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バンドー  作者: シサマ
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第38話 汚れた英雄はまだ生きている (後編)


 5月23日・17:30


 病の為に定時退社が認められているマグヌソンは、チーム・バンドーを連れて、自らの暮らす賞金稼ぎ組合の社宅前に到着する。


 「今、エミールは私の部屋に呼び寄せている。財団に心配をかけ続けた今のあいつが、お嬢さんに会いたがっているかどうかは分からないが、折角のお客様を無下に帰す訳にもいかないからね」


 マグヌソンの言葉を耳にして、取りあえずスベンソンの無事を確信出来たクレアから安堵の表情がこぼれていた。

 

 「……副所長まで偉くなっていたら、高層マンションとか、もっといい住まいに引っ越すもんだと思っていたけど……」

 

 職業柄、組合の社宅には最低限のセキュリティーは装備され、警備員らしき人間の姿も窺える。

 しかしながら、既にそれなりの社会的地位と収入のあるマグヌソンが、未だ家賃の安い社宅に留まっているという現実に、バンドーは少々面喰らった様子である。


 「私はもう、そこまで長くは生きられないだろう。頭が禿げていないのは抗ガン剤治療を辞めたからだよ。とは言え、保険があっても治療費はそれなりにかかる。エミールの援助の為に貯金もしている。安くて安全な社宅以上の環境は無いだろう?」


 まるで悟りを拓いたかの様なマグヌソンの達観ぶりに、チーム・バンドーの面々は、改めて彼等の絆の強さに感銘を受けていた。


 「……お嬢さんには話していなかったか……。私とエミールは孤児で、親の顔も知らない。赤ん坊から18歳まで同じ孤児院で育ったんだ」


 「えっ……?」


 自身も初めて知る事実に、思わず声を漏らすクレア。


 「……孤児院とは言え、当時私とエミール以外は全員歳上。いじめや差別もあったんだよ。私とエミールは、たった2人の家族さ……」


 既に乾き切っていた悲哀を、ふと思い出したかの様に懐かしむマグヌソンの独白。

 その姿に周囲が言葉を失っていたその時、社宅の入口を自ら開いて身を乗り出す、1人の男性の姿があった。


 「ヴェルンド、さっき電話で話していた賞金稼ぎってのは、そいつらか?」


 頭髪も寂しい小太りの、還暦に手が届きそうな風貌。

 くたびれたスーツ姿からはやや哀愁が漂うものの、その表情からは生気が十分に感じられ、人情味のある雰囲気を醸し出している。


 「……紹介するよ。今回の仕事のパートナー、バレンシア麻薬取締り班のラモス刑事だ。治安が悪いスペインでは、ろくでなしな警官も沢山いるが、彼は退職間近にして、1度の汚職も無い本物の刑事さ」


 「……よせ、たまたま運が良かっただけだ」


 マグヌソンからの称賛を即座に否定したラモスは苦笑いで首を振り、掌を前に突き出して一同を制止した。



 「……マ、マーガレット様!?」


 マグヌソンの帰宅合図である、チャイムの2度押しを聞いて玄関の鍵を開けたスベンソンの目の前に立っていたのはクレア。

 突然の出来事に、スベンソンは驚きを隠せない。


 「……6年振りね、エミール。無事で良かった。どうして黙って出ていったの?マグヌソンさんならあたし達も知っているんだから、事情を話してくれれば良かったのに……」


 自身の感情を抑えられず、玄関先で早くも言葉を畳み掛けるクレアの肩を、背後で見守るハインツが軽く叩いた。


 「……少し落ち着け。女のそんな所は男には逆効果だ」


 (おいおい、お前が言えた柄かよ……?)


 つい先程ハインツに喰ってかかられたバンドーは、隣のシルバと目を合わせながら苦笑いを浮かべる。


 「……まあまあ、時間はたっぷりある。何なら空いてる社宅の部屋に泊まってもいい。ゆっくり話をするんだな」


 副所長の権限か、余命短き者への配慮か、マグヌソンはかなり優遇された立場らしい。


 「ありがとうございます。でも私達は、先程組合近くのホテルを予約しました。分散して、何かがあった時は互いの居場所に駆け付けられる様にしておくのがベストだと思います」


 リンは自身の携帯電話をそれとなく掲げ、互いにプランを練っていたであろうシルバも、親指を立てて彼女に感謝の意を示した。


 「……すまないね。早速だが、私達は計画を話し合いたいと思う。お嬢さんとエミールは、隣の部屋で旧交を温めておくのも良いだろう。互いに誤解を抱えたままでは良くないからね」


 「……すまん、ヴェルンド。恩に着るよ」


 スベンソンはクレアと目を合わせ、リハビリの為に鍛え上げた逞しい上半身を駆使して、自身の車椅子を走らせる。


 

 「……その剣……。マーガレット様はやはり、剣士になられてしまったのですね……」


 クレアの腰に吊るされた剣を眺めて、大きくため息をつくスベンソン。

 彼女を自分と同じ道を歩ませる事に反対していた彼は、クレアが剣士学校入学を控えていた6年前にも、最初は彼女に反抗的な態度を取っていた。

 

 自身からアルコールを取り上げようとしていた事だけが、クレアへの反抗の理由では無かったのである。


 「……ごめんなさいね、エミール。あたしが考える貴方への恩返しは、貴方の言う事を聞く事じゃないのよ。貴方の言葉を思い出して、最近魔法の練習も再開したわ。でも、誰かを助ける回復魔法は習わなかった。あたしはそういう女なんだと、諦めて欲しい」


 自らに葛藤はあるのだろう。

 クレアは少々照れくさそうに笑みを浮かべ、スベンソンと目線を合わせる為、彼の前に跪いた。


 「……私は6年前、マーガレット様と財団の援助のお陰で、一度は立ち直りました。でも実は、あれからも時々隠れて酒を飲んでいたんです。すっかり汚れてしまった私の目を覚まさせてくれたのは去年、ヴェルンドが2度目のガンを患い、今度は厳しいと知った時でした」


