第45話 ヨーロッパの忘れもの
これまでのあらすじ
2045年の大災害を機に、統一国家として再編されたアース。
一時的な文明の退化と、軍備、銃器の見直しにより剣術が再評価され、新たに発見された自然を操る力は魔法と定義された。
ニュージーランドの農業青年レイジ・バンドーは、人生経験の蓄積と幼馴染みの捜索の為にヨーロッパへと渡り、紆余曲折を経て賞金稼ぎパーティーを結成する。
頼れる仲間と様々な経験に支えられたバンドーは剣士として成長し、彼の幼馴染みのシルバは念願だった両親の仇討ちを達成。
休息の時が訪れたパーティーは、バンドーの故郷ニュージーランドへと旅立つ。
5月29日
スペイン警察、そして特殊部隊と連携しながら、遂にシルバの両親の仇討ちに成功したチーム・バンドー。
警察の厚意で褒賞金と宿舎を提供されたものの、今回の仕事でチーム・エスピノーザや、ラ・マシアの関係者から恨みを買う立場になってしまった事は否めない。
バンドーとパーティーは最後に全員で特殊部隊の隊員であるゲレーロの見舞いに訪れ、薬物依存症からの完全復活を誓う彼に熱いエールを贈ったのち、足早にスペインを旅立つ事を決めた。
5月30日・12:00
バルセロナから飛行機でポルトガルのリスボンに到着したのは、クレアを除く5名。
彼女は自宅アパートの賃貸契約を長期延長する為に、フランスのボルドーへと別行動を取っていたのである。
「警察からの謝礼、意外と多かったね」
バンドーはパーティーの金庫番であるクレアの代わりに受け取った、バッグの中の600000CPを片手で触れて確認し、故郷のニュージーランドまでの旅費が浮いた事を素直に喜んでいた。
「バンドーさん、空港の側にカプセルホテルがあるんですよね?私もそこでいいですよ」
リンは男性陣に余計な配慮は求めず、パーティーが滞在するホテルの選択をバンドーに一任する。
「うん、そうだね。リスボンのカプセルホテルには女性専用フロアもあるし、リンとフクちゃんに強盗が襲いかかったとして、無事に帰れる訳ないもんね」
無邪気な太字スマイルでリンに応えるバンドー。
リスボンでの宿泊は、明日のフライトに備えた1泊だけ。
昨日を休養に充てたパーティーは、バンドーとシルバの故郷であるニュージーランドのカンタベリーを目指し、旅のチケットを既に押さえていた。
「ハインツさん、今日のフライトではシールドに入りませんでしたね。少しずつ飛行機嫌いを克服出来ている様で何よりです」
バルセロナからリスボンまでのフライトは短時間とは言え、フクちゃんはハインツの向上心の高さに感心し、彼が何故剣士として成長し続ける事が出来るのか、その極意を感じ取っている様子である。
ハインツは少々照れ臭そうに頭を掻きながら、空港出口の陽射しに目を細めた。
「……俺の目が節穴でなければ、武闘大会で見たメナハム・フェリックス……奴が近いうちに世界のトップに躍り出る。フェリックス社の野望のスケールを考えると、奴と戦うにはいちいち武闘大会を待っていられねえ。こっちから奴の動向を追わないといけないからな」
一見して華奢な体格でありながら、卓越した技術とスピードで巨漢剣士も苦にしないメナハムのファイトスタイルは、ハインツとも共通点がある。
政治や経済分野にまで口を挟むつもりは毛頭ないものの、ハインツにとって、フェリックス社の横暴を許さない理由はちゃんと存在していた事になる。
「……懐かしいな!リスボン。でも、たった2ヶ月前の事なんだけどね」
駆け足でハインツを追い越し、空港出口に飛び出したバンドー。
彼は自身が初めて降り立ったヨーロッパの地に舞い戻り、アニマルポリスと出会った事、サッカークラブのサポーターとともにバスジャック犯を撃退した事、それらの思い出に感慨を深めていた。
「……ん?あの人だかりは何でしょう?2ヶ月前にはなかったと思いますが……?」」
両親の仇討ちという、自身の目的を達成出来たからなのか、旅の間暫く沈黙を守っていたシルバ。
そんな彼は、リスボン空港からカプセルホテルへと繋がる道の間で起こる、小さな賑わいに注目する。
「……賞金稼ぎ組合、リスボン出張所……と書いてありますね」
人間ではないが故に当然とも言えるが、人並み外れた五感を持つフクちゃんはその場から動かずして看板を読み取り、賑わいの正体をあっさりと見破った。
「……ポルトの組合ひとつだけじゃ、そろそろ限界が来ると思っていたぜ。ちょうどいい暇潰しが出来たな」
