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バンドー  作者: シサマ
55/85

第54話 仕組まれた襲撃

これまでのあらすじ



2045年、同時多発的な大災害に見舞われた世界は大打撃を受け、北米大陸、朝鮮半島、そして日本列島は地図から姿を消した。


故郷を失った人々は世界のあちこちに散らばり、自然との調和を求めて無駄な開発や競争を抑えた統一世界、EONP(アース・ワン・ネイション・プロジェクト)が始動。

銃器の厳しい規制で昔ながらの剣術が見直され、自然と対話する「魔法」という能力を身につけた新世代も登場した。


2099年、ニュージーランドの日系移民バンドー一族の農業青年、レイジ・バンドーは、農業以外の職業経験と幼馴染みの元軍人、シルバの捜索の為に、ヨーロッパへと旅立つ。


ポルトガルの地で、オセアニアではまだ馴染みのない賞金稼ぎの剣士として、「チーム・バンドー」を結成したバンドーは、仲間とともに経験を積み、シルバの両親の仇討ちを達成した事を一区切りに、故郷のニュージーランドへと里帰りする。


暫くは実家の手伝いをしながら、オセアニアの賞金稼ぎを育成していたチーム・バンドーだったが、ギリシャの友人、レディー・ニニスの要請を受けアテネへと出発。


しかし、それは新たな激動……統一世界転覆を企む大企業、フェリックス社の野望が動き始める序章だったのだ。


 6月26日・10:30


 アテネ空港のテロ騒ぎにより、やむ無くトルコのイスタンブールへと進路を変更されたチーム・バンドー。

 そこで彼等は、同じくアテネへと向かう予定だった伝説の名剣士、ダグラス・スコットと、武闘大会で親交を深めたトルコのギネシュ父娘に誘われ、アテネ行きを数時間遅らせる事に。


 その一方、機内でチーム・バンドーと情報を共有したギリシャの民放テレビ局スタッフ、マノラス一行は、不運にも空港バスのテロに遭遇して命を落としてしまう。

 

 チーム・バンドーがその事実をテレビニュースで知ったのは、悲しい事に、ギネシュ父娘との思い出話に花を咲かせた後だった。



 「マノラス……くそがああぁぁっ……!!」


 感情を抑えられないハインツは、招待されたギネシュ邸で暴れる訳にもいかず、肩を落として叫ぶ事しか出来ない。

 そんな彼にかけるべき言葉のひとつも探していたバンドー達の目と耳に、ニュース速報は次々と事実を運んでくる。


 「……バスの中には手榴弾らしき爆発物の残骸と、3人の遺体……。ジャンナコプーロスは出発直前にトイレに行ったりしていたし、バスの運転手とグルだったのかも知れないわ……」


 クレアはショックをどうにか振り払い、機内でもメールを打つ時間が長かったジャンナコプーロスが、テロリストと内通している可能性に言及した。


 「……偽の臨時送迎バスを前もって準備するなんて、計画的犯罪以外の何物でもありませんよ。恐らく、アテネ空港の爆弾テロ未遂を意図的に起こして、警戒の薄いトルコでテロを実行する計画があったんだと思います」


 軍隊時代の習慣か、日頃からテロリストの動向を追っていたシルバらしい冷静な分析。

 だが、バンドーはこの分析に合点がいかず、即座に疑問を呈する。

 

 「……でもケンちゃん、だとしたらテロリストの狙いは、アテネに急いでいたマノラスさん達か、俺達かって話になるよね。俺達を狙うのは、恨みを買ったフェリックス社繋がりの悪党くらいだ。でも、フェリックス社はマノラスさん達のスポンサーなんだろ? なら、俺達がバスに乗っていない時点でテロは中止していたはずだよ。大変な事になるんだから」


 バンドーの疑問もまた、彼の冷静な分析のもとに導き出されていた。

 

 マノラス達はここ暫く、ギリシャを離れてオセアニアで取材をしていた為、テロリストが恐れる様な情報を掴んでいたとは考えにくい。

 ハインツとリンもバンドーの意見に大きく頷く中、シルバだけはある確信を掴んだとおぼしき険しい表情で、独り言の様に呟く。


 「……エディ・マルティネス……。奴の正体はルベン・エスピノーザで間違いありません。奴は軍隊時代の自分だけでなく、弟のダビドを逮捕に追い込んだチーム・バンドーへの復讐の為なら、手段を選ばないでしょう。例えそれが、奴の雇い主を裏切る事になったとしても……!」


 再会からの楽しい時間が一転、重苦しい沈黙に包まれるギネシュ邸。

 しかしながら、これからアテネへと向かうチーム・バンドーは勿論、自身の信念を貫き通す事に何の恐れも抱かぬ男、ダグラス・スコットも、計画をこれ以上先延ばしにするつもりは毛頭ない。



 6月26日・11:00


 「兄上、これは一体どういう事だ!? 最悪の場合、チーム・バンドーはおろか、ダグラス・スコットまでがテロの犠牲になったかも知れないんだぞ! テロ計画やエディの管理は兄上の仕事だろ? これでは俺の仕事にも差し支えるじゃないか!」


 テルアビブの本社から、ギリシャに拠点を置く配下のテロリスト、エディ・マルティネスに計画の指示を出しているのは、フェリックス家の長男、ヨーラム・フェリックス。

 その弟である剣士メナハムは、自らがリスペクトする伝説の名剣士、ダグラス・スコットの近くで発生した想定外のテロを前にして、普段の冷静な物腰からは想像もつかない怒りを爆発させていた。


