第42話 運命の地バルセロナ (前編) 〜ラ・マシア非情の掟〜
マドリードで発生した格闘技賭博による潜入捜査官の傷害事件は、賭博の統括者ダビド・エスピノーザ、脅迫犯のホミ・ジャービス、ジャービスの共犯者である白髪の不良中年男パコと、3名の逮捕者を出して解決へと向かっていた。
だが、それと同時にマドリード警察は、バルセロナの犯罪組織「ラ・マシア」とエスピノーザとの取引中に交通事故を起こし、ドラッグを横領した疑いで、エスピノーザの運転手サルガード、そして彼の責任の所在をエスピノーザに要求して暴れた運送会社の社員、ハティ・ワレムの身柄も拘束する。
特殊部隊のロドリゲス隊長は、サルガードの事故究明をきっかけにラ・マシア入りを企んでいたワレムに、押収したドラッグを手土産に預ける事で手柄を挙げさせ、彼をラ・マシアに売り込みながら組織のアジトを突き止める作戦を立案していたのだ。
5月27日・10:00
先の事件の捜査に協力したチーム・バンドーがマドリードを発つ準備を整えている頃、ひと足先にバルセロナ入りを果たした特殊部隊のロドリゲス隊長と、その部下であるドンゴン・キム。
彼等は、ドラッグを携えたワレムを後部座席に乗せながら、ラ・マシア傘下の運送会社「インテル・カルガ」に勤務する彼の指示通り、慎重に車を走らせる。
「……よし、手前の信号で止まってくれ」
人気も疎らな工業地帯の跡地を目前に、ワレムは停車を指示した。
「この信号から真っ直ぐ北に300メートル程進んで右折すると、巨大な工場の跡地がある。正面の入り口は鉄条網でガードされているが、裏口には守衛が2人いるだけだ。薄汚いが、ここがラ・マシアの本部なんだ」
「……?ワレム、ここで止まらなければならない理由があるのか?」
万事を徹底する為に、ワレムの話に合点の行かない点をすぐさま追及するキム。
彼はコンピューター並の記憶力を持っており、地理と方位に於いて右に出る者はいないのである。
「……ラ・マシアの本部は、屋上にも守衛が付いている。奴等はこの信号を越えて来る車を、商売敵かサツの車だと認識するんだ。万が一顔に覚えがあれば、攻撃を加える場合もある。命が惜しければ、ここから先は回り道をするんだな」
ワレムの言葉に、慌てて左右を見渡すキムとロドリゲス隊長。
辺りをよくよく眺めると、両隣の道路に比べてこの道路は随分閑散としていた。
「……誰もが、物騒だと気付いてはいるのか……」
「本物のワルは、逃げも隠れもしねえ。周りが逃げ隠れしてくれるからな」
溜め息にも似たロドリゲス隊長の感嘆を横目に、ワレムはそれが、まるで自分の手柄であるかの様な振る舞いを見せている。
「……自分達はここまでと言う事か。ワレム、まだ間に合う。軍に保護されながら、ラ・マシア対策の参考人にならないか?人並みの暮らしと身の安全は保証されるぞ」
ワレムの表情を窺いながら、キムは最後の通告を突き付ける。
しかしながら、今更相手の決意が揺らぐ事は無かった。
ハティ・ワレムはチュニジア移民の両親の下、フランスのマルセイユに生まれ育つ。
だが、根強い移民差別・宗教差別による貧困で、彼の両親は離婚。
ワレムは施設に預けられるも、両親の愛情に飢えていた彼は素行不良から施設を抜け出し、喧嘩と窃盗に明け暮れながらバルセロナに流れ着いていた。
バルセロナ市民がこの工業地帯の跡地を避けて通る理由は、実はラ・マシア本部の存在だけでは無い。
財政難から手付かずの跡地はカタルーニャ地方のホームレスや、各種依存症患者の溜まり場となっており、ワレムもかつてはここで生活していたのである。
ホームレスの中に、最近活きの良いガキがいる……。
この噂を聞き付けたラ・マシアの構成員は当時のワレムに接触し、彼の覚悟と実力が組織の求めるレベルには無いと判断する。
しかしながら、当時はまだビジネス全般が好調であった為、ラ・マシアは彼を暗黒街の捨て石ではなく、傘下の運送会社「インテル・カルガ」のスタッフに採用したのだ。
運転免許の取得を含め、ワレムは自身を人並みの暮らしに導いてくれたインテル・カルガに恩義を感じてはいたものの、その日から彼の目標は、自身を悪党としてラ・マシアに認めさせる事に変わったのである。
「……悪いな、俺は行くぜ。俺が今更、人並みな人生を続けた所で家族は作れねえ。愛とやらを知らねえからな。いつかそいつを、丸ごと金で買える様になってみせる」
キムの姿を振り返る素振りを見せる事も無く、無言で車を降りて歩き出すワレムの背中を助手席から見送るロドリゲス隊長。
やがて姿が見えなくなると、僅かな感傷を切り替えた彼はキムと向き合った。
「……どうだキム。この道はもう、大丈夫か?」