ある意味、剣士としてワーカホリックとも言えるハインツは、滞在時間が1日しかないにも関わらず、嬉々として出張所に歩みを進める。
ポルトガルはヨーロッパの中では比較的治安が良く、観光産業とのバランスを考慮した結果、最大の都市であるリスボンにはこれまで賞金稼ぎ組合を設置していなかった。
しかしながら、バンドー達を含めて賞金稼ぎからは移動距離への不満が常に挙がっており、他地域からの賞金稼ぎを受け入れやすくする為、ポルトガルの玄関とも言えるリスボン空港前に簡易組合を配置したのであろう。
「おいハインツ、明日には出発なんだからな?」
今から本気で仕事を探しかねないハインツの様子を見て、バンドーはひと声掛けて念を押し、他のメンバーともども渋々彼の後をついて行った。
「……お前ら、チーム・バンドーか!?」
出張所に顔を出したバンドー達を出迎えたのは、如何にも賞金稼ぎらしい屈強な男達。
だが、その表情からは驚きと、何処か敬意にも似た感情が滲み出ている。
「……すげ〜!こんな小さな出張所に来るなんて、ポルトガルがホームって噂はやっぱり本当だったんだ!」
やや興奮気味にチーム・バンドーを眺める、ポルトガルの若手剣士達。
どうやら武闘大会の優勝で、本人達の知らない間にチーム自体がカリスマ化してしまっていたらしい。
「バンドーさん、シルバさん、お久しぶりです!ポルトの組合でお会いしたマリアです!」
人だかりの中から聞こえてくる声の主は、ポルトの組合のオペレーターを務めていたマリア・ネーベス。
季節柄、若干髪が短くなってはいたものの、まだ2ヶ月前の事。雰囲気は何ら変わっていなかった。
「あっ、マリアさん!その節はお世話になりました」
彼女から賞金稼ぎの基礎知識、そして心得をデータ付きで詳しく学んだバンドー。
人だかりを掻き分けてマリアに近付く彼が作った道に沿いながら、パーティーは出張所の奥へと進む。
「ポルトの組合から派遣されたんです。給料はいいですけど、狭いし忙しいし大変ですよ……」
一見生真面目な雰囲気ながら、ラテン系ならではのフランクさを併せ持つ彼女は、普段からこうして客にも愚痴をこぼしているのだろう。
彼女の奥には、資料の整理に奔走する職員の姿がひとり見えるだけ。
なかなかに過酷な職場である。
「……シルバさんは軍人の経験があったからともかくとして、バンドーさんがこれ程までに賞金稼ぎとして成功するとは、正直思っていませんでしたよ。おかげさまで、ポルトの組合にも褒賞金が来たんですよ。ありがとうございます!」
マリアの話によると、武闘大会での優勝や地域貢献の仕事など、賞金稼ぎがある程度の名誉を得た場合、その賞金稼ぎが初めて登録した地域の組合に、僅かながら褒賞金が出るらしい。
クレアのホームグラウンドであるボルドーの組合や、ハインツのホームグラウンドであるケルンの組合にも、褒賞金が出たのだろうか?
「そりゃ良かった。俺自身は、魔法が少し使える様になった事以外は余り変わってないですよ。ここにいるハインツやリンみたいな、いい仲間に恵まれたからですね」
バンドーのこの言葉に嘘はない。
この正直なキャラクターがあるからこそ、同業者も素直に敬意を表する事が出来るのだ。
「マリアさん、お久しぶりです。自分が見た所、特に目立つ仕事の依頼の様なものは見当たりませんが、この出張所、いつもこんなに賑わっているんですか?」
バンドーが前に立っていようが、パーティーの中で群を抜く長身のシルバにとって、マリアとのコミュニケーションの妨げにはならない。
この賑わいに何処か不自然なものを感じた彼は、マリアにその真相を訊ねる。
「……いえ、実は先程仕事を探しに来た高齢の剣士の方が、おひとりなのに3人相手の仕事を無理矢理成立させて出ていってしまったんです……。組合のルールとして、安全の為に3人相手の仕事を成立させる為には、賞金稼ぎも2人以上の登録が必要なんですが……」
「ねえちゃん、あのオヤジを知らねえのか?奴はダニエル・パサレラ。高齢だが実力は折り紙付きのレジェンド剣士だ。ひとりでも問題ねえよ、高みの見物と行こうぜ」
困惑を隠せないマリアを制止するかの様に、出張所内をたむろする南米系の剣士が場に割り込んできた。
どうやらその剣士は、高齢ではあってもかなりの凄腕らしい。
「ダニエル・パサレラ……?確かトルコのアーメト・ギネシュ、スコットランドのダグラス・スコットと同世代の、レジェンド3剣士のひとりだ。マドリードで戦ったオジャルも、パサレラの強さはリスペクトしていたな……」
