第36話 いざスペインへ……復讐の覚悟 (後編)
5月22日・12:00
「初めまして、ペレス建設マドリード主任のカイフン・タンです。今日は宜しくお願いします」
シルバ達を迎える為に建設現場に現れた依頼主は、意外にも中国系の男性だった。
ペレス建設が中国からの資本提供を受けている事は確かであったが、現地の責任者がスペイン人では無いという現実から、両者の力関係は容易に推測が可能と言えるだろう。
「……貴方は、ブラジル系の方ですね?」
カイフンはシルバと目を合わせると、挨拶代わりの流暢なポルトガル語を披露し、自身が中国語と英語しか話せない腰掛けの役員では無く、ヨーロッパに根を張っているビジネスマンである事を簡潔にアピールして見せる。
外見は40歳そこそこといった印象の彼は、その少しばかり気障に映る振る舞いからヨーロッパ的な洗練を意識してはいたものの、その切れ長の鋭い眼光からは、同時にアジア人としての強いプライドが窺えていた。
「……奴等はビジネスの要求も悪どかったが、差別意識も強かった。特にアジア人、アフリカ人に対してだ。俺の家族とタワン達は、20年も二人三脚で工場を動かして来たんだ。アジア人と手を切れば仕事を回してやると何度も恫喝されたが、奴等が提示する仕事はろくに生活も出来ないレベルだったし、何より仲間を裏切る事は出来なかったよ」
アジアの血が流れているバンドーとリンは、サンチェスの告白にプライドを揺さぶられていた。
この経験が彼を、ガルーボ建設とはまた別の悪の道……エスピノーザの配下へと進ませる言い訳にはならないが、人種問題が拡大すれば、差別側、被差別側、両方の正義がいずれ死滅してしまう現実が、人類の歴史からも明らかにされているのである。
「……そろそろ話が始まった頃ですね……。現場に急ぎましょう」
サンチェスの動向から一定の距離を置き、目の前の事態に冷静に接していたフクちゃんが、バンドーとリンを急かす。
「……待ってくれ!奴等の情報を集めたい。俺も連れていってくれ!」
3人の後ろ姿に声を掛けるサンチェス。
一度捕らえられ、敢えてバンドー達を尾行する必要性を失っていた彼は、自身の復讐の炎を再点火させていたのだ。
バンドーは振り返り、感情を圧し殺した様な口調でサンチェスに警告する。
「……それはお前の自由だけど……仕事を受けたのは俺達だ。お前が奴等に手を出せば犯罪になる。大人しく見ていられるならいいよ」
「……ガルーボ建設は、この近くに期間限定の出張所を建設しているという情報は、俺達も掴んでいる。ここの作業を遅らせてあんたらの信用を下げ、自分達のシェアを回復しようという腹積もりだろうが、単なる妨害工作が会社ぐるみの仕事であると特定されるのはまずい。恐らくカムフラージュとして他の仕事を入れているはずだが……?」
ハインツからの問い掛けを聞いて目を丸くしたカイフンは、やがて確信に満ちた笑みを浮かべて目の前の賞金稼ぎ達に握手を差し伸べていた。
「……そこまで調べているなんて!私は賞金稼ぎの皆様を見くびっていたのかも知れませんね。確かにガルーボ建設は、カムフラージュの為に近場で小さな仕事を入れています。業界最大手が手掛けるとは思えない、小屋みたいな事務所の作業ですよ。その為だけに、解体予定を先伸ばしにさせてまで古いワンルームオフィスビルを借りたとは、誰も信じないでしょう」
「大企業の横暴は、別に今に始まった事ではありませんが、失礼ながらペレス建設はまだ新進気鋭の企業で、業界2位や3位ではありませんよね?執拗な妨害を受ける背景には、やはり中国資本の影響があるのでしょうか?」
クレアはカイフンの顔色を窺う様に、大企業のホームグラウンドに敢えて侵攻する多国籍企業の狙いも探る。
「……建設業界は、発展の余地がある土地と景気には人一倍目ざといですからね。私の故郷中国やインド、ロシア、ブラジル等は、皆が狙っていますよ。ただ、私達は元来ガルーボ建設に搾取されてきた側が団結した企業なんです」
「それは、どういう意味ですか?」
カイフンの言葉から明確な目的意識を感じ取っていたクレアは、返す刀で再び彼を問い詰めた。
「私達は彼等の横暴の証拠を握っていますから、侵攻する意味があるという事ですよ。紙の資料が焼却されても、機械のデータは幾らでも再生出来ます。機械のデータを完全に消去するには、溶鉱炉レベルの処分場が必要ですが、環境意識の高いヨーロッパでは不可能です。そんな処分場が、世界の何処にあると思いますか……?中国なんです」
レンジャー部隊のチャンが突然感化されていた様に、有り余る土地の存在と過去の環境汚染の歴史から、中国には世界の下請け仕事を受け入れる土壌があった。
だが、それは同時に、中国が世界の弱味を握る地域として恐れられてもいるという現実を、カイフンの証言が浮き彫りにしていたのである。
