第39話 格闘技賭博を摘発せよ! (前編) 〜内通者を捜せ〜
5月25日・11:00
マドリード警察の潜入捜査官が半身不随に追い込まれ、その現場で行われていた格闘技賭博の調査の為に、チーム・エスピノーザに接近する事となった特殊部隊。
彼等と近い関係にあるシルバを先頭として、チーム・エスピノーザの情報提供を目的にマドリード帰還を目指すチーム・バンドーは、昨日の仕事の疲れも癒えぬまま、バレンシア発・マドリード行きの列車に揺られていた。
「……みんな、この2日あたしのわがままに付き合ってくれてありがとう。マグヌソンさんの遺言も見付かったから、これでエミールも独り立ち出来ると思う……」
何処か名残惜しそうにバレンシアを後にしたクレアは、人知れず14年間背負い続けた十字架を降ろした疲れが出たのか、そのまま列車内でうたた寝を始めてしまった。
そんな彼女を穏やかな笑みで見守っていたハインツは、やがて表情を引き締め直し、シルバに今一度、チーム・エスピノーザの詳細を問い詰める。
「……俺の印象では、エスピノーザは格闘技も出来るペテン師といった所だ。わざわざ特殊部隊が動く程の男じゃねえと思うんだが……」
窓から流れる景色に一旦見切りを付け、ハインツと向き合うシルバ。
バンドーとリンも注視する中、彼は過去を振り返りながらゆっくりと口を開いた。
「エスピノーザ……ダビドにはルベンという兄がいます。奴は大企業や政治家に秘密裏に雇われるテロリストで、企業や政治のトラブルに対処し、時には当該地域の爆破も辞さない悪党でした。自分達がマドリードで戦った、オジャルのワンランク上のポジションであると考えて下さい」
ブレない悪党であり、狡猾な話術も併せ持っていたオジャル。
彼のワンランク上のポジションであると言うルベンには、普段紳士的なシルバが敢えて「奴」と呼ぶ程の悪行が積み重なっているのであろう。
「軍隊時代に、自分の部隊がルベン主導のテロを未然に防いだんですが、奴は実行犯グループにはいなかった為、弟であるダビドの組織からの保釈金で逃げました。奴等は互いの組織を助け合っているんですよ」
「けっ、美しい兄弟愛じゃねえか!」
シルバの回想に両手を開いてお手上げしたハインツの言葉の裏には、多少の悪行なら金で揉み消せる、この世界そのものへの嫌悪感も滲み出ていた。
「……でも、ルベンも逮捕された後は、流石に表舞台に出て来る回数は減ったんでしょ?」
自身に詰め寄るバンドーに、無言で頷くシルバ。
「形だけの逮捕に見えても、奴等の組織はまださほど大きくはありません。今回の件は、まずマドリード警察の潜入捜査官の負傷が引き金になりましたが、未だ逮捕歴の無いダビドにも前科を付け、組織の活動範囲を狭める事が目的です。特殊部隊の目的は更なる巨悪の検挙ですから、エスピノーザ兄弟の勢力を弱めて泳がせる事は重要なんですよ」
「……タワンさんはサンチェスさんの親友ですし、武闘大会でも正々堂々と戦っていた印象があります。殺意を持って潜入捜査官を攻撃したとは思いたくありませんが……」
リンはシルバを見上げながら、何か不運な事故の可能性は無かったのか、彼に問い掛ける。
「……自分もそこは考えています。ダビドとしても自身が疑われる事は理解しているはずですから、元来警察を威嚇する為に、若干の反則で痛め付ける程度のプランだったと思うんですよ。観客が撮影した映像があるという話ですので、自分達は情報提供と、格闘家の立場からの検証に呼ばれたと考えて下さい」
バンドーとリンは、自分達が即座にエスピノーザ兄弟の組織と戦う必要性は無いと知り、ひとまず安堵の表情を浮かべていた。
「……ですが、私達もラモス刑事を見てしまった後ですからね……。警察内部に、エスピノーザ兄弟と内通している者がいる可能性もありますよ」
これまで無言を貫いていたフクちゃんからの一言に、車内の空気は再び重苦しいものとなる。
5月25日・13:00
マドリード警察から昼食と協力謝礼金が提供される事を知ったチーム・バンドーは、空腹を抱えたままマドリード駅に到着し、その足でマドリード警察署に集結した。