「安心して下さい、完璧です。軍用機材を用いれば、背後500メートルのホテルからでも監視は出来ますね。相手の屋上からの警戒を避けて全貌を知るには、7階の部屋がベストです」
ワレムに多少の情が移りつつも、確かな収穫を得た彼等は臆病な一般市民を装いながら、隣の道路へと進路を変更する。
「……ハティ・ワレムだな?武器があればすぐに捨てて手を上げろ。身体検査だ」
ラ・マシア本部の裏口から、約束通り単身で現れたワレムを待っていたのは2名の守衛。
それとなく布を被せて隠してはいるものの、片方の守衛は軍用のライフルを構えていた。
一般人が銃器を入手する事が極めて困難な現在、軍用ライフルの入手経路は、いずれ調べなければならない重要課題と言えるだろう。
「……随分厳重なんだな。アロンソから連絡は行っているんだろ?俺達は身内みたいなもんじゃねえか」
サングラスの奥で瞳を曇らせながら、ワレムは会社の上司の名前を出し、自身の拳銃と戦利品のドラッグを、渋々守衛に差し出した。
「エスピノーザも、結局は潜入捜査でパクられたんだ。用心に越したこたぁねえよ」
マフィア界隈にその名を轟かせるラ・マシアも、流石に守衛にまでは人材を充てられないのだろう。
体格はワレムに大きく劣り、その話しぶりも街のチンピラと言った様子で、威厳の様なものは感じられない。
「……発信器は無いな。携帯電話は暫く預かる。よし、入っていいぞ!」
特殊部隊との作戦会議に於いて、既に怪しい通話記録を警察レベルの技術で消去しているワレムの携帯電話は、例えラ・マシア幹部であっても疑惑を発見する事は出来ない。
守衛に内部を案内され、意気揚々と幹部との面会を目指すワレムの表情は、不安や緊張を上回る期待感に満ちていた。
莫大な資金を隠し持っているはずの犯罪組織、ラ・マシアの本部の内装は、意外な程に簡素なもの。
老朽化によるひび割れや隙間風には対処していたが、暗黒街の顔役と言わんばかりのレッドカーペットはおろか、要人や娼婦を招く客室も存在しない、ストイックなまでに犯罪に特化した「修行場所」に近い印象である。
「……ハティ・ワレムだな?この度はウチの商売道具を取り戻してくれてありがとう。礼を言うよ」
かつては工場の会議室として使用されていたであろう事が窺える、机やパイプ椅子が所狭しと並べられた一室。
そこに案内されたワレムの目と耳に飛び込むラ・マシアの幹部と思わしきその男は、意外にもラテン系の風貌では無い。
「……ラ・マシア監査理事、ヨーラム・フェリックスだ。このヤクは私が見立てて出荷したものに間違いない。こいつをまた流通させれば収益は倍増。私の辞書にも未だかつて載っていない大手柄だな」
特殊部隊、ワレム、そしてエスピノーザの運転手であるサルガードは、事情聴取で互いに司法取引を結び、事件のシナリオを一部書き換えている。
マドリード入りしたワレムが立ち寄ったモーテルで、エスピノーザの運転手としてインテル・カルガの車をレンタルしたサルガードと再会。
交通事故現場から逃走した事で、警察から追われていたサルガードはドラッグを顔見知りのワレムに託す。
ワレムは拘束されたエスピノーザには敢えてドラッグを渡さず、マドリード警察と現場のモーテルも発表と記録を書き換え、ラ・マシア幹部にワレムを信用させる、という筋書きだ。
「……ワレム、君はラ・マシアに入りたいそうだな?いいだろう。我々の課す試験をクリアさえすれば、すぐにでも組織の一員になれる。今月の収支は大幅なプラスだよ」
ヨーラム・フェリックスという監査理事を名乗るその男は、肌の色こそ薄い褐色ではあるものの、すらりとした長身に端正な顔立ちと、一見した所、ラテンの猛者どもを仕切る様な男には見えない。
しかしながら、その鋭い眼光に加え、何処か不敵に歪む口元からは、この世界を生き抜けるだけの狡猾さや非情さを隠し持つ雰囲気も感じさせてはいる。
「ヨーラムさんが来てくれてから、ウチの組織は息を吹き返したんです!もう、多地域戦略無しに組織は生きられませんね!」
ヨーラムの若さに似合わぬカリスマ性を前にして、彼に心酔している様子を隠さない守衛。
それもそのはず、ヨーラムは剣術・魔法学校の運営を始めとして、このアースで急速に勢力を拡大しているイスラエルのトップ企業、「フェリックス社」の御曹司。
更に、彼の弟メナハムは若干21歳でヨーロッパ剣士ランキングのトップ3に躍進した、企業の広告塔なのだ。