「一方では立場の弱い地域を頼りながら、一方では立場の弱い地域を締め出そうとする。これはアジアやアフリカの人間が抱える怒りです。欧米人は人権や平和を謳い上げながら、汚い二枚舌を使う人間が多いとも感じています。あなた達は純粋なヨーロッパ人ですね。この仕事を降りたければ、まだ間に合いますよ」
カイフンはハインツとクレアを見つめながら、この仕事に関わる事で彼等が中国に買収されたと誤解を生む可能性に言及した上で、チーム・バンドーに決断を迫った。
「……俺は降りないぜ!」
背後からの声に振り向いたクレア達が見たものは、声を上げたバンドー、リン、フクちゃん、そしてサンチェスの姿。
「……俺達はチンピラどもを尋問して、まずは真実を知る権利がある。ビジネスの問題だから、いつかはペレス建設が悪党になる事もあると思う。でもその時は、あんた達を止める側になるだけだよ!」
アジア系の名前と風貌を持つメンバーの登場に、カイフンは満足気な表情を浮かべて全員を作業場のオフィスへと案内する。
「……最近の顔触れは、ほぼこの5名で固定されていますね。5人中4人に、元賞金稼ぎの経験がある事は裏が取れています。戦いの技術と経験がある為、ギリギリ犯罪にならない程度の恫喝や殴打にとどめており、我々に重傷者は出ていませんが……」
カイフンがデスクに差し出した集合写真には、1人を除いて如何にも人相の悪い屈強な男達が勢揃いしていた。
「……こいつだ!俺達を恫喝していたのは、この真ん中の男だ!」
怒り新たに大声を張り上げるサンチェス。
彼が指を差した先には、ひときわ大柄で褐色の肌を持ち、黒い長髪を束ねた男の姿がある。
「……オジャル・アラサバル、38歳。もうこの道のベテランですね。10年前から世界中の建設関係のいざこざで姿を確認されています。今では盛り場限定で使用を許可された、ガルーボ建設の社員証を持ち歩く身分ですよ」
「チンピラを極めて一流企業の社員かよ……この手の輩が減らねえ訳だぜ……!」
カイフンの説明終了を待つまでも無く、ハインツは天を仰ぎ、盛大にうなだれて見せた。
「……彼等はガルーボ建設に雇われたとは言わず、親族が地主であるという言いがかりから、法外な土地使用料、或いは着工の白紙化を要求して恫喝を繰り返しています。その為、彼等のメンバーの中には近隣の地主と同姓の人間が1名組み込まれているのです。該当するメンバーは暴力行為は行いませんし、マスクとサングラスで顔は隠しています。恐らく名義貸しで採用されたアルバイトでしょう」
「……スペイン語の名前は、中南米も含めると嫌と言う程あるわ。名義貸しのアルバイトがもしスペイン人じゃ無かったら、コンタクトも取れずに事実確認もたらい回しね」
この巧妙なトラップは、かつてのスペイン語圏だからこそ可能なもの。
クレアは頭を掻きながら口を真一文字に結んで硬直する。
「納期と料金で生き残りを懸ける中小業者は、その裏を取る手間と費用だけで戦えなくなりますね。そりゃあ撤退しますよ……」
マドリードに限らず、スペイン企業が建設業界で圧倒的な影響力を持つ背景を再確認し、流石のシルバもお手上げの様子だ。
「……出張所の期限は今月末までです。今雇われているチンピラさんも、来月からは会社とは無関係になるんでしょうか……?」
「チンピラさん」という無用な敬意が、如何にもリンらしい。
「……恐らくそうでしょうね。しかしながら、社員扱いのオジャル以外はその事実を知らされていないと思います。ハッタリをかませば、ある意味内紛を誘えるトピックかも知れませんね」
仕事の成功の為に、利用出来るものは何でも利用する。
カイフンの機械の様な冷徹さは、ある意味ガルーボ建設の姿勢と何ら変わる所は無かった。
「……一番弱い奴を捕まえて尋問すれば楽だと思っていたけど、結局オジャルを尋問しないと真実は分からないんだね……」
バンドーは顎に手を当てながら、改めてチンピラ達の写真を注視する。
4人の内訳は剣士が3人、格闘家が1人。
バンドー、クレア、ハインツ、そしてシルバで相手が可能であり、戦闘技術の無さそうな名義貸しアルバイトは、リンとフクちゃんの力ですぐに捕らえる事が出来るはず。
「オジャルは今でこそガルーボ建設の配下にありますが、若い頃はかなりの実力派剣士だったと聞いています。新米パーティーには少々荷が重い仕事ですが、ベテランのパーティーを納得させるだけの報酬はご用意出来ませんでした。チーム・バンドーの皆様のお力添えをいただき、誠にありがとうございます!」
感謝の意味合いで深々と頭を下げるお辞儀は、東アジア人特有の様式美なのだろうか。
ヨーロッパ流の洗練を意識しながらも時折顔を覗かせる、カイフンの「地の姿」に、バンドーは何処か懐かしいものを感じていた。
5月22日・13:00
建設現場に到着する、1台の黒いワゴン車。
会社や団体を意味するロゴ等は当然見られず、あくまでも寄り合い感をアピールする5人の男達は、すっかり悪党ぶりが板に着いた貫禄を漂わせて現地入りした。
