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バンドー  作者: シサマ
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第50話 シドニーの明日 (後編)


 6月5日・20:00


 セミナー終了後、夕食を取っていたチーム・バンドーと実習参加者5名は、フライヤー刑事局長立ち会いの下、ホテルの小さな会議室で交流会を行っている。

 

 バンドー、シルバと親しいファーナムとグラハム、そしてクレアやハインツの剣術学校同期生だったスタフィリディスの3名は、既に場の空気にすっかり馴染んでいた。

 だが、残る2名の実習参加者との微妙な距離感は、普段人見知りする事のないバンドーやクレアにも容易には埋められない。


 メルボルンからやって来た黒人青年ジミー・トーマスはまだ20歳で、その長身と派手な風貌の割に、声のトーンは随分と落ち着いている。

 だが一方で、時折見せる鋭い眼光が周囲に緊張感も与えており、チーム・バンドーはまだ、彼が犯罪者側のスパイかも知れないという疑惑を捨てていなかった。

 

 最後の実習参加者、キャンベラから来たという白人女性のキャロルは、登録済みのファミリーネーム、セイガーではなく、自身をキャロルと呼んで欲しいと周囲に懇願(こんがん)している。

 バンドー、シルバ、リンが偶然見てしまった、彼女の左頬の大きな(あざ)は、やはり彼女がファミリーネームを避ける一因となっているのだろうか。



 「……俺の話もしないとな。18歳まではサッカークラブのメルボルン・ウィナーズのユースチームにいたが、プロにはなれなかった。俺がクラブの寮で生活していた頃、弟が悪い仲間と付き合い始めたと聞いていたから、サッカーを辞めてからはアルバイトの傍ら弟を見守っていたんだ。弟がグレちまった責任は、サッカーばかりで家にいない俺にもあっただろうしな」


 「ウィナーズのユース上がりかよ!? そいつは凄いな! ウチのチームの助っ人になってくれ!」


 サッカーマニアのファーナムとグラハムは、トーマスの身の上話より、彼のキャリアに興味津々。

 彼等が趣味で結成した草サッカーチームでは、ファーナムがキャプテンとして守備的ミッドフィルダーを、グラハムが副キャプテンとしてゴールキーパーを担当していたからだ。


 「……暫くは無難な生活をしていた俺達なんだが、突然弟が家出しちまった。この3ヶ月、全く家には帰らず、窃盗団の下働きをしているという噂を聞いた。実習のターゲットになる窃盗団に弟がいるかどうかは分からないが、単独でも悪党に接触出来る賞金稼ぎなら、弟の情報くらいは訊けると思って志願したのさ」


 第一印象とは全く異なる、複雑な事情を抱えていたトーマス。

 彼にスパイ容疑をかけていたチーム・バンドーは、反省からか重苦しい空気に包まれている。


 「……ごめん、正直に言うよ。俺はあんたをその風貌から、悪党のスパイかも知れないと警戒していたんだ。今、事情を聞いて分かったよ。疑って悪かった。一緒に戦って欲しい」


 沈黙が続けば、いずれシルバやハインツが自分の気持ちを代弁してくれただろうとは思う。

 

 だが、それではいけないのだ。

 経験が少ないにも関わらず、チーム・バンドーの代表に収まっている以上、日に日に深まるその自覚が、バンドーに謝罪の言葉を述べさせていた。


 「なに、気にするな。このガタイでこのヘアスタイル、しかも黒人だ。優等生に見られたければ、とっくの昔にナチュラルな髪にして、スーツでキメてるさ」


 軽やかなジョークで切り返すトーマスの目元には、バンドーの正直さへの微笑みが(たた)えられている様に映る。

 しかしながらその(かたわ)ら、彼の人生で幾度となく味わってきた差別や偏見が影を落としており、弟の非行の理由も単なる我儘(わがまま)によるものではない事が、このジョークから容易に想像出来るというもの。



 「……キャロルさん、貴女の事も教えていただけないでしょうかね……?」


 フライヤー刑事局長は、その身に深い(うれ)いを(まと)うキャロルにどう接するべきなのか、少々痺れを切らしつつあったが、現場の責任者として真摯に彼女の言葉を引き出そうと試みた。


 自ら賞金稼ぎに志願している時点で、沈黙を続けられる時間には限りがある。

 キャロルは瞳を閉じて深呼吸すると、無意識のうちに両手を頬にあて、周囲の反応を気にしながらもゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


 「……もう、見た方もおられるでしょう……。私の左頬には、大きな痣があります。それは、生まれつき持っていた不思議な力のせいで、いじめや差別を受けてきた証です……」


 バンドーにシルバ、とりわけリンが抱いていた悪い予感は的中。

 キャロルの痣を知らないメンバーともども、会議室は形容し難い緊張感に包まれていた。


 「……セイガー一族は、かつてキャンベラにその名を馳せた名家でした。今は平凡な家系なのですが、伝統とプライドから、婚約者まで一族会議で決められてしまう様な保守的な環境なんです。生まれつき、感情によって自然を暴走させてしまう私の力は、隔離と暴力によって無理矢理抑えさせられてきました……」


 オセアニアにも、当然世界の情報は入っている。

 だが、剣術や魔法が、ヨーロッパや南米等で話題になる事はあっても、オセアニアの治安の安定と、生まれ持った力を農業や漁業に活かす環境が整えられていた事で、無駄な争いが避けられてきたのである。


 都市部に生まれ育ち、それでいて強力な魔力を持つキャロルの様な若者は、一般的にはヨーロッパの魔法学校に進学するか、農村部への移住が検討されるはず。

 彼女の人生は、家系の伝統とプライドの犠牲になっていたのだ。


 「……暴力はもってのほかだけど、何で顔まで殴るわけ!? 許せないわ!」


 同じ女性として、また、同じく名門一家の終焉(しゅうえん)を見届ける者として、黙っていられなくなったのだろう。

 クレアは感情も(あらわ)に、思わず両手でテーブルを叩きつける。


 「……ありがとうごさいます。でも、こればかりは仕方ないのかも知れません。私の力は、この左頬から出るんです。突然、左頬が蒼白く光る人間を、不気味に思うなという方が無理なんです。だからこの力を、早く誰かの為に役立てないと……」


 「……いや、そんなに思い詰める事はないと……」


 キャロルの悲観的な思考を決定付けた、その環境の呪縛を解く事は難しい。

 フライヤー刑事局長が、どうにか絞り出した言葉を最後に、再び長い沈黙が訪れると予感したその時……。


 「賞金稼ぎしか居場所がないって事? 違うな。キャロルさんがいつも笑う様になったら、めっちゃ美人だと思う! 俺達、これから仲間になるんだし、シドニーにある楽しいものを沢山紹介するよ! まずは笑顔になって、幸運を引き寄せるんだ」


