第4話 ティム・ハインツ バンドー、魔法に挑む?
ニュージーランドの農業青年・バンドー、エリート軍人だが除隊待ちの幼馴染み・シルバ、良家出身の秀才女剣士・クレアの3名は、縁あってポルトガルの地で賞金稼ぎパーティー「チーム・バンドー」を結成する事となった。
「チーム・バンドー」の初仕事で体よく大金を稼ぐ事に成功した彼等は、各々の生活環境を整えながら経験と鍛練を積み重ねている。
バンドーとシルバはまず、治安に難のあるポルト郊外のモーテルを離れ、観光地近くのウイークリーマンションで共同生活を始めた。
賞金稼ぎの仕事が無い時は、シルバと顔見知りの元軍人が始めた、観光人力車の日雇いアルバイトに汗を流している。
戦場で両足を負傷し、不屈のトレーニングで義足復活したアルゼンチン出身のフリオ・アルバレス元曹長。
彼が除隊後に計画したリヤカー屋台と、古い日本の観光資料からヒントを得た観光人力車商売は、道路交通規制で日中の短時間しか営業出来ないが、その事が逆にプレミア的価値を生み、日毎に客足を伸ばしていた。
軍からの離脱者や社会復帰を望む元ホームレス等、訳アリな人材が揃う職場。
だがそれ故に、各々の人生経験談が面白いと客からの評判を呼び、バンドーは持ち前の農業ネタや野性動物との好相性を活かして人気者となる。
一方シルバも、その紳士的なキャラクターとイケメンぶりで地位を固めつつ、南米の軍や警察との古いパイプを持っていたアルバレスからスペインの治安情勢を仕入れる等、公私ともに二人はヨーロッパに根付きつつあった。
加えて、ウイークリーマンションとは言え、バンドーとシルバの住所が定まった事により、ニュージーランドの一族の商売も動き始める。
まずはバンドーの実家・バンドーファームからキウイフルーツが届き、現地出身の彼が広告塔となってポルトガルの顔見知りに配る事で、バンドーファームとキウイフルーツの評判が局地的に浸透。
新規メニューを考案していた地元のスイーツ店と、1ヶ月のお試し契約が結ばれる成果を上げる事となった。
これはある意味、農業青年としてのバンドーがヨーロッパで上げた初めての実績と言えるが、そもそもニュージーランドのキウイ出荷シーズンはまさに今。
バンドーにとって、つい先日まで手塩にかけて育てていた作物が、自分の新たな旅立ちの舞台に華を添えてくれるという現実は、得も知れぬ深い感動を呼び起こすに十分なものであった。
続いて到着したのは、今は亡きシルバの両親が設立したシルバセラーからの白ワイン。
所謂テーブルワインで、リースリングの爽やかな果実味を活かしたアルコール分10%のやや甘口なワインは、ワインに厳しいヨーロッパの酒呑みには通用しないだろうと、シルバ本人はヨーロッパ展開に二の足を踏んでいた。
しかし、バンドーのアドバイスで旧知のリスボンFCサポーターに届けた所、誰でも飲める勝利の祝杯ワインとして、意外な好評を得る事となる。
そして後日、バンドーとシルバが改めてリスボンFCを訪れた際、バスジャック犯を撃退した伝説のサポーターへの感謝の意を表したクラブから、2099-2100シーズン1年間のクラブオフィシャルワインとしての限定契約を勝ち取る事に成功したのだ。
大金を得て、自らの夢と生活の設計に一歩前進した女剣士クレアは、現時点での彼女のホームグラウンドであるフランスのボルドー滞在期間更新の為、一時的にポルトガルを離れる。
ポルトガル復帰後は、賞金稼ぎの仕事を意識的に低額賞金・低難易度のものに抑え、25歳で初めて剣を手にした素人剣士・バンドーの育成に力を注いだ。
何しろ、足下に隙があれば、例え剣を持った睨み合いの最中でも剣を捨て、タックルに行く癖が抜けないのである。
しかもそれで勝ってしまう事がままある為、肝心の剣術がなかなか上達しない。
軍隊で格闘技を鍛え上げたシルバがいる限り、バンドーはチームバランス的にも剣術のマスターが必要不可欠。
剣術をメインに戦い、格闘技は奥の手に持っておくレベルが理想的と言えた。
身体は強いが、大きな苦労を知らず心は打たれ弱いバンドー。
そんな彼は、女性差別や名家出身の偏見と戦いながら成長してきたクレアの厳しい指導に何度もへこみ、開き直った格闘家転向や人力車アルバイトの正社員化模索など、何度も楽な方へ逃げようと試みた。
遂には1回逃亡して姿を眩ませた事もあったが、剣術以外で見せるクレアの優しさや、軍の訓練と各地の紛争を潜り抜けてきたシルバの説得で何とか踏みとどまり、やがてボロボロの防具を買い換える頻度は少なくなっていく。
4月26日・10:00
「うわっ! わっかりやすーい。こっちの整理整頓された部屋がシルバ君で、こっちの万年床がバンドーなんでしょ?」
パーティー会議開催の為に2人のウイークリーマンションに呼ばれたクレアは、部屋に入るなり両者の生活スタイルの差に苦笑いを浮かべていた。
「す、すみません……自分がこっちです……」
意外にも、万年床はシルバの部屋。
軍隊の最前線で活躍を続け、この若さで中尉まで階級を上げたシルバにとっては、寝室とは「生き延びる為に休む所」でしかなく、部屋の汚れなど意識すらしない程の劣悪な環境の睡眠に慣れていたのである。
「剣の上司によるパワハラに認定させていただきます!」
バンドーは冗談混じりに断罪し、クレアも勝手な思い込みを謝罪した。
剣術を学んで20日間、とりあえず「ずぶの素人」から「ちょっと不安な入門者」レベルに成長したバンドーをクレアは認めつつも、パワーや間合いの体感上、お手本となる男性の剣士がもうひとり欲しいという本音を持っている。
また、この間の動きとして、観光人力車職員として働く軍OBからの呼び掛けもあり、シルバの除隊が正式に決定した為、彼は晴れてチーム・バンドーのメンバーとなった。
更に、この事に関連して、来月20日にスイスのジュネーブで開催される「EONP欧州会議」に軍部の代表として参加するシルバの義父・ロドリゲス参謀から、この度の経緯説明と謝罪がシルバ本人になされる事が決定する。
恐らく、元軍人のケイロスと軍用犬捕獲の一件が軍の上層部の耳に入り、軍の内紛を疑われかねないゴシップを排除する狙いもあるのだろう。
今日のパーティー会議は、来月半ばにシルバがスイス入りすると仮定し、パーティーの拠点を隣国のフランスやドイツに移す為のプランニングの場として開催されたのである。
バンドーは、元来ゆったりしたマイペース人間である為、折角馴染んだポルトガルから出なけれはいけない事を残念がっていた。
