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バンドー  作者: シサマ
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第30話 チーム・バンドーの長い休日 ①


これまでのあらすじ


西暦2045年の未曾有の大災害から、統一国家(EONP)として復活した世界。


西暦2099年、ニュージーランドの日系農業青年レイジ・バンドーは、軍を除隊後に行方不明となってしまった幼馴染み・シルバを探す為にヨーロッパに渡り、偶然バスジャック犯を撃退してシルバと再会した事から賞金稼ぎの剣士となる。


やがて名家出身の女剣士クレア、凄腕剣士ハインツ、元図書館司書の魔導士リン、更に謎のフクロウ・フクちゃんを加えたパーティー、チーム・バンドーを結成。


様々な依頼を解決しながらチームの結束力は高まり、腕試しで参加したゾーリンゲン武闘大会でも見事に優勝を果たした。


自身の甘さを克服したバンドーは剣士として急成長し、各々の目的を遂行する為、チーム・バンドーは一旦解散する事となる。


 5月18日・9:00


 ゾーリンゲン武闘大会を見事に優勝で飾ったチーム・バンドーは、当初の宿泊予定を1日延長し、デュッセルドルフのホテルで戦いの疲れを存分に癒した。


 

 出発の朝、フクちゃんを含めたチーム・バンドーの6名は、最優先事項を抱えるシルバとクレアのスケジュールに合わせ、数日の間各自が個人行動を取る事を既に確認済み。


 

 まずは明後日に、スイスのジュネーブでEONPヨーロッパ会議が開催される。

 軍部の代表で出席が予定されているシルバの義父、ロドリゲス参謀から、シルバが現地に招待される事になっており、間もなくホテル前に軍用車両によるお迎えが到着する予定だ。

 

 シルバの除隊に関する経緯の説明が、彼のヨーロッパ会議招待への表向きの理由ではあった。

 だが、シルバが警察に引き渡した元軍人のゲレーロを始め、ヨーロッパにおけるドラッグの蔓延問題は軍部も看過出来ないレベルにある。


 また、シルバが両親の仇として追跡するスペイン語圏テロリストの動向と、ゲレーロに与えられた地下格闘技繋がりのドラッグ等、シルバと軍の一部のミッションに共通項が見られるのであれば、両者が手を組む可能性は十分に考えられた。


 今回シルバの送迎を担当するのは、軍隊時代の彼直属の部下である、ドンゴン・キムとクリスチャン・ガンボアの2名。

 確かに最大限のテロ警戒が必要なビッグイベントではあるが、政府要人でもないシルバの送迎にしては、色々と出来過ぎな旅である。



 一方、クレアは武闘大会で負傷した左膝の回復が最優先事項。

 フクちゃんによる女神レベルの回復魔法で、2足歩行が可能なまでになってはいたものの、剣士として復帰する為には完治が最低条件であった。


 彼女はスイスとの境目に近いオーストリアの観光地、レンゲンフェルトにあるスパ&エステ施設、アクエリアン・ドーム・テルメで療養とリハビリを行う事となる。


 

 シルバが訪れるスイスに境目を接している地域はオーストリア、ドイツ、フランス、そしてイタリアの4つ。

 クレアはリハビリを行いながら、テロの様な緊急事態にはシルバのスイスからの脱出を手引きする役割を担う事にもなり、残るメンバーもスイスに隣接する地域に散って、シルバの脱出を待機する使命が与えられていた。


 ジュネーブへの進路にアルプスが立ちはだかるイタリアルートを却下し、結果としてシルバ以外のパーティーは各々がドイツ、フランス、オーストリアへと散らばる。


 ハインツはドイツに残り、カレリンとコラフスキの賞金稼ぎの仕事を手伝いながら、世界一の剣士を目指す目標の為、武闘大会で親交を深めたルステンベルガー達のトレーニングに参加する予定だ。


 リンは故郷のパリに一時帰還し、キックボクサーとなった兄、ロビーのデビュー戦を見届け、職場修復中で休職していた図書館側との話し合いに参加しなくてはならない。

 彼女にとっては、今後の人生を決める重要な数日間であると言える。


 これと言う使命が無く、基本的に手持ちぶさたであるバンドーは、取りあえずレンゲンフェルトまでクレアに付き添い、その後はザルツブルクを中心に賞金稼ぎの経験を積む予定である。

 幸いにも、今回はフクちゃんが同行してくれる為、魔法の訓練や想定外のピンチの時に於ける頼もしい味方を、彼は既に獲得していた。


 

 5月18日・9:10


 「……来たぞ!」


 デュッセルドルフの風を切って現れる1台のワゴン車。

 一般車両と排気量の違いを見せつける様な走行音は、自動車の運転免許を持たないハインツにも瞬時にその存在感を認識させている。


 チーム・バンドーの待つ、ホテルの入口前で緩やかに停車したそのワゴン車は、大きさこそ一般車両と大差無いものの、迷彩柄の車体と分厚い装甲、そしてEONA(アース・ワン・ネイション・アーミー)のロゴマークに止めを刺す、れっきとした軍用車両だ。


 敵意や警戒心は無いとは言え、若干の緊張感を隠せないチーム・バンドーの前に、助手席から現れたのは恰幅の良い黒人男性、運転席から現れたのは引き締まった長身のアジア系男性である。


 「お久しぶりです、シルバ中尉。いや、シルバ元中尉ですが、会議が終わるまでは貴方は軍関係者ですので」


 一足先にシルバに挨拶する黒人男性は、バンドーをひと回り大柄にした様な体格の持ち主ではあったが、その柔和な表情と、何処か愛嬌を感じさせる身のこなしはシルバより豊富な人生経験を醸し出しており、それがチーム・バンドーの緊張感を和らげていた。


 「ガンボア、久しぶりだな!」


 馴染みの顔に安堵したシルバは力強い握手とともに、満面の笑みを浮かべたガンボアと熱い抱擁を交わす。


 「中尉、お久しぶりです!少し痩せましたか?ちゃんと栄養バランスを考えて下さいよ」


 運転席から現れたアジア系の男性は、黒い短髪に切れ長の目元が印象的な朝鮮系で、シルバとは同世代に見えるものの、先のガンボアに比べると幾分張りつめた空気を身に纏っていた。


 「キム、久しぶりだな!2人とも元気そうで何よりだよ!」


 キムとも握手と抱擁を交わしたシルバは、2人を矢面に引っ張り出し、チーム・バンドーの仲間達を紹介する。


 「紹介するよ、俺の賞金稼ぎ仲間だ。バンドーさん、ハインツさん、クレアさん……リンさん、フクコさん。皆さん、こちらはクリスチャン・ガンボア曹長、ドンゴン・キム曹長です」