 「……すまない。今回の件は私の不覚によるものだ。少しばかり、エディを甘やかし過ぎていた様だな……。早急に改善させる、安心しろ」


 剣の腕は超一流だが、政治や経済に疎い弟メナハムに対し、日常的に上から目線でものを言う兄のヨーラム。

 だが、そんな彼も今回ばかりは自分の非を素直に認めている様子。


 

 ヨーラムをはじめ、フェリックス社が本業と並行して進めているテロや新興宗教、兵器とドラッグ密輸の目的。

 それは、ロシアを中心に50年に渡り続いてきた統一世界、EONP(アース・ワン・ネイション・プロジェクト)の転覆。


 言い換えるならば、彼等の更なる野望は、今は亡き旧アメリカ合衆国財閥の残党とイスラエルによる、新たなるEONP(アース・ワン・ネイション・プロジェクト)の確立と言って間違いないだろう。


 だが、これまで軍や警察施設の跡地などをターゲットに選び、一般人の被害を最小限に抑えてきたフェリックス社のテロ行為に、今回綻びが生じてしまう。

 テロリスト、エディ・マルティネスが自身の権限を飛び越え、チーム・バンドーへの敵意を暴走させてしまったのだ。


 「メナハム、我々は既にエディを通してアテネ警察を手懐けている。ギリシャの地方都市で小規模テロは起こしても、アテネでテロは起こさない密約だ。空港のテロ未遂は、言わば警察が疑われない様にするアリバイ作りとして、エディからの提案を私が許可した形だが、こんな裏があったとはな……。暫くエディを軟禁しておく」


 エディ・マルティネス、本名ルベン・エスピノーザは、弟のダビド同様に格闘技の心得こそあるものの、身長170㎝にも満たない小柄な体格だけに、凶器を剥奪し、屈強な見張りを付ければ恐れるに値しない……。

 

 ヨーラムはこの時点で、まだそう考えていた。


 「……メナハム、そう熱くなる事はありません。テロリストというものは、自身の空虚な人生を変える術を持てない環境に置かれ続けてきたのです。裏を返せば、テロを回避したダグラス・スコットやチーム・バンドーには、人生を好転させる運や縁、そして力があったと言えるでしょう」


 メナハムの隣で息子同士のやり取りを静観していたナシャーラは、時に母親らしく、時に新興宗教の教祖らしく、達観した思想による仲裁を買って出る。


 しかしながら彼女の思想の中には、テロの犠牲となったマノラス達への憐れみや、自身と関連のない者の立場を思いやる、情の様なものは存在していなかった。



 6月26日・12:00


 「それじゃあハカン、スコットとバンドー君達を頼んだぞ!」


 「リンさんも気を付けて。無茶はしないで下さいね!」


 ギネシュ父娘に見送られ、チーム・バンドーとスコットはチーム・ギネシュの荒くれ者、ハカンの運転するトラックに乗り込み、一路アテネへと出発する。

 

 第一線を退いた現在に於いても、飛び入りの挑戦者が後を絶たない伝説の名剣士スコットは、自らが代表を務める建設会社の仕事の出張にも剣を持ち歩く毎日。

 しかしながら、自己中心的な挑戦者を表面上は疎ましく思いながらも、他ならぬスコット自身がその生活を楽しんでいた。

 


 「ハカン、これお前のトラックなの? 凄いな! ストリートファイトってそんなに稼げるのか!」


 「おいバンドー、冗談はよせ。こいつはギネシュの親父の持ち物だよ! 膝と視力が弱ってきた親父に代わって、俺がドライバーになったまでさ。トルガイやユミトと違って、俺はまだ剣士としても格闘家としても暇だからな。あ~あ!」


 速度超過も何のその、近隣の道路を知り尽くしたハカンは、猛スピードの合間にもバンドーと言葉を交わす余裕を見せつける。


 

 思えば武闘大会の準々決勝、バンドーの初めての対戦相手がこのハカンだった。

 

 今振り返ると、互いに何と非効率な、アマチュア丸出しの試合運びであった事か。

 それでも、慣れない剣で初めて得た勝利が、その後のバンドーの成長を後押しした事に疑いはない。


 「ギネシュの親父は、ストリートファイトばかりの俺がチームに入る前に、社会人としてのスキルを身に付けさせてくれたんだ。今のヨーロッパじゃあ、車の免許取得なんて安くないのによ。だから、親父が剣士を引退した今、俺が親父みたいな人間にならないといけねえ。勿論、剣士か格闘家だけで食える様になりてえけどな!」


 

 武闘大会を最後にギネシュが剣士を引退した後、チームNo.1の実力者であるユミトはギネシュの末娘メロナと関係を深め、いずれはギネシュ姓を継ぐと見られている。

 

 だが、ユミトはその前に、マフィアである実家との関係を清算しなければならない。

 トルコで既に凄腕の剣士として地位を確立していた彼は、マフィアからの財産分与を拒否し、晴れてひとりの剣士として独立する為の法的手続きに入ったのだ。


 また、もうひとりのチームメイトである格闘家のトルガイは、その端正なルックスも手伝って一躍人気者となり、リンの兄、ロビーとの試合をはじめ、現在はチーム・ギネシュに合流する暇もない程の多忙ぶり。

 

 だが、元来世俗的な成功には無頓着なトルガイ。

 自身のブームが一段落すれば、やがて勝手知ったる「本来の居場所」に戻ってくるだろう。


 