 空気を変えたのは、ヨーロッパからオセアニアへの移住をポジティブに捉えていたスタフィリディス。

 もっとも、彼の言葉に深い意図はなく、小柄で明るいキャラクターである彼にとってのキャロルが、シンプルに「魅力的なお姉さん」に映っていただけなのかも知れない。


 賞金稼ぎの先輩格として、どうにかしてキャロルをなだめなければ……という使命感に追われていたチーム・バンドーの面々は、スタフィリディスの発言に肩透かしを喰らい、隣で眉間にしわを寄せていたトーマスは一転、苦笑いを浮かべている。

 

 「……こいつ、本当に分かってんのか? まあいい。キャロルさんと言ったな。あんたの魔力や頬の痣は、俺の肌の色と同じだ。生きていく限り、いつまでも隠し続ける事は出来ない。幸い、事情を話せばあんたには同情が集まるはずだ。スタフィイ……リディイ……」


 「スタフィーでいい! ギリシャ系の名前は舌を噛むって言われるからな!」


 トーマスとスタフィリディスの予期せぬ即席漫才に、キャロルの目元が少しばかり弛んだ瞬間を、リンは見逃さなかった。


 「……ああ、悪いな。スタフィーの言っている事も大切だが、まずは素直になる事だな。ひとりで思い詰めずに、誰かを頼らないと」


 キャロルの重い過去や、チャラい見た目に似合わないトーマスの達観ぶりを見せつけられて反省したのか、暫く話の輪に入れなかったファーナムとグラハムは、自らの過去を肩身狭そうに白状する。


 「……お前ら、俺達より若いのに苦労してるんだな。俺なんて、下手くそなのにサッカーばかりやって勉強もしなかった。近くのスポーツ用品店でバイトを始めた理由も、ユニフォームやスパイクをツケで後払い出来たからだよ。そのうち、店長が引退するって聞いて、今更他の仕事も出来ねえから店を継いだだけなんだよな、ガハハハ!」


 最後は堂々と開き直るファーナムを目の当たりにして、会議室には乾いた笑いが充満する。

 しかしながら、そもそもチーム・バンドーも、最強の剣士を目指して鍛練を積んできたハインツ以外、乗るべきレールに乗った人間達ではない。


 「……ま、まあ、チームバランスがいいという事で、一件落着ではないですかな?」


 どうにかポジティブなムードを取り戻した参加者一同に満足したのか、フライヤー刑事局長の表情にも安堵感が漂っていた。



 「バンドーです。皆、改めて宜しく。俺なりに各々の適性を考えていたんだけど、ファーナムは男気一発のタイマン勝負型だから、多分剣には向かないと思う。トーマスも、その体格と身体能力的には格闘家向きだと思うんだ。どうだろう? ケンちゃん」


 「そうですね。意論はありません」


 チーム・バンドーの格闘部門担当、バンドーとシルバの意見が一致し、ファーナムとトーマスは格闘家として育成する事が決定。


 「剣士のハインツだ。スタフィーが剣士向きなのは間違いない。実戦の勘さえ取り戻せば、即戦力になるだろう。後はグラハム、あんたのリーチの長さは魅力的だが、手首は柔らかい方か?」


 「ああ、任せな! ゴールキーパーだからな。ジャンプ中の接触にも、体幹はブレない自信があるぜ!」


 ハインツからの問いに物怖じせずに答えるグラハムの自信は、やはりボールや対人の接触に慣れているゴールキーパーならではのもの。

 スタフィリディスとグラハムは、剣士として育成される事になった。


 「クレアです。あたしの本職は剣士だけど、火炎魔法も少し使えるの。火炎魔法ってのは、感情の高まりを利用して火力を調節出来るから、キャロルさんの辛い過去も武器になるわ。でも、落ち着いて自分に自信が持てるまでは、リンから風魔法と水魔法の制御を習うべきね」


 クレアはキャロルとリン、それぞれに視線を送り、互いの交流を深める様に、それとなく合図している。


 「魔導士のリンです。まずは私達に、言いたい事は何でも話して下さい。勿論、オセアニアが賞金稼ぎの力がなくても平和になる事が一番だと思います。仲間として、友達として、平和な世の中で楽しく暮らせる事を目的に頑張りましょう」



 ピピピッ……


 団結ムードが高まる中、自身の携帯電話が鳴った事に気付いたシルバは、さりげなく席を立ち、会議室から通路へと消えていった。


 「お互いを知る事が出来て、非常に有意義な時間でした! 明日、実習参加者の皆様に与えられた仕事は、さほど危険なものではありませんよ!」

 

 フライヤー刑事局長の口から、初めて語られる窃盗団の詳細。

 

 「ミラスという男が仕切る窃盗団は現在、酒の窃盗と転売を行っているのですが、彼には前科がある為、犯行現場に姿を見せる事はありません。記録や証拠を押さえる為に、皆様には逃走する運転手や臨時スタッフの捕獲にご協力をお願いしたいのです!」


 チーム結成からわずか1日、素人同然である参加者の不安を取り除く内容に、チーム・バンドーを含め、一同は適度な落ち着きと緊張感を持続したまま、就寝を迎える事となる。


 「皆さん、いいニュースです!」


 携帯電話を握り締めて会議室に帰還したシルバは、普段は余り見せる事のない高いテンションで解散直前の一同を呼び止めた。


 「……チーム・バンドーのシルバです。夕方のスピーチでも触れましたが、自分には軍隊時代の仲間がいます。その仲間が今、スペインから新しいオセアニアの賞金稼ぎ候補生を連れて来ますよ!」


 「ケンちゃん、それって、サンチェスとタワンの事?」


 バンドーの問いかけに笑顔で頷くシルバ。

 特殊部隊のキムが、間もなく2人を連れてマドリード空港を発つらしい。


 「我々地元警察に報告が来る前に、シルバさんに第一報が来るとは……いやはや、チーム・バンドーの存在感、大したものですな! とにかく、オセアニアの治安維持プロジェクトが形になりそうで何よりです! それでは、私はこれで……また明日、お会いしましょう!」


 考えられる最高のムードで初日を締めくくる事に成功したフライヤー刑事局長は、全員の顔を見て挨拶をする暇もなく携帯電話を取り出し、走りながら溜まったメールの確認に追われている。