 バンドー達より歳上と思われるガンボアに敢えて敬語を使わない、キャリア至上の軍隊ルールを殊更変えようとはしていないシルバではあったが、リンの紹介を普段使用しているファーストネームにしない辺りも、流石に抜かりは無い。


 「中尉、早速ですが出発しますよ。今日中に現地入りしないと、色々面倒な事になりますからね」


 キムの冷徹な一言に背中を押されたシルバはパーティーに一礼し、背中を向けて車へと歩き出す。


 「……シルバ君、気を付けてね……」


 一歩踏み出し、シルバに声を掛けるリン。

 その気遣いに内心喜んだシルバは振り返り、今一度パーティーに頭を下げた。


 「ありがとうございます。自分は必ず戻って来ます。ですから、皆さんも一度は、必ず戻って来て下さい」


 事の運びによっては、リンは賞金稼ぎを続けられなくなる可能性があり、クレアも膝が完治するまでは別行動の恐れがある。

 名を上げたハインツには、より有力なパーティーからのスカウトがあるかも知れない。

 

 シルバの言葉の裏には、いかなる事態が起きようとも、別れの場所はここではないという強い意思が込められていたのだ。


 「シルバ中尉は必ず安全にお届けします。ご安心下さい」


 ガンボアは柔和な笑みを浮かべて敬礼ポーズを取り、シルバを後部座席に案内してドアを閉めた。

 停車中は殆ど無音だった高性能エンジンが唸りを上げ、シルバを乗せた軍用車は瞬く間にパーティーの視界から姿を消して行く。


 シルバを含めて、屈強な軍隊関係者揃いの3人の道中に、さほど危険は無いだろう。

 だが、チーム結成から1ヶ月半。

 初めて訪れる5等分の休日に、誰もが僅かな不安を抱えている現実は否めなかった。

 


 5月18日・9:30 デュッセルドルフ駅前


 「それじゃ皆、少しの間達者でな。21日の夕方にはシルバが戻ってくる。当日の朝には帰りのルートの連絡が来る予定だから、その後各自、目的地で落ち合おう」


 改札前のスペースで一時解散の挨拶を行うハインツは、両脇にカレリンとコラフスキを従え、早速午後からの賞金稼ぎの仕事に備えている。


 「何てったって武闘大会MVP様が一緒だからな!デカい仕事で稼げるぜ!」


 「バーカ、お前らに付き合うのは今日だけだよ!」


 ハインツをパーティーに招いてご満悦なカレリンに、早速釘を打つハインツ。

 彼は明日には、ルステンベルガー達のトレーニングに招かれているのだ。


 「……私はこの足で、まずはパリの格闘技大会を観に行きます。武闘大会を見て、急遽トルガイさんが兄さんのデビュー戦の相手に決まったそうですね。予想より早いデビューですけど、テレビ中継の都合でエキシビションマッチが組まれたみたいです」


 パリに一時帰還するリンの本来の目的は、現在改修中の図書館での仕事の再開時期や、長期休暇の後の待遇等、図書館側との話し合いに参加する事である。


 だが、モデル上がりのキックボクサーとして注目を集めるリンの兄、ロビーのタレント性に目をつけたテレビ局の人間が、入門2週間の新人としては異例の、ファイトマネーの発生するエキシビションマッチを用意したのだ。


 「トルガイもイケメンよね……。つまり、テレビ局は完全に、そういう感じでロビーさんを売り出したいのね」


 クレアは武闘大会の準々決勝でシルバと対戦したトルガイを思い出し、格闘技界で女性ファンを開拓する為の切り札として、ロビーやトルガイといったイケメンファイターに白羽の矢が立てられた事を理解する。


 「トルガイはケンちゃんには負けたけど、元来キャリアのあるプロ格闘家だから、流石のロビーも厳しいと思うな。いい経験になるよ」


 ロビーのモデルらしからぬ喧嘩の強さを体感しているバンドーではあったが、ルールに沿ったキックボクシングでは冷静さがものを言うと確信していた。

 

 ロビーにとっては、敗北から学ぶ事も重要な経験なのである。


 「……取りあえず両親も観に来ますし、兄がリング以外で暴れないでくれたらそれで十分ですよ……」


 モデル時代のやんちゃぶりに散々心労を重ねたリンの苦笑いに、パーティー一同は深い同情の念を禁じ得ない。


 「クレアは膝のリハビリと療養が必要だけど、最近オーストリアの賞金稼ぎ組合がザルツブルクにも出来たみたいだし、俺だけ登録して少し経験を積もうと思う。フクちゃんもいるし、魔法の訓練をしてもいいな」


 武闘大会で自信を付けたバンドーは、剣術、格闘技、そして魔法と、自分の潜在能力を早く活かせる様になりたいという、向上心がより強く芽生えていた。

 そんなバンドーを眺めて、ハインツはこれまでより幾分穏やかな笑顔で忠告する。


 「自分の力を冷静に見極めて行動さえすれば、俺はもうお前に不安は無えよ、バンドー。武闘大会で名を上げて、これからはお前に憧れる下の世代も出てくるだろう。自覚を持って人を引っ張れる人間になるんだな」


 

 ハインツの言葉を最後に円陣を組んで互いに握手を交わした後、誰からともなく自然に解散して行くパーティー。

 

 デュッセルドルフからの別れ際、駅のオフィスにバンドーが手渡したエアメールには、恒例の地元への手紙と写真。

 そこにはハインツの母、メリアムと沢山の犬猫に囲まれるバンドーの姿と、今は亡きバンドーの師匠格、シュティンドルとの訓練写真。

 

 そして武闘大会の表彰式の写真には、バンドーのこんな一文が添えられていた。


 『カンタベリーの皆、俺は賞金稼ぎを続ける事にしました。堅気の仕事では無いし、危険もある。でも、誰かの助けになりたいし、今の仲間からもっと学びたい。おばあちゃん、貴女に習った格闘技は、ヨーロッパでちゃんと通用しましたよ。ありがとう』



 5月18日・10:30


 バンドー、クレア、フクちゃんの3名はオーストリアへの経由地であるミュンヘンを目指す列車に揺られながら、オーストリアでの計画を互いに擦り合わせている。


 ヨーロッパの中でも治安の良さで知られるオーストリアは、元来首都ウィーンにしか設置されていなかった賞金稼ぎ組合を、近年ザルツブルクにも設置していた。


 その狙いは、地理的・政治的にミュンヘンに近く、スポーツと観光目当てにヨーロッパ中から旅行者を集めやすい環境にあるザルツブルクに、優れた賞金稼ぎを集めて売りである治安を更に強化する事。


