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バンドー  作者: シサマ
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第28話 武闘大会参戦!⑲ 勝利を、大切なひとに


 ゾーリンゲン武闘大会決勝戦、チーム・バンドー VS チーム・カムイの先鋒対決は、大方の予想を覆して先鋒にコンバートされたチーム・バンドーのハインツが、チーム・カムイの新鋭ミューゼルにキャリアの差を見せ付け、危なげない勝利を飾る。

 そのハインツは連戦を回避し、自らはクレアやシルバの不測の事態に備えたバックアップに回る事となった。

 

 続いての次鋒戦は、互いに自らの相手であると準決勝から意識していた、バンドー VS ゲリエ。

 ともに中背のフィジカル型ファイターで、剣術の未熟さを格闘技で補ってきたキャリアを持つ。


 しかし、決勝戦を迎えるにあたり、バンドーはナイフとのコンビネーションを加えたより剣士的な成長を、ゲリエはムエタイスタイルとの打ち合いから、より格闘家的な成長を求めていた。



 「バンドー、こいつは優れもんだせ。膝に入れとけ!」


 初戦を順当に勝利したハインツは、自らの膝のダメージを最小化したシルバお手製のセラミックプレートを外し、バンドーに手渡す。


 バンドーは受け取ったプレートを、一度は何の躊躇もなく膝に入れたものの、やがて思い出した様に外し、中堅のクレアに譲った。


 「……使わないの?バンドー」


 うるさ型のハインツが認めたセラミックプレートの防御力を、バンドーが利用しない事にやや首を傾げていたクレアだったが、バンドーの隣でジェスチャーを交えながら頷くシルバの姿を見て、彼等の意図に気が付く。


 「剣だけで決着が着くとは限りません。寝技で膝を固められた時、自らの膝に硬いセラミックプレートが入っていれば、激痛を呼びますからね」


 シルバは格闘家としての見解をクレアに説明し、バンドーもその話に頷いていた。


 「……バンドーさん、魔法は使えませんが、頑張って下さい!」


 リンに背中を押され、バンドーは久しく見せていなかった、彼ならではの無邪気な太字スマイルを見せる。


 ルステンベルガーとの試合はピンチの連続だったが、結局魔法発動の気配を感じる事は出来なかった。

 1日1回、ピンチの時の魔法発動が自らの能力であれば、もう魔法には頼れない。


 

 「チーム・バンドー、選手の交代をお知らせします。先鋒、ティム・ハインツ選手に代わりまして、次鋒、レイジ・バンドー選手が入ります。尚、勝者の権利を持ったまま交代するハインツ選手は、今後のチームメイトの勝利、敗退後に再びフィールドに入る権利を有しています。チーム・バンドー次鋒、レイジ・バンドー!」


 昨日までは、想像さえしていない歓声。

 そして、想像さえしていない決勝の舞台。


 準々決勝、ハカンとのデビュー戦ではアマチュア丸出しの試合運びから、力押しで勝利を収めたに過ぎない、無名の日系オセアニア人剣士・バンドー。


 その彼が、地元ドイツの有力剣士・ヤンカーを破り、チームのお荷物どころか、チーム内最多の3勝を挙げる貢献を見せ、僅か2日間でヨーロッパの剣士ランキング入りは確実となっていた。


 しかし一方で、ヤンカーを倒してランキング入り出来たのは、偶然発動した魔法のおかげ……と言わせる訳には行かないだろう。


 バンドーにとって、剣士としての評価を決する重要な一戦が、今まさに幕を開けようとしていた。

 


 「……バンドーが腰にナイフを付けているな。お前の読み通り、奴は剣術重視の戦いで来そうだぞ、ゲリエ」


 カムイはバンドーを一瞥(いちべつ)し、試合直前まで湿布で顔面をケアするゲリエの肩を叩いて気合いを注入する。


 準決勝で、ムエタイファイターのタワンとの激しい打ち合いを制したゲリエの顔面には、未だ生々しい腫れが残っていた。

 