「凄い人混みだね。警察署の周りって、もう少し近寄り難いもんだと思ったけど」
故郷のニュージーランドと単純に比較は出来ないが、マドリードの繁華街に違和感無く溶け込む巨大な警察署を見上げながら、バンドーはその賑わいに驚きを隠せない。
「治安の悪い地域では、警察署や軍事基地の周辺こそが安全の保証された一等地ですからね……」
シルバはこの現実に少々複雑な表情を浮かべてはいたものの、軍隊時代にここを訪れた事があるのだろう。手慣れた様子で入口の職員と挨拶を交わし、パーティーを受け付けに誘導する。
「失礼します。ロベルト・ロドリゲス氏からの要請で招致された、チーム・バンドーですが……」
受け付け担当者に声を掛けるシルバ。
一般企業とは異なり、殴り込みに押し寄せる荒くれ者達の覚悟は半端無い警察署。
当然ながら、受け付け担当者も女性ばかり揃える訳には行かない。
普段は警官の任務を遂行していると思われる、屈強な体格の受け付け担当者も、来客についての情報は聞かされていたであろう。
しかしながら、見慣れぬ目の前の若者が特殊部隊の存在を知っており、ましてやロドリゲス隊長の義理の息子であるなどとは夢にも思わない彼は、露骨に疑わしげな眼差しでパーティーを一瞥した後、ロドリゲス隊長の控え室に電話をかけた。
(……警戒するのは分かるけど、何か嫌な感じね)
クレアは声に出す事無く、表情で隣のリンに自身の感情をアピールする。
「ご確認致しました。左の階段を上って真っ直ぐ、2階の奥にあるビデオルームで皆が準備中です」
「……ありがとうございます」
目の前の現実に渋々納得した様な受け付け担当者の態度を受け、シルバは彼にやや事務的な感謝を伝えてパーティーを階段に先導した。
「……中尉!お待ちしていました!」
ビデオルームの前で見張りをしていたのは軍隊時代のシルバの部下、ドンゴン・キム。
彼もガンボア同様、かつての上司であるシルバに未だタメ口は訊けないらしい。
「……そろそろ、中尉は外してくれよ、キム」
かつての部下からの少々ありがた迷惑な敬意に対し、シルバは大きく手を振って苦笑いを浮かべる。
「もう、ケンちゃんでいいんだよ!」
(……それはちょっと……)
太字スマイルで両者の間に割り込んだ、バンドーの恐れを知らない言動に、クレアは再び表情だけでリンと会話していた。
5月25日・13:30
「……ケン、そしてチーム・バンドーの諸君、来てくれてありがとう」
雑務をこなして来た後なのか、少々遅れてビデオルームに到着したロドリゲス隊長を最後に、特殊部隊のメンバーが勢揃いする。
ロドリゲス隊長を筆頭に、シルバの軍隊時代の部下であるクリスチャン・ガンボアとドンゴン・キム。
その背後には、禁止薬物の使用でシルバに捕らえられた後にチーム・エスピノーザを解雇され、警察に協力する事を条件に薬物依存症の治療と罪状の軽減を得た、元軍人のラファエル・ゲレーロ。
そして最後に、親友のチェンが起こしたクーデター未遂事件の真相を知る為、レンジャー部隊を除隊したゴンサロ・グルエソ。
「……レイジ君、久し振りだね。昔と何も変わっていないので安心したよ」
11年前、自身に強烈な印象を残したバンドーに向かって微笑みかけるロドリゲス隊長の表情は、かつて鬼軍曹と呼ばれた男の面影を感じさせない、穏やかなものであった。
「……いやあ、よく言われるんですよね……」
天然な程に真っ直ぐ成長していたバンドーは、太字スマイルのまま自身の頭を掻き、シルバを含めた3人の関係性に安堵したリンは、ようやくリラックスした表情を浮かべる。
「君達も腹を空かせているかと思うが、早速ビデオの検証に協力して欲しい。少々刺激的な映像が混じっているので、検証と意見交換後に昼食と行こうじゃないか」
百戦錬磨の猛者達を束ねるロドリゲス隊長からは、笑みすら浮かべそうな余裕が漂っていたものの、食事に影響しそうな映像と聞き、クレアとリンはやや腰が引けてしまっていた。
「……あの〜、あたし達もそのビデオ、観なきゃいけないんですか……?」
