第56話 正義の行方、革命の足音
「うおおぉぉっ! 何だお前ら!? どっちが味方でどっちが敵だ!?」
転倒した装甲トラックから立ち上る黒煙を身にまとい、その巨体をより物々しく見せる囚人パパドプロス。
手錠を引きちぎる過程で、自身を車から引きずり出そうとしたテロリスト、ドニスを秒殺したその光景には、百戦錬磨の強者達も善悪を問わず言葉を失っていた。
「……大丈夫か? 今日のお前はスーパースターだよ。早くここから逃げろ!」
ニコポリディスの手引きにより、トラックの運転席からヘルメットとマスク、そして防弾チョッキに覆われた男性が姿を現す。
テロリストの手前、身元がバレる事を防いでいた彼は、どうやらカースタント専門に雇われた一般人らしい。
「ニコポリディス巡査部長! 想定範囲内とはいえ、パパドプロスを解放してしまいました! どうします!?」
互いに静かな睨み合いが続いている現在、すぐさまパパドプロスがテロリストを認識して歩み寄るとも思えない。
ニコポリディスは携帯電話を耳にあてながら、片手を伸ばして部下を制止し、まずは様子見を促した。
「……ハッサンだな。今パパドプロスが手錠を切って車から降りた。だが、まだ事態は動いていない。まずはそのまま待機して、俺達の運転手がそっちに向かったら保護してくれ。黒いヘルメットとマスク、黒い防弾チョッキの男だ」
「……どっちが味方かだと!? おいおい、サツの車を撃ってまでお前を助けに来た、俺達が味方に決まってんじゃねえか!」
警戒心から額に汗を滲ませてはいるものの、パパドプロスに勝るとも劣らない体格のテロリスト、デラスは拳銃を一旦下ろし、自身の敵意がない事を伝える。
その一方で、無駄な射撃は行わない警察の動きを計算に入れている相方のテロリスト、シーフォは警官に向けた拳銃を下ろさない。
「アテネ警察の有志諸君、ご苦労様だな。だが、パパドプロスの解放はもう、ビジネスとして成立しているのだ! お互い、無駄な血は流したくないだろう? ここは穏便に彼を解放し、不満は君達の上司にぶつければいいのだよ!」
普段とは異なる声色を使い分け、何やら演説めいた口調とともに、ガルシアの背後からゆっくりと前線に姿を現すアシューレ。
警官本来の正義の執行の為、懲戒免職すら恐れない覚悟でパパドプロスの移送に挑むニコポリディス達の耳に、死の商人さえも買って出る大企業、フェリックス社の顧問弁護士である彼の言葉など届くはずがない。
このパフォーマンスは、これからアシューレが作り上げる世紀のスクープ映像の編集の為に必要な演出なのである。
「……おい、お前は俺の味方だと言ったな。俺は勿論ムショからは出たいが、それはギリシャから出る事も前提なんだ。その辺どうなんだ?」
周囲の視線と威嚇も何のその、自らデラスに歩み寄るパパドプロス。
彼がギリシャ脱出にこだわる理由は、息子のカムイやニコポリディスの執念から逃れる為とみて間違いないだろう。
「パパドプロス、安心しろ! 俺達は世界中を駆け回るテロリストだ! お前が望むなら、ギリシャの任務からは外してやる! 金も女も不自由はさせないぞ!」
パパドプロスを説得するガルシアも、目の前で部下を殺されて流石に心穏やかとはいかない。
しかしながら、この大男を純粋な戦力とみなしさえすれば、パパドプロスは死んだドニスより遥かに「使える」男であるはずだ。
「金は必要なだけあればいい、それ以上に持っていても邪魔なだけだからな。俺が欲しいのは酒と、俺だけを愛してくれてガキを産まない女だよ!」
恐らくはパパドプロスの人生が集約されていた、この言葉。
彼への怒りの感情を呼び起こされたニコポリディスは、部下に先制攻撃の準備をさせながら、自身は拳銃に簡易麻酔弾を装填する。
「……パパドプロス、それ以上奴等に近づけば、お前の身の安全は保証しない。テロリストども! 今のうちにパパドプロスを置いて観念すれば、弁護士をつけて逮捕してやる。10秒で決めろ」
「……しゃらくせえ、これが答えだ!」
パアアァァン……
ニコポリディスからの問いかけに、彼の足下への発砲で応えるガルシア。