 しかし、彼はフランス代表にまで迫った元ラグビー選手。

 たかが顔面の腫れに闘志が左右される、そんなレベルの男ではない。


 「……まだ顔が痛てえ……。だが、これは神からの贈り物だよ。殴られる恐怖心の無い世界という贈り物だ……」


 

 「チーム・カムイ次鋒、イブラヒム・ゲリエ!」


 決勝に残っているブラックアフリカン最後の希望であるゲリエには、チーム・カムイのファンからは勿論、チーム・マガンバのファンからも声援が送られていた。

 

 そして更に、個人戦準決勝でフェリックスに敗れ、3位決定戦に回る事となったベルナルドも、ウォームアップの傍らこの一戦に熱い視線を注ぐ。


 「よろしく!」


 バンドーの差し伸べる手に、ゲリエは軽い握手で応え、自らと似た体格の相手を上から下まで眺めた後、視線を合わせて口を開いた。


 「……お前、ニュージーランド育ちなんだってな。ラグビーもやったんだろ?やっぱり俺の相手はお前だよ」


 ニュージーランドでは、ラグビーは国技。

 

 バンドーもシルバも、幼い頃からラグビー選手に憧れ、ボールがあればタックルやスクラムの物真似に明け暮れていた。


 小学校でいじめを受けた事がきっかけとなり、バンドーは祖母からの指導を受けた格闘技にのめり込んで行くが、つい2週間程前にもボルドーでプロチームのトレーニングを体感する等、バンドーとラグビーは、やはり切れない関係にある。


 「……剣より先に手が出る所も同じだよ。やっぱりあんたと戦いたいね!」


 バンドーもゲリエに視線を送り、両者は試合開始に備えた間合いへと散って行く。


 「ラウンド・ワン、ファイト!」


 パワーファイトを期待する会場の熱気とは裏腹に、試合の立ち上がりは実に静かだ。

 

 両者ともに牛歩戦術の様な小幅のステップで間合いを詰めながらも、その目は相手の装備と両腕の筋肉に集中している。


 (バンドーのナイフは左の腰にある。だが、右利きの奴が右手を剣から離すとは考えにくい……。ナイフが俺の懐に入った時の防具攻撃専用とあれば、タックルや寝技は暫く警戒の必要は無いが……)


 (ゲリエは剣で胸をガードする様に、肘を曲げて構えている。多分ダッシュの空気抵抗に備えているんだな……。左手1本でもタックルに来るなら、正面から向き合うのはまずい……)


 ほんの僅かの時間ではあるが、互いの狙いと出方を読み合った両者はポジショニングを瞬時に微調整し、意を決して先手争いに打って出た。


 「おおりゃっ……!」


 ゲリエのダッシュからのタックルを警戒したバンドーが、右回りに鋭い出足を見せ、すれ違い様の左腰の防具攻撃を仕掛ける。


 長距離のスピードには不安の否めないバンドーも、かつてシュティンドルからのアドバイスを受けて短距離の出足を改善し、トレーニングに対峙したカレリンを驚かせていたのだ。


 「舐められたもんだな!」


 自らの剣先に突進する様な相手の動き出しに、ゲリエは剣による胸のガードを崩さず、その強靭な左腕から裏拳を繰り出す。


 「……かかったな、トライ!」


 バンドーはゲリエの裏拳を読んでいたかの如く、両膝を折り曲げてスライディングを敢行し、相手の裏拳を頭上に左手でナイフを抜き、畳を滑りながらゲリエの左膝の防具を切り裂いた。


 「……やった!」


 いち早く歓声とガッツポーズを見せ、バンドーを讃えるシルバ。

 膝にセラミックプレートを使用しない判断を含めて、これが2人の作戦だったのであろう。


 「目を読んで滑る、それも畳の使い途さ!」


 試合が動き出し、一気に沸き上がるアレーナを背中にゲリエの脇を滑り抜けたバンドーは、幼い頃から祖母、そしてシルバと積み上げた、畳の上での格闘訓練を振り返って胸を張った。

 

 

 「なかなかやるわね、バンドー」


 ベンチからゲリエを見守っていたチーム・カムイ。

 レディーは結果として、暴利を貪るイカサマ商人・ツィオリスからバンドーを救った恩人となってしまっていたが、自身との対戦もあり得る新米剣士の成長を喜んでいる様にも見える。


