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バンドー  作者: シサマ
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第46話 心の故郷、そして、新たな脅威……


 5月31日・8:00


 リスボンで一夜を過ごしたチーム・バンドーは、いよいよバンドーとシルバの故郷である、ニュージーランドはカンタベリーへの長い旅に出発した。


 最初にして最大の難所、オーストラリアのシドニー空港までの丸1日がかりのフライトは、ヨーロッパ組のメンバーは当然初体験。

 とりわけ飛行機嫌いのハインツは早々にフクちゃんのシールドに入り、トイレに行く事すら惜しむ様にふて寝を決め込んでいる。


 「5月31日の7:30出発だから、明日6月1日の朝にシドニーに着くって事?」


 「違うよクレア。地球の裏側だから時差が半日あるんだよ。シドニーに着くのは現地時間で6月1日の夜だよ」


 クレアとバンドーは他愛のない話をしながら、オセアニアの観光地や名物料理について意見を交換していた。


 「……シルバ君、何かあったの?」


 読書家のリンも、飛行機の離陸直後に起こる気圧の変化は苦手な様子。

 愛読書をテーブルに置き、隣で眉間にしわを寄せながら新聞を読むシルバの姿が気になって声を掛ける。


 「……え? ああ、ジェシーさん。すみません。この記事ですよ」


 隣に座るリンの声に驚いてしまう程に、目の前の新聞記事を熟読していたシルバ。

 彼が指差す新聞の記事は、最近東欧で頻発する小規模な爆破テロについてのものだった。


 「軍や警察関係の施設跡地……? 犠牲者は出ていないんですね? 不幸中の幸いなんでしょうか……?」


 現役で稼働している施設ではない為、周囲に人の気配はなく、内部に兵器や機密資料は残されていない事から、物的被害も殆どない。

 しかしながら、市街地に近い施設跡地も存在する中、この2ヶ月で既に3件の爆破テロを見過ごす訳には行かないだろう。


 「……自分も最近、すっかり賞金稼ぎで忙しくなったので、詳しく追っていなかったんですが、被害を抑えた小さなテロから機を見て要所でのテロに切り換えるというやり方は、ルベンの得意とするやり方なんです」


 

 シルバの語るルベンとは、ルベン・エスピノーザ。

 マドリードの格闘技賭博で拘束されたチーム・エスピノーザのリーダー、ダビド・エスピノーザの実兄で、シルバとは軍隊時代からの因縁があった。


 「ジェシーさんもご存知の通り、弟のダビドはまだ仲間に情のある男でした。ですが、兄のルベンは非情なテロリストで、目的の為には仲間を切り捨てる事さえ辞さない男なんです。東欧は軍や警察の本部があるロシアからも近いので、今この時期に奴等が挑発的な行動をしている理由が気になってしまって……」


 シルバは未だに、軍隊時代の正義感や使命感が抜けていない。

 その生真面目さは間違いなく彼の魅力のひとつではあるのだが、故郷に帰ってリフレッシュするという本来の目的を前にして、流石のリンも少々閉口気味である。


 「……シルバ君、世の中に目を配るのは大事だけど、私達は今から休暇に出るんですよ。地球の裏の出来事を少し忘れて、シルバ君の実家の話を聞かせて」


 痺れを切らしたリンのひと言で我に帰ったシルバは顔の前に手を合わせ、謝罪のポーズを見せた。


 「それいいわね! シルバ君の実家はワイン農家なんでしょ? 収穫はいつなの?」


 シルバとバンドーの縁を通して、サッカークラブ、リスボンFCに自社のワインを売り込む事に成功したワイン会社「シルバセラー」。

 その余りものを殆どひとりで飲み干したクレアは無類のワイン好きであり、自身のホームタウンをフランスのボルドーに決めた理由もそこにある程なのである。


 「……ヨーロッパから見てオセアニアは地球の裏側ですから、今は冬なんです。南半球ですから、昼間は暖かいですけどね。収穫は……多分つい先日、終了したと思いますよ」


 「……そうなの? 残念ね……」


 フル稼働するワイン現場を生で観られると期待していたクレアは、やや残念そうに肩を落とした。


 「クレア、ワイン農家にとっては、今月に一番重要な仕事があるんだよ! 枝の剪定(せんてい)さ。ぶどうがちゃんと育つ様に、発育の悪い枝は切り落とすんだ。大変なんだぜ!」


 幼い頃から自身の農場とシルバのワイン製造現場、そしてもうひとりの幼馴染みであるサヤの酪農現場を往き来していたバンドーは、ワイン現場の華やかさだけに目を向けて欲しくないと言わんばかりに、クレアに豆知識を伝授する。


