第31話 チーム・バンドーの長い休日 ②
5月18日・19:00
レンゲンフェルトに到着したバンドー、クレア、フクちゃんはアクエリアン・ドーム・テルメのチェックインを完了していた。
当初はフクちゃんを含めたシングル・ルームの3泊を予定していたものの、女神であるフクちゃんが人間界のホテルの備品を使いこなす事が出来ない為、クレアとのダブル・ルーム宿泊にプランを変更する事となる。
……であるからしてこの選択の目的は、決して経費削減では無い事を強調しておきたい。
予約の段階で自身の膝のリハビリ目的を伝えていたクレアには、早速トレーナーを付けた屋内プールでのリハビリが用意されており、例によっていつ準備していたのか分からないお洒落な水着を手に気合い十分の彼女。
だが、その行動を制止したトレーナーの登場が、クレアのモチベーションを激しく低下させる。
「今晩はクレアさん、3日間宜しくね」
現れたトレーナーは、ガイドブックに載っていた細マッチョなイケメンではなく、モデルの様なスタイルの美女でもない。
これまで何度も膝の危機を乗り越えて来たであろう事だけは推測出来る、初老の女性であった。
「トレーナーのメーガンです。リハビリは科学的に行わなくてはいけません。医師の免許を持つ私にお任せ下さい。まずは貴女が着用する、このボディースーツの色をお選び下さい」
やや太めの体型で眼鏡をかけ、白髪を特に染め直したりもしていないメーガンは医師としてはむしろ好印象だが、彼女が既に着用しているリハビリ用のボディースーツの印象は最悪である。
全身を均等に加圧する目的故に、顔、手首、足首以外の露出は無く、プールで万一の事故に備えた救命用の浮き袋が両肩に装着されている為、SF映画で登場する様な、ミサイルポッドを装着したパワードスーツ的デザインなのである。
しかもカラーは赤か黒しか選べない。
「それじゃあクレア、頑張ってね!」
バンドーとフクちゃんは、仲間のこの姿を笑ってはいけないと必死に自らを律しながらクレアに手を振り、野外で魔法の訓練へと出発するのであった。
「……すげえ!めっちゃ綺麗だ!」
バンドーが興奮を隠せない水のリゾート施設、アクエリアン・ドームは、屋内外を問わず多彩なプールや噴水に囲まれており、先の大災害以前程では無いものの、夜間のライトアップにより幻想的な美しさも演出されている。
「……本来、水は地球で最も美しいもののひとつです。生き物にとって余りにも身近で、日々の暮らしで簡単に汚れてしまうので、普段意識する事はありませんけどね……」
これまでフクロウに姿を変え、ヨーロッパの自然を渡り歩いて来たフクちゃんは、人間によって整備されたこの水のリゾート施設が、水の自然な美しさではない事を理解していた。
その、何処か醒めた笑顔の理由を察したバンドーは彼女に歩み寄り、ドームの外に広がる山々を始めとする、本物の自然の美しさにも指をさし示す。
「フクちゃんは女神様だから、自然の美しさと人間が作った美しさを分けて考えてる?このプールの水は、一度汚れてしまった水を、人間が塩素やら薬品やらを使って綺麗にしたものなんだよ。飲む事が出来ないから、これは偽物の美しさかも知れないけど、この発明が無ければ、人間は今でも、汚くなった水は棄てればいいと傲っていたと思う」
バンドーはプールの水を指で掬いながら、地球の裏側にある自らの故郷、ニュージーランドの大自然と同じ空の下で繋がっている、レンゲンフェルトの山々の美しさに想いを馳せていた。
「……そうですね。何かの為、誰かの為に汚れてしまったものが本来美しいものである事を、多くの人に教えるべきであると、私も思います」
何やら哲学的なセリフをひとり口ずさむフクちゃんは、バンドーを真似てプールの水に指を入れ、その水に魔法を妨げる程の成分は含まれていない事を発見する。
「……バンドーさん、水魔法、試してみましょう!」
武闘大会を終えたチーム・バンドーは、その戦いで蓄積したダメージを癒す為、昨日1日を休養に充てていたのだが、決勝でのダメージが少なかったバンドーは、フクちゃんの協力のもと魔法の訓練を行っていた。
その結果、フクちゃんが攻撃を仕掛ける寸前のプレッシャーにより、バンドーには1日1回、ピンチの時に風魔法が使えるという事実は、もはや揺るぎないものとなっていたのである。
「バンドーさんが風魔法を使える事は、もう分かっています。風魔法は、それ自体に重量の無い空気を利用するので、少ない魔力でも使用が可能な、魔法の基本です。しかしながら、それ自体に重量のある水を利用する水魔法を使うには、それなりの魔力が必要となります。バンドーさんがもし、水魔法を使えるだけの魔力を持っているのであれば、風魔法なら1日に2回使える様になるかも知れませんね」
チーム・バンドーに、これからもリンが同行、或いは誰か他の魔導士が帯同するのであれば、剣士としての成長を優先させるべきバンドーに、多くの魔法を習得させる必要は無い。