「……統一通貨や統一言語が採用されたこのアースで、いつまでも伝統のコミュニティに固執する事は出来ない。我々は災害で、かつて世界のリーダーであったアメリカを失ったが、その遺産は我が故郷・イスラエルが受け継いでいる。更にドラッグ産業に於いて、スペインと南米地域のコネクションは今でも強大ではあるものの、ロシア中心のヨーロッパ至上主義に踏みにじられた、中国を始めとするアジアの巨大な鉱脈を見下す思想は実に愚かだ。怒りを胸に戦う人間の力に、人種や宗教の差など存在しないのだから」
フェリックス社は、イスラエルのユダヤ系財閥によって創設された企業である。
2045年の大災害当時の社長であるデビッド・フェリックスは、祖国アメリカを捨てたビジネスパートナーのファケッティ一族を受け入れ、生まれたばかりの息子デュークが成長するまで、ファケッティ一族の新鋭レオンを育成。
レオンとの2頭体制で更なる成功を収めたデビッドだったが、元来アラブ系民族からの支持率が低かった問題を解決する為、息子デュークをアラブ系の女性と入籍させる事となった。
やがて剣術・魔法学校ビジネスでフェリックス社は栄華を極めるも、学校のアジア進出に失敗したデビッドは社長の座をデュークに譲り、強大な中国パワーと提携する道を選択する。
85歳の現在も、名誉会長としてレオンとの2頭院政を敷くデビッド。
トップ企業の代表としての息子と、裏稼業のフィクサーとしての孫、そして庶民の一攫千金シンボルとしてのもうひとりの孫という、アース全土を手中に収める壮大なビジョンを胸に、日々厳しい眼を光らせていた。
「お祖父様からの教え……如何なる身分の者にもチャンスを与えよ。だが、失敗した者に与えるチャンスは限られている……マジードを連れて来い!」
「……はいっ!」
突如として険しい表情に豹変したヨーラムは守衛に指示を出し、やがて構成員と思わしき男達が、傷付いたひとりの少年を引きずり出す。
「……このガキはホームレスから自分を売り込みに来た。私の母と同じアラブの血が流れていたから、恩情で使ってやったが、ミスをやらかし、構成員をひとり失ってしまったのだ。ワレム、君の拳銃は返すよ。このガキを始末する事が出来れば、君は今日からラ・マシアの一員だ!」
戸惑い気味に、ヨーラムから自身の拳銃を受け取るワレム。
弾丸はまだ1発も使用していない為、フルに充填してあった。
懲罰として構成員に暴力を振るわれたのだろう。
全身に痣を作りうずくまる少年に視線を移すと、いきがって見せる中にも自身の生命の危機に直面している、その恐怖を隠せていない。
「……まだほんのガキじゃねえか。俺の代わりに運送会社に派遣すれば、まだ利用価値があるだろ?」
ワレムは努めて冷静に振る舞ってはいたものの、どう見ても未成年である少年を撃つ事は出来ない。
ましてやこの少年は、かつての自分と全く同じ境遇なのである。
「……そうか、ワレム君は優し過ぎるな。ルールを変えよう。マジード、この勝負に勝てばもう1回チャンスをやろう!」
ヨーラムの言葉に全身を奮い立たせ、マジードは大きく両目を見開く。
やがて獲物を狩る猛獣の様なオーラをみなぎらせる、彼の豹変ぶりに驚きを隠せないワレムは、無意識の内に後退りを始めていた。
「うわあああぁっ……!」
拳銃を持つ相手を恐れず、果敢に飛び掛かるマジード。
黙っていれば、いずれ殺される運命なのだ。
幸いにしてこのワレムは、ヨーラム程に非情な男には見えない。
「……くっ、よせ!」
苦し紛れに前蹴りを繰り出すワレム。
体格から見ても、パワーの差は明らか。
ワレムのキックをまともに受け、コンクリートの床に転がるマジードは、痛がる素振りも見せずにすぐさま立ち上がり、涙が興奮か、真っ赤に充血した瞳を広げたまま、目の前の巨大な獲物を睨み付ける。
「うががああぁ!」
マジードは野獣の様なジャンプで戦意喪失気味のワレムに喰らい付き、程無く相手の手首から拳銃を強引にむしり取り、銃口をワレムの額に向けていた。
「…………」
拳銃を手にし、屈辱続きの彼の人生でこれまでに味わった事の無い全能感に満たされたマジードは、やがて幼い頃から憧れた拳銃の取り扱い手順を冷静に思い出し、安全装置を外す。
「……や、やめ……!?」
パアアアアァン……
パアアアアァン……
パアアアアァン……
マジードは血走った眼差しで躊躇なく引き金を引き、初めて手にする拳銃の威力を冷静に判断出来ない為、言葉にならない雄叫びを上げながらワレムの顔面を何度も何度も撃ち抜いていた。
「ああああ!ああああ!ああ……」
ピピピッ……
壁に飛び散る鮮血を横目に、不穏な静寂に包まれていたラ・マシア本部に、携帯電話のベルが鳴り響く。
ヨーラムの電話だ。
「……ヨーラムだが……」
「ヨーラムさん?フェリックス・ホテルです。ワレムが本部に来た交通手段が分かりました!ホテルから背後を撮影して検証した結果、マドリード警察所有の覆面パトカーナンバーを確認しましたよ!」
