第34話 チーム・バンドーの長い休日 ⑤
5月20日・12:00
EONPヨーロッパ会議は順調に午前の日程を終え、休憩とともにレンジャー部隊のアトラクションが始まる予定だった。
「予定だった」と言う結びを用いた理由は、オーストリアから始まった豪雨が雨雲の移動によりスイスやドイツにも及んだ為であり、軍用ヘリから吊るされるモニターに映し出されるメッセージともども、視認性の確保を優先させる措置が取られた為でもある。
幸い、スイスに侵入した雨雲の流れは速く、13:00前にはヘリが到着する事が決定し、搭乗するレンジャー隊員の詳細も映像付きで判明した。
「ノルドベイト、チェン、グルエソ。それぞれノルウェー、中国、ボリビアのエリート隊員です。一緒に仕事をした事もありますから、映像に間違いはありませんよ。ひと安心ですね」
警備に於ける唯一の懸念だった、レンジャー隊員が本物であるかどうかという問題も無事に解決し、未だマシンガンを抱えたままではあったものの、ガンボアの表情からは安堵感が覗いている。
「ヨーロッパ会議ですから、今日は恐らく近年のドラッグ蔓延や、軍隊・警察OBの犯罪等がテーマなんでしょう。フェリックス社を始めとしたイスラエルの動きは確かに不気味ですが、昨日ザルツブルクでフェリックス社の幹部が拘束されたそうです。何やら動物の密売容疑らしいですね」
モバイル端末からの情報を眺めながらキムが語るこの事件の解決に、まさかバンドーとフクちゃんが大いに関わっていた事など、流石のシルバも知るよしは無いだろう。
「フェリックス社としては、寝耳に水のやらかしでしょうね。奴等はあくまでイスラエルのイメージを上げてからEONPでのイニシアチブを握る事を目指していますから、暫くはイスラエルのテロリストも黙らされると思いますよ」
ガンボアはまるで、テロリストとフェリックス社が癒着している事が前提の様に話を進めている。
もっとも、テロリストには資金源が必要であり、ドラッグや賭博、密輸などの非合法資金だけでは政治的思想に基づいたスケールのテロは起こせない事を、テロの現場の最前線に出た事のある軍人であれば誰もが認識していた。
シルバが抱えるもうひとつの懸念は、ロドリゲス参謀とレブロフ司令官が推進して来た、軍の多人種政策が否定されてしまう事。
ドラッグの蔓延が、軍の役職に南米やアジア系の人材を採用した事と関連付けられた場合、EONPは名前だけのヨーロッパ至上主義に逆戻りしてしまうのだ。
「……新体制の不安ですか?ロドリゲス参謀が除隊してもレブロフ司令官の留任は決まっていますし、後を継ぐリトマネン参謀の代までは大丈夫ですよ、中尉」
先日行われた後任の参謀選挙では、フィンランド出身の穏健派・リトマネン中佐が多数の支持を受けた事に、キムもひとまず胸を撫で下ろしている。
だが、次期司令官候補筆頭である強硬派のジルコフ大佐が立候補する2年後には、軍部の激動は避けられないだろう。
リトマネン中佐は現在こそ穏健派に転向してはいるものの、かつてジルコフ大佐の部下だったのだから。
「……ヘリから通信だ!あと10分で上空に到着する!総員、配置に着け!」
小隊長の合図を機に、雨雲の通過とともに陽射しが見え始めた空の下、シルバ達も持ち場へと急ぐ。
久し振りの軍事行動に、水の溜まった芝生に足を取られるシルバを見たガンボアとキムは、かつての上官のブランクに目を細めていた。
「くっ……まだまだやれると思っていたが、2ヶ月のブランクは長かったな……」
ゴーグル越しに苦笑いを浮かべるシルバが受け取ったのは、今回の行動の装備には採用されていない、キムの私物である拳銃。
正式には軍を除隊しているシルバに、有事の際にテロリストを射殺する権利は無い。
現在の彼が持てるのは、あくまで護身用の小銃なのだ。
ババババッ……
雨雲を切り裂いた日光を背中に、上空に現れた軍用ヘリ。
事前に届いた映像と全く同じ機種であり、機体の下から大型のモニタースクリーンがぶら下げられている。
「ヘリが来たぞ!」
