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バンドー  作者: シサマ
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第52話 新たな絆 揺るがぬ絆


 6月8日・8:00


 「仕事の手まで休めて貰って、すまないね。大丈夫、無茶はしないよ」


 地震から一夜明け、昨日とはうって変わった曇り空の下、ビジネスと並行してアジアの地質調査に乗り出す事を決めたクォン。

 

 近年、フェリックス社絡みの仕事に運送手段を奪われる事態が増えているクォンが、その建築や目的の違法性を証明すれば、彼のビジネスには追い風が吹く。

 加えて、フェリックス社の作業と地震との関連性までも立証出来れば、大企業の独占を防ぎ、ワン・ネイションの経済だけでなく、環境の改善にも繋がるだろう。


 当初は飛躍した理論と一蹴(いっしゅう)していた特殊部隊のキムも、昨夜の地震とクォンの深刻な懸念を前に、その見解をやや軟化させつつあった。


 「……警察車両です。可能なだけ急げますよ」


 「私はもう還暦が近いからな。腰に優しく急いでくれ」


 クォンは自身を迎えに来る予定だった、オセアニアの専属運転手に休暇を与え、キムが運転するバスに乗り込む。


 「……クォンさん、ご無事で! また暖かくなったらお会いしましょう!」


 自らも仕事に出かけるシュンは、キャンピングカーの運転席から大きく手を振り、「ビジネスのお手本」とリスペクトする熟年紳士をバンドー達とともに見送っていた。



 「……まさか、単身で乗り込むおつもりですか? 奴等は危険です。いくらアジアで名が知れた貴方であっても……」


 キムはバスを走らせながら、バックミラー越しにクォンの表情を覗き込む。

 奥深い自然の中では、如何なる不審死も事故で片付けられてしまう可能性が否めない。


 「私の大学時代の後輩達が、今著名な地質学者グループなんだよ。彼等は私に借りがあるからな。まあ心配無用だ。フェリックス社も手が出せない、山奥の活断層やプレートとの違いを調べるのさ」


 余程有能な学者グループなのだろうか。

 クォンは眉ひとつ動かさず、悠々自適な調査と言わんばかりの余裕を見せていた。



 6月8日・9:00


 「カーッ、重いな! お前ら毎日こんなもん運んでるのか?」


 農作業初体験で早くも汗だくなタワンは、その長身を見込まれてバンドーファームの一員となったものの、細身で手足が長い為、荷物の重さを分散させる身体の使い方をまだ知らない。


 「タワン、腕の力だけで持ってたらすぐバテるぞ! 片足を軽く曲げて、太股に乗せる様に運ぶんだ!」


 「うっせえな! お前は腹に乗せてんだろうが!」


 真っ先にバンドーへの突っ込みを炸裂させる辺り、お互いアジア系同士で遠慮を感じないのであろう。

 タワンはすぐに馴染む……バンドー一族も安堵の表情を浮かべていた。



 「サンちゃん、ミルク飲む?」


 サンチェスをミルク(しぼ)りに同行させたサヤは、まだ牛に迫られただけで後ずさりする彼を弟の様に見守りながら、余ったミルクをすすめる。


 「い、いいよ。掃除の匂いが、まだこびりついて慣れねえし……」


 乳牛の世話に何より重要なのは、徹底した衛生管理。

 マドリード市内は息の詰まりそうな都会だったが、牛の匂いとは無縁な環境に育ったサンチェスにとって、ミルクとはもっと洗練された飲み物であるはずなのだ。


 「いいからいいから! アレルギーとかはないんでしょ?」


 「お、おい……よせ!」


 その味に絶対の自信を持つサヤは、強引にサンチェスの口へバケツを押しつける。


 「……うめぇ! ミルクって、こんなにうまいのかよ!?」


 無理やりミルクを飲まされたサンチェスだったが、その表情に怒りの意思はない。

 いや、むしろそのワイルドかつ濃厚なうまさに開眼してしまったかの様な、解き放たれた感情がほとばしる。


 「……そう、人間の元に届くまで、ミルクは殺菌され、安全だけど本来のものではなくなるのよ。搾りたてをすぐに飲めるのは、私達だけに許された権利ね」


 「……そうなのか……」


 初めて得る知識が多過ぎて、まだ頭の中を整理出来ないサンチェスに、サヤは努めて優しく語りかけた。


 「まだ分からなくて当然。今まで、生きるか死ぬかの毎日だったんでしょ? あそこにいるクラークさんも、まだあんまり分かってないから安心して!」


 風の噂でくしゃみをしたクラークは、バンドーがヨーロッパへ旅立ってからタナカ農園にやって来た新米職員。

 一見逞しそうだが、その巨体に似合わず気が弱く、クライストチャーチのショッピングモールで働く美人の奥さんにまるで頭が上がらない。


 「……サヤ、お前は……俺が怖くないのか……? 相手が悪党とはいえ、人間を剣で刺した事がある男なんだぞ……」


 苦々しく目を細め、言葉を振り絞るサンチェス。

 裏切りや騙し合いが日常茶飯事の人生から、この温かな歓迎への急変を、彼はまだ、素直に受け止める事が出来なかったのだ。


 サンチェスの言葉に、決して悪意がない事を感じ取っていたサヤは、静かに深呼吸したのち、その大きな目を見開いてサンチェスと向き合う。


 「……怖くないと言えば、嘘になるかな。賞金稼ぎの仕事で使う剣も、持ってみたら凄く重かったし……。でも、今貴方は素手だし、何かあったらバンちゃんに助けて貰うから大丈夫……」


 「バンドー? 奴はお前の……」


 サヤからの正直な言葉に返そうとした、自身の正直な言葉を、サンチェスは一旦飲み込んだ。


 「サンちゃんやタワンが、もしお金儲けしたいだけなら、出所してからまた悪い事すればいいじゃない。わざわざこんな田舎まで来て、慣れない仕事と奉仕活動を選んだ時点で、貴方達は真面目な人だと信じたいの……」


 話の途中で言葉に詰まり、何とも形容し難い長い沈黙が訪れる。

 その空気に耐えられなくなったクラークは、慌てて仕事の話をぶり返す。


 「サヤさん、もうすぐ保冷車が来ますよ! 早くタンクを運ばなきゃ!」


 クラークの言葉で我に返ったサヤ。

 これ幸いとばかりに、彼女はサンチェスに仕事を命じるのだった。


 「サンちゃん、搾ったミルクは業者さんが保冷車で運ぶの! これ重いから、サンちゃんとクラークさんで沢山運んでね!」


 