その攻撃を素早く飛び越えるニコポリディスを合図に、警察は装甲車の陰から、テロリストはジープと通りの陰から、それぞれ一斉に銃撃戦が始まった。
「この疫病神が!」
半ば八つ当たり的に、ニコポリディスがパパドプロスに向けて発砲した簡易麻酔弾。
その弾道は当初の狙いである臀部を外したものの、どうにか相手の右足ふくらはぎに命中。
獄中で使用した麻酔弾程の効力はないが、パパドプロスのパワーとスピードを弱めるには十分である。
「ぐっ……畜生、こんなもので……!」
緩やかに全身に回る痺れと戦いながら、デラスとシーフォの助太刀を得て麻酔弾の針を抜くパパドプロス。
「……よしよし、いい画が録れているぞ。後は奴等が現れれば世紀のスクープ完成だな!」
アシューレは時折銃撃戦に参加しながらも、自身はあくまで現場の動画撮影に集中し、事態の更なる展開を心待ちにしていた。
「ニーノ、ブルザイ、デラス達を援護しろ! あの巨体だ。デラスが肩を貸すだけではパパドプロスがこちらに向かえない!」
ガルシアの指示を受けパパドプロスとデラス、更に介抱に加わったシーフォの援護に回るライフル部隊。
「……やむを得んな。パパドプロスを抱えた2人のテロリストは足を狙撃しても構わん! 撃て……!」
キイイィィン……
ニコポリディスの部下への合図、そして彼の手にある拳銃までも吹き飛ばす程の衝撃が空を斬る。
右手首に銃弾のかすり傷を負ったニコポリディスはその場にうずくまり、指揮官の非常事態を受けた警察の銃撃が止まった。
「……来たな! 奴等だ!」
不適な笑みを浮かべてアシューレがカメラを向ける先には、紫のスーツにオールバックの髪型で統一された、怪しげな5名の男達。
「……すまないが、ウチの組はここでヤクの取り引きをする予定だったんだ。命が惜しければ、警察の皆様は大人しく帰っていただけるかな?」
自らマフィアを公言する、謎の男。
だが、警察組織を知り尽くしたニコポリディスは、そのリーダー格の男の顔を忘れてはいなかった。
「お前……まさかマコスか!? キプロスに飛ばされたと聞いていたが……」
アテネ警察の功労者、ニコポリディスへのリスペクトなのか。
マコスは拳銃こそ構えていたものの、ニコポリディスが右手首を応急処置する間だけは部下を制止し、銃撃戦の現場に暫しの静寂をもたらしている。
「……さあ、人違いじゃないのかな? とにかく取り引きに間に合わせたい。そこのテロリストさんも、早く用を済ませて立ち去ってくれよ」
警察とテロリスト、ともに10名程の戦力に対して、マコス達のチームは僅かに5名。
既に彼等には台本があり、どちらかの勢力に加担する意図がある事は明白だ。
「……マコスお前……ギオルガトスの犬に成り下がったのか?」
最悪の事態を懸念するニコポリディスは、苦悶の表情を浮かべながらもポケットに隠した携帯電話のメールを送信し、マコスの真意を探り出す。
「ナイスなタイミングだぜ! 前金は入れた。今日だけ暴れて、何処へでも行っちまいな!」
援軍の到着を喜ぶガルシアの陰で、アシューレは再び声色を変え、アップでマコス達を捉えた動画に解説を加え始めた。
「おお、何という事だ!? 凶悪犯の移送という正義を貫こうとする警官を、悪徳警官がテロリストと手を組んで妨害しているではないか! アテネの……いや、ギリシャの秩序は完全に崩壊している! 民よ、腐った統一世界に正義の鉄槌を下そうではないか! 今、君達が立ち上がらなければ、誰が世界を変えるのだ!?」
ピピピッ……
「メールだ!」
ニコポリディスからのメールを受信したハッサンは急いで内容を確認し、そのメールを更にシルバに転送する。
【このメールが君達に届いた時は、パパドプロスがテロリストの手に渡りそうな時だ。だが、私の責任に於いて、パパドプロスを無傷で手渡す事はない。麻酔弾で行動力を制限している。君達は無理をする必要はない。まずは距離を取った上で、魔法で奴等が銃撃に集中出来ない環境を作って欲しい。奴等に銃を持たせたまま君達を襲わせる事のないよう、こちらも最善を尽くす】
「来たな! 行くぞハッサン!」