特殊部隊のキムが監視場所の候補に上げていた、工業地帯跡近隣のホテル。
だが、そのホテルは既にフェリックス社が買収しており、逆にラ・マシア側が不審者の監視に利用していたのである。
「……出来過ぎた話だと思っていたよ。警察も舐めた真似をするものだ……。マジード!良くやったな!仕事をやるぞ!」
ワレムの亡骸の後始末もそこそこに、ヨーラムは早速特殊部隊対策に乗り出していた。
5月27日・14:00
スペイン入りしてからの多忙な日々の疲れを癒す為、1日半ゆっくり休息を取ったチーム・バンドーは、余裕を持ったスケジュールでバルセロナのエル・プラドー空港に到着する。
フクちゃんのシールド内に入る事で飛行機嫌いを克服したハインツと、犯罪組織ラ・マシアの捜索をひとまず特殊部隊に任せたシルバの穏やかな精神状態もあり、今日1日は各々の情報収集に充てられる事が既に決定していた。
「ロドリゲスの義父さんも言っていたが、早まるなよシルバ。トーレスが話していた運送会社にお前の親の仇が隠れていたとして、ラ・マシアの傘下だからな。追い詰められたら銃のひとつやふたつ、隠してるだろ」
トーレスからの情報によると、運送会社インテル・カルガで働くワルは、ワレムの様なラ・マシア入りに憧れる若者だけではないらしい。
かつては犯罪者としてラ・マシアで活動し、年齢的に組織のお荷物となった現在はいち会社員として、なに食わぬ顔で余生を過ごしているベテランが存在しているというのである。
ロドリゲス隊長から直接伝言を受けたハインツを始めとして、チーム・バンドーは、既に軍人時代の武器も権限も失っている現在のシルバが、我を忘れて単独行動を起こす様な事態を回避したいのだ。
「大丈夫です!焦って行動なんてしませんよ。そもそも自分達は、インテル・カルガに関して企業の紹介レベルの情報しか得られません。そんな情報では、社員の過去までは分かりませんからね……。まあ、彼等を一同に集めるイベントの様なものがあれば、その外見から思い出す事も不可能ではありませんが……」
「……待ってよケンちゃん、そんな昔の犯人の顔、ちゃんと覚えてるの?」
シルバの記憶に、バンドーは懐疑的な眼差しを向けている。
確かに被害者のシルバとしては、親の仇の顔をそう簡単に忘れはしないだろう。
しかしながら、テロリストとて完全な素顔で罪を犯したりはしない。
ましてや犯罪と引き換えに大金を得る彼等。逃走の為に、面影も残らない程の整形手術を重ねていたとしても、何ら不思議では無いはず。
「……犯人は、かなり小柄なんです。当時まだ12歳だった自分と、上背が変わらない程でした。小柄だからこそバスに爆弾を仕掛けやすく、小柄だからこそ、顔さえ隠せば子どものふりをして逃走する事も出来たでしょう。でも、顔や体型は変えられても身長は変えられません」
自信に満ちた表情でバンドーの疑問に答えるシルバ。
この瞬間、シルバの両親を殺したテロリストの特徴はかなり具体化された。
年齢は30代後半〜40代前半。
身長は160㎝前後。
南米・スペイン系のテロリストとして、爆弾の扱いに長けている。
「タワンを拘束する時、一緒に仕事をしたグルエソも爆発物に詳しいわ。彼の故郷ボリビアの悪党情報も仕入れた方がいいわね」
クレアも思い出した様に話の輪に加わり、ハインツとともに親交を深めた彼へ、協力依頼のメールを打ち始めた。
ピピピッ……
シルバの携帯電話が鳴り響く。
発信元は、特殊部隊のガンボア。
「ガンボアか?俺だ」
「中尉、大変です!つい先程バルセロナ警察から連絡があり、警察署近くの空き地に放置されたワレムの遺体が見付かりました!」
「……何だって!? ワレムと運転手の協力で、作戦は万全だと聞いていたが……」
自ら危険に飛び込んだワレムの選択は、いずれ悲劇を迎える可能性を孕んではいた。
しかし、この短時間で特殊部隊の狙いがラ・マシアに見抜かれたのだとすれは、相手の総力は生半可なものではない。
流石のシルバも、驚きを隠せなかった。
「……恐らく奴等は警察だけではなく、事件解決に関与した者全員の情報も集めているはずです。チーム・バンドーの皆さんは極力、ラ・マシアには関わらないで下さい!今からそちらに装甲車とゲレーロを派遣します。ゲレーロはチーム・エスピノーザ時代に、インテル・カルガとの交渉をした経験がありますので、彼を窓口にすればインテル・カルガ内の元テロリストを探る事が出来るはずです」
「ありがとうガンボア、恩に着るよ!」
特殊部隊の配慮に深く感謝したシルバは、息を呑んで事態を見つめるメンバーに指でOKサインを出し、不安を解消させる。