 「……あ! 宮殿っぽいの見える!」


 走り去るトラックの窓から覗く、著名な観光地に反応したのはクレアだけ。

 ハカンと旧交を温めているバンドーは一時的な例外として、チーム・バンドーにもスコットにも、テロの強行とマノラス達の死は暗い影を落としていた。



 6月26日・17:30


 ギリシャ第2の都市、テッサロニキ。


 北部の海岸沿い、高級住宅に隠れてひっそりと佇む簡素な作りの安モーテル。

 ここの一室に、配管工を装ったテロリスト、エディ・マルティネスが今、仕事を終えた筋書きをなぞりながら帰宅しようとしている。


 自らの羽振りの良さを、これ見よがしにアピールする傾向にある悪党の慣習から考えると、この住居選びは意外に思えるだろう。

 しかし、テッサロニキでは少数派であるスペイン系の顔立ちで、薄汚れた作業着を身にまとい、大きな工具箱を抱えた小柄な彼の素性を疑う者は、少なくともこの街にはいなかった。


 

 「……!? 誰かが一度、鍵を開けてやがる……!」


 外出時、鍵穴に機械油を塗る事を日課にしているマルティネスは、油の膜で出来た気泡が潰れている現実を見逃さない。

 誰かが部屋を物色したか、今現在来客がいる事になる。


 だが、その後のマルティネスは顔色ひとつ変える事なく、工具箱を開いて中からタオルに包まれた拳銃を取り出し、もう片方の手で工具箱の隅にあるゴルフボールを握り締めた。


 住居内でひとりの人間を暗殺するテロの基本は、ドアの裏側に仕込まれた爆弾である。

 

 ドアの押し引きに反応して爆弾が作動する仕組みだが、このモーテルのドアは押戸。

 開閉関節のある左上に強い衝撃を与える事により、精巧な仕組みの爆弾であればある程、いち早く爆発を導く事が出来るのだ。


 マルティネスはドアから距離を取り、右手のバックハンドフォームから開閉間接付近にゴルフボールを投げつける。


 ドゴッ……

 

 人気の少ない安モーテルに乾いた打撃音が響き渡り、そして暫しの沈黙……。

 爆発の危険性を払拭したマルティネスが、ゴルフボールと拳銃を工具箱に戻したその瞬間、ドアの向こうから聞き馴染みのある声が聞こえてきた。


 「ヨーラムだ、話がある」


 

 「……おい、テルアビブにいたんじゃねえのか!?」


 ヨーラムの声を聞いた瞬間、眉間にしわを寄せ、唇を尖らせたマルティネスが勢い良くドアを蹴破る。


 「テッサロニキとテルアビブは姉妹都市だ。ギリシャとイスラエルの貿易の歴史もある。もっとも、私のレベルになれば全て顔パスの最速移動だよ。……私が急いでここに来た理由、貴様には心当たりがあるだろ!」


 殺気すら感じさせる険しい表情。

 ヨーラムは拳銃を構え、両脇に屈強なボディガードを従えていた。


 「……ちっ……。よくこのモーテルに俺が隠れていると分かったな」


 銃を構えたヨーラムを前にして、反射的に工具箱を床に置き、両手を上げるマルティネス。

 

 今回のテロが起こる直前まで、マルティネスはヨーラムから与えられた、アテネの訳ありセレブが集結する高級マンションで暮らしていた。

 現在に於いても、重要な通信はそのマンションから発しているマルティネスに、拠点の変更を知られる落ち度はなかったはずなのだが……。


 「フェリックス社を甘く見るなよ、エディ。バスの運転手とジャンナコプーロスを捕らえて尋問させて貰った。貴様がチーム・バンドーに個人的な恨みがある事は知っている。だが、何故マスコミしかいないバスを爆破した!?」


 「……さあな。俺はチーム・バンドーが、イスタンブールからすぐに空港バスでアテネに向かうと読んでいた。だから奴等を消せと仲間に指示したまでだ。だが、ジャンナコプーロスとしても、ウザい上司を葬れるいいチャンスだったんだろうよ。チーム・バンドーがいないなら、俺に連絡があってもいいもんだが、なかったのさ。奴等の単独行動だよ」


 マルティネスは、ヨーラムの追及を努めて冷静な態度でかわし、入室と同時に顔の高さまで上げていた両手を下ろそうと試みる。


 「……おっと、まだ両手はそのままだ! おい、ジャンナコプーロス。今のエディの話に嘘はないか?」


 ヨーラムは彼の膝に置かれた、携帯電話とはまた別のフェリックス社開発と思われる、モバイル端末に向かって話しかけた。


 『嘘だ! 俺はちゃんとイスタンブール空港のトイレから、チーム・バンドーがアテネ行きを遅らせる事実を連絡した! だが、エディからの指示はテロを決行して、罪悪感でチーム・バンドーを追い詰めろという内容だった!』


 ヨーラムのモバイル端末は、ジャンナコプーロスの声だけではなく、小さな液晶画面に浮かび上がる、彼の怒りの表情までを鮮明に映し出している。


 「……けっ、テレビ局の後はフェリックス社入社かよ! 腰抜けが!」


 何処か力なく、仲間からの怒りを受け止めるマルティネス。

 彼等の人生に於いて、自分に有利な立ち回りを選択する運命の瞬間は枚挙に(いとま)がなく、恐らくはその選択が当人の生死を左右してきたはずだ。

 

 肩を落とし、表向き観念した様子を見せるマルティネスを、ヨーラムは勿論信用した訳ではない。

 しかしながら、フェリックス社の野望実現の為には、前線で暗躍する汚れ役が必要である事もまた事実である。


 「……エディ、貴様はまだ殺すには惜しい男だと認識している。今はまだギリシャや東欧といった貧しい地域だけだが、いずれはドイツやフランス、最後は勿論ロシアにまでテロを広めるつもりだ。その時までに、貴様には優秀な部下を育てて貰わねばならない。少しの間、大人しくしておけ」


