第35話 いざスペインへ……復讐の覚悟 (前編)
これまでのあらすじ
西暦2045年、大災害に見舞われた世界は後にEONPの下に統一し、兵器と情報が軍隊と警察に集中する中、近隣の悪党に対抗する手段として、剣士と格闘家、新世代の魔導士による賞金稼ぎという職業が市民権を得ていた。
ニュージーランドの日系人農業青年バンドーは、幼馴染みのシルバを探す為にヨーロッパへと渡り、元軍人の格闘家シルバ、名家出身の女剣士クレア、凄腕剣士ハインツ、図書館司書の魔導士リン、人間界で修行中だった女神様のフクちゃんを仲間に加え、チーム・バンドーを名乗り賞金稼ぎとして活躍。
未熟者だったバンドーは成長し、武闘大会でもチーム優勝。
図書館司書を退職したリンは正式にチーム・バンドーのメンバーとなり、パーティーはシルバの両親の仇討ちの為にスペインへと乗り込んだ。
5月21日・13:00
次なる目的地、スペインのマドリードを目指すチーム・バンドーは、頑なに飛行機搭乗を拒否するハインツを説得しながら、ウィーン国際空港に到着した。
ハインツが飛行機嫌いになった理由は、カレリンとコラフスキが逮捕される程の混乱をラトビアに招いた、銀行の悪徳頭取襲撃事件の余波で一時的に急増した、東欧での仕事にある。
当時の東欧は、あらゆる列車や航空機をロシアや西欧からのお下がりで賄う程に経済が疲弊しており、老朽化した列車や航空機の事故が頻発、ハインツもあわやの経験をしていたのだ。
「大丈夫よ、オーストリアは景気いいんだから!列車も航空機も、ちゃんと新品を整備して使ってるわ」
コンパクトに機能が凝縮されたウィーン国際空港は、搭乗口までのルートに効率良く売店やトイレ等が配置されており、個人が用を足す間に旅の仲間とはぐれる様なアクシデントは極力回避されている。
クレアはハインツを説得しながらも、初めて人間の貨幣を所持したフクちゃんとともに、ちょっとした買い物にも余念は無い。
「ケンちゃんはもう、ハインツの分もチケット押さえているんだろ?ビールでも飲んで、いい気分で寝ちゃえばあっという間だよ」
太字スマイルのバンドーにも肩を叩かれたハインツであったが、未だ決心が付いていない様子である。
事故は100%防げるものではないが故、あわやの経験をした人間にとっては具体的な安全保障が必要なのだ。
「……う〜ん、仕方無いですね……」
クレアの口車に乗せられて、既に沢山の怪しいお菓子を手にしていたフクちゃんは、重い腰を上げる様にその手をかざし、周囲の視線も憚らずに何やら透明な球の様なものを指先から生成している。
「……それは……空気球?」
自らの感情が昂った時、リンが対戦相手にぶつける攻撃魔法のひとつである「空気球」。
彼女は自身の魔法によく似たその球の正体を知る為、フクちゃんに声を掛けた。
「……もっと強力な、所謂シールドですね。ハインツさん、これに入ってみて下さい」
「……?何だよそれ?よく分かんねえもんに入るなんてゴメンだぜ……おわわっ!」
フクちゃんはハインツにものを言わせる余裕も与えず、彼を強引にその空気球の中へと押し込む。
「……おい!やめ……ゴホッ……!……あれ?息出来るわ」
生まれてこの方入った事も無い謎の空気球の中で、所在無さ気なハインツはただ、ポツンと佇んでいた。
「緊急事態には、皆さんにこのシールドを提供出来ます。平地レベルの酸素はありますし、衝撃にも耐えられますよ。バンドーさん、ちょっと剣で斬ってみて下さい」
「……え?いいの?」
突然話を振られたバンドーは一瞬戸惑いながらも、普段態度のデカいハインツに剣が抜けるというシチュエーションに、実は満更でも無い様子である。
「は〜い、ただの魔法の手品です!犯罪じゃ無いから安心して下さいね!」
摩訶不思議な光景に足を止め始めた、空港の観光客が警察を呼んではいけないと察知したクレアは、咄嗟にその場を和ませた。
「……おい、バカ、止めろ!」
身の危険を感じたハインツは、自身も剣を抜こうとしたものの、狭いシールド内には抜いた剣を振り回すスペースは存在していない。
「どりゃああぁ!」
無邪気な笑顔で本気120%のバンドーは剣もろともシールドに体当たりし、その反動で見事に跳ね返されて空港内を転がった。
「……!? 凄え……!」
空港内を転がりながら観光客の爆笑を浴びるバンドーを見下ろしながら、ハインツはシールドの効果に目を丸くする。
「……このシールド内では、自分も攻撃は出来なくなりますので、戦いでは使えませんが、不慮の事故から皆さんを守る事は出来ます。私も飛行機には乗りますので、安心して下さい」
フクちゃんの底知れぬ能力に脱帽したハインツは、ようやく観念したかの様に両手を広げ、苦笑いを浮かべて首を縦に振った。
「……なんて凄い魔法なの……!貴女、マドリード便に乗るんでしょ?これで皆安全ね!」
一部始終を眺めていた同じ便に搭乗予定の女性観光客も、ファンタジー世界のテンプレの様なセリフをのたまい、フクちゃんは一躍、空港内の人気者まつり上げられている。
(……ねえフクちゃん、何だか凄い話になっているけど、シールドって飛行機全体に使えるくらいのパワーはあるの?)