恐る恐る進言するクレアに気付いたロドリゲス隊長は、10代に見えるフクちゃんを含めて、チーム・バンドーに女性が3人もいる事に改めて驚きを露にし、シルバと顔を見合わせて互いに頷いた。
「……これは失礼、我々は武闘家からの意見を求めているだけなんだ。お嬢さん達は隣の控え室で休んでいてくれたまえ」
「ありがとうございます。じゃ、遠慮なく」
特殊部隊メンバーの紳士的な振る舞いに胸を撫で下ろした女性陣は、自身もこれまで散々キックや魔法付きパンチ等で悪党を叩きのめして来たにも関わらず、性的特権を活かして控え室へと消えて行く。
「それでは検証を始めます。小型隠しカメラでの撮影ですので、画像は粗いです。もう少しスクリーンに寄って下さい」
カーテンを閉めて検証の準備を整えたガンボアは、やがてスクリーンの真横に陣取るロドリゲス隊長の隣に腰を下ろす。
どうやら、年齢やコミュニケーション能力を考慮されたガンボアが、特殊部隊のナンバー2であると言えそうだ。
「試合直前の映像です。白のボクサーパンツが潜入捜査官のフェデリコ・バルベルデ、黄色のパンツがタワン・ティーンダーです」
何処かの廃墟ビルの地下室であろうか、ガンボアの合図でスクリーンに映し出された光景には、薄暗い裏街道の匂いが立ち込めている。
だが、そこに集う観客達は、数こそ少ないがギラギラと生気に満ちた顔を輝かせていた。
ある者はその日暮らしの金やドラッグを求めて、またある者は人生の大逆転を夢見て、この違法賭博に手を染めるのだ。
「……こうして見ると、タワンよりバルベルデの方が強そうに見えるがな……」
ムエタイファイターらしくスピードを重視した攻めで相手に詰め寄るタワンだったが、屈強な身体と長いリーチのパンチを持つバルベルデはそのスピードに動じる事無く、手堅いガードから確実にパンチをヒットさせている。
ビデオに集中しているハインツからは、この後バルベルデが瀕死の重傷を負う試合展開が待ち受けているという事実を、どうにも信じる事が出来なかった。
「興奮してるのは分かるけど、もっとちゃんと撮影して欲しいな!グラグラして酔っちゃうよ!」
恐らく帽子の様なものに仕込んだカメラでの盗撮なのだろう。
そもそも非合法な映像に文句を言う事自体が筋違いではあるものの、検証する以上はバンドーの気持ちも理解出来る。
「……この映像を提供してくれたのは観客で、自身も賭博をしているが故に、不正が無いかどうか必ず試合を盗撮していた様ですね。これだけの手間暇をかけるなら、真面目に堅気の仕事で稼げばいいものを……」
ガンボアのぼやきには、働く男である室内の全員が反応し、爆笑の渦が巻き起こった。
「……バルベルデは元々期待されていた格闘家だった。怪我で一時期引退していたが、正義感が強くて八百長の引退試合は断っていた。警察官に向いている男だったのかもな……。潜入捜査官に抜擢する為、現役に復帰したと宣伝するまでは表立った任務に就かせていなかったんだろう。俺も最近まで、奴が警察官だとは知らなかった……」
薬物依存症の治療のせいか、やや苦し気な表情を浮かべているゲレーロは、マフィアの用心棒時代からバルベルデの存在を知っている様子である。
「タワンがラッシュを始めた!」
バンドーもビデオに集中し、親友のサンチェスの拘束から警察組織への怒りを爆発させた様な、タワンの猛攻に身を乗り出していた。
タワンのハイキックがテンプルを掠め、少しばかりよろめいたバルベルデはカメラと目が合い、相手に背を向けた状態で膝を着く。
だがこの時点では、ダウンを確認したタワンが更なるラッシュを見せる気配は窺えない。
ダウンカウントが刻まれる中、さほどダメージを受けていないバルベルデはカメラに顔を向けたままゆっくりと立ち上がり、厳格なルールには基づいていない地下格闘技のレフェリーは、そのまま試合再開を合図した。
「……ここです!」
ガンボアが力を込めて叫んだその瞬間、バンドー、シルバ、ハインツの視線は必然的にバルベルデの表情を捉える。
何やら大きな驚きを隠せない、両目を見開いたその表情と、左右に揺れる首、そして地に足の着いていない中途半端な姿勢。