 イスラエルのフェリックス本社に隣接されているスポーツ施設、通称『フェリックス・クラブハウス』。

 この施設は元来、生まれながらにして剣術の才能に恵まれた第2御曹司、メナハム・フェリックスの訓練の為に建てられたガレージだったが、彼の名声が高まるにつれ、その規模を拡大していく。

 

 現在、クラブハウスには第2のメナハムを夢見る子ども達が連日集い、未来の名剣士を育成する剣術師範、アロン・ザハビは、若き頃は幼いメナハムにも稽古をつけた、イスラエルを代表する剣士であった。

 

 「ザハビ様、メナハム様からの通信です!」


 フェリックス社内で高い地位を築いているザハビには、会社が力を注いでいる剣術学校師範としての高額オファーが届いているものの、それらは全てメナハムからの働きかけ。

 現在ではザハビをも圧倒する実力のメナハムだが、その地位に胡座(あぐら)をかく事なく、自らの恩師へのリスペクトを世界に広めようとしている。

 

 「……メナハム様からだと……? あの方は今、ギリシャへのフライト中であられるはずだ。何かトラブルにでも遭われたのか!? 繋げろ!」


 白髪混じりの短髪に、アラブ系の男性としては控えめな口髭。

 一見して中年紳士的な風貌だが、実はまだ36歳の働き盛りだ。


 「ザハビ、夜中に突然の通信ですまない。こちらのフライトは極めて順調だが、先日話したシドニーの剣術学校校長の件、やはり受けるつもりはないのか?」


 普段と変わらぬ穏やかなメナハムの表情に胸を撫で下ろしたザハビだったが、やや身分不相応にも感じる御曹司からのおせっかいには、正直対応に困惑気味である。


 「……メナハム様、何度も申し上げました様に、私はイスラエルの剣士を育てることこそが生き甲斐なのです。富と名声は、ここでもう十分に得ております」


 剣術学校、魔法学校に莫大な投資をしているフェリックス社には、当然人事に関して大きな権限がある。

 とりわけ剣術学校は、今やその道の第一人者であるメナハムとザハビのアドバイスを無視する者など存在しないと言ってよいだろう。

 

 「……やはりそうか。剣術未開の地で新たな才能を育て上げるプロジェクトは、やり甲斐的にも金銭的にも、お前に相応しいものだと思ったのだが……。分かった。もうお前をよその事業には誘わない事を約束しよう」


 遂に観念したか、メナハムからの撤退宣言に格好を崩すザハビ。

 だが、御曹司のわがままにはまだ続きがあった。


 「ザハビ、すまないがオークランドに飛んでくれないか? 剣術学校の開校を控えたオセアニアで今、賞金稼ぎセミナーが開催されている。先日のシドニーはそこそこの盛況だった様だが、都市の規模が小さいオークランドでは盛り上がりに欠けてしまう。そこで主催者側は、ハイレベルなエキシビジョン・マッチの開催を望んでいるらしいのだ……」


 イスラエルから遠く、余り馴染みのないシドニーの剣術学校校長のオファーから、更に遠く馴染みのないオークランドへの出張要請。

 とはいえ、短期間の出張で済むのであれば、ザハビも敬愛するメナハムの頼みを断る心境にはならない。

 

 「オークランドですと!? は、はぁ……他ならぬメナハム様の頼みならば……。それで、セミナーの開催とはいつなのです?」


 「10日だ。イスラエルは今、7日の夜だが、時差のあるオークランドは、もう8日の午前中なのだ……。今すぐジェットに乗ってほぼ1日のフライトの後、どうにか体調を整えて、セミナーとエキシビジョン・マッチに参加して欲しい。バックアップ費用は惜しまん」


 この一件が無理を承知の上である事は、メナハムの言葉の選び方から一目瞭然。

 だが、彼とてフェリックス社の剣術部門トップに君臨する男、半端な剣士の派遣で応える事は出来なかった。


 「……承知しました。しかしながらメナハム様、私にも剣士としてのプライドがございます。私とハイレベルなエキシビジョン・マッチが出来る実力の持ち主が、当然会場に来ているのでしょうね……?」


 紳士的な佇まいの教育者から、ギラつく野望を持ったひとりの剣士へ。

 既に富と名声を得ているザハビが、敢えてハードスケジュールを受け入れるには、それに値する「強い剣士と戦える経験」が得られなければ意味がない。


 「……賞金稼ぎのアドバイザーとして、地元出身のメンバーを持つチーム・バンドーが参加する。そこにいるティム・ハインツという剣士だ。奴は私が個人の部で優勝した武闘大会で、団体の部のMVPを獲得している。奴のコンディションが万全ならば、ザハビ、お前が敗北する可能性も十分にあるだろう」


 「……くっ……!」


 ザハビが自分を超えたと認める、最強の剣士メナハムから突きつけられた敗北予想。

 

 その言葉に、嘘や誇張は一切含まれない。

 だからこそ、ザハビには悔しさがこみ上げていた。


 「奴はお前と同じ左利きだ。サウスポースタイルならではの、試合序盤のアドバンテージは互いに存在しない。武闘大会の映像はすぐに送る。スカウティングするのも、機内の酸素カプセルで眠るのも自由だ。頼んだぞ!」


 静かに燃えたぎるザハビの目を見たメナハムは、彼の参戦を確信し、笑顔で通信を切る。


 「……この世界で、最強の剣士はメナハム様。だが、2番目に強いのはこの私だ。絶対にこの私だ……!」


 虚空を睨みつけ、足下に転がる子どもの練習用の木刀を拾い上げたザハビは、興奮の余りそれを振り上げたものの、やがて我に返り、静かに用具箱へと片づけた。


 戦いのモチベーションとなる怒りは、やすやすと発散させてはいけない。

 

 少しでも、先へ先へと残しておくべきなのだ。



 

 6月10日・12:00


 小雨のパラつく悪天候の中、セミナーに備えてオークランド入りしたチーム・バンドーとサンチェス、そしてタワン。

 加えて、リンを指南役に各々が交流と鍛練を積んだオセアニア賞金稼ぎチームが合流する。


 数日ぶりの再会を喜ぶシルバとリンの為にも、何はさておき食事と会話の出来る場所を探し歩く一同。

 

