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バンドー  作者: シサマ
33/85

第32話 チーム・バンドーの長い休日 ③


 5月19日・10:20


 バンドーとフクちゃん、アニマルポリスを乗せ、インスブルックの街並みを何のトラブルも無く走り抜けた2台の車は、目的地である依頼人・ファルカス母娘の邸宅へと到着した。


 まだ30代の若さでありながら、今は亡き夫・ユリアンと二人三脚で実績と名声を積み上げて建立した邸宅は、2台の客車を余裕で受け入れる広い庭を持っている。

 一般的な2階建てで、これと言って豪華な造りでは無いものの、自然豊かなインスブルックの街に溶け込むこの広い庭を見るに、この邸宅が地域に於ける動物保護の拠点としても機能していたと見て、ほぼ間違いないだろう。


 「お待ちしておりました!家主のエリー・ファルカスです。お暑いですから、早く中へ」


 車から降りた4人を笑顔で迎えた生物学者・エリーは、若くして成功を収めた事も納得の行く、研究者らしからぬスタイルを誇るブロンドヘアーの美女。

 だが、愛する夫を失った悲しみと私生活の急変が、拭い去る事の出来ない翳りの様なものをその身に纏わせていた。


 「それじゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しま〜す」


 朝から暑さにへばり気味のバンドーは自己紹介もそこそこに、普段と全く変わらないテンションの挨拶で邸宅に一番乗りする。


 

 「……凄い……。これ全部、現地の写真なんですか?」


 メグミが絶句する程にリビングの壁一面に貼り付けられた写真は、夫婦が、エリーが、ユリアンが、或いはミリーを加えた3人が、世界各地で保護した動物や現地のスタッフ達と撮影した記念写真だった。

 

 しかしながら、写真の貼られている高さはまちまちで、恐らく娘のミリーが、その当時の身長を反映したそのままの高さに写真を貼り付けていったものと思われる。

 

 この光景ひとつ取ってみても、ここが幸せな家庭であった事が窺えていた。


 「……日帰り出来る所には娘のミリーを連れて、遠出は夫か私、2人の写真は、まだミリーが生まれていない、大学で研究をしていた頃の写真だと思います」


 懐かしそうに昔を振り返るエリー。

 娘のミリーやワニのアンドレを自身の都合で放置する事の無い、その姿勢は親としても評価すべきものであり、この家庭で育ったミリーは、さぞや両親とアンドレを誇りに思っていたに違いない。


 「ミリー、アンドレを探しに来てくれたお客様よ。ご挨拶なさい」


 エリーは寝室からこちらを覗き込む娘の姿を発見し、手招きをしてリビングに呼び寄せた。


 「ミリー・ファルカスです。宜しくお願いします……」


 まだ初等部学生で、少々人見知りな態度を見せているミリーだが、母親譲りのブロンドヘアーとスタイルで、既に身長ではフクちゃんを僅かに上回っている。


 フクちゃんは、ミリーとエリーが顔を合わせた瞬間に見せる、何処か伏し目がちな表情を素早く見抜いていた。


 やはり、アンドレを巡る一件で、両者の間に何かわだかまりがあるのだろうか?


 「……ちょっと……」


 やや遠慮気味に、ミリーはフクちゃんに手招きをしてコミュニケーションを図っている。

 自分より小柄な体格と、幼く見える黒髪の東洋人っぽいルックスのフクちゃんを、同世代の女の子だと思った様だ。


 「……ちょっと、行って来ますね……」


 母親エリーの心境を探るつもりだったフクちゃんにとって想定外の事態だが、娘のミリーからはより虚飾の無い情報を入手出来ると確信し、バンドーに目配せして席を立つ。


 「エリー博士……で宜しいですよね。まずは改めて、私達に捜索を依頼した背景をお聞かせしていただけますか?」


 メグミは冷静な口調でエリー博士と顔を見合わせ、作業服の胸ポケットからメモ帳を取り出した。


 「……はい、去年夫が調査中の転落事故で急死してしまった影響で、これまで出張費用を援助してくれていた民間スポンサーが今年、撤退してしまいました。私も娘を置いて飛び回る様な真似は出来ませんので、8月から母校の大学の教壇に戻る事を決意したのです」


 このやり取りを耳にしたバンドーは、エリー博士の選択が賢明な判断であると納得し、無意識に視線の合ったシンディと軽く頷き合う。


 「……寂しいですが、収入の減少からこの家を手放す事になり、大学職員用の住宅に引っ越しが決まりました。この家でなければ、アンドレを飼う事は出来ませんので、ミリーを説得し、人間に懐いたアンドレにとって一番安全な、生まれ故郷のオーストラリアのワニ園に預ける事にしたのです。ですが……」


 深い後悔の念を滲ませて言葉途中に俯くエリー博士の姿を目の当たりにし、同情からか目を伏せるメグミに代わって、バンドーが話を引き継いだ。


 「賞金稼ぎの剣士をしているバンドーです。俺がここに来た理由は、まずは力仕事がありますが、アンドレや皆さんが万が一犯罪に巻き込まれた場合の、対処役としての仕事もあります。オーストリア全土を見渡せば、動物園や動物病院等、アンドレの安全について相談出来る施設があるはずですよね?どうして民間の、怪しい運送業者を利用したのですか?」


 誰にでも、触れて欲しくない問題はあるだろう。

 瞳を伏せたまま、なかなか顔を上げようとしないエリー博士の様子からも、それは窺えている。


 「……公的な機関に相談すると、アンドレを飼えない理由として、収入の減少や不動産の売却等の個人情報を把握され、今後の活動に支障をきたします。ミリーが成人した後、新たなスポンサーを得て、再び大規模な活動に復帰する事が困難になるのです……」