フクちゃんからの提案には、水魔法を習得する為の訓練の過程で、既に習得している風魔法の使い勝手を向上させる目的も含まれていた。
「……よし、やってみよう!幸いここなら少々水飛沫が上がっても怪しまれないし、お客さんも少なくなってきたしね!」
5月とはいえ、標高がそれなりにあるレンゲンフェルトの夜はまだ冷える。
既に水着でプールに飛び込む客の姿はなく、ライトアップされた夜空を眺めるカップル達も、プールサイドからは若干距離を置いている。
バンドーは、流石のフクちゃんも観光客のいる前で自分に無慈悲な攻撃はしないだろうと、安堵の表情を浮かべていた。
「バンドーさん、まずはプールに近付いて、水面と精神統一を行いましょう。あの感覚があれば、私に知らせて下さいね」
「あの感覚」とは、魔法を放てる状態を報せるヒントである、首の後ろに何かがめり込む様な感覚の事だ。
バンドーはプールの水面を覗き込み、意識を首の後ろに集中させながら、自身の魔力を乗せる対象と対話を試みる。
ちなみに、初めて風魔法を発動させた時には「大切なものを取り返す為に風の力を貸して欲しい」と、一語一句丁寧に目的を暗唱していたバンドーであったが、武闘大会本番やフクちゃんとの訓練を経験するにつれ、自らの望む魔法の効果を頭に描く事で瞬時に魔法を発動させる、自然とのスムースな意志疎通が出来る様になっていた。
「……どうですか?感覚が掴めそうですか?」
身を乗り出してプールサイドのバンドーを励ます女神様のフクちゃんは、統一世界・アースに生息する生物とは別の種族。
その姿は生物の肉眼からは見えても、プールの水面には映らない。
「……何か来た。もう少しだ……わぷっ!?」
突然、プールに顔を沈めるバンドー。
フクちゃんが無言でバンドーの後頭部を鷲掴みにし、水面へと押し付けたのだ。
「ふふひゃん!? ひゃめへ!ひゃめへ!」
水面から確認出来ない、フクちゃんの予期せぬ行動に慌てて呼吸を止めたものの、前もって息継ぎの準備をしていないバンドーに余裕は無く、フクちゃんの手を振り払わんと激しく上半身を暴れさせている。
「……さあ、プールの水を跳ね除けて下さい。その水で、私を攻撃して下さい」
流石は女神様と言うべきか、涼しい顔をしたフクちゃんはその小柄な身体からは想像もつかないパワーで、バンドーの後頭部を抑え付けていた。
「……ふぐうぅ、ひゃわいよひゃわいよ!」
何となく言いたい事は分かるバンドー。
とにかく、このピンチを脱しなければ。
「……ふおおぉっ……!」
バンドーの魔法が発動する合図である、額から放たれる蒼白い光がプールの水を照らし、やがて彼の頭部だけを避ける様に、プールの水位が低下していく。
「ぶはああぁっ!殺す気かっ!?」
フクちゃんに頭を抑え付けられたまま呼吸を整える事に成功したバンドーは、頭の中で無意識にフクちゃんの回避行動までを読み切ったコースへと、下げた水位の分量に当たる水飛沫を打ち付けた。
バシャアアァッ……
咄嗟に水飛沫を回避しようとした着地点まで追跡していたその水流を、満足気な表情を浮かべながら魔法で消し去るフクちゃん。
バンドーの水魔法が発動、対人攻撃までが可能となった。
「バンドーさん、おめでとうございます。初めての水魔法をコントロール出来る集中力があるのなら、風魔法の発動タイミングも自分でコントロール出来るはずです」
少々バツの悪い笑顔で、未だ怒りの収まらないバンドーを祝福するフクちゃん。
彼のポテンシャルに期待する女神様は、ワニの捜索という明日の仕事に備え、水魔法発動の最短距離へ博打に打って出たのである。
「おめでとうじゃないよ!水魔法が発動したから良かったものの、発動しなかったら溺れ死んじゃうだろ!」
普段は温厚なバンドーも、不意討ちによるピンチの演出にはおかんむりだ。無理もない。
「……申し訳ありません。ただ、神族の能力をもってすれば、自分の責任で失ってしまった命に限り、蘇生させる事が出来ますから……」
深々と頭を下げて謝罪するフクちゃんを半信半疑に見下ろしながら、バンドーは詳細を問い質す。
「……俺が死んでも、フクちゃんが生き返らせてくれるって事?そりゃ凄いな。でもそれなら、神様達がアースに降りて来て人間や動物を救助すれば、世の中もっと平和になるんじゃないの?」
「……え?それは……」
バンドーは返答に躊躇するフクちゃんに詰め寄り、神様の力がこのアースにどう作用しているのか、聞き出そうと試みた。
「……私達神族は、あくまで自然の使いです。人間の命を救えるのは、私達の魔法や攻撃に巻き込んでしまった場合のみなんです。自然災害や戦争、寿命や病気で死んでしまった人間は救えません。それに……」
「……それに?」
少々強引にでも神族の理屈を納得しようとしていたバンドーは、フクちゃんの口から更なる秘密を引き出さんとばかりに、まっすぐ彼女の瞳を見つめる。