 実際、中規模都市でありながらドイツやフランスの地方都市よりも賞金が高いザルツブルクは、初心者を卒業したレベルの賞金稼ぎが経験を積むのに最適な街と言われていたのだ。


 

 「ザルツブルクとレンゲンフェルトって、案外近いのね。3日間で何があるか分からないから、あたしも登録しておこうかな?」


 クレアは自身の賞金稼ぎ登録の話をしながらも、武闘大会中制限していたお菓子を解禁せんとばかりに、失敬してきたホテルのお茶菓子を列車のテーブルに広げた。

 日系人が多く住むデュッセルドルフのホテル備え付けだけに、ドイツでは珍しい和菓子の姿も見られる。


 「……何でしょう?冷菓ではない緑色のお菓子とは、珍しいですね……」


 今や1級神昇格を間近に控える身分でありながら、相変わらず人間食の好みがジャンキーなフクちゃんは、緑色のねじれた和菓子らしきものに興味津々だ。


 「あ、きな粉ねじりだ。抹茶入りかな?大豆を炒って粉にして、水飴を混ぜたお菓子だよ。フクちゃんは何食べても身体には影響無いんでしょ?食べてみたら?」


 今や地図に存在しない、日本の岡山県で農業をしていた祖父の大好物である、きな粉ねじりを得意気に解説するバンドー。

 日本という国が姿を消してしまっても、日本の食文化は日系人から彼らの暮らす地域の人々へと、着実に受け継がれているのである。


 その見慣れない形に、きょとんとした表情を浮かべながらきな粉ねじりを口にするフクちゃん。

 しかし、単なる水飴の甘味だけではない大豆の渋味、抹茶の香りと苦味が入り混じる深い味覚の世界に、彼女の表情はやがて恍惚のそれへと変わって行く。


 「おい……しい……」


 心なしか瞳がハートマークに見える程に感動しているフクちゃんは、その感動の勢いのままお茶菓子の中にあるきな粉ねじり3本を、閃光の如き速さで消費した。


 「……美味しかったです!これは神界への良いお土産になりますね!」


 やや興奮気味にきな粉ねじりの素晴らしさを語る、何とも安上がり……いや、庶民的な女神様である。

 


 5月18日・11:00


 スピード違反も規制区域も何のその、軍用車両の特権を活かした無双ドライブで、シルバ達を乗せたワゴン車は早くもドイツ南端の主要都市・フライブルクに到達し、ドイツから見たスイスの入り口の街・バーゼルまで、あと一歩の所に近付いていた。


 物々しい装甲を誇る軍用車両である事に加えて、テロ対策の警戒により、壮大な大聖堂や歴史ある大学等、フライブルクの美しい景観が殆ど拝めない仕様になっているのは残念極まりないが、久しぶりの再会に積もる話が途切れる事は無く、道中は和やかなムードで進んでいる。


 「……中尉、いずれロドリゲス参謀からも話があると思いますが、自分とキム、そしてロドリゲス参謀は近い内に軍を除隊します」


 「……!?」


 これまでの和気あいあいとした雰囲気から一転、ガンボアからの告白で背筋に緊張が走るシルバ。


 「……中尉も薄々気付かれていると思いますが、軍部の汚職やドラッグの蔓延、EONPの主導権をロシアから引き剥がそうとする勢力等、これまでの体制にはそろそろガタが来ています。そんな中軍部でも、言わば理性的な穏健派だったロドリゲス参謀のやり方に不満を持つ勢力を抑える事が出来なくなってきたんです」


 後ろを振り返る事無く、淡々と情勢を説明するガンボア。

 ルームミラー越しに見えるシルバの表情にも、情勢に関しては特に動揺も見られていない。


 「……ジルコフ大佐か」


 確信にも似たシルバの推測に対し、ガンボアもミラー越しに頷く。


 

 EONアーミーは、先の大災害の中、被害の少ない旧ロシアの油田や軍備を元に整備された軍隊であり、旧ロシア軍幹部と油田を管理する資本家が当然の如くイニシアチブを握っていた。


 だが、EONPが軌道に乗るにつれて、大規模なテロや宗教戦争は減少し、軍部の最高司令官に初めての穏健派であるレブロフ司令官が就任した事で、軍部に人種差別が存在しない事のアピールを兼ねて、シルバの義父であるウルグアイ系のロドリゲス参謀ら、ヨーロッパ出身者以外の要職抜擢が可能となったのである。


 しかしながら一方では、旧ロシア強硬派の出世頭だったジルコフ大佐が、兵器を始めとする貿易に年々発言権を増す中国や、ドラッグで地下経済を広げるスペイン語圏、剣術・魔法学校で暴利を貪りながらロシアからイニシアチブを奪おうとする、旧アメリカ系財閥が暗躍するイスラエルの動きを過剰に警戒していた。


 

 「……ジルコフ大佐は、次期司令官の座を狙って穏健派を排除したい意向なんだろうが、ロドリゲス参謀を含めた穏健派の幹部は、ヨーロッパ系の白人兵士からも慕われていたはず。今、強硬派が躍進するとは思えないが……」


 軍の地殻変動に、今ひとつ合点のいかないシルバの表情をミラー越しに確認したキムは、運転を続けながらゆっくりと口を開く。


 「……逆なんですよ、中尉。ヨーロッパ系の白人兵士は、軍隊で命さえ守ればそれなりの暮らしとリスペクトが得られます。彼らは無駄な争いをけしかける様な上官は欲していません。差別され、最前線に回される有色人種兵士をジルコフ大佐が巧みに煽って、火種への総攻撃の気勢を上げているんです」


 自らの人生に絶望した者が、困窮の中で全てを無に帰す戦争を望む心情に支配される事がある。

 差別に苦しんだ有色人種が白人の勝ち逃げを許さない風潮を生み、そこを強硬派の軍人が利用していたのである。

 

 ロドリゲス参謀や、その養子であるシルバが望んでいた事とは正反対の事態が、今まさに軍部で進行しつつあった。


 「……中尉がドラッグ使用で捕らえたゲレーロ氏は、元小尉でした。彼は警察の管理下に置かれる事で安全を確保され、軍部の要注意人物とスペインの地下組織について情報を提供してくれたんです。ロドリゲス参謀と自分、そしてキムは軍を除隊して、警察が新たに結成する特殊部隊に参加する事になりました」


