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バンドー  作者: シサマ
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第51話 再出発の地


 6月6日・19:00


 「……窃盗団は解体したけど、色々と心配よね……」


 シドニー空港の到着ロビーの椅子に腰をかけ、虚空を眺めるクレアはそう呟いた。


 シドニーでの仕事を終えたチーム・バンドーの出発は明朝だが、ヨーロッパからやって来るサンチェスとタワン、そして特殊部隊のキムも偶然同じスケジュールであった為、メンバー達は彼等を空港で出迎える事に。

 

 だが、そのパーティーにリンの姿はない。

 

 シドニーで共闘した新米魔導士、キャロルの精神面に不安が否めないリンは、スタフィリディスやトーマスら、オセアニアの賞金稼ぎチームと行動をともにし、4日後、オークランドで行われるニュージーランドセミナーで再会するまでの期間、キャロルを指導する決断を下したのだ。


 「……魔法に関しては、ジェシーさん以上の人はいませんし、自分達はオセアニアチームの成長を信じるだけですよ……」


 最愛のパートナーとの別行動にシルバも寂しさを隠せす、警察に保護された少年、ハリーとボビーにも、これから贖罪(しょくざい)への道が待ち受けている。


 「……すみません……。警察の準備がずさんだと感じたので、私が車を動かしてしまったのですが、ハッピーエンドとは行きませんでした……」


 人間の姿に戻ってチーム・バンドーに合流したフクちゃんは、自身の判断が車と事件だけでなく、多くの人間の運命を動かしてしまった事に遺憾(いかん)の表情を浮かべていた。


 「……いや、フクちゃんがあの車を動かしていなかったら、黒幕のミラスは拘束出来なかったし、ハリーとボビーも、悪の道に深入りしていたはずだよ。フライヤーさんが、車を動かした警官が名乗り出ればボーナスを出すって言っていたくらいなんだから、フクちゃんは大手柄をあげたのさ!」


 バンドーはフクちゃんの行動を評価し、隣に座るハインツも無言のまま大きく頷く。



 シドニーの刑法では18歳を成人として定め、18歳のハリーと17歳のボビーとの間で、自動車窃盗容疑の量刑には差が出ていた。

 だが、ハリーは警察の認識上初犯であり、かつ両親が社会性を失う重度のアルコール依存症である事から、情状酌量で今回の判決は執行猶予がつくとみられている。


 一方、まだ未成年のボビーは警察の保護観察下で更生プログラムを受け、ハイスクールに復学するか職業訓練を受けるか、どちらかを選択する。

 彼が選んだ道は、ハリーとともに自動車整備工の資格を取得して働く事だった。



 弟を改心させる事に成功したトーマスは、キャロルとともにフルタイムの賞金稼ぎとなり、本業の合間を縫って参加するスタフィリディス、ファーナム、グラハムの欠員時は、間もなく到着するサンチェスとタワンが穴を埋める。


 オセアニアの治安維持プロジェクトの一環である賞金稼ぎの育成は、今こうしてひとつの成果を実らせようとしていた。



 「……ところでフクちゃん、俺達と離れて一体何をしていたんだ? 言えないなら無理には訊かねえが、共有出来る目的なら教えてくれ」


 一瞬で自動車の位置を入れ替えてしまう程の魔法は、地球の重力を考えると人間には使えない。

 ハインツは、フクちゃんの力に改めて脅威を感じた上で、その隠密行動の理由を知りたがっていたのである。


 「……分かりました、お伝えしましょう。以前お話した通り、私達神族は自然の守護者です。しかしながら、これまで神族が一体となって他の生物の営みに介入した事はありません。私が皆さんに協力して目前の悪行を阻止した事はあっても、神族が人間の戦争を強制的に止めたりする事は出来ないのです」


 「……人間も自然の構成員、って訳ね」


 フクちゃんは神族の事情を説明し、クレアの解釈にも頷いてみせた。


 「……私の任務は、自然の脅威となり得る人間の行動を監視し、その脅威を人間同士で解決に向かわせる様に、啓蒙活動を行う事なのです。幸いにして、チーム・バンドーの皆さんは、私利私欲でモラルを犯す様な方々ではありませんでしたし、職業的にフットワークも身軽です。ですから、私は旅に同行させて貰っているのです」


 「……まあ、俺達にも人脈はある。シルバやクレアの人脈なら、軍や警察、富裕層を含めて、他の賞金稼ぎよりは啓蒙出来る範囲は広いだろう。だが、これだけ広大な世界だ。もっと影響力のある企業とかに入り込んだ方が…………!?」