何やら顔色が優れなくなったフクちゃんに寄り添ったリンは、小声で彼女に確認を取ろうと試みた。
(……え?じ、実は……同時には10人くらいしかガード出来ません……。まあ、ハインツさんが安心してくれたらいいんですよ……)
苦し気な微笑みを浮かべるフクちゃんは、そそくさとパーティーの先頭に立って搭乗口へと急ぐ。
5月21日・14:00
剣やナイフ、防具の類いを預け、一般の観光客と変わらない身なりとなった機内のチーム・バンドーは、万一の事態に備えてハインツを窓際の席へと押し込む。
窓際からハインツ、フクちゃん、バンドー、リン、シルバ、クレアの順番でちょうど1列を占拠した彼らの座席は、幸い非常口のすぐ側だった。
「マドリード行きの本便は、間もなく出発致します。シートベルトを着用し、酸素マスク、救命胴衣の位置をお確かめ下さい」
ブロンドヘアにブルーの瞳を持つ、やや大柄なCAの女性。
自己紹介の名前にドイツ語の名残りがある事から、この機体がスペインの航空会社から来たものでは無く、オーストリアの航空会社のものである事を証明している。
「ハインツ、離陸と着陸の圧を我慢すれば、後は寝てればいいのよ。怖くない、怖くない」
クレアから母親の様に諭される屈辱に耐えながら、大きく深呼吸をするハインツ。
やがて機体は、静かに走り出した。
「昨日の反動で、今日はまた快晴だよ。マドリードも晴れだって言うし、全く心配無いな!」
バンドーの言葉には仲間を安心させる気遣いが込められていたのだが、機体が速度を上げるにつれてハインツの顔色は青ざめ、ブツブツと漏らしていた独り言が徐々に大きくなって行く。
「……あ、あ……。わあぁ〜!わあぁ〜!!」
過去の記憶がフラッシュバックしたのか、両目を見開き、冷や汗を滲ませるハインツは、遂に大声を上げて暴れ出してしまった。
「……ちっ、うるさいですね……」
こんな事もあろうかとハインツの隣に配置されていたフクちゃんは、手際良くシールドを発生させ、暴れるハインツを座席ごと内部に収納する。
「……保護魔法です。お気になさらず」
事態の収拾に駆け付けたCAを乾いた笑顔で制止したフクちゃんの隣では、自身の叫びも届かなくなったハインツがいよいよ観念し、シールド内にぐったりと横たわっていた。
凄腕魔導士のリンですら思わず注視するフクちゃんのシールドに、乗客達はすっかり旅の安全を盲信してしまい、徐々に高度を上げて行く機体の片隅で、肝心のフクちゃんは無事故息災をひたすら祈り続ける。
仮に事故が発生してしまえば、フクちゃんのシールドで救助出来る乗客はせいぜい10名余り。
しかし、神族の規律から考えれば、フクちゃんがチーム・バンドーだけを依怙贔屓する訳には行かなかったのだ。
5月21日・17:00
これと言ったトラブルも無く、マドリードのバラバス空港に到着したチーム・バンドーは、武器と防具を回収して中心街行きのシャトルバスに乗り込む。
見えないプレッシャーから解放され、珍しく車内でウトウトするフクちゃんと、シールド内で熟睡して元気100倍のハインツとのコントラストが、何とも可笑しい。
時刻は既に夕方に達していたものの、雲ひとつ無い快晴とスペインの陽気なイメージが重なり、使命を背負ったシルバを除くパーティーの表情は一様に明るいものであった。
「あたしとハインツ、シルバ君はマドリードの賞金稼ぎ組合に行くわ。バンドーとリン、フクちゃんは役所で滞在登録をお願い。シルバ君、期間はどれくらいにすればいい?」
スペインは中南米からの悪党が潜入しやすい環境にある為、他地域からの賞金稼ぎにも広く門戸を開いている。
それ故、マドリード、バルセロナ、バレンシア等、大都市の賞金稼ぎ組合は役所に隣接され、互いの連携等で便宜が計られている。
クレアは、今回の旅の幹事であるシルバに滞在期間を一任した。
「……自分のわがままを、皆さんに長く押し付けるつもりはありません。1ヶ月あれば十分です」
クールに即答するシルバの頭の中には、最初の1週間で生活費を稼ぎながら基本的な情報を収集し、残る3週間で軍隊時代の仲間が集う警察の特殊部隊と合流するプランが存在している。
幸い、首都のマドリードで入手出来ない情報は限られており、残りの情報も特殊部隊のネットワークで補えるはず。
特殊部隊に協力する事となったゲレーロとの繋がりを考慮すれば、因縁のあるエスピノーザ達との対立はまず避けられない。