しかしながら、故郷とヨーロッパを結ぶキウイフルーツやワインの契約は、既に会社同士のやり取りに移っており、バンドー個人の出る幕は無い。
また、そもそも厳しい指導に耐えてまで学んだ剣術を活かす賞金稼ぎ稼業を続けるつもりならば、より大きく活動しやすい地域に行かなくてはいけない事は明白であった。
「それじゃあ、始めるわよ……あ、このクッキー美味しいわ……もぐもぐ……皆さん、この度は様々な自己鍛練、ご苦労様でした」
……はいはい、という感じのユルさである。
クレアのお菓子好き、シルバのだらしない寝室など、仲が深まればこそ分かる意外性も、魅力のひとつとなるだろう。恐らく。
「ポルトガルでのチーム・バンドーの活躍は、後半こそバンドーの訓練を兼ねて地味なものになりましたが、この20日間にあたし達が手にした賞金総額は280万CPに達しました! 最初の仕事に特別な値が付いていた事情もあって、こんなに景気の良い月は……んむっ……そうそうありませんので、皆さん貯金を忘れずに!」
……と、ポテトチップスにも手を出したクレアが微妙な説得力を発揮して報告する。
「ケンちゃんはスイスに行くんでしょ? 俺達は何処で待機するのがいいかな?」
バンドーが本題に入った。
恐らく、欧州会議の直前・直後の時期には、余所者の賞金稼ぎであるバンドー達はスイスに入る事はおろか、ドイツやフランスの境界付近をうろつく事すら出来ないだろう。
余裕を持ってスイス入りして滞在期間証明に印をもらっておくか、ドイツ、フランス、オーストリアといった近隣地域で待機するか、どちらかを選択しなくてはいけない。
「あたしのホームグラウンドのボルドーなら、勝手知ったるものなんだけど、スイスからは遠いのよねぇ……」
クレアは、滞在期間を延長したばかりのホームグラウンドに帰れなくて残念そうだ。
「今すぐ決めなくてもいいですよ。結局、いい仕事があるか、仲間が見つかりそうかで滞在する地域も違いますからね」
この一言から、シルバの口からも出た「仲間」の話題に議題はスイッチされる事となる。
「あたしは、戦力的にも、バンドーのお手本という面でも、男の剣士がもうひとり必要だと思う。まずそれが優先で、次に魔導士。魔導士は、攻撃魔法よりも防御・回復魔法に重点を置ける人がベストね。パーティーが5人以上揃えば、相手側の賞金首の人数制限が無くなるわ。つまり、規模の大きな悪党とのデカい仕事がやれるって訳。新しいメンバーも人柄と実力、両方重視したいけどね」
新たな仲間に対する要求は、バンドー・シルバともほぼ一致した。
話を聞いていたバンドーも、魔法を使える仲間に当然興味はあるが、魔法に関しても魔導士に関しても殆ど無知であった為、クレアに質問をぶつけてみる事にする。
「俺が見た事のある魔法は、空気を操って突風を起こし、攻撃を仕掛けた人を転倒させる魔法だったんだ。それを攻撃魔法と言うなら、防御や回復の魔法って、どんなものなの?」
シルバも質問に加わった。
「自分も知りたいです。軍には最先端の科学技術が網羅されていましたが、魔法は分析で分かるものではなかったんです。自分にも魔法の適性があるかも知れないと、軍から様々なテストを受けさせられましたが、自分に魔法は使えませんでした」
クレアは魔導士ではないものの、自分の知る限りの魔法知識を、ゆっくりと丁寧に語り始める。
「魔法っていうものは、あくまで人間と自然の関係によって、自然を利用して生み出すものなの。何もない所に、いきなり兵器や怪物を召喚する事は出来ないわ。空気を操る魔法が強力なら、相手が構えた武器を奪う事は出来るかも知れないけどね。水を操る魔法なら、静かな湖から突然水飛沫で相手を襲ったり、火を操る魔法なら、近くで上がった火種を拡大して炎にしたりとかね。つまり、自然環境のない所から生み出す事は出来ない。それが魔法ね。自然の力を利用するから、自然の少ない土地や環境汚染の激しい地域で魔法を使うのは難しいわ」
バンドーは、ニュージーランドで出会った泥棒・サビッチの事を思い出していた。
彼は魔法を使った時、田舎の大自然で魔法の効果が高まる事に興奮していたのである。
「攻撃魔法と防御魔法は表裏一体ね。相手を吹き飛ばす強風魔法を、自分の周りだけに張り巡らせれば攻撃を跳ね返す盾になるし、魔導士の価値観や信念次第ね。回復魔法というのは高度な魔法よ。空気の分子構造を操って、何もない所に水を生み出して飲ませたり、酸素濃度を高めた空間を作って傷の回復を早めたりする魔法なの。軍にも、打撲や骨折からの回復を早める為の高酸素カプセルがあったでしょ?」
魔法の説明を聞いて、暫し茫然とするバンドーとシルバ。
世界の紛争の最前線で活躍しながら、魔法の存在を実感できなかったシルバは、軍事力による破壊が即ち、自然環境の破壊であった事を今更ながらに悔やむのであった。
「……でも、そんな高度な魔法を使える人が、賞金稼ぎや一般人の枠に収まっているものなの?」
バンドーは、クレアに素朴な疑問をぶつけてみた。
「魔導士を目指して鍛練したり、魔法学校に通う人は沢山いるから、その中には勿論、魔法の力を悪用する人もいるわね。でも、魔法という存在の恐ろしさから、魔法に関係ない職業を選ぶ人も多いの。魔法を、大切なものを守るその時まで封印している人が多いのよ。魔導士として自分の意志で賞金稼ぎに参加している人は、魔法以外に取り柄がないと考えて生活の手段だと割り切っている人か、確固たる自分のルールに基づいて認識した悪党を退治しようとしている人なんだと思う」
魔法というものが、使えない者や見ることのない者に与える影響と、使える者、見ている者に与える影響にこれほどまでに違いがあるという現実を、バンドーとシルバは痛感させられる事となる。
自分達がパーティーに魔導士を勧誘する事で、その魔導士の人生を狂わせてしまう可能性もあるのだ。
だが、例えその現実を知っていても、自らのパーティーに優れた魔導士が欲しいというわがままな本音は一致している。
それは少しでも金を稼ぎたいと言う欲ではなく、賞金稼ぎを仕事としてヨーロッパを生き抜きたいという、人間の本能にも似ていた。
パーティー会議終了後、クレアは賞金稼ぎ組合近くの系列宿舎に宿を取る事で明後日の出発に備え、バンドーとシルバは、観光人力車の仲間達を始めとする、ポルトガルでお世話になった人達に別れを告げに行く。
ポルトガルを発つ直前、エアメールに預けたニュージーランドの一族への手紙には、ポルトガルで知り合った仲間と次の国へと旅をするという報告に、観光人力車に汗を流す労働中のバンドーとシルバ、賞金稼ぎの剣士スタイルで太字スマイルを見せるバンドー、組合から表彰状と賞金を受け取るチーム・バンドー3名の写真が添えられていた。