 フクちゃんに持論を返そうとしたハインツは、自らの言葉を選んでいた瞬間、その最大の問題点を理解して沈黙する事となる。


 「……そうです、現在最も影響力のある大企業、フェリックス社の動きこそが、私達神族の最大の懸念なのです」


 「……やはり昨日話していた、活断層周辺の建設作業に関する事なんですね」


 シルバからの問いかけに無言で頷き、バンドーから紙とペンを借りたフクちゃんは、一瞬の迷いも見せずに短時間で世界地図を描く。

 その地形は、人間が良く知る形の一般的な世界地図ではなく、大災害後に発生した微妙な地形の歪みまでも正確に再現したもので、時に神界から見下ろし、時に自ら飛び回った彼女の知見が凝縮されていた。


 「地球の活断層は、その多くがアジアにありますが、ニュージーランドにもアルバインという活断層がある様に、プレートで繋がる地域にも警戒が必要なのです。幸い、アルバインで怪しげな地質調査や建設作業は今の所ありませんし、シドニーの剣術学校、魔法学校の現場も不穏な動きはありませんでした」


 自ら生み出した世界地図に、鮮やかな手捌きで赤線のプレートを入れていくフクちゃん。

 現在は世界地図から姿を消している旧日本に、複数のプレートが重なっていた事実も再確認されている。


 「ニュージーランドは大丈夫なんだ……って安心しちゃうのはオセアニア人のわがままだね、ごめん。フェリックス社も、オセアニアのビジネスに取りかかったばかりだから、今は無難に動いているだけかも知れないね」


 地元の安全を早合点してしまったバンドーは静かに反省し、気を引き締め直した。


 「活断層周辺の地質に刺激を与えるだけで、そう簡単に異常が現れる程、アースは脆くはないという見方もあるでしょう。ですが、既に前回の大災害で、アースは限界まで弱っているというのが神族の見解です。単発的な地震で済んでいるうちに、無謀な開発は止めさせなくてはいけません。もう一度大災害が起きれば、この世界の秩序は失われます」


 フクちゃんのこれまで以上に真剣な表情から、神族の真の目的を理解するチーム・バンドー。

 便の到着を予告するアナウンスは、知らぬ間に彼等の耳を素通りする。


 「……特殊部隊は既に、フェリックス社の行動を細部に渡って監視しています。もうすぐ到着するキムは朝鮮系ですから、アジアの動きは意識しているはず。情報を交換しましょう」


 「ケンちゃん、クォンさんもいるよ! そろそろウチに来る時期だし、クォンさんを通してアジアにも警戒を広めないと」


 シルバとバンドーのやり取りで名前の挙がったクォンとは、バンドーファームの商品をアジアへと流通させるビジネスマン、スンフン・クォンの事。

 バンドーの兄シュンは、先の大災害を知るビジネスの大先輩であるクォンを、自らのお手本と慕っていた。


 

 「……あ! 何だか騒がしくなってきたみたい。話し込んでいる間に飛行機が着いたのね!」


 周囲の異変に気付いたクレアは、慌ててパーティーをけしかけたが、男性陣は微動だにしていない。


 「クレア、慌てなくても大丈夫だ。サンチェスはまだ普通の見た目だが、キムとタワンだろ? ガタイも含めて一瞬で分かるさ」


 「……ま、それもそうか……」


 余裕の笑みを浮かべるハインツを見てクレアも肩の力を抜き、パーティーは通路が見渡せる端の座席を確保するにとどまった。


 「……中尉! お久しぶりです!」


 チーム・バンドーに発見される前に、颯爽とロビーに現れるキムと、彼に続くサンチェスとタワン。

 軍隊時代はシルバの部下だったキムは、例え所属が変わろうとも、シルバをこう呼び続けるのだろう。


 「……キム……その呼び名はそろそろやめてくれと……」


 半ば呆れ顔で振り向くシルバも、仲間の無事に胸を撫で下ろし、バンドー達も笑顔で彼等を迎えていた。


 「……何だ? 中尉って……。軍人が乗っていたのか?」


 キムの無用な行動に周囲の乗客はざわつき始め、長身かつ鍛え上げられた肉体のキムとタワンに挟まれた、中肉中背で平均的なルックスのサンチェスは居心地が悪そうに見える。


 「ちっ、勘弁してくれよ……」


 ヨーロッパから出た事のないサンチェスにとって、ハインツ同様長時間のフライトはやはり堪えたのだろう。

 疲労に加えて、キムとタワンに比べると見劣りする体格から、余計な引け目を感じている様子だ。


 「乗り換え前に1泊するのは賢明だな。強行軍の俺達は酷え目に遭ったぜ」


 苦笑いのハインツは3人に握手を求め、バンドーはサンチェスの背中をさすりながら満面の太字スマイルを浮かべる。


 「……オークランドからは、明日の午前中に警察から貸し出される予定のバスでバンドーファームに向かうんです。トイレもありますし、20人は乗れるサイズですから、中尉達も一緒にどうですか?」