 とは言うものの、この昼時、合計12名もの大所帯が一度に昼食にありつけるレストランはそうそう見つからない。

 そこで、一同は偶然出会ったセミナーを取材するタブロイド紙の記者、クリスの手引きに従い、彼の友人が経営する、余り流行っているとは言い難いサンドウィッチ店へお邪魔する事に。


 「ウチは社運を賭けて取材させていただきますよ! 初冬のオークランドで数字の取れるイベントなんて、滅多にありませんからね! 今回、ウチが主催者側に呼び掛けて、スペシャルゲストとチーム・バンドーさんとのエキシビジョン・マッチを提案したんです!」


 ギリギリまで主催者側から詳細が明らかにされなかった理由は、シドニーセミナーの予想外の人出により、彼等がビジネス的な色気を出したから。

 実習が用意されていたシドニーセミナーは、安全対策として警察の全面協力を得た「研修」に近い位置づけだったが、今回のセミナーは単なる「賞金稼ぎと剣術、魔法学校のプロモーション」で終わる可能性があり、目玉となるイベントが必要とされたのだ。


 「……正直、身体がなまっちまいそうだったからな。俺がエキシビジョン・マッチに参加する事は何ら問題はねえ。だが、シドニーセミナーより入場料が高いんだろ? 俺は相手のレベルに合わせて苦戦したりするフリは出来ない。その金に見合う試合になるかどうか……」


 この短期間で慌てて呼び寄せたスペシャルゲストなど、所詮はオセアニアの腕自慢レベル。

 自分を追い詰める様な実力者であるはずがない……。

 

 ヤンカーやカレリンなどの、親しい剣士が参加するという噂も聞かなかったハインツはそう確信し、既に圧勝後の心配までしている。


 「……おや? ハインツさん余裕ですね! いいんですかぁ〜?」


 このクリスという男、堅苦しくない所はいいのだが、下世話なマスコミ関係者にありがちな妙な馴れ馴れしさが、少々(しゃく)にさわる。

 正直者のハインツは思わず眉をひそめた。


 「おっと、ごめんなさいね! 主催者とウチが声をかけたのは、剣術と魔法学校の大スポンサーであるフェリックス社なんです。そうしたら、このハードスケジュールにも関わらず、大物が来てくれましたよ!」


 「大物だと!? まさかメナハムが……!?」


 「大物」という言葉に過剰反応してしまったハインツは、思わず立ち上がって声を上げた。

 クリスはその光景を目の当たりにし、慌てて口に指をあててその場を鎮める。


 「……流石にそれは無理ですよ、ハインツさん。メナハムさんは多忙ですからね。でも、そのメナハムさんの才能を引き出し、世界トップレベルの基礎技術を仕込んだイスラエルの剣術師範、ザハビさんが来てくれたんです!」


 エキシビジョン・マッチが1対1、それも剣士限定1試合と聞いて、パーティーはその大役をあっさりとハインツに譲る。

 会場的にはバンドーの登場が盛り上がりを生むかも知れないが、主催者や参加者は格闘技の混じる泥臭い戦いより、剣術の流儀に沿ったスマートな戦いを観たいだろうと考えたからだ。


 「ザハビ……? ランキングには見ない名前だが、賞金稼ぎには登録していない奴なのか?」


 ハインツは10年前、本格的に剣士を目指す様になってから、ヨーロッパの剣士ランキングには常に目を通している。

 実力派の剣士の名前は、大半が記憶されているといってよいだろう。

 

 「そうですね。ザハビさんは現在36歳で、25歳の時に賞金稼ぎを引退し、それ以降はフェリックス社の剣術師範になっています。ちなみに当時は、ヨーロッパの剣士ランキングでトップ10入りを果たした、初のイスラエル出身者だったみたいですよ」

 

 11年前の話とはいえ、ヨーロッパトップ10は現在のハインツのランキングとほぼ同じ。

 クリスからの情報を得たハインツの胸の内には、ザハビに対する静かなライバル意識が芽生え始めていた。


 「……そいつはかなりのやり手だな! 相手にとって不足はねえ、ありがとよ!」

 

 ひとりで勝手に盛り上がるハインツを尻目に、エキシビジョン・マッチにほぼ興味がなく、黙々と食欲を満たしていたクレアは、この店のサンドウィッチの味にはかなり満足している様子である。

 

 「……ここのサンドウィッチ、結構美味しいのに、あんまり流行ってないみたい。何でかな?」


 味に問題がなく、オークランドの繁華街という立地も文句のつけようがない。


 ならば原因は……もうこの男しかいないだろう。


 「……タブロイド記者のクリスさんがこの店に入り浸っていたら、芸能人とか政治家とか、絶対に来ないよね」


 バンドーの率直なひとことは、クリス当人を含めた大爆笑を呼んでいた。



 6月10日・14:00


 オークランド市役所に隣接する、オークランド復興記念会館。

 

 この会館は2065年、大災害から20後の節目にニュージーランド完全復興のシンボルとして建設された、収容人数2000名の中規模多目的ホール。

 しかしながら、建設34年目ともなると誰の目にも老朽化は明らかであり、近年は改修工事を進めながらの小規模なイベント開催に終始していた。


 「会館の改修工事を担当させていただいております、株式会社オーキー・コーポレーションの現場長、マッカーシーです。本来ならばイベント当日の今日は休工なのですが、部下の手違いで昨日の工程が終了しておりませんでした。少しの時間だけ残りの工程を履行させていただきます!」


 粉塵(ふんじん)対策のゴーグルに加え、マスクを着用したまま早口でまくし立てる現場長は、ぶっちゃけどんな人相なのかさえ判別出来ない。

 

 だが、ここはオークランド市役所にとって普段からお馴染みの施工業者らしい。

 ステージや客席とは離れた場所の工事だけに、その場にいた市役所の土木課長は、穏やかな笑顔を浮かべたまま頷くだけだった。


 

 「……何て言うか、随分と(ゆる)いのね。バンドー、ニュージーランドの人はイベントの最中に工事の音が聞こえても気にしないの?」


 「いや、あんなに緩いのは珍しいよ。期限にうるさい役所の仕事を請け負う企業なら、そもそも工程ミスなんてしないはずだし」


 関係者控え室で待機する一同は、断続的に鳴り響く作業音に加えて、クレアとバンドーのやり取りの内容から、主催者側に目立つ緊張感の不足を懸念している。


 「イベント中に、停電や不審者の様なトラブルがなければいいんですが……」


 エキシビジョン・マッチの宣伝効果か、シドニーセミナーを上回る入場者が予想される中、シルバとリンは万一の事態に備え、魔法の威力を高める為に控え室の窓を全開にして光と風を取り入れた。