待ちに待った親子対決実現に、カムイの表情は俄然輝きを増す。
「通りに合流する入口のすぐ右に、スポーツ施設跡の倉庫と駐車場がある! そこの鍵は昨日開けておいた、そこなら銃撃は届かないはずだ!」
ニコポリディスの要請で保護した、カースタントの運転手。
彼は賞金稼ぎの力を借りる場合を想定した警察の指示により、あらかじめ避難場所を確保していたのだ。
「シルバ、メールは見たな? 通りの入口を右折してすぐ、スポーツ施設跡の倉庫がある。そこの駐車場に車を停めて合流だ!」
ハッサンの言葉を合図に、2台の車のエンジンが唸りを上げる。
目的地までは、僅か数十秒だ。
「……ぐおぉっ……!」
「……トロシディス!?」
装甲車から身を乗り出して銃撃戦に参加していたニコポリディスの部下、トロシディスは、防弾チョッキが無力と化すアサルトライフルの近距離狙撃を胸に受け、窓から転げ落ちる。
どうにか救助したい気持ちはあるものの、車の外はマコス達も加わった銃弾の嵐。
そして何より、胸への近距離被弾からの生還は絶望的だった。
これで、テロリストと警察の犠牲者はひとりずつ。
「皆集まれ! 早く!」
チーム・バンドーにチーム・カムイ、更に運転手を加えた11名は、駐車場から戦況を確認。
その結果、長距離狙撃が可能なライフルを持つテロリストの撃退が最優先であると全員の意思が統一された。
「さっきまでは、あの紫のスーツの奴等はいなかった。見た所敵みたいだが、5人なら警察が何とかするだろう。まず魔法で砂埃を立たせてくれ!」
運転手に急かされたハッサンとリンは、慌てて風魔法の準備を整える。
しかし、緊張感が高まり過ぎて、ハッサンとリンの呼吸がなかなか合わない。
「……ニコポリディスさん達まで吹き飛ばす訳にはいかないです。でも、手加減するとテロリスト達が反撃するかも……?」
「リン、ニコポリディスさん達を信じよう! テロリストに狙いを定めたら、全力でいっていい!」
リンの迷いを断ち切る様に、自身の責任で指示を出すバンドー。
彼のリーダーシップに口を挟む者は、誰ひとりとしていなかった。
「はい! はああぁぁっ……!」
ヨーロッパでも屈指の凄腕魔導士、ハッサンとリンが力を合わせた全力魔法。
両者から放たれる蒼白い光は、これまでに見た事のない巨大なスケールを感じさせ、その威力はバルセロナで出会ったフェリックス社の社長婦人、ナシャーラの魔法にも劣らないレベルを期待させる。
「ニコポリディス、上手くよけろよ……おりゃああぁぁっ……!!」
ハッサンのパワーで押し出された風魔法は、まさに砂埃を上げて大地を激走し、出来る限りの精度でテロリストを狙い撃ちした。
「な、何だこの風は!? うわああぁぁっ……!」
ライフルの重さで地面に這わされたテロリスト、ニーノとブルザイは頭から大量の砂を浴び、パパドプロスを車に押し込もうとしていたテロリストのうち、軽量級のシーフォは拳銃を手放して自身も風圧に吹き飛ばされる。
「くっ……風魔法か!? アテネにこのレベルの魔導士がいたと言うのか……!」
動画を撮影していた端末と拳銃、両方を吹き飛ばされそうになったアシューレは、やむ無く拳銃を手放してスクープ映像を守る事を選択した。
「くおおっ……! 舐めやがって……飛ばされるものか!」
流石に百戦錬磨のテロリスト、ガルシアは素早く地面に伏せ、どうにか自分の身と拳銃を守る。
「……よし、リン! もういいぞ! 倉庫に隠れろ!」
警察同士の銃撃戦をよそに、テロリスト全員をパニックに陥れたハッサンとリンは、全力の魔法を出した疲労を回復させる為、剣士と格闘家に後を託す。
だが、まだリンは風魔法を出し続けていた。
「……銃を……出来るだけ……遠くへ……!」
最後の力を振り絞り、ライフル部隊とガルシア以外の拳銃を倉庫にまで呼び寄せたリンは瞬間的に意識を失い、駆けつけたシルバの腕に倒れ込む。
「……ジェシーさん、ありがとうございます! 貴女の全力、絶対無駄にはしません! うおおぉぉっ……!」
シルバはリンを倉庫に寝かせ、ハッサンと運転手にその場を任せて全力でライフル部隊に突進を開始した。