 ガンボアの話にシルバはすかさず反応する。


 ドラッグを糸口に、スペインの地下組織を洗い出せる。

 両親を殺したテロの詳細が掴めるかも知れない、と。


 俄然瞳に生気が宿り始めたシルバの姿を目にしたキムは、自身も嬉しそうにこれからの人生を語り始めた。


 「……中尉のチームが優勝した武闘大会には、自分の親友であるソンジュン・パクも参加していました。1回戦で敗退して、2本も歯を折った不細工な顔で帰ってきましたが、朝鮮民族の誇りを胸に戦い続けるあいつが羨ましくなりましたよ」


 シルバはパクの試合前に偶然言葉を交わしており、その中にはキムの名前と、互いの生き方の違いの話も出ていた。キムは更に続ける。

 

 「自分は差別や偏見が嫌で、手っ取り早く金と地位が得られる軍隊を選びました。でも、守る人間と殺す人間の基準は、最後まで分かりませんでした。ロドリゲス参謀や、中尉の様な方と出会えた事は幸せでしたが、よく分からない利権の為の戦いよりも、今目の前の悪党を懲らしめたいですし、今目の前で苦しむ人を助けたいんです」


 キムのこの考え方は、シルバやバンドーが様々な想いを抱えながらも、今まで賞金稼ぎを続けて来た理由とも重なるものがあった。

 軍隊時代から欠かせない仲間ではあったが、ここへ来て、今の立場でも協力し合える関係を築けるチャンスが訪れたのである。


 「……中尉、後でロドリゲス参謀からも要請があると思います。中尉が今の仲間を裏切る様な方では無いと重々承知してはいますが、自分らは中尉にも特殊部隊に入隊して欲しいです。剣や魔法の力が如何なものなのか、自分らには想像すらつきません。ですが、無法者に対して銃が使える組織に属していなければ、やがて限界が訪れると思います」


 ガンボアからのこれ以上無い高評価は、シルバの自信と目的へのモチベーションを高めたものの、彼自身の今後の選択についての重苦しい空気は、逃げ場も無く車内に満ちる事となった。


 

 5月18日・12:00


 スケジュールの空きを利用してハインツを仲間に引き入れたカレリンとコラフスキは、首尾良くゲットした高額の仕事を遂行する為、デュッセルドルフとケルンの間にあるヨーロッパ有数の化学都市、レバークーゼンに到着する。


 街の顔役企業、ベイヤー製薬の影響力の下で発展を遂げたレバークーゼンではあったが、その背景からか怪しげな化学マニアをヨーロッパ以外からも呼び寄せてしまい、近年は単なる実験による悪臭騒ぎにとどまらない、毒ガス一歩手前の騒動が頻発する様になっていた。


 今回の仕事は、EONPヨーロッパ会議に備えたテロ対策の一環として、そんな不穏な化学マニアの一時拘束が目的とされており、警察と賞金稼ぎ組合が連携して人材を派遣している。


 「400000CPの仕事か。3人でこなせる額としちゃあ、まあまあだな。相手は何人だ?」


 3人は人気の無い裏通りの細い道に入り、ハインツはこれ幸いとばかりに剣のウォームアップに余念が無い。


 「ターゲットは1人だよ。フィリップ・ゲルハルト、32歳。軍で化学班に所属していたが……麻薬を合成して部隊に広め……銃をマフィアに横流しして解雇された過去がある……化学マニアにして武器コレクターの要注意人物だ」


 カレリンはケルンの賞金稼ぎ組合からの資料を棒読みし、現在のゲルハルトと思われる、痩せこけた眼鏡の男の写真をハインツに見せた。


 「……おいおい、ガチでヤバい奴じゃねえか。バズーカ砲とか持って来たら、俺は逃げるからな!」


 剣に自信のあるハインツとは言え、飛び道具には敵わない。

 相手が軍隊経験者なら尚更で、おまけに空模様まで怪しく曇って来ている。


 「この仕事、凄え競争率だったんだぜ!武闘大会MVPのお前の名前を出して、ようやくゲットしたんだ。ドタキャンしたら交通費弁償して貰うからな!」


 カレリンはハインツの首根っこを掴んで引き留め、その光景を目の当たりにしたコラフスキは苦笑いが止まらなかった。


 「大丈夫だよ、ハインツ。普段のゲルハルトは深夜のアダルトショップ店員で、昼夜逆転の生活をしているそうだ。今は寝起きだろうし、3人と戦うだけの準備は出来ていないはずだ」


 コラフスキはそう言って2人を先導する様に裏通りを進み、古びた一軒のアパートの前に辿り着く。


 アパートの向かい側には廃業したと思われるバーの残骸が残り、子どもの遊びにでも使われたのか、古びたテーブルや椅子が引っ張り出されていた。


 「……ゲルハルトの部屋は2階の203号室だ。俺とハインツで2階に上がって、ゴランはここで待機だ。奴が逃げて来たら捕まえてくれ」


 カレリンは仕事の段取りを伝えながらも、遠くから歩いてくる謎の人影に目をとめる。

 長身で痩せこけた風貌に、眼鏡をかけている様に見えるその男は、ゲルハルトなのだろうか?


 長身の男はそのまま歩き続けていたが、3人が剣士の装備を身にまとっている事を確認した瞬間、足を止めて険しい表情を浮かべた。


 「……あんた、ゲルハルトか?怪しい者じゃない。ヨーロッパ会議に備えたテロ対策で、夜な夜な実験をしている人達に普段のお仕事を忘れて貰って、2〜3日快適な留置宿舎でリラックスしようというお誘いだよ」


 ハインツはやや苦し気な笑顔で男に声を掛けたものの、完全に威嚇の表情に変わっていたその男は、間違いなく写真のゲルハルトと一致している。


 「消えな。消えなければ撃つぜ」


 3人の剣士と距離感を保ったゲルハルトは、その痩せこけた体型には似合わない、やたらサイズの大きい太めのズボンの右ポケットに手を入れ、中からゆっくりと1丁の拳銃を取り出した。


 「生憎本気だぜ。今日だけは都合が悪いんだ」


 銃を入れる為の必要以上に大きなズボンのポケットに加えて、右手に銃を構えながらも銃身を庇う様に左手を添える等、ゲルハルトが極めて慎重に銃を扱っている事に、ハインツは何やら引っ掛かるものを感じている。