 「……おっ、昼間でも結構冷えるな……。だが、このくらいピリッとした方が集中出来るぜ!」


 ザハビのキャリアを知った途端、目の色を変えてトレーニングに励むハインツ。

 

 クリスから渡された写真で、ザハビが自分と同じ左利きであるという事実は判明したものの、そのファイトスタイルはまるで分からない。

 36歳という年齢から、メナハムの様なスピードや身体能力は無いはずだが、技術と経験値は侮れないだろう。

 

 グラハムやスタフィリディスを無理やり左利きに見立てたハインツは、2対1のトレーニングを主体に、手数の多い攻撃からの脱出シチュエーション等、劣勢時の戦いをイメージしていた。


 「15:00からセミナーが始まります! 最初はビデオ上映ですが、30分で皆さんのスピーチになります。チーム・バンドーと、オセアニアチームからそれぞれ1名、読み手を決めて下さい」


 主催者側の要望に応え、チーム・バンドーのスピーチは地元出身のバンドーが5人の意見をまとめた原稿を。

 オセアニアチームのスピーチは、スカーフ姿でイメージチェンジに成功したキャロルが、リンとの共同作業で完成させた、自身の生い立ちと賞金稼ぎへの覚悟を綴った一文を読み上げる事になっている。


 「何事もなく終われば最高だけど、何かあったとしてもこれだけ賞金稼ぎがいる。ザハビさんもフェリックス社の人間とはいえ、この会館がピンチの時は力を貸してくれるはずだ。みんな、非常事態に備えて臨戦態勢は緩めないでくれよ!」


 「おう!」


 バンドーの掛け声に呼応して、一同は改めてセミナーに挑む気合いを入れ直していた。



 6月10日・15:40


 セミナーの幕が明け、バンドー達のスピーチが始まった頃、独自にオークランドを調査していたフクちゃんは、人間の姿で復興記念会館に到着する。


 (……おや? もうセミナーが始まっている時間なのに、まだ改修工事の音が……。オセアニアは随分とおおらかなのですね……)


 粉塵対策の為、工事現場と道路との間にはシートが張られていたが、小柄なフクちゃんが身体を屈めると、シートの隙間から僅かに内部の様子を確認する事が出来た。


 「……!? これは一体……!?」


 思わず小さな声を上げたフクちゃんが見た光景。

 それは、まるでアリバイの様に工具だけが辺りに散乱し、作業音は音源のスピーカーから流されているだけという現実。

 少なくとも、作業員の姿は現場にない。


 (……この状況、ただごとではありませんね……。皆にテレパシーを送らなければ……!)


 

 

 「……バンドーさん、キャロルさん、ありがとうございました! さて、次はいよいよ本日のメインイベント、エキシビジョン・マッチです!」


 沸き上がる拍手の中、スピーチを行うバンドー達の背後で、既にステージ上には簡易リングの様なものが出来上がっており、その両コーナーには、ハインツとザハビが待機していた。


 「ひと口に剣術と申しましても、賞金稼ぎとして生死を懸けた戦いの中ではそうそうお目にかかれない、美しい型。それを見る事が出来るのは、互いのプライドがぶつかり合う武闘大会の様な舞台です。世界には賞金稼ぎには登録せず、武闘大会のみへの参加や剣術師範としての生き方を選択する剣士も存在するのです! その妙技を味わおうではありませんか!」


 如何にも大袈裟(おおげさ)な煽りナレーションは、この道一筋のタブロイド記者、クリスの真骨頂。

 まるで水を得た魚の様に、伸び伸びと躍動する彼のマイクパフォーマンスは、主役の剣士2名を喰う勢いである。


 「赤コーナー、イスラエルはテルアビブ出身、稀代の名剣士、メナハム・フェリックスを育て上げた剣術師範、静かなる炎、アロン・ザハビ!」


 ハードスケジュールの疲れも見せず、余裕すら感じさせる佇まい。

 だが、それに反して、近づくもの全てを弾き飛ばさんばかりの鋭いオーラを身に(まと)うザハビに、会場は一瞬静まり返る。


 「青コーナー、チェコはプラハ出身、第25回ゾーリンゲン武闘大会MVP、妥協なき熱血漢、ティム・ハインツ!」


 先月の武闘大会での活躍が記憶に新しく、ブロンドヘアーのルックスで女性人気もあるハインツは、観客の声援ではザハビを圧倒的にリードしていた。


 「ハインツだ。メナハムの恩師と戦えるなんて光栄だよ。エキシビジョン・マッチとはいえ、お互い手加減なしで行こうぜ!」


 「ザハビです。強い剣士と戦う経験を積む事が出来て、こちらこそ光栄です。しかし、メナハム様と戦いたいのであれば、少なくとも私を倒してからにしていただかないと困りますな!」


 互いに燃える闘志は内に秘め、左手で握手を交わし、試合開始の間合いに戻る両者。

 表向きは平静を装いながら、その頭脳は激しく稼働している。


 「ルールを説明します! おふたりの身体に装着されている、胸、両肘、両膝、計5ヶ所の防具に攻撃をヒットさせ、制限時間5分以内に、ひとつでも多く相手の防具を破壊した方が勝者です! 尚、制限時間内に全ての防具を破壊されれば即敗北決定、同じ成績の場合、試合内容を判断するレフェリーが不在である為、引き分けとみなします!」


 「どちらも全く同じ防具だな! 了解だ!」


 クリスのルール説明に威勢の良い返事を届けるハインツに対し、ザハビは無言で頷くだけだった。


 (……武闘大会の映像は観た。テクニック、スピード、スタミナ……確かにメナハム様が高く評価するだけの事はある、一流の剣士だ……。だが……)


 ともに左利きの両者は、殊更サウスポースタイルを強調する事はなく、ハインツは剣をやや寝かせ、ザハビは正統的な構えで正面の間合いを確保している。


 (……奴は勝負のポイントを、自身のセンスに任せ過ぎている。実力派揃いの準決勝、決勝にメンタルのムラは無かったが、1回戦では慢心と思われる苦戦と、先読みの失敗を招いている……。恐らく、風貌や構えで相手のファイトスタイルを想定してしまう癖があるに違いない……)