ハインツの語るレジェンド3剣士とは、この世界の運命を変えた大災害が発生した、2045年に生を受けた実力派のベテランである。
彼等は50歳を過ぎた現在でも、後進の育成や地域のパトロール活動で絶大な影響力を持っており、実際にアーメト・ギネシュは、武闘大会MVPのハインツに唯一の黒星を与えていた。
「パサレラは俺の故郷、アルゼンチン出身だ。奴は正義感が強く軍隊に志願したが、父親が左翼系の活動家だった為に入隊が叶わなかったらしい。それ以来、ラテン系の悪党専門に賞金稼ぎを続けているのさ」
パサレラの生い立ちを語る南米系の剣士の表情から、レジェンドは今でも尊敬を集めている様子が窺える。
「……パサレラさんって、家族はいないの?ギネシュさんやスコットさんは家庭を持っていて、もう剣士の一線からは退いたって話だけど」
バンドーからの素朴な質問に不敵な笑みを浮かべた南米系の剣士は、出張所に貼り出された最新のヨーロッパ剣士ランキングの隣にある、小さな新聞記事を指差した。
「……見てみろよ。パサレラは家庭も持たず、ひたすら剣士として腕を磨きながら金を貯めているのさ。その理由は、未だ1回も勝てていない同期のレジェンド、ダグラス・スコットに勝つ為だ」
ハインツが10位、クレアが72位、そしてバンドーが97位にランクインしている最新のヨーロッパ剣士ランキングに、格付けに興味を失ったパサレラの名前はない。
だが、隣の新聞記事には、現在地元のスコットランドで建設会社を経営しているダグラス・スコットが、レジェンドの自分を倒そうと乗り込んでくる若手剣士をあっさりと退けている事実が記されている。
更に加えて、スコットは慈善事業でヨーロッパの貧しい地域を訪れ、前科者を社員としてスカウトして再起させていた。
事業と家庭を両立する一方、剣士に専念している自身に勝利し続け、その上で自身が憎む犯罪者にもチャンスを与えるスコットを、パサレラがどれ程までに忌み妬んでいるか、もはや想像に難くない。
「……こりゃあ、不謹慎だが面白そうだよな……」
ハインツの興味津々な表情を、当事者に失礼だと認識はしながらも、周囲の誰もが彼を責める事はなかった。
「……まあ、パサレラの腕なら心配は要らないんだろうが、もし万が一の事態になれば、オペレーターとしてのあんたの立場もまずくなるよな。俺で良ければバックアップに行くぜ。報酬は、俺の出番があった時だけでいい」
ハインツのこの勇み足は毎度の事だけに、パーティーも今更困惑や落胆はしない。
「……いいんですか?すみません、宜しくお願いします!ここから南に1キロ進むと、カンセロ化学工業の倉庫の跡地がありますが、そこにポルトガル各地の盗難品が管理されている事が分かりました。しかし、容疑者3人組のひとりが実際に元カンセロ化学工業の社員だった為に、犯罪認定が遅れていたんです……」
「カンセロ?軍とも仕事をしている有望企業ですよ。耐熱材や防弾チョッキの分野では、グローバル大手を凌ぐ信用があります」
マリアの説明にいち早く反応したのは、軍隊経験者のシルバ。
「……はい。つい最近まで化学薬品が保管されていた危険性から、警察や軍からの銃器介入がためらわれていました。ですから容疑者の拘束に成功すれば、彼等からの褒賞金の上乗せが期待出来る、今日一番の高額依頼ですね」
既に野次馬に乗り気なハインツを、今更制止する事は難しい。
マリアの話から自身の知識と経験が役立つと確信したシルバは上着の袖を捲り上げ、その様子を見たリンも魔法での援護を意識し始める。
「シルバ、リン、すまねえな。……バンドーとフクちゃんはホテルの予約と、晩飯の見当を付けといてくれ。バンドーはリスボンをよく知ってるんだろ?」
旅の通過点として何度か訪れはしたものの、バンドーはリスボンに詳しい訳ではない。
だが、ただでさえ凄腕な剣士のバックアップに5人は必要ないだろう。
バンドーはハインツの強引な仕切りには少々不満だったが、フクちゃんと顔を見合わせた後、渋々首を縦に振った。
「……よし、南へ1キロだな?行くぜ!」
意気揚々と駆け出すハインツの後を、見失わない程度のスピードでゆったりと追いかけるシルバとリン。
相手が万が一、パサレラとハインツが敵わないレベルの悪党であったなら、むしろ迂闊に近寄らず、リンの風魔法で遠くから攻撃する方が賢明。