その背後から、全力でタワンが襲いかかって来ていた。
タワン渾身の背後からの膝蹴りが、技を浴びる準備の出来ていないバルベルデの首を右側から直撃し、彼の首は嫌な角度に折れ曲がる。
「……くっ……!」
その衝撃の場面には、いくつかの修羅場を潜り抜けて来たチーム・バンドーの面々も思わず視線を逸らしてしまっていた。
試合終了。
ショックの余り撮影者も狼狽し、その映像は客席とバルベルデの身体を激しく往復する。
最後に映し出されたタワンの表情からは、激しい興奮と自身の行為への焦燥感が溢れ出ていた。
「……映像は以上です。チーム・バンドーの意見をお聞かせ下さい」
特殊部隊のメンバーは、恐らく何度も映像を検証しているはず。
初めて映像を目の当たりにしたショックから、なかなか言葉の出てこないチーム・バンドーの姿に納得しているロドリゲス隊長が、最低限の質問を投げ掛ける。
「……この映像を見て、タワン・ティーンダーを傷害罪に問えると思うかね?」
「……まだ相手と向き合っていない場面での攻撃ですから、タワンの過剰防衛行為は追及出来るかも知れません。ですが、ここはむしろレフェリーの試合再開の判断が問われるでしょうね。怪我も無くあれだけ試合中に背を向ける事は稀ですし、タワンの攻撃はバルベルデが振り向く事を見越した上での、顔面狙いの攻撃だと思いますからね……」
どうにか言葉を絞り出したシルバに続いて、バンドーも持論を展開し始めた。
「……普通なら、後頭部を膝が直撃してもバルベルデの身体は前に飛ぶから、あんな形に首は折れません。タワンが無実とは言わないけれど、受け身も取れないあの不安定な姿勢では、互いに運が悪いとしか言いようが無いと思いますよ」
「……そうか……。やはり焦点は、バルベルデをあの状態に導いたものが何なのか、誰がそれをやったのか、という事だな……」
ロドリゲス隊長は自身の額に指をあて、捜査の範囲をチーム・エスピノーザから、警察組織の内通者へと拡げる必要性を再確認する。
「さっき、バルベルデのデータを見せて貰った。奴は独身なんだろ?人質に取られる様な家族はいねえし、格闘技賭博に知人を誘っている訳でもねえ。誰かの密告があって、前もって奴をハメる計画があったとしか考えられねえよ」
赴任早々、またもやきな臭い事件に巻き込まれたグルエソは、軍隊や警察組織の信用に懐疑的にならざるを得なかった。
「ちょっと待てよ。バルベルデが格闘技賭博を潜入捜査中だなんて、そこそこ偉い奴しか知らない機密だろ?ヒラ刑事のラモスみてえな奴ならともかく、そこそこの金を貰っている偉い奴が、エスピノーザからのはした金と引き換えに危ない橋を渡るとは思えねえんだが……」
ハインツは、引退間際にドラッグマネーの誘惑に負けたラモス刑事を引き合いに出し、警察組織の中では高給取りしか知らないはずのバルベルデを売ろうとする人間の、内なる闇の存在に戸惑いを隠せない。
「……こいつはおもしれえ。ダビド達はヤクの横流しもやっているからな。サツの上層部にも、なりふり構わねえ俺みたいなヤク中がいるかも知れねえって事だな」
特殊部隊に協力する立場でありながらも、自身の過去から既に軍隊や警察組織の信用を否定しているゲレーロは、他人事の様に事件を笑い飛ばした。
「……とにかく、まずはバルベルデの交友関係を洗ってみましょう。半身不随とは言え、意識が回復すれば最低限の話は出来るはずです。中尉、バンドーさん、ハインツさん、ご協力ありがとうございました!昼食には、ガンボアが帯同します」
更なる仕事に追われながらも、チーム・バンドーに感謝の意を述べたキムと握手を交わしたシルバ、バンドー、ハインツの3人は、ガンボアとともに女性陣を出迎え、遅い昼食へと出掛ける。
5月25日・14:30
コスタリカ出身のガンボア、ニュージーランド出身のバンドーとシルバ、ブルガリア出身のクレア、チェコ出身のハインツ、フランス出身のリン、とどめに神界出身のフクちゃん。
これ程の多様性集団を満足させ、しかも警察からの少ない予算で賄える食事……そんなものがあるのだろうか?