「……あれ程の大災害で、都市も自然も破壊されてしまうにも関わらず、犠牲者を出さないまま多くの人間や動物が居場所を失えば……やがて暴力や略奪、人間と動物との接触などで……災害以上の死者と軋轢が生まれ、今ここまでアースに文明が回復する事は無かったと思います……。これは、言い訳にしかなりませんが……」
所在無さげに言葉を絞り出し、やや心苦しそうにうつむくフクちゃん。
その姿から、人間の想像力が及ばない、神族が抱える強大な悩みや苦しみの存在を察知したバンドーは、自らの早まった追及に後悔の念を抱いた。
「……分かった……。なんかゴメンね」
バンドーは気持ちの切り換えを兼ねて、笑顔でフクちゃんの肩を叩く。
その背後では知らぬ間にカップルの姿が消え失せており、プールの噴水だけが寂しくライトアップされているレンゲンフェルトの夜風は、また一段と冷たくなっている。
アクエリアン・ドーム・テルメ屋内に帰還したバンドーとフクちゃんは、屋内プールで力士の様な肩幅のダサいボディースーツに身を包み、コミカルなリハビリを行うクレアとトレーナーのモーガンに軽いあいさつを交わした後、バーガーショップで軽い夕食を買って自室へと向かった。
フクちゃんの食事にハンバーガーは付いていなかったが、彼女の好物のフライドポテトはLサイズである。
5月18日・20:30
リハビリから帰還したクレアを加え、フクちゃんと3人で軽い夕食を済ませたバンドーの携帯電話に、アニマルポリスのメグミからメールが届いた。
依頼人の都合により、ワニの捜索期間は2日間しか無い。
20日の夕方には報酬がアクエリアン・ドーム・テルメに振り込まれる為、実質の捜索期限は20日の17:00前まで。
その為、明日の朝、依頼人宅に到着した時点で捜索を始められる様に、第3者に公開出来る情報のみを使用したメールにより、詳細が伝えられる事となったのである。
〇依頼人……ミリー・ファルカス(11歳・初等学生)、エリー・ファルカス(35歳・生物学者)
〇捜索対象……アンドレ(推定10歳・オーストラリアワニの雄)、体長200㎝、体重250㎏。普段は大人しく、人間に懐いている。
〇備考……夫である生物学者、ユリアン・ファルカス(享年38歳)とともに活動していたエリーは、長女ミリーを授かり、密猟業者から救出して以来一家の一員となっていたオーストラリアワニ、アンドレを加えた3人と1匹で、インスブルックを拠点に仲良く暮らしていた。
だが、1年前のユリアンの事故死により、スポンサー撤退で生物学者としての活動を縮小せざるを得なくなったエリーは、アンドレを生まれ故郷のワニ園へ預けようとミリーを説得し、特殊運送業者のトラックに乗って空港へ輸送されるアンドレを名残惜しく見送った……はずだった。
「……はずだったって、どういう事よ?」
クレアの疑問に答えるかの様なタイミングで、再びバンドーの携帯に振動が走った。
メール第2弾である。
〇アンドレを乗せた特殊運送業者の車は、空港に到着する事無く姿を眩まし、後にその特殊運送業者は存在していない事が、ワニ園からの催促電話で明らかとなった。
架空の特殊運送業者がアンドレを近郊のイン川に捨て、エリーとワニ園から徴収した費用の諸々を着服した疑いがあると睨んだインスブルック警察は、運送業者を警察本体が、アンドレをアニマルポリスが捜索する方針を決定。
アンドレの体長、体重を考慮し、アニマルポリスに協力してくれる民間の賞金稼ぎを探していた。
「……イン川は広いですから、もし川に住み着いてしまったのであれば、捜索は大変ですよ。私達だけの2日間では足りないはずです」
いくら人間に懐いているとは言え、人間から餌を貰うためにワニがのんびり待機している様であれば、とうの昔に目撃情報のひとつやふたつはあるだろう。
現在の状況から、フクちゃんはアンドレがイン川を移動してインスブルックから離れてしまったか、もしくは何者かによって既に捕獲されていると推測している。
「オーストラリアのワニは、そんなに大きくならないんだ。体長2メートルなら、もう大人だよ。金銭着服レベルの話では済まないね。悪党なら金銭着服に加えて、アンドレを宣伝の道具にしたり、お財布やハンドバッグにする様な企業に売り付けようと考えるはずだよ」
数年前、兄シュンの結婚式でシドニーを訪れたバンドーは、動物好きが高じてワニ園の観光も行っていた。
ワニ園には日常的に、財布や鞄の原材料としてのワニ革を求めるオファーが絶えないが、園のモラルとして生きたワニの取引は一切行わない。
それでも生きたワニへのオファーが絶えない理由は、人間に懐いた大型動物を観光や企業のマスコットにしたいと考える、特殊な経営者がいるからである。
彼等の全てが悪党とは言わないが、多くの経営者は大型動物に宣伝効果が無くなれば、毛皮や嗜好品にする事を2次目的にしていたのだ。