 絞り出す様なその声に、エリー博士の本音が凝縮されていた。

 アンドレを密猟業者から救う等、生物学者である彼女らの活動が自然界に貢献している事は確かだが、その華々しい功績で得た富と名声を失いたくないという気持ちが、アンドレの安全対策を怠らせてしまった事実を、否定する訳には行かない。



 「アンドレがいなくなっちゃったのは、ママがつまらない見栄を張ったからよ!」


 アンドレの檻と隣り合わせだった自室をフクちゃんに案内していたミリーは、自分のベッドの柵を両手で叩き、幼い頃から家族としてともに育ったワニを粗末に扱った母親への怒りを隠さなかった。


 「アンドレは私よりひとつだけ歳下の弟で、我が家に来た時は私よりも小さかったの。私達に噛み付いたりもしないし、いつも一緒の友達だった。お別れは辛かったけど、一番安全だって言うからママの言う事を聞いたのに……」


 それなりにメディアでも取り沙汰される両親との暮らしは幸せだったものの、周囲の視線からか同世代の友達が少ないミリー本人は、やや内向的な性格の少女である。

 

 そんな彼女は、アンドレを始めとする動物達が自然に還る、或いは動物園に引き取られて行く度に、寂しさを押し殺さざるを得なかったのだ。


 「……消えちゃった運送業者の人とか車とか、覚えている事を教えてくれる?私、魔法が使えるから、似た人や車がこの街にいれば、見付ける事が出来るかも」


 フクちゃんはミリーに、「魔法」という言葉を用いて説明したが、魔導士にこんな能力は存在しない。

 これは既に、神族の能力である。


 しかしながら、自然の使いである神族が、人間の都合に振り回される野性動物を救済する事は、何ら咎められる行動ではない。

 むしろ神界から称賛されるべき行動であるはずだ。


 「……凄い!あなた魔導士なのね!運送業者は茶色の軽トラック、茶色の制服に、茶色の帽子を被った30歳くらいの男の人。顎に無精髭があって……右の口元にほくろがあった!」


 この秀でた記憶力は、ある意味内向的な少女だからこその能力なのかも知れない。

 フクちゃんはミリーの証言に一致する男と軽トラックのイメージをインスブルックの全域に照らし合わせ、無数の候補からワニの商業利用が考えられる施設に絞って検索を進める。


 「……色を半分塗り替えたばかりのトラックが停まっていますね。スーパーマーケット……ツヴァイ・フェリックスのビルの地下に、似た人の姿もあります。色の塗り替え中のトラックと人が揃っていれば、かなり怪しいです……」


 

 ツヴァイ・フェリックスは、旧アメリカ系資本家によるアース制覇の野望で勢いに乗る、イスラエルの大企業・フェリックス社が買収した、オーストリアとスイスで展開しているスーパーマーケットだ。

 

 買い物に応じて付与されるポイントが、ライバル企業のツヴァイ(2倍)である事を売りに、旧ユダヤ系による旧ドイツ系への経済侵攻を端的に描く一例として、世界中で話題を集めていたのである。


 

 フクちゃんがミリーから得た証言に近いトラックと人物像を、漠然としたイメージで検索すれば、例え対象範囲をインスブルックに限定した所で、どちらも無数に感知される事だろう。

 だが、同じ敷地に両者が揃い、かつ証拠隠滅の可能性を持つ行動が疑われれば、もはや捜索は時間との戦いだ。


 「ツヴァイ・フェリックス……学校の近くよ!私、入った事ある!」


 ミリーに土地勘がある事をこれ幸いとばかりに、フクちゃんはすかさず彼女の肩を叩いて正面から瞳を合わせ、ゆっくりと語りかける。


 「……ミリーさん、今から現地を警察に捜索して貰います。警察の方に何か訊かれたら、こう言って下さい。学校の帰り道に、ツヴァィ・フェリックスで運送業者に似た人と車を見たと」


 人間を超越した様な、フクちゃんの得体の知れないオーラに圧倒されたミリーは、黙って何度も首を縦に振っていた。



 5月19日・11:30


 フクちゃんとメグミを警察との対話調整役としてファルカス邸に残し、バンドーとシンディはアンドレの捜索の為に、インスブルック近郊を流れる河川であるイン川へと向かう。


 不審者と車の捜索に於いて神族ならではの能力を発揮したフクちゃんだったが、バンドーの妹という設定である以上、人間離れした能力を堂々とアピールする事は出来ない。

 警察への報告も、飽くまでミリーの証言を利用する形にしているのだ。


 「人間がインスブルック市街からイン川に入れる通路は、ここだけですね〜」


 余り緊迫感の感じられないシンディが運転するトラックは、道路から川へと下る一本道の入り口で停車し、2人は周囲の地面を丁寧に見渡して行く。


 「……人間の足跡も、ワニの足跡も無いな。ここ数日は、車以外は立ち入っていないみたいだ。やっぱり、運送業者はアンドレを捨ててはいないんじゃないかな?」


 バンドーはイン川周辺の整然とした様子から、運送業者が更なる利益を上げる為にアンドレを企業に売り飛ばしたと言う持論を、未だ崩してはいなかった。


 「バンドーさん、最新式の調査グッズがあるんです!折角の機会だから、バッテリーが無くなるまで使っちゃいましょう!」


 如何にも新しい物好きという雰囲気のシンディが、魚型のカメラと小型モニターを取り出して笑みを浮かべている。


 イン川中流の川面に到達した2人は、早速調査グッズを組み立てて水中の調査開始に備える。

 普段はのんびりと気の抜けた様な喋り方をするシンディだが、機械の組み立ては異様に速くて正確であり、彼女がアイドルの様なルックスだけでメグミのパートナーに収まった訳では無いという事実を、バンドーも確信する事が出来た。