 ヨーラムは左右に従えたボディガードに合図して床の工具箱を奪い、他の凶器や資料の捜索、部屋の細部の撮影など、マルティネス軟禁の準備を始めた。


 「……貴様が熱望した囚人、パパドプロスの奪還計画に関しては、代わりに我が社から人材を派遣する。貴様が警察署長に話をつけてくれたお陰で、ひとりの犠牲者も出さず、穏便な襲撃が可能だろう。そこは感謝しているぞ」


 ヨーラムは、マルティネスが自身の兵隊候補として高く評価するアンゲロス・パパドプロスをフェリックス社で懐柔し、いずれはマルティネスの代役に仕立てるつもりなのだろう。

 マルティネスは怒りで生気を取り戻し、ヨーラムに向けて堂々と中指を立ててみせる。


 「パパドプロスは、温室育ちのテメエらの手に負えるタマじゃねえ! 逆に全滅させられても俺に泣きつくんじゃねえぞ!?」


 「くっ……こいつを黙らせろ!」


 流石のヨーラムも我慢の限界か。

 激昂してボディガードに指示を出した(のち)、屈強な体格から叩きつけられる鉄拳を喰らうマルティネスの姿を眺め、フェリックス社の御曹司はひとり溜飲を下げていた。



 6月26日・20:00


 「そろそろアテネだぜ! 皆、起きてるか?」


 治安の悪化に加えて、空港のテロ騒ぎ。

 本来ならば繁華街のかき入れ時にも、アテネ中心部の人影は(まば)ら。

 

 夕食以外は休憩らしい休憩も取っていないハカンだけが、その豪快な叫びでタフガイぶりを見せつけていた。


 「……ハカン君、今日は本当にありがとう。お陰様で、ぐっすり眠る事が出来たよ」


 ハカンの叫びに最初に応えたのは、意外にもスコット。

 並の人間であれば、今日1日は精神的に穏やかではいられない状況のはずだが、道中を殆ど眠って過ごし、体調を万全に整えたそのメンタルは流石、伝説の名剣士である。


 「ありがとうハカン! レディーからのメールだと、アテネ駅正面口を右手に見て真っ直ぐ800メートルで高級ホテルが見えるわ。そこにカムイ達もいるみたい。そこまでお願い!」


 クレアは道中、レディーにメールで事情を説明し、待ち合わせの詳細を詰めていた。


 「単なる待ち合わせが高級ホテルとは、ギリシャのトップチームは違うな!」


 マノラスの悲劇をひととき忘れる為、カムイ達との再会に気持ちを高めていたハインツは、隣にいるバンドーと積極的に冗談を飛ばし合う。

 

 「……レディーさんの頭には、人気(ひとけ)のある場所に泊まればカムイさんが暴れにくいという想定もあったんだと思います。あの人のパワーなら、小さなホテルだと壊してしまうかも知れませんし……」


 親分肌で頼れるキャラクターだが、少しばかり粗野な部分も目立つカムイを、少々苦手にしているリン。

 カムイにとって常に憎悪の対象だった父親が絡んでいるとはいえ、リンは彼が本来わきまえている分別に期待している様子だ。

 

 

 「『エレクパレー』……あそこだわ!」


 クレアが指差すその先には、まるで古来の神殿がライトアップされたかの様な美しいホテルがそびえ立つ。

 その外観は勿論、立地を考えればアテネを代表する高級ホテルとみて間違いないはずだが、空港テロ騒ぎの影響なのか、このスペックをもってしても明かりのつかない空室が点在している。

 

 「……ギリシャ人以外のセレブも宿泊している様ですね。ホテルに缶詰めのカムイはさぞ不満でしょうが、テロ騒ぎもあって下手な動きは出来ないレベルの警備がなされています。レディーさんの狙いは成功と言って良いのでは?」


 かつてカムイがリンにちょっかいを出したからではないだろうが、レディーの作戦がカムイの暴走を上手く防げている事に、シルバが何処となく満足気な表情を浮かべている様に見えた。


 ハカンはホテルの駐車場にトラックを乗り入れ、見慣れぬ大型車を警戒する警備員に愛想笑いを振りまきながら、適度な距離間を保ってバンドー達を下車させる。


 「バンドー、ヤバくなったら遠慮なく連絡しろよ。いつでも迎えに行くぜ!」


 剣を交えた者同士、拳を交えた者同士。

 ハカンの最後の言葉は、チーム・バンドー全員の心に、同じ舞台を経験した者同士の友情が今の自分達を支えているという現実を、改めて刻み付けていた。


 バンドーはハカンと固い握手を交わし、敢えて自らの決意を示す。


 「ハカン、ありがとう! でも、今朝のテロで分かったよ。俺達はとうとう狙われる立場になった。お前やギネシュさんに甘えたら、皆に迷惑がかかると思う。少なくとも、俺達を狙うテロリストだけは何とかしてみせる!」



 6月26日・21:00


 警備員に事情を説明し、武器を預け、更にしつこく付きまとわれながら、どうにかホテルのフロントに辿り着いたチーム・バンドー。

 そこには既にレディーが待機しており、明かりのつかない空室が、実はチーム・バンドー用に予約されていたという事実を知らされた。


 「クレア、バンちゃん! 来てくれてありがとう!」


 カムイの情緒が不安定である為か、レディーも心労で幾分やつれた印象はあるものの、チーム・カムイが集結してから、カムイの見張りは強力な魔法が使えるハッサンの仕事になったらしい。

