第63話 俺と一緒に生きるひと
東南アジアでのドラッグビジネスに、賞金稼ぎを利用していたロシアからの刺客、ボロニンとライザ。
彼等をどうにか退けたチーム・バンドーとチーム・カムイだったが、事件の黒幕であるジルコフ大佐を拘束するだけの証拠が足りず、ボロニンとライザは逃走。
シルバと因縁のある薬物依存症の参考人、イバノビッチも消されてしまい、警察側が拘束出来たのはジルコフ大佐の腰巾着として仲介に立っていた元軍人の薬剤師、バシンのみ。
それでも、賞金稼ぎ組合から依頼されていた仕事以上の成果を上げた両チームは、総額3200000CPの賞金を無事獲得した。
7月4日・9:00
激戦の疲れを癒す為、昨日1日を丸々休養にあてた両チーム。
昨日まで軍と警察の対策会議が行われていたブリュッセルは厳戒態勢で、剣をぶら下げたままのショッピングなどもってのほかだが、だからこそ休養に専念する事が出来たのだろう。
「あたしだけ自由行動は申し訳ない気もするけど、皆よろしくね!」
ブリュッセルの駅前で、チームメイトに暫しの別れを告げるレディー。
ギリシャの治安悪化を受け、オランダのアルクマールにある別荘を本格的な拠点にする事を決めたチーム・カムイは、ハッサンとゲリエが所有する車をアテネまで取りに行く事に。
屈強な男が4人いれば容易な仕事である為、これまでチームの家事を一手に担ってくれていたレディーに数日、休暇が与えられたのだ。
ちなみに、チームリーダーの責任感からカムイも運転免許取得に挑んだ時期があったが、恐ろしく飲み込みが悪く、加えて厳しい教官を殴ってしまった事により、現在彼は教習所のブラックリストに載せられている。
「レディーさんも見た目女性に見えるし、職業を考えると華やかな集団よね! ニシュは地味な街だけど……いいの?」
チーム・バンドーとレディー、加えてアニマルポリスのメグミは、同じくアニマルポリスのターニャの帰省に付き合う形で、セルビア第2の都市、ニシュへと向かう事になった。
純粋な(?)男性はバンドー、シルバ、ハインツの3名だけで、心は女性なレディーを挟み、純粋な女性のクレア、リン、ターニャ、メグミに女神のフクちゃん。
浅黒い肌にずんぐりした体型のバンドーと、己の美学の為に濃いメイクを落とそうとしないレディーを除けば、一同のルックスはなかなか良い。
彼等の本職に気付かず、タレントのドラマ撮影と思われても不思議ではないだろう。
「ターニャさん、気にしなくていいよ、俺の故郷なんて、ガチで何もないから!」
バンドーの言葉を受けて、ニュージーランドのカンタベリー地方を体感したチームメイトから大爆笑が沸き上がる。
「……いや、ケンちゃんは笑う所じゃないだろ!」
自分と同郷のシルバまでが爆笑していた事には、流石のバンドーも不満がある様子だ。
「もうすぐ空港だな。俺はベオグラードで野暮用を済ませてからお前達に合流するよ。ニシュに行けばいいか? それとも、何処か違う所に移動するか?」
ブリュッセルからニシュへ移動するには、まずは飛行機でベオグラードまで移動し、そこから電車を乗り継ぐのが常套手段。
飛行機嫌いで有名なハインツだが、毎年夏にあるベオグラードの用事は今年で最後らしい。
例年よりやや時期尚早ながら、フクちゃんがシールドを用意出来るうちに飛行機に乗る覚悟を決めた、そう考えていいだろう。
「あたし達がベオグラードに迎えに行くわ。治安とフェリックス社の関係も知りたいし、奴等が動くならカレリン達も派遣されているかも知れないから」
クレアはあくまで、チーム・バンドーのビジョンとしてハインツとの合流を強調しているが、バンドー達の目から見れば、彼女に個人的な心配事がある様に思えてならない。
ハインツも彼女の心配を理解しているのか、ベオグラードでの合流を拒否する様子は特になかった。
7月4日・10:30
一同を乗せたベオグラード行きの便は、何事もなく離陸を終え、安定飛行に入る。
現在のベオグラードは、フェリックス社の傘下にある新興宗教団体の信者が、アテネ同様に自治体や警察の不正と汚職を糾弾しており、治安が良いとは言えない状態だった。
それ故に乗客は疎らで、ハインツは飛行機の振動や衝撃を吸収出来るフクちゃんのシールドに入ってご満悦。
すっかり熟睡モードに入っている。
「……クレア、クレアはハインツが何故ベオグラードに行くのか知っているんだろ? 俺達にも教えてよ」
ハインツの寝顔を時折振り返りながら、バンドーは小声で彼の秘密をクレアから訊き出そうと行動開始。
他のメンバーも口にこそしないものの、ハインツの過去には興味津々だ。
「……ハインツは毎年夏に、ベオグラードで女の子と会っているのよ。まあ、話せば長いけどね」
クレアの口から衝撃の事実が告げられ、思わず声を上げたくなったバンドー達は慌てて口に手をあて、驚きとも笑いとも言えない複雑な感情を堪えている。
ハインツとクレア、そして剣術学校でふたりの同期生だっカレリンとコラフスキは、互いに生まれが東欧だった事もあり、プライベートでも交遊が深い。
そんな彼等は学校を好成績で卒業した賞与として、「東欧推薦新人枠」を獲得。
賞金稼ぎのキャリアスタートに困らない様に、東欧地域で低難度の仕事を重ねていた。
しかし、プライドが高く自身のキャリア構築を急いでいたハインツはすぐにクレア達と別行動を取り始め、個人で高難度の仕事を引き受けつつ強引な戦い方で結果を出し始める。
悪党からは「命知らずの新人」と恐れられ、すっかり得意になっていたハインツ。
だが夏のある日、ベオグラードでの仕事でその強引な戦い方が災いし、拉致されていた少女を巻き込んで負傷させてしまったのだ。