警備に当たる兵士と警官、会議室でヘリの到着を待っていた参加者全ての視線が、モニタースクリーンに集中した。
「ALL OK」
モニタースクリーンに表示された文字は、会議終了後の帰路に関して、全てのコースを利用出来るという意味を表している。
ハインツ達が捕らえたゲルハルトを始めとするドイツでの要注意人物の取り締まり、また、ザルツブルクでのカブール拘束等の効果か、テロへの動きが見られない事に、会場の全員から拍手と歓声が沸き起こっていた。
「良かったですね、中尉。これで中尉を、お仲間の皆さんが待つ街へ直接届ける事が出来ますよ」
ガンボアはシルバの背中を軽く叩き、今回の任務に終わりが近付いている事を、キムとともに素直に喜んでいる。
「……3、2、1、ゴー!!」
上空でホバリングを続けるヘリから3本のロープが降ろされ、パラシュートを着用せず、背中の命綱1本だけでロープを伝うレンジャー隊員3名が姿を現した。
ゴーグルとヘルメットこそ着用してはいるものの、雨雲一過による不規則な強風をものともせずにロープを降りて行くレンジャー隊員の、卓越したテクニックとボディーバランスに、地面の兵士と警官から更なる口笛混じりの歓声が飛び交う。
3者がほぼ完璧に横並びしながらロープを降下し、その動きに合わせてヘリも高度を下げて行く。
ロープの先が地面から5メートル程になった瞬間、1人のレンジャー隊員の合図によって命綱が外され、3者は同時に地面へと着地した。
「ヒューッ!お見事!」
兵士と警官、更には会議室の要人達からも盛大な拍手と歓声が沸き上がる。
役目を終えたヘリを見送る彼らレンジャー隊員が、今日の警備で活躍する事は無さそうにも思えるが、これは言わば平和記念のアトラクションと捉える事が可能であろう。
「お疲れ様です。自分は小隊長のカルピン少尉です。今日は宜しくお願いします」
色白で長身のロシア系少尉、カルピンが握手を差し出した向こうには、細身なブロンドヘアの射撃エキスパートであるノルドベイト、小柄だが屈強な格闘家タイプのチェン、中肉中背だが身体能力の高い爆薬の専門家・グルエソがヘルメットを脱いで待機していた。
「……ご報告の通り、今日の現場は平和だ。俺の仕事はせいぜい、仕掛けられてもいない爆弾探しくらいだな。……おいチェン、そのジャケット暑くないのかよ?」
レンジャー隊員のムードメーカーであるグルエソは、いつもに増して分厚い身体に見えるチェンがヨーロッパの寒さを警戒して着膨れしていると推測し、ジャケットの襟元を掴んでからかって見せる。
「……離せよ。俺はこれから大事な任務があるんだ。会議室のお偉方に故郷からのメッセージを届けないとな」
何やら神妙な面持ちのチェンの様子に周囲は一瞬沈黙し、やがて爆笑の渦に包まれた。
「……おいチェン、蒸し暑さで頭がイカれたのか?俺達警備の隊員が、会議中のお偉方に意見なんて出来る訳無いだろ?要望の類いは前もってロドリゲス参謀にメールでもしとけよ!参謀なら話だけは聞いてくれる」
レンジャー部隊のキャリアが長いチェンが、そんな軍の常識を知らないはずが無い。
だが、グルエソと周囲の冗談ムードに全く乗
ろうともしないチェンの表情に、ノルドベイトは眉をひそめる。
「……おいチェン、お前少しおかしいぞ。気分が悪いなら休んでろ」
その小柄な仲間の両肩を上から押さえ付けたノルドベイトの腕を強引に振り払い、怒りの形相と化したチェンは周囲を睨み付け、ジャケットのファスナーを勢い良く下げた。
「……チェン!?」
そこには、異様な光景がそびえ立つ。
チェンのジャケットの下には、シャツにくくりつけられた20本以上のダイナマイト。
彼の右手にはライターが握られ、導火線にいつでも着火が可能な態勢が取られている。
「……馬鹿な真似は止めろ、チェン!自分が何をしているのか分かってるのか!?」
騒然となる現場で、グルエソの叫びに警官が我を忘れて立ちすくむ一方、ガンボアら兵士は反射的にマシンガンを構えていた。
「……動くな!動いたら自爆するぞ!俺はお偉方に俺の故郷の現状を訴える為にここに来たんだ!ヨーロッパ……いや、世界の犠牲になった故郷、中国の現状をな!」