「ケンちゃん、無理するな!」
「シルバ君!? ……よし、やってみる!」
一度はシルバを止めようとしたものの、バンドーはカムイ、ゲリエとともにデラスとパパドプロスを追跡。
そしてクレアはシルバの援護を決意し、ライフルの発射に合わせた火炎魔法発動の為、集中力を極限まで高める。
「くっ……ライフルに丸腰で突進とは、舐められたもんだな!」
ニーノとブルザイは、一見無謀な突進を試みている様に見えるシルバに対して、無意識のうちに2丁のライフルによる挟み撃ちに意識が集中していた。
「そりゃっ……!」
シルバはライフルの照準を混乱させる為、走る軌道を変えながらポケットのナイフをニーノに投げつける。
「何っ……!?」
突然、目の前に迫った物体を確認する暇のないニーノは、思わずライフルを発砲、その瞬間……。
「はああぁぁっ……!」
クレアの火炎魔法は、ニーノのライフルの銃口にいち早くヒット。
歪んだ銃声が上がり、巨大な火花がニーノの鼻先をかすめて暴発した。
「ぎゃああぁぁっ!」
顔面に大火傷を負い、もがき苦しむニーノ。
目の前の光景が信じられず、ライフルの発射準備が遅れたブルザイを上から踏みつけたシルバは、そのまま相手を羽交い締めにして両肩の間接を外す事に成功する。
「やった〜! 流石はシルバ君!」
「クレアさん、ありがとうございます!」
チームメイトの好連携を見せつけられたハインツは俄然競争心を煽られ、トレーニングを重ねたチーム・カムイの若手剣士、ミューゼルと2人でガルシアを追い詰めた。
「けっ、とんだ邪魔が入ったな。お前ら何者だ!? 2人がかりとは言え、剣で銃に勝てると思ってるのか?」
相手を挑発して反応を引き出す事により、連携を乱して反撃の道を切り開く。
ガルシアの狙いはまさしくそこだが、ストイックに剣術に打ち込む根っからの「剣の虫」、ハインツとミューゼルにその手は通用しない。
「ん? 今何か言ったか?」
ハインツとミューゼル、両者の剣は寸分違わぬタイミングでガルシアの右手首だけを徹底的に襲い、銃撃のチャンスを一切与えない。
「……どわっ……!」
2本の剣の圧力に足を滑らせたガルシアはたまらずその場に転倒し、その手からこぼれ落ちた拳銃はミューゼルによって倉庫の近くまで蹴り飛ばされた。
「カムイ! いくら悪党でも、パパドプロスはお父さんよ! 冷静になって!」
カムイの暴走を恐れ、すっかり見晴らしの良くなった通りを全力疾走するレディー。
その行く手に立ち塞がったのは、拳銃を失っても闘志に衰えを見せないフェリックス社の顧問弁護士、アシューレ。
「あんた誰? テロリストには見えないけど……どいて! あたしは急いでるの!」
見た目こそ艶やかだが、レディーのその身体と声のトーンを目の当たりにして、アシューレはどうにも違和感を拭えない。
「……お前……男なのか? それなら容赦しない。警官ではなさそうだが、俺を見くびると痛い目に遭うぞ」
格闘技をはじめ、あらゆるスポーツに精通するエリートであるアシューレは、ヌンチャクを構えたレディーにも臆する所を見せず、キックの体勢を整えた。
「……あら、遠目からは女だと思ってくれたのね。ありがと!」
アシューレの正直な感性に一礼し、レディーは先制攻撃とばかりに愛用のヌンチャクを振り回す。
「ハアッ……!」
ヌンチャクをかわす動作すら見せず、アシューレのハイキックはレディーのヌンチャクを直撃。
その正確な技術を受け、レディーはヌンチャクへの衝撃を受け流す為に大ジャンプを見せながら、後方へと間合いを取って着地した。
「……あんた、なかなかやるわね!」
「フン、俺のキックを受けたら、並の男なら武器を飛ばされている。どうやら強い奴と戦えるみたいだな」
久しぶりに訪れた、ビジネスから解放される瞬間。
アシューレの心は、窮地を迎えてむしろ熱く燃えたぎる。
「パパドプロス! 今日こそ貴様の最期の日だ!」
もはや、どちらが悪党なのか分からないカムイの台詞。
その言葉に苦笑しながらも、バンドーとゲリエは右足にハンディを抱える彼をあっさりと追い抜き、パパドプロスを車に匿うデラスとの勝負を前に、何やら言葉を交わしていた。
