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バンドー  作者: シサマ
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第41話 格闘技賭博を摘発せよ! (後編) 〜チーム・エスピノーザの選択〜


 マドリード警察の潜入捜査官、バルベルデが重傷を負った格闘技賭博。

 ダビド・エスピノーザの指示の下、チーム・エスピノーザの経営するロック・バー「バロン・ロッホ」の隣に位置する廃墟ビルの地下室で賭博は行われた。

 

 バルベルデの正体を知った上で、彼の正体を明かして危害を加えようとしたのは、バルベルデの前任としてマドリード警察の潜入捜査官として活躍していたジャービスという警官と、ロック・バーの常連として格闘家とエスピノーザとの仲介に立っていた、白髪の中年男の2名。

 

 既にバルベルデの対戦相手として決定していたムエタイファイター、タワンの行動は不可抗力である可能性が高く、組織の統括者としてのエスピノーザからの指示の有無に関しては、まだ証拠が得られていない。


 ジャービスの過去が明らかとなり、特殊部隊のロドリゲス隊長とガンボアはマドリード警察副署長・スアレスとともに、かつてチーム・エスピノーザに所属していた特殊部隊隊員・ゲレーロから情報を受けたエスピノーザのアジトへと急行。

 残りの特殊部隊のメンバー、グルエソは聴取中に暴れたタワンをマドリード警察へ連行し、キムとゲレーロもグルエソに合流する。


 特殊部隊に協力したチーム・バンドーは、ひと足先にバンドーとフクちゃんが、遅れてクレアとハインツがロック・バー「バロン・ロッホ」へと向かっており、シルバとリンは今まさに、チーム・エスピノーザのエキセル・トーレスとの「運命の一戦」の真っ只中にいた。



 5月25日・17:10


 「ハアアッ……!」


 長い睨み合いの空気を切り裂いたのは、シルバの前蹴り。

 トーレスは、相手の蹴りが自分まで届かない事を確信してはいたものの、軽快なバックステップで間合いと呼吸を整える。


 両者には約10㎝の身長差があり、180㎝のトーレスの攻撃はパンチ主体だが、190㎝のシルバの攻撃がキック主体である為、リーチは圧倒的にシルバが有利。

 故に、トーレスの狙いは必然的にカウンターパンチとなるのだ。


 「……律儀に先制攻撃とはな。お前のフェアプレー精神には感服するよ」


 本来であれば、シルバもカウンター攻撃が得意な慎重派。

 だが、自ら現場に乗り込んだ責任感からなのか、相手の痺れを切らす様な戦術は採用していない。

 トーレスは、そんなシルバに敬意を表しながらも、やや潔癖過ぎる相手を揶揄する素振りを見せている。

 

 「自分は貴方を倒す事が目的ではありません。事件を解決して、反社会的行為から足を洗える人には洗って貰いたいと考えているだけです」


 無意識に口を突いて出たその言葉は、自分でも優等生発言過ぎた。

 一瞬、そう悔やんだシルバではあったが、目の前の戦いから意識を逸らす訳には行かない。


 「……反社会的行為が何故起こるのか……そいつぁ歴史上の偉人とやらを拘束して尋問する所から始めないとな……だああぁっ!」


 シルバに訪れた若干の隙を突く形で、相手の懐に飛び込んだトーレス。


 「……くっ……!」


 ボディーブローとアッパーカットを警戒して、やや肘を下げたガードに切り替えるシルバを嘲笑(あざわら)うかの様に、不敵な表情を浮かべたトーレスは、相手の両足を刈らんばかりの右ローキックを全力でお見舞いした。


 「……ぐうっ……!」


 本業がボクサーとは言え、キックボクシングや総合格闘技に難なく対応出来ていたトーレス渾身のローキックを、ガードが遅れた状態で左脛(ひだりすね)に受けたシルバは、大きく歪んだその顔を隠せない。


 「……!!」


 ロック・バーの不良中年相手には殆ど見せる事のなかったシルバ苦悶の表情に、冷静にレフェリーを買って出たリンにも若干の動揺が走った。


 「……少しは効いた様だな!」


 シルバの表情が演技ではないと確信したトーレスは、痛みで軸足にする事の出来ない相手の左足から距離を置き、すかさず右足の前にポジショニングする。


 (……相手のパンチを恐れ過ぎたか……!?)


 下半身のガードを怠った反省を活かし、シルバは素早く右足を軸に回転してトーレスに向き合った。


 「慎重も程々にな!」


 先に繰り出されたトーレスの右の拳。

 左足の痛みでスピードが落ちているシルバをよそに、十分な体勢から放たれる一撃は強力である。


 「うおおぉっ……!」


 シルバはダメージを度外視し、咄嗟に左腕を振り上げて手の甲でトーレスの右フックを弾き返した。


 「……があっ……!」


 リーチの差で間一髪、トーレスの拳の先に当たったシルバの左手首。

 両者互いに本気のダメージを拳に受け、無意識の内に間合いを空けてうずくまる。


 (…………)


 息を呑んで互いの意地を見守っているリンではあったが、決してレフェリーに専念していた訳では無い。

 彼女は、地上から地下室に僅かに射し込む夕陽と風の通り道を計算し、ロッカーの上にある怪しげな段ボール箱を風魔法で強奪しようと考えていたのだ。


 (……ダメだわ、これっぽっちの自然の力にあの距離と角度では、魔法の光が届かない。何か光を反射させる物がないと……)


 風魔法発動に備えて眼鏡を外し、何やら不穏な動きを見せていたリンを怪しんだトーレスは、シルバとの間合いを確認しながら、ゆっくりと彼女に近付いて行く。


 「……おいおい、彼氏に助太刀でもするつもりか?余計な邪魔はしないで貰いたいな……」


 「ジェシーさん、危ない!」


 トーレス自身にリンを襲おうという意思は微塵も存在しなかったものの、咄嗟に彼女のピンチを危惧したシルバは全速力で相手に飛び掛かっていた。


 「でえぇいっ!」


 「……!? うおおっ!」


 無防備なままシルバに押し倒されたトーレス。

 両者はテーブルごと床に崩れ落ち、倒れたテーブルから跳ね上がる、トーレスが飲み干していた透明な炭酸水のペットボトルが宙を舞う。


 (……あれだわ!)


 千載一遇のチャンスに、全神経を素早く集中させたリンの瞳に蒼白い光が灯り、その光は階段から射し込んでいた夕陽と風を捲き込んで、瞬時に勢力を拡大した。


 「はあああぁっ……!」


 宙を舞うペットボトルの落下速度に合わせて風魔法を送り込むリン。

 ペットボトルを(かす)めて角度を変えたその光は段ボール箱に到達し、それはやがてリンの気合いに導かれる様に彼女の足下へと着地する。


 「ジェシーさん!ナイス!」


 戦いの成り行き上、マウントポジションを争いながら激しくトーレスと(もつ)れ合うシルバの目にも、リンの風魔法は鮮明に映っていた。


 (……この箱に、何か証拠が……?)