 キムからの思わぬ誘いに、色めき立つチーム・バンドー。


 「……え!? いいの!? 今ならまだ俺達の迎えのキャンピングカーは出てないはず……ちょっと電話しとくよ!」


 バンドーはバスに乗る気満々で電話をかけ、オークランドで待ち合わせる予定だったジェフェルソンを任務から解放。

 つまらない日常の仕事をしなければならなくなったジェフェルソンからは、むしろ不満の声らしきものが漏れており、その様子はバンドーの携帯電話越しにも周囲に聞こえていた。

 


 6月6日・20:00


 「あんまり綺麗な所じゃないけど、少しの間使ってよ。会社には許可を取っているんだ」


 自身のスポーツショップに戻ったファーナムとグラハム、そして弟の一時帰宅を手土産に実家へと向かったトーマスは、4日後のニュージーランドセミナーで再び集合する事になっている。


 故郷のキャンベラには居場所のないキャロルと、彼女を少しの間支える覚悟を決めたリンは、スタフィリディスの厚意により、彼の職場の社宅空室に間借りを決めたのだ。


 「……スタフィリディスさん、ありがとうございます。感謝の言葉もありません……」


 「スタフィーでいいって! 俺達、仲間なんだからさ!」


 恐縮しきりのキャロルだが、スタフィリディスにとって彼女は歳上であり、加えてその長身は自分を超えようかというレベル。

 恐縮するのは彼の方なのかも知れない。


 「……私、1ヶ月前までは図書館司書だったんです。会社で雑用が必要な時はお手伝いさせて下さい」


 リンはスタフィリディスにそう進言しながら、無意識のうちにこの1ヶ月という期間を回想していた。

 

 

 魔法の腕前を隠しながら、平凡な図書館司書として生活していた彼女がバンドー達と出会い、事件に巻き込まれ、その後旅行という名目でパーティーに合流。

 そして武闘大会に優勝し、職場環境の激変から、遂に賞金稼ぎへの転職を決意する。

 

 シルバという、公私ともに頼れるパートナーを得た現在は、大企業の野望とそれを監視する神族の目的を知り、この世界に忍び寄る危機を懸念する立場に……。

 普通の人生であれば、10年に相当する密度と言っても過言ではない。

 

 リンが今すぐに賞金稼ぎを引退して、両親の仇討ちを遂げたシルバとともに平凡な家庭を築いたとしても、仲間達から責められる事はないだろう。

 

 だが、今の彼女にその選択肢は存在しなかった。

 料理人の父、女優の母、そしてモデルから格闘家に転身した兄という、自分の心に正直に生き続けている家族の血統が、リンの体内に息づいているからである。



 「……そういえばリンさん、普段眼鏡をかけているのに、魔法を使う時は眼鏡を外していますよね? 目が霞んだりしないんですか?」


 ひとり物思いにふけっていたリンを現実に引き戻したのは、意外にもキャロルからの問い掛けだった。

 

 彼女も少しは自分と打ち解けてきたのだろう。

 そう前向きに解釈したリンは、穏やかな表情でキャロルと向き合い、ゆっくりと眼鏡を外して自身の瞳に指をさす。


 「キャロルさんも見たでしょう。私が魔法を使う時、瞳が光る所を……。私も貴女と同じ様に、感情から魔法が発動してしまう事があるんです。瞳にレンズを挟めば、魔法の光を一瞬遮断する事で発動に少しだけブレーキをかけられるので、日常生活が送りやすくなるんですよ」


 リンの説明には、多少の自虐的な照れが含まれている。

 自身が本の虫である現実から、いずれは眼鏡なしでは生活出来なくなるだろうという、未来予想図が顔を覗かせたからだ。


 「……そんな事……。私、知りませんでした……。私も、この頬の(あざ)を隠したかったのですが、ずっと隠していると不自然になるので、どうしていいのか……?」


 自身の長い髪を両手で掴み、両頬に密着させるキャロル。

 長身に加えて整った顔立ちだけに、どんな髪型でも似合う彼女ではあったが、左頬にだけ巨大な絆創膏を貼る訳にもいかず、痣を隠す程の厚化粧にも否定的な為、結局髪を切る事が出来なかったのである。