 「……そうなんですよ。故郷では自分達とバンドーさん達、そしてサヤさん達。ご近所が互いに助け合っていたんです。この時期にバンドーさんのお兄さんから電話があったのは、そこの労働力も期待されているんだと思いますね……」


 両親の仇討ちが理由とはいえ、本来後継者となるべきだった実家のワイン農家を11年間も留守にしていたシルバは、その罪悪感から何とも形容し難い表情を浮かべるしかなかった。


 「……ま、オセアニアでの仕事が始まるまでは、バンドー達の実家に世話になるだろうからな。俺達に農家の手伝いが上手く出来るかどうかは分からねえが、受けた恩は全力で返すぜ」


 テーブルに顔を埋めながらも、ちゃっかり皆の話を聞いていたハインツ。

 パーティーにとって、空気を読まない率直な彼の行動は数少ない不安要素であったが、予想外の大人な対応に皆が胸を撫で下ろす事となる。


 

 「……オセアニアの旅も穏便に済みそうで、何よりですね。私も安心して神界に帰れますよ」

 

 神界への一時帰還を決めてからというもの、普段から口数が多くはないフクちゃんの言葉は更に少なくなっている。

 神界から告げられた新たな任務でもあるのだろうか、彼女の周囲には常に何処かと交信中の様な緊張感が漂い、パーティーメンバーも声をかけ辛いのだ。


 「……フクちゃん、用事で一旦神界に帰るって言ってましたけど、これでさよならじゃないですよね……?」


 彼女のいないチーム・バンドーは、もはや考えられない程に人間界に馴染んでいるフクちゃん。

 いつの日か訪れる別れは皆が覚悟しているものの、一抹の不安が拭えないリンは、真剣な表情で目の前の小さな女神様と向き合う。


 「はい、大丈夫です。我々神族は自然の守護者としての立場から、今、このアースで起きている不穏な動きのデータを集めているんです。ですが、皆さんの行動目的とも、若干関係が重なる部分がありますので、私が再び皆さんに合流するのは確実です。用が済めば、またフクロウとして現れますよ」