 何やら、捜査の進展があったのだろうか。



 6月5日・21:00


 「……おいボビー、こんなイカした車、ここにあったか?」


 防寒対策なのか、それとも身元対策なのか。

 ニット帽を眉毛の下まで深く被った白人少年は、恐らく相棒であろう隣の黒人少年に質問を投げ掛ける。


 「……俺、2時間前にも品定めに来たけど、この車、確か一番奥にあって、手が出せなかったよ。……あ、あれだよ! あのオンボロ車が本来ここにあったはずなんだ!」


 ボビーという黒人少年が指差す場所には、駐車料金が高額な一等地にはかなり場違いの、カースタントを積み重ねた様なオンボロ車。


 「……この駐車場は満杯で、一番奥と一番手前の車が入れ替わるなんて事があれば、時間もかかるし、普通なら音も目立つはずだけどな……?」


 「……何だか、盗んで下さいって言ってるみたいで不気味だよ。ハリー、どうする?」


 窃盗側にとって、余りにも都合の良いシチュエーションを不審に感じたボビーは、相棒の白人少年に決断を委ねた。


 「……怖じ気づいたか? ボビー、大丈夫だ。見た目は綺麗だが、こいつは一世代旧式の車。手持ちの機材で簡単に乗っ取れる。しかも、マニアが高い値を付けるレアな車さ。俺はここの警備員の行動パターンも知っているから安心しな。2時間後に決行するぜ!」


 まだ都心の賑わいが残る時間帯を意識して、少しずつ声のトーンを落とすハリー。

 だがその表情からは、実年齢には似合わない確かな自信と覚悟が感じ取れる。



 「……おい、ウチの(おとり)の車に誰かが貼り付いているぞ。ミラス達が車両の窃盗もやっているとは聞いていないが……?」


 「いえ、刑事局長、この駐車場にある車の大半は窃盗団の私物です。恐らく、あの2名が窃盗犯だとしても、縄張りというものをよく知らない飛び入りでしょう。暗くて確認しにくいですが、かなり若そうですので、高級車に憧れるただの子どもかも知れませんよ」


 監視役の部下、ロギッチ巡査長とともに、シドニー繁華街の裏道にある有料駐車場にカメラを仕掛けていた、フライヤー刑事局長。


 この高級車は、警察が犯罪者からの押収品として、捜査用に借り受けたもの。


 繁華街の立地を口実に、高額な料金を要求する業者の駐車場からは、(おの)ずと庶民の車が遠ざかる。

 しかし裏を返せば、この駐車場に集まる車は近所で羽振りのいいビジネスをする人間のもの、そう考えられる。


 高級車を乗り回すステイタスを周囲に認知させれば、犯罪者側、犯罪捜査側、双方に有益な情報が転がり込んで来ると言うものだ。


 「……高級車に憧れる子どもか……。おい、その子は黒人か?」


 トーマスの弟が窃盗に関わっているという噂を思い出したフライヤー刑事局長は、ダメもとでロギッチにカメラをズームインさせる。


 「……うーん、判別出来ませんね。外は暗いし、この子達も暗い色の服を着ています。外の寒さから、顔以外は肌の露出もありませんし……あ、刑事局長、この子達帰っていきますよ!」


 車から離れる少年達を確認した瞬間、安堵感と疲労感が同時に押し寄せるフライヤー刑事局長。

 明日に備えて、仮眠くらいは取らなければならない。


 「……ロギッチ、私は少し仮眠を取らせて貰う。朝にはウィルシャーが来て、お前と交替する。それまで向こうの駐車場にトラブルがあれば連絡、なければ明日はそのまま休日だ」


 「分かりました! お疲れ様です」


 ロギッチに見送られ、フライヤー刑事局長はチーム・バンドー達の宿泊するホテルへと帰還する。

 このまま朝まで、何もない事を祈りながら……。



 6月5日・23:15


 「いいかボビー、この駐車場の警備員は0:00で交替する。だが23:30になると、そいつはラストスパートの気合いを入れに、裏口の自動販売機へカップコーヒーを買いに行くんだ。その瞬間を狙え。スタンガンの使い方は分かるな? 頭、首、心臓に当てなければ、相手が死ぬ事はないから安心しろ」


 ハリーの考えているシナリオは、ボビーが持ち場を離れた警備員を襲い、スタンガンの衝撃により相手が動けなくなっている間、自らは車のロックを解除し、そのままボビーとともに逃走するというもの。

 ロックとエンジンのピッキング経験があるハリーは、窃盗のターゲットが一世代旧式の車であると分かった瞬間、自信を深めたのだ。


 「でもハリー……もし、かわされたらどうする……?」


 ボビーは非行に走り、今までに何度か軽い窃盗は経験している。

 

 だが、喧嘩以外で人を傷付けた事はない。

 ボビーに警備員を殺そうなどという考えは微塵(みじん)もないが、威嚇(いかく)に失敗した場合、彼はハリーに見捨てられる可能性がある。


 「……ああ? ボビー、そのガタイでビビってんじゃねえよ! この駐車場の管理会社はドケチなんだ。高い料金をふんだくるクセに、警備員に金はかけない。お前が本気で蹴りのひとつでもお見舞いすりゃあ、泣いて逃げ出す弱虫ばかりさ!」


 ハリーはまだ18歳の少年だが、両親がアルコール依存症の荒れた家庭に生まれ育ち、なりふり構わず自立する事を余儀なくされてきた。

 故に自分の手足となってくれる後輩を求めており、1歳下の家出少年、ボビーに目を付ける事に。


 ボビーはガーナにルーツを持つトーマス一家に生まれ育ったものの、サッカー選手として将来を期待されてきた兄、ジミーと異なり、その恵まれた体格を活かす事の出来ない内向的な少年。

 だが、いじめや差別に耐えかねて、無意識のうちに暴れた喧嘩に完勝した事が、彼の意識を変えてしまったのだ。


 自分の力で、ろくでもない人生から逃げなければ……。



 「……さ、もうひと踏ん張りだな!」


 ハリーのアドバイスに寸分違わず、駐車場の警備員が裏口の自動販売機に現れる。

 

 警備員の気持ちになれば、気合いの入れ直しと気分転換、両方の意味があるのだろう。

 しかしながら、今の警備室はがら空き。

 ハリーの犯行を目視する者は存在しない。


 

 「よーし、チョロいチョロい」


 再び高級車の前に姿を現したハリーは、作業用のヘッドライトをわざと頭頂部に装着し、周囲に灯りを撒き散らして監視カメラの目を眩ませる。


 「……ん? またあの子どもか? 何をする気だ!?」

 

 警察署のモニターから駐車場を監視していたロギッチだが、ヘッドライトからの残像が視界を遮っており、鮮明な映像が得られなかった。


 「車内カメラに切り替えるしかないな……」


 窃盗団の捜査を目的としていた2台の車両には、改造されたルームミラー型のドライブレコーダーが搭載されており、ルームミラーはそのままピッキング被害に備えた監視カメラになっている。