加えて、行き先は南に1キロの倉庫と極めて明確である。
盗難品の見張りという任務がある限り、容疑者はそう遠くへは逃げられないのだ。
「……行っちゃいましたね。バンドーさん、どうしますか?」
突然の事態に呆気に取られるフクちゃんの隣で、どうにもお手上げといった表情のバンドーは、開き直って懐かしい観光地を訪ねる事となる。
5月30日・12:40
早急にカプセルホテルの予約を済ませたバンドーは、たまたま人通りの少ない平日をいい事に、フクちゃんの魔法の力を借りてリスボンの街を高速移動で観光。
しかし、バンドーがヨーロッパで初めて訪れた観光地であるテージョ川に2人が到着した頃、急激に怪しくなった空模様を警戒したのか、橋の下のフラミンゴは一斉に飛び立ってしまった。
「あらら、主役がいなくなっちゃったよ!」
「……でも、綺麗ですね……」
この景色をフクちゃんに見せたかったバンドーは一時的に落胆したものの、間一髪フラミンゴの群れが飛び立つ瞬間を見る事に成功したフクちゃんの表情は晴れやかである。
「こりゃあ、ひと雨来そうだ。早く雨宿り先を探さないと……。お?よしよし、お前ら久しぶりだな!」
視線を空から足下に下ろしたバンドーは、2ヶ月前にも自身に馴染んで集まって来た小さな鳥、バンの一団を確認し、身体を屈めてじゃれあい始めた。
「……ふふっ、バンドーさんみたいに動物の方から寄ってくる人なら、人生退屈しませんね……」
世界中何処に行っても変わらないバンドーのキャラクターを、優しく見守る様なひとこと。
だが、その声の主はフクちゃんではない。
「……え?誰?」
フクちゃんのものではないが、聞き覚えのあるその声に振り返るバンドー。
そこに立っていたのは、いつものド派手な仕事着ではない、落ち着いた雰囲気の私服を身に纏った、アニマルポリスのメグミだった。
「……メグミさん!? ひとり?」
空に覆い被さる、灰色の雲の合間から降り始めた小雨が互いの頬を濡らす頃、バンドーとフクちゃんという「偽装兄妹」は、その事実をまだ知らないメグミと偶然の再会を果たしている。
「短いオフを貰えたから、少し考え事をする為にここに来たの。ポルトガルは私の故郷だから、やっぱり落ち着くわ。確か、バンドーさんに初めて会ったのもここでしたね……」
「……大雨が来ます。早く何処かで雨宿りしないと」
メグミの挨拶に割り込み、空模様の危機を伝えるフクちゃん。
メグミは彼女の正体をまだ知らないが、自然の守護者である神族の天気予報が外れる事は、まずあり得ない。
「そ、そうね……。おふたりはお昼ご飯はまだ?すぐ近くに行きつけのカフェがあるの。雨宿りしながら食べない?」
「えっ?うん、行く行く!」
メグミからの誘いにふたつ返事で頷き、バンドーとフクちゃんは雨足を強める空からの脱出を目論む。
メグミとの会食に加えて、ハインツから頼まれていた美味しい店も労せず見付かる。
バンドーにとって、これ程ラッキーな展開はなかった。
5月30日・12:45
その頃、目的の倉庫へあと一歩と迫っていたハインツ、シルバ、リン。
突然の雨模様は歓迎すべき事ではないものの、目的地へと走る現在の彼等に限れば、火照った身体を冷やすこの雨はむしろありがたい。
「……ちっ、いきなり降って来やがったな。それなりに時間は経っている。もう、カタが着いているといいが……」
パサレラの腕に疑いは持たないが、全身を酷使する剣術に於いて、レジェンド剣士の年齢から雨を浴びる筋肉のコンディションを危惧するハインツ。
パアアァァン……
雨で湿った空気を突如引き裂く、乾いた破裂音。
銃声に間違いないだろう。
「……まずい!急ぎましょう!」
空港から更に南下する事1キロ、港に近い倉庫周辺には外部からの応援も迅速とはいかない。
シルバはその脚力とスタミナでハインツを追い越し、上着の裏からナイフを引き抜いていた。
「……パサレラさん、大丈夫ですか!?」
倉庫に到着した3人は周囲を見渡し、地面に転がってうずくまる体格の良い男性2人と、小競り合いで倉庫から転がったと思われるドラム缶に、背中からもたれて身を隠す中年男性の姿を発見する。
「……パサレラ!? 無事か?」
険しく彫りの深い顔立ちの中年男性は、痛みからなのか疲労からなのか、やや顔を歪めていた。
右手に剣を持っている事から、彼がパサレラで間違いないだろう。
ハインツはパサレラの不自然な表情を懸念し、左手側に回り込むと、そこには拳銃の弾丸を左肩に掠めたと思われる、若干の出血。