 「良かった。帰り道にフクちゃんのシールドが無かったら、俺は発狂する所だったぜ」


 フクちゃんの言葉を受けて珍しく自ら道化を演じてみせるハインツを、パーティーは遠慮なく笑い飛ばしていた。



 6月1日・19:00


 およそ24時間のフライトを経て、オーストラリアのシドニー空港に到着したチーム・バンドー。

 リスボンと約12時間の時差がある現地の時間は、既に夜になっている。


 「…………」


 女神様であるフクちゃんと、軍隊時代に過酷な状況に慣れさせられているシルバを除いて、チーム・バンドーは早くも疲労困憊。

 とりわけハインツは、シールドの中で仮眠は取っていたものの、地獄の様なフライトがまだあと1回あるという現実に打ちひしがられていた。


 「……おいバンドー、オークランドってのはシドニーの近所じゃねえのか? 何で飛行機で3時間もかかるんだよ……?」


 地図だけ見れば、オーストラリアとニュージーランドは目と鼻の先の様に感じられる事だろう。

 3時間のフライトをこなす精神力が危ういハインツに加えて、クレアとリンの女性陣にとっての大敵は寒さである。


 「……やっぱり、南半球は今冬なのね。ボルドーから上着持って来なかったら凍死する所だったわ」


 やや表現が大袈裟なクレアは厚手の上着を羽織る代わりに、機内で自身が着ていたカーディガンをリンに手渡した。


 「まあ、昼になれば温かいから安心しなよ。それよりフクちゃん、オークランド空港には、もうすぐウチの兄貴が到着する。兄貴に姿を見られたら色々と面倒臭いよね?」


 オセアニアの懐かしい空気にすっかり安心したバンドーは元気を取り戻し、フクちゃんがフクロウの姿で神界に帰還するタイミングについて問いかける。


 「……そうですね。ハインツさんがシールド無しでもフライトに耐えられるなら、私はここで退場すべきだと思います」


 シドニー空港の到着ロビーから、オークランド行きの搭乗ロビーまでは、一度空港の外に出てエレベーターを使う方が早い。

 フクちゃんはそのタイミングで、広大なシドニーの夜空に紛れて飛び立つプランを立てていたのだ。


 「……正直しんどいが、今フクちゃんに甘えている様じゃ、世界一の剣士になんてなれやしねえ。いいぜ、暫くお別れだな」


 どうにか笑顔を作ってみせるハインツに向き合い、大きく頷くフクちゃん。

 やがてパーティーの笑顔に見送られた彼女は空港を駆け足で飛び出し、黒装束から黒い体毛のフクロウへと地味な変身を遂げる。


 「ひゃあー」


 相変わらず少々お間抜けな鳴き声を上げ、とても神界までは届きそうもない高さの空をマイペースに飛び回るフクちゃんを微笑ましく見守る、チーム・バンドーの面々。


 「さあ、皆さん、あと一息です!」


 「おう!」


 また、必ず会える。

 深まる夜の下、フクちゃんとの約束を噛み締めるパーティーの背中を、シルバの激励が後押ししていた。



 6月1日・22:45


 「お〜いレイジ! ここだここだ! 久しぶりだな!」


 ニュージーランドはオークランド空港の到着ロビーで待ち構えていたバンドーの兄、シュンは、祖母と父親に似た弟とは異なり、色白美人の母親似。

 スラリとした長身と眼鏡姿のインテリ風なルックスは、長旅で心身ともに疲労の限界に達していたクレアのミーハー心を刺激する。


 「え!? あの人がバンドーのお兄さんなの? やだ〜全然似てない!」


 クレアの嬉しそうな反応に若干ウンザリした様子のバンドーは、彼女の興奮を適当に聞き流し、本来ならば多少は不愉快な気分になるはずのハインツも、もはや眠れさえすれば何でもいい境地に至っていた。


 「シュンさん、お久しぶりです。バンドーさんもそうですが、昔と余り変わっていなくて安心しました」


 シュンに近づいて握手を求めるシルバ。

 主に体格面で、彼の成長に一瞬目を丸くしたシュンであったが、シルバの表情にはまだ少年の頃の面影が残っている。


 「……シルバ君だね? でかくなったな! もうケンちゃんなんて呼べないね!」


 シュンは満面の笑みでシルバを迎え入れ、バンドーから今も毎日ケンちゃんと呼ばれているシルバは、少々バツの悪い笑顔で固い握手をシュンと交わした。


 「初めまして、ブルガリアから来たクレアです。オセアニアの旅を楽しみにしています」


 「初めまして、リンです。フランスから来ました。私達が、この地の役に立てるといいんですけど……」


 「チェコ生まれのハインツだ。弟さんには、いつも世話になっているよ」


 3者3様の自己紹介の後、一瞥(いちべつ)してシルバとリン、そしてハインツとクレアの距離感を把握したシュンは、弟が嫁候補を連れて来る事は出来なかったと認識する。


 「レイジ、彼女はまだ募集中か? 2ヶ月で連れ戻して悪かったな!」


 兄から肩を強く叩かれ、肉親特有の気恥ずかしさに口を尖らせるバンドー。

 だが、その話題を出された瞬間、彼の脳裏には微かに、あるひとりの女性の姿が浮かんでいた。


 「皆疲れているだろう。会社のバスを借りてきたから、運転は俺に任せてゆっくり休んでくれ。夜明けには実家に到着するはずだ」


 シュンの職場は、ここオークランドに本社のある商社。

 実家のあるカンタベリーのエリアマネージャーに就任したての彼であったが、実家人脈のサポートもあり、無難に任務をこなせている。


 「……すげえな。あれ、キャンピングカーって奴だろ。こんなデカい車を貸してくれる会社なのかよ」


 交通手段は豊富だが、庶民の生活環境は決して良いとは言えない東欧生まれのハインツは、自家用車とは縁遠いライフスタイル。

 また、東欧屈指の財閥の長女だったクレアも運転免許の必要性が無く、元来徹底したインドア派のリンは言わずもがな。


 自然環境に配慮する統一国家となったアースに於いて、自家用車が未だ必要不可欠なのは、広大な無人地帯を有するアジア、アフリカ、オセアニアの一部地域だけなのだ。


 「オークランドからカンタベリーは、これまた長旅ですね。少し眠ったら、いつでも運転を代わりますよ」


 「な〜に、気にする事はないよ。チーム・バンドーを迎え入れる任務は、今や自治体のサポートが受けられる名誉なんだ。俺も連休を貰っちまったよ。今日に備えて昼間は寝てるから大丈夫さ! さあ、乗った乗った!」


 シュンは明るく声を弾ませ、シルバからの厚意を柔らかく断ってみせた。

 慌ただしく剣術と魔法、そして格闘術が必要となったオセアニアの現状は、バンドー一族に思わぬ恩恵をもたらしていたのである。


 

