうしたグルエソ!? 詳細の分からない爆弾には触れるな、我々は非常階段から進む手もあるんだ!」


 強過ぎる使命感で命を失う。

 それは軍人としてあって欲しくはない、しかしながら、軍人として持ち合わせなければならない本懐でもある。


 幸いにして、ロドリゲス隊長には代案がある。

 彼はグルエソの使命感を和らげる為の配慮を忘れなかった。


 「ロドリゲス隊長、申し訳ありません。ヘッドライトを最大にして確認します!」


 不用意に灯りを漏らす事は危険だが、仮にジルコフ一派が爆弾による被害を想定していれば、2階の階段周辺に兵士はいないはず。

 グルエソは紫色のカバーを丁寧に眺め、その塗装の被膜に埃が含まれている事を確認する。


 (軍需品の爆弾は工場生産だ。塗装段階で被膜に埃が入る訳がねえ……こいつはただの塗替え品だ!)


 「ロドリゲス隊長、こいつはただの現行品です! 皆を戻して下さい、2分で解除出来ます!」


 グルエソからの報告を受けたロドリゲス隊長は、後方で待機する義理の息子シルバにOKサインを見せ、1階は大歓声に包まれた。

 

 だが、これだけ手の込んだ爆弾であれば、今度はこちらが利用出来ないものだろうか?

 グルエソの脳裏にぼんやりと浮かぶアイディアを具現化したのは、意外にも特殊能力『レセプター・リフレクター』の使い手、バイスである。


 「おい皆、俺に名案があるんだ!」


 普段は冷静なはずのバイスが危険を顧みず、窓から外に飛び出してくる。

 その神経に呆れ返ったガンボアとキムは、慌てて彼を取り押さえた。


 「何をやっているんだ!? 武器も持たずに死にたいのか!?」

 

 バイスを激しく叱咤する、ガンボアとキム。

 その剣幕に不満顔のバイスは、自らがここに来なければならなかった理由を説明する。


 「奴等、階段前のドアの上にカメラを仕掛けてやがる。あそこじゃ話せないんだ。俺達が1階のカメラの前から動かず、お前達が非常階段から3階に威嚇発砲すれば、奴等2階の階段前のドアを開けて、爆弾がどうなったか確認しに来るだろ? そのドアに仕掛けるんだよ! 5〜6人は倒せるし、2階には誰も近寄らなくなる。トイレ休憩も出来るぜ!」


 「何だ、君はトイレに行きたいのか? 素晴らしいアイディアだな! グルエソ、出来るか?」


 まるで悪役の様な、不敵な笑みを浮かべるロドリゲス隊長。

 軍事会館を知り尽くしている彼の頭には、2階をフル活用してジルコフ一派を追い詰める新たなプランが、既に湯水の様に湧き出ていた。


 「出来ます! 面白くなってきやがった!」


 グルエソは喜嬉とした様子で階段側の爆弾を解除し、1回の階段ドアに仕掛けていた爆弾をそのまま、2階の階段ドアに移し替える。


 「よし、皆よく聞け! 今からガンボアとキムが非常階段から3階非常口に向けて威嚇射撃を行う。銃声が聞こえて20秒後、我々は非常階段から2階に侵入する。だが、奴等を欺く意味もある。20秒間は今の場所から動くなよ!」


 「おう!」


 全員からの了解を合図に、ガンボアとキムは音もなく非常階段を行進する。

 