 そう言って、一時的に視線を逸らすスベンソン。

 やがて意を決した様にクレアと向き合った彼は、強い口調で言葉を紡ぐ。


 「……クレア財団が権利を譲る事になったと、私も聞きました。私がヴェルンドの誘いに乗ったのは、復讐の為だけではありません。目先の怒りに我を忘れては、マーガレット様やヴェルンドの気持ちという、私の左足よりも大切なものを失うと分かっています。ヤシンに謝罪させた後は、財団とヴェルンドの残りの時間の為に、私が出来る事を探しますよ!」


 一点の曇りも無い、その力強い眼差しに胸を打たれたクレアは、これ以上のスベンソンの説得は諦めざるを得なくなっていた。


 「……スウェーデンの監視下を外れるという事は、連帯保証人のうちからの援助は無くなるわ。ここはスウェーデン程治安は良くないけど、いいのね?」


 まだ何処か踏ん切りの着かない様子のクレアを振り払う様に、力強く頷くスベンソン。

 彼は既に就労技術の資格は揃えており、その足のハンディキャップも、治安の良くないスペインであれば、むしろ横領や逃亡の不安が少ないと歓迎されるかも知れない。

 

 「……分かったわ。就労許可に手間取ったら財団に連絡して。最後の援助が出来るかも知れないから」


 「ありがとうございます!マーガレット様!」


 深々と頭を下げるスベンソンとのやり取りの中、クレアは自分が最後まで「財団のお嬢様」以上の存在にはなれなかった事に一抹の寂しさを感じながら、同時に彼女の人生にとって最大の借りを返した、その安堵感にも包まれていた。



 「こいつがマフィアホイホイ……まあ、所謂見せヤクだな。2キロある。小物のチンピラはお目にかかった事も無い量じゃねえかな?」


 ラモスが隠し持ち、マグヌソン宅にあるという設定のコカインは、経年変化に加えて日光を浴びた事によりクリーム色に変色しており、軍隊時代にドラッグの知識を蓄えたシルバは、その劣化具合に眉を顰める。


 「……お前、ヤクが分かるのか?こいつは俺がまだ潜入捜査をやらされていた頃、仕事道具に付与された年代物の押収品さ。署内でも忘れられちまった、こんなゴミ同然のヤクを身体に入れたら不具合を起こすだろうな。だが、小物が捌く相手は、質の悪いヤクでも今すぐに欲しがる質の悪い客だ。古くなったから格安だと言えば、喰い付いてくるさ」


 シルバを横目に不敵な笑みを浮かべる百戦錬磨の刑事・ラモスの計画は、マフィアに打撃を与える為にはやむを得ないとは言え、基本的に曲がった事が嫌いなチーム・バンドーにとって、諸手を挙げて賛同したくなる様なものではなかった。


 「……おい皆、誤解しないでくれよ?ここに来たヤシンとマフィアの仲間を、チーム・バンドーが退治して、ラモスが逮捕すればヤクの犠牲者は誰も出ないんだから」


 チーム・バンドーのテンションが下がった様に見えた事を懸念したマグヌソンは、両手を大きく広げて計画の正当性をアピールする。


 「一度警察にパクられた情報屋は、安全性の問題から大きな組織では雇わない。ヤシンの仲間はせいぜい数人で、大きな組織を追い出されて銃のひとつも持てない様な奴等だ。中には古巣に恨みのある奴もいるだろう。そいつから芋づる式に検挙するのさ」


 その経験値から、ラモスは作戦の成功を疑っていない様に見えた。

 

 確かに、警備員のいる社宅にマフィア関係者が敢えて大挙するとは思えず、仮にラモスの見立てが正しいとして、銃を持たないチンピラ数人にチーム・バンドーが苦戦する可能性も低い。しかし……。


 「……もう、明日の昼なんだろ?やるしかない。俺はヤシンに謝罪をさせたいんだ。逮捕された奴の相棒はどん底で出所して今も行方不明なのに、奴は相棒と稼いだはずの金で、ヤクに手を出しながら世界中を逃げ回っていた。恥を知れと言いたい!」


 クレアの前に出る紳士的な態度とは打って変わり、積年の恨みに耐えてきたスベンソンの怒りが漏れ始める。

 相棒の存在を誰よりも誇る彼とマグヌソンにとっては、ヤシンの生き様そのものが、既に憎悪の対象に近かったのだ。


 「作戦決行は明日の13:00だ。ヤシンにはヤクを格安で譲ると伝えていて、目利きを呼んでもいいと言った。まずは私1人で取引を始めて、ヤクと金が動く瞬間、ラモスとエミールを呼んで現場を押さえさせ、ヤシンを謝罪させる。奴等が抵抗しようとしたタイミングで、バンドー君達に合図を送るよ」


 「……分かりました。マフィアに打撃を与える事が出来るといいですね」


 自らを売り込んだ手前、にこやかにマグヌソンと握手を交わすバンドー。

 とは言え、余りに上手く作られている印象の計画には、パーティーも疑問を抱かざるを得ないだろう。



 5月23日・19:30


 賞金稼ぎ組合から徒歩5分、偶然にも社宅のすぐ裏側にある小さなビジネスホテルに宿を取ったチーム・バンドーは、ホテルの向かいにあるシーフード・レストランで、選択の余地無く遅い夕食を取っていた。