「ご苦労なこった。銃はなくても、お前みたいなチビデブには負けねえぜ」
2メートル近い長身に、100㎏に届くかという屈強な体格。
全身筋肉の鎧をまといながらも、デラスのその動作に鈍重さは見られない。
「チビデブで悪かったな。日系人は着ぶくれするんだよ!」
デラスの前に現れたバンドーは、何故かゲリエのものと思われる上着を着込んでおり、確かにいつもより横幅が広く感じられる。
「行くぞおぉっ……!」
両者のリーチの差を考慮すれば、バンドーは剣を抜いた方が明らかに有利。
だが、彼は敢えて格闘技で勝負するつもりなのか、愚直なまでに正面からのパンチを先制攻撃に選んだ。
「おおっと、パワーだけはあるみたいだな」
バンドーの先制攻撃を正面から受け止め、一瞬だが驚きの表情を見せるデラス。
しかし、百戦錬磨のテロリストをパワーだけで倒す事は出来ない。
「おりゃおりゃおりゃあ!!」
まるで何かにとり憑かれた様に、一心不乱のパンチ攻撃を繰り返すバンドー。
時には顔面、時にはボディーと、デラスもガードには忙しいものの、このままではバンドーのスタミナ切れは時間の問題だ。
「やれやれ、その気力がどこまで持つのやら……喰らえっ!」
半ば呆れ気味にバンドーを見下ろしたデラスは、両手の突っ張りから相手と間合いを取り、その長い足を振りかぶって前蹴りのモーションに入る。
「……今だゲリエ!」
バンドーはデラスが片足立ちになった瞬間を見逃さず、意図的に横幅を広げた自身の背後に隠れていたゲリエに合図し、自らは真横に飛んでデラスの視界から消えた。
「おうよ!」
体格の近いバンドーの背後で中腰の体勢を取るゲリエは、片足立ちのデラスに全力のタックルをぶちかます。
「どわああぁぁっ……!」
いくら屈強なデラスであろうと、元プロラグビー選手であるゲリエのタックルを片足だけで耐える事は不可能。
先程までの余裕は何処へやら、あっさりと大地に崩れ落ちた。
「やっちまえ〜!!」
またしてもどちらが悪党なのか分からない台詞を吐きながら、バンドーとゲリエは身動きの取れないデラスを袋叩き。
その怒濤の攻撃に、巨漢テロリストの全身は瞬く間に赤く腫れ上がっていく。
「あっ……いてっ! ちょっと!? やめてやめて! きゅうー」
最後だけちょっと可愛かったデラスは、やがてダメージに耐えられなくなり、少々の鼻血を出してぐったりした。
「パパドプロス、このクズ親が! 出てこい、隠れてないで出てこい!」
ようやくバンドーとゲリエに追い付いたカムイは、車に閉じこもったままのパパドプロスに怒りを爆発させ、ドアを叩いて1対1の勝負をけしかける。
「この野郎! 何処へ逃げようが、俺が地獄の底まで追ってやるからな……ぶおぉっ……!?」
実の息子からの執拗な罵倒に耐えられなくなったのか、パパドプロスは車のドアを蹴破り、ドアごとカムイにダメージを与えた。
「うるせえよ……この失敗作が!」
麻酔弾の効果もあり、未だ目は若干虚ろだが、その奥に燃え上がる憎悪の炎は決して息子に劣ってはいない。
超ヘビー級の親子による、まさにガチンコ一発勝負である。
「お袋の晩年は、弱った身体で貴様の悪事を詫びに回るだけの人生だった……よくのうのうと生き恥を晒せるもんだ」
「俺にガキはいらねえ。ガキが出来たと聞いた時、俺はタマキに堕ろせと言ったんだ! お前さえ、お前さえいなければ……俺は幸せだったんだ!」
パパドプロスの言い分は、子を持つ父親の意見として認めてはいけないだろう。
だが、その巨体が与える威圧感を考慮せず、思い通りにならない不満を表に出してしまう悪癖は、息子のカムイにも確実に受け継がれていた。
バンドーとゲリエは、アシューレ相手に苦戦するレディーの助太刀に入りたい気持ちはあったが、この因縁の勝負から目を離す事は出来ないのである。
「がああぁぁっ!」
「どうりゃあぁ!」
互いにノーカードの、顔面だけを殴り合う漢の一騎討ち。
半端ではない一撃の重み、そして意地と執念の重みに、両者の顔面は見るも無惨に膨れ上がっていた。
「……ぐはっ……!」