 だが、ハリーはそれを見越していたのか、お辞儀をする様に頭を下げて作業を開始し、その瞬間、頭頂部のヘッドライトはルームミラーを激しく照射する。


 「……ダメだ! おい、向こうの警備員は何をやっているんだ!?」


 視界を完全に塞がれたロギッチは、駐車場の警備員の反応が遅い事に疑問を感じ、捜査に協力している駐車場の控え室に直通する、警告ランプを点灯させた。


 そこには、誰もいない事を知らずに……。


 

 (よし、もう少しだ……)


 警備員がカップコーヒーの自動販売機に立ち、コーヒーの抽出が終わる瞬間、腰を屈めたタイミングがボビーの狙いである。


 面と向き合えば、いくら露出の少ない服装でも「長身の黒人」という第一印象からは逃れられない。

 警備員が背中を向けたまま突き出す腰にスタンガン一発、それで相手を地に這わせる計画なのだ。


 (……今だ!)


 バチイィィッ……


 「……ぬおおぉっ!?」


 閃光一撃、腰に電流を受けた警備員はそのままうつ伏せに倒れ、混濁する意識により後ろを振り返る事も出来ない。


 (……やった! 成功だ!)


 確かな手応えを得たボビーは、無意識のうちにその恵まれた身体能力を活かし、足音を響かせない踊る様な疾走を見せていた。


 「ハリー、やったよ! 大成功だ!」


 あくまで顔は隠しながら、それでも興奮を抑えきれないボビーが高級車に走り寄る。

 

 その時ハリーは、既に監視カメラの疑いがあるルームミラーを粘着テープで塞ぎ、車体下のマフラーに隠してあった発信器までを外していた。

 まだ若いハリーだが、どうやらかなり自動車に精通しているらしい。


 「……発信器だ。舐めた真似するよな。どうやらかなりの金持ちか、政治家かなんかの車だな!」


 乗っ取った車が社会的地位の高い人間のものと判断したハリーは、これまでの人生の腹いせも兼ね、電源を切った発信器を駐車場に叩きつけて壊そうと試みる。


 「……待てよハリー! また電源入るんだろ? 捨てたら勿体ないよ。金を稼いだら同じ機種のレーダーを買って、俺達のものにしようぜ!」


 反射的に手を伸ばしていたボビーは、ハリーから電源の切れた発信器を受け取り、それを自身のジーンズのポケットにしまい込んだ。


 

 「21班、捜査中の駐車場で事件発生の可能性! 恐らく捜査車両の盗難だと思われる。現場に急行せよ! 尚、容疑者は未成年の疑いがある、発砲は控えろ!」


 「了解、現場に急行します!」


 いち早く近隣のパトロール班に通報を済ませたロギッチは、駐車場警備員の安否を確認する為、任務交替予定だったウィルシャー巡査を現場に向かわせ、仮眠中のフライヤー刑事局長をやむ無く起こす事となる。



 6月6日・9:00


 あれから一夜明け、各々の役割に沿ったトレーニングを行うチーム・バンドーと実習生達の元に、フライヤー刑事局長は現れなかった。


 懸命の捜査も虚しく、ハリーとボビーを乗せた警察の捜査車両は、発信器を取り付けていたにも関わらず、まるで狐につままれた様に姿を消してしまう。

 加えて、本来非常時の追跡車両として準備されていたはずのオンボロ車が、何故か駐車場の一番奥に押し込まれていた為、現場に駆けつけたウィルシャー巡査が追跡に手間取ってしまったのである。


 「……犯人は未成年の可能性があるらしいな。弟がバカをやっていなければいいんだが……」


 初仕事を前にして、弟の身を案じる余りトレーニングに身が入らないトーマス。

 彼と体格が近く、指導を主に担当するシルバは、この場の緊張感を和ませる為に尽力していた。


 「……弟さんの犯行という可能性がないとは言えませんが、警察の捜査車両というのが不幸中の幸いですよ。フライヤー刑事局長もこの件を意識しているでしょうし、警察も少年に乱暴はしないはずです」


 「ケンちゃんの言う通りだと思う。フライヤーさんの話だと、窃盗団ターゲットは酒だし、車両泥棒の犯人がそれ以上の事件に巻き込まれる事はないんじゃないかな?」


 シルバとバンドーになだめられ、トーマスは不安を残しつつもトレーニングを再開する。


 

 窃盗団の手口は、単価の低い品物を大量に注文した上で最初に手数料のみを支払い、品物を納入させた後、口座をロックするというもの。

 警察の調査により、口座は架空のものである事が判明していたが、窃盗団が犯罪拠点を変え続ける為に、大量注文と手数料前払いに飛びつく販売店が後をたたなかった。


 窃盗団のリーダー、ミラスを始めとして、前科のあるメンバーが現場に姿を現す事はない。

 業者の人間に品物を搬入させて各々の車に積み分けた(のち)、アルバイトの運転手が荷物を運びながら、最終的に捜査の手を逃れた場所で回収するのである。


 「私達の先読みが効を奏し、事前に捜査協力を申し出ていたリカーショップにそれらしき注文が入っているんです。納入伝票を持っているのはショップ店員に扮した警察官で、その伝票を受け取った者だけが、その場にいる窃盗団の人間でしょう。その人物を捕らえれば、後は芋づる式に容疑者が浮かび上がるではずです」


 フライヤー刑事局長の代役として一同をナビゲートするベリンダは、車両盗難のハプニングを除けば、警察の捜査はおおむね順調である事を強調していた。


 「こんなに事が上手く運ぶなら、俺達の実習とやらも楽になるな。報酬は金じゃなくて、リカーショップの酒でいいぜ!」


 サッカーを観て、酒を喰らって、仲間と騒ぐのが大好きな典型的サポーター。

 そんなファーナムとグラハムにとっては、小遣い程度のはした金よりむしろ、酒の現物支給の方が嬉しいのだろう。


 「窃盗団の中には、全く事情を聞かされていないアルバイトの運転手やスタッフが多数いると思われます。彼等を罪に問う事はなくても、重要参考人である事に違いはありません。皆様には彼等を保護していただきますよ」


 「……何だか拍子抜けね。ま、命知らずなヤバい人がいたら、あたし達も警察にも助太刀するわ」


 トレーニングの最中に於いても、ベリンダの話に反応する余裕を見せるクレアは、全くの剣術素人であるグラハムを指導しながら、彼と2ヶ月前のバンドーを無意識のうちに比較していた。