 「このカメラを川に沈めてリモコンで操作すると、カメラの視界映像がモニターに表示されます。アンドレの体長はプログラミングしてますから、2メートル程の影にも反応する様に出来ています。私はリモコンで可能な限りの範囲を捜索するので、バンドーさんはモニターを見ていて下さい」


 機械を手に取ると、まるで人が変わった様に集中力が高まるシンディ。


 「……それっ……!」


 シンディの手から離れた魚型のカメラはゆっくりと潜水し、快晴も手伝って川の中の視界も良好だった。


 シンディの正確なコントロールにより、川の隅々までカメラによる捜索が進むものの、水中にはワニはおろか小魚の姿さえ見えず、仮にアンドレがこの川に潜っても餌を探せず長居出来ない可能性が高まっていく。


 「……ダメだ。全然生き物の姿が見えないや。これだけ探して小魚もいないなら、アンドレもこの川にいる意味が無いよね」


 収穫無く調査を終えたカメラをシンディが川岸に付け、バンドーはそれを柄の長いネットで一気に掬い上げた。


 「……これだけの範囲を探して収穫無しなら、私達が川を捜索する意味は無さそうですね〜。すっかり喉が渇いちゃいましたよ……」


 暑さのせいか、それともいつに無く集中した反動か、すっかりバテてその場に座り込んでしまうシンディ。

 その姿を見たバンドーは彼女に肩を貸し、自らが運転手を買って出る。


 「農家の息子だからね。トラックの運転なんてお手のものさ。少し休んでいいよ、シンディ」


 「ありがとうございます!それじゃあ……お言葉に甘えて」


 プロ意識や礼儀の面に於いて、シンディに多少の疑問を持つ警察幹部がいるであろう事は、想像に難くない。

 だが、彼女のこの正直さと親近感こそが、アニマルポリスの魅力の一部である事もまた、疑いの無い事実であるはずだ。


 

 (バンドーさん、警察が運送業者を拘束しました。男の名はファビアン・ジルー、ヨーロッパ中で活動する詐欺師で、個人で職業を偽装しながら各地を転々としていた様ですね)


 バンドーの耳に突如として飛び込んで来る、フクちゃんからのテレパシー。

 幸いシンディは助手席で熟睡している為、両者の交信に遠慮は必要無い。


 「スーパーマーケットの地下にそいつと車がいたって事は、まさかお買い物って訳じゃ無いよね……。スーパーマーケットがアンドレを買ったって事なの?何の為に?」


 持論の正しさを確認出来たバンドーではあったものの、スーパーマーケットが売り物にするとも思えない大型動物を、わさわざ詐欺師を挟んで売買する事の意味を掴みかねている。


 (……ツヴァイ・フェリックスのオーストリア、スイス担当エリアマネージャー、ユネス・カブールが、かつてサイドビジネスで野性動物の密猟に関わっていたみたいですね。5年前、ファルカス夫妻の告発でアンドレの密猟に失敗して以来、復讐のチャンスを窺っていたとの推測です)


 世間体や懐事情があったとは言え、エリー博士の選択は皮肉としか言い様の無い結果となってしまっていた。

 バンドーは更に続ける。


 「そのカブールって奴が、エリー博士の窮地に付け込んだって事か……。カブールとアンドレの居場所は分かるの?」


 (ジルーの証言によると、カブールはザルツブルクの支店で戦略会議中だそうですが、アンドレの居場所はカブールしか知らない様ですね。今、警察が過去の犯罪歴を含めて逮捕令状を取りに動いていますが、高額の法人税を納めている大企業の役員だけに、拘束してもおそらく釈放されるでしょう。残念ですけどね)

 

 人間界のルールに特別な感情を持っていないフクちゃんは、オーストリアの安定した治安が多額の税収によって支えられている現実を察しており、返事はやけに素っ気ない。


 「何だよそれ?蜥蜴の尻尾斬りじゃないか。一泡吹かせてやりたいな。今皆何処にいるの?」


 (ファルカス母娘含めて、メグミさんの運転する車でザルツブルクに向かっています。道案内は私のテレパシーで行いますから、バンドーさん達もトラックで来て下さい)


 「オッケー!」


 バンドーの声だけが車内に響き渡る光景の中目を覚ましたシンディは、自分がまだ寝ぼけていると勘違いしてしきりに左右を見渡していた。


 「妹から連絡があったよ、シンディ。黒幕が見付かったんだって。ザルツブルクに行くよ!」


 状況を今イチ把握出来ていないシンディを尻目に、バンドーはアクセルを踏み締める。

 

 女神の能力を駆使すれば、フクちゃんはアンドレの居場所も突き止める事は出来るはず。

 だが、彼女がバンドーの妹として人間界に存在している以上、人智を超えた力は敢えてセーブしている。バンドーはそう考えていた。

 


 5月19日・13:00


 「……なあ、お前ら毎日、こんなトレーニングしてやがるのか?」


 地面に転がり、肩で息をするハインツはトレーニングを終え、自身の隣で同じ様に寝転がるルステンベルガーに声を掛ける。


 「……いや、これだけのトレーニングは久しぶりだな。流石にレベルの高い奴が入ると違うぜ……」


 同じく疲労困憊のルステンベルガーはハインツの実力を素直に認め、最終的には誰とも無くバトルロイヤルの様な形となったトレーニングを充実の表情で振り返っていた。


 「……俺達は一応、ニクラスの下一致団結はしているが、チーム内の序列は上げたいといつも思っている。お前の様な異物が入れば、序列は一旦リセットされるから、戦う者の目の色が変わるのさ」


 ハインツの隣に寝転んでいたヤンカーは、チームとしてのトレーニングが常に競争であるこの仲間達を誇り、強い来客をいつでも歓迎する姿勢を示している。


 「……お前は俺達と違い、故郷を背負って生きている訳ではない。故にお前の目標は最強の剣士という事なんだろうが、今の環境を変えてみるつもりは無いか?」


 ルステンベルガーの思わぬ言葉に、ハインツは目を丸くした。

 これはつまり、スカウトなのだろうか?


