第61話 哀しき暗躍者たち
7月1日・17:00
夏の西陽が列車内を照らし、眩しさにブラインドを降ろすチーム・バンドー。
ブリュッセル到着を間近に控えたそんな彼等に、レディーからの長文メールが届く。
「……こいつはヤバいな……」
ハインツの独り言を最後に、パーティーは無言のまま各々の携帯電話に釘付けになっていた。
レディーからのメールには、自分達と敵対している相手は政府関係者らしき人物と繋がりがある事が、ほぼ確実と記されている。
その男、ヨーロッパ剣士ランキング第3位のセルゲイ・ボロニンは、同じくランキング第8位のカムイを力でねじ伏せ、相方の女性魔導士ライザ・コノプリャンカは、稀少な地殻魔法を駆使してハッサンを瞬殺ノックアウト。
加えて、捕獲したボロニンの部下であるセマクとサメドフは、警察の尋問を拒否して自爆するという、これまでの悪党とは実力も覚悟も桁違いの相手。
「……ミューゼルさんの機転でピンチを脱出したみたいですが、彼等が政府筋と繋がっているとしたら、避難先でも迅速な治療を受けられるでしょう。ダメージは殆どないと見るべきですね……」
携帯電話を持たないフクちゃんは、横からバンドーのディスプレイを覗き込むものの、互いの膝頭がぶつかってバランスを崩す。
その姿が、まるで本当の兄妹の様に見えたのか、リンはこの緊張感の中でも、ひとりだけ穏やかな微笑みを浮かべていた。
「……ボロニン達が自分の車を捨てて、別の手段でブリュッセルに向かっているとしたら、新幹線を使っている自分達よりはかなり遅く到着するはずです。メグミさんとターニャさんとの食事も、味より張り込めるロケーションを重視した方がいいかも知れませんね……」
シルバは、ボロニンとライザが会議初日を終えた政府関係者と、会場近くで極秘に接触を図ると読んでいる。
会議中でなければ周囲の厳戒態勢も緩み、チーム・バンドーも近隣のカフェ等に身を隠す事が出来るだろう。
「……本人に直接訊きましょうよ、ほらあそこ!」
ブリュッセル駅のホームに到着し、スピードを落とす新幹線。
シルバの言葉を遮ったクレアの指差す先には、ひと目で分かるアニマルポリスの制服、「どピンク衣装」が周囲の注目を浴びていたのだ。
「バンドーさん、こっちです!」
2車両程自分達を通り過ぎたチーム・バンドーに、ホームから手を振るメグミ。
ポルトガルで最後に会ってから、また1ヶ月と数日。
だが、シンディとのコンビは政治的理由で強制解消されてしまい、シンディとは全く異なるタイプの新パートナー、ターニャとの行動など、彼女の環境変化は劇的だったのだろう。
気苦労のせいか、少しやつれて見える。
「メグミさん、久しぶり! 戻って来たよ!」
バンドーとメグミは互いに再会を喜び合うものの、そこは日系人の血を引く両者。
ホームの喧騒の中で熱いハグなどは出来ず、控え目に手を繋いでのお辞儀にとどまっていた。
「……ふむ、爽やかなカップルだね! よろしいよろしい!」
肩の上で切ったブロンドのボブカットを揺さぶる様に頷きながら、バンドーとメグミを微笑ましく見守るターニャ。
身長は170㎝を超えており、ヒールの高さと『どピンク帽子』の存在も相まって、ぱっと見は175㎝のバンドーより長身に見えなくもない。
均整の取れたスタイルではあるものの、その手足には格闘技の心得がありそうな、適度な筋肉が蓄えられていた。
「アムステルダムの賞金稼ぎ組合から話は聞いたわよ。アニマルポリスは半民半官の組織だから、会議中でも会場周辺警備の義務はないの。麻酔銃しか武器を持たされてないしね。今、本部には野良猫6匹と格闘中って報告しているから、食事をしながら張り込みと情報交換をしましょう。それでいい?」
「……ぶっ! そいつは傑作だな! 頭数まで揃っていやがる!」
ターニャの言い訳がチーム・バンドーを例えている事に気づいたハインツは、彼女の目の前でありながら大きく吹き出してしまう。
「こらこら笑いすぎ、汚いな! ……まあとにかくこの世の中、あたし達も身内が潔癖だなんて思ってないわ。外部からの調査が入るのはいい事よ」
ターニャはハインツを軽くたしなめながらも、自身の立場にさえ執着していないのか、公的組織を冷静に斬ってみせた。
「……ターニャさん、何か大物オーラありますね! もうアニマルポリスはベテラン?」
その堂々とした佇まいからか、どうやらバンドーは彼女を歳上だと思っているらしい。
彼の背後で笑いを堪える事が出来なくなっていたクレアは、ターニャと目を合わせてバンドーに耳打ちする。