程無くして装甲車とゲレーロが到着し、チーム・バンドーは警察関係者用の簡易宿舎に案内され、事件のほとぼりが冷めるまで無料の宿を確保する事が出来た。
5月27日・15:00
ワレムの死に関する現場検証で慌ただしい、バルセロナ警察署周辺。
現場近くは規制が敷かれ、普段は子ども達の遊び場になっていた近所の公園も人影は疎ら。
人気の無い事をよしとしたのか、公園は最近バルセロナで問題となっている、野生化した捨て犬の溜まり場と化していた。
(……あの人のチェーン、結構高く売れたな)
捨て犬達の楽園となった公園にひとり佇む、15歳くらいに見える少年。
彼は、自身が生き延びる為にワレムを殺したラ・マシアの雑用係、イブラヒム・マジード。
ヨーラムからの助言により、証拠隠滅を兼ねてワレムの私物を売却し、久し振りのお小遣いを得て小綺麗なパーカーに身を包んだ彼は、一見すると元ホームレスには見えない。
(……俺、人を殺しちゃったんだな……。もう、普通の人生は送れない……)
生死を懸けた、無我夢中の戦いの結果とは言え、言い訳の出来ない現実に押し潰されそうになるマジード。
だが、その代償に得たまともな服とワレムの携帯電話、そして、5発の弾丸が残された拳銃は、皮肉にも少年に生きる希望を僅かに与えていたのだ。
彼の仕事は、ワレムの現場検証に駆け付ける車両をくまなく見張り、マドリードナンバーの覆面パトカーの所在を本部に報告する事。
また、覆面パトカーが現れなくとも、渡された写真の中から、かつてラ・マシアに関与した刑事や捜査官の姿を発見した際に報告する事である。
だが、敵もさるもの。
計画発覚の原因が車にあると睨んだ特殊部隊の機転により、鑑識車以外の車両を敢えて遠ざけ、お揃いのフェイスヘルメットを深々と被った、どちらがマフィアか分からない警察関係者が続々と押し寄せる。
自身の任務にやる気を無くしたマジードは、公園内を我が物顔で闊歩する捨て犬達を世話して自らを慰めていた。
マジードは、ドバイからバルセロナに派遣されたエリートサラリーマンの長男として生まれたはずであったが、仕事一筋で家庭に犠牲を強いる父親に愛想を尽かした母親が不倫をしており、その不倫相手の息子である事が判明。
両親は離婚し、マジードは母親に引き取られたものの、実の父親である不倫相手からの暴力に耐えかねて脱走。
行き場を失った彼だったが、元来気が弱かった事もあり、腕力ではなく知力で詐欺や窃盗を繰り返すホームレスとなったのである。
「クゥーン……」
類は友を呼ぶ、という事か。
人間のわがままで捨てられた犬は、今まさに悪魔に魂を売りかけている少年に寄り添い、互いの心の傷を舐め合う様にじゃれ合っていた。
「……よしよし、可哀想に……」
マジードのラ・マシアに於ける立場は、あくまで使い捨て可能な雑用係。
食事は構成員の食べ残しにありつくのがやっとで、薄い毛布をまとって本部の片隅で眠る毎日。
しかしながら、ワレムを殺してでも生き延びる意思を見せた報酬は、携帯電話と拳銃という形になった。
現在の彼にとって、ラ・マシアの非情の掟に耐えてのし上がる以外の道は存在しないのだ。
キキイィーッ……
薄汚れた1台のトラックが、マジードと捨て犬達の集合する公園に、軋む様な音を立てて停車する。
増え過ぎた捨て犬は、引き取り手が見付からなければ処分される運命にあり、殺処分を目的とした保健所の車の姿は、マジードも、そして公園に群がる捨て犬達も頻繁に目にしていた。
怯える捨て犬を抱き締めながら立ちすくむマジードの前に現れたのは、薄汚れたトラックには不似合いな、どピンク衣装の女性2人組。
メグミとシンディのアニマルポリス・コンビである。
「バルセロナの捨て犬、想像以上ね……。昨日から休む暇もないわ」
「まったく……。いくら景気が悪いからって、身勝手な人が多過ぎますよぉ〜!」
互いに愚痴のひとつもこぼさずには、この仕事はやっていられないのだろう。
見るからに不機嫌な2人は重い腰を上げてトラックから降り、腰に吊るした麻酔銃に加え、首輪と鎖一式をコンテナから引きずり出した。
「……あら?あなた……飼い主さん?」
マジードの姿に気付いたメグミは、褐色の肌で褐色の犬を抱いていた、中高生くらいに見えるその少年の姿に、淡い期待を抱いて話し掛ける。
「……あ、いや……俺は飼い主じゃないよ。人懐っこいから、可愛くて抱いてたんだ……」
若い女性2人で緊張感が弛んだのか、左右をキョロキョロと見回しながら、極めて率直に自身の状況を説明するマジード。
「……そう……。私達はアニマルポリス。昨日からバルセロナの野良犬全般を回収しているの。そのワンちゃんも、連れて行く事になるわ」