 「……キャロルさん、貴女の痣は恥ずべきものではありません。貴女にその痣をつけた人間こそが、恥を背負って生きるべきなんです。ただ、貴女をその痣の呪縛から解放する為に、新しいファッションを試してみるのは、現実から逃げている事にはならないんですよ」


 慎重に言葉を選びながら、キャロルを諭すリン。

 何やら思惑があったのだろうか、リンは満面の笑みを浮かべて、バッグから真新しい布の様な物を取り出した。


 「……これは……スカーフ?」


 リンが取り出した布は、キャロルの白い肌に合わせたと思われる薄いベージュのスカーフで、自身がモデルとなり、不自然にならない顔の隠し方を提案する。


 「ホテルの売店で買ったんです。今はオセアニアにも伝統を守るイスラム教信者の女性がいますし、ファッションで顔周りをプロデュースする人もいます。鼻から下をスカーフで隠すのは、むしろ魔導士のイメージ的にはおかしくないと思いませんか?」


 「……おお! リンさん似合ってる! 水晶玉で占いする人みたい!」


 スタフィリディスの例えは、かなり古臭い。


 「キャロルさんなら、どんなファッションも似合うと思います。頭のターバンと組み合わせたり、帽子を被ってみたり……。実習でお小遣いも貰えましたし、そういう事を楽しんでみてもいいと思うんです」


 これまで、自分の不幸にずっと囚われ続けてきたキャロルに訪れた、暖かなひととき。

 仲間の優しさに触れ、肩を震わせながら、いつの間にかこみ上げる熱い涙を流す彼女に、リンはそれ以上の言葉はかけなかった。


 「……俺、仕事を手伝ったらバイト代が出る様に会社に頼んでみるよ! 明日の夜にでも、買い物に行こう!」


 明るさを絶やさず、夜にも関わらず職場の上司に連絡しようと駆け出すスタフィリディス。

 

 彼の人生も、決して順風満帆だった訳ではないだろう。

 だが、周囲の人間に恵まれ、その幸運を引き寄せた一因に、彼の前向きな明るさがあった事は想像に難くない。


 リンにとって、スタフィリディスのその姿は何処となくバンドーを彷彿とさせ、最終的にオセアニアのチームを機能させる力のある、リーダーの器を持つ人間は、恐らく彼なのだと確信していた。



 6月7日・13:00


 快晴のオークランド空港に到着し、警察からキムに貸し与えられたバスに乗って、一路カンタベリーはカイアポイを目指す一同。

 

 3日後のニュージーランドセミナー開催までの間、オークランドを調査する為、フクちゃんは再びパーティーから離脱する。

 だが、今回の彼女はフェリックス社の商業施設や流通ルートを探る中、時には人間の姿となり、オーストリアでパーティーから分け与えられた、人間界の通貨を利用してフライドポテトを食べたりと、楽しむ事も決して忘れてはいなかった。

 


 「……少々路面が荒れている様ですね。乗り心地に不満があれば言って下さいよ」

 

 警察車両で周囲に遠慮が必要ない事もあって、キムの運転はジェフェルソンも真っ青のハイスピードなのだが、軍隊と特殊部隊で鍛えたそのドライブテクニックは、全く危険を感じさせない安定感に満ちている。

 

 銃弾が降り注がないだけ快適、と言わんばかりに。


 「……すげえ! この調子なら夕飯時に着いちゃうかもね!」


 窓から流れる景色を追いきれないバンドーが、やや興奮気味に叫ぶ。


 「……フフッ、それは無理ですね。クライストチャーチ付近は昨日、瞬間的に大雨が来たみたいですから。路面の状態を見て、スピードを落とす所は落としますよ」


 時折覗かせるその鋭い眼光から、キムにも朝鮮系ならではの熱さや激しさは眠っているのだろう。

 しかしながら、任務遂行中の彼はまるで機械の様に正確で冷徹だ。


 「正直、空港に着いただけで空気の美味(うま)さを感じたよ。ここが俺達の再出発の地なんだなって……」


 沈黙を続けていたタワンは、長旅の疲れをほぐす様に大きく上体を伸ばしている。

 

 タイ系移民の息子とはいえ、生まれも育ちもサンチェスと同じマドリード。

 ムエタイ選手時代に訪れたタイでの修行以外、彼も大自然とは無縁の人生だったのだ。


 「農場の仲間にはちゃんと説明してある。お前達の前科も説明したから、初めは距離を感じるかも知れないけど、真面目に働けばすぐ認めてくれるよ。若い男が必要な職場だしね」