……なかった(笑)。
「……はひはひ、へーはつへすはらへ。ははしはひのへーひんをむはにひひゃひけまへんほへ!」
観念したクレアは、ファーストフードレストランのハンバーガーを頬張りながら、ガンボアに対してギリ失礼に値しない程度の毒を吐いていた。
「……ちなみに、今のクレアさんの言葉を通訳しますと、警察にはあたし達の税金を無駄にしてはいけない義務があり、この選択はやむを得ないとの事です」
フライドポテトが大好物なフクちゃんは、ファーストフードレストランでの食事に何ら不満は無く、ガンボアの立場を労った発言でその辺の人間との格の違いを見せ付けている。
「……いやあ、申し訳ありません。うちの部隊は結成されたばかりで、まだ実績を挙げていませんし、食事を振る舞う対象が6人もいますとねぇ……。あっ、私のポテトもあげますから」
10代に見えるフクちゃんがフライドポテトを喜んで食べているという、ある意味世間的な安心感を賞金稼ぎチームの中にも見たガンボアは、早速社交の上手さで窮地を乗り切った。
「……協力謝礼金もいただきましたが、今日の会合の内容であれば、ホテルまでの交通費程度でも良かったんですよ……」
シルバから詳細を聞いていたリンは、昼食に比べて随分と奮発した印象のある謝礼金60000CPを預り、ガンボアに助け船を出す。
「……いえ、先日は中尉の要請に応えた結果、ラモス刑事の重大な汚職が発覚したんですから、警察組織にとっては有り難い事だったんですよ。謝礼金はせめてこれくらい出さないと」
リンに感謝の意を述べるガンボアの陰で、自分だけが悪者になった様な気分になったクレアは、ヤケ喰いをしながらバンドーとハインツに慰められていた。
「……ガンボア、この件はもう、警察案件だという事は分かっている。だが、俺達に何か出来る事は無いか?」
軍隊時代の部下に対してしか使わない、シルバの1人称「俺」に、リンはどこか新鮮な胸騒ぎを感じている様子で、彼の横顔を熱く見守っている。
「……う〜ん……そうですね……」
ガンボアはシルバの善意に少々思案を巡らせ、やがて思い出した様に小声で話し始めた。
「チーム・エスピノーザの連中はああ見えて、組織のイメージアップの為に様々な活動をマドリードで行っているみたいなんです。皆さんを危険に晒す訳には行きませんが、宜しければその活動を見た時に、新しく組織に加わりそうな人間や、接触してくる知らない人間を報告していただけると助かりますね!」
「分かった!どうせ今日は仕事を探す時間も余り無いし、ホテルを予約がてらこの辺りを散策してみるよ」
バンドーの笑顔の約束を別れの挨拶とし、ガンボアはハンバーガーを口に挟んだまま料金をテーブルに置き、そそくさと仕事に戻って行く。
「……やれやれ、一段落だな。明日からはまた仕事探しだ。スペインに来てから、余り楽な仕事はねえからな。油断するなよ!」
「おう!」
改めて気合いを注入するハインツを中心にパーティーが盛り上がる中、リンは自身が調査したスペインの空き物件に、マドリードの地下室付きの廃墟ビルが存在している事を確認していた。
5月25日・16:00
西陽もピークを過ぎた夕方前、3手に分かれてマドリードを散策するチーム・バンドー。
バンドーとフクちゃんは、パーティーメンバーで分割した謝礼金10000CPを手に、普段通り兄妹という設定で怪しいお菓子を物色しながら、休憩の為に西陽の名残でまだ暑さの残る、公園のベンチに腰掛けていた。
「……おや?このお菓子、パッケージと現物が違う様な気がしますね……」
フクちゃんが手にしていたチョコレートは、パッケージに描かれていた様なアーモンドぎっしり状態ではなく、アーモンドが疎らに点在するだけの、実に中途半端なものである。
「フクちゃん、安いお菓子は、その詐欺具合も楽しむものなんだよ」
神界で200年近く生きている女神様も、地球のお菓子に関しては見た目通りの少女レベルの知識しか持っていない。
バンドーはそんなフクちゃんに、いつしか本当の妹の様な親しみを感じていた。
「……そんなものなんですか……あれ?」
2人の前に現れたのは、何やらお菓子を羨ましそうに眺めている子ども達。
バンドーがフクちゃんに説明をする為にベンチに並べた大量のお菓子が、公園で遊ぶ子ども達の注目を浴びてしまったのである。
(フクちゃん、どうしよう……?)
(……仕方ありませんね。少しあげましょう……)
気まずさ故に、テレパシーでの会話になってしまった2人。
大人の人間は甘やかさない、確固とした価値観を持つフクちゃんではあったが、流石に子どもには冷徹になれない。
「はい、少しあげる。お母さんには内緒にしろよ!」
バンドーは自分がいい歳である事から、多少の照れ臭さも窺わせる太字スマイルを披露し、チョコレートやキャンディ等、手元の駄菓子のいくつかを目の前の子ども達に手渡す。
「やった!ありがとう!」
満面の笑顔でお礼を言って立ち去る彼等を、バンドーとフクちゃんは暖かな眼差しで見送ったものの、一方では若干の迷いも抱えていた。
賞金稼ぎという、身体を張って瞬間的な高収入を手にする事が出来る職業の自分達が、駄菓子だと思っているお菓子でさえ買う事の出来ない子ども達が、この世界には何千万人、いや、何億人と存在する。
そんな子ども達の中の、目前の数人にお菓子を与える事が、果たして正しい事なのであろうか?