やや寂しげな表情を浮かべたメグミは、今度はマジードに自身の状況を説明し、人間に寄って来る捨て犬の首輪に手際良く鎖をかけて行く。
「その犬、処分されちゃうの?可哀想だよ……」
メグミ達を見つめながら、力無く懇願するマジード。
そんな彼の心境をなだめる為、シンディは微笑みを返して口を開いた。
「大丈夫!あたし達は保健所じゃないから、この子達を地方の施設に預けに行くんですよ〜。里親が見付かるまで面倒を見てくれる人達がいるから、暫くは安心してね。それより、今日この近くで殺人事件があったみたいだから、早く家に帰った方がいいですよ〜」
シンディの力が抜けた話し方では危機感が伝わらないと判断したか、メグミは両者の会話に強引に割り込んでくる。
「あなた、家は近くなの?ここからすぐの空き地で変死体が見付かったのよ。危ないから早く家に帰って、ついでにご家族が犬を飼いたいと思っていたら、私達に知らせて欲しいな」
メグミ達の言葉に、戸惑いを隠せないマジード。
その変死体は、自分が殺したワレムであり、自分には帰る家も無い。
そして、自分の仕事は、ここに居座り警察の動きを探る事。
ポリスと名は付けど、アニマルポリスは今の彼にとっては邪魔な存在なだけなのだ。
「……俺には家は無い。家族もいない。ここで仕事を終えるまでは、何処にも行けないよ」
マジードの苦し紛れなひと言に疑問を持ったメグミは、犬のコンテナ誘導を一旦シンディに任せ、目の前の少年を問い詰める。
「……どういう事?帰る場所が無いって……。あなた、ひょっとして不法移民なの?当面の住む部屋と食べ物を用意出来るから、私達と一緒に警察に……」
マジードに歩み寄ったメグミの目に映ったものは、彼の腰に刺さったままパーカーで隠されていた拳銃。
「……!!あなた、ストリートギャングなのね!悪い事は言わないから、大人しく私達と一緒に来て!」
マジードの穏やかな物腰と、捨て犬を案じる優しさから確信したのか、メグミは彼を恐れる事無く、果敢にも説得を試みる。
「……ダメだよ!俺には仕事があるんだ!今更警察の世話にはなれないし、あんな親の所に帰るのは、もっと御免だよ!」
メグミの善意からの説得に動揺したマジードは、無意識の内にワレムから奪った拳銃を抜いていた。
「……犬を連れたらさっさと帰ってくれ!俺はもう、人をひとり殺しているんだ!でも、お姉さん達を撃ちたくはないんだよ!」
マジードの震える両手で構えられた拳銃を目前に、メグミとシンディは声を失い、3人の時の流れが止まる。
5月27日・15:30
「う〜ん、調子に乗って、ちょっと買い過ぎちゃったかな……?」
バンドーは両手に抱え切れない程の食材の袋をぶら下げ、同行していたクレアは、彼の荷物持ちを援助していた。
ゲレーロとともに到着した簡易宿舎には、設備の揃ったキッチンはあるものの、宿舎内にレストランは存在していない。
パーティー内による自炊が必要になったチーム・バンドーは、金庫番のクレアと力持ちのバンドーという、ともに家事をこなせる2人で近所のスーパーに買い出しに来ていたのである。
「バンドー、あたしの知らない食材そんなに買っちゃって、ちゃんと料理出来るの?」
財団のお嬢様として、剣士になる前から人並み以上の花嫁修業を受けているクレアは、自身の知らないアジアやオセアニアの食材を買い込むバンドーには懐疑的だ。
「舐めんなよ?これでも実家じゃ母ちゃんやおばあちゃん、幼馴染みに料理を叩き込まれてるんだぜ!」
「……それって、尻に敷かれてるって事じゃないの……?まあ、あんたも料理出来たら助かるけどね!」
バンドーの自信に満ちた啖呵は、立場上いまいち格好が付かないものの、武闘大会でレディーを手伝った料理の腕前は決して悪くない。それはチームの全員が知っている。
「……あ、この先はワレムの現場検証中だわ。そこの公園の中を通って近道した方が無難ね」
宿舎への道を急ぎなから、自分達がワレムの遺体が発見された空き地に近付いている事に気付いたクレアは、手前の公園に入る様、バンドーに指示を出した。
「オッケー!」
ふたつ返事で快諾するバンドーが公園の入り口に近付いた瞬間、その目に飛び込む光景はコンテナに詰め込まれた野良犬、そして、銃を持つ少年に釘付けにされたメグミとシンディの姿。
「……メグミさん!シンディ!」
「……何なのこれは!?」
予期せぬ光景に、思わず声を上げる2人。
「静かにしろ!この銃は本物だ!早く立ち去れ!」
更なる来客に気付き、額に汗を浮かべて苛立ちを隠せなくなったマジードは、銃口をメグミ達からバンドー達へと向け直した。