「バンドー、ターニャは元々、妹のローズウットの大学の先輩だったのよ。家庭の事情で大学は中退しちゃったけど、まだアニマルポリスは2年目。年齢的にはあたしとローズの間……シルバ君と同じ歳よ」
「……えっ!? そうなの? 俺はてっきりメグミさんと同じくらいだと……」
一瞬メグミと目が合い、あわてて視線を逸らすバンドー。
歳上の例として自分が使われた事に対しては、メグミも少々不満がある様子だ。
「初めまして、自分は元軍人のシルバです。今回の事件は、警察より軍の上層部に疑惑があると睨んでいます。軍では代々、組織の出世争いで謎の資金が動いていて、その資金がテロリストから押収したドラッグや武器の密売で賄われているという噂があったんですよ」
今回の仕事に意欲を燃やすシルバは、挨拶もそこそこにターニャへ持論を展開する。
その背景には、彼が既に義父のロドリゲスを始めとした元軍人の特殊部隊とコンタクトを取っており、警察組織にいるターニャやメグミを早く安心させたいという気持ちもあるに違いない。
「……私の父はポルトガル警察の役職です。ヨーロッパでは汚職警官個人のドラッグ犯罪はありますが、現時点で組織ぐるみのドラッグ犯罪はないと断言していました。私としては、父の言葉を信じたいです……」
シルバの話で表情がわずかに明るくなったものの、メグミの立場は複雑。
重苦しい空気を払拭する為、バンドーはわざと大きなアクションをつけて啖呵を切った。
「……メグミさん、大丈夫! 仲間の調査で実行犯の目星はついているんだ! 犯人はこっちに向かっているみたいだし、俺達が奴等を捕まえて黒幕を聞き出してみせるよ!」
バンドーが張り切っているのは、この仕事の成功がメグミやシルバの為になるというモチベーションあっての事だろう。
だが、そもそもチーム・カムイの奮闘を見せられてチーム・バンドーがやる気にならない様では、そのリーダーである彼の名がすたるというもの。
「ありがとう、バンドーさん! 会場のブリュッセルEONP会館から少し離れたセレブ用の宿舎が今、厳重警備されています。宿舎の正門が覗ける席があるレストランを予約出来たので、今から行きましょう!」
「やった〜!!」
長旅の空腹を抱えた個性派賞金稼ぎ一同に加え、どピンク衣装のアニマルポリス。
実際の所、彼等の風貌は不審者の動きを見張るには目立ち過ぎ、ぶっちゃけ不審者側にすら見える。
相手側からは見えない場所からの張り込みは、考えられるベストの選択肢であった。
7月1日・18:00
「……それにしても、アムステルダムからブリュッセルまでとは、えらく気前のいいお客だな! あんたのそのガタイからして、今集まっているお偉方のボディガードって所かい?」
タクシーの運転手は、黒服の2人組から積まれたチップの山に興奮を隠せない。
「……トラブルに巻き込まれたくなかったら、余計な詮索はしない事だ。こっちもお前の噂は調べてある。チップさえ積めば、交通違反すら恐れず急いでくれる問題児だとな」
ボロニンとライザは、国家レベルの情報網を活かして任務に最適な移動手段と運転手を選んでいる。
自分達を大衆の視線から隠し、有事の際には金で口止め出来る訳アリな運転手、そんな人材が必要だったのだ。
「セルゲイ様、脚は痛みますか?」
ミューゼルが機転を利かせて繰り出した赤錆の残る剣先は、折れた勢いでボロニンの太股に突き刺さった。
たが、勝負を後回しにして消毒液による応急処置を施したライザの判断もあり、感染症の様な大事には至らないと思われる。
「……なに、大丈夫だ。近い内にまた東南アジアにも行くだろうからな。予防接種でもして貰えば万全さ」
彼等に危険な任務を依頼している要人は、今回ブリュッセルの会議にも出席しており、万一の事態に備えて彼の息のかかった医療チームも待機済み。
チーム・カムイの妨害による予想以上の苦戦もあったからには、力を借りない手はないだろう。
ピピピッ……
「ライザ、担当者からのメールだ。……宿舎から200メートル東の調剤薬局を開けて医療チームを待機させているらしい。報告はそこから別回線の端末通信で受けるとさ。毎回毎回、お偉方は慎重過ぎてヘドが出るぜ」
とある条件と引き換えに、賞金稼ぎをスカウトして東南アジアにマリファナを密売するという、危険な任務を請け負ったボロニン。
しかしながら、ボロニン側には収益の半分以下しか還元されず、悪質なピンハネをする上層部は自己保身を徹底するばかり。
真実を理解した上で賞金稼ぎを騙し、時には邪魔者を殺す事さえ厭わないボロニンに、同情の余地はないだろう。