 ハインツは、既に剣術の基礎を習得済みのスタフィリディスと実戦形式のトレーニングを行い、フォームの柔軟性とスタミナの配分を細かく指導している。


 リンとキャロルは、遠目にはまるで姉妹に見える程の丁寧なコミュニケーションを重ね、感情で魔法が暴走気味になるというキャロルの課題を解決する為に、敢えて室内の窓から取り入れた風を利用した、小さな風魔法の制御を研究していた。


 バンドーは馴染みのファーナムと格闘訓練を続けているものの、既に互いを知り尽くしている為、早々にネタ切れとなり、実戦で役に立つのか(はなは)だ疑問のプロレス技を掛け合い、周囲の失笑を買っている。



 6月6日・10:30


 「ハリー、ボビー、お前らだけでこれだけの仕事が出来りゃ、大したもんだぜ!」


 地下室のガレージに盗難車両を(かくま)った、恰幅(かっぷく)の良い中年男性は、弟子の戦利品を前にご満悦の様子。


 「おやっさんの客で、この車欲しがってた奴がいたなと思ってさ。金持ちの車みたいだし、全くざまぁ見やがれって気分さ!」


 犯行の成功から一夜明けたにも関わらず、未だハイテンションのハリー。

 どうやら、この中年男性には深い恩義を感じているらしい。


 「ああ、間違いなく売れるさ。だが、そいつよりもっと高く買う奴がいるかも知れないぜ。金のある奴が、偶然仕事でシドニー入りしているんだ。ちょっと連絡してみる」


 中年男性はそう言い残し、地上の店舗へと消えていく。



 ハリーが家を飛び出した理由は、両親が重度のアルコール依存症に陥って借金を重ねる中、やむ無くハイスクールを中退したハリーのアルバイト代にまで手をつけた事。

 彼はストリートをさ迷い、途方に暮れていた所を自動車整備工場の中年店主、ブレットに拾われたのである。


 このガレージで自動車の知識を仕入れたハリーは、両親から独立して自動車整備工への道を歩み始めたかの様に見えた。

 だが、ブレットは盗難車両を密売する裏ビジネスに関わっており、自身のガレージの地下室に盗難車両を隠し持っていたのだ。


 「ミラス、俺だ。ブレットだよ。お前が欲しがっていた車、手に入ったぞ。殆ど新車と言ってもいい状態だ。シドニーに来ているんだろ? 顔を出せよ」


 「……ブレット、生憎俺は酒の仕事で来ているんだ。車はアシが付きやすくて、昔酷い目に遭ったからな。暫く車の仕事に関わるつもりはねえ」


 ブレットの交渉相手は、受話器越しにも多忙さを(うかが)わせる早口ぶりを見せつけており、その言葉のチョイスからしても、堅気の人間とは到底思えない。


 「……ミラス、よく聞けよ。車を盗んだのは俺が拾ったガキだ。ウチの店で使ってやってはいるが、雇用契約書も無いのさ。言っている意味が分かるだろ? 万が一バレても、ガキのせいに出来るんだよ。この車はな、アジアじゃ大人気なんだ。中国の富豪なら8000000CPは下らねえぜ。だが、俺とお前の仲なら3000000CPまでマケてやる。いいから顔を出せよ!」

 

 少々の沈黙が流れた後、ミラスからの返答には、細かな条件が付けられていた。


 「……分かった。顔を出そう。同時進行でウチの仕事が行われる。仕事が終わるまで、誰が来ても俺を地下室に(かくま)う事と、売買が成立したらほとぼりが冷めるまで保管し、市場価値が最高値を更新したら俺に伝える事が条件だ。いいな!」



 6月6日・11:30


 「ほう……こいつは上物だな。普通に街を走らせていたらもう少し汚れるものだが、こんな上物が駐車場にあるとは、何か特別な扱いをされていたのか……。いいだろう、3000000CPで買ってやる」


 ミラスの素早い決断に、ブレットだけではなくハリー、ボビーも喝采を上げる。


 「ハリー、ボビー、お前らにも小遣いだ。10000CPずつ受け取りな」


 ブレットが持ち出した報酬に、ほぼ一文無しのボビーは喜びの表情を浮かべたが、対するハリーは明らかに不満顔だ。


 「……おやっさん、10000CPって何だよ!? 命懸けの仕事だぜ! 俺もこのガレージの一員だ。儲けの計算くらい出来る! 少なすぎるだろ!?」


 不穏な空気を生み出すハリーをどうにかなだめようと、無意識にハリーの肩に手をかけていたボビー。

 だが、今日のハリーは一歩も退く様子を見せない。


 ハリーとボビーはこのガレージに住み込んで以来、最低限の食事と寝場所は確保されている。

 しかし、ブレットは彼等を店で働かせながらアルバイト店員としては雇わず、裏ビジネスが成功した時に僅かな小遣いを渡すだけだった。


 「俺は、おやっさんに恩を返したいと思っている。ちゃんと自動車整備工の資格を取ったら、働いて金は返すよ。だから、資格を取れる分だけ貸してくれよ!」


 家出した自分を拾ってくれただけでも、ブレットには感謝しなければならないのだろう。

 とは言うものの、ハリー達はいつまでも御礼奉公に満足出来る立場ではなく、更に非合法なビジネスにまで手を貸してしまっている。


 早く堅気の道で一人前に……ハリーにとってその願いは、自身にもボビーにも、そしてブレットにも向けたものなのだ。


 「イキのいいガキがいるじゃねえか。だが、人生ってもんを分かっちゃいねえな!」

 

 ハリーの苛立ちを尻目に、余裕の笑みを浮かべたミラスが、ゆっくりと怒れる少年の前に立ちはだかる。


 「……ガキが大人に頼れるのは、生死が懸かった時だけだ。今、生きていると感じたら、どんな手を使ってでも自分の力で生きていけ。俺はそうしてきた」


 黒い短髪に無精髭をたくわえたミラスは、その大きく開かれた瞳の奥に、得体の知れない深い闇を抱えていた。


 「……お前がこれから堅気になろうとも、窃盗に手を出した時点で負け犬なんだ。負け犬はどこまでも負け続けて、やがて勝者が頭を下げて懇願する程の金を集めなければダメなんだよ。俺の様にな」


 ミラスの凄みに押されてしまったハリーとボビーは、やがて力なくその場に座り込んでしまい、虚ろに視線を泳がせる。


 