 「ポイントを取られたからな。だが、これでゲリエに迷いは無くなっただろう」


 カムイの目には、より格闘家としての意欲を隠さなくなっていたゲリエにとって、序盤戦で力押しの決断を可能にしたこのシチュエーションが、むしろ好機と映っていた。


 「くっ……調子に乗るなよ!」


 両手に剣とナイフを持つバンドーが、武器の整理の為に滑り込みで空けた間合いをダッシュで詰めたゲリエは、鬱憤を晴らすかの様なパワースウィングで剣を振りかぶり、体勢が不安定なバンドーに向かって真上から斬りかかる。


 ビキイイィッ……


 相手のガードごと跳ね飛ばさんばかりの、剣が軋む接触音。

 

 ゲリエのダッシュに間に合わせる為に、やむ無くナイフを畳に捨てたバンドーは、どうにか両手によるガードの体裁を繕ったものの、上背の近いゲリエの剣は滞空時間が短く、パワーが直に伝わってくる。


 「……ぐっ……うおおっ……!」


 不十分な体勢からのガードに利き腕が捻れていたバンドーは、立て続けに打ち込まれる圧倒的なパワーに耐えきれず、苦悶の雄叫びを上げていた。


 「どあああぁ!」


 更なる気合い一撃、ゲリエの剣は遂にバンドーの上半身を崩し、前につんのめる様にうつ伏せに倒れたバンドーは、慌てて畳を這いずり回り、剣を諦めナイフを拾う。


 「テイクダウン!」


 目まぐるしく歓声と戦況が変化する中、どうにかしてナイフを引き寄せたバンドーは仰向けになり、マウント攻撃を目論むゲリエを先回りした。


 狙いは、相手のマウントするタイミングで胸の防具を破壊する事。


 「無駄な小細工を……!」


 バンドーの動作を確認済みのゲリエはマウントを思いとどまり、相手の手からナイフを弾き飛ばす為にコンパクトなキックをバンドーの手首にお見舞いする。


 「がっ……痛てっ……!」


 利き手ではない左手にナイフを握っていたバンドーは、ゲリエのモーションの少ないキックのダメージにあっさりとナイフを手放してしまう。


 その容易さを懸念したゲリエは、相手の左半身からのマウント予定を変更し、ナイフの行方を追ってバンドーの身体を飛び越えた。


 ナイフが見当たらない。

 

 バンドーの左手からこぼれ落ちた程度のハプニング。遠くに転がるはずがない。


 だがバンドーのナイフは、右手とともに背中の下敷きになって隠れていた。


 「……喰らえっ……!」


 ゲリエの視線が己を外した一瞬の隙を突いたバンドーは、右手にナイフを持って素早く上半身を起こして相手の右膝の防具を破壊し、その勢いそのままにゲリエの右膝へとしがみつく。


 「……うおっ……?離せ!」


 不意の右膝ダメージに動揺が隠せないゲリエは、喰らい付くバンドーを振り払わんと、相手の頭頂部に左の拳を振り降ろすものの、右足の不安定感により力が入らない。


 「おおぉりゃっ……!」


 バンドーはゲリエの右足を膝下から強引に引き寄せ、そのまま相手を畳へ仰向けに叩き付けた。


 「テイクダウン!」


 予想のつかない試合展開に観客の興奮はとどまる事を知らず、両チームのベンチからの指示も全く通らない。


 「バンドー、やっちまえ!」


 ハインツの檄が耳に入ったか、バンドーはゲリエの左手側からマウントを試み、相手の左手を太股で圧迫しながら拳を振り上げた。


 「……!!」


 顔面にパンチを繰り出すつもりだったバンドーは、未だ腫れの治まらないゲリエの痛々しい顔面を目にして攻撃を躊躇し、パンチをボディーブローへと変更する。


 「……甘いんだよ!お前は!」


 相手の心の動揺を察したゲリエは声を荒げ、身体を激しく捻りながらバンドーのマウントを少しずつ引き離していく。


 「うおっとっとっ……!」


 ゲリエへのマウントを解除されてしまったバンドーは慌てて立ち上がろうとするも、中腰まで体勢を回復させたゲリエの体当たりに遭い、再び畳の上に転がされてしまった。


 「……くそっ」


 己の甘さを悔やみ飛び起きたバンドーの目前に、ゲリエの姿は無い。


 「バンドーさん、後ろ!」

 