チェンはライターを点減しながら周囲を牽制し、これまで仲間に話した事も無い、彼の故郷である中国について憂い始める。
「……ロシア兵器の下請け、いや、世界中の下請け奴隷と化した低賃金、重労働の庶民達。これだけ経済を支えながら、いつまでもアジアは一流と認められず、南米やオセアニアにさえ劣る信用。どう考えてもおかしいだろ!俺は故郷の未来の為に、命を削って軍に尽くしてきた!だが、もう我慢の限界だ……お偉方に、その辺を問い質したい!」
血走った眼を見開き、激しく唾を飛ばさん勢いの絶叫。
普段寡黙なチェンは、ここまで感情を露にまくし立てる事は無い。例えそこが戦いの最前線であったとしても、だ。
思想の善し悪しは別として、彼のその異様なまでの迫力に、シルバも言葉を失っている。
「……おいチェン、どうしちまったんだ?それ、お前の本音じゃ無いんだろ?誰かに洗脳されたのか?おかしな宗教か何かにハマっちまったのか?」
普段からチェンと親しかったグルエソは、努めて冷静な態度で両手を広げてチェンに近付き、相手がやや緊張を弛めた瞬間、両手を巻き込む様にチェンに抱きついた。
「……グルエソ!?」
「……くっ、離せ!離せ!」
周囲のざわめきを背に、爆薬の専門家であるグルエソは仲間を心配する素振りを見せつつも、ダイナマイトの処理を優先させる。
彼の決死の行動に意表を突かれたチェンは、どうにかして脱出を試みるも、下手な行動で要人達を目前とした、この場所でダイナマイトを爆発させる訳には行かない。
「……本物のダイナマイトは11本だけだ!1本おきに紙だけの筒が混じっている!紙から抜いて行けばバラせるはず!援護してくれ!」
チェンと揉み合うグルエソに駆け寄る警官達。
幸い、この任務にあたりチェンは銃やナイフを持たされてはいなかった。
マシンガンを構えて牽制を続ける兵士達の中でノルドベイトは、単発発射に向かないマシンガンではダイナマイトを巻き付けたチェンに発砲出来ないと判断し、偶然シルバが持っていた小銃に目を付ける。
「……もう、呼び捨てでもいいだろう……。シルバ、その銃を借りるぞ!」
ノルドベイトは、キムから渡されていたシルバの小銃を半ば強引に奪い取り、チェンの逃走に備えて思惑を巡らせていた。
次代を担う若手エリートと呼ばれたシルバも、射撃だけは敵わなかったノルドベイト。
細身の体格で、格闘技にやや劣る彼がレンジャー部隊に残れたのも、ひとえにその射撃技術によるものである。
「……うおおぉっ!どけっ!」
グルエソが背中のダイナマイトを数本抜いた瞬間、周囲の手を振り払ったチェンは逃走を始め、事務局ビルへと進路を切った。
当然、会議室前の警備にも万全は期しているものの、ダイナマイトを身に付けた突然の乱入者への迂闊な攻撃は、大惨事を呼びかねない。
小隊長のカルピンは会議室と連絡を取り、ノルドベイトは周囲のマシンガン部隊を制止してひとり小銃を構える。
頭部を狙って射殺する、或いは足を狙って転倒させる。
それでもチェンの暴走は阻止出来るだろう。
だが、予想のつかない転倒では火薬の飛散を含めた危険性を排除出来ない。
人体のメカニズムを利用した、膝を折ったうつ伏せによる着地でリスクを最小限に抑える為には、脊椎への正確な一撃が必要となるのだ。
「……マジかよ……!? 仲間を撃つのかよ!?」
チェンと親しかったグルエソは、目の前の光景からやむを得ない選択であると認識しながらも、まだ心の準備が出来ていない。
パアアァン……
表情ひとつ変える事の無いノルドベイトは冷静かつ的確に、グルエソがダイナマイトを抜いた僅かな隙間からチェンの脊椎を狙い撃ちした。
「……ぐおっ……!」
激痛とともに、突然下半身の自由が利かなくなったチェンは膝を折り、ビル入口を目前にして、そのままうつ伏せに地面へと倒れ込む。
「……ヘリを呼び戻せ!軍法会議はチェンが回復した後になる!まずは救急搬送だ!」
カルピンは部下にヘリの呼び戻しを命令し、自身は会議室への詳細報告、そしてメディカルスタッフの派遣を要請した。