幸い少女の怪我は深刻ではなく、悪党を退治して彼女を奪還したハインツは、少女の両親から感謝されている。
とは言え、自身の傲りを痛感したハインツは反省し、以来毎年夏にベオグラードを訪れ、少女の治療費を払い続けていたのである。
「……ふ〜ん、自己中に見えるハインツにそんな一面があったとはね……。ところでクレア、その娘はハインツとはどんな関係なの?」
普段はチームが異なる、言わば特別ゲストの様な位置にいるレディーは、その場の空気を読む事なくクレアにストレートな質問をぶつけた。
「……分からないわ。まあ、1年に1回しか会っていないみたいだし、まだ20歳前だから、ハインツが特に意識する存在ではないと思うけど、何だか楽しそうなのよね……」
クレアが内心穏やかではなさそうな事は、その微妙な表情から伝わっている。
ハインツの人生の目標を考えれば、歳下の少女に恩を着せて関係を深めている時間などないだろうが、少女の両親からの評判も良く、毎年訪問を歓迎されているという点が気がかりなのだろう。
「……ハインツさんの目標である世界一の剣士になる道を逆算すれば、ヨーロッパ剣士ランキングの10位以内をキープして年末のモスクワ武闘大会に参加し、そこで優勝すれば今年中に目標達成は可能です。そこから後の人生は、ハインツさんが決める事ですからね……あっ……」
シルバの冷静な分析は、クレアのもやもやを解消するどころか増幅してしまい、その空気を察知した彼はうつむいて小さくなってしまう。
「な〜に、心配ないっしょ! あのハインツだぜ? 妹みたいな女の子と、その両親のご機嫌を取りながら上手く生きていこうなんて、考える訳ないじゃん!」
ハインツが熟睡していなければ、バッチリ聞こえてしまう程の音量で話すバンドー。
チーム・バンドーに加入してから、だいぶ人間的に丸くなったとは言え、まだまだハインツの自己中は健在と言わんばかりの勢いに、クレアを含めたパーティーに安堵の笑いが沸き起こっていた。
7月4日・11:00
その頃、イスラエルのテルアビブではフェリックス社の重役会議が行われており、統一世界の権力の腐敗を正す彼等のプロジェクトは、そのターゲットをアテネからベオグラードに移す事となる。
内戦をはじめとする民族抗争の歴史から学ぼうと、どうにか近隣の連携を育んできた、統一世界に於ける東欧地域。
だが、その努力を嘲笑う悪党達はとうの昔に歴史を乗り越え、東欧全土で連携し強固な勢力を築きつつあった。
悪党の連携を崩すのに最も有効な手段は、根回しなしのテロを用い、組織に内紛の火種を撒き散らす事。
しかしながら、庶民からの支持が必要不可欠なフェリックス社の野望にテロは使えない。
いや、厳密にはテロを「フェリックス社とは無関係に装う」事こそが最優先事項。
その為には、まずは傭兵を大きく拡大した「賞金稼ぎ部隊」を、テロから目を逸らす為のダミーに使う手腕こそが求められていた。
「……兄上、いくら東欧を熟知しているとは言え、かつてチーム・バンドーとも交流があったカレリン達を信用してよいものなのですか?」
坊主頭が少しずつ伸びてきた、フェリックス社の第2御曹司メナハム。
彼は会社の専属賞金稼ぎに応募してきたばかりのカレリン達が、早速重要な仕事を担当するという現実に納得が行かないらしい。
フェリックス社の裏稼業の責任者である、兄のヨーラムを問い詰めている。
もっとも、現在の彼の頭には、政治的な理由で自身の上のランキングに鎮座していたロシア人剣士、ボロニンの指名手配という事実が関心の多くを占めていた。
ハインツやカムイといった、実力的に近い剣士が圧倒してボロニンに勝利しない限り、ランキング第4位のメナハムが第3位に繰り上がる事は確実だったからだ。
「……フン、私が常々貴様に政治や経済を学べと言っていた意味が、まだ分かっていない様だな。私は奴等を信用などしていない。奴等はもっともらしい理屈を述べていたが、所詮は金目当てで我が社の傭兵となったのだ。だから私も、傭兵は使い捨ての人材だと認識している。捨てる事が出来るから使えるのだ」
兄ヨーラムの言葉の意味は、今のメナハムにも理解は出来る。
だが、メナハム自身は政治や経済には疎くとも、剣を交える事で多くの人間の根源的な渇望、そして意地の部分は兄以上に理解しているつもりである。
マシンガンやミサイルによる大量殺人の時代は、先の大災害とEONPともに終焉を迎えたと言っていいだろう。
次代の覇権を握りたいなら、傭兵となる賞金稼ぎの中にも、レジェンド剣士スコットやパサレラの様な、目先の利益では動かない者がいる可能性を見逃してはならないのだ。
「……メナハム、ここはヨーラムを信じましょう。かつてカレリンとコラフスキは、ラトビアの悪徳銀行家を急襲しました。自分達に直接危害が及ぶ可能性から、東欧の汚職人間にとってカレリン達は下手なテロリストより危険でしょう。つまり我々の目的である、エディやアシューレの仕事に最適な環境が生まれるはずです」
メナハムとヨーラムの母親ナシャーラは、普段は宗教団体の教祖として、信者を扇動する立場にある。
しかし東欧地域の歴史から、単独の新興宗教の勢力拡大に限界があるのも事実。
更に一歩踏み込んだ決断として、フェリックス社のテロ実働部隊、エディ・マルティネス一派、そして「戦う顧問弁護士」ドル・アシューレに、アテネでの失態を取り返すリベンジの機会がやって来た。
7月4日・13:00
ベオグラード空港に到着したバンドー達はハインツと別れ、ターニャの故郷ニシュへと向かう。
昼を過ぎた事もあり、ハインツの本格的な行動は明日から。
ターニャの実家にお世話になるのは、アニマルポリスの同僚メグミだけ。