 「別にあんたを殺そうとか、逮捕しようとか考えちゃいねえよ」


 3人は互いの顔を見合わせて頷き、戦意を見せない様に両手を高く挙げながら、ゆっくりとゲルハルトに近付いて行く。


 「……消えろと行っているだろ!」


 ゲルハルトが発砲態勢を取ると同時に3人は散らばり、中央に位置していたハインツはターゲットとなる事を回避する為、大きく左側に膨らんで走り出し、素早く剣を抜いた。


 パアアァン……


 ゲルハルトの銃弾は3人を捉える事は出来ず、彼の懐に忍び込んだハインツの剣が右手首を掠め、拳銃は地面を滑り落ちて行く。


 「……よっしゃあ!」


 ハインツがゲルハルトの拳銃を確保しようとしている間に、相手が丸腰になったと推測したカレリンは、ゲルハルトに斬りかからんと剣を振りかぶった。


 だがその瞬間、ゲルハルトは左側のポケットからもう1丁の拳銃を引き抜く。


 「……カレリン、危ない!」


 パアアァン……


 コラフスキの声に、慌てて身体を屈めたカレリンの肩先をゲルハルトの銃弾が掠め、若干の鮮血とともによろめいて苦悶の表情を浮かべる相方を抱えながら、コラフスキはすかさずバーのテーブルに身を隠した。


 「カレリン!大丈夫か!?」


 ハインツは拳銃の確保を諦め、剣で自らの上半身をガードしながらカレリンとコラフスキに倣い、バーの椅子に素早く身を隠す。


 ゲルハルトの手には拳銃が握られてはいるが、ハインツ達はバーの椅子とテーブルに隠れており、相手の剣の存在から迂闊に射程圏を詰められない状況。


 対するハインツ達も、拳銃の存在から剣で斬りかかる訳には行かず、一時は確保しかけたもう1丁の拳銃も、剣を伸ばしてもギリギリ届かない所に転がるという、中途半端な状況にあった。


 「……くそっ!」


 傷口の出血は止まったものの、今は戦える状態に無いカレリンを抱えながら、手元の石をゲルハルトに投げる事しか出来ないコラフスキ。


 しかしながら、相手が意外な程に投石を嫌がっている様子を確認したハインツは、携帯電話でシルバに連絡を試みる。



 ピピピッ……


 その頃シルバ達は、無事にバーゼルからスイス入りに成功し、ジュネーブまでの長い道程を安全運転で通過する最中にあった。


 「ハインツさんだ……まさか!?」


 仲間の身を案じたシルバはすぐさま電話を取り、ハインツの声の様子から彼等のピンチを察知する。


 「……ああ、今銃撃戦寸前だ。カレリンが肩を撃たれている。こっちは3人、相手は1人なんだが、何せ銃が厄介だ。ちょっと訊きたい事がある。お前の仲間にも伝えてくれ」


 ハインツからの要請を受けたシルバはガンボアにアイコンタクトし、情報の仲介を始めた。


 「……フィリップ・ゲルハルト、拳銃を2丁持っていた、やたら慎重に銃を扱っている。拳銃の特徴は小型で、グリップに星印が付いている……」


 「ゲルハルト……ヴィンテージ兵器のコレクターですね。オリジナルが手に入らない時は、中国からのコピー品を高価で売り付けている男です。小型でグリップに星……恐らくトカレフ、TTー33ですね。現在では正規製造されていません。星付きで現在入手出来るのは中国のコピー品、初期型のコピーであれば、安全装置が付いていません。慎重な扱いの理由は、粗悪な銃が衝撃から暴発するのを防ぐ為ですね」


 EONPの下では、一般人の銃器所有や付与に関して厳しく規制されている為、地下のマーケットに出回る銃器は粗悪な作りで、状態も良くない中古品ばかり。

 

 だがそれでも、剣士や格闘家、時には魔導士さえも圧倒する存在の銃器は、ならず者達にとってはまさに垂涎のアイテムだったのだ。

 

 シルバとガンボアは、息の合った掛け合いで瞬く間に拳銃とゲルハルトの情報を丸裸にし、その情報を元にシルバはハインツの欲しい情報をくまなく伝える。


 「……ハインツさん、その拳銃には安全装置が付いていません。石ころでも何でも、トリガー付近に強い衝撃を与えれば暴発する可能性が高いです」


 「分かった!流石軍人だな!サンキュー!」


 シルバとガンボアからの協力を得たハインツは、早速コラフスキに指示を出してピンチからの脱出を宣言した。


 「コラフスキ、俺に任せな。まずはそっちの石ころを全部俺によこせ。その後は救急車を呼んでくれ。カレリンだけじゃない。ゲルハルトもそいつに乗せるからな!」


 「……何をやってやがる!」


 パアアァン……


 相手の不可解な動きに業を煮やしたゲルハルトが、更なる発砲に踏み切る。

 

 椅子やテーブルの盾はそう長くは持たない。

 ハインツは石を手に取ると、自身とゲルハルトの間に転がるもう1丁の拳銃に向けて投げ続けた。


 ボウッ……


 3発目の石の直撃を受けて拳銃が暴発し、ハインツとカレリン、コラフスキは椅子とテーブルで破裂した銃と銃弾の破片を防いだものの、棒立ちのゲルハルトの左手と脇腹には容赦なく破片が突き刺さる。


 「あぐぐっ……!」


 突然の激痛にバランスを崩してよろめくゲルハルト。

 その隙を突いて、もう1丁の銃身に向けて全力投球の石が襲いかかった。

 

 「ぎゃああぁっ……!」


 ゲルハルトの右手は暴発した銃によって血と炎に包まれ、堪らず地面を転がりながら消火を試みる彼の両脛(すね)を、一気呵成に飛び出したハインツの剣が峰打ちにする。


 「……くっ……ああっ……!」


 軽症ではあるものの、両脛を叩き付けられて立てなくなったゲルハルトの背中を踏み付けたハインツは、最後の尋問を行う。


 「お前もここまでだな、ゲルハルト。黙って一時拘束されとけば無傷だったのによ。今日だけは都合が悪いって、どういう事だ?仲間のテロリストが来るって事か?」


 ハインツはゲルハルトを見下ろしながら、恐らく彼に会いに来る仲間の正体を暴こうとしていた。


 「……テロとか、そんな大それたこたぁしねえよ!この2丁の拳銃を売るつもりだったのさ。近くの工事現場に隠れて試し撃ちをして、コンディションを確認した帰り道に、お前らと会っちまったんだよ!」