「今日で5日目だぜ!いい加減腹を括って貰おうか!作業を中止して撤退するか、土地の使用料10億CPを現金で用意するか、どっちだ!?」
広大な現場を吹き抜ける風に、長髪を揺らしながら威勢の良い啖呵を切るオジャル。
ここに建設が予定されているのは、マドリードとヘタフェのスポーツクラブが主体で利用するプール。
定期的なメンテナンスが欠かせないスポーツ施設は、一度受注されると自治体やスポーツクラブと連携して長期に渡りアフターケアが行える、建設会社にとって実に旨味のある仕事であった。
「我々は正式に依頼主から仕事を受注しており、そちらの主張する地主と我々の現場の土地が無関係である事も証明されている。よって我々が作業を中止する理由も、現金を支払う理由も無い。そちらが実力行使するつもりならば、我々にも用意がある」
カイフンはハンドマイクで応戦し、彼の前にゆっくりとチーム・バンドーが集結する。
「……賞金稼ぎか。奴等、武闘大会で見た事があるな。油断するなよ、オジャル!」
オジャルの背後に隠れていた剣士コケは、小柄だが分厚い筋肉を持ち、素手での格闘にも対応出来そうなタイプ。
全面対決を目前にして、タイプの近いバンドーとは既に視線が合っていた。
「オジャル、あの女、やっちまうには惜しい美人だな」
色白で細身の剣士であるパチェコは、自身の好みのタイプらしいクレアに早速目を付けている。
「デカいだけの優男が……俺達を敵に回した事を後悔させてやる。今日は思い切りやれるんだな、オジャル!」
顔面に無数の傷を負った屈強な格闘家マタは、シルバの傷ひとつ無いイケメンフェイスにやや嫉妬している様子だ。
「……へへっ、今日はいつもに増して面白えモンが見れそうだぜ!皆、頼みますよ〜!」
マスクとサングラス姿の下からも薄ら笑いが想像出来る、軽いノリのアルバイト地主、ジョルダンは、オジャル達の勝利を全く疑っていない様子で、顔出しのアピールが終わるや否や、早々にワゴン車へ戻ろうとしている。
「……車には行かせませんよ。リンさん、頼みます。」
「はい!」
フクちゃんは素早く自身の指からシールドを発生させ、息の合ったリンとのコンビでジョルダンの捕獲に備えた。
「皆さん、これが合図です!」
リンの掛け声と同時に、建設現場に一瞬の強風が吹き荒れる。
彼女の風魔法はオジャル達の体勢を崩し、無防備な姿勢でワゴン車に戻ろうとしていたジョルダンを、思い切り地面に叩き付ける。
「ぎゃっ……!何だよ?」
衝撃から我に返り、顔を上げたジョルダンの全身は瞬く間にフクちゃんのシールドに収容され、抵抗も虚しく彼は一瞬にしてチーム・バンドーの手に落ちた。
「行くぞおおぉっ……!」
バンドーを先頭に突進を始めるパーティー。
実力派剣士・オジャルの相手は、必然的にハインツに決定する。
カイフンともに現場から距離を置いて戦況を見つめていたサンチェスは、武闘大会MVPのハインツがオジャルに敗れる事は無いと確信しながらも、自身の怨念を抑え切れず、既に腰の剣に片手をかけていた。
「おいお前、自分から傷物になるこたあねえぜ!俺の女になれよ。今よりはいい暮らしをさせてやるからよ!」
下卑た笑みこそ浮かべているものの、パチェコの肉体は無駄無く引き締まっており、剣の構えと間合いの取り方から見ても、それなりの技術とスピードの持ち主である事は窺える。
シルバお手製のセラミック・プレートと、メーガンによるリハビリの成果により膝の不安を解消したクレアは、雑音には一切耳を貸さずに着々と相手の隙を見極めていた。
「……残念ね。あたしは最近までずっといい暮らしをして来たの。今の暮らしは自分から選んだものなのよ。あんた達みたいな奴等との差を見せ付ける為にね!」
全く臆する事無く、パチェコと視線を合わせながら啖呵を切って見せるクレア。
剣の先を前方に突き出して間合いを取る事をせず、上向きに構えるパチェコは技術に自信があるタイプと言えそうだが、攻撃の準備をする瞬間に僅かばかり上体を反らせるモーションがあり、このタイプの剣士は感情の揺れが肉体とシンクロするケースが多いのである。
「……けっ、舐められたもんだな。後悔するなよ!」
顔では冷静さをアピールしながらも、クレアの言葉にかなり逆上していたパチェコの上体は反り返らんばかりに起き上がっている。
クレアは持ち前の初速を活かして相手の懐に入り込み、左手で素早く引き抜いた短剣を用いて擦れ違い様、パチェコの左脇腹を防具ごと切り裂いた。
「……ぐおっ……!このアマ!」
防具の存在により致命傷とはならなかったものの、脇腹から滲む鮮血を確認したパチェコの顔色は一変し、余裕を失った彼は猛然とクレアを追跡する。
「受け止め切れるか?喰らえ!」
渾身の一撃を上から振りかぶるパチェコ。
この攻撃を物理的にガードする事は容易だが、女性であるクレアの力では長くは耐えられない。
「……気を付けなさいよ、あんた!」
冷静な表情を崩さないクレアはわざと左手の短剣を振り上げてパチェコの視界にアピールし、全力で踏み切る直前の相手の足下を狙って投げ付けた。