 「……すまんな、俺の教育がなってなくて……。ミラス、最後にこの車のドライブレコーダーの映像を見てみようぜ! 持ち主様の間抜けな生活をご堪能だ!」


 ルームミラーからドライブレコーダーを外したブレットは、そのケーブルを手近なモニターに接続し、その映像を確認してからレコーダーを破壊する事を提案した。だが……。


 【……よし、エンジンが掛かったな。ウィルシャー、レコーダーの作動音は聞こえるか?】


 【聞こえます、ロギッチ巡査長! でも、こんないい車が押収品だなんて、勿体ないですね。プライベートじゃ乗れないんだから】


 レコーダーに映る人影と音声に、ブレットとミラスの背中が凍りつく。


 「……こいつら、サツじゃねえか……!? おいこのガキ! 俺達をハメやがったのか!?」


 ミラスは怒りも露に、ハリーとボビーを睨みつけた。


 「……し、知らねえよ! こんなものが映ってるなんて、俺達だってビックリだよ! ……捕まったら厳罰だ、早く逃げないと!」


 驚きの余り、顔面蒼白でしどろもどろになるハリーとボビー。


 「……おいブレット、お前は俺と違って、まだサツに面が割れてねえよな? お前はガキどもの責任を取って、さっさとこいつらと車をサツに突き出せ! オセアニアを騒がせる窃盗団は、捕まえてみたらガキだったとな!」


 悪党らしい機転の利き方で、自分だけはピンチを逃れようと試みるミラス。

 ハリーとボビーはこの瞬間、自分達は結局、ブレットのビジネスに利用されていただけという現実を思い知らされるのであった。


 「匿って貰う約束だ、俺はほとぼりが冷めるまで、この地下室に隠れさせてもらうぜ。だがブレット、お前との商売は金輪際(こんりんざい)お断りだからな!」

 

 僅か数分前まで、ハリーに悪党の矜持(きょうじ)を説いていたミラスは、今や単なる小物に成り下がっていた。

 大人達が責任を押し付け合う醜態(しゅうたい)を目の当たりにし、少年達は自らの愚かさを激しく後悔する。


 「……残念だぜ、ハリー、ボビー。お前らとの生活はもう終わりだ。悪く思うなよ。お前らはただの居候で、ウチの従業員じゃねえ。サツも俺とお前らの関係までは立証出来ねえさ」


 「……!? おい、離せ! 離せよ!」


 ミラスに背後から羽交い締めにされ、ブレットに両足を縛られそうになるハリー。

 ボビーはブレットの行動を何とか阻止したかったが、喧嘩で勝てる相手ではないと、足がすくんでしまっていた。


 「何してんだ、ボビー、逃げろ! お前の足なら逃げ切れるだろ! そして警察に全てを話せ! 早くしろ!」


 「……ハリー! わ、分かった!」

 

 ハリーからの(げき)を受け、ようやく自分のやるべき事に気付いたボビーは、その身体能力から素早いダッシュを見せ、一目散にガレージの出口へと急ぐ。


 「くっ! 何てスピードだ……畜生、逃がすかあぁっ!」


 ブレットはガレージのシャッターのリモコンを手に取り、ボビーをシャッターに挟み込もうと必死の形相(ぎょうそう)


 「俺は……俺はどうしようもないバカだ……くそおおぉぉっ!」


 自らの人生を悔やむボビーに、もはや怪我への恐れはなくなっている。

 徐々に狭まるガレージのシャッターに敢行する、決死のヘッドスライディングは見事に成功した。


 「俺はここにいる、見つけてくれ!」


 ガレージからの脱出に成功したボビーは、ジーンズのポケットから発信器を取り出し、電源を入れる。


 

 6月6日・12:15

 

 「……フライヤー刑事局長! 車両の発信器が作動しました! 場所は『ブレットガレージ』付近です!」


 駐車場で始まる酒の取り引きを目前に控えていた警察に、突如として予期せぬ情報がもたらされる。

 

 「『ブレットガレージ』だと!? 車を扱う店は昨夜ウィルシャーが真っ先に当たったはずだ! 何の手がかりもないという報告だったが……」


 「……発信器は動いていますが、どう見ても車両のスピードではありませんね! 何らかの理由で、発信器を身に付けた人間が走っているものと思われます!」


 ロギッチ巡査長の報告から、容疑者の少年が犯罪組織からの逃走を試みた可能性を見出だしたフライヤー刑事局長。

 

 彼の行動は素早かった。


 「ウィルシャーを現場に向かわせろ! 詳細が分かり次第報告だ! ……ロギッチ、酒の取り引きは私がいなくても現場で出来るな?」


 「……は、はい!」


 「手の空いている人間は、ホテルのベリンダ君にも回線を繋いでおいてくれ!」



 6月6日・12:30


 「リカーショップのスタッフが駐車場に出発しました! 既に警察は準備万端です。チーム・バンドーと実習生の皆様、私達も出発しますよ。5人ずつ2台の車に分かれて下さい!」


 「よっしゃあ! 出番だ!」


 「おう!」

 

 バンドーの気勢とともに、手近に集まっていた仲間5人がそれぞれグループに分かれ、ベリンダの後に続こうとしたその時……。


 ビビーッ、ビビーッ……


 「……!? フライヤー刑事局長から緊急連絡です! 皆様、少しお待ち下さい!」


 全く予期せぬ展開だったのか、重心が前傾していたベリンダは慌てて体勢を立て直し、歌舞伎の見栄を切る様な滑稽なポーズになっていた。


 「フライヤーだ! トーマス君、君の弟を保護したよ!」


 「何だって!? ボビーが!?」


 突然スピーカーから鳴り響く、驚きの現実に思わず声を上げるトーマス。

 彼の反応を確認したフライヤー刑事局長は、少々早口に概要をまくし立てる。

 

 「彼は警察車両の窃盗に関与していたんだ! だが、彼等を利用した大人がいる。『ブレットガレージ』という自動車整備工場の地下に、我々が追っていた窃盗団のリーダーであるミラスが、もうひとりの家出少年を盾に隠れているらしいんだ!」


 「……家出した子どもを、盾に……!?」


 トレーニング中は殆ど感情を表に出す事のなかったキャロルも、その瞳に怒りを滲ませた。


 「……法律的に、車両の窃盗でミラスを捕まえる事は難しいかも知れないが、まずは子どもの安全が第一だ! すまないが、魔法が使えるメンバーを含めて、こちらの現場に何人か協力してくれないか!?」