その子ども達は、大人からお菓子をたかる様な子どもになってしまうのではないか?と。
しかし一方で、困窮する者に責任を押し付けて社会から疎外させる事が犯罪を生む、そんな現実も確実に存在する。
恵まれた環境で育ったバンドーだが、自分の思い通りにならない他人や世界を嘆いた事はない。
子どもは子どもらしく、周囲から愛され守られる、そんな時期が絶対に必要。
大人達が責任を持って、目前の数人の子ども達の幸せを考える。それを世界に広げる。
それがバンドーとフクちゃんの結論なのだ。
バンドーとフクちゃんから貰ったお菓子を手に、仲間の輪に戻って行った子ども達。
その輪の中心に立つ男性は大人で、彼の足元にはサッカーボール。
どうやらこの子ども達は、定期的にこの男性からサッカーを教わっている様子だ。
「お菓子を貰えたのか?良かったな!どれ、俺も礼を言ってやるぜ!」
バンドーより若干小柄だが、引き締まったバランスの良い体格をしたその男性が、ベンチの2人に歩み寄って来る。
その姿が近付くにつれ、バンドーの記憶が男性と重なって行く。
「フクちゃん!あの人……?」
顔面に残る傷跡が強面な印象を与えてはいるものの、何処かユーモアを湛えた愛嬌のある表情。
チーム・エスピノーザの格闘家、ハビエル・ガジャルドである。
「……なっ!? てめえ……バンドーか!?」
突然バンドーと鉢合わせする形となったガジャルドは、目の前の相手とシルバとの関係性の深さから、無意識の内にファイティング・ポーズを取っていた。
「……いや誤解だ!俺はあんたらを監視していた訳じゃないよ!たまたま観光の休憩中だったんだ」
バンドーは殺気立つガジャルドを、慌てて大袈裟なジェスチャーを用いる事で制止した。
子ども達の手前、トラブルを避けたいのは両者に共通している。
「事件は警察案件になっているから、俺達はあんたらをどうしようとかは考えてないよ。第一、あんたらに因縁があるのはケンちゃんだけだし」
バンドーは開き直ってベンチに腰を下ろし、チーム・エスピノーザについて個人的な悪意は無い事を強調した。
「事件?……さあ、知らねえな。俺はただのサッカーコーチさ」
自身の正体をはぐらかすガジャルドは軽く周囲を見回して子ども達の様子を窺い、彼等に大きな動揺が無い事を確認すると、バンドーに向けてやや不本意な笑顔を作る。
「……まあ何だ、とにかくお菓子をくれた事には礼を言うぜ。このお菓子はこいつらが喰うんじゃねえんだ。こいつらより貧しい子ども達に回るのさ。こいつらは見た目は子どもだが、より幼い子ども達の保護者なんだよ」
ガジャルドの言葉に衝撃を受け、その場に硬直するバンドーを尻目に、目前のサッカーコーチを尊敬する子どもが自慢話を始める。
「ハビエルは、スーペル・マドリーの下部組織にいたんだ。凄いドリブルなのにプロになれなかったのは、コーチの見る目がなかったからだよ!僕はハビエルの代わりに絶対プロになる!そしてハビエルみたいに、子ども達を励ますんだ!」
アルゼンチンからスカウトされたガジャルドが、プロサッカー選手直前まで登り詰めたのは事実である。
だが実際は、素行不良でクラブを追われ、生活の為にドラッグの売人をして検挙され、エスピノーザに拾われたのだ。
子ども達のヒーローとしての自分と、自身の裏の顔との間で苦悩するガジャルドの、何処か苦々しい表情。
バンドーとフクちゃんはその姿に掛ける言葉を失い、静かにその場を立ち去る彼等を複雑な表情で見送る。
「……バンドーさん、ガジャルドに誰かが近付いていますよ」
暫し脱力感に見舞われていたバンドーを呼び戻すかの様に、フクちゃんが彼の肩を連打した。
気持ちを切り換えて子ども達に華麗なリフティングを披露するガジャルドの背後から、全身黒ずくめのスタイルにサングラスをかけた、屈強な体格の成人男性が近付いて来る。
子ども達はこの男性と初対面ではないのか、これだけの威圧的風貌にも関わらず、誰ひとりとして逃げ出す気配は無い。
屈強な体格の男性はガジャルドの耳に口を近付け、何やら密談をしていたものの、それ以上の取引の様な行為はなく、やがて駆け足で公園から離れていく。
「怪しいですね……ガンボアさんに連絡しましょう」
バンドーはフクちゃんからの助言に頷きながらも、屈強な体格の男性を、以前何処かで見ている様な気がしていた。
5月25日・16:20