とは言え、本来ならば一攫千金も夢ではないはずの仕事で彼が不当な扱いを受けている事は明らかであり、ボロニンは携帯電話を見つめながら自身の無力さに苛立つばかりだった。
セルゲイ・ボロニンは、ロシア漁師の息子として生を授かるも、大災害後、北朝鮮の核兵器や日本の原発の暴発により東アジアの海は大打撃を受けてしまう。
その結果、ロシアの漁場環境も悪化しており、ロシアから海産物を外へ売り込むビジネスチャンスは激減している。
生活は貧しく、船の燃料代が払えなくなった一家は漁場を廃業して離散。
ボロニンは屈強な体格を活かして賞金稼ぎの剣士となり、隣接地域境界線の警備にあたって小銭を稼いでいたが、やがて剣1本で身を立てる為にロシア中を放浪した。
地道に努力を重ねた結果、地方の武闘大会で荒稼ぎするボロニンはロシア第3位の剣士として名声を得るものの、モスクワで出会った第1位、第2位との実力差は圧倒的。
努力では乗り越えられない才能の壁を、彼は残酷にも、肉体のピークを過ぎようとしていた30歳で見せつけられる事となる。
ライザ・コノプリャンカはモスクワの石油会社の令嬢として生まれ、更に左足裏に魔力を宿すフィギュアスケートのエリート候補として活躍し、ロシア全土から将来を嘱望されていた。
左足裏の地殻魔法を使えば、滞空時間の長いジャンプは勿論、高難度の着地も失敗する事はない。
だが、それは本来のスポーツ精神から遠く離れた反則級の才能であり、ライザは余りにも恵まれ過ぎていた自身の環境を、いつの間にか恨む様になっていたのである。
そんな時、彼女の父親が社長を務める石油会社がテロリストに占拠され、ライザは人質に。
混乱の中、彼女を救出したのはボロニンだったが、ライザは彼の家族が父親の会社から燃料出荷を断たれ、離散していた現実を知ってしまった。
それ以来彼女は家を飛び出し、ロシアの民衆や財界、政治家の願いを叶える夢ではなく、命の恩人であるボロニンの願いを叶える夢を追い続けている。
7月1日・18:30
「……レディーさんからの情報が確かなら、奴等はかなり目立つ風貌だと思います。そろそろ気配のひとつもあっていいと思うんですが……」
シルバは食事もそこそこに、レストランから宿舎付近の監視に余念がない。
彼の過去や人間関係を考えれば、この仕事に懸ける情熱は十分に理解出来るだろう。
とは言うものの、自分達に理解のあるアニマルポリスと再会した後の、折角の夕食。
束の間のリラックスを満喫する他のメンバーと比べて、彼がどうにも浮いている印象は否めなかった。
「フライドポテト、美味しいです……」
ベルギーはフライドポテト発祥の地であり、『フリッツ』と名付けられた2度揚げが特徴のそれは、カリッとした外側とホクホクした内側のコントラストが売り。
元来フライドポテト好きのフクちゃんは、ベルギーならではのマヨネーズソースごと堪能している様子である。
「ムール貝の白ワイン蒸し、牛肉のビール煮……ああ、これでお酒が飲めないなんて拷問だわ! 仕事なんて辞めちゃいたい!」
無類のワイン好きとして知られるクレアは、ベルギー料理の底知れぬポテンシャルに悶絶しながら自身の仕事を恨み、ハインツも無言で食事に集中していた。
「ベルギーとかオランダって、大柄な人が多いからなのか、お料理のボリュームが凄いですよね……。でも、こうしてちゃんと全部食べられちゃうのが不思議です」
リンの正直な感想には、ポルトガルと日系のハーフである細身のメグミも盛んに頷く。
「……ケンちゃん、奴等は情報屋まで消す悪のプロフェッショナルなんだろ? カムイ達もこっちに向かっているし、必ず仕返しに戻って来るよ! 張り込み場所を変えてカムイ達と合流するまで、腹ごしらえはちゃんとしとこうぜ!」
「うん、そうそう! バンドー君はちょっと天然とか聞いていたけど、見る限りいいリーダーじゃない!」
業務時間を終え、堂々と酒を飲んでしまっていたターニャはハイテンションにバンドーを持ち上げ、その隣では情報源と思われるメグミが小さくなっていた。
「……はい、シルバ君、ちゃんとお肉取り分けておきましたよ」
肉が大好物のパートナー、シルバに気を利かせていたリン。
それを見て、仕事に前のめりになっていたシルバの表情が緩んでいく。
「……ジェシーさん、ありがとうごさいますっ!!」
リンの厚意に感激したシルバは本来の食欲を爆発させ、彼が肉にかぶりついている間、バンドーとハインツは進んで監視役を担当していた。
7月1日・19:00
「これを見ろ。ジルコフ大佐はここからお前達に通信を行う」
指定された調剤薬局に身を隠したボロニンとライザ。