 「……俺に、お前らのチームに入れって言うのか?」


 力はあるが我が強く、集団に馴染む事の出来ないハインツは、これまで他者からの勧誘を受けてはいない。

 チーム・バンドーに加入した理由も、収入の面で個人活動に限界を感じていた事と、腐れ縁のクレアに借りを作ってしまったタイミングが、たまたま一致したからに過ぎない。


 「……お前達の実力は認める。俺達に勝ったんだからな。だが、チームに女が2人もいるのは、長い目で見ると後々面倒になるだろう。それに、バンドーとシルバは、賞金稼ぎとしては優し過ぎる印象だ。この道に全てを懸ける男には見えない」


 ルステンベルガーの洞察は鋭い所を突いており、緊張感から上半身を起こしたハインツにも、チーム・バンドーのメンバーが今後、賞金稼ぎとして富と名声を極める姿は想像出来なかった。


 バンドーとシルバ、そしてリンの3人は、シルバの両親の仇討ちが達成されれば、いずれ平穏な日常へと戻って行くだろう。

 また、ハインツと近いキャリアを持つクレアも、夢である剣術道場建設の目処が立てば、賞金稼ぎから剣術師範への道を歩む事になるはずである。


 バンドーが初心者レベルを卒業し、女神様であるフクちゃんが同伴して最低限の力を貸せるこのタイミングであれば、自分がいなくてもチーム・バンドーは、中堅レベルのパーティーとして十分機能する……。


 「光栄な話だね。だが、俺を加えるとお前らのチームは6人になる。賞金の分け前が減るし、イベントでは誰かが補欠になるかも知れない。不満は上がっていないのか?」


 ハインツはひとり立ち上がり、チーム・ルステンベルガーの面々を見渡しながら、この話を内心認めていない人間がいないのか、各々の表情を確認する。

 今日最初に剣を交えたシュタインと目が合い、意味ありげな笑みを返された。


 「……貴方と戦ったのは、お別れの挨拶ですよ、ハインツ先輩。私は父の会社を継ぐ為に、大学に行く事になったんです」


 先程まで顔に滲んでいた汗を綺麗に拭き取り、晴れやかな表情を浮かべているシュタインは、元来「大学はいつでも行ける」として身体を鍛える事を優先していたインテリである。


 「……俺達も一度は引き留めたんだが、先日シュタインの親父さんにALSらしき前兆が出たんだ。全身の筋肉が動かなくなる難病さ。幸い、まだ深刻な症状は出ていないから、暫くは親父さんも仕事は出来る。シュタインがキャリアを積むチャンスは今しか無いんだ」


 堅気の仕事で社会人の経験を持つバイスは、チームきっての常識人であるシュタインの卒業を、複雑な気持ちで祝福していた。


 「チーム・ルステンベルガーは、ドイツから大きな期待を受けているチームです。ですから、ドイツ以外の出身者をチームに入れる事に反対するファンもいるでしょう。でも、EONPの下、そんな狭い価値観はいつか壊さないといけません。貴方なら、それが出来ると思っています、ハインツ先輩!」


 顔を合わせた事も無い剣術学校の後輩から激励され、態度に困るハインツ。

 チーム最年少のティム・シュワーブも、自身と同名の大先輩の合流を期待している。


 「ハインツさんがバンドーさんを鍛えた様に、俺を鍛えてくれる事を願っていますよ!」


 基本的に素直じゃない、憎まれ口ばかりの盟友クレアとのやり取りに慣れているハインツにとって、正しく実力を評価されている現状はどうにも照れ臭い。

 だが一方で、これは生半可な覚悟では受けられないオファーであった。


 「……ありがたい話だが、少し考えさせてくれ。仲間と会って、2〜3日したら連絡する」


 ハインツの返事に大きく頷いたヤンカーはシャツで右手の汗を拭き、握手を求めて差し出す。


 「……ウチに来なくても、お前は仲間だよ。バンドーやシルバもな」



 5月19日・14:00


 焼け付く様な陽射しの中、ツヴァイ・フェリックスのザルツブルク店に到着したバンドーとシンディは、会議終了後に面談の許可を得たカブールを待ち構える、パトカーとアニマルポリス車両の隣にトラックを駐車した。


 フクちゃんの予想通り、カブールの逮捕令状の許可は下りていない。

 まるで学校の様な広い敷地が証明する様に、彼が地域経済を支える大企業の役員である事も理由のひとつではあるが、間に入った詐欺師・ジルーの証言だけではカブールの有罪を証明出来ないからである。


 「ただひとつ確かな事は、アンドレの所在はカブールしか知らないと言う事ですね……」

 

 うだる様な暑さも手伝ってため息をつくメグミの横で、フクちゃんは不安に打ちひしがられるファルカス母娘を穏やかな表情でなだめていた。


 「……シンディ、体調悪いの?」


 トラックのシートにもたれたバンドーは、フェリックス社のロゴマークを見つめ続ける、シンディの顔色が冴えない事を気にかけている。

 過去にスーパーのバイトで嫌な思いでもしたのだろうか?