 トーレスと揉み合うシルバにも時折視線を向けながら、手袋をはめて段ボールを塞ぐテープを引きちぎるリン。

 段ボールの上半分を丁寧に覆う新聞紙とタオルを投げ捨て、彼女の瞳に映ったものは、バルベルデ捜査官のものと思わしき、警察手帳と携帯電話である。


 「……シルバ君、ありました!」


 物的証拠の確認に思わず声を上げるリン。

 

 シルバはトーレスとの格闘を続けながらも、その目には確信の力がみなぎり、証拠隠匿に関与していないトーレスは表情ひとつ変える事無く、シルバへの反撃の機会を窺っていた。


 (……まだ、バッテリーがある。バルベルデさんは、誰と話していたの……?)


 バッテリーの容量があり、更に通話記録が残されていた事に驚くリンは、その記録に事件の数日前から頻繁にジャービスからの着信があった事を確認する。


 (……やっぱり、バルベルデさんはジャービスに脅迫されていた……?でも、エスピノーザは何故、こんな明確な証拠を消さずに残しているの……?)


 これまでの過程と物的証拠を組み合わせ、リンは事件の謎を冷静に解き明かして行く。

 だがそんな彼女も、エスピノーザの余りにも杜撰(ずさん)な情報管理には首を傾げざるを得なかった。

 

 まさか観念した訳ではあるまい。

 

 だが、バルベルデと特殊部隊との面会を妨害する動きも無く、現場を盗撮した客を野放しにしたり、タワンを自身の側では無く自宅謹慎にしたりと、特殊部隊とチーム・バンドーがマドリードに乗り込んでから、急速に自身に容疑を集中させようとしている様に見えていたのである。


 「……事件の流れが分かりました!もうトーレスさんと戦う必要はありません!」


 事実の認識とともに無意識に放たれたリンのこの言葉は、しかし両者に、少なくともトーレスには何の意味も持たないだろう。

 むしろこれは両者の戦いを、因縁じみたものから純粋な腕試しへと昇華させる為の宣誓とも言えた。


 「そらっ……!」


 この戦況下に於いて、トーレスはマウントポジションからのパンチ狙いに集中せざるを得ない。

 その意地を逆手に取る形で、一瞬の隙を突いたシルバは相手の右足首を素早く決め、寝技へと持ち込む。


 「……くおぉっ……!」


 武闘大会でも受けた事の無い足固めに、思わず声を上げるトーレス。

 

 彼自身は、例え足が折れても自らギブアップを宣告する意思は無いだろう。

 ボクサーとしての美学にこだわってきたトーレスは、そもそも寝技からの脱出法を学んでいないのだ。

 

 「……ギブアップしろ、とは言いませんよ!」


 相手の右足を伸ばし、自身も大きく反り返った姿勢で寝技を決めるシルバは額に汗を滲ませながらも、その表情には何処か余裕を感じさせ、トーレスの矜持(きょうじ)に理解を示している。

 万が一、トーレスが上体を起こして反撃に出たとしても、パンチが届く距離ではないからだろう。


 「ぐおおぉっ……!」


 未知なる技の激痛と、対策不足への焦燥感。

 だがしかし、絶対に負ける訳には行かないプライド……。

 

 様々な感情の去来するトーレスの、一種異様なオーラに感情を揺さぶられたリンは、苦悶から両目の開かない彼に駆け寄り、レフェリングに復帰した。


 「トーレスさん、ギブアップしますか?このままでは勝負を止めなければいけません!」


 「……黙って見ていろ!」


 リンの助言を即座に遮るトーレスではあったが、彼の言葉の内容は肯定にも否定にも属していない。

 何か捨て身の大技がある……頃合いを見てトーレスを解放するつもりだったシルバも、自身の甘さを戒め、今一度勝負に徹して両腕に力を込める。

 

 「うおおおぉっ……!」


 汗だくのトーレスは両目を大きく見開き、仰向けの体勢から、敢えて固められた右足を含めた全身を捻り、強引にうつ伏せの体勢へ。

 トーレスの右足首の骨折を避ける為、思わず技を解除したシルバではあったが、タイミングが一瞬遅れ、不気味な感触とともに足首の関節は外れてしまった。


 「ふああぁっ!」


 興奮が頂点に達したトーレスにとって、骨折程の痛みは無い脱臼は、見た目の違和感さえ意識しなければ耐える事が可能。

 無意識の内に右足を除く3本の手足で立ち上がった彼は、片足立ちながら気合い十分のファイティングポーズをシルバに見せ付ける。


 「……無理です!もう止めましょう!この戦いには、もう勝ち負けは無くなりました!」


 元来、戦う事無くトーレスを説得したかったシルバは、相手の動きに合わせて素早く立ち上がってはいたものの、既に戦いへのモチベーションは揺らいでいた。


 「それはどうかな?」


 何やら秘策があるのか、トーレスは倒れ込む様にシルバの懐に飛び込み、全体重を掛けてシルバの右胸に自身の左手を押し当てる。


 「……喰らえ!」


 シルバの右胸に押し当てられた左手を軸に、出来る限りの全力右ストレートを解き放つトーレス。

 万全の体勢では無いものの、ガードが遅れたシルバの顔面にパンチが炸裂し、そのまま鼻血とともに卒倒する。


 「……ぐはっ……!」


 鼻の骨に何かあったのだろう。

 大量の鼻血が流れ続けるシルバの上半身にマウントしたトーレスは、動揺するリンの表情を一瞥(いちべつ)して警告した。


 「出血が多いな……顔はもう、殴らないでおいてやる。だが、こいつの執念と正義感の強さは厄介だ。ダビドだけじゃなく、俺にとってもな。だから容赦はしねえ。彼氏を傷め付けられたくなかったら、勝負を止めるがいいさ!おらあぁっ……!」


 鼻血のせいで集中力が覚束無(おぼつかな)いシルバの顔面を避ける配慮を見せながらも、ボディーには容赦の無いパンチを連発するトーレス。


 (……シルバ君……!私は、どうすれば……?)