「……どわわっ……!?」
短剣の直撃を避ける為にステップを無理矢理止めたパチェコはバランスを失い、剣を構えたまま地面に倒れ込む。
「ほいさっさ!」
クレアは自身の剣をゴルフパットの様に振りかぶり、パチェコの手元から剣を遠くへと弾き飛ばした。
「身長で劣る相手に懐に入る隙を与えるなんて……あんたあたしを舐め過ぎよ。剣士はさっさと引退して、悪役俳優にでも転身すれば?」
クレアは丸腰でうつ伏せに倒れたパチェコの背中に剣を突き付け、自身の勝利を確信している。
だが、彼女の足が自分の目前に来た瞬間を、パチェコは見逃さない。
「くおおぉっ……!」
パチェコはクレアの左足首を取り、全力で手前に引き寄せる。
下半身の警戒を怠っていたクレアは背中を打って転倒し、パチェコは形勢逆転とばかりにクレアに覆い被さった。
「……あうぅっ!」
「……クレアさん!?」
クレアの悲鳴に振り向いたリンは無意識の内に強大な風魔法を発生させ、近くの現場から飛んで来た作業用ヘルメットがパチェコの後頭部を直撃する。
「きゅうー」
後頭部への衝撃で一時的に意識を失ったパチェコは、少々の鼻血を出してぐったりし、そのままクレアに覆い被さったまま微動だにしない。
「……な、何なのよ!? 離れなさい、このスケベ!」
満足気な表情でクレアの胸に顔を埋めるパチェコに肘打ちを連発し、激しく狼狽してその場を逃れようとするクレアだったが、リンとフクちゃんはそんな彼女を穏やかな笑みを浮かべて見守っている。
「……クレアさんも暫く実戦から離れて、少し腕が落ちたみたいですね。頑張って脱出して下さいよ」
フクちゃんはクレアに釘を刺しながら、パチェコを捕らえる為に新たなシールドを生成していた。
「へっ、そんなに顔が大事かい?色男は辛いな!」
自身のコンプレックスへの裏返しなのか、執拗に顔面にパンチを繰り出すマタの攻撃に、シルバはやや劣勢になっている。
顔面のガードを緩めるにも、マタの屈強な体格に似合わない軽快なステップワークは下半身にあるべき隙を覆い隠しており、現状は相手のスタミナ切れを待たざるを得なかった。
(くっ……。これ程の実力者が、何故こんな汚い仕事を……?)
シルバとは同世代に見えるマタの顔面に刻まれた無数の傷は、恐らく荒れた暮らしでストリートファイトに明け暮れた少年時代からの賜物。
その人相が誤解と偏見を生み、堅気への道が閉ざされてしまった可能性も否定は出来ないものの、格闘家としてこれだけのポテンシャルを有していれば、堂々とプロを目指せる道はヨーロッパに開かれていたはず。
「……そろそろ決めるか……!そりゃっ!」
規則正しく左右のパンチを顔面に浴びせていたマタが左のジャブを2連発したその瞬間、シルバは咄嗟に顔面攻撃が終了すると察知し、自身へのボディー攻撃回避を予測した前蹴りを正面に繰り出した。
「……うごおおぉっ……!?」
咄嗟の判断ながら、シルバの前蹴りはマタのボディーを直撃し、右ストレートによるボディー攻撃を準備していた無防備のマタはもんどり打って地面に転がる。
「……ん?どうしたんだ?」
シルバもその異常に気が付く程に不自然な大量の脂汗をかき、青白い顔で地面に嘔吐を始めるマタ。
カウンターキックがボディーに炸裂したとは言え、屈強な肉体を持つ格闘家としては少々大袈裟なリアクションだ。
「……!? これは……まさかお前!?」
マタの吐瀉物に注目したシルバは、そこに不自然な口角泡と消化途中の錠剤の様な物が含まれている事を確認する。
「……これは……合成麻薬?お前、ドラッグ常習者なのか?」
シルバからの問い掛けを無視して、何とか立ち上がったマタはファイティングポーズを取り、何事も無かったかの様に拳で口許を拭った。
「……さあ、知らねえな……。続きをやろうぜ。ぶっ倒してやる!」
余分な物を吐き出し、寧ろ晴れやかな表情を浮かべるマタは闘志を取り戻し、シルバは彼が汚い仕事を選ぶ理由を確信する事となる。
「……お前、ドラッグの為にこの仕事を……?知っているのか?オジャル以外の契約はお前達のアジトと同じ今月末までだ!お前達はガルーボ建設に切り捨てられるんだよ!無駄な戦いは止めて治療を受けろ!」
マタの突進をかわしながら、シルバは懸命な説得を始める。
精神的に不安定になっているマタにシルバの声は届いていない様子であったが、彼の声は隣で剣を交えていたバンドーとコケの耳には届いていた。
「……俺達が切り捨てられる……?おいオジャル!どういう事だ!?」
バンドーとコケは一旦互いの間合いを空け、睨み合いは継続しながらもオジャルからの返事を待っている。
「……ああ?知らねえな!俺は社員だが、お前らはパートタイマーだろ?いつかは契約が切れる。そういうもんだろ!?」
ハインツと激しい戦いを繰り広げていたオジャルは、脇目も振らずに吐き捨てた。
「……何だと?ふざけんな!」