 「はい、喜んで!」


 仕事に全力を傾け、普段の穏やかな物腰から、現場で戦う男の雰囲気に。

 そんなフライヤー刑事局長の真摯さに、協力を即決したのはリン。


 自然の力が不十分な地下室に魔法を送り込む事が出来るのは、恐らく彼女だけ。

 だが、強大な潜在能力を秘めるキャロルとの呼吸を合わせれば、更なる力の発揮が期待出来る。


 「……バンドー、シルバ、トーマス、お前らも行け。そうすれば俺達も5対5になる。こっちの現場はチョロそうだしな!」


 「そうね、あたし達に任せて!」


 ハインツとクレアにも背中を押され、ふたつに分かれたパーティーは各々の車に乗り込んだ。


 「地面に落ちてボトルが凹んだ酒とか、貰えるかも知れねえからな! 俺らは断然こっちだぜ!」


 ファーナムとグラハムの明るさは緊張を和ませ、やがて2台の車は全速力で現場へと急行する。



 6月6日・13:00


 「お待ちしておりました。私が工場長のブレットです。ウチのガレージは中古車販売も行っているのですが、今朝になって、運転免許もないはずのこの少年が高級車を売りに来たのですよ。私は何処かおかしいなと思いましてね、ドライブレコーダーの映像を確認したら、警察の皆様の顔があるじゃありませんか!」


 ボビー逃走後にも関わらず、何事もなかったかの様にハリーと盗難車両を差し出すブレット。

 

 フライヤー刑事局長、部下の一般巡査1名、チーム・バンドーと実習生、そしてボビーの計8名。

 この大所帯を目の当たりしても、驚きや困惑の表情を見せずに愛想を振りまくブレットは、面識のないバンドー達の目から見ても胡散臭さ満点だ。


 だが、ブレットを罪に問える証拠はない。

 窃盗の実行犯がハリーとボビーである事は既にボビーが認めており、彼等がブレットから盗みのテクニックを教わったのは事実でも、この警察の車両を盗めとは言われていない。


 「……ブレットさん、ご協力ありがとうございます。このボビー少年も罪は認めていますよ。しかしながら……」


 ボビーから聞いた、ブレットの疑惑に斬り込むフライヤー刑事局長。

 その背後には、臨戦態勢を整えるバンドー、シルバ、トーマスに、魔力の集中を高めるリンとキャロルの姿があった。


 「このボビー少年から、ガレージに地下室があるという情報を得たのです。昨夜、車両の捜索で私の部下がここを訪れた時は、貴方はそんな話をして下さらなかった。少し地下室を調べさせていただいて宜しいですか?」


 「……な、何をバカな事を! こんな罪を犯した子どもの戯言(たわごと)を信じるのですか?」


 明らかに動揺が窺えるブレット。

 ミラスを匿っている以上、地下室へのアクセス方法を知るハリーとボビー、2人を彼だけで拘束する事は出来ない。


 「あのスイッチを押してくれ! 車が乗っている真ん中の台座が下がるんだ!」


 ボビーの指差す壁のスイッチへ、巡査が歩みを進めた瞬間、ブレットはその太めな体型の背後に隠していたバールの様な凶器を引き抜き、巡査へと振りかざした。


 「……ぐわっ……!」


 「ヒートン!」

 

 右肩に攻撃を受けたヒートン巡査は膝からその場に崩れ落ち、フライヤー刑事局長は慌てて部下を介抱する。


 「本性を現したな!」


 バンドー、シルバ、トーマスはブレットを取り囲み、ガレージは一触即発に。

 スイッチの存在を知ったからには、まずは1階でブレットを倒し、ハリーを救出する事が先決だ。


 「……近寄るな! このガキが痛い目に遭うぜ!」


 「……や、やめて!」


 ブレットは凶器の先をハリーの頬に近づけ、自らも家に居場所のないキャロルは、その光景に悲痛な叫びを上げる。


 「……ケンちゃん、あんなに人質と距離が近かったら、むしろ逆効果だよね! ブレットさん、分かってないよ!」


 数多の経験を積んだ余裕か、それともハリーとキャロルを安心させる為なのか。

 バンドーは緊迫した場面にも関わらず太字スマイルを浮かべ、シルバと向き合いながらブレットの甘さを指摘した。


 「自分もそう思います。ブレットさんは隙だらけですね……」


 シルバも両腕を胸で組みながら、一撃必殺のタイミングを見計らうトーマスに視線で合図する。


 「……な、何だと!? この車は、いつでも走れるんだ。お前らなんて簡単に()けるんだぞ……ぶおおっ……!」


 サッカーで鍛え上げた、トーマスの右足一閃。

 2メートル近い長身である彼のハイキックは、いとも容易(たやす)くブレットの後頭部を捉え、凶器を持ったその巨体は前のめりに卒倒した。


 「ハリー! 大丈夫か!?」


 ボビーは相棒の元に駆け寄り、ハリーとともに互いの無事を喜び合っている。


 「……ボビーともども、お前らに言いたい事は山程あるぜ。犯罪者に変わりはないんだからな!」


 弟との不本意な形での再会に、ひとり苛立ちを隠せないトーマス。

 だが、話はミラスを捕らえてからだ。


 「ヒートン、スイッチを押せるか? お前はここで待機して、救援を呼べ!」


 「了解しました!」


 フライヤー刑事局長は右肩を負傷した部下を地下には呼ばず、バンドー達とともに台座に集結する。


 「……キャロルさん、準備はいいですか? 教えた通りの風魔法を、壁に沿う様に左回りで発動させて下さい。私は、右回りで発動させますから」


 「……はい!」


 リンとキャロルは互いの呼吸を合わせ、それぞれに瞳と左頬を蒼白く発光させる。

 その何処か神秘的な光景に、魔法に馴染みの薄いオセアニアの警察官であるフライヤー刑事局長も、緊張感から息を呑んでいた。


 「地下に降ります!」


 ヒートン巡査が合図と同時にスイッチを押し、降下を始める台座。

 その瞬間、盗難車両の陰にハリーとボビーが身を隠して降下していた事実を、ヒートン巡査は見逃している。


 「はああぁぁっ……!」


 同時に炸裂する、リンとキャロルの風魔法。

 威力は流石にリンが上だが、自然の力が届きにくい地下室で魔法を発動させる事の出来るキャロルの実力は、オセアニアの魔導士が持つ高いポテンシャルを窺わせていた。


 「……な、何だこれは!? うわああぁぁっ!」


 ガレージの地下に吹き荒れる強風に煽られ、ミラスの姿は中央へと(あぶ)り出される。

 そしてそこには、満を持してフライヤー刑事局長が仁王立ち。


 「……ミラス、久し振りだな。こんな所でお前を捕まえられるとは、夢にも思わなかったよ」


 用心の為の拳銃を構えている、フライヤー刑事局長。

 