 「格闘術も必要か……。兄貴、おばあちゃんにも自治体の仕事が来たの?」


 バンドー最愛の祖母にして、伝説のオセアニア格闘技チャンピオン、エリサ。

 バンドーとシルバに格闘センスの基礎を伝授した彼女は、現在でも並のチンピラでは歯が立たない程の実力を維持していた。


 「……ああ。年齢が年齢だけに無理はしていないが、週に1度、オークランドのニュージーランド治安講習会で、護身術のアドバイザーをしているんだ。たまに新人格闘家の相手もするみたいだが、オセアニアの若手はレベルが低いと嘆いているみたいだぜ」


 「ふふっ、流石ですね! 自分も軍人の義父にはロシアでしごかれましたが、幼い頃のエリサさんの指導がなければ、途中で心が折れていたかも知れませんよ」


 美しい星空を眺める余裕も無く、車内で深い眠りに就いてしまったヨーロッパ組のメンバー達。

 シルバは故郷を離れていた長い時間の空白を埋める様に、バンドーとシュンの会話に割り込む。


 「……とはいえ、環境は人を変えるもんだよな。レイジ、お前も身体が引き締まっているし、顔も逞しくなったぜ」


 シュンの目を通してバックミラーに映る弟の姿は、つい2ヶ月前まで馴染んでいた、一族末っ子のムードメーカーのそれではない。

 パーティーメンバーに恵まれ、生命の危機こそ数える程度だったものの、生傷の絶えない賞金稼ぎ生活は確実にバンドーの印象を変えていたのだ。


 「俺自身は、余り変わってはいないけどね……あ、そうだ兄貴、俺少し魔法が使える様になったんだ! 邪魔な物をどけるくらいなら出来るよ!」


 「マジかよ!? サビッチの目は節穴じゃなかったんだな!」


 一瞬、ハンドル操作を間違えそうになる程の衝撃を受け、シュンは慌てて(てい)(つくろ)う。

 

 彼等が魔法との接点を持ったのは、クロアチアから親族を通じてオセアニアに侵入した、泥棒のサビッチが披露する風魔法を目の当たりにした時。

 だが、後にバンドー一族に警察へと突き出されたサビッチは、無意識に動物を引き寄せるバンドーの資質を見て、魔法への適性を見抜いていたのだ。


 「サビッチか……2ヶ月前の事なのに、もう懐かしいな……。あいつ今何してんの?」


 バンドーのその質問を待っていたかの様に、不敵な笑みを浮かべるシュン。


 「奴は建前上は観念して、今は服役の(かたわ)ら社会奉仕活動中さ。もっとも、シドニーの魔法学校が完成したら講師として試用するプランがあるみたいだから、今だけ真面目になっていると俺は睨んでいる。それくらい厳しい目で見ないとな」


 「ほえぇ〜。あいつが魔法学校の講師になれるんなら、リンはもう銅像が建つレベルの偉人だよ。なあケンちゃん!」


 サビッチと面識のないシルバは、シュンとバンドーのやりやり取りを完全に理解している訳ではない。

 

 しかしながら、リンの資質として、魔法学校の講師という将来は十分にあり得る。

 既にどの業界でも生きていけるだけの経験を積んでいるシルバは、流れる景色と心地好い疲労感に身を任せながらも、いずれ2人で切り開く未来にも想いを馳せていた。



 

 

 【……14番、戻ってきたな。改めて君を1級神に任命しよう。神名は何と呼べば良いか?】


 【神官ヤロリーム様、只今戻りました。神名はもう決めております。神名「フクコ」でお願いします】


 【「フクコ」? ……東洋人の様な名前だが、それで良いのかね?】


 【……はい。人間の目には、私が東洋人の様に見えるみたいですし、色々と愛着のある名前ですので……】


 【うむ、承知した。では、早速本題へと移ろう。我々神族は当然、地球の営みを監視しているが、近年気になる動きがある。それについては、フクコ君も意見を持っているはずだ。聞かせて欲しい】


 【……はい、近年、統一国家アースのとある企業が、ここ50年の勢力地図を塗り替えようとしている……そんな動きが目に付きます】


 【その通りだ、フクコ君。単なる人間同士の争いであれば、我々は干渉しない。だが、その企業に関しては、我々も無視出来ない不穏な動きがある。これを見たまえ】


 【これは……地球の活断層?】


 【そうだ。君も知っている通り、地球の活断層の多くはアジアにある。人間が災害……いや、人災によりかつての日本列島や朝鮮半島を放棄した為、幸いにも、現在のアースに於いて活断層の真上に人間の営みは殆ど存在していなかった。しかし最近、その企業が同時多発的に活断層の真上で建設工事を始めているのだ】