チーム・バンドーとレディーは、ターニャの薦めるニシュの名物レストランで夕食を堪能してホテルに一泊し、明日はベオグラードの賞金稼ぎ組合で情報収集……という流れが決まっていた。
「安くて待たなくていい、高速バスで行くわよ〜! ちなみに3時間、陽射しの中を南下するだけの旅だから、皆こっち側の席を予約してね!」
ターニャは慣れた手つきで座席を予約し、パーティーの作業にも積極的に介入している。
この時間帯、西陽の当たる座席を選んでしまうと、現地の言葉で「干からびる」のだそう。
「……さあ皆、席は取った? でもここは弱肉強食の世界、自分の席に他人が座っているなんて事もあるわ。賞金稼ぎの皆なら心配はしていないけど、そこは意識しておいてね!」
この問題ばかりは、その地域の治安であるとか、そういったものとは関係ないだろう。
敢えて言うなれば民族性の違いと、歴史により育まれてしまった価値観が要因だ。
「これは急がないと……あ、ごめん、あたし飲み物買ってくる!」
ターニャの警告に気を引き締めたようでいて、あっさりと寄り道するクレアの姿に一同大コケ。
「……あ、やっぱり席取られてる……」
慌てて出発直前のバスに乗り込んだバンドー達だったが、希望の席が取れなかったとおぼしき遊び人風の男性グループに、一同の席は占領されていた。
「……ちょっとあんた達? 反対側の席が丸ごと空いてるじゃない! ここはあたし達の席よ」
ターニャは臆する事もなく、遊び人グループに自分の席に戻る様に忠告する。
遊び人グループとは言え、そこは欧米の男性。
アクセサリーやシャツのチャラさは目につくものの、皆それなりにがっしりした体格で、女性としては長身のターニャも華奢に見えてしまう。
「……姉ちゃんよぉ、あんたらはこの席が欲しくて早く切符を買ったんだろ? 俺達もこの席が欲しくてあんたらより早くバスに来たんだ。何か問題でも?」
これぞまさに、ザ・屁理屈。
遊び人グループのリーダー格の男はそれなりに整った顔をしているが、口元の緩みと似合わない無精髭がどうにも残念な印象だ。
「待てよドラガン、結構美人が多いぜ! 条件付けてやれよ!」
奥の席に座る遊び人グループの男は、ターニャをはじめとしたパーティーの女性陣を眺め、満面の笑みを浮かべながらリーダー格の男の肩を叩く。
「……そうだな、ニシュに着いたら、男はさっさと帰って貰って、あんた達は少しだけ俺達に付き合ってくれるかな? それなら考えてやっても……痛てててっ!!」
下心丸出しの条件に、早くも堪忍袋の緒が切れたターニャ。
そんじょそこらの男を超える握力が、リーダー格の男の肝臓辺りを握って締め上げた。
「あぎゃぎゃぎゃぎゃっ……!」
泣き笑いの様な表情で、座席から転がり落ちるリーダー格の男。
グループの男達は反射的にファイティングポーズを取って立ち上がるものの、その視線は予期せぬ事態に泳いでいる。
「……ゴメンね、あたし達は警察関係者なの。ベオグラード署で事情聴取されたくなかったら、さっさと自分の席に戻りなさい」
ターニャが男達に提示したアニマルポリスの手帳は、半官半民の組織とあって一般的な警察手帳からデザインが変更されているものの、特殊加工されたEONポリスのロゴマークは素人が偽造出来るレベルにはない。
「……ちっ、分かったよ……」
ターニャの威圧感というより、周囲の治安が最悪なベオグラード署に閉じ込められる、その恐怖に耐えられない遊び人グループ。
先程までの威勢は何処へやら、肩をすぼめて大人しく自分達の座席へと戻って行った。
「……全く、何処の地域にもあんな奴等はいるのね……若いんだから、もっと真面目に生きなさいよ!」
自身の半生を振り返り、遊び人グループに喝を入れるレディー。
その貫禄漂うオーラに、ひとりの遊び人が反応する。
「……あ、お母様でしたか……。娘さんには失礼な事を致しました……」
一瞬、バスの空気が凍りつく。
遊び人の男としては、メイクが濃く、ハスキーなオネエボイスのレディーが誰かの母親に見えたのだろう。そこに罪はない。
「……何なのよアンタ! あたしはまだ28よ!」
武闘大会ですら見せた事のない鬼の形相で、突然取り乱すレディーを慌てて止める一同。
30歳のカムイに女房風を吹かせている彼女(?)だけに、パーティーのメンバーの表情にも驚きが広がっていた。
「……レディーさん、まだそんなに若かったんだ……」
動き出した高速バスの座席は、最後尾手前の片側、3席、3席、2席。
前列3席はターニャ、クレア、レディー。
中列3席はバンドー、メグミ、フクちゃん。
そして、後列2席はシルバとリン。
バンドーとしては、久しぶりにメグミとゆっくり話が出来、かつ妹設定のフクちゃんからメグミの好感度を上げるアシストも望める、またとない好機が到来していた。
「……メグミさん、昨日で軍と警察の会議は終わったんでしょ? シンディはこれからどうなるか決まったの?」
まずは無難に、バンドーはメグミが一番心配していた元相棒、シンディについて話を振る。
「昨日の夜、シンディからメールが来たの! 彼女がフェリックス社の重役であるお祖父様に影響力を行使出来る程の力がない事が理解されて、アニマルポリスに戻れる様になったみたい!」
シンディの解放は、メグミやバンドーにとって良いニュース。
心配事がひとつ減る事で、メグミのその口調も親しみを感じさせるものになってきた。
「良かった、いつ合流出来るの?」
「もう少しかかるみたいなの。フェリックス社の人間がシンディに接触してきて、内部の情報が漏れる様な事があるといけないから、名前とIDカードを変えて、別人として登録する事になるって……。一緒に仕事が出来る様になっても、ほとぼりが冷めるまでシンディ・ファケッティっていう名前は使えなくなるらしいわ」