「……バンドーの話が現実的だと言うのなら、そもそもしっかりした運送業者を選ばないとダメよね。オーストリアにも相談が出来る動物園や、それに準じた施設はあるはず。生物学者が可愛がっていたワニの安全に注意を怠るなんて、少し怪しいわ」
クレアは早速「女の勘」を発動させ、大黒柱を失ったファルカス家の世間体や懐事情を詮索している。
「……嘘のひとつもつかないと、人間はやって行けない時代になりましたよね。人間は皆、嘘が上手くなったと思います。でも、本当に罪悪感に押し潰されそうな嘘は、私には見えます。アニマルポリスさんを動揺させてもいけませんから、依頼人側に何かあれば、少しずつ向こうの尻尾を出させますよ」
特に気負う訳でも無く、これと言った善意や悪意も見せず、淡々と任務達成への道筋を示すフクちゃんは、徐々に女神様としての能力を見せ始めていた。
そんな彼女を頼もしく思う反面、得体の知れぬ能力の持ち主とともに行動するバンドーとクレアの心の内には、まだ一抹の不安が拭えていない。
「……クレアさん、明日は私とバンドーさんだけで大丈夫ですから、貴女はリハビリをサボらずに頑張って下さいよ」
「……ギクッ!? 何故それを……?」
自らの本心をフクちゃんに覚られ、クレアはその場に固まったまま、長い1日が終わろうとしていた。
5月19日・8:00
長旅を終え、ジュネーブにあるEONPスイス事務局に到着していたシルバ達は、隣接する厳戒態勢の高級ホテルで一夜を明かしている。
明日の会議本番まで、出席者には外出も制限される中、シルバに許されている権利は義父のロドリゲス参謀との会話と、ガンボアやキムとの談笑やトレーニングくらいしか無い。
目覚めて早々、ジムで一汗かいてきたシルバが自販機のドリンクで水分を補給する間にも、朝食を終えた出席者達がロビーを行き交いながら挨拶回りを始めていた。
正装の起業家や役人の中で、明らかに浮いているタンクトップ姿のシルバであったが、彼が2ヶ月前までは期待の若手軍人であった事実を、会議の出席者全員が覚えており、これと言った問題は起きていない。
「……ケン、少しいいか?」
人混みを掻き分けながらシルバの前に姿を現した白髪の中年紳士は、EONAのロドリゲス参謀。
シルバの義父である。
「……はい!」
様々な要因が積み重なり、家族とは言え若干ギクシャクしたコミュニケーションは否定出来ないものの、久しぶりの再会にお互いの表情は穏やかになっていた。
ロドリゲス参謀がシルバを養子に引き取ったのは、彼がまだ軍曹だった35歳、シルバが12歳の時。
あれから11年が経過し、流石に白髪が増えて軍曹時代の鬼の形相は見せなくなった彼ではあったが、時折見せる半端な若僧を寄せ付けない鋭い眼光のオーラには、未だ衰えを感じさせない。
「……ここでいい」
ロドリゲス参謀が腰を掛けた場所は、意外にもコインランドリー脇のベンチ。
細い路地の隅に置かれたランドリーに、セレブ達の注目が集まる事はまず無いだろうが、話し声は筒抜けになるレベルの距離感である。
この選択は、ロドリゲス参謀自身が既に現在の地位に固執していない、その心境の表れとも言えそうだ。
「……元気そうで何よりだ、ケン。お前の身体に関しては、誰も心配はしていない」
朝陽を避けてベンチに腰掛けたはずの、ロドリゲス参謀の目に刺さる太陽。
少々自嘲気味に目を細め、義理の息子の姿を見つめるその表情は、やはり父親以外の何者でもない。
「……申し訳ありません。本来なら、除隊が決まった時点で自分が挨拶に行くべきでしたが……」
義理の親子とは言え、軍隊の組織内では兵士と上官の関係である。
シルバは、家庭内でも特に変わる事の無い、軍人としての態度で義父の挨拶に応えた。
「……私とレブロフ司令官、そして大半の兵士は、お前の除隊には反対だった。お前は人格者であり、私やレブロフ司令官の後継者候補だったからな。だがケン、お前は正義感が強過ぎる。お前が両親の仇討ちにこだわる余り、無謀な行動に出る事を恐れて、私達がお前の除隊を遅らせていたんだ」
シルバは軍を除隊して自らを賞金稼ぎ組合に登録し、スペインで両親の仇のテロリストを捜し当てて復讐する計画を立てていた。
しかし、除隊が認められなかった為に賞金稼ぎとしての登録が出来ず、バンドーと再会するまでは一般人として、低報酬での仕事に従事しなければならなかったのである。
「……自分の行動は、全てお見通しだったんですね……」
「組合からは、勿論情報は貰っていたよ。だが、義理とは言え親子だからな。お前がレイジ君と賞金稼ぎチームを作ると聞いて、私も除隊を許可したんだ」
親子の会話の中に突如として挟まれた、バンドーの名前。
ロドリゲス参謀がバンドーと接触したのは、シルバを養子に引き取る許可を得る為に、カンタベリーの面々に挨拶に来た、たった1日だけだ。