 【……アジアの活断層の真上という土地は、元来海沿いや山脈にあり、人間の生活には適していないはず……。その建設工事の目的は何なのでしょう?】


 【どうやら、近年急速に勢力を拡げている商店の倉庫という名目の様だが、これはつまり、ひとつの目的は人目に触れてはいけないものの保管が考えられる。そして、もうひとつの目的は……】


 【……まさか、同時多発的な活断層の刺激によって、もう一度大災害を起こそうとしているのでしょうか……?】


 【……何とも言えないが、その企業が本気でアースの勢力図を塗り替えるつもりならば、その可能性が無いとは言えないだろう。フクコ君、君が親交を深めている人間達も、いずれはこの動きに気付き、警戒するはずだ。これから暫くは、君の任務は人間側からの啓蒙になる。引き受けてくれるか?】


 【……はい、喜んで。彼等とは再会を約束しましたし、人間の世界には興味深いものが沢山ありますからね。これは神界の皆様へのお土産です。空の旅でぺしゃんこになりましたが、「きなこねじり」という食べ物です……】


 

 

 

 6月2日・4:30 カンタベリー地方


 「凄い! 見渡す限りの大平野ね!」


 大陸に夜明けが近づく頃、眠りに就いたバンドーとシルバに入れ替わる様に、クレアらヨーロッパ組のメンバーは壮大な自然に驚きを隠せずにいる。


 「めっちゃ田舎だろ? それでも、大災害の後の地形変化を利用して、ニュージーランドは北部と南部を繋ぐ新しい道路が出来たんだ。俺やレイジが生まれる前は、ここまで来るのにもう1本飛行機が必要だったんだぜ!」


 「……いや、それだけは勘弁してくれよ……」


 思い出すだけで空酔いしそうな長旅に、ようやく体力が回復したハインツの表情は再び沈み込んでしまった。


 「……あ、でも、何か街みたいな風景が……?」


 自身の視線の先にある景色の変化を察知したリンは、半開きの窓に身を乗り出して辺りを凝視する。


 「カンタベリー最大の都市、クライストチャーチだ。ここまで来たら、俺達の農場まであと1時間くらいだな。田舎だから、食べ物以外の買い物がしたかったらここに来るしかないんだよ。そう言えば、俺とレイジがまだ小さかった頃、親に黙って街に遊びに行こうとしたら、途中でバテて回収されちまったっけ、ハハッ」


 ぱっと見はインテリ風で、実際カンタベリーの若者の中ではエリートの部類に入るシュン。

 しかしながら、そこはやはりバンドーの兄。飾らない人懐っこさは、もはや一族の血筋なのだろう。


 「綺麗な教会……」

 

 リンとクレアも思わず見とれる、地名に恥じない施設の数々。

 ニュージーランド南部の観光地として名高いクライストチャーチは、54年前の大災害以前にも、震災から復興した過去を持っていた。

 

 54年前の大災害当時、まだ日本で暮らしていた一族の長であるバンドーの祖父ヒロシは、元来宗教とは縁のない生活を送っていたものの、キリスト教信者のエリサと結婚した事で、周囲の人間には信仰の自由を与えていた。

 その結果、バンドーファームとシルバセラー、そしてバンドーの幼馴染みのサヤ達が働く「タナカ農園」のコミュニティには、日系やブラジル系にとどまらない多彩な人種が引き寄せられていったのである。



 6月2日・5:30

 

 「シルバ君、、レイジ、そろそろ起きろ! コミュニティ総出で歓迎だぜ!」


 クライストチャーチを抜けると、小さな農村型の街、カイアポイが見えて来た。

 とはいえ、キャンピングカーの走るコースは農村地を真っ直ぐ突き進むだけである為、地元の者以外はなかなか目的地に辿り着けない事でも有名な土地である。


 「悪党を追って道に迷ったら大変だからな。バンドーファームの目印は、誰かが乗り捨てたままの錆びたジープだ。このジープを見て南に500メートル程進めば、右手に門がある」


 シュンは苦笑いを浮かべながら目印のジープ手前で減速し、クレア達ヨーロッパ組の来客に地理を理解させる猶予を与えた。


 「最近は、この辺りにも泥棒が増えて来たんだ。シドニーやオークランドとは違って、殺人事件までは起きないんだが、農場なら食い物だけは確実にあるからな。自治体からの仕事が来るまで、衣食住は俺達に任せてくれ。でも、何か事件があった時は、頼りにさせて貰うよ」


 シュン達オセアニアの民にとって、身内であるバンドー以外のメンバーは、言わば今後の治安維持の為に招かれたVIP扱い。

 