4月28日・7:00
リスボンからポルトガルを発ったチーム・バンドーは、シルバの承認を得た上で隣国スペインを通過し、クレアのホームグラウンドであるフランスのボルドーへと向かう。
今後の活動を考えれば、パリやマルセイユといった大都市に行った方が良いのかも知れないが、丸1日の鉄道旅行は肉体的・精神的にも厳しい事、クレアがボルドーを熟知している事、ボルドーでも滞在期間証明と賞金稼ぎ組合登録が出来るという理由から、数日この街に滞在する計画の実行が始まるのだ。
チーム・バンドー一行は現在、リスボンからフランスのアンダイエ行きの鉄道列車に揺られていた。
アンダイエからの乗り換えでボルドーに到着という、パリやマルセイユ程ではないが、かなりの長旅である。
ヨーロッパならではの美しい風景を眺める鉄道の旅を、ようやくリラックスして楽しむ事が出来る様になった3人。
バンドーは異国での生活を始めるにあたってのノウハウをポルトガルで学び、賞金稼ぎプラス現地のアルバイトという、基本のライフサイクルも確立させた。
シルバはようやく軍からの除隊を許可され、両親の仇討ちという目的はさておき、新たな人生に踏み込む事が出来るようになった。
クレアは、多額の賞金を手にした事で当面の生活の不安が無くなり、仕事の選択肢が広がるパーティーの結成もあり、自らの夢や目標との距離間を的確に掴める様になっていた。
車窓から見える景色は、こと自然の風景となると、砂漠や海、地域特有の動物や植物以外は世界中で大差無い景色のはずである。
だが、使用するフィルムや録画メディアの違いで映像の質感が異なる様に、その地域の気候・湿度・日照時間等で、全く違った表情を見せていた。
美しい景色を美しいと思える心の平和があるうちは、自然はどれだけ眺めていても飽きる事はないのだろう。
「クレア! クレアは魔法使った事ある?」
バンドーは突然、クレアに視線を向けて問いかけた。
意表を突かれた表情のクレアだったが、ここの所魔法に興味津々なバンドーの様子は彼女も薄々気付いており、やがてゆっくりと微笑みを浮かべて問いかけに答える。
「剣術学校にいた頃、自分が剣術である程度やれると自信が付いた頃に、挑戦した事はあるわ。剣と魔法、両方使えたら最強じゃん! ってね。実際、風で空き缶を倒す位の魔法は使えたのよ。でも……魔法と剣術で使う筋肉や身体の部位が違ったから、剣が上達するにつれて、魔法の習得は諦めたの」
「……それは、どういう事ですか?」
シルバも質問に加わってきた。
「魔法を使う時の基本は、自分の目的や、その目的達成に必要な自然の力を心の中で念じて、そのテレパシーが自然の力に感知してもらえるかどうか、感知してもらえた上で協力してもらえるかどうかなの。それが出来て初めて、自然の力を自らの身体で受け止めて、その力を放出するって訳。でもあたしの場合は、利き腕の右手でしか自然の力を受け止められなくて、しかも剣を捨てないと魔法が使えなかったのよ。剣は光を反射させる材質が多いから、太陽や月の自然光に干渉したのね、きっと」
バンドーは、ニュージーランドで出会った泥棒のサビッチを再び思い出す。
彼は自らの左手に自然の力を受け止め、左手から光を発して魔法を放出していたのだが、自然に干渉しない様に剣から左手を離し、光を反射させる可能性のある腕時計も着けず、自然の力を受け止め易い位置を探るかの様に左手を宙に舞わせていたのだ。
「……なるほど……。仮に自分に魔法が使える事が分かったとしても、自分の身体の何処で自然の力を受け止められるかによって、魔導士としての器量もある程度決まってくる……という事なんですね」
シルバも彼らしく、魔法の仕組みを理屈で理解しようとしている。
「そうね。だから、本当に凄腕の魔導士は、何処から魔法を出しているのか分からないのよ。自らの身体を差し出さなくても、自然と心で繋がっているレベルなんだわ。あたしがバンドーに魔法が使えるかもって言った理由は、あんたが野性の動物や調教された軍用犬ともすぐに馴染んでしまうその力よ。不思議な力よね」
これまであまり意識した事はなく、単純に動物好きの理由のひとつでしかなかった能力をクレアから評価され、光栄な気分からすぐ調子に乗ったバンドーは早速神妙な表情を浮かべ、両手をそれらしく構えながら唸り声を上げた。
なんとなく魔法が使えるかどうかの実験である。
「バカ、そんな簡単に魔法が使える訳ないでしょ! 第一ここは、狭くて自然の空気から遮断された列車の中なのよ? ここで魔法が使える奴がいたら、もうバケモノ級の天才魔導士だわ!」
「……ごめんなさい……」
クレアに一喝され、バンドーは小さくなった太字スマイルではぐらかしながら謝罪した。
一行を乗せた列車は終点、フランスのアンダイエに到着する。
朝から出発したにも関わらず、既に陽は暮れていた。
ボルドーに到着する頃には、もうファーストフードしか食べられないと、久し振りのボルドーワインを堪能したがっていたクレアは嘆いていたが、バンドーとシルバはもう、到着さえすれば野宿でも構わないといった心境であった。
乗り換えホームはゆったりとした設計で、最小限の雨避け屋根の間から星空も見る事が出来る。
ニュージーランドの星空には幾分見劣りするが、世界はひとつの空の下にある。
こうして見知らぬ土地でも空を眺めれば、不安のひとつも薄れていきそうな気分にもなるというものだ。
バンドーとクレアは、列車の最後尾に並びながら、自らが預けた剣の返却を待っている。
当然ではあるが、公共の乗り物に乗る場合、安全確保の為に剣士は剣を預けなければならない。
引き換え券と交換で剣を受け取るバンドーとクレアだが、引き換え券を出す為にバンドーが交換所のテーブルに十数秒置いただけのセカンドバッグは、ほんの僅かの隙を突かれて何者かに盗まれてしまった。
「……!? ないっ! バッグがないっ!」
大声を上げるバンドー。
シルバとクレアも慌てて振り向く。
当時、「スリ大国」等と不名誉なあだ名を付けられていたフランスでの盗難である。
比較的治安の良いニュージーランド暮らしの長いバンドーは、こと盗難への備えに関しては甘い所があると言わざるを得なかった。
「何を盗られたの!?」
「金とかじゃない。金じゃないけど……証明書の類いだよ。ポルトガルでの滞在期間証明と組合登録、実家での身分証。ポルトガルの証明ならすぐ届くけど、ニュージーランドのは何日もかかっちゃう……!」