 空から雨粒が降りてきた頃、コラフスキが呼び寄せた救急車が到着し、互いに自身の運の悪さを嘆くゲルハルトとカレリンは、仲良く担架へと乗せられる。


 「コラフスキ、カレリンに付き添って、病院に事情を説明してやってくれ。警察と賞金稼ぎ組合には俺から報告する。賞金は各々133333CPずつ受け取る様にしておくよ」


 ハインツはカレリンとコラフスキに別れの挨拶を交わした後、警察と賞金稼ぎ組合に報告を行い、最後にシルバに感謝の連絡を入れた。


 「ハインツさん達が無事に仕事を完遂したそうだ。ガンボア、キム、ありがとう」


 シルバはかつての部下に深々と頭を下げ、結果として特殊部隊のスカウトに来た事になるガンボアとキムを、更に恐縮させる。


 「いえいえ、こちらこそ。……剣が銃に勝ってしまうなんて、流石は中尉のお仲間ですね」


 感服混じりのガンボアの一声に、車内は笑いに包まれた。


 だが、元軍人に広がるドラッグ汚染と銃器の密売。

 表向きは平和な50年が続いていると思われていたEONPに、いよいよ激動の22世紀が訪れようとしている。

 


 5月18日・14:30


 ミュンヘン経由でザルツブルクに到着したバンドー、クレア、フクちゃんの3人は、観光に目をくれる事も無く賞金稼ぎ組合に直行し、旅行者扱いの短期登録(3日以内)を完了させていた。


 非常時を考慮した結果、クレアも賞金稼ぎとして登録を行い、レンゲンフェルトとザルツブルクの距離の近さから、結局バンドーとフクちゃんもアクエリアン・ドーム・テルメに宿泊する事を決定。

 

 元来高級リゾートであるアクエリアン・ドーム・テルメに3人の宿泊はかなりの高額出費となるが、バンドーとクレアの武闘大会優勝賞金で補える額である為、今回は人間から女神様のフクちゃんにリゾートのプレゼントという形となった。


 「宿泊先がアクエリアン・ドーム・テルメでしたら、電子マネーサービスが受けられますね。ザルツブルクでの仕事の依頼を完遂すれば、賞金はアクエリアン・ドーム・テルメに送れます。その場で換金出来ますよ」


 サイドテールのキュートなオペレーター、アンジェリンは最新デザインの制服を身にまとい、最先端のシステムによる、これまでに無いユーザーフレンドリーなサービス内容を説明している。


 最新の賞金稼ぎ組合であるザルツブルクは、まさに賞金稼ぎのテーマパーク。

 初心者から上級者に至るまで、あらゆるニーズに応える依頼やアイテムが勢揃いしていた。


 そんな中、アクエリアン・ドーム・テルメに連泊出来る羽振りの良さに加えて、武闘大会でもすっかり有名になったバンドーとクレアは華やかな印象を持たれ、周囲の賞金稼ぎ達からこれまでとは比べ物にならない程の挨拶や激励を受けている。


 しかしながら、そんな歓迎を全くプレッシャーに感じないバンドーは並み居る高額の依頼を無視して、最近正式に賞金稼ぎの依頼にジャンル分けされた新しいカテゴリー、『動物捜索依頼』のコーナーへと歩みを進めていた。


 「おい、あんたバンドーだろ?武闘大会観たぜ!動物捜索なんてセコい仕事、わざわざあんたがやらなくてもいいだろ」


 如何にも屈強な格闘家とおぼしき男は、今やヨーロッパで有名人となったバンドーが、何故今更低額賞金の動物捜索に興味を持つのか理解出来ずにいる。

 バンドーが大の動物好きで、フクロウに姿を変えて人間界で修行していた女神様を味方に付ける程のスケールを持つ男である事を知る者は、未だパーティー以外には存在しない。


 「2メートルのワニさん捜索願い、WITH アニマルポリス……賞金80000CP、これいいな」


 バンドーの関心を惹いた依頼は、別の意味でクレアやフクちゃんも引いている。


 「2メートルのワニって、見付からないのが既におかしいわよ……。それに、見付かったら見付かったで大変よね……」


 「……ワニは、少し苦手ですね……。フクロウ時代に襲われた事、ありますし……」


 若い女性に、ワニさんの捜索をポジティブに引き受けろという方が無理なのだ。

 恐らく、元来アニマルポリス案件だったワニ捜索が、その大きさからして女性2人では不可能だという判断が下されたに違いない。


 「すみません、これ、お願いします」


 クレアとフクちゃんの懸念をよそに、バンドーは太字スマイルを浮かべながらオペレーターに依頼を提出していた。


 「……えっ?ああ〜良かったぁ〜!こんな依頼引き受ける人なんていないと思ってたんですぅ〜!」


 心底嬉しそうなアンジェリンは、早速アニマルポリスに電話をかけ、捜索の責任者であるメグミと通話を始める。


 「……あ、もしもしメグミさん?ザルツブルク組合のアンジェリンです。ワニ捜索の件、協力してくれる賞金稼ぎさんが見付かりました!レイジ・バンドーさんです。先日、ゾーリンゲンの武闘大会を制覇したチームのリーダーさんですから、実力は確かだと思いますよ!」


 バンドーのキャラクターや、メグミ達との関係性を知らないアンジェリンの興奮気味な話しぶりに、受話器の向こう側からメグミの笑い声が聞こえていた。


 「バンドーさん、アニマルポリスのメグミさんからです!」


 アンジェリンに通話を促されたバンドーは、受話器を受け取ってメグミと話を進める。


 「バンドーさん、ご協力ありがとうございます!良かった〜!この依頼を押し付けられた時、絶対私とシンディだけじゃ出来ないって分かっていて、賞金稼ぎの人の力が必要だったんですけど、怖い人だったら嫌だなって思ってましたから……。ローブや麻酔等、拘束道具はこちらで用意しますし、ワニが乗せられる小型トラックも用意します。インスブルックっていう街の、少し治安の悪い地域に入らないといけないので、明日の朝9:00に迎えに行きます。アクエリアン・ドーム・テルメですよね?」


 互いに勝手知ったる仲である為、交渉はトントン拍子に進み、最悪、ワニが見付からない場合でも半額の40000CPが振り込まれる事も確定した。


 「……やっぱり、私も行くんですよね……」


 バンドーの妹として、彼の経験値稼ぎに協力する約束をしてしまっているフクちゃんは、かつてワニに襲われた事がトラウマになっているのか、露骨に気乗りしない表情を見せている。


 とは言え、ワニや地域のならず者との格闘はともかく、非常事態でフクちゃんの魔法が必要になる可能性は十分に考えられる。

 バンドーはフクちゃんに頭を下げ、どうにか協力を取り付ける事に成功した。



 5月18日・16:00


 列車での長旅を終えたリンは、故郷パリのベルシーヌ・アリーナに到着する。

 