話を進めるにつれて、警察の少々複雑な内部事情が明らかになっていく。
とは言え、シンディの隔離状態が続くよりはずっと良いだろう。
彼女の事だ、新しい仮名にも自分のセンスを反映させて楽しむに違いない。
「シンディの件は一安心だね。ところでメグミさんは、年末でアニマルポリスの現場を退かなきゃならないって言っていたけど、それは撤回出来ないの?」
ヨーロッパ中を奔走するアニマルポリスの現場。
その任務の過酷さや危険性、そして着る人間を選ぶド派手な衣装を考慮し、間もなく結婚適齢期に差し掛かるメグミを現場から降ろそうという動きがある。
しかしながら、メグミがアニマルポリスの現場に出ていたからこそ、バンドーはヨーロッパ初上陸後すぐにメグミと出会い、こうして行動をともにするまでの関係になった。
彼女がその職を降り、デスクワークに戻ってしまう様な事になれば、メグミとの仲を進展させたいバンドーにとって大打撃なのだ。
「……う〜ん、父が警察の役職だから、私を心配してやっているのよ。でも、母は好きな事をやらせてくれているし、父も早く結婚しろとかは言わないし……。多分、フェリックス社の動きとかもあって、円満に警察組織を辞める方向に持って行きたいのかもね……」
仕事一筋に生きてきたメグミとの仲を深めるにあたり、強力なライバルは存在しない、これは朗報。
もっと冷静に手順を踏むべきかも知れないが、バンドーは前のめりに口を開いている。
「……メグミさん、け、警察辞めるって前提になっちゃうけど……。の、農業に興味ない?」
「……え!? それって……?」
一瞬固まり、暫しの沈黙が流れる両者。
バンドーの実家が農業を営んでいる事は、メグミも当然知っており、彼がここで悪い冗談を言う様な男ではない事も理解していた。
「……ご、ごめん、こんな場所で……。まだ、メグミさんは色々考えなきゃいけないのに……。でも、俺は本気だよ。メグミさんが警察を辞めて、どんな新しい人生を選んでも俺は応援するけど、今、もうメグミさんの味方がひとりいるんだよ。ゆっくり、考えて欲しい……」
多分にメグミの生真面目さに頼った告白であり、今や戦いの場でも見せなくなった、バンドーの手足に見える微かな震え。
そして、言いたい言葉がどうにか言えた感動から、僅かに潤むバンドーの瞳。
彼の隣で人間の神秘的な行動を目の当たりにしたフクちゃんは、少々動揺を見せながらも、やがてこの『兄』の為に満面の笑顔で絶妙なアシストを決めてみせた。
「……メグミさん、ちょっと抜けてる兄には貴女の様な方が必要だと思います。でも、シンディさんは以前兄の事を、余りカッコ良くないけど、優しくて動物好きで食いっぱぐれない仕事がある、優良物件だと言ってくれましたよ」
7月4日・16:30
灼熱の西陽をどうにか回避し、一同はターニャの故郷、ニシュに到着。
まずは近場のショッピングモールで時間を潰しながら、ターニャが美食の街として知られるニシュの名物料理、チェバピの説明に熱弁を振るう。
バンドーはメグミに自分の想いを伝えたものの、互いに存在を意識する余りコミュニケーションがぎこちない。
2人の様子にもどかしさを隠せないターニャはバンドーにメグミ情報を伝え、メグミにはシルバとリンがバンドー情報を伝えた。
「……ハインツさんは世界一の剣士を目指していて、クレアさんは自分の剣術道場を建てるという目標があります。でも、自分とジェシーさん、そしてバンドーさんは、賞金稼ぎにこだわる理由がないんですよ。この世界の平和の為に出来る事をしながら、自分達を狙うテロリストを捕まえる事が出来れば、バンドーさんも農家に戻るでしょうね」
シルバの話に耳をそばだてながら、バンドーはメグミに心配をかけまいと配慮してくれる親友の存在に、これ以上ないありがたみを噛み締めている。
「ハインツさんが今のランキングをキープすれば、年末のモスクワ武闘大会にエントリー出来ます。ハインツさんの個人戦になるのか、私達の団体戦になるのかは分かりませんが、そこが私達の集大成になればいいのかなと……」
リンにとっては、自身のスカウトに動いていたフェリックス社長夫人、ナシャーラの存在も気がかりではあるものの、そもそもリンが彼女の誘いに乗る意思は微塵もない。
フェリックス社の人間であれ、軍のジルコフ大佐であれ、犯罪行為に手を染める権力者を検挙し、一時的にでも統一世界に平穏が訪れればそれでいいのだ。
「……あたし達、もう何年も旅をしている様に感じるわ。まだ3ヶ月なのにね。今年限りでこのパーティーが終わっちゃうとしたら寂しいけど、来年はキレのいい2100年! 皆で新しい人生を切り開くチャンスなのかもね!」
クレアの言葉は、バンドーやレディーを含めて周囲を感傷的にさせてしまっているが、今は未来への強い決意が必要な時である。
「……私はアニマルポリスの立場でしたが、皆さんと何度も行動をともにして、皆さんが私利私欲では動かない、理念のある賞金稼ぎであると理解しています。私達の転機はちょうど同じ時期に訪れますが、私を支えてくれる人の為にも、後悔のない選択をする事を約束します」
パーティーの言葉に励まされるメグミ。
彼女はバンドーを視界に捉え、責任を持って将来を考える事をその目に誓った。
「ありがとう、メグミさん!」
バンドーは力強いガッツポーズでメグミの誠意を受け取り、まずはベオグラードの治安とテロリストの脅威、このふたつと戦う決意を新たにする。
「……なあドラガン、あいつら俺達と同じコースで観光してるんじゃねえのか? 次は多分、チェバピの美味い名物レストランだぜ」