 ギリシャでは既に地位を確立しているチーム・カムイのレディー登場で、つい先程までチーム・バンドーを警戒していた警備員達も、蜘蛛の子を散らす様に持ち場に戻っていく。


 「俺達もヨーロッパに戻らなきゃいけなかったし、旅費がチャラになるくらい高級なホテルに泊まれて感謝しているよ! ……でも、これから俺達と一緒は危険かも知れない……」


 レディーとの再会を喜ぶバンドーだったが、テロの犠牲になったマノラス達の顔が頭に浮かび、やがてその表情は曇ってしまった。


 「事情は聞いたわ。あのバスに、バンちゃん達が乗る予定だったのよね……。こんな事になってしまってごめんなさいね……あら? そこの女の子と、隣の渋いオジサマは誰?」


 申し訳なさそうな表情から一転、一般客にしてはチーム・バンドーと距離が近過ぎる少女とナイスミドルの姿に、相変わらずメイクバリバリの目を白黒させるレディー。

 

 武闘大会でチーム・カムイと対戦した時には、既にフクちゃんは人間の姿になっている。

 とは言うものの、当時のフクちゃんはまだ戦いには参加しておらず、レディーと直接の面識はない。


 「……あ、この娘は……俺の妹だよ。フクちゃんって呼んでくれ。まだ未成年だけど、魔法学校から飛び級のスカウトが来るレベルの魔導士さ! そしてお隣は、かつては剣士ランキング1位の常連だった伝説の名剣士、ダグラス・スコットさんだよ! たまたまアテネで仕事があったみたいで、ギネシュさんの縁で同席したんだ」


 神をも欺く行為とは、まさにこの嘘に他ならないのだが、フクちゃんと同行する事の多いバンドーとリンは、既にこの嘘に対して罪悪感が薄れていた。


 「そぉ〜なの!? バンちゃんにこんな可愛い妹さんがいたなんて驚きだわ! それからスコットさん、お会い出来て光栄です! お名前はギリシャでも広まっていますし、ウチのミューゼルなんかはサインねだるかも!」


 家具職人から格闘家へ、生命の危機からやむを得ず転身した過去を持つレディーには、正直スコットがどれ程の人間なのか、ピンと来ないかも知れない。

 だが、伸び盛りで何事にも勤勉なチーム・カムイの最年少剣士、ミューゼルにとって、恐らくスコットは最高のお手本だろう。


 「……レディーさんとやら、すまないが私はここに泊まる訳ではないんだ。近くに仕事仲間が待っているから、剣を返して貰ったら失礼するよ。バンドー君、また市内で会った時は宜しく」


 「はい、スコットさんもお気をつけて……って、そんな心配要らなそうですけどね!」


 一見して屈強な体格に、隙のないオーラ……。

 夜道のスコットを心配するバンドーが道化になる程の笑いをその場にもたらし、伝説の名剣士はアテネの街並みに姿を消した。



 6月26日・21:30

 

 「……お前らも暇なパーティーだな。俺が幾らパパドプロスを憎んでいるからと言って、自分から進んでブタ箱に入ったりはしねえよ!」


 ホテルの一室に集まったチーム・カムイとチーム・バンドー。

 カムイの高圧的な口調は相変わらずだったが、それが本心ではない事が顔に出てしまう正直さも相変わらずである。


 「あらあら、お客さんが来たらいい子になっちゃって……。今でも昼間はあたしとハッサンが何とか脱走を防いでいるくらいで、カムイは落ち着かないのよ!」


 元来男性ではあるものの、家庭の事情で女性として育てられたレディーは、もはやカムイのカミさん的存在。

 

 カムイがリンにちょっかいを出した事がある様に、カムイ本人の好みはおしとやかで自分を立ててくれるタイプの女性であると、レディーも理解してはいるだろう。

 しかし、そんな女性では彼に振り回されて不幸になってしまう可能性があり、30歳のカムイも未だ独身のまま。


 何よりカムイは、自分の妻タマキ、そして息子の彼を振り回した悪漢パパドプロスの息子であり、その戦闘能力は見事なまでの遺伝なのだから……。


 

 「……カムイ、パパドプロスの罪状は見た。あの容疑が全て本当なら、死刑でもおかしくない悪党だな。だが、俺達は所詮(しょせん)、剣や魔法にしか頼れない賞金稼ぎだ。そんな俺達が、銃や爆弾を持つテロリストと警察の間に割り込んだ所で、吹き飛ばされるのがオチだろ? お前程の剣士が、何故そんな無謀な事を企むんだ?」

 

 バンドーをはじめ、他のチームメイトがチーム・カムイとの再会の社交を終える前から、ハインツは誰もが抱く疑問に直接斬り込んでいた。


 「近年、ギリシャの警察や議会は、目前の大金をちらつかせる企業や悪党に屈服し続けている。ギリシャから他の地域に移送された悪党のその後は、移送先でも極秘事項になっていて閲覧出来ねえ。何よりここ数年、本物の悪党は移送中にテロリストに襲撃されて行方不明になっているのにもかかわらず、警察側はその際の死者や重傷者の発表をしていないのさ……この意味、分かるか?」

 