バンドー達とほぼ時を同じくして、シルバはリンの情報を元に、地下室のある廃墟ビルの捜索を開始する。
いずれは警察の手が回るであろうが、今格闘技賭博の現場を突き止めれば重大な証拠や、エスピノーザの隠蔽工作を押さえる事が出来るかも知れない。
「スペインでの仕事が上手くいっているのは、ジェシーさんの情報のお陰ですよ。ありがとうございます」
観光もそこそこに、周囲の街並みに厳しく目を光らせるシルバ。
本来ならばデートとしても成立しそうなシチュエーションなのだが、報酬も無い調査に仕事と変わらない情熱を注ぐ彼には、流石のリンも少々呆れ気味。
とは言うものの、シルバのその嘘の無いストイックさに惹かれたリンだけに、自ら図書館司書として選んだ最後の仕事を評価される事は、彼女にとっても満更ではなかった。
「最初に調べたビルの作業は、改装工事だったんですか?街の外れにあったあそこが本命だと思っていたんですけど……」
リンの情報にある、マドリード市内の地下室付き廃墟ビルは2軒。
人目に付く中心街にある1軒は可能性が少ないと見て、まず街外れのビルを調べようとした2人は、現場の建設作業員に足止めされてしまう。
「多分そうでしょうね。地下室も強引に覗いてみましたが、既に道具が運びこまれていましたし、地下室の雰囲気も、ビデオで観たものとは違いました」
シルバの頭の中には、マドリードの様な巨大都市の中心街に存在する廃墟ビルが、格闘技賭博の会場であるはずがないという常識を、敢えて逆手に取った戦略をエスピノーザが考えているという可能性が常に存在していた。
だが、その為には興味本位の観光客などを廃墟ビルに近付けない対策が必要となるだろう。
その対策とは一体……。
「……あれですね!」
リンが指差す先の廃墟ビルは、丁度中心街の終わりの角に存在し、隣は大型のバイクやギターのオブジェがずらりと並ぶロック・バーになっていた。
ロック・バーの開店時間は夕方からで、長髪に無精髭、更に革ジャン&サングラス姿の不良中年3人が暇をもて余した様に、バイク型のオブジェに跨がりながら缶ビール片手に奇声を上げている。
「ああ〜!私こういう人苦手〜!」
普段はおしとやかな言動が目立つリンが、珍しく青ざめた顔で嫌悪感を露にする。
出来る事なら、誰でも友達にはしたくないタイプの中年であろう。
「……なるほど。始めから一般人が立ち寄り難い雰囲気を作っていたのか……。しかし、この手の人間が、130年もの長きに渡って絶滅していない理由は、改めて研究してみる価値がありそうですね……」
シルバはリンに冗談を飛ばしながらも、トラブルを腕っぷしで解決する事に慣れていそうな男達の相手は、むしろやり易いと不敵な笑みを浮かべていた。
「ジェシーさん、暫く自分から離れて、観光客に紛れていて下さい」
リンをトラブルから遠ざけたシルバは、恐らくエスピノーザ達と何らかの繋がりがあると思われる不良中年に、正面から堂々と接近する。
「……何だ〜?オメエは〜」
定職にも就かず、真っ昼間から缶ビールを飲んで出来上がっている不良中年は、見知らぬ来客に不信感を露にしながらも、何処か緊張感に欠ける雰囲気だ。
「……すみません、この辺りで格闘技で稼げる場所があるって聞いたんですが、知りませんかね?」
シルバの体格と顔付きを見た不良中年のリーダー格らしき白髪の男は、僅かに残っていた缶ビールを投げ捨てて、目前の若者に詰め寄って来る。
「兄ちゃん、凄えガタイだな!賭ける方か?それとも戦う方か?」
どうやら彼等は単なる客ではなく、ロック・バーと格闘技賭博とを繋ぐ仲介役らしい。
酒が入っており、瓶と違って凶器にはならない缶ビールを持っている中年男3人であれば、自分は勝てる……シルバはそう確信した。
「残念ですが、どちらでもありません。強いて言えば……捕まえる方ですね」
「てめえ……サツか!?」
シルバの言葉に激昂した不良中年トリオは、白髪の男の合図と同時に、この命知らずな若者を取り囲む。
「1人で来るたぁ見上げた奴だぜ!バルベルデと同じ目に遭いてえのか!?」
不良中年トリオは腕力では勝ち目が無いと分かっていたのか、ジーンズのポケットから小型のナイフを取り出してシルバを威嚇した。
「……シルバ君!」
観光客の人混みからシルバのピンチを目撃したリンは、駆け足で人混みを脱出し、風魔法を発動させる。
「……うおおおっ……!?」
突然、自分達を取り囲む強風にナイフを奪われた不良中年トリオは、その勢いで互いに激突し、シルバの前に投げ出された。