「仕方ねえだろ! ニシュなんて食い物だけの街なんだからよ! ところで奴等の話、武闘大会とかテロリストとか、なんだか凄えな。ナンパしなくて良かったぜ」
バンドー達の背後につける遊び人グループにとって、今回の旅は不愉快な記憶となるに違いない。
7月4日・18:00
ニシュの名物レストランは超満員だったが、地元ではそれなりに顔の利くターニャの根回しもあり、パーティーの席は確保されていた。
セルビアの代表的肉料理チェバピは、弾力を増したソーセージの様なもの。
その独特の食感とスパイシーな風味は、肉料理に目のないシルバをはじめ、自身の料理レパートリーを拡大し続けているレディー、そして単純にお酒のアテを探求しているクレアにも好印象を与える。
メグミとの関係進展の為にやるべき事をやれた、そんな満足感を持つバンドーと、2人を見てシルバと出会った頃を思い出していたリン。
普段はお酒を殆ど飲まない彼等も、今日ばかりはセルビアの地ビールの素朴な味わいにほろ酔い気味な様子だ。
「……そう、シドニーの魔法学校に9月から通うの。今はお兄さんの近くで色々経験しているって訳かぁ……気をつけてね」
メグミは自分の隣に座るフクちゃんからバンドー情報をちびちびと得ながら、まだ幼く見えるフクちゃんをバンドーの妹だと信じて疑わない。
バンドーとメグミの距離が近づくにつれ、いつまでも自分の正体を伏せる訳には行かないと感じるフクちゃんだったが、常に行動をともにする仲間ではないが故、その機会を逃し続けている。
「……まあ何だ、メグミは自分から男に声かけるタイプじゃないからね! バンドー君も些細な失敗に懲りないで、辛抱強くアタックしてちょうだい、アハハ!」
地元に戻れた解放感からか、すっかり出来上がってしまったターニャ。
とは言え、そんな彼女も実家の会社の経営が悪化し、獣医の夢を諦めて大学を中退した過去があった。
熊に会っても生きて帰る為という、冗談なのか本気なのか分からない理由で習い始めた格闘技は、アニマルポリスの現在、十分に役立っている様だが……。
「……ターニャ、今日はありがとう! 美味しい料理だけじゃなく、バンドーはこの舞台を用意してくれたあんたにデカい借りを作ったと思うわ。困った時はバンドーにたかりなさいよ。野菜や果物が沢山貰えるから!」
酔っても顔には出ないクレアだが、そこかしこにトンデモ発言が覗く様になっている。
しかしながら、今夜のバンドーはお酒も入ってすっかりご機嫌。
全ての言葉に太字スマイルで頭を下げ続ける、いにしえのジャパニーズ・サラリーマンと化していた。
7月5日・11:00
「ティム、今年も来てくれたのね! 嬉しい! 今日はお父様が出張の日だけど、挨拶に残って貰ったの!」
年に一度の特別な来客を迎える為、家族全員での歓迎を準備していた、ベオグラードのコスティッチ一家。
ひとり娘のミリカは、19歳の現在は凛とした雰囲気の美人に成長しているが、ハインツに命を救われた頃はまだあどけなさの残る高校生。
彼と会うのは年に一度だけである為、普段は気が強くとも、命の恩人の前では高校生気分に戻る様だ。
「デカくなったな、ミリカ。もうすぐ俺も抜かれちまうぜ。いつもより少し早く来ちまったが、元気そうで何よりだ!」
家族全員から受け入れられている安心感からなのか、いつになく砕けた表情のハインツ。
178㎝の彼は決して小柄ではないものの、東欧には170㎝以上の長身女性がざらに存在している。
「……ハインツ君、今日は大事な話があるんだ。私も出張前なので、時間は取らせないよ。まず上がってくれたまえ」
清潔感のある着こなしのスーツ姿に、しっかりとセットされたグレー混じりの金髪。
いかにもナイスミドルなエリート商社マンという印象のフィリップが、ミリカの父親だ。
「……ハインツさんが毎年十分過ぎる治療費をくれるものだから、ミリカの足は完治どころか、傷痕まで除去出来ちゃったの。やんちゃだった小さい頃の擦り傷までなくなったのよ!」
来客に嬉しそうに軽食を振る舞うミリカの母親、サーニャ。
その様子を父親のフィリップが手伝う姿もあり、コスティッチ一家は経済面だけでなく、家族関係も良好な家庭らしい。
ハインツは自身の苦労を振り返りながらも、仔犬とバンドーが間に入る事で関係が改善した母親、メリアムに想いを馳せていた。
「お父様は、来年から副社長に昇進するの! そして会社も東欧から手を拡げて、スイスに支社を構える事になるから、いちいち現地の賞金稼ぎを雇って開発を進めるより、会社にセキュリティ専門部門を作る話が出ているのよ!」
ミリカは父親の会社の事業計画に目を輝かせる。
ハインツは何故、彼女がそんな話題を自分に振るのかよく理解出来なかったが、父親であるフィリップの笑顔の奥に浮かぶ野心に、何やら自分の力が必要とされている事を確信する。
「……ハインツ君、武闘大会優勝おめでとう! ミリカが君を単なる命の恩人として見ているだけではない事を、私もサーニャも知っているよ。君は少々ぶっきらぼうな所もあるが、強靭な意志と剣士としての実力があり、しかも非常に義理堅い」
フィリップからの改まった称賛に、最初は戸惑うハインツ。
だが、会社の規模を拡大するにあたって、現地の治安や縄張り争いの沈静化に、これまで賞金稼ぎの力を借りていた事はミリカの話から推測出来ていた。
「君とミリカとの事は、私達はどうこう言うつもりはない。父親として、娘が幸せになれる選択をして欲しいだけだ。それよりも、君がうちの会社のセキュリティ専門部門のいち役員となり、開発を円滑に進める。そんな仕事に興味はないかね?」