 「……まさか、警察や議会がテロリストと裏で談合して、穏便に移送犯を引き渡している……という事ですか!?」


 不敵な笑みを浮かべるカムイの説明に、驚愕(きょうがく)を隠せないシルバ。

 軍隊でテロリストを長年追い続けた経験を持つ、彼自身が想定したくもない最悪の事態が、ギリシャでは現実なのだろうか。


 「俺達はな、お前らが見つけやすいだとか、そんな理由でこのホテルに待機している訳じゃねえんだ。ちょっとこっちに来てみろ」


 カムイはソファーからゆっくりと立ち上がり、窓のブラインドを上げてアテネの夜景を改めて見せつけた。


 「……え? 特に変わった所はない様な気がするけど……」


 ギリシャ初上陸のバンドーには、アテネがヨーロッパ屈指の都会だという事以外の情報はない。

 何処を見渡しても、故郷のカンタベリーの様な街灯も当たらない土地など存在しないはず……いや、僅かに存在している。


 「バンドーさん、奥の通りが一本だけ真っ暗です! アテネ駅側の高級ホテルから、こんな眺めが見えるなんて……!」


 リンの指差す先には、繁華街のネオンが一本の黒い道を挟み込む、異様な光景が広がっていた。


 「自分が昔、軍でアテネに来た時は、こんな一本道はありませんでした……。確か、大きなスポーツ施設があったはずですが……」


 必死に自身の記憶を呼び起こそうとするシルバを横目に、カムイは腕を組んで深く頷いてみせる。


 「そうだ。数年前まではスポーツ施設があった道だ。まあ、景気の悪化で施設が閉鎖し、取り壊されるなんて事はざらにある。だがよ、アテネの一等地が何年も手付かずで、通りそのものが無かった事にされているのは、流石におかしいだろ?」


 「フェリックス社をはじめとして、他所(よそ)の企業もアテネには沢山進出しているのに、何故……。これじゃこの通りの治安は最悪なんじゃないの?」


 クレアの実家は東欧屈指の財団。

 当然、地域の繁栄が見込まれれば、他の地域から進出してきた企業にも投資は行っている。

 そんな彼女には、ただでさえ財政難で、外部からの投資に頼らなければならないはずのギリシャが、繁華街の一等地通りを敢えて空けている意味を理解する術はなかった。


 「ああ、あの通りはストリートギャングの抗争や、ドラッグの取引で昼間から賑わっているよ。そして、堅気の連中が寄り付かない事から、警察と犯罪者、両極端の勢力の専用道路になっている。そして何より、この道がアテネ警察や刑務所と、アテネ空港の間にあるのさ」


 「……つまりこのホテルの、この部屋から見張ってさえいれば、パパドプロスさんの移送に関するカムイさんの欲しい情報が、全て手に入るという訳ですね……」


 道中から殆ど口を開く事のなかったフクちゃんが、完璧なタイミングで決め(キラー)一文(センテンス)を放つ。


 「お嬢ちゃん、バンドーより賢いじゃねえか!」


 「おいこら、ひと言多いんだよ!」


 思わずバンドーもカムイに本気の突っ込みを入れ、この瞬間に両チームに残っていた緊張感は一気に解消された。



 「……つまりだな、カムイはあの通りで、テロリストの襲撃を装ったパパドプロスの譲渡が穏便に行われると踏んでいるのさ。まだ警戒が緩い段階でこっちが現場に割り込み、パパドプロスを議会決定通りにスペインの警察に突き出す……。ま、カムイがパパドプロスを前にして手を出さずにいられるかどうか、分からないがな……」


 カムイの見張りに神経を酷使した為か、その顔に疲労の色が隠せないチーム・カムイの魔導士、アリ・ハッサン。

 既に現場の介入までは容易(たやす)く出来る、とでも言わんばかりの彼の話しぶりは、チーム・バンドーの困惑を悪戯(いたずら)に深めている。


 「……皆さん、随分自信満々に見えますけど、いきなり賞金稼ぎが現場に現れたら、双方から別のテロリスト扱いを受けるのではないでしょうか……? 警察に話を通しているんですか?」


 自分の懸念が取り越し苦労であればいい。

 そう願いながらも、リンの言葉はチーム・バンドー共通の疑問だ。


 「……カムイは、あたし達の知らない所で警察の移送グループのリーダーと話がついているって言うのよ。何でも、パパドプロスを最初に逮捕した時からの付き合いだって……。でも、自己保身なのか知らないけど、これまで移送の疑惑がありながら警察に残っている様な人間を、信用出来ると思う?」

 

 「レディー、御託(ごたく)並べはそこまでにしろ! ニコポリディスは信頼出来る男だ。定年退職前に、命を懸けて警察官の誇りを貫こうとしている」


 普段にも増して険しい表情のカムイ。

 ニコポリディスというベテラン警官とは、チームメイトも知らない強い絆があるらしい。


 「……退職警官最後の意地か……。残念だがカムイ、俺達はバレンシアで、そんな警官に危なく殺されかけたぜ。ラモスって奴にな」


 ハインツは軽くため息をつきながら、地元で『刑事の鑑』とまで呼ばれたベテラン警官が、退職後の移住費用の為にマフィアと手を組んだ事例を告白。

 その一件で知人のマグヌソンを失ったクレアも、個人を盲信する危険性を訴えた。


 「……くっ、だから余計な奴等を呼ぶなとレディーに言ったんだ! 取引には俺ひとりで行く。お前らはここから一部始終眺めていればいい!」


 すっかり意固地になり、背中を向けてふて寝を始めてしまったカムイ。

 彼がここまで自己中心的な行動を取る程に、父親のパパドプロスへの感情は複雑極まりないのだろう。


 「……カムイは意地を張ってるけど、魔法の後方援護くらいは必要だよな。レディーさん、今は俺もクレアも少し魔法が使える様になったんだ。折角ここまで来たんだし、俺達もいざという時の為に少し離れて待機するよ。皆が隠れられる車とかある?」