だが、特殊部隊の力を以てすれば、全面抗争になる前に彼等を拘束出来ると判断し、無駄な血を流す必要が無くなると確信していたのだ。
マドリード中心街に到着したシルバ、クレア、ハインツは、マドリード賞金稼ぎ組合の登録を済ませ、迷子になりそうな程の人混みを掻き分けながら、大規模なビル内を手探りで進んで行く。
賞金稼ぎ関係者だけでこれ程の人混みが出来る背景には、近年のスペインの治安悪化を反映した、「力さえあれば一攫千金」という、賞金稼ぎ達の夢の体現があった。
だが、裏を返せば、迂闊に首を突っ込むと危険な仕事が隠されている可能性が高いとも言え、各々がビル内を行き来しながら仕事を吟味している裏付けにもなっている。
「……シルバ君が仲間と合流するまでは、例え高額報酬でも危険な仕事は避けるべきだわ。報酬が少なくても、中心街を避けてヘタフェまで行けば安い宿もあるし」
武闘大会後、バンドーとハインツ以外は実戦から離れている事もあり、大事を取ったクレアの判断に反対する者はいなかった。
「……ヘタフェの宿で目ぼしい所とは、もうコンタクトを取っています。ただ、組合がこの混雑だと、シングルルームは取れないかも知れませんね……」
相変わらずの用意周到さで宿のチェックに抜かりのないシルバも、5月末での想定範囲外な人混みにやや不安を隠せない。
「……な〜に、最低2部屋取れればいいんだろ?最悪の時は、俺がフクちゃんのシールドに入って廊下に寝てやるよ」
ハインツは、フクちゃんのシールド内の寝心地が余程気に入った様子である。
彼女が女神の能力を、そんな事に利用する許可を出すかどうかは分からないが……。
互いの顔を見合わせる余裕も無いビル内の混雑ぶりからか、武闘大会優勝チームの彼等が特に注目される事も無く、3人は報酬が低めで比較的容易な仕事を重点的に捜索し始めた。
「……ねえ、これどう?明日の午後、建設作業を妨害してショバ代をせびるチンピラ達を排除しろだって!相手は剣士と格闘家が5〜6人。あたし達の人数ならやれるわ!報酬200000CP」
クレアがピックアップした仕事は、対象人数の割りに報酬額が低い為、まだ受け手が付いていないものの、相手も極端な暴力は振るっていない様子である。
建設作業が関連している事から、恐らく企業絡みのゴタゴタなのだろう。
「いいんじゃねえか?リンも怪しいワンルームオフィスの情報を集めていたらしいし、上手く行けば企業とマフィアの繋がりが分かって、シルバの役に立つかも知れないからな」
ハインツの後押しを受け、まずは肩慣らしレベルのスペイン初仕事がほぼ決定した。
野外の建設現場が舞台とあれば、リンやバンドーの魔法も自由に使える。
報酬額に目を瞑れば、まさにチーム・バンドーに打ってつけの仕事とも言えるだろう。
「……決まりね。申し込んで来るわ!シルバ君はヘタフェの宿を押さえて!」
離散を防ぐ為に3人が1列になり、カウンター奥の受付を目指す途中、シルバは暮れかけたマドリードの空を窓からふと眺め、役所へと分散したリン達に想いを馳せていた。
「……バンドー様以下6名、滞在期間は1ヶ月で宜しいですね?」
「宜しいです」
役所の受付スタッフは、如何にも田舎からの旅行者と言ったキャラクターのバンドーに緊張感を解き、偶然お菓子を沢山抱えていたフクちゃんには、お子様旅行者用の特典だったキャンディー詰め合わせを与える。
リンはそんな2人が、段々と本当の兄妹の様な雰囲気を醸し出して来た事に目を細め、スペインでの仕事が少しでも安全に進む事を願っていた。
滞在期間の登録を終えたバンドーは、不意に自身の背後に視線を感じ、時折後ろを振り返る。
そこに立つのは中肉中背で、短い茶髪と無造作な顎髭をたくわえた若い男。
その男はサングラスをかけていた為、表情を見て人物を特定する事は出来なかったものの、バンドーは彼を何処かで見掛けた事があると、確信にも似た記憶を手繰り寄せていた。
バンドーに凝視され少々戸惑いを見せた男は慌ててその場を離れ、男性用トイレへと駆け込んで自身の携帯電話を取り出し、通話を始める。
「……もしもし、エスピノーザさん?俺です、サンチェスです。今、マドリードの役所にバンドーが現れました!奴が来たと言う事は、恐らくシルバもマドリード入りしたと考えられます。どうしますか?」
この男の正体はシャビ・サンチェス。