 18:00から始まる格闘技大会に先駆け、17:30からのエキシビジョン・マッチで彼女の兄、ロビーがキックボクサーとしてのデビューを飾り、その応援の為に家族全員が駆け付けたのだ。


 モデル兼女優の母、キャシー譲りのルックスを活かしてファッションモデルとして活動していたロビーではあったが、血の気の多さが災いしたトラブルを起こした事で、自らの意思で格闘技の世界へと転身。

 

 名門、ジェルマンジムに入門してまだ2週間でありながら、その素質とルックスに目を付けたテレビ局の配慮により、格闘技大会の前座を飾るエキシビジョンマッチに抜擢され、対戦相手は先のゾーリンゲン武闘大会でチーム・バンドーと対戦したばかりのトルガイ・ケリモルに決定している。


 トルガイもモデルばりのルックスを誇るプロ格闘家であり、若い女性ファンを増やしたいテレビ局の本音が窺えるマッチメイクではあるものの、ファイトマネーが発生するとあって、両者ともに気合いをみなぎらせていた。



 そんな中、リンは列車内でとある悩みを抱え続けていた。

 自身の将来についての選択である。


 ロビー陣営が急遽決定したデビュー戦に備えてスカウティングした、トルガイの試合の対戦相手がシルバであり、武闘大会に妹のリンが参加していた事に驚いたロビーから、彼女にメールが届いていた。


 ロビーはリンの武闘大会参加を両親には話さないと約束したが、いつかは自分の進むべき道を決めなくてはいけない。


 魔導士として、既にチーム・バンドーに不可欠な存在となっているリンではあったが、まだ賞金稼ぎとして生きる覚悟は決めていない。

 シルバを始めとするパーティー仲間との関係を何より重視したい彼女も、それは図書館司書に復職してから、休日に交友を深めればいいと考える事も出来るのだ。


 リンに好意を持っているシルバは、少なくとも図書館司書への復職を受け入れてくれるだろう。

 だが、いずれ両親の仇討ちの為にスペインに乗り込もうと考えている彼が、今後必ずしも無事にパリまで会いに来てくれる、そんな保証は無いのである。


 また、リン自身が精神的な脆さを自覚しており、回復魔法の様なサポート役ならともかく、武闘大会の様な、自らが矢面に立つ戦いに向いていない事は明らかと言えた。


 一方で、明日には復職について図書館側と話し合いの席が設けられており、事の進展次第で彼女の人生が決まると言っていいだろう。


 今のリンには、純粋に兄を応援する気持ちに加えて、兄の人生の選択を見届ける事で、自分の人生の選択を決断したいという気持ちが生まれていたのだ。



 「ハアッ……!」


 両親より早く会場入りしたリンは、ロビーの親族である事を証明して控え室に顔を出し、鬼気迫るトレーニングの様子を冷静に観察している。


 以前の彼女であれば、格闘技の世界に圧倒されていた事だろう。

 だが、今の彼女にとって戦いに備えたウォームアップとは、ごく当たり前の見慣れた光景であった。


 彼女の「戦う女の顔」は、ロビーの背中にも凄まじい影響力を与えている。



 「……また会ったな。まさかあんたの兄貴だったとはな」


 ウォームアップを終えたトルガイがロビーの控え室を訪ね、再会したリンにも軽く挨拶を交わした。


 「……シルバは来ていないのか?」


 肩口までの長髪を後ろで束ねたトルガイは、武闘大会での敗戦から僅か3日にも関わらず、心身ともに完璧に仕上げた様な余裕を感じさせており、素質では決して劣らないロビーも、プロ格闘家のオーラの様なものに言葉を失っている。


 「……シルバ君は、大事な用がありますから……。でも、兄さんだって、チーム・バンドーの男性陣とはスパーリングを経験しています。そんな簡単な相手ではありませんよ」


 スパーリングと言うよりは、単なる喧嘩に近いものだったが、リンとしては決して嘘は言っていなかった。


 「……楽しみにしてるぜ」


 トルガイは軽く微笑み、再び自身の控え室へと去って行く。


 

 5月18日・17:20


 マスコミ注目のイケメン対決とあって、エキシビジョンマッチとしては破格の観衆を集めたロビー・リン VS トルガイ・ケリモルの一戦。


 その多くはモデル時代のロビーのファンであったが、トルガイの応援としてトルコ人らしき観客の一団が存在しており、よく見るとチーム・ギネシュのメンバーも来ている様だ。


 「ああ〜、緊張して来たわ!あの子ったら、今まで散々他人を殴って迷惑を掛けて来たのに、いざ誰かに殴られる立場になったら心配だわ!」


 親バカ200%発言をしているのは、リンとロビーの母親であるキャシー。

 

 「相手はキャリアのあるプロ格闘家、ロビーはジム入門2週間の練習生みたいなもんだ。全力さえ出せば、失う物は何も無いだろ」


 父親であるハオミュンは、息子の勝利に特に期待する様子も無く、どっしりと腕を組んでその勇姿を見届けようとしていた。


 だが、リンには分かる。

 親が子どもの成功を望まない訳が無い。

 

 例え険しい道であっても、例え現実を受け止め続けてきた大人の経験を有していても、大切な人の人生は、出来るならば最短距離での成功と、末永い幸せを望み続けているのである。



 「只今よりエキシビジョンマッチ、ロビー・リン VS トルガイ・ケリモルの一戦を行います!赤コーナー、ロビー・リン!」


 男声アナウンスに導かれ、両手を挙げて観客にアピールするロビーは、僅か2週間とは言え名門ジムのトレーニングを受け、モデル時代よりも筋肉が分厚くなっていた。

 

 やや甘さが目立っていたかつての顔立ちとは決別した、より精悍な印象のルックスではあったものの、その大声援はモデル時代から変わらない。


 「青コーナー、トルガイ・ケリモル!」


 キャリア、そして先日までの試合勘とともにロビーを大きくリードするトルガイは、そのエキゾチックなイケメンぶりでたちまちパリっ娘のハートを掴んだ様子で、ロビーに勝るとも劣らない大歓声を轟かせていた。


 「3分2ラウンド、3ノックダウン制のキックボクシング・ルールを採用する。寝技、関節技、倒れた相手への攻撃は禁止する。異論は無いか?」


 「ありません」


 レフェリーのルール説明を承諾した2人は互いにコーナーポストへと下がり、試合開始のゴングに備えて最後の集中を高める。


 (……何だろう、この懐かしい気持ち。つい2週間前までは、格闘技なんて観る気も起きなかったのに、今はこの緊張感が、何だか落ち着く……)