先日のフェリックス社の会見から、ある程度規模が大きく資金のある企業であれば、社内で専属の賞金稼ぎを囲い込むというアイディアを思いついても不思議ではない。
しかし、ハインツは目先の金や将来の安定より、世界一の剣士という目標を選ぶストイックな男。
これまでのキャリアや過去の訪問で、コスティッチ一家もそのキャラクターは理解しているはずだった。
「……普通の賞金稼ぎと違い、歳を重ねれば指導者、現場監督になれる。定年まで続けられる剣の仕事だ。給料も並の賞金稼ぎ以上の額を用意しよう。そして君の夢の為に、武闘大会とその前後には有給休暇を与えよう。挑戦してみる価値はあると思うのだが……」
フィリップが提示する条件は余りにも恵まれており、流石のハインツも一瞬気の迷いが生じてしまう。
自身が想いを寄せるハインツを手の届く所に置きたいミリカと、近未来の社長就任へのアピールとして新たな事業を成功させ、あわよくば娘の幸せも叶えたいフィリップ。
剣士になるまでの間、その日その日の生活にも困っていたハインツは、今や上流階級からその腕を見込まれる立場にまでのし上がっていたのである。
「……必要以上に高く評価して貰って、そこんところは光栄だね」
クレアやシルバと行動をともにしてから、警察や役所のお偉方、その他セレブと会う機会が増え、多少の礼儀は身に付いたハインツ。
しかし、ここははっきりと断りを入れる為、敢えてフィリップにタメ口を用いて返答した。
「今の俺は、頼れる仲間達と旅をしている。自分なりの夢や目的を持って、互いに自己鍛練を惜しまない、最高の仲間だ。だが、俺達は自分の価値観で動いている。つまり、フィリップさんの会社が立派なうちは協力しても、万が一、将来色々と汚れてきた時は牙を剥くだろう。そんな奴を社内に抱えておくのは、厄介だと思うぜ」
単なる勧誘拒否ではなく、フィリップの近未来に於ける管理能力までを問う態度。
想像以上に手厳しいハインツからの指摘に、フィリップは慌てて表層的な笑顔を繕う。
「ティム、お父様は悪い事なんてしないわ! 謝ってよ!」
命の恩人の思わぬ態度に驚きを隠せないミリカ。
彼女はハインツの言葉が、職業柄出やすい虚勢であると信じようとしている。
「……ああ、すまないなミリカ。フィリップさんもサーニャさんも素晴らしい人だよ。それは確かだ。でも、こればかりは個人の価値観や行動だけでは読めない世界さ。95%の人を幸せにしても、5%の人間が不幸になる所を運悪く見ちまったら、俺は迷うよ。毎日そうやって生きている」
ハインツが例えとして頭に浮かべたのは、東欧屈指の財閥故にしがらみに縛られ、遂には財閥の権利を次代に手渡す事を決めたクレアの家族だった。
「ミリカ、俺はお前に感謝している。俺の傲りに気付かせてくれて、今もこうして慕ってくれている。でも、俺にとってお前は妹みたいなもんだ。将来、俺のわがままで泣かせたりはしたくないし、そのせいで剣を持って戦う奴等を嫌いになって欲しくない。今日で治療費は完済した。明日からは、互いにいい想い出を胸に別れよう」
「ティム……そんな!」
ミリカは、目の前の現実を信じる事が出来ない。
ハインツがフィリップから用意された好条件を蹴り、毎年の訪問が彼の過去を清算する為の「義理と人情」でしかなかった現実を。
そしてそんな彼を、社会的な地位や美貌で引き寄せる事が出来ていたと、ミリカ本人が過信していた現実を……。
「ミリカ、残念だが諦めなさい。彼の目には嘘がない。私の好条件を前にすれば、もう少し媚びへつらったり、逆にいきがって反発すると思っていたが、彼は違った。自分が何をすべきか理解している、信念の男だよ」
ハインツの決意に折れたフィリップは自ら立ち上がり、ハインツの元へ歩み寄って肩を抱く。
意表を突かれたハインツが唖然としていると、フィリップは相手の耳元でミリカに聞こえない様に囁いた。
「……ハインツ君、君はもう、世界一の剣士までの道筋を描いているのだね。そして、その道筋を渡る為に必要な仲間は勿論、将来一緒に生きる女性の姿も見えているのだろう?」
これまで、ハインツの意識の中で漠然と存在していた「一緒に生きる女性」。
今、その姿はフィリップの言葉で明らかに浮かび上がっている。
自分の心に嘘をつく時間は、もう終わった。
これからの激しい戦いは、いつパーティーに犠牲者が出ても不思議ではないのだから。
ふと目を遣ると、ミリカの母親サーニャも無言で頷いている。
1分1秒、悔いのない人生を送らなければ。
「フィリップさん、サーニャさん、サンキューな! ミリカ、いい男を作って、結婚式に呼んでくれ! それまでには絶対、世界一の剣士になってやるよ!」
「……フン、何よ、来週結婚しちゃうんだからね!」
元来の気の強さが戻って来たのか、早くも前を向く姿勢を見せるミリカにひと安心したハインツは、一路ベオグラードの賞金稼ぎ組合へ。
そこには、大切な仲間達と、彼と一緒に生きるべき女性が待っているのだ。
7月5日・11:30
「う〜ん、フェリックス社が介入しているのか、なかなかいい仕事がないわねぇ……」
新興宗教団体の信者と思われる集団は、今やベオグラード全土に勢力を拡げ、賞金稼ぎ組合の前でもフェリックス社の専属賞金稼ぎを募集している。
不穏な空気をどうにか掻き分け、組合に到着したバンドー達だったが、そこで見せられた最新のヨーロッパ剣士ランキングが、クレアの目の色を変えさせたのだ。
最新のヨーロッパ剣士ランキングは、凶悪犯罪者として指名手配された第3位のセルゲイ・ボロニンがランキングから排除され、順当に上位ランカーがひとつずつ順位を上げている。