運の悪い事に、バンドーとクレアは食材の買い物に備えて武器を置いて来ており、バンドーは丸腰、クレアは短刀が右の腰に刺さっているだけである。
物理攻撃では、とても銃には対抗出来ない。
「……ん?まだ子どもじゃないか。そんなおもちゃの銃、振り回してんじゃないよ!」
しかしながら、バンドーは目前の少年が手にしている拳銃を偽物だと断定している様子だ。
十八番の太字スマイルこそ浮かべてはいないものの、余裕を感じさせる笑みとともに、少年にゆっくりと近付いて行く。
「バンドーさん、危ない!」
「……どうなっても知らないぞ!」
メグミがバンドーに警告する一方で、マジードは拳銃の安全装置を外しにかかっていた。
「……うおおおぉっ……!」
バンドーが雄叫びを上げた瞬間、彼の額が蒼白く光り、やがて息もつかせぬスピードでその光は細い帯となり、的確に少年の拳銃のグリップを直撃する。
バシイイィッ……
「うわっ!!……痛ててっ……!!」
突如として襲われた激痛に銃を手から離したマジード。
バンドーの風魔法に吹き飛ばされた拳銃は宙を舞い、やがて測った様に彼の足下に収まった。
「……わっ!これ本物じゃん!どっから手に入れたんだよ!?」
自身の足下に銃を収めてから、事の重大さに驚くバンドー。
周囲の女性陣も、彼の天然キャラに少々呆れ気味である。
「……畜生、返せっ!」
拳銃を取り返す為、破れかぶれでバンドーに体当たりを喰らわせようとするマジード。
だが、相手の行動を予知していたクレアが、一足早く短刀を抜いていた。
「……そこまでよ!」
素早い出足でマジードの胸先に短刀を突き付けるクレア。勝負あり。
「バンドーさん、ありがとう。……バルセロナには仕事で来ているの?」
疲れがどっと押し寄せた様な、それでいて安堵感に満ちた表情でバンドーに寄り添うメグミ。
彼女が果敢に時間を稼いだからこそ、結果としてこの少年が罪を重ねずに済んだのだ。
アニマルポリスとはおよそ1週間ぶりの再会ではあったが、両者の職業を考えると、これはもう運命的とも言える遭遇率。
メグミやシンディには、バンドーも既にパーティーと同レベルの親愛を感じている。
「……今、俺達はケンちゃんを通して警察と共同戦線を張っているんだ。今も警察の宿舎に戻る途中だったんだよ。この子は俺達と警察が預かるから、メグミさん達は犬の世話を宜しくね!」
太字スマイルを浮かべたバンドーの周りには野良犬が群がり、彼の不思議な魅力に、マジードもいつしか闘争心を失っていた。
5月27日・17:00
簡易宿舎に戻ったバンドーとクレアは、パーティーメンバーとともに夕食の準備に取り掛かり、マジードは特殊部隊のゲレーロの監視の下、警察が来るまでチーム・バンドーと同居する事となる。
久し振りに熱いシャワーを思う存分浴びたマジードは、これまでの自分の人生では味わう事の無かった、安らぎや人々の情けに感動を抑え切れずにいた。
夕食はバンドーとクレアを中心に、ゲレーロやマジードも含めて全員が調理に参加。
意外だったのは、その良妻賢母的なイメージと、中華料理店の娘という鉄板属性を持っているはずのリンが、料理の腕前がかなり微妙だったという事実。
しかしそれは、結果として普段から彼女にサポートを依存していたシルバを始めとして、むしろチームの結束を高める事に役立っていた。
「シルバ君、美味しいですか?」
「……くっ……お、美味しい……です……。ジェシーさん、流石です……ぐはっ……げほっ……」
「うめえじゃねえか!これもリンの才能だな!」
マヨネーズ風味だけでは物足りないのか、マカロニサラダに黒胡椒を大量にぶち込むリンの味覚に、引きつった笑顔で応えるシルバの男気は涙ぐましいものの、ハインツは普通に喜んでいる様子である。
「うまい……うまい!」
物心着いた時から親の虐待に遭い、ラ・マシアでも最下層の扱いに耐えてきたマジードは、生まれて初めての食べ放題に我を忘れている。
そんな様子を見て、普段は大食漢のシルバとバンドーも、今日だけはこの少年に全てを譲っていた。
「……よし、もう満腹だろ。小僧、全部話して貰うからな」
ゲレーロはあくまで冷徹に、警察の特殊部隊メンバーとしてマジードの処遇を決めなければならない。
心身ともに満たされたマジードは腹をくくり、自己の生い立ちとラ・マシアについて話し始める。
「…………」
マジードの告白に言葉を失う一同。
とりわけ、野良犬を愛するマジードと、野良猫を愛するワレムが殺し合わなければならなかった現実は、例え組織内サバイバルの掟であったとしても、バンドーにラ・マシアへの怒りを明確に植え付けていた。