フクちゃんのシールドの中から、顔だけを出されて目を覚ましたパチェコとジョルダンも、初めて聞かされる自身の処遇に憤慨を隠せない。
ちなみに彼等の背後で、クレアとリンが面白半分にシールドを叩いたり、太字スマイルで蹴りを入れたりして遊んでいた事は秘密である。
「……お前に心配される筋合いはねえ!お前を倒さないと金が貰えねえからな!」
スタミナ切れの前に勝負を着けようと言わんばかりの、キックの猛ラッシュを仕掛けるマタ。
徐々にパワーダウンは感じられるものの、彼の恵まれた体格により、シルバとしてもまだガードを緩める訳には行かなかった。
「……うおりゃああぁっ……!」
マタの左ミドルキックを受け止めたシルバは、相手の足を引き上げて地面に転倒させ、上からマタに覆い被さる。
「……少し、眠って貰うぞ……!」
シルバはマタのパンチによる抵抗を耐え忍び、首を肘で締め上げて相手の意識を喪失させる事に成功した。
「……どうする!? 真相を知ったらこの戦いは無駄じゃないのか?」
バンドーはコケと、互いの剣で力競べをしながらも停戦を呼び掛けた。
だが、フェアな戦いを展開していた両者の空気に澱みは感じられず、コケの表情からは充実感も窺えている。
「……俺は将来に困らない大金を稼ぎたかったが、そろそろこんな仕事は潮時かもな……。だが、やさぐれちまった俺のキャリアに、剣士ランカーのお前に勝った実績は加えたい!」
バンドーより若干歳上に見えるコケではあるが、まだまだ未来のある若者に違いは無い。
剣士としてのキャリアが悪徳企業の犬に塗り潰される前に、誇り高き1勝を。
バンドーは当然、自分にそれ程の価値があるなどとは考えていないものの、この戦いが、実力がありながらランキングとは無縁の剣士に救いをもたらすのであれば、最後まで勝負に付き合う覚悟は出来ていた。
「……いいぜ、最後までやろう!でも、ランキングに載りたければ引退前にちゃんと組合に登録しろよ!」
一進一退を繰り返す、ハインツとオジャル。
剣術だけならハインツに分があるが、海千山千の傭兵剣士とも言えるオジャルは多彩なガード技術と格闘攻撃による間合いを確保し、年齢的なスタミナのハンデをカバーしている。
「本気の俺がここまで手こずる相手は久しぶりだな……ダニエル・パサレラ以来だ。流石にトップ10ランカーは違うぜ!」
オジャルは大災害世代の伝説の剣士、ダニエル・パサレラの名を敢えて出し、武闘大会で同じ大災害世代のギネシュに敗れたハインツを巧みに煽って見せた。
「……パサレラだぁ?そんなオヤジと呑み仲間なのかよ?汚ねえ貯金と一緒にさっさと引退しな!」
オジャルの言葉が少々プライドに抵触したハインツは、自身の剣のガードに使われる相手の足技を封じる為、やや前に出ていたオジャルの右膝の外側を斬り付ける。
「……ぬおおっ……!」
疲労からサウスポースタイルへの対策に隙が生じたか、防具の損壊にとどまらないダメージを受けたオジャルは激痛によろめく。
「……ちっ、仕方ねえな!」
視線を送ったワゴン車はチーム・バンドーの女性陣に包囲され、逃走手段を失ったオジャルは、やむ無くハインツに背を向けて走り始めた。
「……畜生!待ちやがれ!」
ハインツより先にオジャルの追跡体勢に入ったのは、私怨が爆発したサンチェス。
シルバも彼の暴走に気付き、ハインツとともに2人を追い掛ける。
キイイイィン……
「……痛ててっ……!」
両者の全力による剣が正面衝突し、腕の痺れが限界を超えたバンドーとコケの手から弾き飛ばされる2本の剣。
たが、格闘技の心得もある2人はこれで闘志を失う事は無く、互いに一撃必殺の最終手段に勝負を賭けていた。
「うおおおぉっ……!」
両者は漢馬鹿丸出しの真っ向勝負を恐れず、全速力で間合いを詰める。
「喰らえ!」
やや身長とリーチに劣るコケは低い体勢から右肘を引き絞り、急ブレーキは掛けられないと踏んだバンドーのボディーに狙いを定めたアッパーを繰り出した。
「……はあああぁっ……!」
地を這う様な低い咆哮から精神を集中させたバンドーの額が蒼白く光り、風魔法発生の手応えを認識した彼は、自身の意識をボディーに集中させる。
風魔法によるシールドだ。
「……!? 何だと!?」
コケのアッパーは、バンドーのボディーを直撃したはずだった。
だが、その拳は相手のボディーに到達する寸前で、謎の風圧に阻まれてしまう。
「……悪いな、緊急事態が発生しちまった。また、お前とは戦いたい。まともな賞金稼ぎとしてな!」
バンドーはコケにやや謝罪の意を込めて、サンチェスの制止を優先させる決断を下したのだ。
「どおおりゃああぁ……!」
自身の拳が阻まれた謎を理解出来ずに佇む、コケの左テンプルにハイキックをお見舞いしたバンドーは、彼が地面に崩れ落ちる姿に自責の念を感じながらも、サンチェスの追跡に全力を注ぐ。
「逃げ切れると思ってんのか?この野郎!」