 バンドーは周囲と軽く言葉を交わしながら、チームメイトがカムイを見捨てるつもりはない事を確認。

 カムイがトラブルを起こしそうな時には、魔法で相手を混乱させている間に表通りに逃げ込む計画を提案した。


 「バンちゃん、みんな……ありがとう! あたし達はハッサンの車で行くわ、バンちゃん達は用心の為に、ゲリエの車で少し後から現地に来て!」


 体よく2台の車が用意されている所を見ると、カムイを説得出来なかった時には、レディー達も似たような計画を立てていたのだろう。

 ふて寝したカムイを除く面々は、今一度再会を祝って交流し、チーム・バンドーはレディーが予約していた3室のダブルルームへと向かう。



 2月26日・22:30 


 「ニコポリディス君。明日中にはどうにかパパドプロス移送の準備が整いそうだ。決行は人出を避けて、明後日の早朝という事にしたいのだが、それで良いかね?」


 毎日絶える事のない喧騒からようやく解放された、深夜のアテネ警察署。

 普段は定時早々に引き上げるギオルガトス署長も、パパドプロスの移送という一大プロジェクトを控えて、周囲に最後の根回しを進めていた。


 「了解です、ギオルガトス署長。私も退職が近い身ですので、これが最後の大舞台という覚悟を持って、必ず移送を成功させてみせます!」


 如何にも模範的なベテラン警官といった、ニコポリディス巡査部長の返答。

 彼は歴代署長の右腕として、時には熱い正義を燃やし、また時には必要悪の執行人として、冷徹に職務を遂行している。


 「……君ほどの優秀な警官の最後の大舞台が、この様な妥協の産物になってしまって、誠に申し訳ない。エディには発砲や恫喝を抑えて、穏便に物事を進める様に伝えてある。安心してくれたまえ」


 エディ・マルティネスを名乗る凶悪なテロリスト、ルベン・エスピノーザに恐喝され、パパドプロスの譲渡を余儀なくされたアテネ警察。

 だが、ギオルガトス署長を含めた警察上層部と議会の度重なる不正や汚職により、その無念さは警察組織から薄れてしまっていた。

 

 一部の有志を除いては……。


 「……ギオルガトス署長、今までありがとうございました。私の警官人生、納得出来ない事も多かったですが、組織の為に耐えてきた事に後悔はありません。今回、最後の大舞台で警察官の矜持(きょうじ)を見せて引退したいと考えております」

 

 ニコポリディスの口から、「警察官の矜持」などという言葉を、今まで聞いた事はない。

 突然の事態に、ギオルガトス署長は血相を変えて彼にその真意を訊き返す。


 「……私が幼い頃から憧れていたものは、テロリストの手下ではありません。悪党と戦う警察官なのです。パパドプロスは閣議決定通り、必ずスペインに移送します。既に部下も、パパドプロスの看守を含めて私に賛同してくれる者のみを揃えました。例え私が命を落としても、ギリシャからパパドプロスを追放してみせます!」


 「……ま、待ちたまえ!」


 ニコポリディスの固い決意を覆す時間さえ与えられず、通話終了を最後に部下からの信用を完全に失ったギオルガトス署長。

 何の反応もなくなった受話器を茫然と見つめながら、やがて自己保身の意欲に囚われた彼は、この人生最大のピンチを切り抜ける策を必死に絞り出そうとしていた。



 ニコポリディスが閣議決定通りにパパドプロスをスペインまで移送した場合、ギオルガトス署長はヨーロッパ屈指の凶悪テロリスト、エディ・マルティネスことルベン・エスピノーザとの密約を裏切る事になる。


 ギオルガトス署長がマルティネスに総力を結集させる様に連絡した場合、テロリストはニコポリディス率いる警察隊を全滅させるだけの戦力を揃えるはず。

 しかしそれでは、本来あるべき姿の警察官を署長の自分が見殺しにする形となり、責任の追及を免れる事は出来ない。


 仮にニコポリディス側がテロリストに勝利した場合、ギリシャとヨーロッパの治安に関して喜ばしき結果となり、アテネ警察の評価も上昇するだろう。

 だが、マルティネスやパパドプロスを殺害、或いは投獄するという行為は、彼らの背後で糸を引き、脆弱(ぜいじゃく)なギリシャの財政を破格の法人税で辛うじて補填していた、フェリックス社のプロジェクト自体を崩壊させる事に繋がる。


 残された手段はただひとつ。

 

 ニコポリディス達とは別の警察部隊をどうにか1日でかき集め、取引現場に隠して配置。

 取引がニコポリディス側の有利に進んだ場合、敢えて警察同士の戦いを展開させ、その隙にテロリスト側がパパドプロスを奪回するしかない。


 「……わ、私は何を考えているのだ……。私は、私は……警察署長なんだぞ……! だが、このままでは私も失脚どころでは済まないだろう……。ギオルガトスよ、お前は身も心もテロリストの手下になり下がる事が出来るのか……!?」