 「……来たぞ!カブールだ!」


 パトカーから身を乗り出す、インスブルック警察の警官。

 彼らにとって、例え悪事を突き止めても、大企業や政治家に頭が上がらないという経験は枚挙に(いとま)が無い。

 その表情からも、カブールに目にものを見せたくてウズウズしている様子が窺えた。


 「わざわざご苦労様です、皆さん」


 小綺麗なスーツに、必要以上に固めたオールバックのヘアスタイル。

 ボディーガードひとり付ける事も無く、余り人間味の感じられない完璧な笑顔が、むしろ怪しさを増幅させている。


 「……アンドレは何処?無事なら早く返して!」


 エリー博士とメグミの制止を押し切って、ミリーがカブールに詰め寄った。


 「これはこれは、ファルカス博士のお嬢さんだね。私を泥棒みたいな目で見ないで欲しいな。君のお母さんが動物を粗末に扱うものだから、私がワニ君を安全にワニ園に届けようとしただけなんだよ」


 カブールはエリー博士の失態を逆手に取って自らの正当性をアピールし、やむ無く言葉を失うファルカス母娘に軽蔑の眼差しを向ける。


 「やめなさい、カブール!」


 不穏なストレスがピークを迎えるその瞬間、カブールを叱責する様に飛び出していたのは、何とシンディだった。


 「……私はシンディ・ファケッティ、レオン・ファケッティの孫です。カブール、貴方の行動は会社を隠れ蓑にした、単なる私怨ですよね?」


 「……シンディ!?」


 メグミもバンドーも、誰もが予想だにしていないシンディの行動と、普段の彼女が持つ脱力感を一切感じさせない真剣な姿に、一瞬言葉を失っている。


 「……ま、まさか?ファケッティ顧問からの視察ですか!?」


 これまでの尊大な態度が嘘の様に、突然顔色が青ざめるカブール。

 ファケッティ顧問という人物が、フェリックス社に於いて大きな権力を握っている様子だ。


 「私はフェリックス社との癒着は無い、純粋なアニマルポリスです!社の役員が孫娘の仕事の邪魔をしたとあれば、それなりの処分が下されるでしょうね!電話を入れてみましょうか?」


 冷や汗を浮かべて後退りするカブールに、自らの携帯電話に登録してある、レオン・ファケッティの携帯電話番号を見せ付けるシンディ。

 

 登録名は「おじいちゃん」。

 当然、フェリックス社の役員以外には門外不出の番号である。


 「……も、申し訳ありません!ワニはお返し致します!何卒穏便な処分を……!」


 シンディの登場で一気に形勢が逆転し、警官がカブールの周りを取り囲んで拘束した。


 「……残念だが、お前を逮捕する事は出来ない、安心するんだな!さあ、ワニの居場所をさっさと吐くんだ!」


 嬉々として容疑者をパトカーへ連行せんとする警官の手を振り払い、自身の携帯電話が入っていると思われるポケットに一瞬手を入れるカブール。

 何やら連絡メールを送信した様に見える。


 「……ワニはザルツブルクの旧店舗跡に残されている倉庫にいる。水を入れたプールの中、食事もちゃんと与えているから安心してくれ」


 カブールは即座に頭を切り替え、警察に協力的な姿勢を打ち出した。

 

 「シンディ君、感謝するよ!バンドー君達はアンドレを取り戻してくれ。我々はカブールを尋問して、会社ぐるみの動物密輸の可能性が無いかどうかを探る」


 警官達はシンディに頭を下げ、意気揚々とカブールを連れてインスブルック署へとUターンする。

 ここからであればザルツブルク署の方が当然近いが、手柄は100%インスブルック警察のものにしたいのが本音であろう。


 「よし!皆でアンドレを取り戻しに行こう!シンディ、トラックで詳しい話を聞かせてくれ!」


 バンドー、フクちゃんとファルカス母娘、そしてアニマルポリスの6名は、ザルツブルク郊外にあるツヴァイ・フェリックス旧店舗跡へと向かった。


 

 5月19日・14:40


 シンディらファケッティ一族は、イタリア系のアメリカ人として成功し、新興財閥として巨万の富を築き上げた歴史を持っている。

 

 だが、2045年の大災害で核兵器が暴発し、まだ大学生だったシンディの祖父レオンらは、祖国アメリカを捨てざるを得なくなってしまった。


 アメリカ合衆国時代のビジネスパートナーだった、ユダヤ系財閥と合併する為にイスラエルへと渡ったレオンは、やがてフェリックス社の副社長にまで登り詰め、創始者のフェリックス一族と二人三脚でビジネスを拡大し、ロシアが主導権を握るEONPに反旗を翻す。


 しかし、レオンのビジネス一辺倒で家庭を顧みない生き様が許せなかった息子ピーターは、自らのルーツであるイタリアに移住し、そこで結婚した妻ケイトとの間にひとり娘のシンディを授かった。


 かつて世界の経済覇者であったアメリカ合衆国の威厳を取り戻す為、息子に縁を切られてもビジネスに没頭し続け、副社長を退任後も特別顧問としてフェリックス社に関わるレオンは、まさにイスラエルの生ける伝説なのである。



 「……私は幼い頃から芸能人になりたかったので、高校卒業後は働きもしないでオーディションばかり受けていました。でも、イタリアでは芽が出ず、イスラエルでテレビ局まで持っていたおじいちゃんのコネで芸能人になろうと、お父さんに黙ってイスラエルのタレント・オーディションに参加しようとしたんです」


 家族の愛に飢えていた父・ピーターの反動により、甘やかされて育ったシンディは、自身の安易な行動を恥じる様に、ゆっくりと言葉を選びながらバンドーに過去を語り始めた。


 「おじいちゃんとの待ち合わせ場所に行く前に、テルアビブでお洒落なお店を見付けた私は、無断で寄り道をしました。私のクレジットカードからおじいちゃんとの繋がりがバレた時、テロリストの様な一団に拉致されてしまったんです。幸い、別件でテルアビブを捜索していた軍に救出されましたが、その部隊を指揮していたのがシルバ中尉でした」


 パリでの再会時、シルバの口から出たテルアビブという言葉が、今完全にひとつのストーリーとして動き出す。


 「……恐さの余り、私はおじいちゃんやお父さんに謝ってすぐイタリアに帰りました。それ以来、自分の身を守る為に警察関係の仕事に就こうと思って、アニマルポリスになったんです」


