第53話 混迷の地ギリシャへ……激動の序章
6月24日・9:00
オークランドセミナーの終了から、早くも2週間の時が流れていた。
マフィアの急襲をものともせず、彼等を一網打尽にした上で時限爆弾を解除し、観客とスタッフの被害をゼロに抑えたチーム・バンドーとその仲間達は、一躍オセアニアの人気者となる。
バンドー達と共闘したザハビの活躍もあり、剣術、魔法学校の志望者もオセアニアで急増。
その背景から筆頭スポンサーのフェリックス社は、オセアニアでの裏稼業をビジネス面の判断によって一時的に縮小した。
一方、逮捕されたペトロビッチが重要な役割を担っていた、商売敵のマフィアも必然的に大人しくならざるを得なくなり、その結果、オセアニアの密輸犯罪は目に見えて減少したのである。
「ああ、身体のあちこちが筋肉痛だぜ。下積み中の役者みたいな気分だな」
故障した工具を借りる為、タナカ農園からバンドーファームに顔を出したサンチェスは、タワンと束の間の談笑を交わしていた。
オセアニアの賞金稼ぎチームは、剣術の基本技術があり、そのキャリアと人柄から仕事の交渉も捗るという理由で、スタフィリディスをリーダーに決定。
彼の愛称を採用したチーム・スタフィーは、フルタイムの賞金稼ぎとなったトーマスとキャロルを除けば、各々の本業を優先しながらの参加となる。
しかしながら、自身の罪の軽減と引き換えに社会奉仕活動を選んだサンチェスとタワンには、暫くの間賞金は入らない。
タナカ農園とバンドーファームから給料と寝床は保証されているものの、農業と賞金稼ぎの重労働に見合う金額とは言い難かった。
「仕方ない、自分で選んだ道なんでしょ! さ、サンちゃん急いで!」
この2週間ですっかりサンチェスとタワンに馴染んだサヤは、相変わらずの仕切りキャラで若手職員をまとめている。
サンチェスとタワン、そしてシルバセラーの職員ジェフェルソンは、ともに悪の道に傾いたキャリアを持つ事からすぐに意気投合。
休日の朝は隣町のクライストチャーチに足を運び、夜はかつてオセアニアの格闘技チャンピオンだったバンドーの祖母、エリサの格闘技教室でトレーニングを行うなど、ストレスを発散しながらそれなりに充実した毎日を送っていた。
「……まさか、オセアニアで1ヶ月も過ごすとは思わなかったな。ま、農家に転職しないで済んだだけ幸いだが」
バンドーとともに枯れた草木をまとめ、手近な柵にその身を預けながら、少々自嘲気味に日々を振り返るハインツ。
オークランドセミナーの成功以来、チーム・バンドーもオセアニアの小さな事件の解決に駆り出され、剣士、魔導士志望の青少年の教育係にもなっている。
サンチェスやタワンと違い、ちゃんと報酬を受け取ってはいるものの、ヨーロッパ基準と比べればまだ低額と言わざるを得ない。
「リンさんの魔法は勿論凄いけど、うちのレイジちゃんまで魔法が使える様になるなんて、可愛い子には旅をさせろとは、よく言ったものよね!」
若手職員に温かいお茶を振る舞いに来たバンドーの母親ミカは、かつてお膳立てをしてもなかなか旅に出ようとしない、息子のマイペースぶりを父レイとともに心配していた。
だが、その息子がひとたび魔法を覚えてくるや否や、今度は近所に息子自慢を始めているらしい。
彼女にとっては、息子の嫁候補に関する情報が皆無である事だけが不安の種だが、もうひとつの懸念材料であった若手職員の補充は、サンチェスとタワンでどうにか目処が立っている。
平和な家庭の母親とは、案外そんな気分屋なのかも知れない。
「みんな! ギリシャのレディーからメールが来たわ!」
まだ冷え込みの残る朝方、必要以上に着込んでパンダの様な外見になっているクレアが、息を切らせてドタドタと農場を駆け上がってきた。
「……おっ、来たな! 噂のギリシャ仕事かな?」
バンドーは期待と不安が交差する様な、形容し難い胸騒ぎを感じてクレアを迎えている。
武闘大会で交友を深めたチーム・カムイの面々。
中でも饒舌なオネエキャラのレディーは、バンドーとクレアの友人として両チームのパイプ役となっていた。
そんな彼(?)がチーム・バンドーに話していたのは、チーム・カムイのリーダーであり、ヨーロッパ屈指の剣士、バシリス・カムイの父親の問題。
現在はアテネの刑務所に収監されているカムイの父親、パパドプロスは、その凶悪ぶりからテロリストとしての需要が絶えず、財政難のギリシャは莫大な保釈金の誘惑に揺れている。
しかし一方で、私利私欲の為には妻や息子の命すら顧みない、札付きの悪党に堕ちてしまった父親への憎しみから、カムイは彼を自らの手で始末しようと画策。
レディー達はカムイの暴走を止める為、その日が近づいた時、チーム・バンドーにも協力を要請していたのである。
「……で、具体的には何が書いてあったんだ?」
ハインツはクレアの携帯電話をうっかり覗き込み、特に後ろめたさもないはずのクレアは、反射的に手を引っ込めて電話を背後に隠した。