麻酔弾の効果か、それとも年齢的な体力の差か、先に片膝を着き、呼吸を乱したのはパパドプロス。
「カムイ! その辺でやめておけ! お前を過剰防衛で逮捕したくはない!」
両者の戦いに口を挟む余裕が生まれているニコポリディスは、パパドプロスを再逮捕する為に新しい手錠をカムイに投げつける。
テロリストの援護を失い、マコス達は頭数に勝る警察に少しずつ追い詰められていたのだ。
「……!? くそっ……!」
マコスは拳銃を警察の銃撃で弾き飛ばされ、ここで彼等の命運も尽きる事に。
ニコポリディスはカムイの元へと駆け出し、バンドー、ゲリエとともにパパドプロスを押さえ込みながら再逮捕を完了する。
「賞金稼ぎの皆には、全く感謝の言葉もないよ。君達の魔法とチームワークがなかったらどうなっていたか……。我々とギオルガトス署長の処分次第で体制が変わるとは思うが、君達の貢献は揺るがない。出来る限りの報酬を用意してみせる」
残る懸念は、レディーと互角以上に戦っているアシューレのみ。
だが、彼ひとりでこれだけの人数を敵に回す事は出来ない。
ニコポリディスの表情には、自身の未来がどうなろうと後悔がない程の充実感と達成感が滲み出ていた。
「ニコポリディス巡査部長! 後は我々が引き受けます。巡査部長はパパドプロスを連れて早く空港へ!」
「勿論俺も行くぜ! こいつが絶対に脱走しない様にしないとな!」
警察の動きに素早く便乗し、ようやく積年の恨みから解放された雰囲気が伝わる、カムイの満足気な表情。
パパドプロスがその気になれば、義足のハンディを抱えているカムイの右足だけを狙う事も出来たはず。
そんな彼が、敢えて実の息子との殴り合いに真正面から応じた結果、カムイの背負い続けた重荷は憎悪の墓場に埋められたのだ。
「レディーさんが苦戦してる! ゲリエ、助けに行こうぜ!」
カムイの心配が無用となったバンドーとゲリエは、全速力でレディーの助太刀に向かう。
「カムイ、ニコポリディスさん、自分も行きます! スペインの警察関係者に、自分の義父と友人がいるんです。何かのトラブルがあった時は、力になってくれますからね!」
シルバは自信たっぷりにアピールしたものの、疲労困憊のリンを置いてスペインに行く事を、実は一瞬ためらっていた。
しかしながら、スペインにはテロリストや汚職警官による罠が仕掛けられていない……とは断言出来ない。
ロドリゲス隊長やガンボアら、特殊部隊からの支援は、受けられるに越した事はないだろう。
「ああ、若い世代が力を貸してくれるのは素直に嬉しいね。もっとも今回は、思想的な意味じゃなく、重量的な意味でだが……」
すっかり動く気力を失ったパパドプロスを空港へ連行するには、カムイやシルバ並の体格を持った男が最低2名は必要。
ニコポリディスは照れ臭そうな笑みを浮かべながらも、自身の思想に共感して命を落とした部下、トロシディスの亡骸に歩み寄って深く頭を下げ、これから更に熱くなるアテネの空を見上げて気を引き締めていた。
「ハアッ……!」
息つく暇もない激闘を繰り広げていた、レディーとアシューレ。
アシューレ渾身のキックは、遂にレディーのヌンチャクを破壊し、両者の疲労はピークに達しようとしている。
「……はあ、はあ……あんた、一体何者なの? あたしがここまで手こずるなんて、武闘大会以来だわ……!」
「……お前こそ、女みたいな雰囲気に騙される所だったよ。賞金稼ぎなど、所詮はスポーツエリートになり損ねた落ちこぼれだと思っていたが……世界は広いものだな……!」
その現実的かつ冷酷な仕事ぶりが、見方によっては悪徳弁護士にも映るアシューレ。
だが、彼のルーツはひとりのアスリート。
1対1の勝負には、利害を超えた興奮を感じている様子だ。
「レディーさん、パパドプロスは空港へ向かったよ! もう、こいつと戦う必要はないぜ!」
ほぼ無傷のバンドーとゲリエが合流し、形勢は逆転。
スクープ映像こそその手に収めたアシューレだが、自身の味方はほぼ全滅。
加えて、パパドプロスを乗せて走り去る装甲トラックの姿まで確認してしまっては、流石の彼も落胆は隠せない。