 自身の変化に驚きを隠せないリンは、賞金稼ぎとしての経験を経て、単なる兄の応援にはとどまらない、冷静な試合の分析を楽しむ準備が出来ていた。


 「ラウンド・ワン、ファイト!」


 「ハアアッ……!」


 試合開始のゴングとともに前に出たのはトルガイ。

 

 ロビーはデビュー戦での秒殺を避ける為、セコンドと話し合ったか、しっかりガードを固めてプロの攻撃を体感する選択を決めた様だ。


 「セイッ……!」


 挨拶代わりの右ローキックをロビーにお見舞いするトルガイ。

 だが、ロビーも基本に忠実なガードでダメージを最小限に止める。


 「……ハアアッ!ハアアッ!」


 ロビーに反撃の暇を与えないトルガイは、左右のローキックのコンビネーションに加えて右フックを繰り出し、地味ながらダメージを積み重ねる戦術を取っていた。


 「……あああ!ロビーの足が真っ赤に……」


 格闘技を見慣れていないキャシーは早くも息子の足を心配し、そんな彼女をややうざったそうに肘で押しやるハオミュンとのやり取りに、リンは何処か心の安らぎの様なものを垣間見ている。


 「……お母さん、本で見たけど、足の表面が赤くなるのは、見た目程のダメージは無いみたいですよ。兄さんの巻き返しもきっとありますよ!」


 リンはあくまで、お勉強で格闘技を学んだ様に自身を演出して見せたものの、実際はこの2週間で心身にあらゆるバトルが染み付いていたのだ。


 「……どうした?ガードしているだけじゃ、今に突然動けなくなるぞ!」


 トルガイは自身のデビュー当時を思い出しながら、ロビーを少々からかう様にアドバイスを送る。


 (……くそ、舐めやがって……!)


 プライドを傷付けられ、やや怒りの色が表情に窺える様になって来たロビーは、ガードの精度を下げて唐突な右ストレートをトルガイの顔面に打ち込んだ。


 「……ぐふっ……!」


 意表を突かれた右ストレートを顔面に喰らうトルガイ。

 ロビーの攻撃が初めてヒットし、ややバランスを崩したトルガイの姿に会場は一気にヒートアップした。


 (よし……いける……!)


 千載一遇のチャンス到来とばかりに、よろめくトルガイにパンチの連打を浴びせるロビー。

 

 だが、試合のコンセプトを即興で崩してしまった攻撃だけに腰が入らず、うわべのパンチでは思った程のダメージを与えられていない。

 リンの目には、そう見えていた。


 「行け!ロビー行け!」


 キャシーもハオミュンも、大歓声に押されるままロビーの攻勢を信じている。

 

 だが、上半身を殴られながらも、トルガイの重心は徐々に下がり、ロビーの攻撃の空振りから一気に試合を決める奥の手を窺わせるモーションを予測させていた。


 「喰らえっ……!」


 トルガイがうずくまっていると判断したロビーは、派手なフィニッシュを意識したか、渾身の右ハイキックを相手の左テンプル目掛けて引き絞る。


 「……お見通しだぜ!」


 ロビーのハイキックを見切っていたトルガイは大きくバックステップを踏み、空を切る右足の重さに重心がぶれていたロビーの顔面に全力の右ストレートを打ち込んだ。


 「……ぐおっ……!」


 ノーガードの顔面を直撃した右ストレートは相手を大きく仰け反らせ、受け身を取れないロビーはマットに後頭部を打ちつけてダウンする。


 「ダウン!ワーン、トゥー……」


 悲鳴にも似た歓声が会場を包み込み、両親の衝撃に比べて冷静に試合を観れている自分自身に違和感を感じながらも、リンはロビーの敗北を確信してしまった。


 「……テーン!」


 カンカンカンカン……


 「1ラウンド1分58秒、勝者、トルガイ・ケリモル!!」



 5月18日・18:30


 格闘技大会の本戦が華々しく幕を開ける中、リングでの治療を終えて控え室に運ばれたロビーは、すっかり元気を取り戻していた。


 ショック性のダウンで脳や意識に異常は無く、肉体のダメージも少ない。

 それ故に悔しさが滲む敗戦とも言えるが、その悔しさはこれから歩むプロの道で晴らせばいいのである。


 (誰のものでも無い、自分の人生……。与えられたレールの上から降りてみて、初めて分かる事がある。大切なものを、全て等しく守る事は出来ないと……。兄さん、ありがとう……)


 ロビーの傷に回復魔法を施しながら、自身の決断に想いを馳せていたリンは、キャシーやハオミュンとロビーの会話が久しぶりに弾むのを確認して、外の空気を吸いに控え室から退出した。

 

 

 「リンさん、武闘大会優勝おめでとう!」


 控え室の前でリンを待ち構えていたのは、トルガイを含めたチーム・ギネシュの面々。

 

 突然の事態に驚きを隠せないリンに、まだ肩のギプスが取れていないメロナが祝福のメッセージを贈ったのだ。


 「私には、大きな目標が出来たわ。それは魔導士として、優勝した貴女に勝つ事。私ともう一度戦うまで、最強の魔導士でいてね!」


 「貴女は恐らく、魔導士が天職というタイプでは無いだろう。チームにいる時は人生を楽しんでいても、ひとりになれば色々と悩んだり迷ったりもする。私は50をとうに過ぎたが、未だに迷い続けているよ。だが、自分の意思に従って行動して、失敗したら何度でもやり直せばいいんだよ。私も剣士を引退して、今改めて夫と父親に挑戦中だ。難しいよ、全く」


 剣士の頃の鋭さは陰を潜め、穏やかな中年男性になっていたギネシュ。

 

 しかし、その表情はあくまでも幸せに満ち溢れていた。


 「……あいつの最初のパンチ。あれだけは痛かったと伝えておいてくれ。最初だけな!」


 トルガイはリンの肩を軽く叩き、自身の口では決して伝えようとはしないロビーへの賛辞を彼女へと託す。


 「ありがとうございます!皆さん、本当にありがとうございます!」


 リンは賞金稼ぎとして得た本物の財産に深く感謝の意を表し、チーム・ギネシュの面々の姿が見えなくなるまで、深く頭を下げ続けていた。



  (続く)

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― 新着の感想 ―
[良い点] バンドーとメグミさんのフラグが進展したところ(笑) シルバ君の軍人設定を、 きちんと生かし切っている場面エピソード。 ロビー兄さんが、順当に良いところが、 ほとんどないまま負けたリアリティ…
2020/07/26 08:01 退会済み
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