「……彼は、レイジ君は、面白い子だったな。彼は最後までお前が養子に行くのを反対していたんだが、その理由が、親友がいなくなる事が寂しいからじゃなかったんだよ。ケンちゃんには俺みたいなお兄ちゃんが必要なんだと力説するんだ」
思い出し笑いを堪えきれないロドリゲス参謀。
当時のバンドーが、どんな顔で、どんな喋り方で彼と接したか、手に取る様に想像出来るシルバにも、思わず笑みが浮かぶ。
「……はっきり言って、歳下のお前の方がレイジ君よりも大人だったし、格闘技もお前の方が見込みがあった。彼のその自信が何処から来るのか分からなかったんだが、彼を説得した別れ際、喋り疲れた彼は牛の背中に抱き付いて、家まで牛に送って貰っていたよ。傑作だな!」
一見硬派な男性2人が朝から爆笑する光景に、周囲の視線が一瞬集中するものの、両者とも全く気にする事無く笑い転げた。
「……ケン、私は今まで父親として、お前を厳しく高みに引き上げようとしてきた。両親の仇も思う様に捜せず、辛い思いもしただろう。だが、軍での経験は、お前の心と身体は強くしたはずだ。これ以上軍にいて、無駄な駆け引きや私利私欲を覚える必要は無い。今必要なのは、お前に安らぎを取り戻すレイジ君の様な相棒だよ」
ロドリゲス参謀は未だ爆笑を引きずっていた為、言葉の説得力は今イチだったが、彼が思いの外バンドーを高く評価していた事に、シルバは深い安心感を覚えている。
軍の若手エリートの地位を捨て、安定とは無縁の賞金稼ぎチームで行動する自分を義父に認めて貰った事が、今の彼には何よりの報酬と言えた。
「ケン、いずれガンボアとキムから詳細が届くと思うが、この会議が終わったら、私達は軍を除隊し、特殊部隊の調整に入る。お前が捕らえたゲレーロを案内役に、まずは軍部との繋がりも疑われているスペインのマフィアを当たる予定だ」
ロドリゲス参謀の言葉に、一気に緊張感が高まるシルバ。
彼にとって、スペインのマフィアとの接触は、両親の仇であるテロリストの情報を掴むチャンスなのである。
「……私達は、お前が入隊すれば歓迎する。だが、ゲレーロは地下格闘技団体や街のチンピラとの繋がりもある為、お前達との共同作業も可能だ。予定は追って報せるが、危険な仕事である事に変わりはない。レイジ君を始め、お前の仲間達に覚悟が出来ていなければ、連れて来ないでくれ。分かったな!」
「……はい!ロドリゲス参謀、ありがとうございます!」
シルバは自身に染み付いた軍隊式の敬礼を無意識の内に行い、周囲の空気を一変させた。
「……ケン、もういい。私ももうすぐ軍人ではなくなる。写真を撮らせてくれ。母さんに元気な姿を見せたいからな!」
5月19日・8:50
「……暑いな……。ワニさんと一緒でもいいから泳ぎたいわ……」
アクエリアン・ドーム・テルメの駐車場でアニマルポリスを待つ最中、昨夜の冷え込みからは想像もつかない快晴と高温に、早くも額の汗を拭うバンドー。
女神様であるフクちゃんは、自身の体温調節で暑さを凌ぐ裏技までが既にお手のものなのだが、バンドーの妹という設定でアニマルポリスと対面する為に、帽子をうちわ代わりに扇ぐポーズを取り、人間らしさの演出に余念が無い。
クレアは今朝もダサいボディースーツ着用のリハビリに打ち込み、自前の水着で遊べるのは明日だけらしい。
だが彼女の事だ。自身の遊びの為に、きっちりリハビリを仕上げてくるはずである。
ブオオォン……
「……来た!」
バンドー達の姿を発見し、駐車場に進入する2台の車。
1台は紛れもない、どピンクなアニマルポリス専用車両。
もう1台は、捕獲したアンドレ搭載用の小型トラック。縄やスロープ等、小道具も抜かりなく用意されている様子だが、偶然にもワニを彷彿とさせる暗い緑色の車体だ。
「バンドーさん、お待たせしました!」
トラックから出てきたメグミは、流石にワニ捕物帖とあってか、普段のどピンクな衣装ではなく、建設作業員ばりの地味な作業服に身を包んでいる。
年齢的にも落ち着いた印象の彼女がこういった地味な衣装を着ると、むしろ元来の美貌に気付かされると言うものだ。
「は〜い、おはようございますっ!あっ!? 貴女がバンドーさんの妹さん?」
どピンク車両から現れたシンディが着こなす作業服姿は、まるでアイドルの1日現場監督の様なイベント感満載だが、彼女はスタイルが良いせいなのか、どんな衣装もそれなりに似合っている。
「初めまして、フクコ・バンドーです。いつも兄がお世話になっております」
シンディに深々と頭を下げるフクちゃんは、既にフクロウ時代に彼女達と面識があるものの、彼女達もまさかこの少女があのフクロウで、しかも正体が女神様であるなどとは夢にも思わないはずだ。
「バンドーさんに妹さんがいるなんてね……。ふふ、フクロウからフクコちゃんに相棒が変わったのね」