「……ぐっ……ああぁっ!」
レンジャー隊員ならではの心身の強靭さにより、未だ辛うじて意識を保っているチェン。
しかしながら、救急搬送が間に合った所で彼の半身不随は免れないだろう。
「……良くて一生車椅子、軍法会議次第では死刑だな、チェン。何があったかは知らないが、お前が仲間だったのは5分前まで。今のお前はただのテロリストだ」
冷徹に歩み寄るノルドベイトからの銃の返却を、無意識の内に拒否していたシルバの間に慌ててキムが割り込み、自身の小銃を受け取る。
これが2ヶ月前まで、当たり前に受け入れて来た軍の現実。
だが、バンドー達との生活にすっかり馴染んだ今のシルバに、この殺伐としたリアリズムを受け入れる事は出来なかったのだ。
「……何てこった、チェン……。確かに最近、少し付き合いが悪くなった様な気はしていたが、今の今まで故郷の話なんか聞いた事はねえよ!」
目の前のチェンが生きている事で、最低限の理性は保っていたグルエソではあったが、普段から仲の良かった彼でさえ予知出来ないチェンの反乱は、単なる不満分子によるいちクーデターとして片付ける訳には行かない。
「……新興宗教か、怪しい自己啓発セミナーか、それとも中華系財閥の接触か……?グルエソ、チェンの所属部隊は変わっていないのか?」
「……俺と同じ、スペインのバルセロナの部隊だよ。近年チャイナタウンが出来て、目撃情報もあったみたいたが……」
ノルドベイトからの問い掛けに、最低限の返答だけを見せたグルエソ。
仲間のプライベートには互いに過干渉しないのが、過酷なレンジャー部隊のルールであった。
(……バルセロナですか……。我々の仕事が増えそうですよ、中尉)
除隊後はスペインから仕事を始める予定である、ロドリゲス参謀率いる特殊部隊に入隊が内定していたガンボアとキムは、やや表情を曇らせながらシルバに耳打ちする。
今年のEONPヨーロッパ会議に、外部からの妨害は存在しなかった。
だが、イスラエル、スペイン、そして中国と、軍はもとよりEONP自体の内部崩壊を招きかねない危険因子の調査は、もはや待った無しの状況に追い込まれていた。
5月20日・13:00
図書館司書として最後の任務を遂行する為、パリにある中央図書館を訪れていたリンは、ここ数年のヨーロッパの剣士ランキングデータを収集し、プリントアウトを行っている。
この作業はあくまで、ハインツを始めとしたチーム・バンドーの立ち位置を確認する為のものであり、一般のユーザーにも閲覧や収集の制限は無い。
単純に、現地の司書の手を煩わせるくらいなら、司書として同じネットワークに属する自分が了承を得て作業した方が良い、というレベルの話であった。
続いて、いずれ両親の仇討ちの為にスペインへと乗り込むであろう、シルバの安全を願う彼女自身の配慮の一環として、スペインの住宅情報に収集の手が付けられて行く。
この情報は、いかに司書であろうとも収集は禁じられており、専用のコンピューターからの閲覧アクセス時間にも制限がある。
リンは膨大な情報の中から、マフィア組織の隠れ家になっている可能性のある所有者不明の物件、或いはワンルーム運送業などの怪しげな物件を素早くチョイスし、捜索に推測が立てやすい様に、均等な土地間隔を空けて頭の中に叩き込んで行くのであった。
「……ああ!もう限界!」
流石のリンも、自身の頭脳の限界まで記憶した情報を吐き出す為、トイレへ駆け込んで一心不乱にメモを取り始める。
こんな用途による情報収集が判明したら、どのみち自分は図書館司書をクビになるだろう。
作業が一段落したその瞬間、リンは兄ロビーや父ハオミュンの無鉄砲ぶりを笑えない自身の行動力に、呆れ返る程の笑いがこみ上げていた。
後に明らかになる事だが、彼女が最初に記憶した最新の情報は、つい先程更新されたばかりの、ベンチャー企業の社長が事情聴取を宣告されて夜逃げする様に飛び出した物件、つまりシャキーラの父親の個人オフィスの情報である。