 リンはレフェリーとしてこの場面に立ちすくみながらも、未だギブアップの意思表示の無いシルバの逆転を信じている。

 しかし一方では、ある意味自身の女としての選択に於ける意地とプライドで、勝負を止める事の出来ないこの現状に、激しい自己嫌悪を感じていた。


 「……ジェシーさん、いいんですよ。ギブアップはしませんから……!」


 自身を責めるオーラが充満していたリンを気遣いながら、シルバの目に力が戻る。

 脱臼した右足首を無意識の内に(かば)っていたトーレスはマウントの踏ん張りが利かず、若干パワーの落ちたパンチをシルバがどうにか耐えていたのである。


 

 「……ケンちゃ〜ん!!」


 地下室階段の入り口付近から突然、聞き慣れた声がする。

 シルバとリンの応援に駆け付けた、バンドーとフクちゃんだ。


 「……バンドーさん、フクちゃん、地下室です!」


 声の限りに叫び、自身の居場所をアピールするリン。

 マウントポジションで優位に立ちながらも、突然の邪魔者達の登場に、トーレスは少々バツの悪い表情を浮かべている。


 「……貴方は、仲間や人の情け、そして幸運というものの存在をもっと理解して、受け入れるべきだと思います……。貴方は絶対、このまま終わってはいけない人ですから……ハアアアァッ!」


 チーム・バンドー内に於いて、軍人として抜きん出た経験値と実績を持つシルバ。

 だが、彼とてチームメイトや軍隊時代の仲間、武闘大会のライバルの力があってこその現在なのだ。


 トーレスには、幼馴染みのエスピノーザ達だけではなく、もう一度人間を信じて欲しい。

 その想いがシルバを今一度突き動かし、トーレスのマウントを吹き飛ばす。


 「……くっ……!」


 右足首を床に着ける事が出来ないトーレスは、辛うじてひっくり返ったテーブルの足に左手でしがみつく。

 しかし、それはシルバの攻撃からのガードを放棄する事に等しい。


 ビシイィッ……


 後先を考えるまでも無く、疾風の如き渾身の右ハイキックをトーレスのテンプルに叩き込むシルバ。

 右足で踏ん張れない事が幸いしたか、左テンプルの直撃を受け流したトーレスはその場に崩れ落ちはしたものの、意識までは失わなかった。


 「……お!やった!ケンちゃん大勝利!」


 事の顛末(てんまつ)を知らないまま地下室にやって来たバンドーは、床に倒れたままのトーレスを見下ろし、無邪気に幼馴染みの奮闘を祝福している。


 「……トーレスさん、ありがとうございます!勝負はここでお預けにさせて下さい」


 暫しの沈黙の後、トーレスの意識を確認したシルバは、勝負のいきさつを考慮しながら、この一戦が単純な勝敗を着けるべき戦いでは無い事を強調していた。


 「バンドーさん、バルベルデさんの私物から事件の流れが分かりました!外に出て特殊部隊の人達に報告しましょう!」


 「オッケー!……って、ケンちゃん!?」


 意気上がるバンドーがふと振り返った視界に入ってきた光景は、戦いのダメージでふらつき、慌てて肩を貸したリンに介助されるシルバの姿。


 「……だ、大丈夫です。急ぎましょう!」


 シルバ本人は平静を装うものの、事態を重んじたバンドーがリンに代わってシルバに肩を貸し、リンは証拠品の入った段ボール箱を抱えて地上に出ようとしたその時、背後から彼等を呼び止める声が聞こえてきた。


 「……シルバ。お前は確か……親の仇を10年以上探しているとダビドから聞いたぞ……。バルセロナの……ラ・マシアという組織は……知っているか……?」


 裏稼業のネットワークか、チーム・エスピノーザの面々もスペインのマフィア事情には精通しているらしい。

 床に転がるトーレスが、言葉を振り絞りながらシルバに語りかける。


 「……え?は、はい……バレンシアで捕まえた、セルヒオというドラッグディーラーが話していました。やり方が強引過ぎて、半端なワルでは付いて行けない組織だと……」


 トーレスからの突然の言葉にやや困惑しながらも、シルバはつい昨日、バレンシアでラモス刑事らとともに拘束した男の話をしてみせた。


 「……ラ・マシアは立派な犯罪組織だが……奴等は隠れ蓑としてインテル・カルガという……運送会社を経営している。……そこはラ・マシアに憧れる若いチンピラや、歳を取ってラ・マシアをお払い箱になった……元悪党の受け皿になっているんだ。……お前の親を殺した奴は、もう若くは無いだろう……探る価値はあるはずだ……」


 トーレスはそこまで話すと、やがて疲れ果てた様に眠りに就く。

 バンドーの肩を借りてシルバは振り返り、トーレスに深々と頭を下げて感謝の意を示す。



 「……まさか用心棒がやられるとはな……!お前ら、ただで済むと思うなよ!」


 地上に上がったバンドー達を待っていたのは、バイクのエンジン音をけたたましく響かせたロック・バーの常連達。

 日が暮れかかって開店が近付いている為、不良中年の数が増えただけではなく、バイクという厄介な武器が周囲を威圧していた。


 「……くっ……。流石にこの数では……!」


 手負いのシルバに、バイク乗りを何人も相手にするだけの体力は残されていない。

 証拠品を抱えているリンも、この難局を乗り切る程に魔法が使える状態とは言い難い。


 「ケンちゃん、リン、先に警察に行くんだ!ここは俺と、フクちゃんに任せてくれ!」


 颯爽と啖呵を切ったのは、気力・体力ノーダメージのバンドーだった。

 

 今の彼は単なるパワーファイターではない。

 数に限りこそあるものの、魔法も使えるコンプリートファイター(候補生)。

 ましてや隣の相方は既に人間ですらない。豚に真珠……いや、鬼に金棒である。


 「俺達が欲しいのは、その女の持つ段ボール箱だ!ずんぐり野郎とガキに用はねえんだよ!ヒーハー!」


 シルバから受けたダメージにより、絆創膏にまみれた痛々しい姿になっていた白髪の不良中年リーダーではあったが、それでも時折気合いの奇声を上げるなど、闘志に衰えは無い様子だ。


 「あんたがジャービスの共犯者だね……。フクちゃん、持ってる飴で一番糖度の高い飴……はちみつ飴を出してくれ!」


 何やら自らの作戦に自身満々のバンドーは、フクちゃんのお菓子を戦いに動員しようとしており、最初は首を傾げていたフクちゃんも、やがてその意図を理解する。


 「……こんな人達に使うのは勿体無いですが、仕方ありませんね……ほいっ!」


 フクちゃんの魔力によって、無数に飛び散って行くはちみつ飴。

 それらは人間には不可能なスピードとコントロールで、不良中年達が気付かない内に彼等のバイクの排気口に入り込み、その糖分がエンジンを侵食して行く。

 