 バンドーはタワンとサンチェスの肩を叩き、未知の環境での再出発を後押しする。

 しかし、サンチェスの顔色は相変わらず冴えない。


 「……タワンの罪は故意じゃねえ。あれは事故だ。だが、俺の罪は違う。確かにオジャルは悪党で、大企業とも癒着していた。俺は情状酌量を受ける事が出来たが、奴を殺そうとして刺したんだ……。そんな俺が、こんなに早く再出発出来るなんて、ありがたい話なんだが、喜べねえよ……」



 サンチェスとタワンは家族ともども、巨大な建設会社の下請けで小さな部品工場を営んでいたが、元請け企業の横暴により理不尽な扱いを受け、工場の倒産とともに彼等の両親は自殺に追い込まれてしまう。

 

 元請け企業に雇われて悪行三昧の賞金稼ぎ、オジャル・アルサバルに復讐したサンチェスだったが、オジャルは重症を負ったものの一命をとりとめる。

 そこで、騒ぎを大きくしたくない企業は両者と警察に取り入り、オジャルには治療費を、サンチェスには罪の軽減を、警察には罰金を提供する形となったのだ。


 「……サンチェス、そうやって悩む君の姿こそが、悪の道を抜け出せた要因なんだ」


 寡黙に運転を続けていたキムは、恐らく機内で何度も覗かせていたであろうサンチェスの葛藤を、必要最小限の言葉で(ねぎら)う。


 「……殺人も辞さない罪の償いとしては、情状酌量が過ぎると思っているんだろ? だがなサンチェス、お前はこれから1年農場で働きながら、オセアニアの治安維持活動として、無償で悪党と戦わないといけないんだ。その決断は誰でも出来る事じゃねえぜ」


 「そうよ。何ならスペインで5年くらい服役した後で再出発したって、まだ30前なんでしょ? そっちの方が楽な生き方なんだから、そう卑屈になる必要はないわ」


 ハインツとクレアに激励され、ようやく顔を上げたサンチェスに、彼の長年の相棒であるタワンが肩を組んで寄り添う。


 「俺達はスペイン……いや、マドリードに嫌な思い出しかないんだ。エスピノーザさんの所では一瞬だけ、自分達が強くなった、偉くなったと勘違いしたけどな……。卑屈にならず、虚勢も張らない生き方を見つけるには、ヨーロッパから出るべきだったんだよ」


 言葉に出来ない想いを相棒に代弁され、長く沈んでいたサンチェスの瞳に、ようやく活気が戻っていた。



 「……キム、ちょっといいか?」


 オセアニアの6月は初冬。

 夕暮れ時にはすっかり辺りも暗くなり、一同の大半は快適な眠りに就いている。


 軍隊時代の昔話に花を咲かせていた2人の男だけが起きているそのタイミングを見計らい、シルバはキムとの情報交換を試みていた。


 「……とある情報筋からの話なんだが、フェリックス社がアジアを中心に、活断層のある地域で同時多発的な建設作業を行っているらしい。活断層周辺なんて、経済活動にはまるで向かない環境だろ? 怪しいと思わないか?」


 とある情報筋……シルバがフクちゃんからの情報をわざとぼかしてみせたのは、真偽の判断に影響を与える不要な先入観を取り除き、自身の見解とキムの見解を比較する必要があったから。

 そんなシルバの意図を理解したのか、キムも何やら意味ありげな微笑みを浮かべる。


 「……中尉、自分は今は亡き祖国を知らなくとも、自身をアジア人だと思っています。中尉だってブラジルの血が流れているから、南米の情勢は意識するでしょう? 強制的に命を張らされてきた軍人の思考回路とはそういうものです。特殊部隊でも既に分析中ですが、間違いなくドラッグや密輸兵器の保管倉庫ですよ。フェリックス社に協力的な中国が、裏ビジネスを掌握出来る様に配慮したのだと思います」


 建設物に関する見解は、両者がほぼ一致。


 「……だろうな。後は建設地の選択理由についてなんだが、同時多発的に活断層へ刺激を与え続ける事で、人為的に地震を起こそうとしているという懸念を寄せている者もいる。お前の見解を教えてくれないか?」


 シルバは続けて、フクちゃんら神族の懸念をそれとなく伝えたものの、キムからの回答はやはり慎重なものだった。


 「……随分と飛躍した理論ですね。まあ、あり得ない話ではありませんが、確実性、コストパフォーマンス、地震発生時の自社への損害等を考慮すると……。地質の微妙な変化までを把握している全知全能の神でもなければ、そこまでの確信は持てませんよ。調査の手が及びにくい地域を選んでいる段階で、偶然活断層に近づいただけだとみています」