 ビシイィッ……

 

 シルバのコーチングも間に合わず、背後から膝裏にローキックを喰らったバンドーは、よろめきながらも相手の位置を想定し、キックから顔面を守る為のガードを整えて振り向く。

 

 だが、ゲリエは既に懐に飛び込んでいた。


 ボスッ……


 バンドーの顔面ガードを見越したゲリエは、胸の防具の下から覗くみぞおちへ、渾身の右ボディブローを躊躇なく打ち込む。


 「……ぐふっ……」


 ガードの無い状態でゲリエのパンチを直に受けたバンドーは、呼吸を詰まらせて上体を屈め、堪らず相手から距離を置く為に後退りした。


 「逃がさねえぜ!」


 ボディブローを喰らって明らかに動きが止まったバンドーに対し、ゲリエは左右のローキックのコンビネーションを確実にヒットさせ、バンドーのメンタルを崩しにかかる。


 「バンドーさん!」


 大歓声の中でも聞こえてくるリンの悲鳴がやがて熱狂に飲み込まれ、連続するダメージにガードの気力を失ったバンドーは、苦し紛れのタックルを仕掛けにゲリエへと飛び込んだ。


 「これで終わりだ!」


 無計画に顔面を差し出したバンドーに対し、ゲリエはとどめとばかりに右膝を蹴り出し、頬骨に膝の直撃を受けたバンドーは、そのまま畳にうつ伏せになって倒れ込む。


 「……があぁっ……」

 

 「バンドー!」


 騒然とした空気がアレーナを包む中、クレアとハインツは慌ててベンチを飛び出し、最悪の事態に備えてタオルを手にしてバンドーを見守っていた。


 「ダウン!ワーン、トゥー……」


 意識はあるものの、バンドーの苦悶の表情と、呼吸のリズムを見るまでも無く、ダメージは甚大だ。

 その様子を見下ろすゲリエは敢えてマウントには行かず、レフェリーにダウンカウントを任せて自らの剣を拾い、試合再開に備える。


 「ファーイブ……」


 「……ぐはっ!はあ……はあ……」


 カウントファイブでようやく呼吸の気道を確保したバンドーは、レフェリーの膝にしがみつく形で立ち上がり、辛うじて自らの剣を拾うものの、飛ばされたナイフを探すだけの頭脳は回復していなかった。

 顔面からの出血が無い事だけが、せめてもの救いと言った所か。

 

 「あれだけの攻撃だ。もう少し倒れていると思ったが……やはりお前は格闘家だな」


 少々残念そうな口調のゲリエではあったが、その表情に落胆の色はない。

 その目は明らかに、議論の余地の無い完全決着を望む野獣の目である。


 「……あんたはさっき……俺の事を甘いと言ったが……あんただって今……マウントに来なかった……後悔しても知らないぜ……!」


 再び上体を屈め、どうにか呼吸を整えようとするバンドーは、闘志を剥き出しにしてゲリエを睨み付けながらも、一方では冷静に、今のダウンで自らのリードが無くなった事を自覚していた。


 「……フン、神のお告げだよ。お前相手に完勝出来ないレベルなら、俺の未来も知れたものだからな。お前こそ、魔法とやらは使わないのか?」


 ゲリエの挑発に一瞬肝を冷やしたバンドーは、自らの感覚に魔法の兆しをまるで感じない現実に少々落胆しながらも、気丈な演技をアピールして見せる。


 「……あんたに魔法を使っちまったら、後の試合で使えないだろ!」


 「ファイト!」


 「おもしれえ!」


 試合再開に沸き立つアレーナの熱気に煽られる様にゲリエは駆け出し、力業で一気に勝負を決めに行く。

 頭上の高さから剣を振り降ろし、バンドーの上体をガードで反らせる事により、再び気道を塞いで自由な呼吸をさせない魂胆だ。


 (ガードしないとやられる……でも、今の俺の呼吸では踏ん張れない……どうする!?)