 ブオッ、ブオッ……


 「……おい、何だ!? エンジンの音がおかしいぜ!」


 不良中年がエンジン音の異常に気付いた時には、もう遅い。

 彼等のバイクは、突然の糖分攻撃により次々とエンジントラブルを起こし、まともなスピードで走る事は不可能となっていた。


 「バンドーさん、フクちゃん、ありがとうございます!宜しくお願いしますね!」


 リンは2人に感謝の意を伝えてシルバに肩を貸し、警察署までのタクシーを拾う為にゆっくりと通りを目指して歩き始める。


 「……畜生、バイクはダメだ!あの女を追いかけろ!」

 

 「……ちょっと待ったぁ!まずはこの、ずんぐり野郎を倒してから行きな!」


 シルバとリンに手を出そうとする不良中年達も、バイクが使えなければ歳の功だけバンドーよりも鈍足。

 多勢に剣ではむしろ非効率と言わんばかりに、祖母譲りのパンチやキックと言った基本技だけで、バンドーはバタバタと不良中年をなぎ倒してみせた。


 「……ちっ、仕方ねえな!やれ!」


 バシュッ……


 白髪男の合図で空に打ち上げられた漁業用らしき大網が、瞬く間にバンドーとフクちゃんに覆い被さる。


 「……!? 何だ!身動きが取れない」


 網の端に巨大な重りが付けられている為に、不安定な体勢では網目を持ち上げる事が出来ない。

 これは地引き網の強化版だ。


 「……どうだ、親父の形見の網は。皆不景気が悪いんだ!俺だって漁師を続けられていれば、こんな人生にはならなかったぜ!」


 漁師時代の名残りなのか、ハチマキ風のバンダナを頭に締めて煙草をふかす、1人の中年男がゆっくりと漁の成果を確認しに現れる。


 「……くっ……。なかなか人生の悲哀が染み込んでいる攻撃ですね……」


 人間の複雑な感情を処理し切れていないフクちゃんに対して、農家育ちで第一次産業の苦労は理解しているつもりのバンドーは魔法の準備の為に、ひとり静かに意識を集中していた。


 「……よし、あの女を追いかけるぞ!」


 「……させるかああぁっ……!」


 白髪男からの合図が終わらない内に、バンドーの額から放たれる蒼白い光が、不良中年達の頭髪を白く染め上げる。

 

 水魔法を覚えるだけの魔力を得た事で、風魔法であれば1日に2回使える様になったバンドー。

 だが、太陽が沈みかけて自然の力が減少気味のこの時間帯では、その回数に確証は持てない。

 それならばむしろ、今この1回に魔力を全て集中させれば、不良中年達の足下だけではなく、この網自体も(すく)い上げる事が出来るはず。


 「おおりゃああぁっ……!」


 ブオオオォッ……


 バンドーの魔法としてはこれまでに見た事の無い、強大な風が網を2人から引き剥がし、周囲の不良中年達も足を取られながら派手な転倒を繰り返す。

 鬼神の様な表情のバンドーと、その現実離れした光景に恐れをなしたのか、腰が抜けて立てなくなった白髪男以外の不良中年は、蜘蛛の子を散らす様に姿を消してしまった。


 「……あんたは事件の共犯者のひとりだ。でも、警察に出頭して真相を話せば罪は軽くなると、ロドリゲスさんに言われたよ。全てを話してくれ」


 ロック・バーの喧騒が嘘の様に静まり返った路地に、ひとり取り残された白髪男に手を差し伸べるバンドー。

 その姿を眺めるフクちゃんは、まるで我が子の成長を見守る母親の様な、慈愛の表情を見せている。


 

 パチパチパチパチ……


 「……?クレア?ハインツ?」

 

 突然、自身の背後から聞こえて来る拍手に、バンドーは振り返る。

 

 だが、そこにいたのは仲間ではなく、褐色の肌で屈強な体格をした黒ずくめの男。

 しかしながら、その男はジャービスとも違う、バンドーとは全く以て初対面の人間であった。


 「……ん?誰だ?エスピノーザの仲間か?」


 バンドーは警戒感を緩める事無く、白髪男をひとまず差し置いて剣に手を掛ける。

 

 それもそのはず。

 その男は猫らしき動物をバッグの上に乗せていたが故、殺気こそ感じさせないものの、破れんばかりに筋肉で張りつめた黒いTシャツ姿で、襟足の長いヘアスタイルにサングラスをかけていた。

 更に指にはシルバーリング、腰にはシルバーチェーンと、見るからにギラギラしたチンピラ風の出で立ちなのである。


 「……おいおい、冗談だろ!ダビド・エスピノーザが何処にいるか、こっちが知りたいんだ。あんた、賞金稼ぎなんだろ?だったら知らないか?ここが奴の経営するバーだと聞いて来たんだが、この有り様だしな」


 「なわーん」

 

 両手を広げてお手上げポーズを取るその男に振り落とされ、慌てて着地する猫。

 どうやら、この男が飼っている猫という訳では無く、単なる野良猫の様だ。


 「……エスピノーザなら、この通りの外れの公園の隣にある、子ども向けレストランの地下にアジトがあるって話だけど、何かあったのか?」

 

 エスピノーザのアジトに関しては、かつてチーム・エスピノーザに所属し、現在は特殊部隊に協力しているゲレーロからの情報であるが故、恐らく間違いでは無いだろう。

 それよりも、今日の魔力を使い果たしたバンドーとしては、実力未知数なこの男と戦うシチュエーションを、出来れば避けたい所である。


 「……ウチの会社の車を奴等に貸したんだが、事故でスクラップにしやがった。しかも運転手は行方不明だ。新車で返して貰うまで、腹の虫が治まらねえ……」


 バンドー自身には、この男の背景を詳しく探るつもりなど毛頭無かったが、どうやらビジネス上のトラブルがあった様子だ。

 この男の本職はトラックの運転手か……?などと想像すると、その風貌にも実に納得が行ってしまった為、バンドーは表情を崩し、親切心からその男にアドバイスした。


 「エスピノーザの兄貴はテロリストだって聞くし、ひとりで直談判なんて危ないよ。待ち伏せしているかも知れないから、警察と保険屋に任せた方がいいと思うな……」


 バンドーからの、余りに常識的なアドバイスに苦笑いを浮かべた男は、暫し付き合った野良猫に別れを告げ、背中を向けて歩き始める。


 「……フフッ、危ない、か……。情報ありがとよ」


 「なわーん」


 去り行く男の背中を無言で見送るバンドーの表情は神妙なものであったが、元来動物と相性の良い彼には、野良猫もすぐに懐いて身を寄せて来た。


 「……可愛いですね……。もう1回修行があったら、猫になってみてもいいかも知れません」


 野良猫をまじまじと眺めるフクちゃんに安らぎを取り戻したバンドーの目に、大きく手を振って彼等に近付いて来る、クレアとハインツの姿が映っている。

 