だが、4位だったフェリックス社の御曹司メナハムが順当に3位に繰り上がり、カムイは8位から7位に、10位のハインツはチーム再編中である9位のルステンベルガーと入れ替わって8位になっただけ。
つまり、ボロニンを倒した実績は反映されていないのだ。
注目すべきはバンドーのランキングである。
アムステルダムから派遣された警察官が賞金稼ぎ組合に報告した事実は、「バンドーのキックがボロニンにとどめを刺した」というもの。
その結果、ボロニンを倒したバンドーのランキングは急上昇し、97位から62位へとジャンプアップ。71位のクレアを追い抜いてしまう。
「……最近、火炎魔法ばっかり使わされていたからだわ……。剣で戦える仕事をこなさなきゃ……!」
テロリストの拳銃対策の為、クレアの火炎魔法は今やパーティーに必要不可欠。
しかしながら、裏方の魔導士扱いでは剣士ランキングは上がらず、それでは彼女の夢である剣術道場に箔がつかないのだ。
「……とは言っても、ハインツがいないし、余り難しい仕事は安請け合いしない方がいいと思うな……」
チームリーダーとしては弱気な発言に思えるが、バンドーの心配にも妥当性がある。
ベオグラードでは、これからフェリックス社絡みのトラブルに巻き込まれる可能性が高い。
また、気軽に引き受けた仕事の相手がもしカレリン達だった場合、落とし前を着けるのも難儀である。
「……あの〜、ひょっとして、チーム・バンドーの皆さんと、チーム・カムイのレディーさんですかぁ?」
突然、背後から声を掛けられる一同。
後ろを振り返る先には、小柄で気の弱そうな女性オペレーターの姿があった。
「……はい? そうですけど……」
短めの黒髪で、何処か親しみやすい雰囲気のオペレーターに、緊張感を解いて接するバンドー。
「ああ、やっぱり! 良かった〜! 私、オペレーターのシノブ・タキガワです! 今日、仕事に来てくれるはずの賞金稼ぎ3人が交通事故に遭っちゃって、約束の時間まであと20分しかないんですよ〜! お力を貸してくれませんか?」
「へえ〜! 日系人のオペレーターさんだ! よろしくね!」
2099年のヨーロッパでは珍しい、ハーフではないとおぼしき日系人。
バンドーの周りでも、純粋な日系人は祖父と母、タナカ農園のサヤ達くらいである。
「急ぎの仕事なのね、仕事内容と報酬額は?」
人助けというよりは、自身の実績作りにやる気満々のクレア。
仕事を請け負う賞金稼ぎが3人であれば、悪党の数は3〜4人程度。
レディーの協力が得られるなら、何ら苦にはならないだろう。
「は、はい! 最近の治安悪化に便乗して、強盗を繰り返している3人組がいるんです。リーダーの元剣士、ボクシッチが近くのアパートに住んでいて、彼に恨みを持っている昔の仲間が戦利品の密売時間を密告してくれたんです! 彼のアパートで行われる闇市が、あと20分後に始まるんですが……」
オペレーターのシノブは狼狽するばかりだが、チーム・バンドーにとっては結成当初にまで遡る様な低難度のミッションだ。
「分かったわ。引き受ける。拘束して逮捕が第一だろうけど、万が一の事態で死傷となった時の報酬の差額を聞かせて」
顔色ひとつ変える事なく、段取りを進めるチームリーダー、クレア。
バンドーの存在って一体……。
「3人拘束で200000CPになりますが、死傷となっても額は変わりません」
最近の仕事に比べると、どうにもショボい報酬である。
現在のベオグラードでは、それだけ窃盗事件が頻発していている証拠なのだろうか。
「仕方ないわね、腕がなまらない様に、あたしも手を貸すわ」
レディーは久しぶりに愛用のヌンチャクを取り出し、一同は各々気合いを入れてボクシッチのアパートへと急行した。
「あれ? 妹さん、ついてきて大丈夫なの? 実戦は危ないわよ!」
ボクシッチのアパートについてきたフクちゃんを心配するレディー。
チーム・カムイでフクちゃんの正体を知っているのはミューゼルだけであり、レディーの心配は至極まっとうなもの。
「……まず、密告した昔の仲間というのが信用に値しません。待ち伏せや裏切りに備えて、入り口の前で拘束しますよ」
全速力で走りながら、フクちゃんは息も切らさずに冷静な判断力を見せつける。
この末恐ろしい逸材には、海千山千のレディーも舌を巻いていた。
「……おい、あんたら賞金稼ぎだな! ボクシッチのアパートはそこだよ! 206号室が闇市の会場だ!」
通りの角から、急に姿を現した小太りの男。
彼が密告者に違いない。
「……貴方がボクシッチの昔の仲間ですね。ほいっ!」
首の後ろから蒼白い光を放つフクちゃんは、その光の束をロープの様に手早くまとめ、瞬く間に小太りの男を縛り上げた。
「いててっ……! 何だよ、俺は協力者だろ!?」
風魔法でもなく、水魔法でもない。
その摩訶不思議な光景を生み出す力は人間離れしており、レディーは勿論、バンドーやリンまでが言葉を失っている。
「……手荒な真似はお詫び致します。ボクシッチの部屋は本当に206号室ですか? 貴方は私達を裏切り、背後から待ち伏せをしたりするつもりはないのですか?」
見た目こそ幼げな少女だが、男を見下ろすその瞳に恩情の様なものは微塵も感じられない。
得体の知れない恐怖に襲われた男は、声を詰まらせながら真実を白状した。
「……す、すまねえ。奴の部屋は向かいの205号室だよ。あ、あんたの言う通り、待ち伏せするつもりだった……」
「ポケットに拳銃を隠し持っています! 弾丸は2発だけですが、これが最終兵器みたいですね!」
すかさず男のボディーチェックを終えるシルバ。
フクちゃんの洞察力が、最大の危険を早くも回避する。
(この娘は一体……。本当にバンちゃんの妹なの……?)