穏やかな笑みを浮かべるメグミもシンディも今の所、この黒髪の少女をバンドーの妹だと疑ってはいない。
デュッセルドルフのホテルでの一件で、フクロウのフクちゃんはフランクフルトの森に帰ったと知らされていたのである。
「おはようございます!2人とも作業服似合ってるじゃない!」
バンドーの挨拶は、いつも今イチセンスが悪い。
「お兄ちゃん!褒める所違うんじゃない?」
事前に兄妹としてのキャラ付けを確認している両者ではあったが、女神様からの「お兄ちゃん」コールには、流石のバンドーも、少し萌えた。
「……でも、何だか歳が離れてる感じですねぇ。フクコさん、現場に連れて行ってもいいんですかぁ?」
女神様としての実年齢はともかく、高校生くらいに見えるフクちゃんを、シンディは心配している様子である。
「大丈夫だよ。妹は魔法の才能を見込まれて、飛び級でヨーロッパの魔法学校にスカウトされたんだから。もう魔導士レベルなんだよ」
これも両者で打ち合わせ済みの設定であった。
実際、高校生がこれだけの魔法を使いこなせれば、各地の学校で争奪戦が起きても不思議ではない。
「兄が賞金稼ぎのパーティーを作っていると聞いたので、旅に同行しながら、気に入った学校に入学させて貰うつもりです。何処の学校がいいか皆さん知っていますか?」
「ええ〜!? 私は警察学校しか知らないから……シンディ、何か知ってる?」
フクちゃんからの質問に困惑したメグミは、遊びの顔だけは広そうなシンディに助けを求めた。
「……イタリアの男はチャラいからダメですね〜。ドイツは堅すぎるし……」
「暑くなってきたから、早く行こうよ!シンディとフクちゃんはドライブしながら色々話をすればいいんだから」
だいぶ野外で日光を浴びてしまったバンドーは暑さに耐えられず、2人を急かして出発を後押しする。
「それじゃあ、インスブルックの依頼人の家へ行きましょう。車では遅くても1時間半くらいで到着するから、私とバンドーさんがトラック、シンディとフクコさんがピンク車両でいい?」
「はい、宜しくお願いします!」
フクちゃんはバンドーとともに笑顔で頭を下げる。
これは打ち合わせには無いアドリブだったが、長旅の付き合いから兄妹と呼んで全く違和感の無い、息の合った太字スマイルだ。
(バンドーさん、シンディさんの話で重要な事があれば、テレパシーでお伝えします)
フクちゃんからの声なき伝達に、バンドーは今一度仕事への緊張感を高める。
5月19日・9:10
その頃、ルステンベルガー達とのトレーニングに参加する事となったハインツは、すっかりチーム・バンドーと交友を深めたヤンカーに連れられて、ドイツ最大の工業都市・ゲルゼンキルヘンに到着していた。
この街には、彼等の功績を讃えたドイツから提供された、チーム・ルステンベルガー専用の練習場が存在している。
「工業都市と聞いて予想はしていたが、やかましい街だな。お前らくらい名前を売っていれば、もっといい環境の練習場を提供して貰えたんじゃねえのか?」
武闘大会MVPのハインツと、何もしなくても強面なヤンカーのコンビの行く手を遮る者は無く、移動は快適そのもの。
成果を上げた賞金稼ぎへのリスペクトは、ハインツがドイツを認める数少ないポイントのひとつであった。
「……呼吸が聞こえる様な静寂な環境と違って、剣を抜く音も聞こえない様な環境には情報が無い。ストリートで戦うならどちらがトレーニングになるか、お前なら分かるだろ……ここだ」
ハインツと目を合わさずに話し続けていたヤンカーが、突如として足を止める。
目前には朝の稼働を始めたばかりの工場と、駐車場跡地の様な土地がひとつ。
雑草は放置され、地面の段差もそのままの環境だ。
「来たな。またお前と手合わせ出来て嬉しいよ」
練習場の陰から姿を現したルステンベルガー。
その隣にはシュワーブとバイス、既に剣を構えたシュタインと、チーム・ルステンベルガーが勢揃いしている。
「俺なんかの為に、誰ひとり欠けずに集まってくれて光栄だな」
戦いのオーラを感じ取ったハインツの表情に、みるみる生気が満ちていた。
「……勘違いするなよ、あんたは俺達のトレーニングに自由参加する、飽くまでお客様さ。だが、あんたと同じ剣術学校の後輩のシュタインが、どうしても1番であんたと戦いたいと言うからな」
バイスはまだ身体が温まっていないのか、ウォームアップに熱を入れながら、片手間の様にハインツと会話する。
「おはようございます、先輩。武闘大会でも、本当はクレアさんと戦う予定だったんですけどね。後輩の剣、受けてくれますよね」
「……おもしれえ。かかって来な!」
シュタインの挑発に歓喜するハインツは、ウォームアップもそこそこに剣を抜き、集中力を高めて街のノイズを消し去った。
5月19日・9:30
故郷のパリに帰省していたリンは、昨夜の兄ロビーのキックボクサーデビュー戦を見届け、現在改修中の勤務先である図書館、アメリカーノ・ライブラリーの奥にある、来賓用の待合室に来ていた。