 ピピピッ……


 バンドーからのアドバイスを参考に、エスピノーザのアジトを探索していた男の携帯電話が突然鳴り響いた。

 

 オレンジからダークグレーへと、装いを変えていくマドリードの空。

 定時で仕事を終えた人々の姿が通りにもチラホラと見える様にはなったが、周囲から少々浮いた風貌の男は人目を避ける事も無く、路上に停められた、誰の物かも分からない車に堂々と腰を掛けて電話を受ける。


 「……こちら、インテル・カルガ配送ドライバー、ハティ・ワレム」


 「……ワレムか?アロンソだ!貴様、勝手な事をしやがって……すぐ戻って来い!」


 ハティ・ワレムと名乗るその男は、どうやら仲間と思わしき人間から叱咤されている様子だ。


 「……アロンソ、ウチの車が壊されて、運転手は行方不明、エスピノーザからも連絡が無いんだぜ。俺は賠償請求、ビジネスの筋を通しに行ってるだけだ。何が勝手な事なんだよ!?」


 「……これだからお前は……。いいかワレム、エスピノーザとの商売はラ・マシアからの指示なんだ。最近は俺達のビジネスに対する取り締まりが厳しい。マドリードとのコネクションを維持拡大する為に、エスピノーザとの商売は穏便にして恩を着せろとの方針なんだよ。……まあ、お前は運転手だから、車に愛着があるのは分かるがな」


 

 インテル・カルガは、スペイン最大級のマフィア組織である、バルセロナの「ラ・マシア」が隠れ蓑として経営する運送会社。

 表向きは合法な企業として運送業を行ってはいるものの、普通の会社では扱えない拳銃やドラッグの密輸・横流しを引き受け、莫大な利益を上げている。


 その利益を「ラ・マシア」に還元し、世界中から集まる犯罪者のコネクションによる、大規模な資金洗浄(マネーロンダリング)を行う事で当局の捜査を切り抜けていた彼等だが、近年拳銃やドラッグの取り締まりが強化されるにつれ、スペイン全土に顧客とコネクションを拡大しながら本部の延命を探っていたのだ。


 

 「……アロンソ、あんたはつまらねえ中間管理職のビジネスマンになっちまったな……。昔は南米No.1の爆弾テロリストだったんだろ?あんたは歳を取ってラ・マシアを首になったかも知れねえが、俺はただの運転手で終わりたくねえんだよ!」


 人目も(はばか)らず、繁華街でタブー知らずの怒りをぶちまけるワレムは、その風貌も相俟(あいま)って更なる注目を集めている。

 警察署もここからさほど遠い距離では無いだけに、一旦冷静さを取り戻した彼は、自身のバッグの中に隠し持った拳銃を覗き込み、アロンソへ決意のメッセージを残す。


 「……まあ、期待してな。あくまで俺の基準だが、まず穏便に、新車が買えるくらいの金は取り戻してみせるぜ」


 

 5月25日・17:20


 「……ゲレーロからの情報だと、子ども向けレストランの地下にアジトがあるとか……。子どもを盾にするとは許せませんね……」


 エスピノーザのアジトを目指して車を走らせるガンボア、ロドリゲス隊長、そして強引に証人にさせられたスアレス副署長の3名。

 運転席のガンボアは、エスピノーザのアジト選択に憤りを見せていたが、対するロドリゲス隊長の見解は少々異なる様子だ。


 「……どうかな?奴等の課外活動の中では、ガジャルドのサッカー教室が事業化を望まれる程の評判らしい。奴等はこれから、裏稼業と表事業の比率を変えざるを得なくなるだろう。少しばかり穏健になるのではないかと思っている。ガンボア、少しおかしいと思うだろ?たった1日でこんな順調に事が運ぶのは」


 「……え?ま、まあ確かに……」


 

 エスピノーザはこれまで、格闘技賭博やドラッグの横流し、更に兄からの援助による違法行為で収益を上げつつも、子ども向けレストランやロック・バーの経営、そして武闘大会でのアピール等で世間体を保っていた。

 しかし、武闘大会での負傷によりチームの重要なパトロンであったカルロスを失い、更にゲレーロの逮捕、サンチェスやタワンの拘束と、彼の身辺には激動が訪れている。

 

 いずれにせよ、事業方針の見直しは不可避であるはずだ。

 

 ウィーン、ウィーン……


 ロドリゲス隊長のスーツの胸ポケットに収納されていた携帯電話が、バイブレーションの唸りを上げた。

 だが、その電話の発信元はマドリード警察の交通課である。

 当然の事ながら、特殊部隊の任務に交通事故の処理は含まれていない。


 「……ロドリゲスだ。交通課が我々に何の用かな?」


 不審に思ったロドリゲス隊長の声色を感知したか、受話器の向こうの若い警察官はかなり緊張した様子で、不自然なまでにゆっくりと報告を始めた。


 「……は、はい。先日、マドリード市内で発生した、バルセロナナンバーの自動車事故の件です。当初は、ガードレールに衝突して大破した車を乗り捨てて、運転手が逃亡したと思われていましたが、先程近所のモーテルで身柄を拘束しました!しかも運転手は拘束時に1㎏のコカインを所有しており、彼の携帯電話には、ダビド・エスピノーザとの通話記録が残されています!」


 「……何だと!?」


 携帯電話を手にした凄まじい剣幕のロドリゲス隊長を横目に、ガンボアは一瞬ハンドル捜査を誤りそうになり、スアレス副署長は後部座席で猫の様に丸くなる。


 「……報告ご苦労。すぐに部下をそちらへ向かわせる!」


 ロドリゲス隊長は電話を切り、暫し上目遣いに思考を巡らせた後、車内の2人に現状を報告した。


 「……バルセロナナンバーの車が事故、そして配下の者がドラッグを奪って逃走……。バルセロナの組織相手の取引で、エスピノーザ達との間にトラブルがあったに違いない」


 「……隊長、もしバルセロナの取引相手にラ・マシアが関与していたら、エスピノーザの身に何かあるかも知れませんね。急ぎます!」


 ガンボアはアクセルを豪快に踏みしめ、ロドリゲス隊長は即座に他の部下の携帯電話に連絡を入れる。


 「……そうか……賭博とジャービスにばかり気を取られていたよ……。取引のトラブルが発生した直後からエスピノーザは報復を恐れ、自らを拘束させて警察に逃げ込むつもりだったんだ……!」

 