 バンドーはトラックを運転しながら、今日1日で目にしたシンディの多彩な魅力や能力を、改めて認識していた。

 彼女は今日まで、決して平坦な人生を歩んでいた訳では無いのだ。


 「……でも、あれから色々勉強して、私を拉致したイスラエルのテロリストが全部悪いんだと、決め付ける事は出来なくなりました。イスラエルは歴史観や宗教観で周囲と揉める事が多いですし、おじいちゃんもきっと、お金に拘りすぎて沢山の人から恨みを買ったんじゃないかと考える様になったんです」


 アンドレの一件が無ければ、シンディも今更祖父との繋がりをアピールしたくは無かったのだろう。

 フェリックス社のロゴマークを見つめる彼女の表情が複雑だった事からも、その心境は窺える。


 

 「……着きました、あそこです!」


 先導するメグミのどピンク車両からの連絡とともに、不自然に巨大倉庫のみを残した旧店舗の跡地が姿を現した。

 新店舗を小学校レベルの大きさと例えるならば、旧店舗はまるで単科大学並の大きさだ。


 「凄えな!何でスーパーがあんなにデカいの?」


 故郷ニュージーランドの大型ショッピングモールすら上回る面積の土地が、決して巨大都市ではないザルツブルクのスーパーマーケットに与えられていた現実に、バンドーは驚きを隠せない。


 「ツヴァイ・フェリックスが西欧で知名度を得るまでは、フェリックス社はここを戦略拠点にしていました。ヘリポートを増設して、本社からも役員が派遣されていたんですよ〜」


 自身の過去を打ち明けた後のシンディは、すっかり普段の調子に戻っていた。


 喜ぶべき事なのか、残念な事なのか……。


 「……って事は、カブールも尋問が終わったらヘリでイスラエルに帰っちゃうかも知れないんだな、畜生!」


 バンドーは自らの苛立ちに八つ当たりする様に、ハンドルを両手で強く叩いた。


 「バンドーさん、私達の仕事はあくまでアンドレの身柄確保です。私も動物用の麻酔銃は持っていますが、カブールが賞金稼ぎを見張りに付けている可能性があります。気を付けて下さい!」


 「……ああ、分かってる!それが俺の仕事だもんな!」


 メグミからの連絡に気合いを込めて即答するバンドー。

 今の彼は、暑さと運動不足で溜まった鬱憤を晴らそうと、やる気に満ち溢れている。


 (……バンドーさん、倉庫内にアンドレらしき動物と、剣士らしき気配が2つありますね。私はギリギリまで手は出しません。2対1の戦いもいい経験になるでしょう)


 相変わらず冷酷なテレパシーを入れてくるフクちゃんに苦笑いを浮かべつつも、バンドーはメグミの後に続いて倉庫の前にトラックを駐車した。


 「アニマルポリスです!不正売買のワニを引き取りに来ました!開けて下さい!」


 メグミの第一声に続き、鍵のかけられた倉庫を皆でノックする。

 6人揃えばかなりの騒音である。


 「……うるせえな!さっさと帰んな!」


 何やら男の声がする。

 カブールが雇った賞金稼ぎだろうか?

 

 拘束直前にメールを送信する様な素振りを見せていただけに、罠を仕掛けて待ち伏せしている可能性もあり得る。


 「……鍵は私が開けます。皆さん、少し下がって下さい」


 フクちゃんは両手を広げてバンドー達を制止し、特に大袈裟なジェスチャーも無く、軽々と倉庫の鍵を開けた。


 「……凄い!これが魔法なの?」


 ファルカス母娘は、普段見慣れない魔法に驚嘆の連続である。


 ブオオォッ!


 フクちゃんは手を触れる事無く倉庫のドアを開き、その瞬間、1本の丸太がドアの中央から真っ直ぐに飛び出して来る。

 これは侵入者対策の罠だ。


 「……罠をかわしただと!? 何者だお前ら!」


 想定外の事態に慌ててドアの前に姿を現す、剣を持った男。

 ブロンドの長髪をヘアバンドでまとめた、一見ロックミュージシャンの様な若者である。


 「……おりゃあぁ!」


 長髪剣士の死角から勢い良く飛び出したバンドーは、相手をドアの奥へと押し込み、彼の後に続いてフクちゃんとメグミも倉庫内に侵入した。


 「……どわっ……!」


 不意を突かれた長髪剣士はバンドーのパワーに押され、倉庫の床に尻餅を着く。


 「オリバー!」


 仲間のピンチを察知した屈強な短髪剣士がアンドレのプールを離れ、剣を振り回してフクちゃんとメグミに立ちはだかる。


 「……どけっ……!女の相手はいつでも出来る!」


 「……あわわっ……!」


 短髪剣士の大振りに気が動転したメグミは反射的にヘッドスライディングを繰り出し、軽々と剣をジャンプでかわしたフクちゃんとともに、結果オーライでアンドレのプールの前に到達していた。