「……誰だお前ら?邪魔をするな!俺ひとりでやる」
気丈に振る舞い、バックアップを拒むパサレラ。
だがハインツには、その態度が賞金独占の私欲から来ているものではなく、剣士としての孤高のプライドから来ているものであると、一瞬で伝わっていた。
(……こいつ……)
パサレラから放たれる、その実力以上の執念とも言えるオーラに一瞬言葉を失ったハインツは、地面に転がる男達を尋問するシルバとリンに視線を移す。
「お前達が窃盗犯か!? さっきの銃は誰が持っている!?」
男達を見下ろすシルバの目に映ったのは、辺りに散乱した角材や鉄パイプ。
この状況から、2人の男がパサレラを挟み撃ちにしてそれなりの立ち回りはあったと思われるが、血は一滴も流れていない。
剣の刃で斬り裂く事なく、剣を使った打撃、或いは格闘技のみで体格の良い男2人に立ち上がれないダメージを与えるには、一撃必殺の急所を熟知している必要がある。
豊富な経験に裏付けられたパサレラの実力は、この場でシルバにも強い印象を残していた。
「……へっ、俺達は昨日、ペレイラとリマって奴に雇われたばっかりだよ。トラックに荷物を積むだけの、日給8000CPのセコい仕事さ。いきなりあのオヤジが斬りかかって来やがって、こっちが事情を訊きてえよ!」
「銃を撃ったのは貴方達ではないんですね!? 他に仲間はいますか?」
男達の想定外の反応に困惑するリンであったが、自身の顔に浴びせられる大雨を拭いながら声を振り絞り、どうにかして事件の全貌究明を試みる。
「マンティカって奴が、銃を持って倉庫に入っている。倉庫の荷物を移し終えたらトラックで出発するんだろ?あのオヤジといい、お前らといい、何かヤバいブツでも探してるのか?」
隣で倒れていたもうひとりの男も、自分達の立場を全く把握していなかった。
犯罪認定までの時間を利用して、主犯格と単なるアルバイトが丸々入れ替わる、悪質な頭脳犯罪と言わざるを得ない。
「……くっ、仕方がない。おいお前!報酬は分けてやる。倉庫に入った黒人を捕まえてくれ!」
「そいつがマンティカか?言われなくたって!」
苦虫を噛み潰しながらも、大雨と肩の傷で己のプライドを諦めたパサレラは、ハインツに協力を求める。
一方、倒れた2人の男に戦意がないと確信したシルバはリンをその場に残し、ハインツと合流して倉庫のシャッターに詰め寄った。
「……マンティカ!逃げられないぜ!お前も面倒を押し付けられたんだろ?洗いざらい白状した方が得だぜ!」
ハインツは巨悪を許さないが、小悪党へはいつも最低限の配慮は見せていた。
これは彼が、チーム・バンドーに加わる決め手となった魅力のひとつである。
「……くっ……!シャッターに鍵が……。ジェシーさん!魔法でシャッターの下に水を入れる事は出来ますか!?」
自分達がシャッターの前であからさまに不審な動きを見せれば、倉庫内からマンティカに銃撃される可能性も否定は出来ない。
シルバは大雨の騒音を逆手に取り、リンにマンティカを炙り出す作戦を提案した。
「……水魔法で、地面の雨水を逆流させる事は出来ますが……。盗難品が水浸しになるんじゃないですか?」
「この大雨だ!誰も無傷で盗難品が戻って来るなんて思ってねえよ!」
ハインツの叫びに背中を押されたリンは深呼吸して眼鏡を外し、倉庫の正面に仁王立ちする。
「…………はああぁぁっ!」
そして、雨水を含んで重くなった自身の前髪を左手で掻き上げながら、精神統一の第一声とともにその瞳から発せられる、蒼白い光。
濡れた地面に反射するその光は、季節外れのイルミネーションの様な幻想的な美しさを醸し出してはいたものの、その下で推移する光景は、浅い水溜まりが静かに逆流しながら、シャッターの隙間から倉庫を水没させるという、残酷な芸術だった。
「……何だ!? この魔法は……。今まで見てきたものとは、レベルが違う……!」
抜きん出た経験値を誇るレジェンド剣士、パサレラの目にも、魔導士リンのポテンシャルは特大に映っている。
「ぎゃっ!何だよこりゃあ!?」
倉庫の段差までを登ってくる、謎の雨水製の絨毯に恐れをなしたマンティカは、堪らずトラックのある倉庫の裏口へと駆け出した。
「……裏口か!? 逃がさねえぜ!」
長い足音に勘づいたハインツは、すかさずシルバに合図を出し、左右からマンティカを挟んだ先回りを試みる。
その傍ら、自身の役目を終えたと確信したリンは、呆然と成り行きを見守るパサレラに近寄って一礼し、彼の肩の傷に回復魔法を施していた。