怒りを剥き出しにしたサンチェスが、片足を引きずりながら辛うじて作業現場を逃走するオジャルを追い掛け回し、そのサンチェスをハインツ、シルバ、そしてバンドーが追跡していた。
この仕事が終わるまでの間、建設作業員は出勤を控えていた為、作業現場は閑散としている。
だが、それ故に現場の機械や資材、土地の高低差を利用した反撃が可能である事を、百戦錬磨の傭兵剣士・オジャルは理解していたのである。
「うらあっ……!」
オジャルは寸法マーカー代わりに地中に埋めていた鉄筋を引き抜き、自身に迫り来るサンチェスに投げ付けた。
「……くそっ!」
オジャルの抵抗に行く手を阻まれ、苛立ちを隠せないサンチェスの背後にシルバが忍び寄る。
「サンチェス、止めるんだ!」
シルバは後ろからサンチェスを羽交い締めにし、ハインツとバンドーがオジャルを左右から挟み撃ちにする準備は整った。
「……ヤキが回ったな、オジャル。観念しな。俺達はお前を殺すつもりは無えよ。お前を捕まえてガルーボ建設の悪事を暴き、ついでに企業がマフィア、テロリストなんかと関係があるのかを知りたいだけなのさ」
真っ直ぐ手前に伸ばした剣をオジャルの首の高さに合わせたハインツは、冷静にチーム・バンドーの勝利を相手に仄めかす。
「……オジャル、俺を覚えているか!? お前らに恫喝され、ガルーボ建設に工場を潰されたサンチェスだ!俺の家族と、パートナーのティーンダー一家は追い詰められて自殺したんだ!俺はお前を許さないが、真実を話せば命だけは助けてやる!」
シルバに身体を拘束されながらも、怒りのパワーで未だ予断を許さない状況にあるサンチェスは、オジャルから真実を引き出す事によって、どうにか冷静さを保とうとしていた。
だが、オジャルはサンチェスの顔はおろか、自身の仕事すら覚えてはいない。
「……ああん?そんな奴もいたかな……?俺は忙しいからな。向かって来る事も無く自殺しちまう様なクソ雑魚なんて、いちいち覚えてられねえだろ!」
「……貴様……くそっ、放せ!放せ!」
怒りが頂点を極めたサンチェスはシルバの腕を振り切ろうと、必死の抵抗を始める。
この空気には、普段温厚なバンドーも剣を改めて構え直し、オジャルとの距離間を詰めた。
「……俺が憎いか、憎いだろうな。自分でも惚れ惚れする悪党だからな。だが、悪党になるには覚悟が要る。そして、堅気の世界で善人になるにも覚悟が要る。皆覚悟を持って生きてるんだよ!まだ身体が動くのに、薄っぺらい絶望で死を選ぶ弱虫ども、ヨーロッパに来れば仕事があると考える、甘っちょろい余所者どもが、クソ雑魚で無くて何なんだよ!」
「うおおおぉっ……!」
我慢の限界を超えたサンチェス。
彼の額は血管が浮き始め、シルバでさえも制御し切れない程のパワーがみなぎる。
事の重大さを認識したバンドーは、慌ててシルバのフォローに回る為に再びオジャルから距離を取っていた。
「止めろサンチェス!こんな悪党の為に、お前の人生を無駄にするな!」
必死の説得でサンチェスを留めようとするシルバ。
サンチェスはそんな彼を睨み付け、自身とシルバには相通じるものがあると訴える。
「……お前だって、10年も昔の親の仇を追ってるんだろ、シルバ!俺がやろうとしている事を、お前もやろうとしているんだろ?復讐ってのは、こういう事だろ!違うのか!?」
サンチェスの命懸けの絶叫に、激しく動揺するシルバ。
その瞬間、一瞬力の抜けたシルバの腕を振り払ったサンチェスは剣を構えて疾走し、驚きに両目を大きく見開いたオジャルの腹部に、容赦無く剣を突き立てた。
「ぐはあああぁっ……!」
絶叫とともに吐血し、腹部からの出血を両手で押さえながら、地面に崩れ落ちるオジャル。
その悲鳴を聞いて駆け付けたクレア、リン、フクちゃんも、目前に広がる光景に言葉を失っている。
「……出血が酷いです!早く、救急車を……!」
呆然と立ちすくむサンチェスを尻目に、必死の回復魔法をオジャルに施すリンは、何かにすがる様な目で無意識の内にフクちゃんを見つめていた。
「……すみません。私は力を貸せません……。刺した者、刺された者、どちらも現実と自身への罰を受け入れなければいけません……!」
苦味走った表情を浮かべたフクちゃんは、やがてリンから目を逸らし、俯きながら自身に課されていた掟に耐え続ける。
「……警察と救急車は呼びました!幸い、病院は近所にあります!きっと大丈夫です!」
全速力で走り寄るカイフンが、息も絶え絶えに現場に転がり込み、やがて遠目からサイレンの音が鳴り響く。
オジャル、コケ、マタと、意識を失っている人間が3名いるという現実を重視し、チーム・バンドーとパチェコ、ジョルダンの8名は、現場に到着した警察官とともに病院入りする事となった。
5月22日・15:30
病院に搬送されたオジャル、コケ、マタの3名の内、コケとマタは意識が回復し、オジャルは未だ意識が混濁してはいるものの、百戦錬磨のしぶとさと言うべきか、憎まれっ子世に憚ると言うべきか、一命をとりとめる。