「……仕方がない。レディーとやら、勝負は預ける。だが、パパドプロスは逃しても、これからこの世界は混迷を極めるだろう。最後に勝つのは俺達さ。さらばだ!」
アシューレは捨て台詞を吐いた後、自身のスーツのポケットから小さなスプレーらしきものを取り出し、辺り一面にぶちまけた。
「……!? 何だ……ゴホゴホッ!」
「どうしたバンドー!? ゲホッ! ……催涙スプレーか!?」
バンドーやレディーは勿論、やや離れたハインツやミューゼルまでもが目の痛みで視界を失い、その隙を突いて戦線から離脱したアシューレは、地面に押さえつけられていたガルシアを抱き起こす。
「……ガルシア、残念だが作戦は失敗だ! だが、この悔しさをエディに伝える人間がいなければならない。一緒に退却するぞ!」
「……アシューレか? 畜生、俺のせいだ! エディがいればこんな結果にはならなかった……」
その責任感から自身を責めるガルシア。
しかしながらアシューレの、いや、フェリックス社の真の目的は最初からパパドプロスではない。
「ガルシア、仲間の救済と裁判に関しては、俺とフェリックス本社に任せてくれ。それより、俺が今日撮影した動画は間違いなくこの世界を変えるぞ。こいつを新興宗教に利用して、民衆にこの世界への憎悪を植え付けるんだ。それはやがて、お前達の活動にも必ずプラスになって返ってくる。安心しろ!」
この一連の騒動は、元を辿ればギオルガトス署長の自己保身から拡大したもの。
テロリスト側で重罪が避けられないのは、警官トロシディスを射殺したニーノだけだが、彼は顔面に大火傷を負い、そもそもテロリストとしての復帰はほぼ不可能。
冷酷なテロリスト、エディ・マルティネスとフェリックス社にとって、この程度の被害は大したダメージではないのである。
6月28日・9:30
アテネ空港に到着し、マドリード行きの便を待つニコポリディス、カムイ、そしてシルバ。
空港の警備員も駆け付けて包囲されたパパドプロスには、もうここから脱走するチャンスは残されていない。
ニコポリディスは席を外し、空港の長距離用公衆電話からドイツで暮らす彼の娘、ミシュラウにコールする。
「……ああ、パパはやったよ。悪党は無事スペインに移送出来そうだ。……うん、そうだな。これで警察官も引退さ」
ミシュラウが成人し、自立して家庭を築くまで、警官組織のしがらみに耐えたニコポリディス。
時には治安と娘の安全を理由に、また時には、目先の報酬を理由に妥協し、決して胸を張れる人生ではなかった。
こうして公衆電話からしか娘にコール出来ないのも、組織から携帯電話の履歴を調べられるリスクを考慮した結果なのだから……。
「……ああ、パパは最後の最後に正義を通したつもりだが、それは結局パパの正義でしかないし、部下もひとり失ってしまった。だから、2〜3年は罪を被るかも知れないな。ミシュラウ、お前に正義を貫けとは言わない。ただ、自分が後悔しない人生を、思い切り生きてくれ……」
感慨に肩を震わせ、その目に涙を浮かべるニコポリディス。
その想いは、愛娘にも伝わった事だろう。
6月28日・12:30
カムイとシルバを除く賞金稼ぎ一同は、パパドプロスの移送成功を願って、そして何より自分達へのご褒美として、ホテルのレストランでランチのフルコースを満喫していた。
魔力の大量消費で疲労困憊だったハッサンとリンも元気を取り戻し、月末まで予約していた高級ホテルもキャンセル。
カムイとシルバが帰還するまでの間、各々が自由行動を取る事が検討されている。
「バンドー、これからどうするの? シルバ君なら、あたし達が何処に行っても追い付く土地勘があるだろうし、治安を考えたら、ギリシャから出た方がいいんじゃない?」
完全勝利とは言え、テロリストや汚職警官から復讐される可能性がゼロではないだけに、クレアはギリシャ滞在には否定的な様子だ。
「おい、バカ言うなよクレア! これからスコットの仕事を見に行って、そこにメナハムも顔を出すなら、新旧の凄腕剣士と戦える可能性があるんだ。俺にとっちゃあ、むしろ今からがギリシャ本番だぜ!」