 「バンドー!今は逃げないと!」


 クレアの檄がフィールドにこだまする中、バンドーの脳裏には、この大会で目にしたありとあらゆる技が走馬灯の様に浮かんでは消えて行く。


 互いに狙うは、一撃必殺のみ。

 だが、今のバンドーにパワーは残されていない。

 胸の防具を破壊する事だけが、勝利への道。


 「……これしかない!だああぁっ!」


 バンドーが選択した最終手段は、剣をフィールドの畳の下から持ち上げる、エスピノーザとミューゼルが見せた「畳返し」。

 

 ゲリエの突進方向により、畳を縦に返す事は出来なかったが、横に返された畳は高さ1メートル程の障害物となる。

 予期せぬ事態に慌てて畳を飛び越えるゲリエは、強制的に剣を頭上で大きく振りかぶり、バンドーに上空から襲いかかった。


 「突け!バンドー突け!」


 バンドーの狙いを瞬時に理解したハインツ。

 

 ゲリエが剣を振り降ろすまでは、彼の胸部は攻撃に無防備で、しかもバンドーの目の高さにある。千載一遇のチャンス!


 「そおおぉりゃああぁっ……!」


 バンドーはゲリエのジャンプのタイミングを冷静に読み取り、彼が剣をピークまで振りかぶる直前、目の前に迫る胸部を剣で横から的確に切り裂いた。


 「あばよ!」


 相手の剣からの逃げ切りを図るバンドーは、横から胸部を切り裂いた勢いのまま畳にヘッドスライディングを敢行し、ゲリエの攻撃範囲からの脱出に成功する。


 「……そんな……バカな……!?」


 勢いそのままに剣を振りかぶったまま、しかし失意に打ちのめされたゲリエは、受け身を取る気力も失い、そのまま畳に崩れ落ちた。

 

 「ストーップ!ゲリエ選手、胸の防具破損により、戦闘不能と見なす!」


 カンカンカンカン……


 「1ラウンド3分16秒、勝者、レイジ・バンドー!!」


 予想外の決着に、アレーナは歓声とどよめきが入り混じる。


 ダウンを奪ってからは、ゲリエの逆転勝利も十分にあり得たものの、呼吸を整えるまで動けなかったバンドーの状態が、結果として冷静な判断を生んだと言えた。

 

 

 「……くそっ、俺は……負けちゃいねえ……」


 逆転勝利可能な戦況からの敗北に納得の行かないゲリエは、労いに訪れたバンドーと視線を合わせる事無く、畳を睨み付けて肩を震わせている。


 「お互い詰めが甘かったな。俺達、農家とラガーマンだろ?自分の命を守る為に剣士や格闘家になった訳じゃない、他の仕事を選べた人間だもんな……」


 農家の次男として親族の後押しを得てヨーロッパに来たバンドーと、人種差別は受けていたものの、トップレベルのラグビー選手として富と名声があったゲリエ。

 両者ともに、賞金稼ぎとして成り上がるタイプの人間では無いのかも知れない。


 「……試合はお前の勝ちだ、バンドー。勝負は、またいつか着けてやる。俺は差別が原因でラグビーを辞めた。俺が賞金稼ぎになった理由は、犯罪者の大半は金と差別にまみれているからだ。ちゃんと目的がある。お前と一緒にするな」


 ゲリエはバンドーからの慰めを一蹴したが、その表情には、どこか晴れやかな微笑みが浮かんでいた。


 「早く顔治せよ!」


 「これ以上イケメンにはなれねえよ!」


 両者は軽口を叩き合った後、がっちりと固い握手を交わして健闘を讃え、会場が両者のスポーツマンシップに応える様な大歓声を解放する。


 

 「……バンドーを観ていたが、奴はまだ自分の魔力をよく知らない様だな……。魔法を引き出そうとする動きがまるでない。カムイ、奴はこの戦いで魔法を使う事はないだろう」


 ベンチでスカウティングに勤しんでいたチーム・カムイの魔導士、ハッサンは、対戦相手が警戒する「バンドーの魔法」という不確定要素に対して、警戒の必要はないと断定した。