治療を終えたボロニンに、かつて軍の医療班にいたという店主は軍人専用の特殊端末を手渡す。
「こんなものが開発されていたとはな……。こいつを俺達にも持たせてくれていたら、もっと仕事も楽になっただろうに」
大災害の経験を元に制定された統一世界、EONP。
環境保全を名目として、進化したテクノロジーも意識的に制限されたが、それはあくまで権力者や資本家の為の口実に過ぎない。
現にこうして、フェリックス社が開発している特殊端末とともに、巨大組織の情報統制合戦は静かに火花を散らしていたのだから。
「……私が幼い頃、祖父が歴史資料として携帯電話の進化版を見せてくれました。1台で通信に関して万能なその端末は、確か……スマートフォンと呼ばれていました。その様なものなのでしょうか?」
大災害後、安定した資源や電力の供給が回復までに時間を要した人類は、稼働しないハイテク器機の部品を生活必需品に再利用せざるを得なくなった。
その為、庶民の手から通信端末は一時的に剥奪されてしまったが、ライザの祖父の様な資本家や権力者の手元には、ハイテク器機がアーカイブとして残されていたのである。
「大災害の瓦礫の下に埋もれたハイテク器機を掘り起こして、改造したり売買する奴等がいるらしい。結局、依存すれば人間を狂わせるレベルの代物なのだろう。ライザ、お前の人生を見ていると、恵まれた環境が全ての人間にとって幸せとは限らないのだな」
ボロニンの言葉に反応出来ず、無言で床の一点を見つめるライザ。
テロリストからライザを救出したボロニンだったが、当時の彼女はまだ育成中のフィギュアスケート選手であり、互いにその存在を意識した事はない。
ボロニンの思惑としては、テロリストに抗って大企業の令嬢を救出すればそれなりの報酬が得られ、加えてモスクワに来てから伸び悩んでいた自身のキャリアが好転するかも知れない……そう考えていただけだったのだ。
「……俺個人としては、ボロニンはこんな汚れ役をやらせるには惜しい男だと思っている。だが、あんたみたいな前途有望なお嬢さんが選ぶ男ではないな。あんたには今でも家族から捜索願いが出されているんだ。まだ19歳なんだろ? 人生やり直すつもりはないのか?」
軍の医療班にいたという薬局の店主は、これまで無数のならず者を治療して来たのだろう。
不遇な立場にもストイックさを崩さないボロニンとライザには、幾分同情的に見える。
「……セルゲイ様の目標は、次の武闘大会で第3位の壁を突き破り、第2位以上の成績を上げる事。私の家族の会社は、セルゲイ様の人生を狂わせてしまった。だから次の人生は、セルゲイ様の目標を達成してから考えるまで……」
意を決した様に顔を上げたライザは、後一歩の所まで近付いているボロニンの目標達成まで、彼をサポートする事を宣言した。
「……ライザ、お前を汚い仕事にまで付き合わせてしまって、本当にすまないと思っている。だが、お前はもうただの相棒ではない。この仕事が終わったら、お前には自分の力に引け目を感じる事のない次の人生を用意してやる。この俺が、必ず用意してやる……!」
ボロニンはライザの肩を抱き寄せ、彼女への想いを告白する。
それは同時に、彼が自分だけの為に費やす人生にピリオドを打ち、ライザとともに歩む人生への覚悟を示していたのである。
ピピピッ……
「端末の画面、赤い所をタッチしろ! ジルコフ大佐からの通信だ!」
薬局の店主からの指示を受け、回線を開くボロニン。
その画面には、仕事の説明を受けた時以来の対面となる、軍の実質的な司令官と言われるジルコフ大佐の姿が映し出されていた。
「……久しぶりだな、ボロニン、そしてライザ君。いつも回りくどいやり方をしてすまない。早速だがボロニン、朗報だ。次のモスクワ武闘大会で、君をシードする公約を取り付けたぞ」
「……ジルコフ大佐、それは……?」
言葉遣いこそ無難だが、普段は高圧的な雰囲気が滲み出るジルコフ大佐。
そんなからの改まった労いに、ボロニンとライザは互いに顔を見合わせる。
「……君達がこの仕事を引き受ける条件だっただろう。モスクワ武闘大会の実行委員会に掛け合った所、新世代剣士の台頭を図る名目で、前回優勝のイグナショフと準優勝のキリチェンコをトーナメントの同じ山に入れる事に成功した。ボロニン、これで君が格下相手に取りこぼす事がなければ、決勝進出も夢ではあるまい」
あらゆる戦いの場を好み、年に一度のモスクワ武闘大会の来賓として運営に意見出来る立場にあるジルコフ大佐。
彼は毎年準決勝で涙を飲んでいたボロニンに助け船を出す事を条件に、自身の出世の為の資金を稼ぐ片棒を担がせたのだ。