「……パパドプロスの悪行は、保釈が許可出来ないレベルだと司法にも判断されて、スペインの刑務所に移送される事になったみたいね」
この判断は、本来ならば至極妥当なものなのだが、大企業や悪党の横暴を実感してきたバンドー達の目には少々意外に映る。
シルバセラーの仕事から駆けつけたシルバとリンも、事情を聞いて微妙な表情で固まったまま。
「……良かったじゃねえか。スペインなら悪党の扱いにも慣れたもんだろうし、特殊部隊の連中も顔を出せるだろ? 尋問して仲間も挙げられるぜ。俺達、もう用済みか?」
ハインツは、財政や治安に問題のあるギリシャにおいても守られた司法の良識を評価しながらも、ある種の疑いと物足りなさを露にしていた。
「……そう上手くは行かないと思うわ。あたし達だって今、疑っているんだから、カムイはもっと疑っているでしょうね。レディーのメールも、あたし達に来て欲しいって結論よ」
眉間にしわを寄せながら、カムイの計画に変更がない事をパーティーに伝えるクレア。
同時に彼女は、軍隊時代からテロリストに詳しいシルバに顔を向ける。
「レディーの話によれば、最近ギリシャの地方都市でも小規模なテロが起きているらしいの。そのテロを仕切っているのがスペイン系の男らしくて、スペインへの移送も、結局保釈金に負けたギリシャが、道中でテロリストに襲わせる為のアリバイだと疑われているわ……」
「スペイン系のテロリスト……まさか、ルベン・エスピノーザが!?」
クレアの話が終わらないうちから、喰い気味に大声を上げるシルバ。
チーム・エスピノーザのリーダー、ダビドの実兄であり、軍隊時代のシルバとも因縁の深いテロリスト、ルベンの動きは、賞金稼ぎに転身してからも彼の懸念事項であった。
「……エスピノーザさんの兄貴には、1回だけ会った事がある。デカい取り巻きを連れていたが、そんなもんが要らねえくらいの殺気だったぜ!」
シルバの声を聞いた元チーム・エスピノーザ所属のタワンは、もはやすっかり運び慣れた重い荷物を担いだまま、チーム・バンドーへと報告にやってくる。
「……う〜ん、レディーからのメールには、そんな名前はなかったわ。確か、エディ・マルティネスとか……?」
改めてメールを確認し、噂のスペイン系テロリストが別人であろう事を伝えるクレア。
警戒すべき悪党に違いはないが、シルバの表情からはルベンを捕らえるチャンスを逸した脱力感が垣間見えていた。
「……俺達だって、皆幸せな人生って訳でもなかったけどよ、悪党はいくらでも湧いてくるもんなんだな。フェリックス社の動きもそうだが、ワン・ネイション政策そのものに不満があるのか、それとも資源と権力のあるロシアに不満があるのか……?」
「……テロリストも、最初は政治的、宗教的な理念を持って立ち上がりますが、結局は金に呑み込まれますよ。しかし、レディーさんからの情報が確かなら、まるっきり新世代のテロリストですね。自分の知るスペイン系テロ関係者に、マルティネスという名前はひとりもいません……」
ハインツのぼやきに呼応したシルバは、新たな脅威の登場に肩をすくめてうつむく。
「……それで、クレアさん。カムイさんのお父さんの移送予定日はいつなんですか?」
今の自分達はニュージーランドに滞在しており、ドイツやポルトガルにいる訳ではない。
リンはルベンに執着するシルバをなだめながらも、丸1日以上を費やすフライトを考慮して出発時期に踏み込んだ。
「……来月初めから、アテネでは議会が始まるらしいわ。だから、レディー達はその前には移送を済ませると推測しているみたい。恐らく5〜6日後ね」
一瞬の静寂が訪れた後、各々の表情に決意がみなぎるチーム・バンドー。
オセアニアとヨーロッパの間には約半日の時差があり、ギリシャではまだ23日の深夜と予想されるものの、決断にはさほど猶予は残されていない。
「……レイジ、仕事か? 今回は何だかんだと忙しくて、余り話せなかったな」
若者達の背後で話を静かに聞いていた、バンドーファームの現農場長、レイ。
その名から分かる通り、彼はバンドーの父親である。
「父ちゃん……。俺、前の旅で結構稼いだけど、一生賞金稼ぎでいるつもりはないんだ。約束するよ、必ずバンドーファームには戻って来る! でも今は、友達を殺人犯にする訳には行かない。そして、俺もケンちゃん達も、もう少しでこの世界の何かが分かる様な気がするんだ。だから、もう一度旅に行かせてくれ!」
危険と隣り合わせではあったが、ヨーロッパへの旅で逞しさと積極性を身につけたバンドー。
レイは我が子の成長に目を細め、黙って首を縦に振る。
「レイジ、あんたが留守の間は、あたしと血気盛んな若い奴等がここを守る、安心しな!」
いつの間にかタワン、サンチェス、ジェフェルソンを引き連れて現れたバンドーの祖母、エリサ。
彼女は既に、災害復興時期のオセアニア格闘技チャンピオンとして、人々に勇気と希望を与えてはいたものの、鍛え甲斐のある若手が揃った今、老いてなお後継者育成に意欲を燃やす日々。
未だ衰えぬ、驚異的な格闘センスに裏打ちされた自信も満々に、孫の再出発を祝福していた。