クレアとバンドーのやり取りを聞いたシルバが叫ぶ。
「乗り換えまでまだ5分あります! 3手に分かれて追いかけましょう!」
3人は、姿も名前も知らないスリを追い掛けた。
……あれから2分が過ぎた。
3人は、勿論全力でスリを追い掛けている。
しかし、この駅の中、スリがまるで捕まえて下さいと言わんばかりに真っ直ぐ逃げ続けてている保証は無い。
何処かに隠れているとしても、誰がスリなのかも分からない。
半ば諦めて乗り換えホームに戻って来たシルバとクレアと距離を置き、何やら意を決したバンドーは背筋を伸ばし、屋根の合間の星空を確認する様に見上げ、最後の賭けに出た。
(風が、風が必要です。俺が失ったバッグを取り戻す風が。俺は、悪党を退治する賞金稼ぎですが、楽な道に逃げたこともあります。でも今、盗まれたバッグには、そんな俺を信じてくれた仲間や、家族との絆の証明が入っているんです。何としても取り返したい、力を貸して下さい!)
バンドーは自然の力に呼び掛ける。
その瞬間、彼の額が蒼白く光り、細く真っ直ぐな風が闇を切り裂かんばかりに一直線にホームを下っていった。
シルバとクレア、そしてバンドー本人も驚きを隠せないまま、その風は周囲の旅人の合間をすり抜ける様にホームを高速で一周し、バンドーのセカンドバッグと、突然手を離れたそのバッグを追いかけるスリの2人組を、猛烈な力で乗り換えホームへと押し戻す。
「なっ……!? アントワン見たか!? 何なんだよ、これはよぉ!」
「ファティのアニキ! バッグが……バッグが飛んでるよ!」
どうやら、この2人組の男が実行犯で間違いない。
小柄な男が30歳くらい、大柄な痩身男は25歳くらいだろうか。
何があったのか理解出来ず、周囲を見渡して狼狽するばかりであったが、その手口の素早さから見て、スリの常連であろう。
バンドーは、朧気ながらに自分が魔法を使えた事を理解しつつあったが、自分の足腰が立っているという自覚はなく、何か得体の知れぬ大きな力によって立たされている様な感覚に陥っていた。
そしてその直後、強烈な疲労と脱力感に襲われたバンドーは、最後の気力を振り絞ってスリの2人組に警告を発する。
「……もう、こんな事は、しないで下さい……」
4月28日・23:00
「……バンドー! 気が付いた?」
クレアの呼び掛けを理解したバンドーが目を覚まし、ぼんやりと周囲を見渡し始めると、隣で安堵の表情を浮かべたシルバが口を開いた。
「良かった……バンドーさん、自分達が分かりますか?」
「……ケンちゃん……ここは?」
何やら心電図等、医療器具が見えるが、病院程の設備は揃えられていない様子である。
何処かの休憩室だろうか?
「ボルドーの賞金稼ぎ組合よ。あんたが魔法を使った後、眠る様に倒れたもんだから、魔導士に詳しい組合のドクターに電話したの」
クレアの説明を聞いているバンドーに、何者かの影がゆっくり迫ってくる。白衣の男性だ。
「私はフランス賞金稼ぎ組合付きの医師、リュドビク・ローランです。私自身も昔、魔導士でしたから。貴方は、生まれて初めて魔法を使った人特有の、眠り病の症状が出たんですよ」
眠り病とは、生まれて初めて魔法を使った人間が、そのパワーと自分の体力との折り合いを付けられずに、強烈な疲労と脱力感から深い眠りに入ってしまう病気で、魔法学校の学生にはよく見られる症状らしい。
この病気は全く命に別状が無く、血圧や呼吸にも乱れがない為、ローランのアドバイスを受けたシルバが、バンドーを担いで列車を乗り換え、目的地のボルドーまでそのまま到着したと言う。
「そうだったんだ……。やっぱり俺、魔法が使えたんだ……。とにかく無事にボルドーに着いて良かった。ケンちゃん、クレア、先生、ありがとう!」
バンドーは、まだ幾分スッキリしない頭で皆に感謝の意を表した。
「ただ……バンドー君はがっかりするかも知れないけれど……」
「……? 何ですか? 先生」
ローランへのバンドーの疑問に、シルバが代弁して答える。
「……眠り病を発症する魔導士は、一世一代の大魔法を発動させてしまった可能性が高く、発症者の大半はその後、魔法が使えなくなってしまうんだそうです……」
「勿体無いわね……バンドーは額から魔法を出していたから、剣や格闘と両立出来る可能性もあったのに……」
バンドーはシルバやクレアの言葉を聞き、何となく残念には感じたが、元来魔法が使えた記憶も手応えも希薄であった為、あっさりと吹っ切れた対応を見せた。
「いやあ、別にいいよ。俺の本業は剣士兼格闘家だし、魔法に挑戦したかったら自分は大半の例にも当てはまらない男なんだと信じて鍛練すればいいんだよ。パーティーに早く本業の魔導士を誘おうよ」
「……あんたの本業は、農業でしょ!」
クレアの泥臭いツッコミが、何となくお洒落なボルドーにこだまする。
結局、バンドーはこの組合の医務室でこのまま一泊する事となり、クレアをここから程無い自宅のウイークリーマンションへと送ったシルバは、組合隣の宿舎に一泊する事となった。
明日の朝は、ここで待ち合わせである。
4月29日・9:00
朝食を宿舎で取り終えたチーム・バンドー一行は、散策がてら賞金稼ぎ組合の敷地に出ていた。
シルバは隣接する剣術ショップで、ポルトのショップよりは高級な投げナイフを3本、やや妥協気味に購入している。
結局、クレアも自室から組合の食堂に合流したのだが、彼女は意外に家庭的で、疲れや仕事がなければ自炊するタイプの女性らしい。
しかしながら、昨夜彼女を送ったシルバによれば、女性の多いマンションで入りづらかった為、ボルドー滞在中のパーティー会議は組合で行われる事になりそうだ。
ボルドーはその立地上、南部の日照時間が長めで、組合の敷地は賞金稼ぎ連中に限らず、散歩に出る高齢者やサッカーに興じる子ども達の姿も見られる、和やかな雰囲気に溢れている。
「起きたばっかりなのに、何だかまた寝ちゃいそうな快適さだね」
昨夜は必要以上に眠ったはずのバンドーが、クレアを横目に語りかけた。
「田舎ではなく、大都会でもない。鉄道が豊富で移動も楽だし、組合もあるし、やっぱりワインが美味しいのよね」
そう言って、クレアは自分のホームグラウンドにボルドーを選んだ理由を明かす。
ボルドーと言えばワイン、というイメージだが、先の大災害の影響が無かった訳ではなく、事実いくつかの農地は洪水から浸水し、移転を余儀無くされていた。
その影響で品質や味が落ちたと言われた時期もあったが、現在までボルドーワインのブランド価値は落ちていない。
これが所謂「テロワール」という奴なのであろうか?