 強風により頭髪は埃まみれ。

 シックにキメた黒のスーツもしわだらけ。

 ミラスには、もう勝ち目はないと思われていた。


 「……フライヤーか。現行犯でもない俺を検挙しようとしている間に、裏では大変な事が起きているんじゃないのか?」


 ミラスは不敵な笑みを浮かべながら、スーツのポケットに忍ばせたナイフを握りしめている。


 「……現行犯だよ、お前は。駐車場での酒の取り引きだが、あの販売店にはもう警察の手が回っているんだ。アルバイトで運転手を雇い、組織の人間はひとりだけというお前らのシステムにも、5人の賞金稼ぎを付けている。今回ばかりは諦めろ」


 ピピピッ……


 緊張を(はら)んだ静寂の中、フライヤー刑事局長の携帯電話が鳴り響く。

 そのディスプレイにはロギッチ巡査長名義による、「任務成功」の文字。

 

 「どうだ、メールが入ったぞ。代表者を袋叩きにして捕らえたそうだ」


 「袋叩き……ファーナムがやったんだな」


 警察の成果を誇らしげに語るフライヤー刑事局長の裏で、バンドーはファーナムにボコられたとおぼしき容疑者を心配していた。


 「へっ……その程度で俺がへこたれると思っているのか……お笑い草だな、そらっ!」


 「……くっ……!?」


 ミラスの投げたナイフがフライヤー刑事局長の拳銃を弾き飛ばし、両者は互いに格闘の間合いを詰め始める。


 「フライヤーさん!?」


 「大丈夫だ! 私も寝不足で苛ついているからな。少し暴れさせて貰うよ」


 バンドーの心配をはね除けたフライヤー刑事局長は、ミラスとの真っ向勝負に充実の表情を浮かべていた。


 「おもしれえ……ハアッ!」


 ミラスの前蹴りを太股のアップでガードすると、ひと息つく素振りも見せずに細かなジャブで素早く相手を追い詰める、フライヤー刑事局長。


 「……私にとって、一番の仕事は家族の幸せだよ! シドニーの治安はその次さ。ミラス、お前にはビジネスを二の次に出来る大切なものは無いのか!?」


 いくら強くても、ストリート仕込みの喧嘩殺法には限界がある。

 生存本能に頼る戦いに慣れた人間は、周囲に武器が少ない時、勝敗の先にある行動にまで責任を負う人間の「覚悟」に気が付かなければ、真の勝利を得る事は出来ないのだ。


 「どりゃああぁぁ!」


 フライヤー刑事局長の的確な攻撃にミラスはスタミナを奪われ、息を切らして力なく大の字になり、床に横たわる。


 「……フライヤー、何故俺が酒の窃盗にこだわるか教えてやる。俺の両親はアルコール依存症だった。ブレットにも訊いたが、そこの白いガキの親もそうらしいな」


 「……何っ!?」


 地下にハリー達が同行している事に気が付かなかったフライヤー刑事局長は、驚いて後ろを振り返り、バツの悪い表情を見せるハリーとボビーの首根っこを、両者を一喝したトーマスが摘まみ上げた。


 「……重度のアルコール依存症はな、他人を平気で傷付け、平気で騙すんだ。そして残された者に、自分のツケを払わせる。残された者が必死になって取り戻そうとした信用を、平気で踏みにじる。そして、血ヘドを吐いて回復した後には、家族の顔さえ忘れ、俺は不幸だと嘆き出し、また酒に手を……クズだよ、疫病神だよ」


 「……同じだ……ウチの親と同じだ……」


 ミラスの告白に、ハリーは肩を震わせながら涙を浮かべている。


 「……だから俺は、盗んだ酒をそいつらに売り込んで、とどめを刺すまで飲ませるんだ。クズは死に、家族は疫病神から早く解放され、俺達はそのお礼に稼がせて貰う。必要悪だろ……」


 言葉に出来ない、悲痛な沈黙に覆われるガレージ。

 沈黙を破ったのは、おそるおそる罪を詫び始めたボビーだった。


 「……兄さん、ごめんなさい……。俺、とんでもない甘ったれだったよ……。親父やお袋がどんなに一生懸命働いても、移民の黒人だから貧乏だし、あんなにサッカーの才能があった兄さんでさえ、プロになれなかった。だから、何の取り柄もない俺には、それ以下の人生しかないって思ってたんだよ……。でも、俺は幸せだったんだ! ハリーやミラスさんに比べたら!」


 ハリーに貰い泣きしてしまったか、その場で泣き崩れるボビーを目の当たりにし、両者にたっぷりと説教するつもりだったトーマスも、眉間にシワを寄せてうつむくしかない。


 「……なあフライヤー、俺を捕まえたとして、同じような奴はいくらでも現れる。今回ばかりはお縄を頂戴してやるさ。だが、すぐに出所出来る。俺を待っている奴は、何も貧乏人ばかりじゃないからな……」


 「……違う! 貴方は……間違っている!」


 不敵に復活を誓うミラスの言葉を遮る様に、叫び声を上げたのはキャロル。

 彼女の人生にアルコールは無縁だったものの、身内からの仕打ちに苦しめられてきた事実だけは一致していた。


 「大変な事、不幸な事、沢山ある。でも……上手く言えない、上手く言えないけれど……それは貴方がする事じゃない! 沢山稼いだお金は、何処に行ったの!? 将来の不安に備えただけなの!? 貴方の心の隙間を埋めただけなの!? 生き方を間違えなければ、貴方は英雄にだってなれたはずなのに! 貴方は、この世界の憎悪を拡げている!」


 ミラスの過去に、ハリーの過去、それに自身の過去が混じり合い、感情の整理が出来ないキャロル。

 やがて彼女の左頬には、再び蒼白い光が滲み始める。


 「……キャロルさん、ダメです!」


 「あああぁぁっ……!」


 リンの制止も耳に入らず、暴走したキャロルの風魔法は一筋の細い帯となり、鋭利な刃物の様な破壊力でミラスの頭頂部に迫っていた。


 「や、やめ……ぬおおぉぉっ!」


 キャロルの風魔法は瞬く間にミラスの頭髪を削ぎ落とし、勢いの止まない風の刃はやがて、彼の頭ごと斬り裂かんとばかりに襲いかかる。


 「キャロルさん! 目を覚まして!」


 無意識のうちにキャロルに飛び付いていたリンは、そのままキャロルを押し倒し、どうにか魔力を停止させる事に成功した。


 「……うぅっ……ごめんなさい、ごっ……ごめんなさああぁぁい……!!」


 互いに肩を支え合い、泣き崩れるキャロルとリン。

 そして、そんな2人に声ひとつ掛ける事の出来ない、バンドー、シルバ、そしてフライヤー刑事局長。


 彼等は各々の携帯電話に殺到する警察官やクレア、そしてハインツからの任務成功の祝福メールの存在にすら気付かず、ただ呆然とガレージを眺めていた。



  (続く)


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