 5月25日・17:25


 「バンドー、フクちゃん、お疲れ様!リンとシルバ君は何処に行ったの?」


 バンドー、フクちゃんと合流したクレアとハインツは、未だパワーが有り余っている様子で威風堂々と背筋を伸ばし、情報の擦り合わせに余念が無い。


 「ケンちゃんはトーレスを倒して、仇討ちの手がかりを聞けたみたいだ。でも、かなりダメージがあったから、証拠品を持ったリンと一緒に警察に行かせたよ。まあ取りあえず、俺達に出来る事はここまでかな?」


 身体のダメージこそ無いものの、魔力を使い果たして少々疲労を引きずるバンドーは、事件の証拠が揃いさえすれば自分達の出る幕は無いと、太字スマイルで安堵感を体現していた。


 「……いや、ロドリゲス達はエスピノーザのアジトに乗り込むんだろ?いくら百戦錬磨とは言え、2〜3人じゃ心許ない。俺は行くぜ!」

 

 「……エスピノーザのアジトの上は、子ども達のレストランになっているそうですね。最悪の事態に備えて、私も子ども達を守る為なら手を貸しますよ」


 ハインツとフクちゃんは、エスピノーザのアジトに乗り込む気力満々。

 一方バンドーとクレアは、自分達の背後をふと振り返り、腰が抜けて歩けなくなっている事件の共犯者、白髪の不良中年を警察に連行しなければいけない任務を再確認する。


 「……姉ちゃ〜ん、歩けねえんだ〜。警察に行ってやるから、肩を貸してくれよ〜」


 白髪男は100%邪悪な密着目的でクレアの足にすり寄り、バンドーは半ば呆れながらも、苦笑いでそのスケベ根性に敬意を表した。


 「……キモっ!何なのよあんた!」


 白髪男の行動に顔面蒼白となったクレアは、その場で激しい罵倒と容赦の無いストンピングの嵐を浴びせる。



 5月25日・17:25


 「悪いな、今日は大事な会議なんだ!家で晩飯を喰ってくれ。また明日な!」


 チーム・エスピノーザのメンバー、ハビエル・ガジャルドは、いつもの様にサッカー教室を終えた子ども達をレストランに招く予定を、急遽変更せざるを得ない状況に追い込まれていた。


 (……ダビドの奴、急にサツに自首するなんて言い出しやがって……。一体どういうつもりなんだよ?)


 武闘大会後はサッカー教室のコーチ業が板に着いていたガジャルドではあったが、チームの一員としてバルベルデの件も、ラ・マシアとのビジネスの件も、彼は把握している。

 

 サッカー教室の評判が良く、事業化も検討されている事に気を良くしてはいたものの、彼自身は前科のある身分。

 そう簡単に、好きなサッカーを仕事には出来ない……彼はあくまで親友のエスピノーザとともに、裏社会で生きる覚悟を決めていたのだ。


 「ダビドがパクられちまったら、保釈されるまでこのレストランも危ないからな。少ないが持って行け」


 万一の事態に備えて厨房スタッフにも帰宅を命じるガジャルドは、レストラン再開の目処が立つまでの一時金を彼等に支払い、地下のアジトへと向かう。


 「ダビド!ジャービス!お前らいつまでそこでボーッとしてんだよ!? まさか本気でサツにパクられるつもりなのか!?」


 痺れを切らしてアジトのドアを蹴り飛ばすガジャルド。

 そこには、自首直前とは思えない程に整えられたスーツ姿のエスピノーザと、誰と一緒でも無愛想な雰囲気は変わりないジャービスの2人が、覚悟を決めたかの様な落ち着きで佇んでいた。


 「……俺はもう、あんな署長や副署長の言いなりにはなりたくねえ。バルベルデにだって、何度も捜査から手を引けと警告したんだ。俺は警察に恨みはあったが、奴に恨みは無かったからな。結局、奴も職務に忠実過ぎたんだよ。そろそろお迎えが来るだろう」


 

 ジャービスとバルベルデは、同じ格闘技をルーツに持つ警察官として、互いに怒りや恨みを抱く事は無かった。

 むしろバルベルデは、自身の抜擢がジャービスの汚職に繋がったと自責さえしている。

 

 しかしながら、警察に恨みを晴らす為、エスピノーザの情報屋を辞める訳には行かないジャービスは、度重なる警告を用いて、どうにかしてバルベルデを、せめて試合当日だけでも休ませようとしていたのである。


 

 「……ガジャルド、俺が奴等の車を借りて商売をした理由は、万一の時、マドリードナンバーの車では俺達に容疑がかかるからだ。だが、事故を報告せず、ヤクを持ち逃げする様な運転手を雇ったのは俺の責任だ。奴等は穏便に商売をすると言ったが、信用出来ねえ。俺が兄貴の保釈金で出てくるまで、チーム・エスピノーザは休業だ。こいつを持って行け」


 事の顛末をガジャルドに伝えたエスピノーザは、暫しの間陣頭指揮を執るであろうガジャルドに、数枚の名刺と通帳を手渡した。


 「……ダビド……こいつは……?」


 ガジャルドが受け取った通帳の銀行口座の所在地はスイス。預金残高は10億CP。


 「……そいつは本来、裏稼業拡大に備えた資金洗浄(マネーロンダリング)用の口座だった。だが、事情が変わった。サッカー界に口の利く弁護士と、スポーツ賭博でプロクラブをクビになったコーチを囲っている。その名刺の奴だ。ガジャルド、サッカー教室の事業化を進めろ」


 「……ダビド……いいのかよ!?」


 喜ぶべきか、(つつし)むべきか、言葉に詰まるガジャルド。

 チーム・エスピノーザにとって、これはまさに変革となる決断である。


 「……勘違いすんなよ。俺達はもう、堅気にはなれやしねえ。だが、チーム・バンドーだの特殊部隊だの、色々と騒がしくなったからな。物騒なビジネスの比率を変えるだけさ。いつかは兄貴からも独立したいもんだな!」


 

 「……なかなかいい話を聞かせて貰ったよ!」


 エスピノーザの所信表明を遮るかの様に放たれた、威圧感のある低音の声。

 嫌がるスアレス副署長の首根っこを掴んだロドリゲス隊長とガンボアが、アジトに到着した。


 「……見慣れねえツラだな。てめえらがサツの特殊部隊か?」


 ビジネスマナーを感じさせるスーツの着こなしとは対照的な、いつものエスピノーザ節。

 