これから職員への説明会が行われる事になっているのだが、改修閉館中の様々な出来事により、職員の間では不穏な噂が流れている。
リンはまだ、このパリで図書館司書を続けるべきか、バンドー達と一緒に旅を続けるべきか迷っている。
仮に賞金稼ぎを辞めたとして、旅で関係を深めたシルバを始めとするチーム・バンドーの面々が、今後彼女との交流を断つ事はまずあり得ないものの、両親の仇討ちを期して危険に飛び込む事を厭わないシルバとは、今生の別れになる可能性も考えられるからだ。
待合室のざわめきが増してくる頃、リンは不安な気持ちを落ち着かせる為、今朝携帯電話に送られて来た、兄ロビーからのメールを読み返す。
"親愛なるジェシー。
ゆうべは来てくれてありがとう。
格好悪い所を見せちまったが、俺の性格から
して、ラッキーな勝利が無くて逆に良かった
と思う。
お前が魔導士として武闘大会に出ていた時は
驚いたが、それがバンドー達の足手まといに
なっているとは感じなかった。
お前が悪党に、暴力で仕返し出来る女だとは
思わない。
正直、兄としては平凡な家庭を築き、平凡な
人生を送って欲しいとも思うが、俺も親父も
お袋も、実は誰ひとりとして平凡な人生は送
っていない(笑)。
我が家の宿命かも知れないな。
お前の選択は尊重する。
親父達の説得が必要なら、声を掛けてくれ。
ロビー・リン"
このメールを受け取った時、リンの心はチーム・バンドーへと大きく傾いた。
だが一方で、自身が退職する事で、アメリカーノ・ライブラリーの同僚や上司にかかる負担や迷惑も考えなければならない。
その妥協点を模索する為、彼女は上司とコンタクトが取れる最前列に、ただひとり腰をかけていた。
「皆さん、お久しぶりです。やや強制的ないきさつでしたが、有給休暇を楽しんでくれていますか?」
ライブラリー代表のテュラム氏が待合室に姿を現し、入社式以来の緊張が職員の背中に走る。
「……皆さんの時間を無駄には出来ないので、単刀直入に話を進めたいと思います。まず、ライブラリー再開後の皆様の待遇ですが……残念ながら暫くの間、皆様は非正規職員扱いとなってしまいます」
苦々しい表情を浮かべたテュラム氏は、これが自身の決断では無い事を匂わせながらも、職員の労働条件悪化の通達を突き付けた。
「……どういう事ですか!? 代表!私達は仕事をサボっていた訳ではありません!ライブラリーの損壊も、愉快犯乱入による不可抗力じゃありませんか!」
続々と怒りの声を上げる職員達。
労働者として当然の怒り、ましてや労働者の権利を重視するヨーロッパに於いて、そうそう見られない事態である。
「……皆さん、我等がアメリカーノ・ライブラリーは、旧アメリカ合衆国の協力から今日の発展を築いて来ました。先の大災害でアメリカ合衆国が亡き後は、有力資本家が移住したイスラエルとの関係を深め、今回の一時閉館中に、イスラエルの大企業、フェリックス社に当ライブラリーは買収されたのです」
テュラム氏の言葉に衝撃を受けるリン。
武闘大会の個人戦で圧倒的強さを見せ付け、本格的な世界侵攻の急先鋒となった剣士、メナハム・フェリックスを擁する、イスラエルのトップ企業。
その資産は、剣術学校と魔法学校を手中に収めている事からも容易に想像出来る、莫大なもの。
「フェリックス社は、アメリカ合衆国の偉大な文化を継承する為に当ライブラリーを文化博物館に改編するプランを発表し、図書館業務の縮小を通告して来ました。勿論我々も、図書館司書労働者の権利と図書館業務の維持の為に闘います!しかし、経営権がフェリックス社に移ったばかりの現在、待遇に関してはこれまでの水準を維持する事は出来ません。申し訳ございません!」
真摯な姿勢で謝罪するテュラム氏が、フェリックス社と癒着している様には見えない。
だが、職員の怒りは収まらなかった。
そもそも、図書館司書は特殊な職業。
報酬に不満があるから退職し、他の仕事で生活を凌ぎながら、景気が良くなってから復職出来る様な、単純な門戸は開かれていないのである。
「……どうする……?私達が辞めた所で、イスラエルから職員が派遣されて来るんでしょ?」
「……畜生……。代表を信じて闘うしかないか……」
「……ああ、もう辞めるわ!馬鹿みたい!寧ろ、ここがフランスの役に立たない図書館だと分からせた方が、長い目でプラスになるわよ!」
思い思いの意見を吐き出す職員達。
この喧騒の中、フェリックス社の野望をいち早く知っていたリンの決断は素早かった。
「……テュラム代表、ジェシー・リンです。私は今月を持ちまして、アメリカーノ・ライブラリーを退職させていただきます!ライブラリーが愉快犯の襲撃にあったのも、私達の世代の魔法学校の卒業生を狙った犯行でしたし、フェリックス社が内輪でトラブルを揉み消そうとしているとしか、私には考えられません。私の来月の有給休暇は必要ありません。他の職員の援助に使って下さい」