「ひゃあー」
「……ほら、何か間抜けな鳴き声のフクロウも、あんた達の出発を祝福しているよ」
エリサは背後から聞こえてくる、オセアニアでは見た事のない珍種のフクロウの鳴き声に振り返り、すかさずアドリブを決めてみせる。
出発の準備は、もう既に整っていたのだ。
6月25日・19:00
「ご家族も含めて、素晴らしい環境でしたね。刺激は少ないかも知れませんが、私の後輩の試験には、是非ともオセアニア生活を薦めたいものです」
バンドーの兄シュンのスケジュールに合わせて、彼の仕事のついでにオークランド空港へ送られたチーム・バンドー。
数時間のフライト後、シドニー空港で合流したフクちゃんは、満月の夜まで動物の姿で生活していた、かつての1級神昇格試験の日々を振り返っている。
「う〜ん……夜の便、しかも最近物騒なアテネ行きとなると、流石に人もいなくなるもんなんだね」
現在オセアニアで人気急上昇中のチーム・バンドーが、一般客の歓声すら沸かない静かな出発ロビーに一組、ぽつんと取り残される奇妙な現実。
オセアニア、とりわけオーストラリアにはスタフィリディスらギリシャ系の移民や、クロアチアを始めとした東欧系移民が数多く生活している。
従って、本来ならばアテネやザグレブ行きの便が人気路線である事を、オセアニア人のバンドーは当然理解していた。
だが、ヨーロッパで小規模テロが頻発する現在、治安に不安のあるギリシャや東欧地域への渡航を控えるべく、各地の空港には政府からの通達が出されている。
取りあえず、今日の所は直行便がまだある事を感謝すべきだろう。
「……ふぅ、ギリギリ直行便があった様だな!」
出発時刻が迫る中、まさかのチーム・バンドー貸し切りという事態を回避出来る、2組目の乗客が現れた。
「……おっ!? あんたら今人気のチーム・バンドーだね? 局のホームページに上げたいんだけど、写真を撮らせて貰っていいかい?」
太い眉毛と濃い髭、それに加えて丸く大きな瞳を持つ、輪の中心に陣取る男性は、見るからにギリシャ系の風貌。
背後には、巨大な機材を抱えた屈強な男性2名、小柄で痩身の男性1名を侍らせており、どうやら彼等はテレビ局の関係者らしい。
「え!? ……まあ、いいですけど……。この娘はまだ未成年だから撮らないで下さい」
バンドーは突然の要請の中、周囲の意見を集めようとしたものの、長旅を前にして断る理由を説明する体力が勿体ない。
それらしい理由を付けたフクちゃんを除き、パーティーの撮影を許可する事にした。
「……良かった! ありがとう! 俺はアテネ民放局のマノラスだ。いい土産になるぞ! テロで治安の悪化に、移民達の第2の故郷オセアニアで沸き上がる賞金稼ぎブーム、伝説の名剣士 VS 現代の名剣士、今のギリシャは稼げるネタが満載だぜ!」
彼等マスコミには、この不安な情勢下に於いてなお、何かの思惑があるのだろう。
少々興奮気味にシャッター切るマノラス達を尻目に、バンドー達は特に意気込みや決めポーズも見せない、普段の姿を写真に残している。
「……伝説の名剣士と現代の名剣士……? スコットやパサレラがギリシャに行くとは聞いたが、カムイやメナハムが奴等と戦う予定でもあるというのか……!?」
カメラに収まっているハインツの表情は無愛想なままだが、彼等のネタには興味津々。
突然の出会いではあったが、これからの長時間フライトに乗客はこの2組だけ。
現在のギリシャの情報をくまなく集められるチャンスは、チーム・バンドーにとっても有益であるに違いない。
6月25日・13:00
「ナシャーラ様、このご時世の中、イスラエルからはるばるお越しいただき、感謝の言葉もありません! おまけにメナハム様まで……これで子ども達にも教義を広められる事でしょう!」
フェリックス社の現社長、デュークの妻であり、新興宗教団体POB……PRIDE OF BLOODLINESの教祖でもあるナシャーラは、アテネでの講演に息子のメナハムを帯同させている。
本来であれば、スコットランドはグラスゴーで自らの事業を展開する伝説の名剣士、ダグラス・スコットが前科者をスカウトする為、ここアテネを訪問しているはずであった。
生ける伝説、スコットと剣を交えたいメナハムは、フェリックス社のネットワークを駆使してスコットの人材探しのサポートを申し出ており、スコットもその話を受け入れる。
しかし、スコットは最近治安の悪化が叫ばれるギリシャ入りを数日遅らせ、近隣のトルコで旧友のレジェンド剣士、ギネシュ父娘を訪問する事に。
フェリックス社の裏稼業を担当するメナハムの兄ヨーラムは、スペイン系のテロリスト、エディ・マルティネスを巧みに懐柔し、母親と弟が滞在する予定のアテネをテロの対象から外すプランを立てている。
だが、自分達がテロリストを操っていると世間に思わせてはいけない。
ヨーラムのプランは結果としてアテネの警戒を厳重化させてしまい、メナハムはこの2週間、兄への苛立ちを募らせていた。