 これまでの人生経験を総動員してもまだ足りない、まさに究極の選択。

 ギオルガトス署長は、生きた心地のしない壮絶な苦悩の時を経て、遂にエディ・マルティネスの携帯電話にコールしていた。



 ピピピッ……


 「……電話だ! 恐らくギオルガトスからだ。おい、電話に出て現状報告するくらいいいだろ!」


 テッサロニキのモーテルに軟禁されたマルティネスは、ギオルガトス署長と談合したパパドプロスの奪回時期が迫っている事を承知済み。

 しかしながら、彼はヨーラムの指令を受けた屈強なボディガード2名に拘束されており、命の危険こそ無いものの、自らの意思を発する事は禁じられている。


 「……残念だが無理だ。俺が代わりに話してやる」


 黒いスーツにサングラスのボディガードは、その無表情ぶりと抑えた低音ボイスで、マルティネスに一切の権限を与えなかった。


 「……もしもし、マルティネスですが……?」


 受話器から聞こえてくる、マルティネスとは似ても似つかぬ低音ボイスに、ギオルガトスは一瞬言葉を失う。


 「……違う、貴様は違う! エディはどうした? 何処にいるんだ!?」


 自己保身の為には、もはや一刻の猶予もないギオルガトス署長。

 ボディガードの男は、受話器越しの狼狽ぶりから彼の窮状を察し、最小限の言葉で最大限の情報を伝えてみせる。


 「……エディは、少しばかり調子にのってやらかしたのさ。だから今は謹慎中だ。だが安心しろ。パパドプロスの移送については、既にエディの代わりの人間を送っている。スポーツエリートで、弁護士の資格もあるアシューレという切れ者だ。あんたが誰なのかは、知らない事にしてやるよ」


 シンプルに伝言を届け、ボディガードの男がマルティネスの携帯電話を切ろうとしたその瞬間、ギオルガトス署長の最後の叫びがモーテルに響いた。


 「その男と、ヨーラムに伝えてくれ! 今回の警官は本気だ! 我々も有事に備えてバックアップはするが、停車する事なく強行突破もあり得る事態だ!」


 電話を切り、暫し訪れる沈黙。

 

 だが、警察の予想外の抵抗に歯ぎしりするマルティネスとは対照的に、ボディガードの男は不謹慎な笑みを爆発させる。


 「こいつは面白い……。テロリストを助ける為に、警官が警官を襲うとはな……。アシューレに動画を撮影させ、ヨーラム様に世界公開して貰うのもいいだろう」


 

 6月27日・0:00


 すっかり夜も更け、各々が就寝時間を迎えていたチーム・バンドーとチーム・カムイ。


 ……というのはあくまで表面上の話。


 実際には、疲労を蓄積させていたカムイとハッサンだけが眠りに就いており、ハインツとミューゼルは剣のトレーニング、リンとフクちゃんはオセアニアと神界の滞在報告会、クレアとレディーは大胆不敵なスイーツ夜食会、バンドーとゲリエはテレビでラグビー観戦と、各々が限られた時間で楽しんでいた。


 その頃シルバは、ひとりでダブルルームに残り日課の調べもの。


 ラモス刑事の一件で、情報収集から間一髪ピンチを逃れた経験を持っている彼だけに、退職間近の警官のモチベーション……というもののチェックには余念がない。

 どうしても分からない点は、現在スペインに拠点を置いている警察傘下の特殊部隊隊員、ガンボアという、頼れる「元部下」に、無理を言って調べて貰うのである。


 「こんな夜中にすまないな、ガンボア。今アテネにいるんだが、そっちでは、ギリシャの凶悪犯パパドプロスのスペイン移送の話は伝わっているのか?」


 「ええ、まだマスコミには口外していませんがね。ただ、あのレベルの悪党となると、移送先の押し付け合いが酷くて……。正直な所、マドリードかバルセロナか、それともバレンシアか、まだ移送先が確定していないんです」


 特殊部隊は多忙で、ガンボアも昼夜を問わず働いている事は確かなのだが、それにしても、毎度毎度のシルバの無茶振りに音を上げない彼の献身性は大したものだ。

 命懸けの戦場で(つちか)った信頼とは、それ程までに強固なものなのだろうか。


 「良かった。スペインへの移送はフェイクじゃないんだな。それからガンボア、警察のデータベースから、アテネのニコポリディス巡査部長についての情報を教えてくれないか? 何でも退職間近で、警察や議会の不正と戦うつもりらしいんだが、バレンシアのラモス刑事の件があるから、どうも疑ってしまうんだよ……」


 「ハハッ、あの時は間一髪、洒落になりませんでしたね! ギリシャの腐敗はこっちでも話題になっていて、ニコポリディス巡査部長はギリシャで数少ないまともな警官との評判です。……え〜と、奥さんを早くに亡くして娘さんとふたり暮らしだったらしく、彼女の安全を第一に考えて、組織に波風を立てない様にしていたという、もっぱらの噂ですね」


 ガンボアが慣れた手つきで内部情報を引き出せるのも、シルバの人間性とチーム・バンドーの特殊部隊への貢献があってこそ。

 今の所、ニコポリディスを疑う必要性は少ないと言えそうだ。


 「……あ、中尉! ニコポリディス巡査部長の娘さんが昨年末、婚約者とともにドイツに移住したとあります! 娘さんの身を案じる必要がなくなったみたいですね!」


 「ありがとう、ガンボア! ニコポリディス巡査部長は信用に値しそうだ。実は俺達の友人にパパドプロスの息子がいて、ニコポリディス巡査部長と協力してパパドプロスをギリシャから追い出そうとしているんだが、テロリストが横槍を入れそうなんだ。だから、成り行きで力を貸す事になったのさ。結果は追って報告するよ、またな!」

 

 ガンボアとの通信を終え、カムイの意地の張り方が間違っていないと信じるシルバは、明日に備えてチームメイトより一足早く眠りに就く。


 アテネの夜景は何処までも蒼く、夜更けにも止む事のない警戒体制の赤い光と、絶妙なコントラストを描き出していた。



  (続く)

 

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