 お互い初対面である彼等の微妙な態度をよそに、恨み重なるスアレス副署長を目の当たりにしたジャービスには、早くも一触即発の空気が漂っていた。


 「バルベルデを脅迫したのは俺、ホミ・ジャービスだ。早く俺を拘束しな。……さもないと、そこにいるスアレスの命は保証しないぜ」


 「……おっと、俺も紹介が遅れたな。ダビド・エスピノーザだ。バルベルデの始末、ラ・マシアとのドラッグ取引は、俺が指示した。さあ、早く拘束しな」


 「……隊長、これは……?」

 

 2人の悪党から拘束を要求される異常事態に、軍人としては百戦錬磨のガンボアも、やや困惑気味である。


 「……勿論、そのつもりで来た。ちなみに、スアレス副署長は重要参考人として軍で保護する事が決まっている。カマーチョ署長の拘束は時間の問題だが、スアレス副署長はいずれ現職に復帰するだろう。信頼を取り戻すのは難しいとは思うが、まあ、頑張って欲しいものだな」


 「……そ、そんな……」


 事前の約束通りとは言え、余りに他人事なロドリゲス隊長の態度に、ガックリと肩を落とすスアレス副署長。

 これで事件はほぼ解決……のはずだった。



 5月25日・17:30


 「……ハインツさんと2人で行動するのは、確か初めてですね。どうですか?私が女神だと、もう信じてくれましたか?」


 軽い追い風魔法を駆使して、目的地へと走り続けるハインツをサポートするフクちゃんは、珍しい相方をからかう余裕を見せる程に、チーム・バンドーの一員として立場を確立させている。


 「信じざるを得ねえよ。今だって、俺の足だけで走っちゃいねえ事が分かるからな。それに……あんたと一緒に行動する様になってから、バンドーがどんどん強くなってやがる。あんたが奴の能力を引き出したのさ。礼を言うぜ!」


 ブロンドヘアを風になびかせながら、全力疾走にも一切疲れを感じていないハインツはチーム・バンドーを代表して、改めてフクちゃんに感謝の言葉を述べている。

 そして、フクちゃんもまた、バンドーが強くなった現在に於いても、武闘リーダーとしてのハインツの存在が、チーム・バンドーに必要不可欠である事を再認識していた。


 「……あった!あのレストランの地下だな!」


 手荒い乱入者でもいたのだろうか、乱暴に蹴り飛ばされたレストランの入り口には靴の泥がこびり付き、その周りには野良猫が、何やら餌らしきものにじゃれついている。


 (……猫……?何か気になりますね……)


 「……どうしたフクちゃん?行くぜ!」


 動物が苦手なハインツは、野良猫をかわしてそそくさと店内に入り、残されたフクちゃんはこの光景に何処か見覚えがある事を自覚していた。



 「ガジャルド、お前はこの事件に一切関与しちゃいねえ。さっさと新しい事業に取り組んでくれ。チーム・エスピノーザの命運は、今やお前にかかっているんだからな!」


 ジャービスと仲良く手錠を架けられたエスピノーザは、暫しの間親友にビジネスの実権を預ける事を決意し、自身の夢に近付いたモチベーションも高らかに、ガジャルドはアジトのドアを開ける。

 

 ……だが、その瞬間、ガジャルドの目の前にはひとりの男が立っていた。


 「……ダビド・エスピノーザはお前か?」


 全身黒ずくめのスタイルに褐色の肌、襟足の長いヘアスタイルにサングラス、シルバーリングにシルバーチェーン、そしてシャツが張り裂けんばかりの筋肉……ハティ・ワレム。


 「誰だてめえ……ぶおっ……!?」


 初対面の怪し過ぎる大男に喰ってかかったガジャルドをパンチ一撃で床に這わせ、ワレムはその視線を左右に泳がせる。


 「……ガジャルドを一撃で……てめえ、何者だ!?」


 「……いつか俺が死ねば、死亡広告に名が出るだろう。それまで名乗る必要はねえ。ダビド・エスピノーザに、ウチの車の賠償費用を払って貰う為に来た。少なくとも8000000CPだな」


 手錠を架けられながらも殊勝にイキっているエスピノーザを本人だと認識出来ず、恐れを知らないワレムは明らかに車の定価以上の賠償額を請求した。


 「……貴様、ラ・マシアの刺客か!?」


 ガンボアは咄嗟に腰の拳銃に手を掛けたものの、そのモーションを察知したワレムは、強烈なショルダーチャージでガンボアを床へと転がす。


 「……隊長!皆を早く車へ!ここは自分が喰い止めます!皆を車に乗せてから、手錠を持って来て下さい!」


 「……分かった!ガンボア、少しの間持ち堪えてくれ!」


 ガンボアの言葉に甘えたロドリゲス隊長は、床でダウンしているガジャルドを敢えて無視して、残る3名を連れて地下室を脱出し、その最中にハインツ達と擦れ違った。


 「事件は解決したが、謎のサングラス男がガンボアとやり合っている!相手はひとりだが気を付けろ!」


 「何……!? ああ、分かった!」


 (サングラス男……?やっぱり!)


 ロドリゲス隊長からの警告に、フクちゃんは男の正体をいち早く確信する。


 「どりゃああぁ!」


 ガンボア相手にマウントを取ったワレムは、その体格を活かした全力のパンチを振りかざす。

 だが、本格的な格闘訓練の経験を持たない彼のパンチは粗削りで、まともに喰らいさえしなければ、鍛え上げられたガンボアをダウンさせる程のレベルとは言い難かった。


 「……へっ、貴様、ラ・マシアの人間じゃないな!まだまだレベルが低い……そおりゃっ!」


 「……ぐはっ……!」


 ワレムの喧嘩殺法の筋を読み切ったガンボアは、相手の大振りパンチが振りかぶる隙を突いて、ボディーにパンチと膝蹴りのコンビネーションを炸裂させる。


 「……ガンボア!大丈夫か!?」


 地下室の入り口に駆け付けたハインツとフクちゃん。

 1対3に追い込まれたワレムは若干迷いを見せながらも、床に置いたバッグに手を入れ、拳銃に手を掛けた。


 「……させるかっ……!」


 パアアァァン……


 相手の動きを冷静に見ていたガンボアは、自らの拳銃を素早く引き抜き、バッグ越しにワレムの銃身を弾き飛ばす。


 「よっしゃあ!大人しくしろっ……!」


 丸腰になったワレムが立ち上がるより一瞬早く自らの剣を抜いたハインツは、素早い寄せから相手の喉元に剣先を突き付けた。


 「……くっ……殺すなら殺せ!」


 ようやく訪れた静寂の中、自身の未熟さを痛感して肩を落とすワレム。

 

 だが、彼はガジャルドを一撃K.O.するだけのパンチ力はある。

 軍隊上がりの特殊部隊隊員ガンボアと、武闘大会MVP剣士のハインツ……相手が悪かっただけなのだ。

 