 メインディッシュは「アロス・デル・セニョーレ」。

 魚介類の殻が綺麗に剥かれた食べやすいパエリアで、スペイン随一の米処・バレンシアならではの名物である。


 「おう!米もなかなかイケるもんだな!」


 アジアの血が流れているバンドー、シルバ、リンは勿論の事、ハインツやクレアからの評判も上々。

 食事という概念に縛られておらず、最近お菓子に探求心を燃やすフクちゃんは、「フラン・デ・カラバサ」という、デザートのかぼちゃプリンをいち早く味見していた。


 やや明るさを落とした照明と、テーブルに立てられているロウソクの灯りを組み合わせた、一見お洒落なレストラン。

 しかしながら、賞金稼ぎ組合の近くという立地上、剣士や魔導士らしき風貌の客も多く、店のあちこちから仕事の打ち合わせらしき会話が聞こえている。


 「……ここなら仕事の話をしても良さそうだな。皆、どう思う……?俺には正直、奴等全員が怪しく見えて仕方がねえ。何か裏があるんじゃねえのか?」


 ハインツは食事の手を休め、自身の正直な印象を口にした。

 

 チーム・バンドー全員が、彼等の心情は理解している。

 

 スベンソンは、既に法では裁けなくなったヤシンの行為を謝罪させ、自身のスペインでの再出発のきっかけにしたい。

 

 マグヌソンは、マフィア組織の検挙で褒賞金を得て、その金を自身の治療費とスベンソンの援助に充てたい。

 

 ラモスは、旧知のマグヌソンからの提案を受け入れ、個別捜査の案件からの手柄で自身の退職後の備えが欲しい。


 だが、彼等の計画には台本が用意されている様な気がしてならない。

 医療用モルヒネで餌付けされているとは言え、ヤシンが仲間を連れてくる保証も、彼の仲間が小規模であるという確証も得られていないのだ。


 「……ちょっとハインツ!エミールは3日前までスウェーデンにいたのよ?計画に関われる訳無いじゃない!?」


 流石にスベンソンまでを疑うハインツに腹を立てたか、クレアは不満を露に彼に喰ってかかる。


 「……確かに、スベンソンさんはヤシンの犯行の被害者ですからね……。復讐に関しても、出来る限り冷静であろうとしていた様ですし……」


 クレアの手前もあってか、リンはスベンソンを疑う素振りまでは見せていない。

 かと言って、彼を完全に信用する程の面識が、そもそも彼女には無かったのだ。


 「……マグヌソンさんも、友情の為に頑張っている印象だし、地位や病気の事もあるから、余り疑われない立場ではあるよね……」


 バンドーも、マグヌソンとスベンソンの絆までは疑っていないものの、どうにも釈然としないものを感じている。


 「……ラモス刑事も、経験と話っぷりに説得力はありますが、売る事が前提ではない見せヤクを用意するなら、1キロでも500グラムでもいいと自分は思います。わざわざ2キロを用意しなければいけない理由は分かりませんね……」


 ドラッグ絡みの事件に介入した経験が豊富なシルバは、ラモスが単なる正義感や人情からマグヌソンに手を貸しているとは思えない、と踏んでいた。


 黙々とかぼちゃプリンを食べながら、パーティーのやり取りを聞いていたフクちゃんも、ようやくこの仕事に関して口を開く。


 「……3人の目的については、皆さん既に予測が付いているでしょう。でも、ここまで3人の目的が出しゃばらず上手く収まるのは不思議ですよね。少なくとも誰かが、調整して台本を導いている様な気がします……」


 「……もう、あたし達がマフィアを捕まえて吐かせれば、全部分かるわよ!」


 今日1日だけで、既に受け止め切れない程の様々な感情が去来したクレアは、自らを落ち着かせる様に大きなため息をつき、目前のロウソクの炎を睨み付けた。


 ボワアアァッ……


 「……!何!?」


 目前で突然激しく燃え上がったロウソクの炎は、クレアの動揺とともに鎮火し、やがて僅かな煙を上げて消えていく。


 「申し訳ございません、今点火致します」


 事態を把握出来ていないレストランのスタッフが、慌ててロウソクを再点火しにやって来る。


 (……これって、もしかして……?)


 パーティーの男性陣は、クレアのため息がデカ過ぎてロウソクの炎を消したと思い込んでいた。

 だが、クレア本人と隣の席のリン、そしてフクちゃんの認識は違っていた。


 クレアの火炎魔法が、無意識の内に姿を現しつつあったのである。


 

 5月23日・20:30


 ホテルへの帰路、手元のライターで何度も炎の調節を試みるクレア。

 だが、意識して火炎魔法を試そうとすると、正直な感情が伴わない為なのか、ライターの炎は微動だにしなかった。


 幼い頃から魔法の才覚はあったものの、剣術に専念する為に何年も鍛練を諦めてきた彼女が、付け焼き刃の感覚だけでその遅れを取り戻す事は難しいと言える。

 

 「夜景が、綺麗ですね……」


 リンの一言に夜空を見上げた一同は、豊かな自然に囲まれていたレンゲンフェルトとはまた違う、都会ならではのネオンに目を奪われていた。

 マドリードやバルセロナ程では無いにせよ、スペイン第3の都市・バレンシアの街はまだまだ眠りに就きそうな気配は無い。

 

 ひょっとすると、今頃マグヌソン達が社宅で密談をしている可能性もある。

 しかしながら、社宅と目と鼻の先にあるはずのホテルの部屋からは、その様子を伺い知る事は出来なかった。


 「……反対側の部屋が取れれば、監視出来たかも知れないが……」


 マグヌソン達とマフィアの密通までも疑っているハインツは、社宅の入口付近の人の出入りだけでも見張れないものかと、思考を巡らせる。


 「見張りたくても、警備員がいるからね……。開き直って、明日までぐっすり眠るしかないかな?」


 パエリアを堪能して軽い眠気に襲われていたバンドーは、早くも意識を切り替えようとしており、隣のハインツにツッコミの肘鉄を喰らわされていた。


 「……私には、睡眠は必要ありません。もう一度フクロウに変身して、彼等が眠るまで社宅を見張りましょう。緊急事態があれば、テレパシーで皆さんにお伝えします」


 「……え!? いいのフクちゃん?」


 フクちゃんからの突然の提案に驚くクレア。

 