「……待ってたぜ!そらっ……!」
裏口から逃走しようとしていたマンティカを迎え撃ち、大雨をもろともしない軽快な剣捌きで、相手の右手に握られていた拳銃を弾き飛ばすハインツ。
慌てて拳銃を取り戻そうと2人に背を向けたマンティカを嘲笑うかの様に、シルバの投げたナイフは拳銃を遥か遠くへと追いやっていく。
これで勝負あり。
「……お前がマンティカだな?ペレイラとリマとかいう、主犯格2人の命令に従っていたんだろ?」
用心の為、マンティカの上半身に剣を突き付けたハインツが尋問を始める。
マンティカはその体格こそ堂々たるものであったが、この手の輩にお馴染みのタトゥーやアクセサリーとは無縁の、意外にも素朴な雰囲気の青年だった。
「ゆ、許してくれよ!この荷物をトラックごと空港に運べば、ペレイラがカンセロの運転手に採用してくれる事になっていたんだ……ポルトガルで堅気の仕事が出来るチャンスだったんだよ!」
どうやらペレイラという男が、カンセロ化学工業の社員時代のコネや知識を悪用していた様子である。
シルバはマンティカが、かつての植民地時代からポルトガルと関係の深いアフリカのアンゴラからやって来たと推測し、彼に最適なアドバイスを探す。
「……マンティカ、残念ながら、ペレイラはもうカンセロを辞めているよ。君は捨て駒に利用されたんだ。だが、もし君がペレイラ達にそそのかされてポルトガルに来たのなら、今すぐ警察にこの件を相談した方がいい。君の罪は軽くなる」
「……畜生……!」
依頼主の裏切りからなのか、自身の不甲斐なさからなのか、マンティカはその場に崩れ落ち、深い絶望に打ちひしがれていた。
「……稼ぎのいい仕事に就く条件で、俺はもうすぐ結婚出来たはずなんだよ。モデルみたいな美人と……」
雨足のピークが過ぎ去り、空に明るさが戻りかけた頃、皮肉にもマンティカの人生における大チャンスは逃げていく。
その背中に声を掛け辛い男性陣を尻目に、少しずつマンティカに向かって歩みを進めていたリンが、力強く彼を励ます。
「……貴方に危険な橋を渡らせてまで、稼ぎを結婚の条件にする女性と結ばれても、きっと貴方は不幸になります。相手の為に頑張れる貴方であり続ければ、手を差し伸べてくれる女性がきっとすぐに見付かりますよ」
リンのその言葉には、深い意味がある。
彼女が愛するシルバは、両親の仇を討つ為には危険を顧みなかった男。
しかしながらリンは、自らが安全な場所にいながら彼が帰って来るのを待つという、恵まれた人生を送れたにも関わらず、敢えてその選択をしなかった。
魔導士としてチーム・バンドーに改めて加わる事で、女としての自身の生き方に意地と誇りを懸けていたのである。
5月30日・13:00
「……うん、こりゃうまいや!これだけうまかったら、いくら平日とは言え、昼時はもっと混雑していてもおかしくないのにね」
雨宿りを兼ねて飛び込んだ、メグミ行きつけのカフェ「アルバラージ」の料理に舌鼓を打つバンドーとフクちゃん。
メグミはその様子を嬉しそうに眺めながら、平日昼間のこの店が混雑しない理由を仄めかしにかかる。
「バンドーさん、フクコさん、この料理を食べて、何か気付いた事はない?」
悪戯っぽい微笑みを投げ掛けるメグミを目の当たりにしても、バンドーはその真意を理解出来ずにいたが、やがて皿を凝視したフクちゃんが遂に真実に辿り着いた。
「……肉も魚も……入っていませんね……」
「そう!ここは平日の昼間はヴィーガンメニューになるのよ!」
拍手でフクちゃんを讃えるメグミ。
その言葉を聞いたバンドーは、かつて彼女の父親がヴィーガンである事を教わった、オーストリアでのワニ捜索を思い出す。
「この店は、私が小さい頃に父に連れて来られた想い出の店なの。父は仕事中毒だったから、家族と食事する暇は殆どなかったんだけど……まあそれ以来、何か考え事がある時はここでゆっくり過ごすのよ」
すっかり顔馴染みになったバンドーとフクちゃんの前だからか、出会った頃に比べると、メグミの話しぶりも随分と砕けてきている。
僅か2ヶ月の間に育んだ、人々の絆。
今更ながら感慨がこみ上げるバンドーは、だからこそメグミの考え事が何なのか、気になり始めていた。
「……メグミさん、考え事って何?俺達が力になれる事なら、教えて欲しいな」
うっかり言葉を発してしまったものの、これから故郷に帰省しようとしている自分が、ヨーロッパで生活するメグミの相談に乗れるのかと、一瞬後悔してうつむくバンドー。