「イグナショフとキリチェンコが互いに疲弊すれば、俺にも優勝のチャンスが……! ジルコフ大佐、ありがとうございます!」
先程までの不信感から一転、ボロニンとライザは積年の願いが叶った晴れやかな笑みを浮かべ、その目に力がみなぎる。
「……フン、たかだか1年更新の栄光の為に、そこまで己を追い込む事が出来るとはな……。君といい、ライザ君といい、全くもって不思議な人種だよ……」
宿舎のVIPルームらしき場所から個人で通信を行っているジルコフ大佐は、くわえた葉巻からゆったりと煙を吐き出しながら、剣と贖罪の道に取り憑かれた男女の人生を興味深く噛み締めていた。
「……お言葉ですが、ジルコフ大佐。大佐は軍の実質的なトップであると聞いています。大佐こそ、これ以上の地位を求めて資金を集める理由が分かりかねるのですが……」
幼い頃からセレブ扱いに慣れているライザは、ジルコフ大佐相手にも物怖じする事はない。
政府と軍の拠点がロシアに置かれている現在、彼に逆らう者などそうそういないはずで、ジルコフ大佐の更なる野望は、俗世間と距離を置いて久しいライザとボロニンには理解し難いのである。
「……君達も学校で習っただろう? この統一世界で一番の権力者は大統領だよ。だが、統一世界というプレッシャーに負けたのか、歴代の大統領は八方美人な腰抜けばかりだ。私はロシア人として、やはり統一世界はヨーロッパ、そしてロシアがイニシアチブを握り続けるべきだと考えている。例え他の地域や民族から恨まれようがな」
政治的な野心を持たない若輩コンビが相手だからなのか、ジルコフ大佐は誤解を恐れず、一切遠慮のない持論を叩きつける。
「……君達はまだ若い。私が生まれた頃、大災害直前のロシアがどんな状況だったか実感はないだろう。当時のロシアは世界から半ば孤立し、自国の資源と一部の近隣諸国やアジアからの僅かな援助でひっそりと呼吸していたのだ。防衛問題を巡る、隣国への侵攻が衰退の要因だな」
この話題について、ボロニンとライザには雑学程度の知識しかない。
ボロニンはその日その日を生き延びる事で精一杯で、ライザは学問とスケートの練習に追われる毎日だった。
「……当時は、今は亡きアメリカ合衆国が世界のイニシアチブを握っていた。奴等が主導する防衛組織に対抗する為に、当時のロシア大統領は、かつて解体したソビエト連邦の再編を望んでいたに違いない。第3者から見れば、その野望は単なる独裁者の横暴だったのだがな」
幼い頃の暮らしが回想されたのだろうか、ジルコフ大佐は苦悶の表情を浮かべ、更に言葉を続ける。
「……そこで大災害だ。幸いにしてロシアには殆ど被害がなく、アメリカ合衆国は北米大陸ごと崩壊した。これは少なくとも、ロシアに限っては土壇場の逆転勝利の様なものだ。目の上のたんこぶだったアメリカ合衆国が消え、世界の防衛体系もリセットされたのだからな!」
徐々に不敵な笑みを隠せなくなるジルコフ大佐。
歴代の権力者が憑依した様なその雰囲気に、この世の表も裏も見てきたはずのボロニンとライザまでがざわついていた。
「……こうしてロシアは復権した。だが、これまでロシアに協力的だった中国が静かな抵抗を始めた。更に加えて、憎きアメリカ合衆国の残党どもがイスラエルのフェリックス社を引き連れて我々を打倒しようとしている!」
尋常ならぬジルコフ大佐のオーラを感じ取り、ボロニンとライザは端末をテーブルに置いたまま後退りする。
その光景を映像で理解したジルコフ大佐は、穏やかな微笑みに戻ってゆっくりと言葉を選び始める事に。
「……私は君達から崇められたいとは思わない。いつの日か独裁者として命を狙われても構わない。まずは軍の司令官、そしてやがては大統領になって、今の統一世界システムを強化したいだけなのだよ。その為には周囲の協力が不可欠だが、中には金で黙ってくれる人間もいるという事さ」
暫くの間重苦しい沈黙が流れ、やがて薬局の店主が端末の向こうのジルコフ大佐に向かって声をかけた。
「……大佐。自分は大佐に一生ついて行きますよ。東南アジアのビジネスはもう、十分な資金が貯まった事でしょう。そろそろボロニン達を任務から解放してやってもよろしいのでは?」
軍隊時代から、両者はかなり近しい間柄なのだろう。
こうして裏稼業の拠点に赴任している薬局の店主は、ジルコフ大佐へ向けて柔らかく進言する。
「……そうだな、ボロニン、そしてライザ君。ご苦労だったな。君達を任務から解放する。モスクワ武闘大会に備えて、思う存分鍛練に励んでくれたまえ。最後に、私に何か言いたい事はあるか?」