不自然な目的で駆け込んだトイレから出たリンは、ふと自身の携帯電話に1通のメールが届いている事に気が付いた。送り主はクレアだ。
『リン、図書館での用事が済んだら、レンゲンフェルトのアクエリアン・ドーム・テルメに来れる?今ハインツも合流していて、4人揃ってるの。シルバ君からも連絡が来て、帰りはどのコースからでも帰れるみたいだから、リンさえレンゲンフェルトに来れたら、皆が集まれる事になるわ。明日の午前中まででいいけど、返信宜しくね!』
リンが何より喜んだのはシルバの無事だが、パーティーにいち早く剣士ランキングのデータを渡す事も望んでおり、今日中の出発を決意する。
ハインツやクレアのランクアップは勿論の事、武闘大会でヤンカーに勝利したバンドーのヨーロッパ剣士ランキングトップ100入りが、何よりも特筆すべきニュースであったからだ。
5月20日・14:00
「レブロフ司令官とロドリゲス参謀による、多人種政策に歪みが生じ、有色人種を甘やかした事が今回のクーデターを生んだのではないか?ロシアが政治・経済の中心である以上、EONPは我々ヨーロッパ人がイニシアチブを握るべきだろう!」
午前中とは打って変わり、午後の会議は混乱と紛糾を極めていた。
ドラッグ問題を始めとして、元来アジアや南米を毛嫌いしていたジルコフ大佐ら強硬派が、チェンのクーデター未遂を口実にして、逆に勢いづいてしまったのである。
「チェン少尉が優秀なレンジャー隊員であった事は認めよう。だが、彼に孤独な犠牲を強いる、非人道的な組織が中国に存在している可能性は高い。裏を返せば、人口や経済規模に惑わされずに中国にイニシアチブを渡さなかった、先人達の見方は正しかったのではないか?」
ロシア国民党から半ば消去法で選出され、上院議員のヨーロッパ出身比率の高さで就任出来たと言っても過言では無い、中道路線のユーシェンコ大統領。
彼はこの会議中、ジルコフ大佐を中心とした強硬派の意見を頭を抱えてひたすらやり過ごし、リーダーシップの欠片も示せずにいた。
そもそも、この大統領の下では諸々の問題は先送りされる事が規定路線である。
裏を返せば、EONP施行50余年に於いてようやく訪れた、暫しの安定期を揺るがしかねないリスクを選択出来る政治家など、現在のアースには存在しない。
EONPの舵取りは、かつて存在していた数百万人の小国の舵取りとは訳が違うのである。
EONPの施行にあたり、各国の実情から資本主義採用の一本化が決定された時、社会主義路線が前提とも言える共産党という概念は縮小せざるを得なくなり、左派政党の大半は民主党、社会党などの「中道左派政党」に置き換わる形となった。
だが、膨大な国土と人口から格差を適正レベルまで是正出来なかった中国や、貿易面に於いて目の上のたんこぶだったアメリカ合衆国の消滅により、ベトナムとともに独自の社会主義政策を最低限維持したキューバはEONPに縛られない独自の補助政策を打ち出し、賛否両論ありながらもその存在を示して来たのである。
やがてその姿勢は、他地域からの移民に寛容であったドイツやポルトガルにも影響を与え、EONPの中心であるヨーロッパの足並みが乱れる事を懸念する勢力を生む事となった。
この動きにより、周辺の東欧諸国をまとめて資本主義転換に導く事に成功したロシアと中国の間には急速に溝が拡大する。
大災害以前、中国の強引な経済成長による弊害が世界を巻き込んだ背景もあった為、ロシアは中国を軍需産業の下請け利益と引き換えに、アジアのリーダーからヨーロッパの従属地域へと押さえ込む。
「ロドリゲス参謀。貴方の後任であるリトマネン中佐は、かつての私の部下だ。彼ならば上手くバランスを取ってくれるだろう。今までご苦労様と言わせて貰うよ」
邪魔者は消えろと言わんばかりに、勝ち誇った表情でロドリゲス参謀を見下ろすジルコフ大佐。
銃器が厳しく規制され、軍や警察に高いモラルが必要となるEONPに於いて、レブロフ司令官とロドリゲス参謀が掲げたコンセプトは、決して間違ってはいなかった。
だが、人間が成熟する為に、一体何万年の月日がかかると言うのだろう?