ヨーロッパでは、食前酒として未成年からワインに親しむ者も多く、ブルガリアの良家の娘だったクレアも例外ではなかった為、20代前半にして無類のワイン好きであった。
ちなみに、シルバセラーのやや甘口のワインも、リスボンFCに届けたもの以外は殆ど彼女が飲み干したらしい。
「ポルトの組合とは規模が違いますね。フランスやドイツなら、頼もしい仲間が見付かりそうな気がします」
サッカーに興じる子ども達のボールを拾った縁で、サッカー好きのシルバが子ども達のゴールキーパーを買って出た。
ブラジルの血が流れる身長190㎝のシルバは、子ども達から見ればかなりの「本格派GK」である。
「頼もしい仲間ねぇ……。うん……あたしの知り合いにも、腕の立つ剣士はいるんだけどね……」
瞳を逸らして何となく歯切れの悪い話を切り出すクレアに、バンドーがひと押しを試みた。
「え? いるんだ! その人に連絡取ってみてよ」
どうせなら、知り合いの方がパーティーに馴染みやすい。誰もが考える事である。
クレアは少々複雑な表情のまま、ゆっくりとその人物について話し始めた。
「あたしの剣術学校時代の同級生でね、お互いにひとりで割りの良い仕事を探していたから、やったらめったら鉢合わせする腐れ縁の奴なんだけど、性格がね……」
「悪いの?」
「ぶっちゃけね」
バンドーとクレアのやり取りから、軍に長く所属していたシルバの脳裏にも何となく、「腕は立つが性格に難ありタイプ」の人物像が浮かんできている。
「実力は凄いのよ。そいつは学校でダントツで、あたしはどんなに頑張っても2位だった。ただ、子どもの頃から苦労していて、才能を努力で伸ばしてきた奴だから、自分にも他人にも厳しいの。まあ、それは仕方がないんだけど、曲がった事や建前が嫌いで、目上の人にも喧嘩を売るし、とにかく空気が読めない奴なのよね……」
話を聞いていたバンドーは、腐れ縁というキーワードに着目していた。
「そんなにやたらめったら鉢合わせする仲なら、もうボルドーに来てるんじゃない?」
バンドーにからかわれ、クレアは激しくヘドバンしながら全力否定する。
「それは無いわ! この前滞在期間延長で戻った時は、暫くドイツで稼ぐって言ってたし……ああぁ!?」
突然、腰砕けな悲鳴を上げて膝をついてしまったクレア。
驚いて彼女の視線の先を追ったバンドーとシルバが見たものは?
そこには、金髪の剣士らしき青年が入念にストレッチを行う姿があった。
年齢はバンドー達と同じくらい、剣の位置からして左利きと思われる。
やや細身で、身長はバンドーより僅かに高いくらい。
ブルーの瞳で、ここから眺める限り、なかなかのイケメンである。
「……あいつだわ」
クレアは絞り出す様な声で呟いた。
「……あの人が、クレアの知り合いの剣士なの?」
バンドーとシルバもクレアの元に集う。
そして、クレアの存在に気付いたらしいその金髪の青年は、こちらに近付いて来た。
「クレアか? どうした? 男を2人もたぶらかして」
「たぶらかして無いわよ! あんたこそわざわざこんな所まで、何しに来たのよ?」
いきなりコントである。
既に自分達が来てはいけないレベルの世界を見せられて、バンドーとシルバは尻込みした。
「俺だって、昨日まではこんな所に来るつもりは無かったぜ。でも、割りの良い仕事を請け負った奴が、急病で来れなくなったって言って、わざわざ俺の所に連絡が来たんだ。俺くらいのレベルじゃないと出来ねぇ仕事って事なんだろ?」
やや高く、張りのある声で堂々と話す為、言葉の中身程の嫌味さは感じないが、とにかく凄い自信である。
「……紹介するわ。こいつがティム・ハインツ。剣術学校時代からの腐れ縁よ」
肩を小刻みに震わせながら、金髪の剣士を紹介するクレア。
「お前ら、クレアの仲間か? 俺は名前と見た目でドイツ人だと思われているが、間違えるなよ。チェコ人だからな! ドイツ語は喋りたくねえんだ」
出会い頭からハインツの圧力に圧倒されながらも、バンドーとシルバはとりあえず自己紹介する。
「ど、どうも……レイジ・バンドーです。まだ初心者ですが、剣士やってます」
「自分はケン・ロドリゲス・シルバです。格闘とナイフが本職です」
ハインツはやや怪訝そうに2人を眺め、クレアに状況を訊ねた。
「……お前、パーティー組んだのか?」
黙って頷くクレア。
「……ちっ、孤高の女剣士も所帯持ちか。随分丸くなったな」
「あんたこそデカい仕事したいんだったら、いつまでも意地張ってないで仲間を作れば? 今のあんたがどんなに強くても、2人組までしか賞金首を相手に出来ないんでしょ?」
やや感情的に突っかかるクレアには、今のハインツがプライドに拘る余り、力をもて余している様に感じられていた様子である。
賞金稼ぎ組合のルールにより、賞金稼ぎパーティーの人数を2人以上上回る賞金首を相手にする事は出来ない。
賞金稼ぎの安全性確保の為であった。
今のハインツでは賞金首を2人までしか相手に出来ないが、彼がチーム・バンドーに加入すれば、賞金首を5人まで相手に出来る。
5人の小物では意味がないが、少なくともバンドー以外はそれなりのレベルの相手と戦える目処が立っていた。
最後に魔導士を加えてパーティーを5人以上にすれば、相手に出来る賞金首の数にも制限が無くなり、クレアが目指すパーティーの最終形が完成する。