シルバと因縁のあるスペインのトラブルメーカー、エスピノーザ兄弟の配下で、武闘大会にも参戦していた新米剣士。
彼はエスピノーザからの指示で、他地域からマドリードにやって来る不審者の情報を収集していたのだ。
「……いつか来るとは思っていたが、もう来やがったか……!奴の事だ、目的はまず親の仇討ちだろう。暫く様子見でいい。サンチェス、お前は奴等の宿を突き止めて、シルバの動きを報告しろ」
電話の向こうのエスピノーザは、チーム・バンドーが武闘大会から僅か数日後にスペイン入りした事実に驚きの色を隠せなかったものの、私怨に囚われず自身のビジネスを優先する姿勢を窺わせる。
「……エスピノーザさん、今の奴等はバンドーと剣の無い女2人だけです。警告の意味で、少し痛め付けてやりましょうか?」
チーム・エスピノーザに加入したばかりの血気盛んな若者・サンチェスは、やや自信過剰気味に自らをエスピノーザに売り込んだ。
「……サンチェス、調子に乗るな!バンドーは魔法が使えるんだ。今のお前の剣だけで奴には勝てねえよ。大人しく言われた事をやれ!」
メンタル面の弱さを突かれ、サンチェスがチーム・カムイの剣士ミューゼルに惨敗を喫したのは、僅か5日前の事。
人は、そう簡単に強くはなれない。
裏社会で生きる男だからこそ、胸に刻んでいる言葉がある。
エスピノーザは浮わついたサンチェスの態度を一喝し、そのまま電話を切った。
(……ちっ、そんな事は分かってるんだよ!)
苛立ちを抑えられないサンチェスは、無言でトイレの壁に右手の拳を叩き付ける。
マドリード育ちのサンチェスは、実家の工場と家族を失う悲しみを乗り越え、親友のタワンとともにチーム・エスピノーザに加入した。
衣食住の不安は無くなり、チーム・エスピノーザの窓口として、彼等に憧れる貧しい不良少年からも一目置かれる存在にはなれたものの、剣の腕がまだ未熟な彼は、チーム・エスピノーザの主要ビジネスである、「地下剣術・地下格闘技賭博」の選手として稼ぐ事が出来ないのである。
親友のタワンは、プロのムエタイ選手としてのキャリアがあった為、早くも人気選手のひとりとして高収入を得ているが、サンチェスは実質エスピノーザの雑用係として、はした金を受け取るだけの日々が続いていたのだ。
(……俺は、平凡な幸せを捨てたんだ……。堅気の仕事で得られる程度の生活をする訳には行かねえんだよ……!)
自らの地位を確立する為、目先の手柄を急ぐサンチェスの望みは、エスピノーザ達にとって邪魔なチーム・バンドーを、いち早くスペインから追い出す事である。
5月21日・19:00
互いの仕事を終えて合流したチーム・バンドーは、地下鉄に乗り換えてマドリードからヘタフェへと移動する。
バンドーに姿を見られてしまったサンチェスは、ジャケットとサングラスを別のものに着替えた上で、隣の列車に隠れながら追跡を続けていた。
「ここが予約の取れたホテルです。シングルルームが満席で、やむ無くダブル3室なんですが、安いですし、明日の仕事の距離的にも、今日だけはここで我慢した方がいいと思いますね……」
シルバが紹介した安ホテルは、かつて泥酔した軍の同僚を介抱した場所であり、見た目が汚ない代わりに低料金で宿泊出来、細かいマナーも特に気にしない事から、パパラッチ等の張り込みに活用されている場所でもある。
「……ああ!この雰囲気、刑事ドラマとかで観たわ〜!」
裕福な家庭で育ったクレアにとってこの怪しさは、短期間であればむしろ好印象な様子だ。
「……でも、2人ずつだと、男女相部屋がひとつ出来るよね。ケンちゃんとリンで泊まる?……いや、変な意味じゃなくて、持って来た情報の擦り合わせもあるしさ……」
バンドーは努めて冷静な態度を取っていたものの、何やら気まずい空気が背後に流れ出すのを感じ、徐々に後退りしながらパーティーの視界から消え去る。
「……私は誰と一緒でも気にしませんよ。万が一ホテルの方に怪しまれたとしても、その時はフクロウに戻れますから」
「……え!? そんなん出来るんですか?」
フクちゃんの助け船に思わず突っ込みを入れるバンドー。まるでコントの様な一幕だ。
「じゃあ、今日だけはフクちゃんに甘えましょう!バンドーとフクちゃんは兄妹って事になっているんだし、2人で泊まって。あたしとリン、シルバ君とハインツでいいでしょ?」
「宜しくお願いします」