 徹底したリアリズムが求められる、軍隊という組織で活動していたキムから「神」という言葉を聞いた瞬間、シルバは苦笑いを抑える事が出来ない。

 そして自分が、人智を超越した能力を持つ女神と知らぬ間に普通に接していた現実にも、である。



 6月7日・19:30


 「間もなくバンドーファームに到着します! 皆、起きていますか?」


 長旅もラストスパートに差し掛かり、威勢の良いキムの掛け声に反応して、バンドーを始め、一同は続々と目を覚ました。


 「……キム、もうすぐ右手に動かないジープが放置されているのが見えるはずだ。そこから次に見える門を右折してくれ」


 「了解しました」


 ここまで完璧なドライブを続けているキムに、唯一助言しなければならないバンドーファームへの扉。

 元上官であるシルバとのコンビネーションにより、車内の誰もがミッション完遂を確信したその時……。

 

 

 「そこの車! その男を捕まえてくれ!」


 初冬の乾いた空気を切り裂く、若い男の叫び声。

 

 その声に聞き覚えのあるバンドーは、慌ててバスの窓から身を乗り出し、闇夜の中から兄シュンの姿を見いだす。


 「兄貴! 一体何が……!?」


 「レイジか!? ニッキーの、ニッキーのギターが……!」


 長距離追跡をしていたのだろう、両膝に手をつき、白い息を切らせてどうにか状況を説明するシュン。

 つい先程、バスの横をひとりの男が通過したらしい。


 「キム、300メートル、誤差左20°と言った所だ。やれるか?」


 「勿論です、中尉!」


 対策を考える素振りすら見せないシルバとキムは、阿吽(あうん)の呼吸から高速でバスをバックさせ、ニッキーのギターを抱えて逃走する男に接触させる事なく追い越す事に成功した。


 「わっ!? 痛たた……バックするならそう言ってよ……!」


 まだ半分寝ぼけていたクレアは衝撃でシートから転げ落ち、腰を押さえながら最後に運転席へ合流する。

 

 そしてそこには、突如として訪れた生命の危機を回避した安堵感からか、その場に座り込んでしまった若い男の姿があった。


 「……さあ、事情を聞かせて貰おうか」


 シュンを中心に、ニッキー、バンドー一同、更に火事と喧嘩は何とやら、まさしく老婆心から駆けつけたバンドーの祖母、エリサにまで取り囲まれた男は、それでも強気な表情を崩していない。

 

 小柄ではあるが、がっしりと引き締まった上半身を持ったアジア系に見えるその男は、意外にも小綺麗な身なりをしており、派手なアクセサリーを身に着ける余裕もある。

 これまで窃盗やストリートファイトで生計を立ててきたのだろうが、堅気の仕事を知らない様な育ちの人間には見えなかった。


 「……これ程の援軍がいたとは、誤算だったぜ。俺は飢えちゃいない。食い物じゃなく、この農場で一番金になりそうな物をいただいたまでよ」


 威勢良く立ち上がった泥棒の、開き直った態度と表情に怒り満面のシュンとニッキー。

 

 それものそはず、このギターはニッキーがプロのミュージシャンとして初めて得た契約金で買った高額なもの。

 彼女にとっては自身のキャリアの証明でもあり、シュンにとっては最愛のパートナーとの出会いのきっかけとなったものなのである。


 「……警察の特殊部隊所属、ドンゴン・キムだ。運が悪かったな、お前は現行犯だよ」


 上着のポケットから、少々気だるそうに警察手帳を取り出すキム。

 バンドーファームで新鮮なご馳走にありつく前に、地元の交番で余計なひと仕事が増えてしまった。


 「……へっ、俺のバックには組織が付いているんだ。ちゃんと黙秘権の保証と弁護士の謁見(えっけん)を認めねえと、後が怖いぜ……」


 ビシイィッ……


 カンタベリーの寒空に響き渡る、乾いた打撃音。

 キムの前に黙って割り込んだタワンが、挨拶代わりのローキックを泥棒に叩き込む。


 「……この間までの俺みたいだな、お前。見ていて腹が立つから、さっさと消えてくれ」


 「……がっ……! ぐおおぉっ……!」


 プロ経験のあるムエタイファイターからローキックの直撃を左足に喰らい、その場に崩れ落ちる泥棒。

 片足だけのダメージとは言え、立ち上がる事すら容易ではないだろう。


 「……ほう、タイトな私服であの足の振りが出せるとは……」


 孫から情報を聞いて以来、タワンの格闘センスに注目していたエリサは、彼の行いの是非はともかくとして、その成果に満足気な表情を浮かべていた。


 「タワン、俺達まだ観察中だ。そのくらいにしておけ!」


 「……いや、ご協力ありがとうございます」


 慌てて親友を押さえつけるサンチェスを横目に、キムは極めて職業的なスマイルで対応している。



 6月7日・21:00


 泥棒を地元の交番へ届けた後、キムを含めた一同はバンドーファームで遅い夕食を楽しんでいた。


 夕食にはバンドー一族の他、シルバセラーの若手代表として、自分と似た立場のちょいワル職員の到着を心待ちにしていたジェフェルソン、そして人手不足に悩むタナカ農園からサヤが参加。