 「……車の賠償と言っていたな。貴様はラ・マシア繋がりの運送会社、インテル・カルガの社員だな?エスピノーザとの取引も知っているんだな?」


 乱入者に手錠を架ける為に戻って来たロドリゲス隊長は、顔を背けて質問に一切答えようとしないワレムの姿を見て、逆に彼の立場に確信を深めている。


 「……こいつは面白い、安心しろ。我々は貴様を殺しはしないし、逮捕もしない。その血の気の多さ……貴様、運送会社なんて辞めて、ラ・マシアに入りたいんだろ?エスピノーザの配下の運転手が交通事故で持ち逃げしようとした、1㎏のコカインは、今警察が預かっているが、これを貴様に持たせてやる。これをラ・マシアに届ければ、貴様は気に入られ、ラ・マシアに入れるだろう」


 ロドリゲス隊長からの衝撃の提案に、ハインツやフクちゃんは勿論の事、彼の部下であるガンボアや、ワレム本人ですら言葉を失っていた。


 「我々は貴様の行動から、ラ・マシアの本拠地を突き止めさせて貰う。だが、貴様にスパイになれとは言わんよ。貴様は貴様で、憧れの組織でその実力と鼻っ柱が通用するのか、試してみればいい。今度敵として会った時は、容赦しないがな」


 「……いいのか……?後悔しても知らねえぜ……」


 ラ・マシアの探索は、チャイナタウンの新興宗教の疑惑解明を始めとして、バルセロナの闇を解き明かす為には避けて通れない道。

 巨大な利権と危険が絡み合うこの任務は、通常の警察では実行出来ない、まさに特殊部隊向けの任務と言える。


 「……ああ、勿論だ。だが、今日は警察に泊まって貰う。電話で運送会社の上司に、エスピノーザからドラッグを取り戻したと伝え、警察がウロウロしているから2〜3日身を隠してからバルセロナに帰ると言うんだ。ドラッグが絡めば、運送会社の上司もラ・マシアを通さないといけなくなるからな」


 「……なるほど!2〜3日あれば、こちらも対策が練れますからね!」


 ガンボアはロドリゲス隊長の意図を理解し、早速事情を仲間にメールで送信する準備に取り掛かっていた。


 「……という事だな。チーム・バンドーの諸君、この度は本当にありがとう。警察から、出来る限りの謝礼金を出させて貰うよ。そして、ここからの任務は危険を極める。ケンに会ったら伝えてくれ。ご両親の仇を討ちたい気持ちは痛い程分かるが、早まるな、命を大切にしろ、と。お前の身に何かがあれば、今現在の両親が悲しむんだ、と……」


 「……分かりました。シルバには必ず伝えます。お気を付けて」


 特殊部隊の隊長としてでは無く、シルバの義父としてのロドリゲス氏の熱い想いを受け取ったハインツは表情を引き締め、未だ床にK.O.されたままのガジャルドを敢えて無視して、フクちゃんとともにマドリードの夕空に消えて行く。



 5月27日・10:00


 事件はどうにか解決し、余りにも濃密な1日に疲労困憊のチーム・バンドーは、ホテルで数日間休息を取っていた。


 シルバのダメージも回復した2日後の朝、マドリード警察から1000000CPの謝礼金が振り込まれ、特殊部隊の面々から、事件のその後の展開が時間をかけて伝えられる事となる。


 

 今回の事件最大の被害者であるバルベルデ捜査官は、持ち前の精神力でどうにか言葉を発せる様になった。

 

 負傷箇所が箇所だけに、下半身までの回復は望み薄だが、既に上半身のリハビリには取り組んでおり、僅かながら指先にも感覚があるとの事。

 既に回復後を見据えて、「正義を貫いた格闘家」としての講演依頼が殺到しており、彼の第2の人生に憂いは無さそうである。


 加害者のジャービスと白髪男の罪はさほど重くはなかったが、ジャービスは警察官としての職業意識が問われ、白髪男はこれまでに積み重ねて来た、軽犯罪や交通違反の罰金を支払う経済力と身寄りが無い事が仇となり、ともに短期の実刑判決を受けた。


 タワンは過剰防衛が疑われる事態となったものの、エスピノーザが試合前に「壊しても構わん」という指示を出した事を認めた為、執行猶予付きの短期懲役となり、その猶予の間に社会奉仕活動を行いながら親友・サンチェスの出所を待つ事に。


 仮病を用いて説明責任から逃げまくっていたカマーチョ署長は、軍に守られたスアレス副署長の証言と特殊部隊からの追及により、短期の実刑判決を受ける直前にマドリード警察を依願退職。

 しかし、判決を受けて退職金が大幅に減額されてしまった為に、保釈金を積む事を諦めた彼は刑を受け入れ、キャリアも事実上消滅した。


 司法取引をしたスアレス副所長は無罪でマドリード警察に復職したものの、当然キャリアは剥奪され、いち巡査からの裸一貫再スタートに耐えられるのか、その動向が注目されている。


 エスピノーザは、ラ・マシアからの報復を恐れて自ら拘束されたが、直に手を下してはいない為、ほとぼりが冷めるとすぐに兄ルベンからの保釈金を得て出所。

 だが、彼のキャリアに遂に前科が付いてしまった影響は大きく、非公式の裏稼業スポンサーが大量離脱。

 ガジャルドを暫定代表に立てて一時的にサッカー教室や子ども向けレストラン、そして相変わらずのロック・バーの営業と、まともな職業で食い繋ぐ日々が始まる事となった。


 しかし、諦めの悪い彼の事。

 きっとすぐにまた、悪事に手を染めるだろう。

 

 それでも、兄ルベンに付いてテロ活動に手を出さない所に、女性や子どもには暴力を振るわない彼ならではのプライドが窺えていた。


 ガジャルドがサッカー教室に専念し、サンチェスやタワンがチームに戻らない事により、チーム・エスピノーザの格闘技部門は壊滅状態。

 

 残されたトーレスは、遂に単独で格闘技修行の旅に出る事となり、ハビエル(ガジャルド)・エキセル(トーレス)・ダビド(エスピノーザ)の頭文字をあしらったリングネーム「JED」を命名。

 ジェッド・トーレスを名乗り、変わらぬ友情と誇りを胸に、今日も世界中でひとり戦い続けている。

 


  (続く)

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんばんは。 シルバーアクセ等の、容姿描写から、 もしやと思いきや、本当に出てきた、 ハティ・ワレムに笑いました。 ちゃっかり、独特な鳴き声の野良猫も、 登場してた、なわーん。 ワンパ…
2021/01/23 19:38 退会済み
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