チェンの怒りはヨーロッパだけでは無く、本来彼を洗脳したと思われる、中国の上層部の思想にもぶつけるべきものなのである。
EONPの名の下に世界がひとつになったと言えば聞こえは良いが、現実として世界にはまだ、自分達の代表を決める選挙の日程や、投票所の場所さえ知らされない貧民が溢れている。
毎日汗だくになってドラッグを栽培し、ドラッグを与えられて、もはや泡銭すら必要としない奴隷に落とされた貧民が溢れている。
ロドリゲス参謀には、もう軍で出来る事は何も無い。
志を同じくする仲間を集い、目の前の悪党を、末端では無い上層の悪党を一本釣りし続ける以外に、自身の使命を達成する事は出来ないのだ。
「……本会議を最後に、これまで参謀職を務められて来たロドリゲス氏は軍を除隊し、後任にリトマネン中佐が参謀職に就任致します。会場の皆様、両氏に盛大な拍手を宜しくお願い致します」
苦虫を噛み潰し、無念の表情を隠せないロドリゲス参謀に贈られる暖かい拍手。
普段は対立していた強硬派の面々も、ロドリゲス参謀の貢献を間違い無くリスペクトはしている。
だが、時代は変わりつつあった。
EONP維持の為の地域間格差是正の歴史から、不満分子に制裁を加える闘争の歴史へと、舵が切られようとしていたのだ。
瀕死のチェンを乗せたヘリが、救急搬送の為に再び高度を上げて行く。
親友を失い、茫然自失に暮れるグルエソが軍を除隊し、ロドリゲス参謀率いる特殊部隊に入隊する意向を示すのは、ここから僅か1週間後の事であった。
5月20日・17:30
すっかり雨も上がったレンゲンフェルトにリンが到着した時、辺りは既に夕暮れも深まっている。
しかしながら、雨に濡れたアクエリアン・ドーム・テルメの屋外プール設備は夕暮れを反射し、ライトアップも手伝ってこれまでに無い幻想的な美しさを醸し出していた。
まるで、リンのパーティー正式加入を祝福するかの様に……。
「綺麗……こんな所に泊まっていたなんて、皆が羨ましいですよ……」
目の前の光景に瞳を輝かせるリン。
元来インドア派の彼女としては、プールは泳ぐ場所と言うより、水の芸術を眺める場所と言って良いのかも知れない。
尚、昼前に到着したばかりのハインツは特に水のリゾートには興味を示さず、トレーニングジムの片隅で突如剣の素振りを始めて通報の憂き目に遭っていた。
「シルバ君も、明日の朝イチでここに来るって。チェックアウトの時間帯には、皆が揃うと思うわ。この3日間、あたしもバンドーもフクちゃんも、勿論ハインツも色々やってるから、リンも話を聞かせてね」
「はい!喜んで!……あ、これ……最新の剣士ランキングです」
リンはクレアの呼び掛けに応えるついでに、人数分のコピーを取っておいた剣士ランキングをメンバーに配布する。
ゾーリンゲン武闘大会の結果が反映された、最新版である。
「……どれどれ……?あ!やった!あたし、72位まで上がったわ!」
クレアは前回の90位からランキングを上げていた。
武闘大会での成績は1勝1分け1敗だが、敗れたルステンベルガーとは元来ランキングに差があり、トルコの生ける伝説・ギネシュに勝利した事が何よりも大きいのだろう。
ハインツは遂にヨーロッパでトップ10入りを果たしたものの、武闘大会で彼に敗れたルステンベルガーがひとつ上の9位、カムイが7位に居座っていた為、少々納得が行かない様子であった。
「……あんた、下手なヤマ張ってギネシュさんに負けたでしょ?そういう所よ!ふふっ」
ギネシュに勝利したクレアは何処か嬉しそうにハインツをからかい、流石のハインツも今回ばかりは反論はせずに大人しく引き下がっている。
「バンドーさん、おめでとうございます!」
リンからの祝福の言葉を理解するまでに、やや時間がかかったバンドーではあったが、遠慮がちに下から見上げたランキングに自身の名前を発見した瞬間、ガッツポーズで喜びを露にした。
「凄え!97位に入ってる!新人王のミューゼルが99位なのに!」
ルステンベルガーに惨敗したバンドーがランキング入りを果たした理由は、普段50位前後にランクしていたヤンカーに勝利した事と、ランキング入りのボーダーライン上にいたゲリエを無難に退けた安定感が評価された為である。
対するミューゼルは、ランキング外の新米剣士・サンチェスと、剣士ランキング対象外の格闘家・エスピノーザを倒した結果がランキングに反映されていない事に加えて、唯一倒したランカーであるクラマリッチがランキング90位台であった為、順位でバンドーに追い付く事が出来なかったのだ。
「剣を握って1ヶ月半でランキング入り……。勿論魔法の力や運もデカいんだろうが、これは凄い事なんだぜ、バンドー。恥をかかない様に、これからもしっかり鍛えるんだな」