クレアはいつもの様に強引な仕切りを見せ、バンドーとフクちゃんは改めて向かい合いながら深々とお辞儀を繰り返している。
(……あのリンってのが、シルバの女か……。あの女を利用すれば、奴等に一泡吹かせる事が出来るかも知れねえな……)
マドリードの空が夜の闇に包まれる頃、サンチェスは野望に満ちた不敵な笑みを浮かべていた。
5月21日・20:30
簡素なホテル内にはファーストフード・レストランしか存在せず、スペイン料理に憧れて遅い夕食を待ちわびていたパーティーは、フライドポテト愛好家のフクちゃんを除けば皆、落胆の色を隠せない。
とは言うものの、決して治安が良いとは言えない現在のスペインで、夜中の無用な外出は当然避けるべきである。
パーティーは早々に夕食を切り上げ、明日の仕事の打ち合わせを行う為、私物が少なく部屋が広く感じるバンドーとフクちゃんの宿泊部屋に集合した。
「バンドーさんとフクちゃん、ホテルの人にはすぐに兄妹と認識されたみたいですね。良かった」
リンは2人を温かい眼差しで見つめながら、バンドーに未成年者連れ込み疑惑が掛けられずに済んだ事を、素直に喜んでいる。
「……何だかこうしていると、フクちゃんがフクロウだった頃を忘れちゃうわね。今も何処かで、神様や女神様が動物になって修行してるなんて……」
クレアは目の前に座る少女の歴史を振り返り、このパーティーの旅そのものが夢物語では無いのかと、自身の腕をつねって痛みを確認していた。
「私の弟分に当たる15番は、人間に例えると10歳くらいの、やんちゃな男の子です。彼もそろそろ修行に出ろと急かされていますが、どの動物に変身するか迷っている様ですね。死んだら修行のやり直しですから」
自身が飛び続けたヨーロッパの夜空を眺めながら、フクちゃんは自然の中で動物が生きる事の厳しさと喜びを回想する。
「犬とか猫になっても、人間の飼い主がろくでなしだったら不幸だもんね……」
「……でも、鳩やカラス、雀になったら、人間がいなければ生活は安定しませんよ。自分は彼等が人間の残り物を求めて、どんな戦場にも住み着いているのを見て来ましたから」
バンドー、そしてシルバも人間と動物の関係にはひと言ある様子。
その一方で、ただひとり飛行機で仮眠を取って元気なハインツは早く仕事の話を進めたいらしく、貧乏揺すりをしながらウズウズしていた。
「そんな事より、仕事の話をしようぜ!明日の正午にマドリード郊外の建築現場で担当者と話をしてから、13:00から予定されている工事再開を定期的に妨害するチンピラどもを撃退する仕事だ。だが、チンピラどもが何処の組織に雇われているのか、確かな情報は無い。依頼主はあくまで、ライバル企業の嫌がらせだと言う認識の様だが……」
痺れを切らしたハインツは、自らが率先して話題を仕事に全振りする。
マドリードは伝統的に建設業が強く、ヨーロッパ屈指のゼネコン「ガルーボ建設」の圧倒的なコネクションは、ヨーロッパ以外の地域の大事業にも度々顔を出していた。
今世紀序盤の、テクノロジーや金融商品の氾濫による建設不況も何のその、大災害からの建設ラッシュを追い風に勢いを盛り返した業界大手は、過去をも凌駕する盤石な体制を固めつつある。
しかしながら、一部の巨大企業の横暴は中小企業を疲弊させ、部品工場の閉鎖や下請け業者の倒産が連鎖。
その穴を埋める為、他地域からの安価な部品や労働力を頼る悪循環に、ヨーロッパの建設業界関係者には不安と怒りが広がっていたのだ。
「依頼主のペレス建設は、スペイン企業ではありますが中国の資金援助も受けた新進気鋭です。彼等に遠慮無く圧力を掛けられる時点で、そのチンピラはガルーボ建設に雇われていると見るのが妥当でしょう……」
シルバの分析を耳にして、急に何かを思い出した様に自らのバッグを探るリン。
彼女が取り出した紙切れは、図書館でメモを取ったスペインのワンルームオフィス情報である。
「……マドリード郊外の老朽化したテナント。近々取り壊しを控えているこのテナントに、ガルーボ建設の名前でワンルームオフィスが最近入っています。3ヶ月限定の、出張所扱いですね」
「……そこがチンピラどものアジトか。カムフラージュの為に、もう2〜3件マドリード郊外に仕事を入れているかも知れないな。依頼主に訊いてみるか」
シルバ、リンの証言を照らし合わせ、少しずつ解けていく謎に合点の笑みを浮かべるハインツ。