 「……シンディ!中に剣士が2人いるわ!私が連絡するまで、車の中で博士とお嬢さんを守って!」


 「了解です!」


 ヘッドスライディングでいい感じに汚れた作業服姿のメグミは、無線でシンディと連絡を取り合う。


 「離れな!」


 短髪剣士がマウント体勢のバンドーに体当たりを敢行する。

 床に転がされたバンドーは慌てて立ち上がるものの、2対1の状況に追い込まれた。


 「助かったぜ、ヨルグ!」


 長髪剣士は短髪の相棒に感謝し、両者はバンドーを左右から挟み込む様に取り囲む。


 「……お前、バンドーだな?実力は武闘大会で観させて貰ったよ。だが、こっちは2人だ。お前を倒せば俺達のランキングも上がる。悪く思うな」


 不敵な笑みを浮かべる短髪剣士・ヨルグと、彼に頷く長髪剣士・オリバーのコンビには、事情を説明した所で戦いは避けられそうに無い。


 剣士として名を売るという事は、依頼が増える、敬意を集める等といった、プラス面ばかりとは限らないのだ。


 バンドーは開放したドアからの自然光を背中に感じ、剣を構えて2人を威嚇しながら首の後ろに神経を集中させ、魔法を使う準備を整える。


 「……でやああぁっ……!」


 左から飛び掛かるヨルグの剣を受け止めるバンドー。

 ヨルグはパワーがあるだけに、右側のオリバーに対して剣を振る余裕は無い。


 「もらったあぁ!」


 バンドーが両手を離せない事を見透かしたオリバーは、低い位置から野球のバットの様なスウィングを見せて相手に襲い掛かる。

 武闘大会とは違い、防具を狙う様なフェアプレーでは無い。剣を喰らえば負傷するのだ。


 「……ハアアッ……!」


 右足のローキックでオリバーの剣を弾いたバンドーだったが、片足を離してバランスが崩れた瞬間にヨルグに押し込まれてしまう。


 「……だああっ……!」


 再び床に転がされたバンドーは、下半身の自由が利かない状況で2本の剣と対峙するピンチを迎えていた。


 「バンドーさん!」


 プールで無邪気に泳ぐアンドレの無事を確認したメグミも、この距離からバンドーを避けて相手剣士に麻酔銃は撃てない。


 (バンドーさん、アンドレのプールです!)


 フクちゃんからのテレパシーを察知したバンドーは、首の後ろの感覚を研ぎ澄まし、水魔法のイメージを頭に浮かべた。

 

 迷う暇は無い、狙うはプールから距離の近い、ヨルグの顔面……!


 「くおおおぉっ……!」


 バンドーの額が蒼白く光り、その眩しさに一瞬目を逸らしたヨルグとオリバー。


 バシャアアァッ……


 アンドレのプールから上がった水飛沫は、やがて1本のロープの様に宙を駆け、ヨルグの首筋から顔面を覆う様に巻き付いた。


 「……ぐおっ!? 息が……息が出来ない!」


 予期せぬ事態に剣を捨て、床に転がるヨルグ。

 その姿に戦慄したオリバーの構えは、まさに隙だらけである。


 「……俺は剣だけじゃないぜ!」


 一気呵成に打って出たバンドーは、正面から剣を振り降ろし、戸惑いを隠せないオリバーの剣を叩き落とした。


 「……しまった!」


 「……おりゃっ!」


 丸腰のオリバーの両肩を掴んだバンドーは、思い切り背中を逸らして相手に渾身の頭突きをお見舞いする。


 「きゅうー」


 ワールドクラスと定評のあるバンドーの頭突きの直撃を受けたオリバーは、為す術も無く少々の鼻血を出してぐったりした。


 「……ぐはあっ!」


 バンドーの水魔法はまだまだ未完成品であり、窒息を恐れたヨルグの必死の行動によって、彼の顔にまとわり付いていた水は少しずつ剥がれ落ちていく。

 アンドレのプールから汲み上げた水である事も災いしたか、ワニの体液等の汚れで水の純度が下がっていたのかも知れない。


 「1対1だな!思いっ切りやろうぜ!」


 ハカン、ヤンカー、ゲリエ等、パワーファイターには負けなしの戦績を誇るバンドーは、屈強なヨルグを前にして、いよいよ武闘大会優勝チームのリーダーとしての貫禄を漂わせていた。


 「……俺の方が、剣のキャリアは長いんだ……。お前に魔法を使わせなければ、負けはしない!」


 呼吸を回復させ、落ち着きを取り戻したヨルグは、そのパワーにものを言わせた基本に忠実な攻めで、着実にバンドーを追い込んでいく。


 (……そう、この感じだ。武闘大会では何回も味わったよ!だが、これだけじゃ俺には勝てないぜ!)


 パワーではヨルグに押され気味に見えるバンドーだが、彼は格闘家として、剣では斬り裂く事の出来ない部分へのダメージの与え方を熟知しているのだ。


 「……どうした?お前の力はこの程度か?」


 バンドーが返す手を持たず、徐々に倉庫の壁際に追い詰められていると認識したヨルグは、相手のガードを崩すべく、突き攻撃に備えて両肘を引く。


 「どりゃああぁ!」


 剣の重さで曲げたまま瞬間的に硬直したヨルグの左肘に、バンドーは素早くハイキックを打ち込んだ。


 「……がああぁっ……!」


 一瞬の隙を突かれた激痛がヨルグを襲い、左手で支える事が出来なくなった剣は、所在無くふらついて床へと頭を下げる。


 「でええぇいっ……!」


 ノーガード体勢を露呈したヨルグの肩、腰、膝の防具を次々と斬り裂いていくバンドー。

 直接的な出血は無いものの、その衝撃だけでもヨルグに与える打撲ダメージはかなりのものだ。


 「……くっ……!」


 両膝を床に着いて項垂れるヨルグ。

 バンドーはすかさず相手の首筋に剣先を突き付け、ヨルグの戦意を喪失させた。


 「……俺の勝ちだな。教えてくれ。カブールからはどんな指示が来たんだ?」


 拘束直前にカブールが送信したと思われる携帯電話のメールが実在するならば、恐らくヨルグかオリバーが受信しているはずである。

 バンドーが剣を突き付けている事に安心したフクちゃんとメグミも、事の真相を確かめにヨルグを取り囲む。


 「ワニは返してもいいが、カブールが尋問を終えて、ここのヘリポートからイスラエルへ脱出するまで賞金稼ぎとアニマルポリスを足止めしろと言われた。今迎えのヘリがこっちに向かっていて、俺達もカブールと一緒にイスラエルへ脱出し、前金の残りの謝礼が支払われる事になっていたんだ」