正面からバンドーと顔を合わせるハインツの言葉と視線には、これまで通り厳しさが滲み出てはいた。
だが一方で、何処か優しさも感じさせる柔和な雰囲気は、彼がバンドーを認めた事と、何よりもバンドー本人がハインツの心境の変化を読み取る事の出来る自信と余裕を身に着けた、その成長の裏打ちとも言えるだろう。
「……ねえ!皆見てよ!臨時収入があるわよ!」
クレアが興奮気味に手招きし、フロントに設置されているATMにパーティーメンバーを集める。
今日の17:00を過ぎた段階で、昨日のバンドーとフクちゃんの仕事の報酬である、総額80000CPが振り込まれる事は既に確定している。
その事実をいち早く思い出したクレアが、バンドーからカードを預かって入金を確認しに行った際、思わぬ臨時収入を発見したのだ。
「クレア様ですね。先程皆様のご協力で逮捕されたルーカス容疑者ですが、スペインのバレンシア賞金稼ぎ組合で賞金首として掲載されていました。詐欺や恐喝など、多くの犯罪歴があったらしいですよ」
フロントの受付嬢の話し振りから、パーティーはルーカスの逮捕でさぞ高額の報酬を受けられると期待したものの、実際に振り込まれた額は、バンドーとフクちゃんが請け負った動物捜索と同額の80000CPである。
「……あれ、何かセコいわね……。あいつ、組織組織って、デカい顔してたのに……」
クレアの表情も、臨時収入を発見した瞬間と比較して、ややテンションダウンしてしまっていた。
「どうせすぐ保釈されちゃうから、組合も高額の賞金掛けるの馬鹿馬鹿しくなっちゃったんじゃないの?」
「いや、それ以前に、そんなに頻繁にパクられて保釈金搾り取られてちゃあ、組織にルーカス本人が消されるだろ!」
バンドーとハインツのコントばりの掛け合いに、クレアとリン、そしてフクちゃんまでもが不謹慎な笑いの渦に包まれている。
臨時収入の80000CPに関しては、これまでは人間の貨幣を必要としないフクちゃんを除く、仕事に関与したメンバーで分配する仕組みを採用していた。
だが、3等分計算の煩わしさと、フクちゃんにも地球で買い物を楽しんで欲しいというリンからの提案もあり、バンドー、クレア、ハインツ、そしてフクちゃんが20000CPずつ分け合う形となる。
「皆さん、ありがとうございます。私、20000CPの価値というものが良く分からないのですが、きな粉ねじりやフライドポテトに換算すると何回分に値するのでしょうか……?」
「大体100回分だよ」
フクちゃんの庶民的な感覚にほっこりしたバンドーが、混じり気のない太字スマイルで返答するその瞬間、パーティー全員が癒しの空気に満たされるのであった。
5月21日・8:50
チェックアウトの時間を間近に控え、荷物をまとめたパーティーはロビーのベンチに腰を掛け、お世話になったトレーナー、メーガンとハグを交わし、またの再会を誓い合う。
彼女の本業はスイスの医科大学の臨時教員であるが、高齢の女性に正規雇用の仕事は少ない為、奇数月は高級リゾートであるアクエリアン・ドーム・テルメでアルバイトをしているらしい。
自身の家族について彼女が語る事は無かったものの、現在も精力的に仕事をする理由は、単純に彼女の性格や行動力の反映なのであろう。
「バンドーさん、お婆様にお伝え下さい。貴女の勇姿は、今でも多くの人々を励まし続けていると」
バンドーは最後にメーガンとハグを交わし、自身も祖母・エリサに負けない強い人間になる事を誓うのであった。
5月21日・9:00
「中尉、もうすぐレンゲンフェルトです。チェンの事は残念でしたが、大きなトラブルが無くて良かったですね」
快晴の空の下、シルバ達を乗せた軍用車両は快適な旅を終えようとしている。
ガンボアとキムは、この後軍に戻って除隊の手続きを終え、月末からはロドリゲス軍曹、警察の監視下で特殊部隊の暫定メンバーとなったゲレーロとともに、新たな道を踏み出す事となる。
「……ガンボア、キム、今回は本当に世話になったな。またスペインでも一緒に仕事をする事があると思う。また連絡をくれ」
「勿論ですよ、中尉!来週には必ず連絡します。我々の目的と、中尉の目的は何処かで必ず繋がっているはずですからね」
ガンボアは、自分達がスペインマフィアのドラッグルートを、一方でシルバが両親の仇討ち目的でテロ組織の末端をそれぞれ洗う事が、双方の利益になると信じて疑わなかった。
「中尉、アクエリアン・ドーム・テルメです!もうお仲間が勢揃いしていますね!」
視力に優れたキムは、豆粒の様に見える人影の中から、かつて見たその隊列の在り方、各々の立ち位置の再現性を確認し、チーム・バンドーの存在をいち早く突き止める。
シルバはパーティー、とりわけリンの姿を確認する事で胸を撫で下ろし、自身の決意を伝える瞬間の到来を再確認していた。