 ザハビはあくまで正統的な構えを崩さず、静かな()り足を相手に見せつける事で、まずは様子見からハインツの剣を一旦受け止めるだろう……という先入観を植え付けようと試みていた。


 (……流石は剣術師範だな。基本に忠実、だが動きに無駄がねえ。勢いよくけしかけた所で、カウンターを喰らうのがオチだ。まずは奴の正面の構えにぶつけて、剣先を弾き返す動きを見てみるか……)


 「ファイト!!」


 試合開始の合図と同時に、静まり返っていた会場の緊張感は一気に解き放たれ、観客の大半は初観戦である剣士の戦いに歓声を上げながら、目の前の光景に引き込まれている。


 「行くぞおおぉっ……!」


 高らかな宣言を打ったのは、意外にもザハビ。

 スキップの様な出足で相手に到達歩数を読ませる事なく、瞬く間に間合いを詰めた瞬間、彼の剣は高速で振り下ろされた。


 バキイィッ……


 「……!! 何だと!?」


 最初から狙っていたのだろう。

 剣を寝かせていた為に、やや突き出る形となっていたハインツの右肘の防具を、ザハビはいとも簡単に破壊する。


 「……ハインツ!?」


 あっさりと出足を(ふさ)がれた相方のピンチに、思わず声を漏らすクレア。

 観客のみならず、チーム・バンドーに緊張が走ったその瞬間、ハインツを除く4人の耳に馴染みのある声が飛び込んできた。


 【……皆さん、聞こえますか? 会館裏の工事現場を見てきました。今、聞こえている作業音は、スピーカーから流れるただの音源です。作業員は工事をしているフリをしていただけで、既に現場にはいません。彼等は何かを企んでいます。警戒して下さい!】


 フクちゃんからの警告を耳にしたバンドーは、客席の入り口付近で不審者を見張っていたシルバに両手で合図を送り、役所の土木課長に事実を知らせる様に要請する。


 リンはフクちゃんの存在を知らないオセアニアのメンバーに情報を伝えて回り、クレアは人混みから抜け出してバンドーと合流した。


 「バンドー、どうするの!? 奴等の行動が分からない限り、試合を止める訳にもいかないし……」


 「奴等が土木課長個人や市役所の報酬に不満があるなら、こんなタイミングで行動はしないはずだ! 多分、施工業者になりすました悪党が、観客も巻き込んだテロみたいな事をしたいんじゃないか!?」


 ステージに目を向けると、想定外のザハビのラッシュに防戦一方のハインツ。

 

 しかしながら、その白熱した試合展開のおかげで、観客の目はステージに釘付けとなり、バンドー達の動きに気づく者はいない。

 バンドーとクレアは表情は真剣に、しかし声は小さく対策を練りながら、シルバとサンチェス、タワンの3名を客席の出口側に残し、残りのメンバーとともにステージの袖側へゆっくりと移動する。


 

 「私のキャリアと構えを見て、セオリー重視の慎重な男だと早合点したのだろう?」


 左右の斬り裂き、正面の突きを多彩かつ的確に使い分け、試合開始から早くも勝負を決めにかかろうとしているザハビ。

 武闘大会で対戦したカムイの様なパワーこそ感じられないものの、そのスピードと正確なテクニック、更にハインツのポジショニングに合わせた細かな修正能力は、とても36歳のそれではない。


 ガッ……


 「……!? くそっ……! 落ち着け!」


 右肘の防具に続き、左膝の防具に攻撃を喰らったハインツ。

 これでスコアは0ー2、試合開始1分で早くもザハビのリードは2点となり、ハインツの劣勢は誰の目にも明らかだ。

 

 (……落ち着け……奴の手数が如何に多くても、さっきやった2対1の練習に比べれば少ないはずだ……。グラハムはザハビより背が高く、スタフィーは背が低い……。ザハビの剣が出てこないポジションが必ずある!)


 「おらああぁぁっ……!」


 ハインツはザハビの突きをかわす動きのタイミングを加速させ、前傾姿勢に身体を屈めて相手の(ふところ)に潜り込み、ザハビの左肘の防具を下から全力で叩き上げる。


 「……ぬおおっ……!」


 左肘の防具が大破し、ザハビはその衝撃から思わず回転し、ハインツに背中を向けてしまった。


 「……チャンス!」


 ハインツはわざと剣を大きく振りかぶるフリをして見せながら、ザハビが左側に剣を突き出してガードする行動を引き出そうと試みる。

 彼の狙いは当然、無防備になったザハビの右肘の防具である。


 「喰らえ!」


 「……甘いな!」


 間合いと力配分の異なる剣が交差する、鈍い音と衝撃。

 剣術に馴染みのない観客が無言で息を呑む瞬間、ハインツの剣を受け止めていたザハビの剣は、何と右手に握られていた。


 「……くっ、何て奴だ!」


 「私は君と同じ左利きだが、右手が使えないとは言っていないよ。ハインツ君……」


 苦々しい表情のハインツとは対照的に、涼し気な表情で相手を威嚇するザハビではあったが、彼が咄嗟(とっさ)に右手に頼った背景は、実は戦術的理由だけではない。

 ハインツの一撃により、左肘にダメージを受けていたからである。


 「……私は生まれつき、他のイスラエル人とは違っていた。アラーの神に、命を捧げる程の敬意はない。ユダヤ人の復興とやらにも興味はない。私には剣術しかないんだ。……だが、私が剣術修行で訪れた地域に比べて、差別や格差の少ない生まれ故郷を愛している。この地を守る剣士を育て上げる事こそが、私の生き甲斐なのだ!」


 自身の哲学を、ぶれずに貫き通してきたザハビ。

 しかしながら、その表情には徐々に不自然な汗が滲み始めていた。


 (……もしかして、奴は左肘を痛めたのか……?)


 相手の構えに微妙な変化を感知したハインツは、このチャンスを逃すまいと、今度は自らザハビに猛ラッシュを仕掛ける。


 「おらおらっ……!ザハビさんよ、スタミナ切れかい!?」


 左肘のダメージが予想外に大きいのか、今度はザハビがガード主体の戦術を採用し始めている。

 試合開始から3分近く経過した現時点で、ポイントはザハビの1点リード、彼が守りを固めて逃げ切り態勢に入ったとしてもおかしくはない。


 (……畜生、流石は剣術師範だ。一度ガードを固めたら、そう簡単には崩せない……。!? おっとと危ねえ……!)