 チーム・バンドーにとって、極めてありがたい話ではあるものの、庶民的なパーティーには女神様を顎で使っているかの様な罪悪感が、どうしても拭えない。


 「いいですよ。明日は、私がマフィアを退治する訳には行きませんからね。皆さんのお役に立てるのはここまでです」


 「ありがとうフクちゃん!それじゃあ、是非ともお願いします!」


 一切悪びれるオーラのない太字スマイルのバンドーに頭を下げられ、目を閉じたフクちゃんの身体は蒼白い光に包まれる。

 やがて軽やかな破裂音とともに、かつてともに旅をしていたあの小さなフクロウが、パーティーの前に姿を現した。


 「ひゃあー」


 すっとんきょうな鳴き声もそのままに、久し振りにパタパタと空を飛ぶ感触を確認するフクちゃんは、すぐにかつての指定席である、バンドーの頭上で完全に一体化する。


 「うわぁ!これこれ!何か馴染むわ!」


 懐かしい感覚に感動を覚えたバンドーの姿を、パーティーも微笑ましく見守っていた。

 


 5月23日・21:00


 ホテルに到着し、各々が就寝に備えるチーム・バンドー。

 

 フクちゃんが社宅の監視で不在の為、ダブルルーム3部屋の組み合わせはバンドー&ハインツ、クレア&リンとなり、シルバは1人でバレンシア周辺のマフィア組織の情報収集に励んでいた。


 かつての強盗としてのキャリアを買われたのかも知れないが、スペインでモロッコ系のヤシンが情報屋に採用されるという現実は、統一世界規模のマフィア組織がスペインに存在する可能性を匂わせていた。

 その為、シルバは自身の両親の仇である、南米系のテロリストの潜伏先がバレンシアに存在する可能性も視野に入れて、調査を始めていたのである。


 EONP施行後の世界は、大災害前の様な情報化社会から、軍と警察組織にある程度情報網を集約させた統制社会へと変化していたものの、シルバはかつて軍のエリート候補生だった男。

 ネット世界に表示される情報が仮に「3」の情報レベルであったとしても、その奥に隠されている「5」のレベルまで内容を読み込むスキルを、彼は軍で身に付けていたのだ。


 (……バレンシアは新興勢力マフィアの修行場じゃないみたいだな……。マドリード、バルセロナで縄張りを確保出来なかった奴等の溜まり場だ……)



 ピピピッ……


 突然鳴り響く、シルバの携帯電話。


 バンドーやリンからの伝言であれば、彼等は直接この部屋を訪れるはず。

 今、シルバに電話で連絡をよこす可能性があるのは、軍隊時代の仲間達が結成した特殊部隊の人間くらいしかいない。

 

 (……やっぱり!)


 彼等は、自らの電話番号を他人の電話には通知しない。

 ディスプレイが空白である事を確認したシルバは、急いで受話器を取った。


 「……はい、こちらケン・ロドリゲス・シルバ」


 「……あ、中尉?自分です!ガンボアです!今、いいですか?」


 馴染みの仲間、それも一番話しやすい元部下からの電話に、シルバの身体から無駄な緊張感が抜け落ちる。


 「ああ、大丈夫だ。もう部隊の始動か?」


 「そうなんです……本来ならもう2〜3日休めたんですが、マドリードで格闘技賭博を探る為に派遣された潜入捜査官が、正体がバレたのか重傷を負わされて、捜査に駆り出されてしまったんです……。中尉は今何処に?」


 ガンボアの電話の内容に、軽い胸騒ぎを覚えるシルバ。

 マドリードでの格闘技賭博と言えば、因縁の相手、ダビド・エスピノーザのテリトリーであったからだ。


 「今、仕事でバレンシアに来ている。明日には終わる予定の仕事だから、明後日にはマドリードに戻れるとは思うが……」


 「それなら安心です。こちらも2〜3日は調査が必要ですからね。それから、元レンジャー部隊のグルエソが、軍を除隊して我々の部隊に来てくれるそうです!今回の事件は、是非ともチーム・バンドーの力も借りたいので、連絡させていただきました!」


 ガンボアから自分だけではなく、チーム・バンドーの名前が飛び出した事に驚いたシルバは、すかさず事件について訊き返す。


 「……ガンボア、どういう事だ?俺達全員がマドリードに戻る必要があるのか?」


 「潜入捜査官を痛め付けたのは、タワン・ティーンダー。チーム・エスピノーザの一員として、中尉達と同じ武闘大会に出ていましたよね……?」


 「……!!」


 衝撃に固まったシルバをよそに、ガンボアは当日の参加者からの聞き込みを受話器越しに淡々と説明し始めた。

 普段は比較的クリーンなファイトが売りだったはずのタワンが、その試合だけ目の色を変えたのだと言う。


 (……親友のサンチェスが、オジャルへの傷害容疑で拘束された頃だ……。ダビドの奴、タワンの怒りを利用するとは……!)


 シルバは沸き上がる闘志を抑えながら、自身の両親の仇討ちの前に、エスピノーザとの決着の時が迫っている事を自覚せざるを得なくなったいた。


 「……中尉?聞いてますか?中尉?」


 「……ああ、すまんガンボア!聞いてるよ。……とにかく、出来るだけ早くマドリードに戻る。うちのパーティーにも、会合にだけは出て貰う……」


 ふと我に返り、ガンボアにここまで返事をした瞬間、この機会を逃すまいと突如アイディアが閃いたシルバ。


 「……ガンボア!今はマドリード警察がお前達の職場だろ?警察のネットワークから、バレンシア麻薬捜査班のラモス刑事について情報をくれないか?一緒に仕事をする事になったんだが、どうも怪しい所があるんだ。交友関係等が分かるとありがたい」