 しかしながら、優越感にふんぞり返る様な人間はこのパーティーにはいない。

 どうにも居心地の悪さを感じるハインツは、率直に自分の心境をシュンに伝えた。


 「……俺達は休暇も兼ねてはいるが、いつもの仕事をやりに来ただけさ。特別扱いはいらない。どれだけ役に立てるか分からねえが、皆農作業もやる気満々で来ているぜ。働かざる者食うべからずって奴よ」


 目覚めたばかりのバンドーは、ハインツの声とその言葉に頷くクレアとリンの姿を確認し、背後からシュンの肩を揉む。

 

 「今日は時差ボケ改善に休んで貰って、明日からぶどうの剪定、ビニールハウス改修、牛の世話に分かれて手伝って貰おうよ、兄貴」


 「……おい、よせ、肩揉み全然効いてない、つ〜か、余計に肩がこるわ! ……そうだな。ビニールハウス改修は男手が沢山必要だしな」


 冬の訪れを控えたこの時期、最も多忙なのはぶどうの剪定が始まるシルバセラーで、1年中仕事量が安定しているタナカ農園がそれに続く。

 冬支度が主な仕事のバンドーファームは、仕事量は少な目だが体力が必要であり、時に危険を伴う為に男手を必要としていたのだ。


 

 「お疲れ様、バンドーファーム到着だ! 3大農家揃い踏みだぜ! 俺は車を入れて来るから、皆先に降りてくれ。レイジ、早く荷物持てよ! 社交的にお前が最初に降りるんだからな!」


 キャンピングカーを門に入れたシュンは、左手に見える数十名もの人だかりを指差しながら、バンドーの準備が整うのを待って減速。

 そしてその表情から、歓迎ムードに溢れているスタッフ達の前にキャンピングカーを近づけて停車させる。


 「バンちゃん、久しぶり! 怪我も無いみたいで安心ね!」


 「ケンちゃん、待ってたぜ〜!」


 キャンピングカーから降りるバンドーの耳にいち早く届いた声は、2ヶ月前にただひとり出発を見送ってくれた幼馴染みのサヤ。

 そして、今は亡きシルバの父親の親友であり、挫折を乗り越えてシルバセラーの社長として日々奮闘しているガブリエウ。


 「皆、ただいま! ケンちゃんと頼れる仲間達も一緒だよ!」


 今ではヨーロッパでの暮らしにも慣れたバンドーではあったが、経験値は僅か2ヶ月間。

 地元の安心感に勝るものは無い。


 「皆さん、お久しぶりです! 長い間ご心配をおかけしました!」


 11年ぶりに故郷に凱旋したシルバの、如何にも元軍人という説得力がある屈強な肉体に、バンドーファームに一瞬どよめきが沸く。

 しかし一方で、その表情には幼い頃の面影が色濃く残っており、昔馴染みの誰もが一見してシルバ本人である事を理解出来ていた。


 「初めまして! お邪魔しま〜す!」


 熱狂的なリアクションの中、登場のタイミングに躊躇(ちゅうちょ)するヨーロッパ組のメンバーは、取りあえず一番愛想の良いクレアを先頭にして、無難にその場に収まる。


 「……レイジ、逞しくなったね。あたしにゃ、隣にいるだけでそれが分かるよ」


 家族の中で最初に声をかけてきたのは、やはり最愛の祖母エリサ。

 父レイに支えられた、バンドーファームの創始者である祖父のヒロシも、この瞬間ばかりは車椅子から立ち上がる気概を見せていた。


 「おばあちゃん、ただいま! おばあちゃん秘伝の格闘術が無かったら、向こうで100回は死んでいたよ!」


 「おい! お前は100回も戦ってねえだろ!」


 バンドーの社交辞令に、ガチなツッコミを入れるハインツ。

 チーム・バンドーでは日常茶飯事な光景だが、地元でもイジられキャラであるバンドーを介した寸劇が、たちまちヨーロッパ組のメンバーとご近所一行との距離を縮める。


 「この皆さんは、バンちゃんとシルバ君のチームメイトなのね? ヨーロッパから新しい職員を連れて来る話は……まだ2ヶ月だから無理かぁ……」


 自身の彼氏候補も兼ねて、バンドーに金髪イケメンの農園職員を連れて来る様に迫っていたサヤ。

 しかしながら、自分でもかなり無理のある話だと理解していたのか、口調に反して表情は晴れやかなものであった。


 「いや、農業やってもいいから、治安のいい所で堅気の仕事をしたいって奴はいるよ!」


 バンドーのその言葉に、サヤだけではなく、世代交代に悩んでいたスタッフ全員が色めき立つ。


 「兄貴から電話を貰った頃ははっきりしていなかったけど、スペインで知り合ったサンチェスとタワンっていう賞金稼ぎが、ちょっと悪さをして警察に拘束されたんだ。でも奴等は反省していて、不幸な生い立ちで情状酌量の余地もあったから、後進地域の剣士と格闘家に協力する条件で、近い内に保釈されるんだよ」