 攻めに意識が集中する余り、前に出そうとした右足がつんのめってしまうハインツ。

 慌ててリングの床に剣を刺して転倒を防ごうとする動きが、ザハビに自身の左肘への攻撃を警戒させてしまう。


 「……くっ……! 離れろ!」


 ザハビはハインツを振り払う様に身体を捻らせ、ハインツの目の前にザハビの右肘の防具が映し出された。


 「くおおぉぉっ……!」


 無理な体勢は百も承知。

 強引にリングの床から剣を引き剥がしたハインツは、その勢いでザハビの右肘の防具に一撃を喰らわせ、自らもリングの床に突っ伏してしまった。


 「ヒット! 両者2ー2のタイスコアです!」


 半ば偶然の産物とはいえ、振り出しに戻された一戦に観客は大興奮。

 この瞬間、賞金稼ぎと剣術、魔法学校のプロモーションを兼ねたオークランドセミナーは、大成功が約束されたと言っていいだろう。



 ガッシャアアァァン……


 大歓声に水を差す様な、突然の破壊音。

 

 ステージの奥、天井付近から聞こえてくるその音は、同時に大量のガラス片を撒き散らし、天井裏から下ろされた数本のロープとともに、そこにいる人間全てに未知の恐怖を植え付けた。


 「本当のメインイベントはここからだ!」


 天井裏のロープを伝い、真っ先に降りて来たのは、その印象的な防塵(ぼうじん)ゴーグルとマスク姿の施工業者、オーキー・コーポレーションのマッカーシー現場長。

 彼の後に続き、簡易的なゴーグルとマスクを着用した、同じく素顔の分からない男達がステージに降り立つ。


 その数は10名程だろうか。

 だが、その態度や言動から、彼等が普通の作業員だとは考えられない。


 「マッカーシー君、一体これはどういう事だ!? 工事はサボるわ、ガラスは割るわ、いくら私と君達の仲でも、この行動は目に余るぞ!」


 さっきまでの穏やかな笑顔は何処へやら。

 オークランドの土木課長は、顔を真っ赤にして怒り心頭だ。


 「……ケインズ土木課長、相変わらずおめでたい男だな。俺がマッカーシーだとまだ信じてるのか? ま、顔は分からねえし、声真似だけは練習したけどな」


 マスクの下で薄ら笑いを浮かべるその男は、ゴーグルとマスクを剥ぎ取り、自身が茶髪の丸刈りに(あご)の切り傷を持つ、マッカーシー現場長とは全くの別人である事を堂々とアピールする。


 「き、君達は……?」


 ケインズ土木課長は、まるで見覚えのない顔の男達を目の当たりにして狼狽(ろうばい)するばかり。


 「どけ! マイクをよこせ!」


 顎の切り傷を持つ男は、ステージで右往左往していたクリスに体当たりし、彼の手からマイクを奪い取る。


 「あ〜れ〜!!」


 すっかり腰が引けて怯えてしまったクリスは、体当たりの勢いでそのままステージから転げ落ち、実に彼らしく腰痛で退場してしまった。


 「……ま、名乗る程の者じゃねえ。敢えて言わせて貰うなら、そこのヒゲ剣士さんの雇い主であるフェリックス社の関係者にシマを荒らされた、オセアニアの老舗(しにせ)マフィアさん、ペトロビッチだな」


 マイクを通してのマフィア宣言に、一部の女性客からは恐怖の余り悲鳴が上がり、観客は慌てて出口へと走り出す。


 「動くんじゃねえ! この銃は本物だ!」


 パアアァァン……


 出口へと先回りしたマフィアの一員が、牽制(けんせい)目的で天井に向かって銃を発砲する。

 銃を持っているのはその男と、先程名乗り出たペトロビッチの2名だけだが、銃器が厳しく規制されているワン・ネイション下において、現場で2丁の拳銃を使用出来る事実が、それなりに影響力のあるマフィア組織の証明になっていた。


 「観客や賞金稼ぎ連中に恨みはねえ! そこのヒゲ剣士さんを人質にして、フェリックス社に身代金を払わせるまでよ!」


 ペトロビッチはザハビを指差し、試合を中断されて不満顔の両剣士の元へと、拳銃片手に歩み寄る。


 「……たかが剣術師範の私を人質に取った所で、本社が身代金など用意する訳がない。諦めて自首した方が身の為だぞ?」


 数々の修羅場を潜り抜けて来たザハビは、目の前の拳銃を全く恐れず、やすやすと捕まるくらいならマフィアと刺し違える事すら(いと)わない、そんな覚悟を見せていた。


 「……フフン、本社がお前を無視しても、メナハムは情のある男だ。恩師を見捨てたりはしないだろう? 金に糸目はつけず、後から復讐に来るだろうな。ま、その時は大金でマカオにでもトンズラするがな」


 メナハムとザハビの絆を逆手に取り、大金強奪と逃亡の計画を実行しようとする一団。

 決してフェリックス社にポジティブな印象を持たないチーム・バンドーも、マフィアの手口には嫌悪感を隠せない。


 「……お前らの事は知っているぜ。チーム・バンドーだろ? 先日は商売敵のアバーダを挙げてくれてありがとな。フェリックスの奴等がシマを荒らしたお陰で、俺達には質の悪いヤクと古い武器しか入って来ねえ。お前らみたいな、使える賞金稼ぎばかりだと助かるんだがな」


 チーム・バンドーが前回オークランドにやって来た時、ホテルで毒殺されたラグビー選手の事件を解決した際に逮捕されたのが、フェリックス社配下のドラッグディーラーであるアバーダ。

 シマを荒らされたという表現は、これらの因縁が絡んでの事と見て間違いないだろう。


 「おいお前ら! 恨みがないなら観客は解放しろよ! そもそも何で、マフィアのお前らが施工業者に成り済ませるんだ!?」


 マフィアの気を惹きながら、リンとキャロルが魔法を準備する時間を稼ぐバンドー。

 そんな魔法の存在には気づいていない様子のマフィア達だが、全員の表情からは何やら奥の手を隠していそうな余裕が感じられた。

 

 「……知りたいか? そこのケインズ土木課長は、オーキー・コーポレーションとズブズブの癒着(ゆちゃく)をしているのさ。奴等が毎年会館の改修工事が出来るのも、ミスが許されるのも、談合費用を着服しているからなんだ。だからたまには俺達が成り済まして、美味しい思いをしたくなったまでよ」


 ペトロビッチからの告白に、ケインズ土木課長は必死に首を左右に振り、自らの無罪を装おうとしている。

 

 だが、おかしいと感じている関係者は多かったのだろう。

 彼はあっという間に職員に取り囲まれ、逃走出来ない様に両手を拘束された。


 「……おお、言い忘れていたが、この会館に2個、時限爆弾をセットした。威力的には皆殺しとは行かねえが、メナハムに確実に金を出させる為には、観客も閉じ込めさせて貰わないとな」


 一時は落ち着きを取り戻していた観客が、爆弾のひとことで再び混乱し、会館の中で激しく往復を始める。


 (キャロルさん、準備はいい?)