マタは自らの身の危険から、合成麻薬の入手先については頑として口を割らなかったものの、元来薬物依存症による前科持ちであり、ドラッグを買う金欲しさにガルーボ建設に近付いた事を白状した。
巷で悪徳企業と揶揄されるガルーボ建設も、流石にドラッグビジネスにまでは手を出していなかった事が判明し、シルバが追っていた、南米とのパイプのあるテロ組織の手掛かりも掴めずに終わる。
コケとパチェコ、ジョルダンは自身の罪を認め、重傷者を出す程の暴力は振るっていなかった事から執行猶予付きの犯行にとどまる事がほぼ確定し、社会奉仕活動の後、コケとパチェコは賞金稼ぎとしてイチからの出直しが決定。
大学を中退して目標を失っていたジョルダンは、警察から推薦された職業訓練を受ける事となった。
閉鎖間近のワンルームオフィスから、オジャルの社員証と予備の武器が発見され、今回の作業妨害がガルーボ建設からの依頼である事が立証される可能性が高まったものの、問題はサンチェスの処遇である。
オジャルとの関係性、そして実家の工場の閉鎖という過去の事実から、サンチェスには情状酌量の余地はある。
しかしながら、オジャル達の討伐を依頼されたチーム・バンドーのメンバーでは無い彼の暴行に、傷害罪が適用される事実は避けられなかった。
オジャルの回復が順調であれば、スペインでそれなりに知られているチーム・エスピノーザのメンバーには、保釈金を積んで保釈という特典が無い訳では無い。
事の争点は、エスピノーザが保釈金を支払う程の価値が、果たしてサンチェスにあるのかという点に絞られていた。
5月22日・18:00
「……分かった。奴はどうも臭うと思っていたんだ」
情報屋からの連絡を受けたチーム・エスピノーザのリーダー、ダビド・エスピノーザは電話を切り、格闘技賭博の会場へと足を運ぶ。
エスピノーザ本人が格闘家としてリングに上がる事は余り無いが、チームの元締めとして、そして賭博には付き物の「脚本家・演出家」として、彼は欠かす事が出来ない。
エスピノーザが試合会場の控え室を訪れる途中に、神妙な面持ちで佇むタワンの姿があった。
「……どうしたんだ、タワン。もうすぐ試合じゃねえか。ウォームアップをサボってたら、仕組まれた試合だと誤解されちまうぞ」
新人ながら、本格派のムエタイ・スタイルで一躍人気ファイターの仲間入りを果たしたタワンへの期待は高い。
エスピノーザが彼を控え室に無理矢理押し込もうとしたその時、タワンは突然床に跪き、懇願する様な目でエスピノーザを見上げて口を開く。
「……シャビが拘束された事、さっき知りました。エスピノーザさん、俺の稼ぎを全部積みます!だから、あいつを保釈して下さい!お願いします!」
土下座の様な姿勢で、深々と頭を下げるタワンを見下ろすエスピノーザ。
タワンにとって、サンチェスは自分の命の次に大切な親友である。
かつてシルバに捕らえられた兄を自身が保釈した様に、エスピノーザにも、タワンの気持ちは痛い程に理解出来た。だが……。
「……ダメだ。奴にはそんな価値はねえ。奴は俺の命令を無視してバンドー達に捕らえられ、偶然の流れとは言え、奴等と手を組んでつまらない復讐に我を忘れちまった。あんな奴はウチには要らねえ」
「……そ、そんな……」
エスピノーザからの冷酷な宣言に、絶望の表情を浮かべるタワン。
「……言い方が悪かったか?奴みたいな甘ちゃんは刑期を全うして、堅気の世界に戻るのがお似合いだぜ。タワン、お前が奴を連れ戻したければ、早く俺から独り立ちして、奴を雇えるくらいビッグになるんだな!もうすぐ試合だ、チャンスだぜ。やるのか、やらねえのか!?」
厳しい表情は崩さなかったエスピノーザだが、巧みにタワンのモチベーションをコントロールする話術を見せ、試合前のテンションを高める。
「……は、はいっ!やります!」
「よし、それでいい」
生気を取り戻したタワンに近付き、肩を軽く叩いて彼を称えるエスピノーザは、小声でタワンにとある情報を耳打ちした。
「……タワン。今日の相手のフェデリコ・バルベルデだが、たった今情報屋からタレコミが入った。奴はサツの潜入捜査官だ。俺達に協力して稼がせる振りをして、サツに情報を流していやがった。今日は思い切りやれ。壊しても構わねえ!」
「バルベルデがサツの……はい!喜んで!」
目の前の苦しみを忘れさせてくれる相手の登場に、俄然モチベーションが高まるタワン。
親友のサンチェスを救う為には、自分が強くなってのし上がるしかない。
決意も新たにリングへと旅立つタワンを見送りながら、エスピノーザはサンチェスの電話番号を永久に消し去った。
5月22日・19:00
「ホテルは無事に予約出来ました。賞金も、組合から受け取りましたよ!」
リンとフクちゃんは雑用を終え、バンドー達とサンチェスのいる留置所へ報告に顔を出す。
「まあ取りあえず、誰も死なずに済んで良かったな、サンチェス」
ハインツは留置所の牢屋の向こうに座り込むサンチェスに声を掛け、バンドーとシルバ、そしてクレアも最悪の事態を回避出来た事に安堵の表情を浮かべていた。