そこにはただの嫌がらせでは無い、ビジネスとしての裏側が見え隠れしていた。
「俺は経済とか良く分からないけど、業界第1位がそこまでセコい事しないといけないのかな?」
周囲で助け合いさえすれば、稼げずとも食糧の不安は無いオセアニアの農家一筋で育ったバンドーには、この構図は今イチ理解し難いものがある。
それまで黙ってパーティーの話を聞いていたフクちゃんが、ゆっくりと口を開く。
「スペインの治安の悪化の背景には、中南米からのドラッグや犯罪者の流入があると言われています。でも根底には、長引く不況による失業者の増加と、それに伴う医療・福祉のサービス低下もありますね。疫病の流行に弱い地域ですし、偏った産業に頼った経済である為に、余所者は排除するという、縄張りでの競争力を過剰に意識しているんですよ」
「その状況を招いたのは自分達だってのにね、全く……。リン、オフィスの期限はいつまでになってるの?」
クレアからの問いかけにメモを確認したリンは、目を見開いて驚きのリアクションを見せる。
「……5月31日、今月末です!」
「チンピラごとトカゲの尻尾斬りだな!この仕事、俺達が引き受けて良かったと言うべきか……?」
ハインツの表情はみるみる内に闘志に満ち溢れ、この仕事が単なるチンピラ撃退にとどまらない価値を持つ現実を、パーティー全員が確信する事となった。
5月22日・10:00
一夜が明け、2食連続のファーストフードを避けたいチーム・バンドーは朝食を取る事無くホテルをチェックアウトし、昼食を兼ねてヘタフェのレストランを訪れている。
朝から深夜まで営業する、所謂ファミレスの様な形態ではあるが、低価格でマドリード仕込みのスペイン料理が食べられると評判の店で、朝から店内は超満員だ。
「スパニッシュとイタリアンは、誰の口にも合うわよね〜!どうしてだろ?」
「上手くは言えねえが、野菜料理にも肉料理みたいな風味があって、肉料理にも魚介料理みたいな風味があるからじゃねえか?味覚の最大公約数だな!」
クレアのコメントも、ハインツのコメントも、ある意味的を得ていると言えるだろう。
「俺、モツ料理大好き!どうせ田舎者だからな、少し生臭いくらいでも大丈夫だよ!」
バンドーが夢中で頬張る料理は、カジョス・マドレリーニョと呼ばれるマドリードの伝統料理。
牛の内臓をトマトソースで煮たもので、チョリソーや生ハム等、多彩な食材の旨味で臭みも気にならないと評判である。
朝からがっつく類いの料理では無いだろうが……。
「朝からこんなにニンニク食べちゃって大丈夫でしょうか?でも美味しいです!」
リンは自身の口臭を気にしつつも、食を進めるその手が止まる事は無かった。
自身の立場上、動物の肉を食べる事は殆ど無いフクちゃんは、ソパ・デ・アホと呼ばれるニンニクスープをお上品にすすり、大食漢のシルバは終始無言で全ての料理を喰い尽くす。
(ちくしょう……朝からあんなに喰いやがって……。奴等の方が金持ちだなんて、俺はぜってー認めねえからな……!)
既にエスピノーザに報告を終えていたサンチェスではあったが、自身の野望の為にチーム・バンドーを尾行し、店の外からリンを拉致する機会を虎視眈々と窺っていた。
5月22日・11:20
「早く着き過ぎちゃったわね……。ちょっとコンビニで時間潰した方が良さそう」
レストランを出た直後にやって来たバスが、偶然目的地をフォローしていた為、チーム・バンドーは仕事場に40分も早く到着してしまい、クレアもやや対応に苦慮している。
「……あのコンビニ、きな粉ねじり売ってますかね……?」
フクちゃんのマニアック過ぎる質問には、もはや誰も答える事は出来なかった。
パーティーがコンビニに進路を取ろうとしたその瞬間、リンはコンビニの数件先にある、小さな書店を発見する。
トイレから倉庫、売り場までがほぼ地続きになっている、蔵書数には全く期待出来ない店舗ではあったが、無類の読書好きであるリンが書店を目の当たりにして、冷静でいられるはずが無い。
「……すみません、私、そこの書店に寄らせて貰っていいですか?時間までには戻りますから!」
普段とは瞳の輝きが違うリンの表情に、パーティーは快く理解を示し、リンは深々と頭を下げて書店へダッシュ、他の5人はコンビニへと姿を消した。
(あの女がひとりで書店に……これはチャンスだ!)