 「……バレンシア麻薬捜査班のラモス刑事ですか?こちらも忙しいので、すぐには連絡出来ません。……明日の昼頃になると思いますが、宜しいですか?」


 シルバからの突然の依頼に声色が変わるガンボアだが、そこはかつての上官からの頼み。

 時間的には取引の直前でギリギリのタイミングではあるものの、仕事の準備として念には念を入れておくべきである。


 「ありがとう!ガンボア!」


 感謝の意を最後に電話を切ったシルバの胸に、これから訪れる本当の戦いへの覚悟が、いよいよ固まりつつあった。



 5月24日・11:30


 13:00からの取引に備えて、マグヌソンから伝えられていた集合時間は12:00。

 

 だが、周囲の確認の為に一足早く社宅に向かったチーム・バンドーは、社宅前の広場のベンチに腰を掛けていた。


 見張りをしていたフクちゃんからの報告によると、ラモス刑事は社宅の空き部屋に宿泊し、3人揃っても特に談合の様な行動は無く、各々も携帯電話による第3者との通話行動は見られなかったと言う。


 「……取りあえず、3人揃ってグルでは無いって事か……」


 ハインツはベンチから遠くを眺め、取引の前から自分達に罠が仕掛けられている可能性は無いと、まずは安堵の表情を浮かべていた。


 広場の中には、組合職員の子どもを始めとして、多彩な年代の人々の姿が見える。

 警備員が常駐している組合の社宅は、バレンシア中心街では安全な部類の場所という評判が立っていたのである。


 「万が一、ここの人々に危害が及びそうな時は、私が力を貸します。それ以外は、私には何も出来ませんね」


 女神様とは言え、見張りの疲れも見せずに帯同してくれたフクちゃんを労い、チーム・バンドーは彼女を取引には呼ばない決断を下した。


 「ありがとうフクちゃん。今日は取引が終わるまで、ここでのんびりしていていいよ。ここに来たマフィアの人数だけ、教えてくれたら助かるな」


 「……そうですね。そんな若い女の子には危険ですからね」


 フクちゃんに感謝の意を告げるバンドーの背後から、突如男性の声がする。

 日課のリハビリで車椅子を押しに来たスベンソンが、一足早く広場に来ていたのである。


 「……エミール!? 危ないわ!ヤシンが近くにいるかも知れないのに!」


 彼の姿に気付いたクレアは素早く彼の前方に立ち、周囲の様子を窺った。


 「マーガレット様、大丈夫ですよ。悪党は自分が刺した男の顔なんて、覚えてませんから」


 スベンソンは丁寧にクレアを遠ざけると、目の前にある水飲み場のコンクリートに掴まり、その逞しい両腕で車椅子から立ち上がって見せる。


 「おお!凄い筋肉!」


 思わずバンドーも見とれる両腕で、軽々と身体を起こしたスベンソン。

 残念ながら、彼の左足は右足と比べて明らかに細く筋力が落ち、必死のリハビリでも左足に奇跡は起きない事が判明してしまった。


 「……右足は動くんです。初めて私を見る人間は、私を不幸な男だと思うでしょうが、そんな事は無い。マーガレット様やヴェルンド、そして皆さんにも支えられている。むしろ恵まれ過ぎで、酒で時間とお金を無駄にした償いをしなければ……」


 寸暇を惜しんで上半身を鍛え続ける姿勢に感銘を受けたチーム・バンドーは、スベンソンを囲んで彼と1人1人、固い握手を交わす。


 「……クレア、これ以上こいつに情けはかけなくていい。こいつは自立したいんだよ。見上げた男だぜ!」


 ハインツからの熱いエールを受け取ったクレアとスベンソンは、互いの意思を確認し、別れの覚悟とも取れる、熱い抱擁を交わしていた。



 5月24日・12:00


 賞金稼ぎ組合からの協力が得られ、13:00からの架空取引を社宅内の配電盤工事にカムフラージュしたマグヌソン。

 オートロックドアの不具合発生の可能性を告知し、1時間の室内待機が住民に通達される事となる。


 取引はマグヌソンの部屋で行われ、現在空き部屋となっている2室の内、マグヌソンの隣の部屋にはスベンソンとラモス、奥の離れ部屋にはチーム・バンドーの待機が決定。

 チーム・バンドーの待機部屋から取引の様子が窺えない点は懸念材料ではあるが、彼等の出番にはマグヌソンからの空メールがパーティー全員の携帯電話に届く事になっていた。


 「……若い頃は、正義を気取って何度も発砲していたよ……。だが今は、出来るだけ使いたくはないな。自分を守る時だけに使いたい」


 万一の事態に備えて銃口にサイレンサーを装着し、弾丸の確認を怠らないラモス。


 (あの拳銃はマカロフ……。サイレンサーを装着すれば、確かに軽作業程度の音量にまでは下げられる。弾丸は恐らく8発。マフィアが2〜3人だとして、さほど大事には至らないだろう……)


 シルバは計画の全体図を頭に思い描き、ラモスの素性にさえ問題が無ければ、取引には1時間もかからず、自分達の出番も限られたものになると推測していた。



 5月24日・12:50


 (随分と律儀なマフィアさんですね。今広場に現れましたよ。やさぐれた風貌に反して、スーツがパリッとし過ぎているから、分かりやすいです)


 広場を監視していたフクちゃんからのテレパシーが、パーティー全員の意識に届く。


 (人数は3人です。1人は何やら細長いバッグを抱えた大男で、もう1人はスーツケースを持った堅気風。リュックを背負った薄汚れたTシャツ姿の男が、恐らくヤシンでしょう)


 「……マフィアが剣なんて事は無いだろうから、細長いバッグの中はバットか鉄パイプかな……?奴等も、やる時はやる気だな!」


 バンドーは早くも自身の頬を両手で叩き、臨戦態勢を整えようとしていた。


 「……3人たぁ、意外と少ないな。それだけヤシンがマグヌソンを信用しているのか?」


 奥の離れ部屋の窓からは決して見えないマフィアの姿を、それでも一目見ようと身を乗り出すハインツの前のめり気味の気合い。

 クレアとリンはそんな男性陣の様子を、いつもの事と苦笑いで見守る。

 