「メナハム様、ギリシャの腕利き達とのトレーニングは如何でしたか? 見込みのある者がいれば、是非ご一報下さい」
POBギリシャ支部長を担当している初老の紳士グーマスは、崇拝する2人のカリスマを前に興奮を隠せない様子。
しかし一方で、長い待ちぼうけを喰らっているメナハムはアテネでのモチベーションを失いかけており、自身への称賛にも何処か上の空。
「……グーマス、ありがとう。君の様な忠実な信者は、きっと母上を勇気づけるだろう。この2週間、大勢の剣士に稽古をつけたが……残念ながら、俺を唸らせるだけの実力を持った剣士はいなかったよ。ギリシャの財政を改善して、剣術を磨けば生活が出来るという事を若者に示さなければ、今以上の成長は望めないな……」
治安と財政に問題のあるギリシャでは、優秀な剣士は他の地域に流れてしまう。
ギリシャで現在のメナハムを唸らせる実力を持つ剣士と言えば、ヨーロッパ剣士ランキングトップ10に名を連ねるチーム・カムイのリーダー、バシリス・カムイや、そのチームメイトのアレクサンダー・ミューゼルくらいしか存在しないが、彼等は今、チーム内の問題で他流試合どころではない。
メナハムの興味はむしろ、チーム・カムイの助太刀目的にギリシャ行きが噂されているチーム・バンドーに移っていた。
「……グーマス、ギリシャは今、大変でしょう。私も自分の仕事には誇りを持っていますが、こういう時には言葉の無力さを痛感します。申し訳ありませんね……」
果たしてどこまでが本心なのか、外見からは判断しかねるものの、物憂げに瞳を伏せ、グーマスを始めとするギリシャのPOB関係者の働きをねぎらうナシャーラ。
彼女のその神秘的な美しさに魅了されているグーマスは、大きく首を左右に振り、両目を見開いてナシャーラの謝罪を否定する。
「とんでもございません! もはや政治家や警察に信用の置けなくなったギリシャで、ナシャーラ様と教団の教え以外に民の救いはありませんよ! 今はまだ、ギリシャ全土とまでは行きませんが、必ずやこの教団を世界を変える一大勢力にしてみせます!」
POBの教義は、大災害後に統一されたEONPに抗い、生まれ育った地域の歴史と伝統を誇り、故郷の発展に尽くす事を至上命題としていた。
バルセロナの教堂は、世界からのリスペクトを受けられない中華系人民の怒りを中心として、チャイナタウンから信者を拡大。
一方アテネの教堂は、治安と経済ともに悪化を続けるギリシャ人の不満を中心に、政治家や警察、更に統一政府のイニシアチブを握るロシアへの怒りを信者拡大に結び付けている。
「グーマス、頼もしいですわ。これほどの悪行がまかり通る世の中で、全ての民が自らの故郷と人種に誇りを持ち、見せかけだけの自然との調和や、世界の融合を謳う者達を打倒する日が、いつか訪れん事を……!」
その柔らかな物腰でカムフラージュされてはいるものの、ナシャーラのメッセージは、かなり深い所へと踏み込んでいた。
ワン・ネイション政府とロシアへの、クーデター煽動である。
6月26日・1:00
『お客様に緊急連絡です。お客様に緊急連絡です』
離陸直後から、長時間フライトに備えて仮眠を取る為、顔だけを出してフクちゃんのシールドを体感していたチーム・バンドーと、テレビ局スタッフのマノラス達。
その余りの快適さ故か、暫くはフクちゃんを除く、なんかぷよぷよした物体が9名直列で並んでおり、時折訪れる乗務員も笑いを堪える事が出来なかった。
「……ん? 緊急連絡って何だ? 別に空模様も悪くないよね……?」
バンドーは寝ぼけ眼で機内の時計を確認。
時計はまだオセアニア時間のままだが、離陸してから5時間程しか経っていない。
アテネ空港の天候に問題があったとして、到着までにまだ半日はかかるはず。
停電する程の地震でもあったのだろうか……周囲も次々に目覚めてはいたが、なんかぷよぷよしているので危機感ゼロである。
『……機長のマスカットです。つい先程、アテネ空港に爆破テロの予告が届きました』
「……何だって!?」
最も大きな声を上げたのは、マノラスとハインツ。
『……現在ギリシャ全土で警備を強化しており、今回のテロ予告は単なる愉快犯である可能性も否定は出来ません。しかし、上空で事態沈静化を待つだけの燃料には不安がございます。お客様には大変申し訳ありませんが、安全性と交通の便を考慮して、当機はトルコのイスタンブールに進路を変更させていただきます』
突然の事態に、やがて声を失う一行。
いつもならさほど気にならないはずの、飛行音がやけに耳につく。
「……イスタンブールは、アテネから500㎞程の距離です。鉄道や高速バスでも移動出来ますから、自分達の予定に大きな狂いは無いでしょうが……」
シルバはいち早く冷静さを取り戻し、余裕を持って出発したチーム・バンドーの判断を正当化したものの、カムイ達を始めとするアテネ市民の安全が脅かされている現実に変わりはない。