「ま、お喋りは仕事の後だ。すぐ戻って来るからよ。お前らも、せいぜい良い仕事探すんだな」
チーム・バンドーに背を向け、ハインツがその場から立ち去ろうとした時、クレアが彼を引き留めた。
「ちょっと待って。代役を頼まれたんでしょ? 誰から何を頼まれたの?」
「何だ? そんな事どうだっていいだろ……確か、ピエール・ルッソって奴だ。フランスではそこそこデキる剣士なんだろ? 災害から手付かずの住宅地跡から、当時の先端機器の部品を盗む奴がいるって話で、そいつらを捕まえろって事」
ハインツからその名を聞くと、クレアの表情は曇っていく。
視線を一瞬逸らし、クレアは再びハインツと目を合わせる。
「ルッソ……悪い噂も聞く男よ。気に入らない賞金稼ぎを悪党と共謀して始末しているなんて話もあるし……」
シルバも、思い出した様に情報を提供した。
「自分が軍にいた頃、軍の廃用品を横流ししていたヤミの武器商人を捕まえた事があります。ジョルダン・ルッソ……親族かも知れません」
ハインツは次々と提供される不審な情報に驚いた表情を見せたものの、仕事の前の雑音を振り払う様にクレア達を制止する。
「うるせぇなあ! 悪党は2人だ。ルッソがグルだったとしても3人だろ? 囲まれる様な場所で戦わなきゃ大丈夫だよ!」
ハインツはそう言い残すと、組合の敷地から離れた住宅地跡へと消えて行ってしまった。
「シルバ君、後を追うわよ! バンドーは組合からルッソの情報を集めて、あたしの携帯電話に連絡して!」
「分かった!」
クレアとシルバは住宅地跡へ、バンドーは賞金稼ぎ組合へと、それぞれ駆け出して行く。
先の大災害で倒壊した、ボルドー南部の住宅地。
比較的富裕層の多い住宅だったはずだが、人手、予算、諸々の不足で廃墟のまま手付かずのその地域は、街のならず者達の溜まり場となり、周囲の治安も悪化の一途を辿っていたと言われている。
そこで、自治体が安価で手離したその周囲の土地を賞金稼ぎ組合が買い取り、関連施設を建設した事で賞金稼ぎの雇用、治安の改善がもたらされる事となった。
だが、更なる富を求めて暴走した一部の賞金稼ぎが、かつてそこを隠れ家としていた悪党達と手を組み、災害以前の世界を知る貴重な手がかりとして価値が高騰した、電化製品の廃品を盗んでいるという噂話が流れ始める。
更に、自分達の邪魔をする正義感の強い賞金稼ぎや、高所得の賞金稼ぎを狙った犯罪を犯しているという噂までもが、近年まことしやかに伝えられていた。
今日、賞金稼ぎ組合の敷地では平和な日常風景が展開されており、離れの住宅地跡は「近寄りさえしなければ」何もない土地である。
逆に近寄る人間には、覚悟を決めたそれなりの理由があるのだ。
「ピエール・ルッソの代役で仕事を依頼されたティム・ハインツ……うちの記録には、そんな事実はありませんね。そもそも今日は、住宅地跡での仕事は予定されていません」
組合に駆け込んだバンドーが耳にしたのは、意外な事実である。
「ピエール・ルッソは、今月の25日をもってボルドーの賞金稼ぎ組合を脱退しています。担当オペレーターの話によると、ルッソの前職であるエンジニアに復帰するとの話でした。公式記録による最後の仕事は、4月23日、パーティー仲間2人を連れたナントでの逃亡犯捕獲ですが、逃亡犯の死亡により賞金が減額されており、本日まで賞金の受け取りに顔は出していません」
ルッソ本人にも連絡は取れず、焦りの色を隠せないバンドーは、更にオペレーターに問いただした。
「その、ルッソのパーティー仲間2人に連絡は取れますか?」
オペレーターが電話連絡を試み、受話器からスピーカーに音声を切り替える。
「……この電話番号は、現在使われておりません。番号をお確かめになって……」
流れる音声に、みるみる内に顔色が変わっていくオペレーター。
「今、俺のパーティー仲間も住宅地跡に行っています。ルッソが犯罪に関与していた場合、必ず連れて来ます! 対応宜しくお願いします!」
バンドーはそう叫ぶと、脇目も降らず外へと飛び出して行った。
ルッソに指定された住宅地跡に到着したハインツは、辺りを入念に見回している。
54年前の災害の凄まじさを目の当たりにする光景が、ほぼそのまま残されており、未だ人骨のひとつやふたつは眠っているかも知れない。
周囲に大きな黒い輪を描くカラスの大群。
この地で人間が活動し、食糧のおこぼれにありついているという事実の証明であるが、それ以上の、まさにどす黒い恐怖を演出していた。
原型を留めない建物が積み重なる事で、窃盗するにせよ、格闘するにせよ足場は悪い。
通路に連れ出してひとりずつ始末するつもりだったハインツだが、寧ろ相手からの遠隔攻撃に備えるプランが必要となっていた。
「クレア? バンドーだ。これはルッソが仕掛けた罠だよ! ルッソはもう、賞金稼ぎを辞めている。自分が利用した仲間も、恐らく始末している。奴は元々エンジニアで、これは俺の推測だけど、廃品を盗んで売り飛ばす立場から、自分で再生してデカく稼ぐ方向に転換したんだと思う! 危険だからハインツをひとりで戦わせない様にしてくれ!」
クレアへの連絡を終えたバンドーだったが、ここから先、広い住宅地跡の何処に行けば良いのだろう?