 この発砲は、3階の見張り役兵士にそれなりの音量で聞こえればそれでいい。

 発砲後、一瞬で飛び降りて身を隠す為、3階まで上がる必要もない。


 「キム、同時に発砲するぞ。方角は真上でいいだろう」


 「ガンボア、俺達いい加減長い付き合いだが、こうして呼吸合わせた事あったか……?」


 パパパアァン……


 普段の鉄壁のチームワークが嘘の様に発砲にズレが生じ、2階からの落下も体重差からガンボアが先に地面にめり込んだ。



 「……おい、何だ今の銃声!?」


 混合部隊が爆弾トラップに引っ掛かる事を期待していた、見張り役の兵士達。

 彼等は慌てて非常口を覗き込むものの、当然の如く人の姿はない。


 「奴等はまだ1階にいるぜ! おかしいぞ? 爆弾に気づかれたか!? 調べに行こう、鉢合わせしたらその場で皆殺しだ!」


 マシンガン部隊を結成している3階の兵士は、自分達の圧倒的火力と優位性を疑っていない。

 彼等はカメラで混合部隊が動けずにいる姿を確認すると、全戦力を2階の階段ドアへ向けて集結させた。


 「よし、入れ替わるぞ! 非常階段から2階へゆっくり上がれ! 非常口を閉めたまま伏せていろ!」


 混合部隊が去ったこのタイミングで、1階には誰も存在していない。 

 3階に待機していたマシンガン部隊は今、2階から1階に降りる階段ドアの裏に仕掛けられた爆弾に気づかないまま、そのドアを蹴破ろうとしている。


 「爆弾を解除しようってのか!? そうは行かねえぜ、全員蜂の巣にしてやる!」


 ドオオォォン……


 屋台骨を揺るがす程の爆発ではないが、ドアの周辺は爆音と黒煙に包まれた。

 最前線に身を乗り出していた数名の兵士は瀕死の重症、後方に押し寄せていた兵士達もドアやガラスの破片を身体中に浴び、立ち上がるのもやっとの状態になっていたのだ。


 「行くぞ皆! 煙は強硬突破出来る、真っ直ぐ突き当たりの応接室にあるテーブルやソファーを投げつけろ! 下り階段とエレベーターの前にバリケードを作るんだ!」


 軍事会館を熟知するロドリゲス隊長の指示に従い、バンドー、シルバ、カムイ、ヤンカーら力自慢を先頭に、負傷した兵士を寄せ付けない小さな要塞を築いていく。

 リンやバーバラは、負傷者の治療に後ろ髪を引かれる思いがあったものの、会議室に到着するまでは魔力をセーブする決意を胸に、野戦病院さながらの階段付近を足早に通り過ぎる。


 「決戦前最後のトイレタイムだな! 余り長居は出来ないが、水分くらいは取っておけよ!」


 束の間の自由時間に用を足す者、水道で顔や傷口を洗う者、自動販売機に並ぶ者。

 それら戦いの準備の合間に、この数日で芽生えた新たな友情もあった。


 「お前、あの状況からよくこんな事考えたな! 大したもんだぜ!」


 グルエソは自動販売機のロシアン・ミネラルウォーターをがぶ飲みしながら、バイスの機転を絶賛する。


 「俺達『レセプター・リフレクター』持ちは、やられたらやり返さないとやってられない性分なのさ。それだけだよ!」


 自身と同じ力に悩み、イチから新たな人生を選んだバーバラの父クリストフと、最後まで重い罪を後悔しなかったパウリーニョ。

 彼等の想いも胸に、バイスは自分に誇りを持って生きなければならなかった。



 その頃、ひとりトイレでバカ正直に用を足していたバンドーは、その手を洗い流す流水をぼんやりと眺め、これからの戦いに想いを馳せている。


 (この仕事をしていると、シュワーブ君みたいな形なら人を殺してしまっても仕方がないのかも知れない……。でも、自分から戦いに挑んで負けそうになった時、どんな手を使ってでも俺は生き延びる気力があるだろうか? 相手を殺しておいて、仲間や家族、そしてメグミさんに「だだいま」って、言えるだろうか……?)


 

 かつて、バンドーが賞金稼ぎとしての姿勢を学んだ、ベルリンの名剣士シュティンドル。

 彼が殺された時、バンドーは怒りと憎しみで我を失いかけたが、彼を憎悪の連鎖から救ったフクちゃんはもういない。


 だが、今の彼と仲間達との絆は、あの頃とは比べ物にならない程に深く、そして強い。

 シュティンドルが最後に育てた弟子がシュワーブであるという現実も、奇跡的な運命なのだろう。


 (こんな所じゃ、まだ死ねない……でも、相手を殺さなくても戦いに勝ちたい! 俺の魔法は風魔法なら1日2回、水魔法なら1日1回。ボロニンを倒した様な打撃魔法は、いつ使えるのかも分からない。窓は開けてある、後は水だ。迷惑だとか、水が勿体ないとか……今は考えられない。蛇口から室内に水を流しておかなくちゃ。ホースを繋いで、2階の窓から外にも水を流しておかなくちゃ! 打てる手は……全部打ってやる!)


 最終決戦は、遂にバンドーという男を変えた。

 

 だが、彼は知らなかった。

 この戦いが終わった後に、本当の試練が彼を待っていた事を。



  (続く)

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