「……最近、ギリシャの小都市では小さなテロが起きていたが、アテネでは何もなかったんだ。裏ではテロリストと警察がグルだとか、不穏な噂が流れていたんだが、遂に来ちまったか……」
苦虫を噛み潰すマノラスの額を濡らす水滴は、単なる寝汗とは思えなかった。
「マノラス、イスタンブール空港なら、メールでもすればスコットさんに会えるんじゃないか? 予定通り撮影出来るか訊いてみよう。お嬢ちゃん、すまないが俺のシールドを解いてくれ。気持ち良かったよ、ありがとう!」
マノラスの隣に座っている、ギリシャ人としては小柄で痩身の男性。
記録係なのだろうか、シールドの中でもノートパソコンは彼の膝に置かれている。
男性からのお礼を受けて、飛行機嫌いのハインツを除く8名のシールドを解除するフクちゃん。
仮眠は十分に取れ、この事態を受けてなお、今から熟睡する強者もいないだろう。
「……おい、スコットってのは、つまり伝説の名剣士扱いの……ダグラス・スコットの事か?」
飛行機嫌いである為、長時間のフライト時には、余計な振動を吸収してくれるフクちゃんのシールドが欠かせないハインツ。
ただひとりぷよぷよしたままの彼だが、気になる言葉にはすかさず反応していた。
「……あ、失礼。俺は記録係兼、文芸担当のジャンナコプーロスだ。うん、そのスコットさんだよ。アテネの前科者から会社の職員をスカウトするって事で、スポンサーを付けて取材させて貰う事になったんだ。でも、治安に不安があるから飛行機でギリシャに来るのを嫌がってさ。友達のいるイスタンブールを経由して来るんだよ」
ジャンナコプーロスと名乗るその男性は、上着のポケットから眼鏡を取り出し、早速スコットに送るメールを作成している。
イスタンブールの現地時間は、恐らくまだ6月25日の夕方。
バンドー達がイスタンブール空港に到着する予定時刻は26日の午前中であり、上手く行けば当日中に打ち合わせが可能だ。
「……ねえ、スコットさんのイスタンブールの友達って、ギネシュさんの事じゃない?」
突然、思い出した様に振り返り、ハインツと目線を合わせるクレア。
賞金稼ぎの間で『レジェンド3剣士』と謳われる、世界を変えた大災害が発生した2045年生まれのスコット、パサレラ、ギネシュ。
チーム・バンドーは先の武闘大会で、トルコを拠点に活動する賞金稼ぎ、チーム・ギネシュと戦っており、ハインツはギネシュ本人に敗れたものの、クレアは勝利している。
「……お知り合いでしたか? その通り、スコットさんは昔の剣士仲間、ギネシュさんと言っていましたね。ちょうどいい、チーム・バンドーも一緒だと伝えましょう! 新しい情報も得られるかも知れないしね!」
空港での出会いから良くも悪くも偶然や縁が重なり、仕事上ベストな選択肢を模索する為、メールを打つ手にも勢いが増すジャンナコプーロス。
慈善事業に熱心で、尚且つ好漢ギネシュと長年の友情を育んでいるスコットは、人格者とみてまず間違いない。
チーム・バンドーはアテネ空港の無事を祈る事しか出来ないが、彼等はこのハプニングをどうにかポジティブな方向へ転換しようと気持ちを切り替えていた。
「マノラスさん、ジャンナコプーロスさん、俺達がアテネに行く理由は、友達の賞金稼ぎチームの問題解決に力を貸す為なんだ。でも、今のギリシャの問題については詳しく知らない。いくつか訊きたい事があるんだけど、いいかな?」
テロ予告の一報ですっかり目が覚めてしまった一行だが、まだまだイスタンブールまでフライトは続く。
バンドーの言葉でクールダウンしたマノラスは、無言で首を縦に振る。
「……すみません、まずは自分から。最近のテロに関わっているとされている、エディ・マルティネスというテロリストの情報はありますか?」
シルバはバンドーの質問に割り込む形で、彼自身が最も欲していた情報をマノラスに要求する。
マルティネスは余程ギリシャを苦しめているのか、スコットからのメール返信を待っていたジャンナコプーロスの表情をも曇らせていた。
「……あ、すみません。このケンちゃん……いや、シルバは元軍人で、とあるスペイン系のテロリストと因縁があったみたいなんだ。除隊した今でも、そのテロリストの動向を気にしているらしくて……」
両者の間に入って話を調整するバンドー。
親友のその姿を見たシルバは、自身の性急な行動を詫びて頭を垂れている。
「……マルティネスという名前は、最近のギリシャや東欧で発生するテロの首謀者としてよく聞く。だが、奴は声明を出していても、警察官や市民から目撃情報はない。それに、今までマークされてきたスペイン系のテロリストに、マルティネスなんて奴はいなかった。仕事ぶりから考えて、奴はポッと出の新人ではないはず。恐らく、名の知れたテロリストが捜査を混乱させる為に、敢えて違う名前を広めているんじゃないかと……」
テレビ局スタッフであるマノラスには、気安く口外出来ない情報もあるだろう。
だが、その知見にはチーム・バンドーを納得させるだけの説得力があり、マルティネスの正体がシルバと因縁深い、ルベン・エスピノーザである可能性は維持された。