しかしながら、メグミ本人はそんな彼の気持ちが嬉しかったのだろう。
柔和な表情を浮かべながら、ゆっくりと心の内を明かし始める。
「……私ね、今年いっぱいでアニマルポリスの現場から引退しないといけなくなっちゃったの……。前々から、もう身体を張る歳じゃないとか、教育担当のオペレーターの方が向いているとか言われていたんだけど、バルセロナで警察に保護されたマジード君が、私に銃を向けた事を告白したらしいのよ」
「えっ……!?」
突然のアニマルポリス引退予定に、マジードとの関連性。
頭の整理が追い付かないバンドーは、きょとんとその目を見開く事しか出来なかった。
「……私の父はポルトガル警察の役職だから、将来的な身の危険を考えて、私を前線に出さない様、本部に嘆願したんだと思う。確かに、シンディも最近逞しくなってきたし、いつかは世代交代が来るんだろうなと感じてはいたけど……」
芸能人志望から身の安全の為にアニマルポリスに駆け込んだシンディとは違い、正規の警察教育を全て修了しているメグミの将来には、何ら不安もないだろう。
とは言うものの、その動物愛から警察学校卒業後はアニマルポリス一筋だった彼女の喪失感は、バンドーやフクちゃんの想像を超えるものがあるに違いない。
「この仕事は、正直忙しい時は嫌になる時もあるわ。でも、残された時間が少ないと分かった今は、もっと多くの動物を助けたいし、バンドーさんみたいな人達と、もっと沢山の想い出を作りたい……」
伏し目がちな表情の寂しさの中から、何処か強い決意を感じさせるメグミに心を動かされたフクちゃん。
そんな彼女は、自身がバンドーの妹であるという嘘をつく事に若干の後ろめたさを感じつつも、敢えてその立場からメグミと正面から向き合った。
「……チーム・バンドーは明日から、兄と私の故郷であるニュージーランドに出発します。隣のオーストラリアに魔法学校が出来る事になったので、私はヨーロッパからの飛び級入学の誘いを断り、オーストラリアの魔法学校に通うまでは、ゆっくり高校生活を全うする事にしたんです」
「……そうなの?それは良かった!私も警察学校に通ってからは全然遊べなかったし、専門教育は、周りに流されずに本人が望むタイミングで受けるのが一番よ。……でも、バンドーさんとフクコさんが帰っちゃうと、寂しくなるわね……」
人生の先輩として、フクちゃんの言葉を強く肯定するメグミ。
その一方で、故郷への帰省を別れだと誤解している様子であり、バンドーは慌てて火消しに走る。
「俺達がニュージーランドに行くのはケンちゃん……いや、シルバ元中尉の両親の仇討ちが成立したから、地元への報告と休暇の為なんだよ。将来的にはともかく、少ししたらまたヨーロッパに戻って来るから」
バンドーの弁明は、決してその場凌ぎの言い訳ではない。
チーム・バンドーには、ヨーロッパに帰還する理由が明確に存在していた。
クレアとハインツの人生がヨーロッパ在住を前提に設計されている事は勿論として、バンドーには実家の農場の職員候補であるサンチェスとタワンが保釈された時、スペインで彼等を迎える義務がある。
加えてギリシャに住む友人である、チーム・カムイのレディーは、カムイが父親への復讐を企てている事を懸念し、非常時にはチーム・バンドーに力を貸して欲しいと、クレアを通じて申し出ていたのだ。
「……ギリシャ。あそこはつい数年前まで、ヨーロッパで最も治安の悪い地域だったの。今はアニマルポリスの管轄にも入っていないわ。バンドーさん達にまた会えるのは嬉しいけど、気を付けてね……」
ヨーロッパの中で、治安の悪化が懸念されていたスペインにも臆せず乗り込んでいたメグミが警戒するギリシャ。
思えばレディーの両親も、ストリートギャングに殺されている。
ピピピッ……
突如として鳴り出した自身の携帯電話に、周囲の迷惑を気にして無意識にひとり背を向けるバンドー。
窓から見える景色は、すっかり雨もあがった快晴だった。
「バンドーさん、リンです。こちらの仕事は終わりました!でも、ちょっと事件の背景が複雑みたいで、まだ皆が参考人として出張所に残っています。用が済んだら、出張所に戻ってきて下さい」
「……え?うん、分かった!」
リンからの電話を快諾し、猛烈な勢いで残りの料理をたいらげるバンドー。
その様子から事態をほぼ把握出来たメグミは、まるで保護者の様な穏やかな眼差しで彼を見つめている。