 「レイジ、その2人はお前が呼べば来てくれるのか?」


 父レイは話に乗り気でバンドーに詰め寄り、母ミカは腕を組みながら、何処か心配そうな表情を浮かべている。


 「俺達は奴等を留置所で説得した仲だし、手配を進めてくれているのは、ケンちゃんの義理のお父さんのロドリゲスさん達なんだ。まず大丈夫だと思うよ!」


 「でも……レイジちゃん、その人達が、また悪い事をしない保証はないんでしょ?」


 サンチェスとタワンの過去が気になるミカ。

 女性なら当然抱く不安だが、第1次産業こそ前科者に再起のチャンスが与えられるべきであるとも言えた。


 「……ミカさん、ウチの会社の若い奴も、昔はワルだった。何より俺自身が、決して善良な人生を送っちゃいない。俺も教育に手を貸すから、そいつらを迎え入れようぜ!」


 ミカとバンドーの間に割り込んだ、シルバセラーの社長ガブリエウ。

 彼の男気に納得の表情を見せたシルバも、ミカの説得に一役買って出る。


 「ミカさん、お久しぶりです。サンチェスとタワンが荒れた原因は、取引先企業の圧力で実家の工場と両親を失った事なんです。その気持ちは自分にも理解出来ますし、今はチンピラ組織とも縁を切っていますよ」


 「皆さん、初めまして。私はフランスから来たジェシー・リンです。私は一時、サンチェスさんの人質に取られた事があります。でも、サンチェスさんの目的は私達をスペインから退去させる事だったので、私が危害を加えられる事はありませんでした。2人とも、根っからの悪人ではありません」


 シルバにすかさず助太刀してみせるリン。

 サンチェスに危害を加えられるどころか、ぶっちゃけ魔法でサンチェスにがっつり仕返ししていた事を、チーム・バンドーの面々は口が裂けても言えなかった。


 「……そうね。まずは信じてみない事にはね」


 女性陣を代表して、取りあえずひとつの見解が必要だったのであろう。

 ミカは周囲に納得の表情を見せて頷く。


 「……ま、半端なワルなら寧ろ鍛えがいがあるってものだね。レイジ、その元賞金稼ぎの2人は強いのかい?」


 既に貫禄すら漂わせるエリサは、早速孫に続く自身の格闘術の継承者候補を品定めしていた。


 「え? う〜ん、サンチェスは俺と同じで素人から剣を握ったけど、格闘のバックグラウンドが無いから余り強くはないかもね。奴は真面目に働くと思うよ。……タワンの方は、ムエタイの選手としてプロの試合も経験しているから、結構強いはず。馴染んでくれたら色々と頼りになるだろうけど、どちらかと言えば、気性で注意が必要なのはタワンの方だね」


 バンドーの極めて正直な分析に、シルバ達も苦笑いを禁じ得ない。

 

 「ほう、ムエタイのプロ経験が……面白い子じゃないか。冥土の土産に鍛えてやるよ」


 「おばあちゃん、縁起でもない事を言わないで下さい!」


 いくらエリサがオセアニアの格闘技チャンピオンだった過去があろうと、それはあくまで女子のカテゴリー。

 男子の格闘家に敵うはずがないと、ミカは心配を隠さなかった。


 だが、幼い頃に格闘訓練を受けたシルバは知っている。

 エリサの強さは、性別や理屈では説明がつかないものだという事を。


 彼女の魂を受け継いだバンドーが、周囲の不安をよそに剣士、格闘家、そして魔導士としての実力までを身に付けた様に……。


 「皆さん、長旅でお疲れだろうが、今日は時差ボケ改善の為に起きていた方がいい。バンドーファーム、シルバセラー、タナカ農園の何処でもいいから、ゆっくり見学するといいよ。食事はレイジに持って行かせるから安心しなさい」