「……来た、ケンちゃんだ!」
大きく両手を振って存在をアピールするバンドーの前に停車した軍用車両から、シルバがゆっくりと姿を現す。
ガンボアとキムは車外に姿を見せる事は無く、シルバに軽く敬礼を見せて車を走らせる。
「……只今戻りました。この通り、ピンピンしていますよ!」
自身の五体満足振りをアピールするシルバを見て、改めて勢揃いしたチーム・バンドーに笑顔が満ちていた。
「戻ったばかりで申し訳ありませんが、自分の話を聞いて下さい。これからの事についてです」
積もる話も聞かない内の意思表示は、むしろシルバの誠意の証と取れるだろう。
彼の真剣な表情から、パーティーのメンバーにはその話の内容が大体予想出来ている。
「……自分はスペインに行き、両親の仇を討つ事に決めました。10年以上も前の事件ですから、復讐と言うよりは、テロに関与した人間をひとりでも多く捕まえて真相を知る事が目的です。でも、もし当人達を目の当たりにしたら、自分が冷静でいられるか、正直分かりません」
シルバの話を直立不動で聞き入るメンバー達。
これまでの賞金稼ぎの仕事とは勝手が違う様子だ。
「……幸い、軍隊時代の仲間と共闘する計画があります。これは自分自身の落とし前ですし、皆さんを危険な目に遭わせたくありませんので、暫く自分をパーティーから外して貰う事が最善かと思うんです……」
仲間の顔色を窺いながら、言葉を選んで自身の今後について説明するシルバ。
だが、彼の説明を素直に受け入れるチーム・バンドーでは無い。
「……シルバ君。私は今日から正式なチーム・バンドーの一員です。魔導士として生きる覚悟を決めたんです。大切な人を危険な目に遇わせたくないのは、私達も一緒です」
最初に声を発したのはリンだった。
行動こそ違えど、シルバとリンの気持ちは同じ。
その瞳からは、これまでに無い強い決意がみなぎっている。
「俺が故郷の皆から頼まれた使命は、ケンちゃんを生きてカンタベリーに連れて帰る事なんだ!仇討ちが終わるまで目を離すなんて事は出来ないね!」
誰よりもシルバと付き合いの長いバンドーは、彼らしいそのシンプルな友情で答えを返した。
「お前と軍の仲間が相手にするのは、悪党の幹部級なんだろ?その下には、地域の人々を苦しめる末端の悪党がいる。俺達の仕事はそいつらを懲らしめて金を貰う事さ。一緒に戦えない訳がねえだろ?」
ハインツは、自信満々の笑みでシルバの肩を叩く。
「……シルバ君、貴方は人の善意を受け取る資格がある人なの。今までの旅で、あたし達は貴方に何度も助けられているんだから、いつかあたし達の助けが必要になる時が来ると、皆が信じて行動しているわ」
パーティーの調和を誰よりも重んじるクレアは、最年少のシルバに窮屈な思いをさせない気配りを見せていた。
「……私にとっては、ひとりの人間の個人的事情に過ぎないかも知れませんね。ですが、ともに旅をした仲間として、貴方が怒りで人の道を踏み外しそうになった時、あるべき道に引き戻すお手伝いくらいはさせて頂きます」
あくまで冷静に、しかし何処か暖かみを感じさせる様になって来たフクちゃんの微笑みは、復讐という現実に於ける、シルバ自身の最後のセーフティーネットとして機能している。
「……皆さん、自分の為に……。あ、ありがとうございます……!」
分かりやすく感極まったシルバは漢泣き寸前に追い込まれ、バンドーとハインツは面白半分にシルバへタックルを浴びせていた。
「ところでシルバ君、ここからスペインまでは結構遠いわ。今までの様な列車の旅だと2〜3日かかると思うの。それで大丈夫?」
「皆さんが協力してくれるのであれば、自分、軍隊時代の貯金がありますから、飛行機で移動してもいいと思っています。疲れていては仕事も出来ませんしね!」
シルバとクレアのやり取りから飛行機移動という言葉を聞いて、メンバーの顔が一斉に明るくなる。
顔面蒼白の約1名を除いては……。
「飛行機だぁ?誰があんなもんに乗るんだよ!? 俺は列車で後から合流するからな!」
どうやら、ハインツは飛行機が苦手な様子だ。
ヨーロッパには一定数存在する、「飛行機嫌いのデキる男」タイプらしい。
「……何よあんた!最強剣士を目指す男が飛行機のひとつやふたつ乗れなくてどうすんのよ!?」
クレアはここぞとばかりハインツを叱責している様に見えるものの、内心は彼の弱味を握れてかなり嬉しそうである。
「……う〜ん、しょうが無いなあ。ケンちゃん、飛行機に乗る時にハインツを締め落として朦朧とさせちゃおう!」
「……おいバカ!止めろ!俺は絶対乗らねえからな!」
思わぬ不安を抱えながらも、チーム・バンドーの次なる進路はスペインへと決定するのであった。
(続く)