 とりわけタナカ農園の現状は深刻な様子である。


 「うちの職員さんが、怪しいキノコ食べて入院しちゃったのよ……。全く、何の為にこの仕事で経験を積んだのかしら……」


 実は、専門家でも判別は難しい毒キノコ。

 命に別状のない症状だった事が、不幸中の幸いと言えるだろう。


 「……レイジ、俺はそろそろ本業が忙しくなってきて、家の手伝いは難しい。現場は上背のある男を欲しがっているらしいから、タワンをバンドーファームにスカウトしてくれよ」


 バンドーより高身長である、180㎝のシュンの代わりが務まる職員はタワンだけ。

 バンドーはエリサと顔を見合わせ、格闘技の弟子としてもポテンシャルの高いタワンのスカウトを即決して頷いた。


 「……俺は何処でもいいぜ。断れるだけの徳は積んじゃいねえしな」


 ビールが回ってきたのか、顔を赤らめて上機嫌なタワンはすんなりとバンドーファーム行きを快諾する。


 「バンちゃん、うちも男手が欲しいの! シルバセラーはこの間繁忙期を過ぎたから、サンちゃんはうちにちょうだい!」


 「……おい、サンちゃんってお前……?」


 軽くビールは入っていたものの、そこまで酔いが回っていないサンチェスは、同世代の、しかも年齢より幼く見えるアジア系のサヤから「ちゃん付け」される事に、激しく抵抗を感じていた。

 これがヨーロッパ人のプライドなのだ。


 「まあまあサンチェス、いきなりちゃん付けされて不愉快かも知れないが、サヤはこういうキャラなんだよ。でも、彼女は農場長の娘だから、展開次第ではお前が次期農場長になれるんだぜ!」


 すかさずサンチェスにフォローを入れるバンドー。

 彼も度々サヤの尻に敷かれてはいるが、裏表がなく快活なサヤは、そもそも信用が置けなさそうな男には最初から近づかないのである。


 「バンドーからの話じゃ、酪農をしてると聞いたな……。俺、牛には触った事もないんだが、そんな俺でも出来るのか?」


 やや投げやり気味に質問をぶつけるサンチェスを見て、サヤは脈ありとばかりに瞳を輝かせて仕事の魅力をまくし立てる。


 「勿論! 牛にはゆっくり慣れてくれればいいし、苦手だったら牛舎の整備とか、力仕事や機械仕事、他にも事務とか営業とかあるから!」


 サヤがサンチェスに目をつけた背景には、貴重な若い労働力という現実だけではなく、バンドーやタワンよりルックスが良いという、極めて個人的な事情もありそうだ。

 

 平均的なスペイン人のサンチェスは、バンドーが旅立つ時に彼女が望んだ「金髪イケメン王子様」ではないものの、それでも大半のアジア系男性よりは整った顔立ち。

 サヤにとって、ようやくバンドー以外のパートナー候補が現れたのである。


 「……ほぉ〜、そうなのか。俺はてっきり酪農なんて、仕事しながら黙って買い手がつくのを待っているだけだと思っていたよ……」


 「何だお前ら、楽しそうじゃないか!」


 同世代の男が増えて嬉しそうなサヤの姿を見るのは、幼馴染みのバンドーにとって少々複雑な気分だった。

 

 だが、今の自分がすぐに農業に戻って、サヤの側にいる訳には行かない。

 

 神族が懸念する、フェリックス社の野望を暴くまで。

 いや、少なくとも、カムイの暴走を止めようとするレディーに助太刀するまで。

 更に、己の生き様にけじめを着けようとするレジェンド剣士パサレラも集うであろう、そのギリシャの地にだけは、必ず(おもむ)かなければならない。


 そして何よりバンドーは、サンチェスという男を他人の下で搾取するのではなく、いずれ身につける自分のテリトリーで最大限に力を発揮させてやるべき……そう考えていたのだ。