「……ジェシー・リンです。私は少し前まで図書館司書で、故郷のフランスから出た事が余り無かったので、ギリシャの問題の知識はあっても実感がありません。何故ギリシャが、ここまで深刻になったのでしょうか……?」
シルバの執念が一段落したからなのか、暫く沈黙を続けていたリンがマノラスに話しかける。
「……あんたみたいな人が賞金稼ぎで、これからギリシャへ行こうとしている事自体、俺には驚きだよ……」
それなりの報酬と引き換えに激務をこなし、身なりなどまるで気にしないマノラス。
そんな彼は、芸能人とはまた違った美貌の持ち主であるリンに、少々恐縮している様に見えた。
「……あんたらも予想は出来るだろうが、ギリシャの産業の柱は観光だ。新たな産業が育つ可能性もあったが、目先の利益に囚われて殿様商売に尽力した結果、深刻な財政難に陥った」
「マノラス、それは今に始まった事じゃないわ。もう100年も前からよ」
財閥出身のクレアに口を挟まれ、出鼻を挫かれたマノラスは不機嫌な笑みをこぼす。
「……まあ、話は最後まで聞けよ。大災害が起こる前までは、世界がひとつになっていなかった。つまり、表向きギリシャを援助して、それ以上の利益を回収しようとする国が沢山あり、ギリシャは経済が乱高下しながらも、どうにか殿様商売で延命していたのさ」
「ワン・ネイションになってから、具体的にどう変わったんだ?」
傍目にはギリシャより貧しく見える東欧で生まれているハインツは、今一度マノラスを問い詰めていた。
「ワン・ネイションの下では、災害から学んだ自然との共存で、無駄な開発や軍事競争は出来ない。ギリシャの財政にも自立が求められ、その過程で直接影響の及ぶ近隣のトルコやキプロスとの関係は悪化した。治安が悪化しちまえば、観光どころじゃねえ。ギリシャが立ち直る云々以前に、打つ手が無くなっちまったのさ」
マノラスを始め、バンドー達もワン・ネイション以前の世界は未経験。
年長者に訊けば、また違う結論が導かれるだろうが、その殆どは感情論に終始するに違いない。
「……マノラスさん、ギリシャではその現状への反動はどのくらい大きくなっていますか?」
軍隊時代から、世界中のテロや小さな紛争に介入していたシルバは、とある確信を持って大衆の動きに注目する。
「……爆発寸前だな。年寄りを中心に、ギリシャの凋落の原因をワン・ネイションに押し付ける動きが盛り上がっている。まあ、俺達も軍備や資源が偏っているロシアや、中国やイスラエルの経済侵攻が規制されない事には不満だがな」
マノラスの話と、これまで幾度も目の当たりにしてきた現実とを繋ぎ合わせ、バンドーは深く頷きながらシルバと視線を合わせた。
「マノラスさん、俺達バルセロナでそんな人達を囲い込む新興宗教を知ったんだ。フェリックス社の社長夫人が教祖をやっている、『POB』って教団なんだけど……」
バンドーがその話題を出すや否や、マノラスとジャンナコプーロスの顔色が急変する。
「おい、まさにそいつだよ! 最近ギリシャで急速に規模を拡大している教団だ! 俺はフェリックス社自体気に入らねえんだが、奴等は民放局のスポンサーでもあるし、法人税を一括前払いするから、自転車操業のギリシャは逆らえない。地域の弱味につけこんで、一体何が目的なんだ……?」
チーム・バンドーとの情報交換により、解ける疑問と深まる疑問。
マノラスは頭を抱えながら、特に意味もなく窓から大空を虚ろに眺めた。
「……マノラスさん、シルバは『POB』の熱心な信者だった軍人がクーデター未遂を起こした現場を見ているんだ。そして俺達は、フェリックス社がこの世界の活断層に刺激を与えて、意図的に地震を起こそうとしている疑いの動きも掴んでいる。奴等が50年続いた、ワン・ネイション体制転覆を目論んでいる事は多分、間違いないよ」
バンドーにしては珍しく、迷いのない表情での断言。
故郷に留まる事を良しとせず、チーム・カムイの助太刀を決意した瞬間から、彼等とフクちゃんは大自然の危機を「啓蒙」するという、自らの使命から逃れる事は出来ない。
「……よし、スコットさんから返信が来たぞ! 現地の明朝にイスタンブール空港に来てくれるそうだ。ギネシュさんと、その娘さんのメロナさんも一緒だってさ!」
期待通りの展開に、思わず膝を打つジャンナコプーロス。
「メロナさん……怪我が良くなっているといいんですけど……」
リンは他のチームメイトに先駆け、兄ロビーの格闘家デビュー戦が行われたパリで、ギネシュ達との再会を既に果たしている。
武闘大会でリンの魔法により右肩を負傷したメロナは、将来の進路を魔導士一本に絞り、いつの日かリンを倒す事を目標としていたのだ。
「ジャンナコプーロス、でかしたぞ! アテネ空港の騒動次第だが、打ち合わせは最小限、予定通り取材が出来るかどうかの確認だけでいい。やりたい事が沢山ある。鉄道だろうがバスだろうが、一刻も早くアテネの本社に帰らないと……。チーム・バンドーの皆、貴重な情報ありがとう!」