やけにあっさりと任務から解放され、いささか拍子抜けしたボロニンとライザ。
しかしながら、すぐにチーム・カムイの抹殺という早急の目的を思い出し、ボロニンはジルコフ大佐に最後の要望を伝えた。
「……ジルコフ大佐、最近我々の動きを特定した賞金稼ぎがいます。情報提供者は始末しましたが、賞金稼ぎはなかなかに手強く、仲間のセマクとサメドフがやられました。奴等の息の根を止めるまで、我々の仕事は終わりません。新たな武器か仲間を是非、提供していただきたいのです!」
武闘大会への下心があったとは言え、これまでのジルコフ大佐への忠誠を考えれば、自分の要求は無礼には値しない。
そう確信を持ち、何よりも降りかかる火の粉を全て振り払う気迫に満ちたボロニンの眼差し。
その剣士魂を認めざるを得なくなったジルコフ大佐は、まるで事態を予想していたかの様な対応を見せる。
「……分かった。こんな事もあろうかと、私の懐刀をそこに派遣している。おいバシン、イバノビッチを出してやれ」
「了解しました! おい、良かったな。また暴れられるぞ」
ジルコフ大佐の指示に従い、バシンと呼ばれる薬局の店主は、何やら試験用の小さなカプセル型容器の蓋を開ける。
ボロニンとライザがその行動を不思議がる中、バシンは薬局の奥に寝転がる謎の男の鼻腔に、その容器を近づけた。
「……ひょおぉ! 久しぶりに味わう上物の香りだぜ!」
それまでその存在すら認知されずに気配を消していた男は、容器からの香りで気付けられた様に、勢い良く起床。
伸び放題の長髪を束ねもしない無造作な風貌だが、その叫び声と体型のシルエットから、彼はまだ20代の青年に見える。
「……イバノビッチ、喜べ。邪魔な賞金稼ぎどもを殺せるぞ。用済みのマリファナは、貴様に全てくれてやる」
「そいつはゴキゲンだな! だが大佐、俺はマリファナだけじゃ満足出来ねえ! もっと強いブツをくれ!」
バシンがイバノビッチに嗅がせた容器には、恐らくドラッグが入っていたのだろう。
それまで無気力に横たわっていたイバノビッチに突然スイッチが入った事で、彼が重度の薬物依存症である疑いが高まっていた。
「それはお前の働き次第だ。だが、くれぐれも一般人に危害は加えるなよ。イバノビッチ、お前の前科は私でも庇い切れないレベルになっているんだからな。今度パクられたら間違いなく終身刑、下手をすれば死刑だ」
「……こいつが仲間……? 失礼ながらジルコフ大佐、この男を信用してよろしいのですか?」
余りに特異な個性を持ち、ジルコフ大佐との会話の内容も不穏極まりない。
ボロニンは自分はともかく、まだ10代のライザに何らかの影響が及ぶ事を恐れている。
「……ボロニン、心配は要らない。イバノビッチはドラッグと人殺しにしか興味がない男なんだ。トラブルが多く、軍からは除隊させざるを得なかったが、金や女で問題を起こす事はないし、手元に置いておくと何かと役に立つ。そこのバシンが拳銃とナイフ、そして数日は持つドラッグを渡してくれるだろう。それだけ時間があれば大丈夫だな?」
「……はい! 奴等は必ず始末します!」
豊富な軍隊経験があり、尚且つドラッグの力で恐れを知らないイバノビッチは、戦いに限定すればセマクとサメドフの穴を埋めて余りある人材。
未来への希望が開けたボロニンとライザは、気持ちを切り替えて最後の裏稼業、チーム・カムイの抹殺に意欲を燃やしていた。
7月1日・19:30
「……これだけ見張っても姿が見えねえ。ボロニンが2メートルの大男なら、夜でも近くを通れば目立つはずだ。ひょっとして別の隠れ家があるんじゃねえのか?」
既に夕食を終えていたチーム・バンドーは、アニマルポリスの職務上の都合と称してレストランに許可を取り、監視を継続している。
しかしハインツがぼやく疑問の通り、このまま時間を浪費する訳にも行かないだろう。
チーム・カムイも間もなくブリュッセルに合流する事になってはいるものの、今夜中にボロニン側からチーム・カムイに仕返しに来る保証などないのだから。
「そうですね……。ですが今、特殊部隊の仲間に情報を集めて貰っています。もう少しだけ待ちましょう……あ、来ました! キムからの電話です!」
軍隊時代にシルバの部下だったキムは、並外れた記憶力を活かした地理的な調査に秀でている。
彼からの電話に応えるシルバには、周囲の注目が集まっていた。
「中尉、お久しぶりです。中尉は何処に行ってもデカい事件に巻き込まれますね!」
いつまで経っても軍隊時代の呼び名が直らないキム。
特殊部隊にもうひとり存在するシルバの元部下、ガンボアにも言える事だが、軍とスポーツ世界の上下関係は生涯絶対的。