自分はまだ剣士として未熟であり、得意な格闘も通用するレベルの相手ではないかも知れない。
クレアからは組合での待機を命令されたが、どうにも気持ちが落ち着かない。
ふと周囲を見回すと、自らの足元、頭上周辺を数羽のカラスが彷徨いていた。
カラスはバンドーに警戒心を抱かないのか、穏やかな様子で小さな鳴き声を上げている。
こうして聞いてみると、酔っぱらいのおっさんみたいな声をしており、バンドーの緊張感が些か削がれる。
しかしながら、カラスの集まる所には他の動物の活動がある事はほぼ確実だ。
カラスはゆっくりと、バンドーが追いかける余裕をわざと与えるかの様に飛び立ち、バンドーも彼等の行動に賭け、後を追う事にした。
ハインツの後を追っていたクレアとシルバも、ようやく住宅地跡に到着する。
ハインツは既に警戒用の立ち入り防止柵を剣で破って数十メートル先に行っており、危険を伝える為に大声を出す事には最大限の注意を払わねばならない状況だった。
クレアは援護に備えて剣を抜き、シルバは購入したばかりの投げナイフをポケットの中に握り締めて有事に備える。
「おいコラァ! 窃盗は捗ってるか? 泥棒以外に、俺に用のある奴はいるかぁ?」
あまりにも率直なハインツの雄叫びに、クレアは一瞬頭を抱えたが、一度大声が放たれた事で、クレアは躊躇なくハインツを呼び止めた。
「ハインツ、下がって! これはルッソの罠よ! 今のあいつはもう賞金稼ぎじゃない、死の商人だわ!」
「下がったら有利になるのかよ!」
ハインツはクレアの制止を無視して、一歩前に駆け出していく。
すると突然、廃墟の山の中から1本のナイフらしき物がハインツ目掛けて飛んで来た。
ハインツは右足に重心をかける所をわざと見せつけて駆け出していた為、左手側から攻撃が来るのは分かっていた。難なく左手1本で剣を握り、飛んで来たナイフを弾き返す。
「……!! 凄い!!」
シルバもこの行動でハインツの実力の程を察知し、クレアとともにハインツの援護の為に駆け出した。
これで相手側は、3方向への攻撃プランの再構築を迫られる。
「……余計な事しやがって……固まるな! 距離を取れ!」
ハインツは若干の悔しさを滲ませつつも、すぐさま目の前の戦況に集中した。
第2弾のナイフが、防具を持たないシルバを狙って飛んで来る。
「OK!」
シルバはハインツを攻撃に専念させる為に安全確認済の声を出し、自らはナイフの落下地点を予測した後退でこれを避け、自らの足下2メートル先に刺さったナイフを拾い上げ、自分の武器に加えた。
「こいつ……なかなか良いナイフだな」
「……おらあぁぁっ!」
2度のナイフ攻撃で相手の位置を読み切ったハインツは、廃墟の間の窪みに飛び込み剣を振り下ろす。
窪みに隠れてナイフを投げていた、黒人ギャングらしきファッションの男の大腿部に一撃を喰らわせると、鈍い音の後から血が流れ出したが、急所を外して浅い刺し傷に止めた。
「血は自分で止めな」
ハインツはそう言い残すと、黒人ギャングにわざと背を向け、足を引き摺りながら立ち上がって背後から拳を振りかぶった男のみぞおちを剣の鞘でひと突きし、男をその場に崩れ落とさせる。
その頃、バンドーはカラスの導きをうけながら現場に到着したものの、やや冷静さを失ったギャング側が思い切った攻撃を見せていた為、緊張で足がすくんでしまっていた。
これは、彼が今まで経験した格闘とは違う。賞金を稼ぐ剣士の戦いだ。
「ちっ……おい、バンドーとか言ったな! 怖じ気づいたんなら帰れ! ボケっと突っ立ってると死ぬぞ!」
ギャングの鉈を剣で受けながら、ハインツはバンドーに説教する余裕までも見せる。
クレアはナイフ攻撃を避けながらハインツの近くに駆け寄り、背後からハインツを襲うギャングの肩口を切りつけてよろめかせ、そのギャングは坂道を転げ落ちる様にバンドーの元に落ちてきた。
「わわっ!どうしよう?」
バンドーが狼狽していると、相手が弱そうと気付いたギャングは負傷を押してバンドーに襲い掛かる。
「……くっ……! このっ!」
慌てたバンドーは剣を鞘ごと身体から引っこ抜き、刃を出さないままギャングの頭を何度も叩いた。
「きゅうー」
元来パワーだけはチームナンバーワンのバンドーだけに、ギャングは大きなたんこぶと少々の鼻血を出してぐったりする。
傍目には楽勝に見えるが、バンドーが旅に出てから初めて命の危険を感じた瞬間であった。
「バンドーさん! 落ち着いて、クレアさんに教わった基本です、基本!」
シルバはナイフ攻撃を避けながら、時折自らの放つナイフで確実に相手の動きを止め、廃墟の山脈を登って行く。
視線の先には、比較的綺麗に整理された住宅の歪んだ入口があり、そこに盗品と金、更にはルッソも潜んでいる可能性が秘められていた。
「何だ! お前の弟子か? 道理で使えないと思ったぜ」
「うっさいわね、ボケ! あんたも新米の頃は緊張したでしょ!」
夫婦喧嘩レベルの口論を続けながらもギャングと戦えるこの2人、やはり剣士としてはかなりのレベルにある。
出来る事なら、自分のパーティーに欲しい。
腐れ縁の意地の張り合いを乗り越えて、両者の歩み寄りが始まる瞬間だったのかも知れない。
一方、バンドーは剣術の基本に沿って、負傷を押して最後の抵抗を見せるギャング達を峰打ちで丁寧に気絶させていった。
そんなバンドーの落ち着きを評価したのか、一列の輪をなして群がっていたカラスのうち数羽が、バンドーの周囲に降りてくる。
カラスに囲まれたバンドーは、無邪気に微笑みながら彼等に挨拶を交わしていたが、部外者からすれば、今のバンドーの姿は間違いなく死神に見えていた。
「やれやれ……3人どころじゃなかったな。お前らがいなかったら危なかったぜ。サンキューな」
最後のギャングを倒したハインツは素直に感謝の意を示し、疲れ果てていたそのギャングを介抱する。
「お前ら、誰かに雇われたんだろ。白人か? いくらで雇われた?」
観念した様子のギャングは、ハインツの問い掛けに息を切らして答え始めた。
「……ルッソだよ。奴は始めのうちは廃品の横流しだけだったけど、自分で直して売る様になったら態度が変わったんだ。前は50000CPだった報酬も、今は10000CPまで下げられちまった」
話を聞いたハインツは、ルッソの非情さだけではなく、ギャング達の不甲斐なさにも苛立ちを隠せず、眉間にしわを寄せ、口を歪めながら詰め寄って行く。
「お前らどうせ、学歴もない黒人にはロクな仕事がねぇって言い訳してんだろ? でもよ、チェコからドイツに来た白人の俺らにも、ロクな仕事は無かったよ。学者肌だったのに、無理して剣士になった親父の背中を見て、俺も剣士になったんだ。まあ、正義の意味が違うだけで、俺とお前らは同類だけどよ。もっとよく考えろ」
悪党を悪党と見なす事なく、自身との比較に冷静な判断力を持ちながらも、必要以上の情けは掛けない。
この一言で、チーム・バンドーから見たハインツへの評価は急上昇した。
クレアも、シルバも、叱られたバンドーでさえも、ハインツをパーティーに迎えたいと願う様になっていた。
「みんな! この入口が怪しい! ルッソが隠れているかも知れない!」
廃墟の中で整理された入口を見つけたシルバが、パーティーを呼び寄せる。
バンドーは必然的に、カラスを引き連れたまま駆けつける事となる。
「……おい! 何なんだよバンドー! 俺カラスは大嫌いなんだよ! さっさと追っ払え!」
ハインツの意外な弱点を察知し、クレアは無意識の内に悪戯っぽい微笑みを浮かべていた。
「そう言えば剣術学校でも、犬に絡まれて半泣きになってたわよねぇ……まさか動物全般が……」
バンドーは、ハインツに対して有効な武器を手に入れた!