「……いやいや、こっちこそギリシャの情勢を理解出来たぜ! ありがとよ!」
互いに実直なマノラスとハインツは、最後には意気投合して固い握手を交わそうと試みる。
「……おっ!? わぷっ!!」
だがしかし、シールドから手が抜けず、全身がぷよぷよしたままのハインツの弾力に、押し返されたマノラスは床を転げ回り、乗務員を含めて機内は爆笑のに包まれていた。
6月26日・7:00 (イスタンブール時間)
「おお〜い! バンドー君!」
「リンさ〜ん!」
長旅を終え、疲労困憊の一行を出迎えたのは、往年の鋭さはすっかり陰を潜め、マイホームパパが板についてきたかつての名剣士、アーメト・ギネシュと、その末娘メロナ。
「あ、ギネシュさん! お久しぶりです!」
バンドーはギネシュの姿を確認するとすかさず一礼し、ギネシュ父娘とかなり打ち解けているリンは、笑顔でメロナに手を振ってみせた。
「……ギネシュ、あれがチーム・バンドーなのか?」
ギネシュの隣に仁王立ちする伝説の名剣士、ダグラス・スコットは、剣士としては半ば引退状態。
茶髪のオールバックに口髭という風貌こそ、熟成されたワインの様な風格を漂わせているものの、自身の経営する建設会社の現場作業で日焼けした肉体は逞しく、シルバを一回り小さくした様な屈強な体格も、とても54歳のそれには見えない。
「そうだ。彼等はまだ若いが、賞金稼ぎにありがちな粗野な振る舞いやリスペクトの欠如はない。気持ちのいい青年達だよ。きっとお前も気に入るはずだ」
「そうか……ん? あの青年、何処かで見た事があるんだが……」
どうやらチーム・バンドーは、ギネシュからかなり高い評価を受けているらしい。
しかしながら、その賛辞も聞き流してスコットが指差す先には、屈託のない太字スマイル全開のバンドーがいた。
「スコットさん、急な話にわざわざ来ていただいて、ありがとうございます!」
テレビ局スタッフを代表して、スコットにメールを送信したジャンナコプーロスが挨拶。
スコットは彼等の表情に残る若干の曇りを素早く見抜き、今、彼等に最も必要とされている言葉を贈る。
「……ついさっきの速報なんだが、アテネ空港の爆破予告はガセの愉快犯だったよ。犯人は未だ捜査中らしいが、とにかく今日の夕方には空港は普段通りになるだろう。撮影は予定通りに出来るのではないかな?」
落ち着き払ったスコットの一言に、一行の顔には揃って安堵感が浮かんでいた。
「私もメロナも、チーム・バンドーの諸君には話したい事が沢山ある。昼過ぎにはハカンがトラックで駆け付ける予定なんだが、彼にアテネまで送って貰って、それまで我が家でカミさんの手料理でも食べていかないか?」
「……え!? いいんですか? 是非是非!」
ギネシュからの思わぬ誘いに、バンドーとクレアは同時に喰い付き、シルバとハインツは苦笑いを浮かべている。
「メロナさん、もう肩はサポーターだけになったんですね。良かった」
再会を喜ぶリンとメロナ。
魔法の力もあるだろうが、メロナの回復の早さは父親譲りなのだろう。
「はい、もう魔法の練習も始めましたよ。早くリンさんに追い付きたいですから!」
明朗快活なキャラクターはそのままに、少し髪が伸び、肩から下を軽く三つ編みにしているメロナ。
その姿は、武闘大会で見せた勇ましさではなく、むしろ身近な可愛らしさを醸し出していた。
「……ところでリンさん、この娘は誰? 前はいなかったと思うけど……」
メロナはリンの隣にぽつんと立っている、どう見ても自分より歳下に見える黒装束の女の子に興味津々。
リンがメロナと戦っていた頃、フクちゃんはまだ珍種のフクロウとしてのみ認知されていたのである。
「……あ、その娘はバンドーさんの妹さんで、フクコちゃんって言うの。見た目は幼く見えるけど、魔法学校に飛び級でスカウトされるだけの実力があるんですよ」
少々苦しい言い訳に、リンはもうだいぶ慣れてしまっていた。
「へぇ〜そうなんだ! 機会があったら一緒に魔法の練習しようよ!」
リンの言葉を全く疑わないメロナだったが、彼女どころか、リンですら本気のフクちゃんには到底敵わない。
フクちゃんは取りあえず、イスタンブールにいる間は相槌と愛想笑いで乗り切る覚悟を決めている様子である。
「それじゃあスコットさん、また明日アテネでお会いしましょう。我々は今すぐ本社に帰らなくてはいけません。ネタは新鮮なうちに議題に上げなくてはいけませんからね!」
スコットからの了解を取り付けると、マノラスは挨拶もそこそこに切り上げ、航空会社が用意していたと思われる臨時バスにスタッフを引率した。
「……あ、マノラス待ってくれ! トイレ行ってくるから!」
ジャンナコプーロスはマノラスに一声かけて、ノートパソコンを小脇に抱えたままトイレに走り去る。
「マノラス、また会おうぜ!」
「おう!」
ハインツに見送られ、テレビ局スタッフは臨時バスに乗り込んだ。
「……さて、我々も行こうか。我が家は地下鉄で2本先なんだ。何、心配は要らんよ。ハカンは粗野に見えるが、運送業のアルバイトも経験していたんだ。アテネまでの最短距離を知っているよ」