 5月24日・13:00


 「……時間通りだな。お前達なら堅気の仕事にも就けるぞ。今日を最後に足を洗ったらどうだ?」


 自身の余命が短い事もあるのか、どう見ても堅気者では無い男達を前にして、マグヌソンも全く気後れした様子は見せていなかった。


 「うるせえ!こんな所に長居はしねえよ。ヤクがあるのかねえのか、あるならどれだけ、いくらで売るのか、知りてえのはそれだけだ!」


 手持ちのバッグを開けて、中の金属バットをちらつかせる、如何にも粗野な印象の大男。

 彼は見るからにスペイン系の顔立ちで、盗聴を疑っているのか、公用語が英語になったアースに於いて、敢えて早口のスペイン語でまくし立てる。


 「……ヴェルンドさん、話はヤシンから聞いていますよ。賞金稼ぎとサツにパクられて、野垂れ死にしそうだったダチを今日まで助けてくれてありがとうございます。……なるほど、こういう裏があったんですね……。堅気の連中の方が、我々より悪どいじゃないですか……?」


 マグヌソンが北欧系の人間だと分かると、即座に流暢な英語に切り替える、スーツケースを持った南米系の男。

 冷静な物腰のこの男が、所謂ドラッグの目利き役と見て間違いないだろう。


 「……まず、これを見てくれ。コカイン1キロ。引き出しの中にもう1キロある。昔の押収品で古くなってはいるが、元は上物だ」


 マグヌソンがテーブルに差し出したコカインをまじまじと眺めた南米系の男は、袋の表と裏でコカインの色合いが異なる事を早速言及してきた。


 「……これは日光変色ですか?それとも経年劣化ですか?こんな処分品を私達に売り付けようとするとは、堅気の連中の考える事は……」


 彼は目を閉じて首を横に振ってはいるものの、大きな取引は初めてなのだろう。

 2キロものコカインに、やや興奮している様にも見える。


 「……品質が落ちているのは、私も理解しているよ。グラムあたり600。2キロで1200000CPでどうだ。私はガンの治療費が欲しいだけなんだ。欲張りはしない」


 マグヌソンからの言い値に飛び付いたのは、もう彼から受け取る医療用モルヒネでは我慢が出来なくなっていたヤシンだった。


 「セルヒオ!買おうぜ!いくら劣化したとは言え、グラム600なんて売値、他にはねえよ!何倍も稼げるし、自分の為に俺が借金しても欲しいくらいだ!」


 ヤシンは我を忘れてドラッグの目利き役・セルヒオを説得し、隣の大男もその破格値に思わず笑みがこぼれている。


 「……貴方がここまで値を下げた理由は、売る側は良くてもやる側の満足に保証が出来ないからなんですよね……?グラム500、1000000なら手を打ちますよ。それ以上は出せませんね」


 セルヒオは用心深く値下げ交渉をマグヌソンに吹っ掛けたものの、元来コカインの売却益を望んではいないマグヌソンは、セルヒオの要求をあっさりと飲んだ。


 「……いいだろう。1000000CPで取引成立だ。どうせそのスーツケースの中には、それ以上の額があるんだろう?」


 マグヌソンは現金を見せる様にセルヒオをけしかけながらも、こっそりと机の引き出しに隠した自身の携帯電話から、スベンソンとラモスに合図の空メールを送信する。


 「……念の為に2000000CPを用意していました。堅気の連中が相手なら、不足分を踏み倒す腹積もりでいましたが、まさか余るとは思いませんでしたよ……」


 スーツケースを広げて現金をアピールしながら、まさかのバーゲン価格にセルヒオも笑いが止まらないといった様子だ。


 「……動くな!そこまでだ!」


 突如として荒々しく叩き付けられたドアから、拳銃を構えたラモスが登場。

 やや遅れて、車椅子を押したスベンソンが姿を現す。


 「……ラモス!? てめぇら、ハメやがったな!」


 バレンシアでドラッグに関わるチンピラにとって、余りにも顔馴染みなラモス刑事の登場に、大男はバッグから金属バットを取り出さんと、素早く前屈みの姿勢を取った。


 「……させるかっ!」


 自身の境遇にも正義感を失わないスベンソンは、すかさず車椅子ごと大男に体当りし、相手の手首をその握力で激しく圧迫する。


 「……ぐおっ……がああぁっ……!」


 生半可な格闘家が束でかかっても敵わない程のパワーを誇るスベンソンに、大男は悲鳴を上げて床に転がる事しか出来なかった。


 「お前ら、命が惜しけりゃ手を挙げてな。……おいヤシン、この車椅子の男を覚えているか?」


 拳銃でヤシンを指し示すラモスの脇から、ゆっくりとスベンソンの車椅子がヤシンに近付いて行く。

 因縁の相手を前にしても、努めて冷静さを保とうとしているスベンソンに比べ、すっかり日陰者に堕落したヤシンは慌ただしく視線を泳がせている。


 「……久し振りだな、ヤシン。人間、背中を深く刺されると高確率で車椅子生活だ。14年前、お前がソフィアの屋敷で刺した男を覚えているだろ。忘れたとは言わせんぞ」


 スベンソンから押し寄せる得体の知れぬ迫力に、返す言葉を失ったヤシンは、本人の記憶とは無関係なレベルでその場に崩れ落ち、土下座の様な格好のまま震え出し、頭を上げようとはしなかった。