シルバも呼び名に関しては、もう諦めたらしい。
「……早速ですが、ブリュッセルEONP会館側の宿舎から東に200メートル進んで下さい。自分の記憶が正しければ、角を左折して2本目に調剤薬局があります。そこは宿舎の医務室とも提携しているのですが、同時に軍関係者の裏稼業の拠点で、店主は元医療班、ジルコフ大佐の遠戚で腰巾着だったバシンです」
「何だって!?」
シルバ自身も、今回の仕事はジルコフ大佐が怪しいと睨んではいた。
だからこそ、具体的な人名で自分の推理に間違いがないと確信出来た時の衝撃は大きい。
「……中尉、悪い事は重なります。その薬局にはジルコフ大佐の懐刀として、あのイバノビッチが出入りしているらしいんです……厄介ですね」
「……そんな……奴は軍を除隊されたはず……。ジルコフ大佐が利用する為に連れ戻したと言うのか!?」
キムとのやり取りの中、シルバの顔は徐々に青ざめていく。
彼のこんな姿はそうそう見られない。
バンドーとリンを中心に、周囲はボロニンの所在よりもシルバの状態を気遣う空気が流れていた。
「……中尉、そちらの報告が確かなら、ボロニン達はチーム・バンドーを認識してはいないはずです。まずは観光客のふりをして、薬局の所在を確かめる程度にとどめるべきですね。バシンは戦力になりませんから、恐らく向こうの数は3人。他の仲間と合流して、出来るだけ数で圧倒してから戦うべきです!」
キムからの進言は、いかにも元軍人らしく現実的。
だが、通話を終えたシルバの表情にはやや迷いの様なものが感じられ、痺れを切らしたバンドーは幼馴染みに詰め寄る。
「ケンちゃん、ボロニン達が隠れていそうな場所はあったの!? あったならまず確認して、すぐカムイ達に知らせようよ! 危険な場所なら、何も夜中に押し入らなくてもいい! 時間が経って焦るのはボロニン達なんだからさ!」
バンドーのプランは、戦術面、安全面の両方で全員が納得出来る。
チーム・カムイと合流して行動さえすれば、ボロニン達は恵まれた情報網を駆使して、自分達の居場所をじきに突き止めるはずだ。
「……そうですね。自分は薬局の所在を確認しに行きます。バンドーさんとハインツさんは自分の後ろに、ジェシーさんとクレアさんは少し離れて魔法の準備を宜しくお願いします!」
荷物をフクちゃんに預け、薬局への出発準備を整えるチーム・バンドー。
しかしながら、アニマルポリスにはバンドーの妹と説明している『女子高生フクちゃん』ひとりを夜の街に残すのも気が引けるというもの。
「バンドーさん、私達に何か手伝える事はない?」
メグミからの助け船に、バンドーは冗談混じりの太字スマイルを浮かべてこう切り返した。
「ありがとうメグミさん! すぐ戻って来るけれど、もう1皿フライドポテトを注文しておいてよ。フクちゃんはフライドポテト大好きだから!」
7月1日・19:50
「この角を左です!」
剣やナイフを持ったまま、軍や警察の要人がいる宿舎前の厳重な警備を潜り抜けるのは至難の業。
チーム・バンドーはやむ無く回り道を選択し、シルバを先頭に駆け足で現場に急行する。
「……ふぅ〜、このレベルのブツは身が引き締まるぜ! 短い間だろうが、よろしくな!」
バシンから与えられたドラッグをひとつまみ舌先に乗せ、一見してロックミュージシャンの様な風貌に落ち着いたイバノビッチ。
「……イバノビッチ、ホテルに移動するぞ。この辺りで騒ぎを起こして、俺達とジルコフ大佐の関係が疑われたら色々と面倒だ。本気を出すのは明日からでも構わん」
ドラッグさえあれば、イバノビッチも取りあえず敵味方の区別がつく事に安堵する、ボロニンとライザ。
「……セマクとサメドフの最期は知っているな。万が一、お前達が賞金稼ぎに不覚を取った時は、戻る場所はないと思え。ライザ、覚悟は決まったか?」
バシンからの少々恫喝じみた問い掛けに、ライザは一瞬ボロニンと視線を合わせ、やがて力強く頷いた。
「……私は魔法に頼った、偽物のスポーツエリート。贅沢な暮らしの裏で多くの人の人生を狂わせてきた、空虚なセレブ。新しい人生を見つける為に、今までの自分を殺す旅に出ている。その旅が、もうすぐ終わる……」
「……ケンちゃん、あれ! あのデカい人影、ボロニンじゃないか!?」
薬局らしき建物の中から現れる、3つの人影。
先頭に黒服の大きな影、2番目には同じ衣装の小柄な影、そして3番目に、ラフな私服姿のひょろ長い人影の存在。
「やはりここに身を隠して……ん!? おいお前! イバノビッチなのか!?」