「ジェシーさん、ありがとうございます!」
リンに一礼する余裕を見せたシルバは、ボディーへの膝蹴りでまずはリーダー格の白髪の男を地面に這わせ、続いて細身の長身黒髪男の顔面にパンチを打ち込み、ダウンへと導く。
「……舐めやがって!」
不良中年トリオの中では一番体格の良い金髪男と正面から組み合ったシルバは、他の2人とは手応えの違う男のパワーに、むしろ充実の表情を浮かべていた。
「なかなかやりますね!」
「これでも格闘技で喰っていた男だからな……。だが、お前もただのサツとは思えねえ……ジャービスを追っているのか?」
金髪の男が口にした、ジャービスという名前に全く聞き覚えの無いシルバは、その男がこの事件の鍵を握っていると直感し、全力で相手を追い込みにかかる。
「……ぐおおっ……!」
元プロ格闘家とは言え、今は真っ昼間から酒に溺れる中年。
2ヶ月前まで軍人だった23歳のシルバに、力比べのスタミナで勝てるはずが無い。
「……はっ!どおりゃああぁ!」
自らシルバの両腕を振りほどき、相手の脇腹にミドルキックをお見舞いする金髪の男。
「……くっ……!」
ミドルキックを左脇腹に受けたシルバは一瞬表情を歪めたものの、これは相手の最後の一撃。
武闘大会で、カムイやバイスから受けた攻撃に比べれば、蚊に刺された様なものであった。
「……はあああぁっ……!」
スタミナが切れてきた金髪男に対し、シルバは左右のローキック連打で相手のバランス感覚を奪っていく。
「……がはっ……!」
両足の痛みに耐えかねた金髪男は、そのまま大地に倒れ込み、物珍しげにストリートファイトを堪能していた観光客を、2人の不良中年が睨み付けて追い返していた。
「……貴方が言っていた、ジャービスとは何者ですか?」
金髪男の顔を覗き込んだシルバは、チーム・バンドーはおろか、特殊部隊のメンバーさえ知らない、その名前を追及する。
「お前、知らないのか……?バルベルデの前に潜入捜査官をやっていた男だよ。格闘技賭博で稼いだ金を虚偽申告して着服しようと企み、捜査官の任務から外された男さ。今は閑職に左遷されたが、代わりに俺達の情報屋をやっている」
「そんな……やっぱり警察内部に内通者がいたんですか……?」
駆け付けたリンをも驚愕させる事実を目の当たりにし、シルバの闘志は俄然熱く燃え上がる一方。
「……隣のビルの地下で格闘技賭博が行われていたんですね……?悪いですが、少し調べさせて貰いますよ」
金髪男に許可とも言えぬ許可を取り、1人廃墟ビルへと歩き出すシルバの背後から、白髪の男からの警告が聞こえて来た。
「……へっ、止めときな!ビル地下はウチの最強の用心棒がトレーニングに使っているんだ。下手に邪魔をしたら、あんたのレベルでもただじゃ済まねえぜ!」
その言葉を受けて、シルバにはその「最強の用心棒」が誰であるのか、おおよその見当は付いていた。
そして、もしその見当が正しいのであれば、その用心棒をいずれは説得しなければならない。
リンにも用心棒の見当が付いていたのか、敢えてシルバを止める事はせず、無言で彼の後に続いていた。
5月25日・16:50
「……リンからだ!」
自身の携帯電話にリンからの着信を確認したバンドーは、あと一歩まで頭に思い浮かびつつあった、屈強な体格の男性の正体を一旦据え置き、慌てて受話器を取る。
「……もしもし、バンドーさん?今、中心街端のロック・バー、『バロン・ロッホ』に来ています。隣の廃墟ビルの地下で、夜に格闘技賭博が行われている事が分かりました!今、シルバ君と一緒に中に入ります!」
リンの話をテレパシーで感じ取ったフクちゃんは、同時進行でクレアとハインツへの回線を開いた。
「……ケンちゃんがいるから、大丈夫だとは思うけど……。俺達もすぐ行くから、ゆっくり時間を稼いでくれ、2人だけじゃ危ない!」
突如として訪れた非常事態に、ある種の胸騒ぎを感じたバンドーは、リンにシルバの使命感を抑える様に要請している。
「私達なら、大丈夫です……!それよりバンドーさん、ガンボアさんに連絡して下さい!エスピノーザ達と内通している情報屋は、ジャービスという男です!」
リンからの情報を受けた瞬間、バンドーの頭にもガジャルドに接触した屈強な体格の男性に関する記憶が甦った。
「……そうだよ!警察署の受け付け担当者だ!あの男がガジャルドに接触していたんだ!」
(続く)