「……ごちそうさま!メグミさん、この店、夜は肉も魚も出るの?皆を連れて来ようと思ってるんだけど」
自身の想い出の店を、バンドーも気に入ってくれている。
その事が素直に嬉しいメグミは、未来を前向きに捉える気持ちとともに、満面の笑みを彼に返した。
「ええ、出るわ。夜は人気で混むから、今予約しておいた方がいいわよ!」
5月30日・14:30
バンドーとフクちゃんが出張所に到着した時、事件は既に解決していた。
出張所からの報告を受けた警察は空港付近の商業施設を一時封鎖し、カンセロ化学工業から提供されたペレイラの顔写真を照合する事で、あっさりと主犯格2人を拘束出来たのである。
これはすなわち、突然の大雨から逃れる為の雨宿りが、結果として彼等の運命を決定付けてしまったと言えるだろう。
メグミの雨とはまさにこの事、と、バンドーはひとり駄洒落チックな満足感に浸っていた。
「盗難品は綺麗に梱包されていて、輸送先はバルセロナだそうです……。今、現地の警察ともコンタクトを取っていますので、情報のやり取りが完了するまで、もう少しだけお待ち下さい」
拘束時間が伸びる事を申し訳なさそうに謝罪する、オペレーターのマリアを責める者はいない。
如何にも気が短そうなパサレラも、自分だけでは任務を完遂出来なかった引け目からか、自己嫌悪に陥っている様に見える。
「よりによってバルセロナかよ……。こいつがもし、ラ・マシアの資金に使われる予定だったとしたら、ロドリゲスの義父の仕事がまた増えちまうな、シルバ」
冗談混じりのハインツの言葉に、シルバも笑うに笑えない。
「ところで、賞金の件ですが、双方の意見がまとまらない時は、組合の規定で……」
「考えるまでもない。俺が2人を止めて、こいつらはマンティカを捕まえた。賞金の3分の1はこいつらのものだ」
パサレラはマリアの提案を遮り、賞金を冷徹に数字の結果で割り切ってみせた。
「ああ、それでいいぜ。俺達は金目当てであんたに協力した訳じゃないからな。だが、俺も剣士の端くれとして、あんたの腕と人生には興味がある」
「……小僧、何が言いたい……?」
パサレラに近付いて探りを入れようとするハインツを、相手も当然警戒する。
パサレラの肩の負傷から、両者が一触即発になる事はないだろうが、無駄に緊張を生むハインツの言葉選びのセンスは、良くも悪くも天才的である。
「あんたの目的が、打倒ダグラス・スコットだって事は分かった。だが俺なら、自分に2回以上勝った相手は素直に讃えるね。剣士として、それでも奴の上に立ちたければ、他の強豪剣士をひとりずつ倒す道を選ぶ。あんた、今の生き方を変える気はないのか?」
今、ハインツがやろうとしている事は、単なる余計なお節介に過ぎない。
しかしながら、自身の可能性と社会貢献を両立しているスコットや、家族と弟子に囲まれているギネシュと比較すると、パサレラの人生には疑念を禁じ得ない。
例えそれが、部外者であるチーム・バンドーから眺めた印象に過ぎないとしても、だ。
「……次はギリシャに行かねばならない。俺はそれまで、悪党を懲らしめるだけだ。言いたい事がそれだけなら、さっさと帰るんだな」
喉から出かかった真実を呑み込む様に、虚空を眺めるパサレラ。
やがて自らの剣に視線を落とす彼を見て、ハインツは説得を思いとどまり、パサレラの肩を軽く叩く。
「悪かったな。ギリシャか……俺達、また会うかも知れないぜ」
5月30日・18:00
「美味しい!バンドーの店選びもなかなかセンスいいじゃない!」
ボルドーから深夜にリスボン入りする予定だったクレアは、移動手段を鉄道から飛行機に変更して駆け付け、旅の疲れも見せずに夕食を堪能している。
バンドーとフクちゃんは、まさかこの店がメグミから教えて貰っただけの努力ゼロの成果とは言えず、何とも形容し難い薄ら笑いを浮かべていた。
「明日は1日がかりのフライトかよ……。どれだけ体力付けても足りねえな……」
人生で未だかつて経験した事のない長旅に、飛行機嫌いのハインツは早くも鬱々としている。
「さっき仕事前の兄貴から電話が来てさ、シドニーからオークランド行きに乗り換えた後は、会社のバスで迎えに来てくれるって。ゆっくり寝れるよ!」
「うひょ〜!」
バンドーからの身内情報を受け、元気を取り戻したパーティーはワインを片手に、暮れゆくリスボンの空の下、久しぶりに羽目を外す大盛り上がりを決め込んでいた。
(続く)