最後に現れたひょろ長い体格の男に、シルバは見覚えがあるらしい。
背後から唐突に名前を呼ばれたその男は、少々面倒臭そうにその場を振り返った。
「……何だゴラァ……! がっ……!? てめえ……まさかシルバか!?」
長髪を派手になびかせるその男は、軍隊時代の知り合いであるシルバとの再開を喜びもせず、むしろ憎悪を一点に集めたかの様な険しい表情を浮かべている。
「……やっぱりイバノビッチだな! バカな真似はやめろ! 軍やジルコフ大佐とは早く縁を切って、薬物更正施設に入るんだ!」
シルバの声と姿に、よみがえる過去の記憶。
イバノビッチの眉間には深くしわが刻まれ、彼がモーションも見せずに素早く投げ込むナイフは、シルバの太股を直撃した。
「……ぐわっ……!」
「ケンちゃん!?」
意表を突かれた先制攻撃に顔を歪め、シルバはその場に崩れ落ちる。
男性陣とは距離を置いていたクレアとリンは、まだこの事態に気が付いていない。
「何しに来やがった……! 俺はてめえみたいないい子ちゃんは大っ嫌いだよ! 虫酸が走るぜ!」
「……おい、イバノビッチ! やめろ! そいつらは俺達が追う賞金稼ぎじゃない!」
慌てて後ろを振り返ったボロニンは、イバノビッチを連れ戻す為に全速力で薬局前に帰還した。
「……まあ、似たようなもんだがな!」
帰還するボロニンを足止めする為、ハインツもやむ無く剣を抜いて彼の前に立ち塞がる。
「死ねよシルバ!」
新たなナイフを握り締め、狂った様にシルバへと殺意を向けるイバノビッチ。
リンの魔法が間に合わない為、バンドーは慌てて呼吸を整え、急場凌ぎの風魔法を発動させた。
「やめろ、うおぉぉっ……!」
ブリュッセルの夜空を疾走する、バンドーの額からの蒼白い光。
準備不足により、イバノビッチだけではなく周囲も巻き込む形となってしまい、ハインツは近くの花壇の土に慌てて剣を突き刺し、その場に伏せてダメージを最小化する。
「ぬおおぉぉっ……!」
イバノビッチとボロニンは、バンドーの風魔法によってライザの元まで吹き飛ばされ、彼女に介抱される形でホテルへと退却した。
「バンドー、何があったの!?」
路上のざわめきに煽られながら、クレアとリンが男性陣に追い付き薬局前に到着。
リンはシルバの太股の傷を見て、急いで回復魔法の準備を整える。
「……ケンちゃんを見るや否や、いきなりイバノビッチって奴が襲いかかって来たんだ。俺達の本命はボロニンだけど、あいつもヤバい奴だよ!」
未だ興奮が収まらないバンドー。
シルバはリンの回復魔法を受けながら、自身とイバノビッチとの間にある過去を語り始めた。
「……イバノビッチは自分と同じ時期に軍にいて、かつては優しく真面目な男でした。ある日、テロリストの人質を救出する為、イバノビッチの所属する部隊が少年を救助したのですが、実はその子はテロリストに教育された少年兵だったんです。奴の部隊は、イバノビッチを除いて皆殺しの目に遭い、それ以降、奴は老若男女を問わずに暴行する、軍の問題児になってしまいました……」
「……そんな事が……」
シルバの治療を続けるリンは、彼のイバノビッチに対する歯切れの悪さの原因を理解し、神妙な表情を浮かべている。
「……イバノビッチは元来優しい奴ですから、自分に嘘をついて凶暴な男を演じる為に、ドラッグに溺れていきます。やがて軍での居場所を失い、自分の小隊にも派遣されましたが、自分は奴を任務には着かせず、上層部に除隊と依存症の治療を進言しました。それ以来、奴は軍からいなくなったはずでした……」
「……イバノビッチから見れば、シルバは上層部にチクって自分をクビにした、クラス委員長みたいに見えるんだろうな」
ハインツは皮肉っぽい笑みを浮かべながら、イバノビッチがシルバを『いい子ちゃん』と呼んで蔑視した理由を推測してみせた。
「……でも、あいつを野放しには出来ないだろ? ボロニン達だって、もう人殺しをしているんだし、こっちも甘い顔は見せられないよ」
チーム・カムイの苦戦ぶりと、警察に捕らえられれば即自殺も厭わない、セマクとサメドフのメンタリティー。
これまでは悪党を殺さずに事件を解決出来たバンドーにも、いよいよ覚悟の時が迫っている。
「……自分はイバノビッチが許せませんでしたが、今は正直、迷っています。自分が今まで綺麗事を言えたのは、ただ運が良かっただけではないかと……。今の奴は結局、ジルコフ大佐やバシンに利用されているだけなんです。どうにかして、奴を更正施設に入れたいのですが……」
肩を震わせて心情を吐露するシルバの頬を、さっきまでの晴天が嘘の様に降り始めた雨が、静かに濡らしていた。
(続く)