 ヨルグの自白に、顔を見合わせるバンドー、フクちゃん、メグミの3人。


 メグミは自身の携帯電話を取り出し、インスブルック警察へと電話をかけ、アンドレの無事を確認し、2人の剣士を拘束した事を報告した。


 「……警察に連絡しました。ヨルグさん、カブールは尋問を終えましたが、会社ぐるみの犯行は証明出来ず、個人の犯罪として詐欺師のジルーとともに保釈金次第で釈放される事になったそうです。残念ながら、彼らは既に民間の旅客機を帰りの便で予約していましたよ。貴方達は、最初から捨て石にされたんです」


 「……そんな……」


 メグミの報告に、がっくりと肩を落とすヨルグ。

 大企業役員の悪事に手を貸せば、正規の依頼では得られない大金が稼げると信じて、リスクに飛び込んだ彼らの野望は、脆くも灰となる。


 「……やっぱりさぁ、賞金稼ぎ組合で地道に仕事探した方がいいよ。世の勝ち組が、俺らみたいな奴に優しい訳無いじゃん。お前らはアンドレを真面目に世話してくれた事にしといてやるから、罪は軽くなるよ」


 バンドーは無邪気な太字スマイルを浮かべ、命懸けの悪事すら報われないヨルグ達に同情して見せた。



 「……アンドレ!」


 久し振りの再会に感極まるミリーと、あくまでマイペースでご機嫌なアンドレ。

 

 ヨルグとオリバーを連行する、インスブルック警察の到着を待つまでの間、バンドーやメグミにもすぐに懐くアンドレの無邪気なキャラクターは、暫しの間彼の世話をしていたヨルグとオリバーも、両手を縛られたままで笑顔にさせていた。


 「……皆さん、ありがとうございます。私が過去の栄光に囚われてつまらない見栄を張ったばかりに、娘や皆さんにも迷惑をかけてしまいました。アンドレは役所と動物園を経由してワニ園に届けて貰い、これからはいち教員として、娘と母校の為に力を尽くそうと思います」


 深々と頭を下げるエリー博士。

 だが、彼女が亡き夫・ユリアンと築き上げた実績は、たった一度の失態で色褪せる訳では無い。


 「……人間は、私欲の為に美しい水も汚してしまいます。でも、一度汚れてしまった水を綺麗に出来る技術も、人間にしか作り得ないものだと思います。今の貴女が汚れていたとしても、昔の貴女や、これからの貴女が美しければ、人々は貴女の美しさを認めるはずです」


 バンドーの妹とは思えないフクちゃんの哲学的な言葉に、メグミは深い感銘を受け、剣士として確かな実力を見せたバンドー、自身の秘密を打ち明けてくれたシンディともども、互いの絆を深め合った価値ある1日が、もうすぐ終わろうとしていた。



 5月19日・17:00


 ザルツブルクからインスブルック、レンゲンフェルトまでの帰り道は、シンディから詳しく事情を聞きたいメグミと、フクちゃんに少し質問があるバンドーの要望に応える形で、どピンク車両にメグミとシンディ、トラックにバンドーとフクちゃんという、変則的なメンバー構成となっている。


 明日の夕方まで期限を取っていた仕事が、予定より早く終わった事で、明日はメグミとシンディは完全な休日、バンドーとフクちゃんは、リハビリを終える予定のクレアとともにアクエリアン・ドーム・テルメを満喫と、両者にとって最高の結末が訪れていた。


 「……フクちゃん、ちょっと訊いてもいい?」


 バンドーはトラックの運転も、オーストリアの道にもすっかり慣れ、幾分涼しくなって養豚さんも元気になった景色を楽しんでいる。


 「……質問ですか?いいですよ」


 今回の仕事に於いて、自分が助太刀をしなくても良い程に剣士、格闘家、そして魔導士としても成長していたバンドーに胸を撫で下ろしていたフクちゃんは、いつに無く穏やかな表情で助手席に腰を掛けていた。


 「……詐欺師のジルーを探す時、ミリーの証言を利用する形でフクちゃんが女神様の力を使ったんだよね?だったら、フクちゃんはアンドレの居場所も最初から分かってたんでしょ?あんまり目立つと、俺の妹じゃない事がバレちゃうから、敢えてアンドレの居場所を言わなかっただけなんだよね?」


 バンドーの質問に一瞬面喰らったフクちゃんは、珍しく目を泳がせて落ち着かない素振りになっている。

 

 確かに、女神様の力を以てすれば、人間でも動物でも捜索は出来るのだが、フクちゃんには、アンドレを探せない理由があったのだ。


 「……私はフクロウ時代に、ワニに襲われた事がありまして……ちょっと、ワニだけは苦手なんです……。生き物を捜索する時は、まず私の頭の中に、アースに生息するその生き物全てが映り込み、その後で外見の特徴や生息地で数が絞られて行きます。つまり……最初に全てのワニが頭に映り込む事が……耐えられません。今の私に、ワニの捜索は不可能です……」


 挙動不審になりながら自らの苦手なものを潔く認めたフクちゃんに、一瞬驚きの表情を見せたバンドーであったが、やがてその親しみ易さに頬を緩め、フクちゃんの肩を叩いて隣の女神様を激励する。


 「……それでこそ、俺の妹設定だよ!妹を守るのは兄の使命!俺はワニから、フクちゃんを守り続けるからね!」


 人間であるバンドーに肩を叩かれ、それでも嫌な感情の湧かないフクちゃんは流れる夕日を浴びながら、チーム・バンドーとともに旅をするこの一瞬に、何処かいとおしいものを感じ始めていた。



  (続く)

 

 


 

 


 

 

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