 「……よし、一件落着だな。さて、ここからは俺の仕事をさせて貰うかな?」


 そう呟いて不敵な笑みを浮かべたラモスは、ヤシン達に向けていた銃口を、ゆっくりとマグヌソンに向ける。


 「……!? どういう事だ、ラモス?」


 予期せぬ展開に戸惑いを隠せないマグヌソンが咄嗟に携帯電話に手をかけ、チーム・バンドーを呼び寄せようとしたその瞬間、ラモスの拳銃が火を吹いた。


 「……ぐわっ……!」


 「ヴェルンド!」


 サイレンサー付きの拳銃から発せられる控え目な銃声は、マグヌソンの右手ごと携帯電話を弾き飛ばす。

 弾丸はマグヌソンの右手首を掠めただけだったが、それでもかなりの出血が見られ、スベンソンも思わず親友の元へ駆け付ける。


 「悪いなヴェルンド。俺もそろそろ楽がしたくなった。ヤクを売り飛ばした金で退職金を稼いで、ヨーロッパからおさらばさ」


 ラモスの話をしたり顔で聞いているのは、ドラッグの目利きを担当するセルヒオだけ。

 ヤシンや大男は、目の前の事態を把握出来ずに狼狽していた。


 「……ラモス、何故だ?刑事の鑑とまで言われたあんたが、こんな奴等と手を組むなんて……?」


 ラモスと長年の信頼関係を築いていたと信じて疑わないマグヌソンは、彼の裏切りに肩を震わせる。


 「前にも言ったろ?俺がこの歳まで汚職もせずに済んだのは、たまたま運が良かっただけだ。今回あんたからの相談を持ち掛けられて、署内でも忘れられた押収品のヤクを換金するチャンスだと思ったのさ。幸いにして、セルヒオはアジアの密売ルートを持っていた。もうこのヤクはシンガポールで買い手が付いている。俺とセルヒオはシンガポールで隠居、お前達は取引決裂による殺し合いというシナリオさ」


 「……セルヒオ、俺達仲間じゃなかったのかよ?冗談だろ!?」


 半泣きの様な表情になりながら、ヤシンはセルヒオを問い詰める。

 かつてスベンソンを刺した罪から逃れる為に相棒を捨てた彼は、今回相棒に裏切られたのだ。


 「……相手は間抜けなチンピラと重病人、そして車椅子野郎……こんなチョロい仕事を逃したら、一生後悔するぜ。賞金稼ぎなんて、余計な奴等を呼びやがって。今すぐカタを着けてやる!」



 5月24日・13:20


 「……遅いな。そろそろ連絡が来てもいい頃だが……?」


 ハインツは、マグヌソンからの連絡が来ない事に不安を募らせている。

 

 いくらラモスが百戦錬磨のベテラン刑事であろうと、重病人のマグヌソンと足が不自由なスベンソンではまともな戦力にはならない。

 マフィアが3人いれば、それなりの抵抗はするはずだ。


 ピピビッ……


 「……来たか!?」


 携帯電話のベルに一斉に反応したチーム・バンドーだったが、鳴っているのはシルバの携帯だけ。

 昨夜依頼した、ガンボアからの情報が間に合ったのである。


 「ガンボアか!? 情報を頼む!」


 不安を隠せないシルバは受話器の向こうのガンボアをけしかけ、その剣幕に押されたガンボアは慌てて情報の提供を始めた。


 「中尉、大変です!ラモス刑事は急病を理由に、10日前にバレンシア警察署を退職していました!その翌日から彼は姿を消し、退職手続き中でまだ効力が残っていた警察手帳を持って、シンガポールを訪れています。恐らく退職後の住居と仕事に関連した事情でしょう。ラモス刑事がスペインを脱出しない様に、今スペインの各空港に指名手配しました!」


 「ありがとうガンボア!ラモス刑事は絶対スペインから出さない!」


 シルバは電話を切ると、通話の様子から突入準備を整えていたパーティーを統率する。


 「マグヌソンさん達がピンチです!部屋に突入しましょう!バンドーさんはそこのテーブルを持って来て下さい!盾にします!」



 「どおおりゃああぁ!」


 テーブルを盾に抱えたバンドーとシルバを先頭に、予告も無くマグヌソンの部屋のドアを押し破ったチーム・バンドーは、急襲に慌てたラモスの銃弾を1発、テーブルで跳ね返す事に成功した。