「……え? 凄腕剣士のスコットって、ダグラス・スコットさんですか!? 僕、大ファンなんですよ! 今ギリシャに来てるんですね!」
ハインツの主張は、同じく剣の虫であるミューゼルの支持を得て、クレアの頭を更に悩ませてしまう。
「クレア、急ぎの用がないならオランダに寄らない? 最近、アルクマールにあたし達のアジトを建てたのよ。古い空き家がベースだから余り綺麗じゃないけど、のどかな場所で魔法の練習しても近所迷惑にならないし、世界的なチーズの名所なの!」
イスラム教徒のコミュニティーが多いオランダは、中東生まれのハッサンお気に入りの場所であり、チーム・カムイの第2ホームグラウンド。
レディーから出された思わぬ助け船は、無類のワイン好きで知られるクレアにとって、極めて魅力的なおつまみの宝庫だった。
「え!? チーズ!? チーズ大好き! お邪魔していいの? リンも行きましょう! たまにはのんびりした所で休まないとね!」
リンを強引に共犯者に仕立て上げようとするクレア。
つい先日まで、のんびりしたオセアニアで休んでいたはずだが……。
「そうだね、イスタンブールで俺達を狙っていたテロリストも、チームがバラバラに行動すれば困るだろう。俺はスコットさんの仕事に興味があるし、もしスコットさんを追ってパサレラさんが現れた時、どうにか穏便な決着が出来ないかと考えているんだ」
バンドーはチームのリーダーとして、テロのほとぼりが冷めるまでの個人行動を推奨するつもりらしい。
経験を通じてヨーロッパの友人が増え、様々な地域に顔が利く様になったチーム・バンドー、そしてバンドー個人の成長に裏打ちされた決断である。
「実は俺も、選手時代の友達の結婚式に呼ばれているんだ。少しの間、フランスに帰らせて貰うぜ」
ゲリエも個人行動を望んだ事により、彼はフランスに。
バンドー、ハインツ、フクちゃん、ミューゼルがギリシャ残留。
そしてクレア、リン、レディー、ハッサンはオランダに渡る事が正式に決定した。
6月28日・16:00
ギリシャ第2の都市、テッサロニキ。
この街の海沿いのモーテルに、屈強な2名のSPに軟禁されていたテロリストのリーダー、エディ・マルティネス。
彼はアテネから敗走したアシューレとガルシアを受け入れたが、その表情に怒りの色はなく、自身の軽率な行動がチームの混乱を招いた事を悔やんでいた。
「今回ばかりはお前らのせいじゃねえ。だが、チーム・バンドーが俺達にとって邪魔な存在だという事が確信出来たよ。もっと使える兵隊を集めないとな……」
ひと仕事を終え、SPはテルアビブのフェリックス本社に待機するヨーラムとの通信作業に取りかかる。
「ヨーラムだ。パパドプロスの奪回は失敗したそうだな。アシューレ、貴様がついていながらこの結果は残念だよ」
モニター越しのヨーラムは、相変わらず冷淡な表情を見せている。
しかし、その雰囲気にはどこか嘲笑的なニュアンスが含まれており、自身が見下されたと感じたアシューレは、即座に反論してこのイベントの成果を強調してみせた。
「ヨーラム、10名もの賞金稼ぎが魔法で警察に味方するなんて話は聞いていなかったぞ! それに、エディ達にとっては残念な結果だったかも知れないが、我が社の目的はパパドプロスの奪回にとどまらないだろう? 俺はガルシア達の協力を得て、世界を揺るがすだけの映像を収めてきたんだ! もう編集まで終えている。この映像をナシャーラ様に届けてくれ!」
やや語気を荒げながら、アシューレは手元の端末から撮影した動画をフェリックス本社に送信する。
「これを新興宗教の講演で流せば、民のギリシャへの不満……いや、この統一世界への不満が爆発するだろう。教団を通じて世界を変える革命の夜明けだよ。これを観れば、お前にも俺の言いたい事が分かるだけの頭脳はあるはずだ!」
両者のプライドが静かに火花を散らす中、眉間にしわを寄せながら渋々アシューレの映像を受け取ったヨーラムだったが、その中身を確認するにつれて、その目元には確かな笑みが浮かび上がっていた。
「……アシューレ、お前の言いたい事はよく分かった。この映像、早速母上に届けよう」
(続く)