「……ヨーラムというのは、フェリックス社の御曹司で間違い無いだろうな。問題は、既にアース中に勢力を拡げているフェリックス社が、何故裏社会にまで手を伸ばしているのかだが……」
「フェリックス社とイスラエルには、旧アメリカ財閥の末裔が付いているわ。彼等がロシア中心の現体制を転覆させたいのは、何となく分かる。でも、イスラエルは人口も資源もロシアには遠く及ばない。表のルートからだけでは勝てないからよ」
ハインツの疑問に答えるクレアの言葉には、自身が両親の苦悩を通して感じてきた財閥のパワーゲームが裏打ちされており、元軍人として世界の不条理を知り尽くしたシルバとゲレーロも、彼女に大きく頷いている。
「……あと、ラ・マシアの本部には中国人っぽい男性も度々顔を出していたよ。ヨーラムさんが母上と呼ぶ、アラブ系の女性もね。ラ・マシアに入荷するドラッグや武器は、大半が中国製なんだ」
マジードからの情報で、事の真相が徐々に明らかになってきた。
フェリックス社は、ロシアに対抗し得る土地、資源、人口を抱えながら、ヨーロッパの下請け的な立場に甘んじていた中国のプライドを巧みに懐柔し、自らの野望のパートナーに選択していたのである。
一見無言で、彼等の話を聞き流している様に見えるフクちゃんも、ひとつひとつ証拠を揃えるかの如く、小刻みに頷いてこの流れに納得の表情を見せている。
彼女には、また別の角度からしか見えない目的があるに違いない。
「……でも、マジード君がワレムさんを撃ってしまったとなると、罪を償わないといけませんよね……。ゲレーロさん、マジード君はどうなるんでしょう……?」
こうして接してみれば、マジードが根っからの悪ガキではない事は明らかである。
リンは贖罪の重要性を理解しながらも、彼の将来を案じていた。
「……人を殺してしまった以上、いくら未成年でも陽の当たる道には戻れねえ。だが、マジードはまだまだやり直せる年齢だし、俺と違って身体にヤクが入っていない。これは大きい事なんだ。ロドリゲス隊長とバルセロナ警察の力で、出来る限りの事はしたい」
現在も薬物依存症と戦うゲレーロにとって、人生最大の障害は間違いなくドラッグである。
裏を返せば、ドラッグに心身さえ支配されなければ、どんな小さな幸せでも人は信じて生きていけると……。
「……シルバ、お前にパクられた時には、俺の人生はこれで終わったと思ったよ。だが、俺は運が良かった。こうして特殊部隊の一員になって昔の正義感を思い出せたし、ヤクで汚れた心と身体も、今こいつの反面教師になった。バルセロナでの仕事が終われば、更正施設に入居が決まっている。まともになれたら、また武闘大会に出たいもんだよ」
「ありがとうございます!最後に少しだけ、お力を貸して下さい」
ゲレーロとシルバは互いへの信頼感を高め、着々と真相に迫りつつある、シルバの両親の仇討ちへラストスパートを切る事となった。
「……マジード君、罪を償う苦しみは、正直俺には想像がつかないし、家族に恵まれた俺に、君の苦労は分からないのかも知れない。でも、今こうして賞金稼ぎがやれている俺だって、2ヶ月前までは剣も魔法も知らない素人だったんだ。嫌な親の事は、暫く忘れてもいい。これから出会う仲間と、動物にも誠意を持って生き続ければ、きっと道が開けるよ」
バンドーからの励ましは、聞く人によっては若干綺麗事が過ぎるかも知れない。
だが、彼が魔法を使える様になった理由も、動物と馴染む能力を魔法適性と信じて続けた、彼の努力によるものである。
「……マジード、俺もお前くらいの時は社会を恨み、他人を憎んでばかりいた。実際、そのパワーが剣の上達には役立ったんだ。だから今日までのお前の人生は、無駄じゃない。でも、今の俺はこうして仲間と過ごして、仲間のありがたみがよく分かった。これは、5年後に分かっても、10年後に分かっても決して遅くはない。お前の人生はまだまだやり直しが効くんだと、覚えていて欲しい」
ハインツが伝えるのは、いつも自身の経験だけ。
世渡りの下手な男だからこそ、確かなものは変わらない。
「ゲレーロ、ケン、こちらロドリゲスだ。少年を引き取りに来た。開けてくれ」
チーム・バンドーが一番安心する警察関係者であろう、ロドリゲス隊長は、嫌な顔ひとつ見せずにマジードの送迎に参上した。
「マジード君、安心してくれ。自分のお義父さんだよ」
ロドリゲス隊長の貫禄に緊張を隠せないマジードを、シルバは優しく説き伏せる。
「……ケン、お前にお義父さんと言われたのは、10年ぶりくらいじゃないか?どういう風の吹き回しだ?」
久し振りの親子漫才に場は和み、送迎車はバルセロナ警察署へと走り出す。
しかし、殺人の罪を犯した少年・マジードの長く厳しい戦いは、まだ始まったばかりなのだ。
(続く)