 「じいちゃん、折角帰って来たのに、また雑用係に逆戻りかよ!?」


 ヒロシとバンドーの3世代漫才にコミュニティは沸き上がり、今日もオセアニアの1日が慌ただしく始まろうとしていた。



 6月1日・17:30 ギリシャ、アテネ警察署


 「ギオルガトス署長、来客です。取り急ぎの用件だそうですが……」


 「誰だ? 外部から署長への来客は17:00で締め切られるはずだろう? 礼儀知らずはさっさと追い返せ」


 駐在時間の義務から解放され、帰路に就く予定だったギリシャ・アテネ警察署長のギオルガトスは、突然の来客に怒りの色を滲ませる。


 「明日にしろと言っておけ……うおっ!?」


 裏口から出ようとしていたギオルガトス署長を、先回りして待ち構えていた来客。

 この裏口の存在を知り、かつ素早く回り込めるのは、警察と秘密裏な癒着(ゆちゃく)をしている業者だけであった。


 「久しぶりだな、ギオルガトス署長。この俺を無下に扱うと、後悔する事になるぜ……」


 ギオルガトス署長の前には、黒のスーツで固めて立ちはだかる男性が2名。

 

 ひとりはスキンヘッドで屈強な体格をしている男で、恐らくはSPが本職だろう。

 そしてもうひとりは、身長は170㎝に満たない小柄な体格ながら、ギラギラと野心に燃える鋭い眼差しをもった男。


 「……貴様、ルベン・エスピノーザ……!」


 「おおっと、ヨーロッパでその名前はタブーだぜ。今はエディ・マルティネスで通しているんだ」


 小柄な男はギオルガトス署長の口の前に(てのひら)を差し出し、言葉を遮るジェスチャーをして見せる。

 掌を相手に向けて5本指を立てるこのジェスチャー、ギリシャでは「とっとと失せろ」の意味を持つ侮辱のサインでもあった。


 「……やむを得んな。ツィミカス君、運転はしなくていい。また明日来てくれたまえ」


 運転手を帰宅させ、マルティネスと名乗る男の話を聞く事となった、ギオルガトス署長。

 彼は署長室に配置された盗撮、盗聴設備を全て遮断し、極秘会談を余儀無くされている。


 

 「……用件は何だ。昼間に来れない話なのか?」


 苛立ちを隠せないギオルガトス署長は、現在ヨーロッパ屈指の剛腕トラブルメーカーとして名高いテロリスト、ルベン・エスピノーザを前に、1秒でも早く用件を済ませたいと、小刻みに震える手足を必死に押さえつけていた。


 「……頼れる兵隊が欲しい。アンゲロス・パパドプロスを保釈出来ないか?」


 ギラついた眼差しはそのままに、何やら拘留中の悪党の保釈を求めるマルティネス。

 

 チーム・カムイのリーダー、バシリス・カムイの実父であり、私欲の為には妻子の命すら顧みない悪党であるパパドプロスは、暴走を止めたカムイによってアテネ警察に突き出された。

 だが、悪党としての彼の手腕を買っている犯罪組織により、大金を積んだ保釈が検討されている。


 「……保釈は予定されてはいるが、我々にも建前ってものがある。あれ程の悪党を簡単に野放しにしたら、ギリシャ警察全体の信用に関わるからな。犯罪の減る冬までは我慢しろ」


 震える手足を落ち着かせる為に、葉巻に手を伸ばすギオルガトス署長。

 その様子を目の当たりにしたマルティネスは険しい表情を浮かべ、即座に手刀で署長の葉巻を叩き落とした。


 「悪党と取引しなけりゃ、治安どころか財政すら保てない怠け者どもが! 俺達が手を引いて平和なギリシャとやらが戻って来たら、果たしてこの街が何年持つのか見物だな!」


 落ちた葉巻を拾おうとするギオルガトス署長の前で葉巻を踏みにじり、仁王立ちするマルティネス。


 「ま、待ってくれ! 今すぐは無理だ! だが、来月に新しい施設を立ち上げるプランを提出して、議会で予算を引き出す事が出来れば防犯対策を示せる。来月……いや、今月末まで待ってくれ!」


 庶民からの支持率が下がろうが、ヨーロッパでも治安の悪い地域で万全の自己保身が可能な警察署長の地位は、やすやすと捨てる事は出来ない。

 ギオルガトス署長の努力に満足したマルティネスは、彼に頭を下げてその労をねぎらった。


 「パパドプロスの保釈に成功したあかつきには、アテネだけは仕事のターゲットから外してやるよ。ギリシャの中で、ただひとりの有能な警察署長になってみたいだろ?」


 マルティネスは震えるギオルガトス署長の肩を軽く叩き、SPの男とともに裏口へと去って行く。


 (パパドプロスをサツに突き出したカムイと仲間達、そして奴等と交流を深めている賞金稼ぎども……覚悟しておけ。弟をパクりやがったシルバともども、粉々にしてやるからな……!)


 ギリシャに夕陽が沈む頃、闇に紛れる様に男達の人生はまた動き出していた。



  (続く)



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