最前列で立ち上がり、テュラム氏に退職を願い出るリンの姿は、普段の大人しい彼女を知っている職員達に衝撃を与える。
だが、彼女にしてみれば、賞金稼ぎを続ける格好の言い訳が出来た様なもの。
「……ただ、ひとつだけ中央図書館で調べ物があります。明後日まで、私を図書館司書でいさせて下さい!」
リンの毅然とした剣幕にやや押され気味のテュラム氏は、無意識の内に首を縦に振りつつも、彼女にひとつだけ警告を残した。
「……分かった。この度はすまないね、リン君。だが、ライブラリーが再開するまで、フェリックス社の情報はロックされてしまったよ。裁判の為の資料は、今からでは取り寄せられない」
やるせない表情でうつ向くテュラム氏を横目に、リンは穏やかな笑みを浮かべて彼を励ます。
「私も応援しますから、頑張って下さい!私が調べたい物は、スペインの所有者不明の物件情報ですよ。マフィアの隠れ家候補ですね!」
5月19日・10:00
交通量も余り多くない、快適なドライブを楽しむバンドー達は、爽やかな風が横切る道路の脇に、養豚の姿を頻繁に見掛ける様になっていた。
「インスブルックは養豚業が盛んなんですよ。バンドーさんの実家は農家だから、牛とかいるんですか?」
トラックの運転も手慣れた印象のメグミは、自身と同じく、動物の姿を素通り出来ないバンドーに深い親しみを感じている。
「隣が酪農家で、長い付き合いだから、牛は家族みたいなもんだよ。そのくせ俺は牛肉も食べられるんだから、困った男だけどね」
欧米では前世紀から、ヴィーガンと呼ばれる動物性の栄養や毛皮等を拒否する思想が広まりつつあったが、旧来の肉食容認派との対立を深め、文明が究極まで進化した先の大災害前には、動物という主役を置き去りにした、人間の心の社会問題として大きくクローズアップされていた。
結果として、大災害から世界が復興する過程に於いて、動物性の栄養を拒否するだけでは全ての人類を養えない事態に直面し、両者は互いの生き方に口を挟まない休戦状態が続く事となる。
バンドーの生まれ育ったオセアニアやアジアといった、最先端の思想の流入が遅れる地域に於いて、ヴィーガンと肉食容認派の対立が激しくなる事は無かったものの、動物を愛しながらも動物の肉が食べられるという自身の立ち位置について、バンドー自身も時折悩む事はある様子だ。
「私の母は日系人で、普通に肉を食べる家庭に育ち、ポルトガル人の父は先代から徹底したヴィーガンでした。でも、不思議と気が合って、互いの生き方には口出ししませんでしたね。父は刑事から出世して行きましたから、家庭で食事を取る暇なんて無かったんですよ。私は当然、母の影響を受けていたので、肉を食べる事に抵抗は無かったですけどね」
シンディも含めて、アニマルポリスだからと言ってヴィーガンを集めている訳ではない。
ヴィーガンに限らず、思想信条に深くはまりこんでしまった者は、いずれ宗教家への道を辿り、誰かに使われる仕事は出来なくなるのである。
「……何て言うか、心のモラルみたいなものだと思うな。誰かに見せ付けるものじゃないんだよ。何食べてもいい気分なら、肉を食べるのをやめる日があった方がいい、そのくらいに考えているね」
道路脇にいる、暑さでへばり気味の豚さんに激励の手を振りながら、バンドーはメグミに対して穏やかに微笑み返していた。
「……へえ〜、バンドーさんって、意外と真面目な人なんですね!」
シンディとの会話が弾んでいたフクちゃんは、自身の印象に少し贔屓目をプラスしてあげたバンドー像をアドリブで話している。
「メグミ先輩、署の偉い人から、そろそろ結婚して現場を引退しろって言われてるんですよ〜。頭が良くて優しい人だから、動物に対して身体を張るより若い娘の教育係になって欲しいんでしょうね〜」
メグミを語るシンディの表情は誇らしげで、相方を尊敬している様子はフクちゃんにもすぐに伝わっていた。
「……バンドーさんって、余り格好良くはないですけど、先輩と歳も近いし、優しくて動物好きだし、大きな農家の次男で仕事には困らないし、先輩からすればそれなりに優良物件だと思うんですよね〜。フクコさん、どう思います?」
突如として話をフクちゃんに振ってくるシンディ。
人間の色恋沙汰に疎いフクちゃんは少々返す言葉に困ったものの、自身の心に嘘のない、極めて率直な意見を返す。
「……う〜ん、兄は……いい人だけどカレシにはね……?って感じですね!メグミさんが年齢を重ねて、理想の恋愛以上の安らぎみたいなものを欲しがれば、穏やかで尻にも敷かれる兄は最高だと思いますけど……」
「……ぷっ!あははは!」
フクちゃんの本音100%なバンドー評に大爆笑のシンディは思わずハンドリングを誤り、その大胆なコースアウトを手前のメグミから心配されていた。
(続く)