チーム・バンドーを尾行していたサンチェスは、ここぞとばかりにリンの後を追って書店へと駆け込む。
リンにとってはミュンヘンの書店を訪れて以来、約10日ぶりの探索。
この書店は地元大学の教材も扱っている様子で、小規模ながら経営の危機を感じさせない、整然としてアットホームな雰囲気を窺わせていた。
大災害以前の世界では、電子テクノロジーの発達による紙媒体の絶滅が危惧されていたものの、復興段階でEONPが施行される事によって電子情報ネットワークが政府に制限されると、結果として紙媒体は復活を遂げる。
リンの世代には、20世紀の人々と同様に、紙の書籍は知識や教養の基本として、再び位置付けられていたのである。
(……ああ、この感じ、久しぶりだわぁ〜!)
仕事絡みで訪れる図書館と、趣味の世界で訪れる書店では、やはり解放感が違う。
リンは書籍の詳細確認の為、魔力制御用の伊達眼鏡を外して本棚を凝視していた。
「……その作家の新作、今日発売なんですよ。まだ倉庫にあって、店頭には並べていませんが、ご案内致しましょうか?」
本に没頭する余り、周囲への警戒心がゼロになっていたリンの背後から聞こえる男の声。
「え、いいんですか?」
リンが興奮気味に振り向いたその先には、サングラスの代わりに縁の細い眼鏡をかけたサンチェスの姿。
彼は剣や防具を装着せず、持ち前のありふれた風貌と穏やかな眼鏡の印象もあり、リンは彼を書店の店員だと認識している様子である。
「ええ、美人は特別サービスですよ。こちらへどうぞ」
大好きな本に関するイベントで、リンに気の弛みがあった事は否めないが、美人に対する依怙贔屓が頻繁に許容される南ヨーロッパに於いて、この行動を怪しむ客はいなかった。
マドリード育ちのサンチェスにとって、この街は自分の庭なのである。
「さあ、ここですよ」
サンチェスは無言でリンを引き連れたまま、無人の倉庫を通過して壁際のトイレに到達した。
「……え?倉庫はさっき通り過ぎた様な……?」
リンがリアクションに困惑しているその瞬間、サンチェスはリンの背後に素早く立ち回り、彼女の両手首と口を自らの手で拘束する。
「騒ぐな。あんたを痛い目に遭わせたくはねえ。シルバをスペインから追い出す為の人質として、少しだけ俺に付き合って欲しいだけさ」
サンチェスの突然の豹変ぶりに言葉を失っていたリンは、シルバに執着するスペイン人というキーワードを自身の頭の中で繋ぎ合わせ、彼がチーム・エスピノーザの一員である事を鮮やかに思い出していた。
「……貴方、武闘大会に……?どうして私を?」
「ウチの商売が軌道に乗っている時に、奴にこの辺りをウロウロされたんじゃ堪らねえよ。ゲレーロをサツに突き出したのも奴らしいからな。だが、奴も自分の女を危険な目に遭わせる程バカじゃねえだろ」
サンチェスのこの言葉を聞いた瞬間、リンは理解する。
賞金稼ぎと言う職業は、ただ目前の悪党を退治して、依頼主や地域の人々から感謝されるだけの職業ではない。
異なる正義を持つ者から恨みを買い、公私を問わず標的にされる可能性のある職業であるという事を。
だが、パリを去るとき覚悟は決めた。
今の自分の役割は、傷付いた仲間を治療する為だけの回復魔導士にとどまる事ではない。
幸い、身体の自由を奪われても魔力制御用の伊達眼鏡は外れており、通路の窓は換気用に開け放たれている。
「……私が、貴方の思い通りになるとでも?」
急速に落ち着きを取り戻したリンは、サンチェスの腕の中で意味深な笑みを浮かべるまでの余裕を見せていた。
「……何だと?あんたの都合なんざ訊いちゃいねえよ。チーム・バンドーの連中は、仲間を見捨ててまで任務は遂行しねえだろ?奴等を追い出し、暫くスペインから遠ざければ、あんたは返してやるから、大人しくしてるんだな」
強がってはいるものの、まだ悪党になり切れていないサンチェスの表情からは、明らかに動揺が窺えている。
「……話が通じていませんね。貴方がチーム・バンドーをどうするかでは無く、貴方が私に勝てるかどうかですよ……はああっ……!」
魔力を高める為に意識を集中したリンの瞳が蒼白く光り、換気用の窓から細く威力の凝縮された風魔法が発生。