 (……はい! リンさん、狙いは2人だけですね!)


 リンとキャロルは魔力の準備が完了し、魔法のタイミングを見計らいながら、それぞれ瞳と頬の光を隠していた。

 

 「……ん? あの光は……? サンチェス、タワン、風魔法が来るぞ! 魔法の後は、サンチェスはまず第一に拳銃を回収、タワンはあの男に1発喰らわせるんだ!」


 「了解!」


 シルバはいち早くリンとキャロルの準備を把握し、ともに出口付近に残ったサンチェスとタワンに指示を出す。


 「……くっ、卑怯な……。仕方がない、メナハム様と話をしてみよう。だがお前達、ただで済むと思うなよ?」

 

 怒りは収まらないものの、観客の命には代えられない。

 観念したザハビは、自身の横で拳銃を構えるペトロビッチを横目に、バッグから携帯電話を取り出し、ダイヤルをプッシュした。


 「……よし、電話をよこせ! お前の口から秘密の暗号でも言われたらかなわんからな!」


 どこまでも慎重なペトロビッチ。

 しかしながらそんな彼でも、今自分に魔法の引き金が向けられている事など、夢にも思っていないだろう。



 「キャロルさん、今です!」


 「はああぁぁっ……!」

 

 リンの合図とともに、それぞれ眼鏡とスカーフを外した魔導士コンビ。

 リンはペトロビッチの、キャロルは出口に陣取る男の拳銃に狙いを定め、細い糸の様な、しかし風圧が凝縮された強烈な風魔法を放つ。


 「……な、何だこれはっ……!?」


 海千山千のマフィアも、オセアニアではまずお目にかかれない威力の風魔法。

 細く眩い蒼白い光の糸は、時には渦を巻き、時には凄まじいスピードの流れ星となって男達の手首を直撃した。


 「……がああぁぁっ……!」


 恐らく、指の1本や2本は折れているだろう。

 弾け飛ぶ拳銃の行方を追う事も出来ず、ペトロビッチと出口の男はもんどり打ってその場に崩れ落ちる。


 「みんな行くぞ!」


 「おう!」


 バンドーの合図とともに、賞金稼ぎとザハビは一斉にマフィアに襲いかかった。

 

 拳銃を失ったマフィア達も、各々最低限の武器は携帯している。

 しかし、ムエタイ仕込みのタワンのキック、トーマスの人間離れした身体能力、投げつけられるナイフをものともしないハインツ、クレア、そしてザハビの剣捌き、バンドーとシルバの格闘センスと関節技、そして何より、これまでの経験が全く役に立たないリンとキャロルの魔法の前に、マフィア達は手も足も出せずにノックアウトされてしまう。


 「拳銃は回収したぞ!」


 「観客も逃がした! 後は爆弾を見つけるだけだな!」


 サンチェスとファーナム、そしてスタフィリディスとグラハムはサポート役を完遂。

 サンチェスから拳銃を受け取ったシルバは、右手を押さえて悶絶するペトロビッチに近づいた。


 「……ここまでですね。さあ、時限爆弾の隠し場所と、解除の仕方を教えて下さい」


 シルバは硬い表現を崩さず、拳銃を右手に構えてペトロビッチを尋問(じんもん)する。


 「……へっ、お前みたいな優男(やさおとこ)に銃が撃てるのか? 俺達がここまで来て、何の被害も出さずに降伏する訳がねえだろ!」


 ペトロビッチの真っ赤に充血した瞳には、これまでの人生を総括するかの様な、マフィアの熱い意地が滲み出ていた。


 「……仕方がありませんね。このエンブレムをご存知ですか? EON(アース・ワン・ネイション)アーミーの中尉階級章と、全軍射撃成績トップ20の証明カラー、ネイビーブルーです」


 バンドーやリンを始め、温かな仲間を得た現在、今更軍隊時代の功績を誇示する理由など、シルバには存在しない。

 だが、今、目の前のこの男には教えなければならない。


 自分がかつて、仕事で人間を殺せた男であった事を……。


 「……ちっ、分かったよ。爆弾の隠し場所は、多目的トイレの真ん中の個室、そして工事現場の非常階段から上がった天井裏の床だ。かなり古い型の爆弾だから、残念ながら俺達にも解除の仕方は分からねえんだ。もっとも、火薬が湿って爆発しないかも知れないがな」


 遂に観念したか、ペトロビッチはがっくりと肩を落とし、シルバに時限爆弾の情報を白状する。

 フェリックス社のせいで彼等に古い武器しか入ってこないという話は、確かに嘘ではないらしい。

 

 「スタッフの皆さん、パトカーと消防車の手配をして会館から離れて下さい! 時間がありません、自分はロープから天井裏に行きます。解除方法が判明した時点で連絡しますから、誰か多目的トイレに行ってくれますか?」


 「ケンちゃん、任せろ! 俺が行くぜ!」


 ここは地元のニュージーランド。

 幼馴染みのバンドー、シルバの名コンビ以上の適役はいないはずだ。


 「解除が無理な場合、自分がバンドーさんを連れて脱出します! 皆さんも早く逃げて下さい!」


 軍隊で爆発物に慣れているシルバは、手際よく指示を出して天井裏から降ろされたロープに飛びつき、バンドーは多目的トイレへとダッシュする。


 「シルバ君、私も行きます! いざという時は魔法で……!」


 「ジェシーさん、大丈夫! 無理はしませんから!」


 最愛のパートナーをサポートしたいというリンの願いを、シルバは柔らかく断り、彼の意図を理解したクレアがリンの手を引きながら、いち早く会館の外へと走り去った。


 「よし、みんな行くぞ! シルバとバンドーを信じるんだ!」


 ハインツは一同を先導して会館から脱出し、左肘を痛めたザハビとは、互いの健闘を讃えて右手で固い握手を交わす。



 「……これは……練習用の爆弾!?」


 シルバが天井裏で見つけた時限爆弾は、彼が入隊したての新兵時代に何度も訓練や工作実習で使用した、基礎的な構造の爆弾だった。

 