「……すみません。自分が動揺してサンチェスを離してしまったばっかりに……」
自身のミスを責めるシルバを擁護する様に、バンドーは言葉を覆い被せる。
「……いや、ケンちゃんのせいじゃ無いよ。元はと言えば俺が、サンチェスがついて来る事を許可したんだから」
「誰のせいでも無いわ。そもそもサンチェスはあたし達を尾行していたんでしょ?今回はオジャルが悪過ぎたのよ。それでいいじゃない」
傷の舐め合いに居心地の悪さを感じたクレアは、この問題にあっさりと一言でケリをつけて見せた。
「……サンチェス、どうやらお前のボスは保釈金は積んでくれなかったみたいだな。でも、お前の為にはそれでいいと思う。オジャルはいずれ回復するし、お前の過去からそこまで重い罪にはならないだろうよ。出所したら、俺に連絡をくれ。実家の農場が、若い労働力を欲しがっているんだ。ニュージーランド、いい所だよ!」
バンドーはサンチェスに全開の太字スマイルで語り掛け、久し振りに人の情に触れたサンチェスの目からは、熱い涙が込み上げている。
ちなみにサンチェスは、バンドーの故郷の幼馴染みであるサヤが熱望していた金髪のイケメンでは無く、フツメンかつ前科持ちではあるが……。
「……サンチェスさん、罪を償った後は自身の闇を忘れて、ご家族の分まで思い切り、誇れる人生を送って下さい」
フクちゃんの言葉を最後に、サンチェスに背を向けたチーム・バンドーを、今一度サンチェスが呼び戻した。
「……シルバ、分かっただろ?これが復讐の最後だ。俺は独り身だからまだいい。お前の目的の為に、大切な女や仲間を泣かせるな」
シルバはサンチェスからの最後のメッセージを胸に受け止め、それでも後ろを振り返る事無く歩き続ける。
「チーム・バンドーの皆様、今回は誠にありがとうございました!」
留置所を出たバンドー達を待っていたのは、ガルーボ建設の醜聞をきっかけにペレス建設の株を爆上げする事に成功した、ビジネス面の功労者・カイフンだった。
「今回の事件はガルーボ建設の闇を明るみに出し、スペインのゼネコンの勢力図が変わるきっかけになると思います。我々も精進して業界第3位、第2位と、一歩ずつ階段を上り、ヨーロッパ、そして世界中で皆様のお役に……わぷっ!?」
カイフン本人に悪意は無いのだろうが、余りに無神経にビジネスの話ばかりをし過ぎている。
彼の口を塞いだのはハインツ。
「今回は賞金ありがとよ。だがな、結果としてあんたらの業績と引き換えに、少なくともサンチェスとオジャル、マタの人生は前途多難になっているんだ。次はあんたらが悪党を雇って中小企業を妨害する立場になるのか?その時は容赦しねえからな」
返す言葉の見付からないカイフンを尻目に、チーム・バンドーは夜のマドリードへと消えて行った。
5月23日・1:00
「はい、ロドリゲスですが……」
情熱の街・バルセロナも寝静まる頃、警察署内の小さなオフィスにいち早く到着していた特殊部隊の隊長・ロドリゲスは、仮眠中の突然の電話で目を覚ました。
「……ロドリゲス君か?私だ、アキンフェエフだ。緊急事態が発生した」
電話の主は、EONポリスの警視総監であるオレグ・アキンフェエフ。
軍隊から警察へ移籍する形を取ったロドリゲス隊長ら、特殊部隊直属の上司であり、アースに於ける警察組織の最高責任者でもある。
「緊急事態……?我々の任務に関連した事なのですか?」
まだスペインに到着したばかりのロドリゲス隊長は、この数時間の情勢を知らず、特殊部隊のメンバーもまだ現地には呼び寄せていなかった。
「マドリード警察が、現地の格闘技賭博やドラッグの密売調査の為に派遣していた潜入捜査官、フェデリコ・バルベルデが、格闘技賭博の試合で重傷を負ったのだ。頸椎をやられていて半身不随の状態だよ。申し訳無いのだが、君の部隊の始動を早めて欲しい」
「……彼は万全の体制で送り出したはず。身内に内通者がいるのですか?」
ロドリゲス隊長は、スペインの治安の悪化に合わせて警察の総力を注いでいたはずのプロジェクトの綻びに、自分の耳を疑っている。
「……その件はまだ調査中だ。君達の当初の仕事初めはバルセロナのチャイナタウン捜索だったのだが、先にマドリードへ渡って現地の警察に協力してくれないか?可能であれば、スペイン語が話せる隊員も欲しい」
ロドリゲス隊長の特殊部隊には、クリスチャン・ガンボアというコスタリカ出身の隊員が在籍しており、更に先日、EONアーミーに除隊届を提出したボリビア出身の元レンジャー隊員、ゴンサロ・グルエソともコンタクトを取っていた。
両者ともにスペイン語は堪能であり、人材調達に於いて抜かりは無い。
「分かりました。今日中に隊員をバルセロナに呼び寄せ、明日にはマドリードに集合します」
「……すまない。期待しているよ」
通信の切れた受話器を手に、ロドリゲス隊長は虚ろに漆黒の夜空を見上げていた。
(続く)