 「朝鮮系の同胞と会うのは久しぶりだよ! 今日、ファームを覗きに来て正解だったな!」


 近況報告に訪れていた、バンドーファームとアジアを繋ぐビジネスマン、スンフン・クォンは、任務に忠実で寡黙なキムと、そのプロ意識の高さですぐに打ち解けている。


 「バンドーさん、そしてシルバ元中尉から、貴方の事は(うかが)っております。今のアジアのビジネスは、特に中国でフェリックス社の勢力が強いので、さぞ大変でしょう」


 「うむ、君は警察なんだろ? アジアのフェリックス社で、少し気になる動きがあるんだが……」


 キムとクォンの話題が、いよいよ本題へと斬り込まれるそのタイミングで、場内には何やら歓声が沸き上がっていた。


 「……皆さん、バンドーファームとシルバセラー、そしてタナカ農園にも、新世代の労働力が増えてきました! 彼等の就農と今後の発展を祝いまして、我が農場の歌姫、ニッキー・バンドーのパフォーマンスをお楽しみ下さい!」


 普段は知性派のキャラクターで売っているシュンも、流石に自身の妻の事となると恥ずかしいのか、珍しく大酒を煽って道化に徹した挨拶を始めた。

 彼の背後には、ギター片手に椅子にスタンバイするニッキーが、照れ臭そうな笑みを浮かべている。


 「そうか! この準備をしていたから泥棒にギターを見られちゃったのね!」


 酒が入って普段より更に声が大きくなっているクレアに、会場は爆笑の嵐。


 「……皆さん、始めまして。いえ、さっき変な出会い方をしたんですけどね……。取りあえず、今日は私の歌を聴いて下さい。個人的には、今この場にリンさんだけがいないのが残念ですが、プロ時代以来、長らく歌っていなかった曲を演奏したいと思います」


 「おいバンドー、お前の兄嫁さん、プロのミュージシャンだったのか!?」


 ニッキーの正体に驚きを隠せない、サンチェスとタワン。

 バンドー自身も、彼女の生歌は暫くぶりだ。


 ニッキーが爪弾き始める、盗難の危機を逃れたアコースティックギターの音色は、食事をしても湿度の低い初冬のオセアニアの空気を伝わり、透き通る様な響きを奏でる。



 「……ん? おい待て、揺れてないか!?」


 最初に異変に気づいたのはハインツ。


 「……段々揺れが強くなっている、地震だ! 鍋の火を消せ! ニッキー、歌は一旦中止だ!」


 ハインツに続いて部屋の揺れを感知したシュンは、ニッキーを電灯の真下の位置から退避させた。


 「大きいです! 皆さん、食事は止めて下さい! 男性陣は左の大テーブル、女性陣は右の大テーブルの下に隠れましょう!」


 シルバは咄嗟(とっさ)に周囲に指示を出し、彼自身とキム、クォン以外の面子は一時的避難に成功する。


 「何なの!? ヨーロッパじゃこんな地震経験ないわ!」


 激しい揺れが暫く続き、テーブルのビール瓶が倒れる事態に、クレアを始めとしたヨーロッパ組は恐怖の感情を隠せなかったが、比較的地震が起こりやすいオセアニアの地元組は冷静に対処していた。


 「……ドアを閉め切るのはまずいな!」


 万一の事態に備え、素早い判断でドアを半開きにし、入り口の破損を防いだクォン。

 54年前の大災害も経験している彼の落ち着きは、やはり大したものである。


 「……治まったね! 時間は長かったけど、震度は5あるかないか、って所だ!」


 バンドーは冷静に状況を予想し、今現在の被害は少ないと判断。

 注意が必要なのは、むしろこの後の余震だ。

 

 「私、牛舎見てくる! サンちゃんも来て!」


 「お、おい、サヤ!?」


 念の為とはいえ、いきなりバンドーファームを飛び出したサヤを、やはり放ってはおけない。

 無意識のうちにサヤの後を追いかけたサンチェスの判断と行動は、オセアニアの人々に、彼は無責任な男ではないという信用を高める。


 「あらま……ビールがこぼれちゃった……。でも、鍋は無事ね。火事になる程の揺れじゃなかったのか……」


 テーブルから抜け出したクレアは、部屋をぐるりと一周して、被害の程度を確認している。

 木造の家屋は、基礎工事さえしっかり行えば、むしろ災害には強いのだ。


 「……この地震、震源は何処なんだ……?」


 「……チベット辺りかも知れない。今私は、アジアの活断層が静かな危機にあると思っているのだよ」


 キムの独り言にも似た呟きに、早くも答えを返そうとするクォン。

 ビジネスでアジアを飛び回り、アジアの価値観を熟知する彼の懸念は、ヨーロッパの価値観に慣れたキムやシルバより、むしろフクちゃんら神族に近いのかも知れない。


 再び静寂が訪れたオセアニアの夜空は、不気味な程穏やかに、美しい星空と澄み切った空気で世界の動向を見守っていた。



  (続く)

 

 

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