 「バンドーさん、顔が……」


 勝利を挙げたバンドーを迎えたリンは、ヤンカーとの激闘に加えて、ゲリエの膝蹴りで更に腫れ上がったバンドーの頬を痛々しそうに眺め、応急処置の回復魔法を施行する。


 「……バンドー、悪いが医務室には行けないぜ。お前は俺と同じく、カムイ達にプレッシャーを与えるベンチ要員だからな。次の試合はクレアを出す。これから先は出番が無いかも知れないが、ベンチにだけは座っていてくれ」


 ゾーリンゲン武闘大会の団体戦ルールでは、勝者の権利を得た選手がその権利を有したまま、味方の選手との戦術的な交代が可能である。


 しかし、怪我の治療や体調不良等で医務室を訪れた場合や、レフェリーに行き先を告げずにベンチから立ち去った場合は、その後の試合を棄権したと判断されてしまうのだ。

 

 現在のチーム・バンドーは、メンバー全員がほぼ対等な戦力である為、不測の事態に備えて控えの選手層を維持しなければならない事情があり、それ故のハインツの発言だったのである。


 「分かってるよ、ハインツ。でも裏を返せば、今までサポートメンバーを現地調達していたカムイ達3人の実力が、相当なものだという証明にもなるね……」


 バンドーのひとことが、改めてチームの空気を引き締めたその時、準備を終えたクレアが立ち上がった。


 「レディーさん、いい人だったわね。ただのオネエキャラじゃないわ。でも、勝負は勝負。負ける訳には行かない!」


 クレアは膝の防具に入れたセラミックプレートの感触を確かめながら、お馴染みの短剣を忍ばせた二刀流スタイルのウォームアップを切り上げる。


 「クレア、無理はするな。俺はいつでも出られる」


 ほぼ無傷で先鋒戦に勝利したハインツは、左膝に古傷を抱えるクレアを気遣い、声を掛けた。


 「……相手も狙って来るわね……。でも、レディーさんにだって弱点はあるわ。出血しやすくなっている額よ。あたしの膝はあたし次第で試合が出来るけど、額からの出血は強制的に試合が止められる。相当ナーバスなはずよ」


 準決勝でガジャルドの膝蹴りを受けた、レディーの額には強めの出血があり、試合終盤に寝技の力みで再び血が滲むなど、数時間のブランクでは完治が望めない状況である。

 

 現在のレディーに目を向ければ、表面上は傷口も目立たないものの、それはレディーのオネエキャラによる執念のメイクの賜物であり、視界確保の為に防具や包帯の着用も無いその顔は、常に危険と隣り合わせだ。


 

 「チーム・バンドー、選手の交代をお知らせします。次鋒、レイジ・バンドー選手に代わりまして、中堅、マーガレット・クレア選手が入ります。尚、勝者の権利を持ったまま交代するバンドー選手は、今後のチーム・メイトの勝利或いは敗退後に、再びフィールドに入る権利を有しています。チーム・バンドー中堅、マーガレット・クレア!」


 アレーナからの大声援に、笑顔で手を振りながら応えるクレア。

 

 元来、武闘大会で女性剣士は稀少であるが、彼女はひとりで活動していた頃、この大会に個人戦でエントリーしており、そのルックスと実力で目ざといマニアには知られていた存在である。


 また、名家出身とは思えない親しみやすいキャラクターも相俟(あいま)って女性からの好感度も高く、彼女やハインツレベルの剣士をメンバーに引き入れたバンドーの素性は、武闘マニアの間で一時期憶測を呼んでいた。


 バンドーの素性が明らかになるにつれ、彼自身のカリスマオーラゼロっぷりがネタにされがちであるが、よく考えると脇を固めるメンバーに華があり過ぎるだけなのである。



 「チーム・カムイ中堅、レディー・ニニス!」


 額の怪我があるからなのか、いつもの派手なパフォーマンスは影を潜め、大歓声の中、愛用のヌンチャクとともにゆっくりとフィールドへ歩みを進めるレディー。

 