 火薬ケースを貫通した導管に電流が走り、火花から誘爆する極めてシンプルな旧式のもので、片側だけが導管に繋がる赤青の色が塗られた2本のコードの内、正しい1本を切断すれば爆発を防げる。

 しかも、導管に繋がっているコードは危険を意味する赤い色になっており、仕組みさえ知っていれば誰にでも解除出来る代物である。


 「……良かった……この型なら楽勝ですよ……」


 シルバは何の迷いもなく赤いコードを切断し、爆弾のタイマーは残り7分で停止した。


 「バンドーさん、爆弾は見つかりましたか?」


 犯行のセオリーを考えれば、2個の時限爆弾のタイマーは同時か、逃げ道を塞ぐ目的で僅かな時間差をつけて爆発する様に調整されるもの。

 バンドーの爆弾を解除するまで、まだ6分以上の猶予が残されており、シルバは余裕すら持てる状態で電話をかけている。

 

 「あ、ケンちゃん、あったよ! ケンちゃんの方は解除出来た?」


 「ええ、ちょろいもんです! 軍で散々研究した型でしたからね! 上下に赤青の色が塗られた2本のコードが繋がっていますよね。赤い方のコードを切るだけでタイマーは止まりますよ!」


 シルバは意気揚々とバンドーに説明したものの、相手からの返事が来ない。


 「……ケンちゃん、赤いコードがないよ! 古すぎて日光の色落ちが酷いんだ! 2本のコードが両方ともクリーム色になっちゃってて、どっちが赤なのか分からないよ!」


 「……そんな……バカな!?」


 余程保管場所が悪かったのか、赤青どちらの色も判別出来ない非常事態。

 普段はクールなシルバの顔にも、大量の脂汗が滲んでいた。


 「バンドーさん、タイマーはあと何分残っていますか? 無理せずに脱出して下さい! 自分達は警察ではありませんので、最悪会館の一部が爆発しても仕方ありません!」


 人命第一、シルバはバンドーの身の安全を最優先させ、楽観的な親友を心配しながら説得する事に。


 「まだタイマーは6分ある。もう少しだけ考えたいんだ! ケンちゃん、何かヒントない!?」


 自分達がアドバイザーとして参加したイベントで、公共の施設が爆発……。

 不可抗力とはいえ、賞金稼ぎのイメージが低下しかねない事態故に、バンドーの気持ちも理解出来るのだが……。


 「火薬ケースに繋がるコードは1本だけで、片方はシャットアウトされています! ですから、爆弾に均等に、ゆっくりと風を当ててみれば、片側からだけ僅かに火薬が舞うのが見えるかも知れません……それくらいしか判別の方法はありません!」


 シルバの話は、理屈としては確かに正しいだろう。

 だが、多目的トイレの個室に取り付けられた爆弾に窓から風を均等に当てる事は不可能だ。

 

 「……よし、分かった! 何とかやってみるから、ケンちゃんは早く逃げてくれ!」


 「そんな……バンドーさん!」


 シルバは更なる説得を試みたが、バンドーが電話を切った為、やむ無くひとり天井裏からステージに飛び降り、会館の外へと急ぐ。


 「魔法は久しぶりだな……頼むぞ……」


 呼吸を整え、首の後ろの感覚を確かめるバンドー。

 

 トイレの中でも、魔法が使える手応えがある!

 流石は自然の豊かなオセアニアだ。


 「ゆっくり、ゆっくり……」


 額を蒼白く光らせ、静かな風を個室内に少しずつ充満させ、その光を爆弾に照射する。


 次の瞬間、爆弾の下半分から光に僅かに反射する粉の存在が確認出来た。


 「下だああぁぁっ……!」


 一瞬の迷いを振り切り、バンドーは下のコードを勢いよく切断する。


 タイマーは無事に停止、残り時間は2分36秒だった。


 「やった〜! ケンちゃん、やったよ〜!」


 嬉しさの余り、その場で暴れ出すバンドーに僅かに遅れる事数秒、馴染みのある少々お間抜けな鳴き声のフクロウが、トイレの窓から強行突入を図る。


 「ひゃあー」


 白黒毛並みのフクロウも普段より焦っていたのか、羽をバタつかせ、大きく両目を見開きながら興奮している様子。


 「フクちゃん、爆弾は解除したよ。でも、ギリギリだったら助けてくれるつもりだったんだね、ありがとう!」


 女神様の粋な計らいに感謝して、満面の太字スマイルでフクちゃんの頭を撫でながら、バンドーは駆けつけた仲間達の祝福を受けていた。



 6月10日・20:00


 「ザハビ、今はオークランドのホテルにいるのか? 16:00頃、私の携帯電話にお前から電話があった様なのだが、切れていた。一体、何の報告だったのだ?」


 ギリシャに到着したメナハムは、つい数時間前までザハビとフェリックス社に危機が迫っていた事など(つゆ)知らず、相変わらず気まぐれな時間帯に電話をかけてきている。


 「いえ、メナハム様、大した報告ではありません。ただ、私とハインツの勝負の結果は、同スコアの引き分けだった事をお伝えしたかったのです。メナハム様が高く評価されていた通り、彼は強く、そして気持ちのいい青年でした。しかしながら、私もまだまだ老け込んではいないと言いたかったのですよ」

 

 ザハビはそう言って静かに微笑み、痛む左肘を(さす)りながら夜空を見上げ、近い将来、ハインツとの再戦の為に自らを更に鍛え上げる決意を固めていた。



  (続く)


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― 新着の感想 ―
[良い点] 最新話、お疲れさまです! いつ読ませて頂いても「勢いがあるなぁ」と驚かされます。 仲間内での会話。やり取りというか返しがいちいち格好いいんですよね。仲が良いというのか、強い絆も言外に感じ…
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