「ルッソ! 出てこい! たかが10000CPでお前を守るために身体を張ったギャング達に誠意を示せ! 俺達も金が欲しいからな、お前を殺しはしねぇよ!」
ハインツが入口から呼び掛けると、ルッソが恐る恐る姿を見せる。
かつては名の知れた剣士だったが、悪事を働くようになってからはギャング達に戦いを押し付けていたらしく、度の強い眼鏡を掛け、幾分筋肉の落ちた細身の身体になっている。
ヘルメットと防具は盤石だが、剣やナイフは持っていない様子だ。観念したのだろうか?
「分かった分かった、全くついてねぇな。プライドが高くて絶対ひとりで仕事に来るから、数を雇えば潰しやすいって事でお前を呼んだのに、仲間がいたとはな。お前、嫌われてるぜ? 元賞金稼ぎの悪党どもから討伐資金も集まったくらいだからな」
「ほう、そいつは光栄だね」
ルッソのぼやきに笑顔で応えるハインツ。
クレアやシルバも、ルッソの様子を見て余裕から脱力したその瞬間、ルッソは背後に隠し持っていたスプレーを彼等に吹き付けた。
「うわっ……何だ!?」
「眼が……眼が痛いわ!」
突然、激しい眼の痛みに崩れ落ちるハインツ、クレア、シルバ。
どうやら、殺虫剤の様なものをルッソが独自に製造したらしい。
「ハハハッ! 昔の人は凄ぇよなぁ! これでデカいゴキブリもイチコロだそうだぜ! でもよぉ、50年前の人間に俺が負けるなんて、我慢出来ねぇよ。折角エンジニアになったのに、50年前の方が今より便利な世の中だなんて、悔しいだろ? 何が自然との共存だ! 何がワン・ネイションだ! もう、そんな時代じゃねぇんだよ! じゃあな!」
捨て台詞を残して、ルッソはひとり逃げ延びようとしている。
自らの盾になったギャングを見捨て、窃盗品で固められた秘密基地も捨て、ひとり逃げ延びようとしている。
カラスを疎まれて距離を取っていたバンドーだけが今、ルッソを捕まえる事が出来る。
バンドーは走った。全力で走った。
そして、無意識のうちにカラスに目で合図し、剣に手をかけていた。
「行けえぇっ!」
バンドーの魂の咆哮とともにカラスが勢いよく飛び立ち、ルッソの背中に追い付くと、そのまま一気にくちばしで背中をつつく。
予期せぬ痛みに思わずバランスを崩して転倒するルッソに、剣を構えて飛び上がるバンドーが迫っていた。
ガキイィィン……
バンドーの剣はルッソのヘルメットを直撃し、中央から真っぷたつに割れたヘルメットを上目使いに確認したルッソは、そのままショックで気を失う。
安堵感と充実感に包まれながら立ち尽くすバンドーを見守りつつも、自らの役目を終えたカラス達は、やり遂げた男の顔で大空へと帰って行くのであった。
4月29日・13:00
組合に戻ったチーム・バンドー一行とハインツは、ルッソとギャング8人分の報酬として、80万CPを受け取る。
本来、この仕事の依頼はルッソの自作自演に過ぎなかったのだが、黒人ギャング達が引退を決意して治安改善に貢献した功績と、ルッソとギャングとの関係の把握を怠っていた組合の謝罪がプラスされ、賞金が出されたのだ。
また、その後の調査でルッソがかつてのパーティー仲間や逃亡犯を殺害していた事、黒人ギャング達を自ら集めた部品で製造した武器で脅していた事等も判明し、かなりの重罪に処されるであろう事が確定する。
この仕事が正式な要請であれば、200万CP並の高収入を得ていたであろう。
「ハインツ……あのね……」
何やら言い辛そうにクレアが詰め寄る。
ハインツをパーティーに勧誘しようと、タイミングを伺っているのだ。
「……ああ、いいぜ。お前らがいなかったら、この賞金も無かっただろうしな。長居するつもりはねぇが、俺も協調性とやらを学ぶ歳なのかも知れねぇしな」
……今更遅えよ!
「ティム・ハインツ、今日からチーム・バンドーに加入するぜ。クレアやシルバはともかく、バンドーって奴はちょっと鍛えなきゃダメみたいだしな」
クレアとしては、まさに狙い通りの剣士加入である。
性格の問題はいつか解消される。多分。
仲間への厳しさ、悪党への優しさ、それらが必ずチームに必要になる時が来るであろう。
チーム・バンドーも、後は魔導士のポストを残すのみとなった。
カラスとの密接ぶりを改めて確認したクレアも、バンドー本人も、恐らくはまだ魔法を諦めてはいないはずだが、それはお手本になる魔導士がいてこその話である。
金銭的に余裕の出来たチーム・バンドーは、これから仕事をセーブし、数日間をフランス観光に充てる事となった。
新たな出会いや名所への期待で、パーティーには充実した日々が訪れるはずだった。
(続く)