 すっかりヨーロッパの実力派賞金稼ぎとして定着したチーム・カムイだけに、今やレディーの奇抜なキャラクターを非難する武闘ファンはいなくなった。

 

 両チームの顔触れを見れば、観客のほぼ全てがこのカードを予想していただろう。

 両者ともにフィジカル面が万全ではない点が気掛かりではあるものの、そこは持ち味であるトリッキーなファイトスタイルでカバーしてくれるはず。


 「……ねえ、レディーさん、ひとつ訊いていい?貴女達はヨーロッパでは名が知れているのに、どうして景気の悪いギリシャから出ないの?」


 クレアはレディーに向けて、前々から質問してみたい事があったらしい。


 

 レディーやカムイ達が活動の拠点に置くギリシャは、今世紀初頭に経済危機に襲われ、EONP施行後もその立場に改善の兆しは見えない。

 

 かねてより主要産業が欧州内で競争力を失っており、頼みの綱であった観光業も、お得意様であったアメリカや日本といった国の消滅が打撃となった。

 更に加えて、トルコやキプロスといった、近隣地域との関係も良好とは言えない。


 そんな地域の治安は悪く、賞金稼ぎの仕事には困らないものの、そもそも報酬額が低い。

 ギリシャで成功した剣士は、故郷を捨てて当然という認識が、ヨーロッパでは常識となっていたのである。



 「……カムイは、とある人間に復讐しようとしているわ。そいつがギリシャにいる間は、ギリシャから出ないつもりなのよ」


 レディーは、部外者であるはずのクレアにもカムイの個人事情を臆せずに語った。

 まるで、何か協力を求めているかの様に。


 「復讐って……そんな事させてもいいの?」


 クレアの問い掛けに真っ向から首を横に振るレディーは、力強く決意を示す。


 「今までも、あたしとハッサンがカムイを説得してきた。これからは、ミューゼルとゲリエにも協力して貰うわ」


 常日頃から、悪党を実力行使で検挙する賞金稼ぎ。

 そのトップレベルに立つ者が、敢えて執着する復讐というものが、平和的なものであるはずがない。

 レディーの言葉は極めて真っ当で、理性的なものだ。

 

 「……そうよね……。仲間なら当然よね……。でも、もし止められなかったらどうするの?」


 アレーナの歓声も、レフェリーのルール説明も、ふたりの耳をただ通り過ぎていく。

 

 レディーは苦渋の表情を浮かべながら、ゆっくりと言葉を選び、しかしはっきりと宣言した。


 「……戦ってでも止められなければ、カムイの復讐に力を貸すわ。カムイはあたしの命の恩人。あたし自身の人生には、その恩返しも含まれているのよ」


 レディーの決意に胸を打たれたクレアは、深く何度も頷きながら、目前の対戦相手に手を差し伸べ、やがて強引に握り締める。


 「……貴女はオネエキャラじゃないわ。本物の女よ。最強の女よ!」


 「ラウンド・ワン、ファイト!」


 試合開始のゴングが鳴っても、両者の動きは緩やかだった。

 試合開始直前に芽生えた、互いへのリスペクトを切り替え、倒すべき敵としてのインプットを行うには、何らかのきっかけが必要だったのだ。


 「レディー!俺達は連敗中だ!遊びの時間を終わらせろ!」


 ベンチからチームメイトに檄を飛ばすカムイは、敢えて自らの立場を不利と強調し、レディーの闘志を焚き付ける。


 「あたしが負けると思ってんの!?」


 カムイに背中を押されたレディーは、軽快なステップで右斜め前に飛び出し、軌道を読ませないコンパクトなスウィングでヌンチャクを打ち込んだ。


 (……まだ間合いが広いわ。この距離なら……かわせる!)