沸き上がる疑問と衝撃に後ろ髪を引かれながらも、レディーは小太りの男をフクちゃんに任せ、バンドー、シルバとともに正面階段から闇市を追い詰める。
一方、クレアとリンは非常階段からボクシッチ達の逃亡に備えていた。
「ボクシッチだな! 窃盗品の闇市は犯罪だぜ!」
バンドーは勢い良くドアに体当たりを決め、小太りの男からの連絡を待っていたボクシッチ達の度胆を抜いてみせる。
中にいるのはボクシッチを含めて5人。
だが、その内2人は単なる闇市の客であり、武器は持っていなかった。
「抵抗しなければ危害は加えません! 武器を捨ててその場に座って下さい!」
「おいボクシッチ、こんなの聞いてないぜ! 廃品修理セールだって言ってただろ!?」
闇市の客は、バンドーとシルバの警告に激しい動揺を隠せない。
自らの無罪を証明しようと、即座にその場に座り込む。
「……ん? て、てめえ、ひょっとしてバンドーか!?」
一時は得意気に剣を抜いたボクシッチだったが、目の前のバンドーを見るや否や、これまで戦った経験がないにもかかわらず、突如としてその顔に怯えの色を浮かべていた。
「……か、勝てる訳がねえ……。あのボロニンを倒した奴に……」
どうやらボクシッチは、勝手にバンドーの実力を過大評価している様である。
それはそれで悪い気はしないバンドーだが、そのままボクシッチは非常階段へと逃亡してしまう。
「あっ……待ちやがれ! くそっ!」
ボクシッチを追跡しようとした瞬間、ナイフと鉄パイプを手に破れかぶれでバンドーとシルバにに飛びかかる、ボクシッチの部下達。
接近戦で剣は使えなかったが、格闘技はむしろ望む所だ。
「おりゃっ……!」
「せいっ……! はあっ……!」
相手が武器を使う前に、理路整然と下半身に打撃を打ち込んで行くバンドーとシルバ。
実力差があり過ぎる為、ボクシッチの部下があっさりと落としてしまった武器をレディーが蹴り飛ばし、後は高みの見物状態になっている。
「……い、今のうちに逃げようぜ!」
闇市の客は、参考人として拘束される事を嫌い、レディーの目の前で逃亡しようとしている。
手持ちぶさたなレディーはヌンチャクを2回振り、それぞれ1発ずつ男達の後頭部にヒットさせて彼等を黙らせた。
「来たわね! ボクシッチ!」
非常階段の最終段に足をかけて待ち構えるクレアと、その後方から魔法の準備を整えるリン。
「女が2人か……ラッキーだぜ!」
クレアとリンを甘く見たボクシッチは、パワーを活かしてクレアを圧倒しようと、階段の残り数段から一気に大ジャンプを試みる。
そのまま全体重をクレアに浴びせ、彼女のガードを破る算段だ。
「クレアさん、危ない! はああぁぁっ……!」
リンの目から放たれた蒼白い魔法の光は、非常階段の手すりを伝わる風魔法となり、剣を振りかぶったまま滞空していたボクシッチの身体を、高速で地面に叩き落とす。
「何だと!?……がはっ!」
膝を地面に強打し、フットワークを封じられたボクシッチは前屈みに立ち上がるのがやっと。
すかさず間合いを詰めたクレアは、パワーの不足分をスピードと正確な技術で補い、ボクシッチの防具をあっという間に破壊する。
「……さあ、観念なさい!」
ボクシッチの喉元に剣を突き付け、これで勝負あり。
このレベルの相手でクレアの剣士ランキングが上がる事はないが、久しぶりに剣で悪党を退治した彼女の顔には、晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「お〜い、お前ら大丈夫か!?」
関係者全員の拘束に成功したチーム・バンドーとレディーの元に、息を切らしたハインツが駆け付ける。
「……ハインツ!? どうしてここが? 野暮用はもう終わったの!?」
ひと仕事の後で、ハインツと連絡を取って彼と合流する予定だったクレアは、彼の行動力とそのスピードに驚愕の表情を露にした。
「ハアハア……賞金稼ぎ組合に寄ってみたら、お前らが代打仕事してるって聞いたからよ……。クレア、だから言っただろ、野暮用は野暮用だって。ちゃんと治療費を全額払ったから、ミリカ達とは今日でお別れだよ! まあ、うまい話もあったけどな、断って来たさ!」
「流石ハインツ! 皆、俺の予想通りだろ! こんなにお前のわがままに付き合えるパーティーは何処にもないからな!」
知った風なバンドーの態度に一瞬眉をひそめるハインツだったが、今は悪態をつけるだけの体力が残っていない。
まずはクレアに残る不信感を払拭する事が第一である。
「……クレア、俺がうまい話に乗ってミリカ達と安全な人生を選んで、世界一の剣士の夢を捨てるとでも思ったか? 心配すんなよ! 俺の人生にヤワな女は要らねえ、俺に必要な女はクレア、お前だけだよ!」
「……!?」
ハインツの口からクレアを必要とする言葉を聞くのは、オーストリアのアクエリアン・ドーム・テルメ以来2度目の事。
だが、あの時の照れ隠しの様な発言とは違う。
ハインツの表情は実に晴れやかで、心の底から嘘のない、真実の告白だった。
「そもそも俺を熟知していて、調子に乗ったら喝を入れてくれて、でもプライベートには干渉しないし、美人で料理も上手い。同じ剣の道で夢を追っているし、今更だが、お前以外の選択肢はねえ! まあ、単なる俺のわがままに聞こえるかも知れないが、俺は本気さ。ゆっくり考えてくれ」
突然のキャラクター変更とさえ思えてしまう、ハインツからの誉め殺しに言葉を失うクレア。
心の奥底では喜ぶべきか、まだ突き放すべきなのか。
だが、そんな駆け引きに今更意味はない。
それだけは、彼女にも分かっていた。
「ふふっ……」
唖然とするパーティーの沈黙を破り、小さな笑い声を上げたのは、意外にもリン。
「ハインツさん……昨日のバンドーさんと同じ事を言ってますよ!」
普段は正反対に見えるキャラクターの、バンドーとハインツ。
だが、両者とも恋愛には不器用で、結局玉砕覚悟で女性に手綱を任せようとする、女性の尻に敷かれるタイプの男だと判明してしまったのだ。
「……え? 何だって? 昨日何かあったのか!? バンドーの恋は上手く行くのか?」
多少の照れ隠しもあるのだろう。
ハインツはクレアそっちのけでバンドーに詰め寄り、詳細を訊き出そうとしている。
「おおっと、教える訳には行かないな!」
バンドーはハインツの追及の手を逃れて、姉妹の様に微笑むリンとフクちゃんの陰に隠れた。
「きっと大丈夫ですよ……ねえフクちゃん」
「……そうですね。バンドーさんもハインツさんも、実は優良物件ですからね……」
(続く)