「ありがとうございます!」
ギネシュの厚意に深い感謝を示すチーム・バンドー。
地下鉄駅まで歩く途中、バンドーの隣にスコットが近づき、そのただならぬオーラにハインツまでもが背筋を伸ばす。
(……伝説の名剣士、ダグラス・スコット……。ギネシュやパサレラも只者じゃないと思ったが、こいつは凄え……。カムイやシルバ程ガタイはゴツくないが、喜怒哀楽を超越している存在感だぜ……)
「バンドー君と言ったね。私は以前、何処かで君に会った事がある様な気がするんだが、心当たりはないかい?」
スコットからの突然の問いかけに驚いたバンドーではあったが、彼はハインツより素朴な天然キャラであり、他人の言葉はまず額面通りに受け取る。
そして何より、スコットの言う通り、両者は過去に面識があったのだ。
「スコットさんがニュージーランドに講演に来た時、俺観に行ったんですよ。サインもお願いしてましたからね! 10年くらい前かな?」
そう言って無邪気に笑うバンドーの姿は、10年前の少年時代と何ら変わらない。
「……ああ、そうか! 10年前のあの子だ! ヨーロッパの剣士ランキングに入れる様な賞金稼ぎが、こんな無邪気な顔のままでいられるなんて、これはもう才能だな!」
バンドーの顔をまじまじと眺めて、やがて豪快に笑い出すスコット。
確か、シルバの義父であるロドリゲス隊長からも同じ様な反応をされたと、その親友から聞いた事がある。
ひとりの男として、歳相応に見られたい気持ちは当然バンドーにもあり、これが自分がなかなか女性にモテない理由なのかと感じるものの、この親近感は確かに才能と割り切るしかない。
「……よし、バンドーのキャラのお陰で、また強者を味方につけて、食糧もゲットしたわ……!」
長い付き合いの中、徐々に旅のコツとバンドーの正しい使い方を理解したクレアは、小声で囁きながらガッツポーズをとっていた。
「アテネまで頼む。ああ、ちょっと待ってくれ! もうすぐ仲間がトイレから帰ってくるんだ」
広いバスに自分達3名、あとはジャンナコプーロスだけ。
ある種の優越感からか、マノラスはバスの中央の座席にどっかりと腰を下ろす。
「……それでは、アテネ行き高速バス、発車致します」
マノラスの言葉を無視して、勝手にバスのドアを閉める運転手。
その余りにも横柄な態度に激昂したマノラスは座席から飛び上がり、後ろを振り返ろうともしない運転手に詰め寄った。
「おい、待てと言っただろ!? お前何考えてんだよ!」
「お客様、大丈夫ですよ。バスは2台来ます。もうすぐ後ろから来るバスに乗ればいいだけですよ。アテネが安全なうちに走りましょうよ」
怒り心頭のマノラスと視線すら合わさず、後続のバスを推奨しながら車を走らせる運転手。
だが、どう考えても後続のバスなど存在しないはず。
「バカかお前!? さっきの飛行機の客は全部で10人なんだよ! 2台もバスが来る訳ないだろうが!」
「……来るんですよ。だって、後から来るバスの方が本物ですからね……!」
一切の感情を排した冷徹な反応の運転手が初めて、ニヤリと笑った。
ブオオォォン……
突然反対車線を並走し、高速バスに追いすがる謎のトラック。
爆音を撒き散らしながら、事故をも恐れぬ無謀な運転に、周囲の車は慌てて道路からコースアウトする。
「マノラス! どうなっているんだ!?」
いきなり身に降りかかる非常事態に、カメラクルーも激しく狼狽を始めた。
このままでは、大事故が避けられない。
「何なんだテメエら!? 早くバスを止めろ!」
既に顔面蒼白のマノラスは、運転手の背後にあるアクリル板を全力で蹴り上げる。
しかし、運転手は表情ひとつ変えずに運転席の窓ガラスを全開、そこから自分の身を乗り出していく。
ブブーッ! ブブーッ!
並走するトラックのクラクションが鳴り響き、マノラス達が視線を落としたトラックの助手席には、強風に髪をなびかせるジャンナコプーロスの姿。
「……!? ジャンナコプーロス! 何の真似だ!? こんな事して、ただで済むと思ってるのか!?」
「……へっ、ただで済むなんて思ってねえよ! マノラス、あんたは知り過ぎたのさ! 暑苦しい使命感にはいい加減ウンザリだぜ! ギリシャなんてさっさと捨てて、大金片手にトンズラしちまえばいいのによ! じゃ〜あな!!」
ジャンナコプーロスはマノラスを罵倒しながら手にした手榴弾のピンを抜き、運転手がトラックの荷台に飛び移る瞬間、入れ替わりで運転席の窓に投げ入れた。
「挨拶代わりのテロって奴だな! スコットやチーム・バンドーを巻き込めなかったのが本当に残念だよ!」
「……手榴弾だ!! お前ら逃げ……」
ドオオォォン……
イスタンブール空港から僅か数キロ、見晴らしのいい道路に長く伸びて行く閃光と黒煙。
運転手を失い、爆風に吹き飛ばされた乗客の悲鳴と鮮血をも掻き消される程の衝撃が、やがて車体の転倒から地面への激突とともに訪れていた。
(続く)