 「はああぁっ……!」


 背後からの風を受けたリンの風魔法が発動し、ヤシンとセルヒオはその風圧に押され、互いの頭を強打して床に倒れ込む。


 「お前の相手は俺だ!」


 ハインツは金属バットを振り回す大男の進路を塞ぎ、互いに似たリーチを持つ武器での一騎打ちをけしかけた。


 「ラモス……許さんぞ!」


 信じていた仲間からの裏切りに激昂したマグヌソンは、自身の体力も考慮しない無謀な突進を試みる。


 「止めろ!ヴェルンド!」


 「……そんなに死にたいのか!」


 スベンソンの制止も虚しく、自身に喰らい付こうとするマグヌソンに向けて引き金を引くラモス。


 銃声一発、不運にも銃弾はマグヌソンの左胸を直撃し、彼は両目を大きく見開いたまま、2度と立ち上がる事は無かった。


 「マグヌソンさん!?」


 「ヴェルンド……!うおおおぉっ!」


 バンドーが振り返った瞬間、時既に遅し。

 怒りに我を忘れたスベンソンは、自身も無謀な突進をラモスに仕掛けようと試みる。


 「くっ……離せ!離せ!」


 スベンソンの並外れた腕力に下半身を掴まれ、激痛に顔を歪めるラモスはどうにか拳銃を構え直し、スベンソンの顔面に向けて引き金に指を掛けた。


 「エミール!止めて!」


 クレアの激情と魔法への集中力が自然の力を揺り動かし、ラモスの拳銃から発射される寸前の弾丸が炎を上げて暴発する。


 「ぎゃあああぁっ……!」


 自身の顔面が炎に包まれ、悲鳴を上げて床を転がり回るラモスに、スベンソンがマウントを取った。


 「うわあああぁ!くそったれ……くそったれ……貴様ら、何なんだ!貴様ら、仲間はいないのか!? 裏切りが……裏切りの人生が何になる!?」


 歩く事の出来ないスベンソンの武器は、鍛え続けた両腕だけ。

 だが、この両腕だけは誰にも負けない。

 例えそれが、時に人を傷付ける凶器になってしまっても……。


 「がはっ……ぐふっ……!」


 無我夢中で全力の拳をラモスに撃ち降ろし続けるスベンソン。

 ラモスの顎は砕け、折れ曲がった鼻からは鮮血が飛び散る。


 事態を重く見たクレアとバンドーが、2人がかりでスベンソンを引き剥がしにかかる。


 「……止めて!エミール!止めて!」


 「スベンソンさん!駄目だ!貴方が犯罪者になっちゃ駄目だ!」


 両腕を2人に抑え付けられたスベンソンは、クレアの涙を目の当たりにして、ようやく我に帰り、呆然と虚空を見上げていた。


 ハインツと大男はまだ戦いを続けていたものの、バットを振り回す相手の手首を冷静に斬り付けるハインツの堅実な戦法により、やがて両手の限界が訪れた大男は床に崩れ落ちる。


 「警察と救急車は呼びました!」


 リンの機転に親指を立てて感謝の意を示したシルバは、3人のマフィアを縛り上げ、意識を取り戻したセルヒオを尋問した。


 「シンガポールにヤクを売り飛ばして、余生を過ごすつもりだったんだな?」


 シルバの尋問を無視したセルヒオは、何やら独り言の様にスペイン語で不満をぶちまける。

 

 そのスペイン語のアクセントを耳にしたシルバの顔色が急変し、セルヒオの胸ぐらを掴んで更に激しく相手を問い詰めた。


 「……お前、アルゼンチン出身だな?お前みたいな南米の犯罪者を集める組織がスペインにあるのか?吐け!吐くんだ!」


 普段とは人が変わった様なシルバの強引さにリンは少々戸惑いながら、ゆっくりと近付いて彼をなだめようと試みる。


 「……バルセロナにある、ラ・マシアって組織ですよ。そこは南米のテロリストやドラッグディーラーを高給で集めていて、私もそこからスペインに入りましたが、やり方が強引過ぎて付いて行けませんでした……。早くヨーロッパからおさらばしたかったんです。もう少しだったのに!」


 社宅前の広場にパトカーと救急車のサイレンが鳴り響く頃、両目を大きく見開いたまま息絶えていたマグヌソンの両まぶたを、バンドーはそっと閉じていた。



 5月24日・18:00


 「すみません……。私がいれば、マグヌソンさんの死だけは免れたかも知れませんでした……」


 警察からの事情聴取が終わり、取引に参加しなかったフクちゃんは、マグヌソンを死なせてしまった事を後悔している。


 「フクちゃんは悪くないよ。俺達が取引に参加しなくていいって言ったんだし、そもそもマグヌソンさんも、ヤシンを利用しようとした時点で潔癖じゃなかったんだから。フクちゃんが助けるべき対象の人じゃなかったと思うよ」


 バンドーはフクちゃんを慰め、そんな彼女の能力など知る由も無いスベンソンは、クレアに付き添われて自らを取り戻していた。



 ラモスの素性が明らかとなり、殺人容疑に加えて押収品のコカインの横領と転売容疑、更に虚偽の理由での早期退職と、その手続き期間を利用したシンガポールでの行動等、幾重にも罪を重ねた彼は警官として無期懲役レベルの刑が避けられない。


 スベンソンは、自身の生きている間にラモスの顔を見る事が無いと分かり、どうにか復讐の連鎖から逃れる事が出来る現実に安堵していた。


 しかし、彼を待ち受ける未来は決して甘くはない。


 スペインに移住しても障がい者年金は受け取れるものの、彼の故郷であるスウェーデンに比べて治安も労働条件も劣るスペインでの再出発を、クレア財団やマグヌソンの援助無しで成し遂げなければならないのである。


 チーム・バンドーは、マフィア人脈の検挙のきっかけに貢献したとして、バレンシア賞金稼ぎ組合と警察からの褒賞金、500000CPを獲得したが、その半額をスベンソンに寄付した。


 マグヌソンの遺言はまだ見付かっていない為、彼の財産分与は未定。

 また、組合とは無関係であるスベンソンに、社宅や組合の仕事が用意されている訳でもない。

 施設の様な暮らしから逃れたければ、自ら職を探すしかないのである。


 「……マーガレット様、チーム・バンドーの皆さん、この度は本当にありがとうございました。ヴェルンドの事は残念ですが、彼はもう長くは生きられない身でした。最後にこうして、功績を讃えられる英雄の様に死ぬ事が出来て、恐らく幸せだったんだと思います」


 まだ、完全に気持ちの整理はついていないスベンソン。

 

 だが、自立は彼自身が望んだ道である。


 「エミール、お節介だと思うけど、あたし達は貴方の味方よ。お酒や薬に負けそうになるくらいなら、いつでも連絡をちょうだい」


 なかなか過保護な癖が抜けないクレアに複雑な笑みを浮かべるハインツではあったが、裕福な家庭で育った彼女が、自身を棚に上げて不幸を背負った人間に厳しく接する所を想像したくはない。

 

 家庭環境に恵まれて育ったバンドーのキャラクターとともに、この暖かい雰囲気こそが、他のパーティーには無い「チーム・バンドーの魅力」なのだ。


 「ヤシンもラモスも、裏切りの人生でのし上がろうとして、でも結局は全てを失いました。ヴェルンドも、最後はラモスに裏切られましたが、私だけは彼を裏切らず、彼が眠るこの街から離れずに生きて行きたいと思います」


 いつの間にか夕闇に包まれるオレンジ畑を遠くに眺めながら、スベンソンとチーム・バンドーは再び互いの道へと歩みを進めるのであった。



  (続く)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回の話は、リアルな賞金稼ぎとしての、 この世界の現状が、しっかりと伝わってくる話で、 チームバンドーが、いよいよ本格稼働したんだなと、 感慨深い内容でした。 裏切りの連鎖の中、エミールだ…
2020/11/04 07:01 退会済み
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