サンチェスの身体に絡み付いた風魔法は、瞬く間に両者を引き剥がし、勢いに押されたサンチェスはよろめいて床に膝を着いた。
「……くっ!このアマ、舐めやがって!」
怒りの形相でリンに突進を仕掛けるサンチェス。
彼はまだ、リンの魔導士としての実力を理解していなかったのである。
「たああっ……!」
自らの左肘に魔力を集中させたリンは、サンチェスの突進を素早くかわし、離れ際にその蒼白く光るエルボーアタックを、相手の左テンプルへと炸裂させた。
「……ぐおっ……!」
衝撃の余りダウンしたサンチェスは、膝から床に崩れ落ち、やがてゆっくりとうつ伏せに倒れ込む。
「……どうかなされましたか?お客様?」
物音を聞いて、本物の店員が通路に顔を出す。
幸運にも大した騒音が無かった為、リンは慌てて愛想笑いを振りまいた。
「……すみません、間違って倉庫に入っちゃって……。トイレ、奥でしたよね?」
リンは床に突っ伏しているサンチェスを隠す様に、わざと両手で大袈裟なジェスチャーを見せ付けると、店員が売り場に戻った後に携帯電話を取り出し、コンビニで時間を潰していたチームメイトを呼び寄せる。
5月22日・11:40
サンチェスを近くの広場に運び込んだチーム・バンドーは2手に分かれ、仕事前に行われる依頼主との打ち合わせを、ひとまずシルバ、クレア、ハインツに任せる事となった。
バンドー、リン、そしてフクちゃんは、書店のトイレに剣を隠し持っていたサンチェスの回復を待って彼から事情を聞き出し、エスピノーザ達の動きを逆に探ろうと試みる。
「……うう……ん?ここは?俺は一体……?」
広場のベンチで目を覚ましたサンチェスは、まだ意識がはっきりしていなかったものの、目前に佇むリン以外のふたつの人影には、慌てて警戒心を露にしていた。
「……バ、バンドーか!? その隣のガキは誰だよ?」
ガキと名指しされた事に、少々気分を害して眉をひそめたフクちゃんではあったが、コンビニで入手した、ナッツぎっしりで確かな満足を感じさせるチョコレート菓子を頬張って機嫌を調整する。
「……話はリンから聞いたよ、サンチェス。お前は通路の防犯カメラの死角までリンを呼び寄せて、彼女を拉致しようと考えたみたいだけど、倉庫の防犯用の集音マイクが高性能で、音声が録音されていたみたいだよ。俺達が突き出せば、お前は拉致容疑の現行犯だね」
サンチェスの出方を窺うかの様に、ゆっくりと辺りを散歩してみせるバンドー。
「……何が言いたい?」
不審な視線をバンドーに向けるサンチェス。
何やら取引が隠されていると疑っている様子だ。
「ケンちゃん……いや、シルバを追い払う為に、エスピノーザから頼まれたのか?」
単刀直入に本題へと切り込むバンドー。
エスピノーザがリンに手を出す程の悪党であれば、自分達もそれなりの対決姿勢を打ち出さなければならなくなるだろう。
リン、そしてフクちゃんにも緊張が走る。
「……いや、エスピノーザさんは女やガキに手は出さねえ。今回の件は、早く組織でのし上がりたい俺の単独行動だよ……」
やや苦し気な口調ながら、真っ直ぐバンドーの目を見て話すサンチェスの表情からは、嘘を感じる事は出来なかった。
「……そうか……。リンは、お前からは余り悪意を感じなかったと言っている。お前が悪事に手を染めた理由を話してくれないか?その話によっちゃあ、今回は見逃してもいいというのが、俺達の見解だよ」
バンドーがサンチェスを説得する隣で、深く頷くリン。
サンチェスは観念したか、余り思い出したくも無い自身の半生を振り返る。
「…………」
家族の絆に恵まれていたバンドーやリンにとって、余りに重過ぎる真実。
サンチェスとタワンの家族を心中に追い込んだ大企業の横暴は、この後に控えている仕事と決して無関係では無かった。
……いや、もしや……ひょっとして……?
「……お前の実家の工場、建設作業用の部品工場だと言っていたよな?俺達の今日の仕事は、ガルーボ建設に雇われている疑いのあるチンピラを退治する事なんだけど、もしかして……?」
バンドーからの問い掛けに、サンチェスは一瞬驚いた様子を見せ、やがて憎しみを露に表情を歪め、ゆっくりと頷く。
「……奴等だよ。そいつらが同一人物とは限らないが、ウチを恐喝しに来た奴等だよ……!」
(続く)