 クレアはこれまでに収集したレディーのデータから、ヌンチャクのリーチにおおよその見当を付けており、上半身を軽く反らして攻撃をかわす選択を取る。


 バシッ……


 「!? あ痛たたっ……!」


 レディーのヌンチャクはクレアの予想を超える伸びを見せ、首と肩の防具の間、鎖骨付近を掠めてヒットした。


 「……バカ!ちゃんと見ろ!」


 遠目には注意不足に見えるクレアのダメージに、ベンチのハインツは声を荒立てる。


 (……おかしい、準決勝までとは違うヌンチャクなの?見た目同じに見えるのに……)


 クレアの戸惑いを見透かしたかの様に、不敵な笑みを浮かべるレディーはヌンチャクを片手で振り回し、相手に余計な分析の隙を与えない仕草を見せていた。


 「それなら……ハアアッ!」


 クレアは自らレディーのヌンチャクに斬りかからんばかりの勢いで突進し、相手の攻撃を誘うように正面から剣を突き立てに行く。


 「……あらあら、ヌンチャクを斬りに行ってもあたしは痛くないわよ!」


 クレアの攻撃の意図を理解出来ないレディーは困惑の表情でヌンチャクを振り抜き、クレアの剣先に絡める形で相手の突進を止めて見せた。


 戦況の停止に伴い、一瞬の静寂に包まれるアレーナ。

 歓声の流れを自らの行動が支配している実感を得たクレアは余裕の笑みを浮かべ、相手の真意を掴みかねているレディーを横目に剣を左手に持ちかえる。


 「さあ、種明かしといきましょうか?」


 レディーのヌンチャクを左手の剣で受け止めたまま、クレアは右手で短剣を抜き、レディーの胸の防具を狙って相手の懐へと飛び込んだ。


 「!? ええいっ……!」


 クレアの奇策に慌てたレディーは瞬時に身を引き、クレアの剣に絡めていたはずのヌンチャクが予想外の伸縮を見せ始める。


 「やっぱり、伸びるのね!」


 クレアの視界に映る光景、それはチェーンで繋がれているはずのヌンチャクの柄の付け根から伸びていく、短いゴム製のワイヤーだった。


 家具職人の技術を活かして武器を自らカスタマイズするレディーが、額の出血のリスクを遠ざける為にヌンチャクのリーチを伸ばしていたのである。


 「ちっ、バレたわね!ま、1発当てれたから良しとするわ!」


 クレアの種明かしに観客からは拍手喝采が沸き起こり、不機嫌なレディーは角度を付けてヌンチャクを引っ張り直し、自らの手元へと戻した。


 「これで間合いは分かったわ。やり直しね!」


 クレアは短剣を腰に戻し、両者は再び剣とヌンチャクを構えて互いと向き合う。


 「フン、あたしはあんたと違って、素手でも戦えるのよ!」


 間合いを測られたら、自分から調節に行けばいい。

 そう言わんとばかりに上体を屈めてクレアの懐に飛び込んだレディーは、相手の弱点である左膝の防具へとヌンチャクを打ち込んだ。


 「……あっ!?」


 左膝への攻撃を過剰に恐れるクレアは、ヌンチャクから左膝を逃す為に不自然な体勢を取り、よろめいた足元が原因でレディーに背中を向けてしまう。


 「……チャンス!」


 レディーはクレアの無防備な背中に体当たりを喰らわせ、相手を畳に這いつくばらせた。


 「スリップ!ノーダウン!」


 クレアの転倒が自らの足のもつれによるものと判断したレフェリーは、ダウンを取らず、マウントに意欲満々だったレディーをクレアから遠ざける。


 「……運がいいわね!」


 不満気な表情で指定されたポジションに帰還するレディーであったが、レフェリーが自身の鎖骨の位置を指差した後、畳に転がるクレアも合わせて指を差し、2本指を示してレディーに返した事で、会場からレディーに歓声が送られた。


 ヌンチャク攻撃とスリップの合わせ技により、レディーに1ポイントが入ったのである。


 「クレア!大丈夫か!?」


 優勢に試合を進めるレディーにポイントが入るのはやむを得ない。

 声援を送るハインツを始め、チーム・バンドーの心配事は、クレアの左膝の状態なのだ。


 (……畳に打ち付けたのに、痛くないわ……。セラミックプレートが壁になってるのね……!)


 予期せぬ形で防具の効果を確認出来たクレアは、安堵感で落ち着きを取り戻し、スリップの後とは思えない程の軽快な動作で、一気に立ち上がる。


 (……どうやら、相手の膝は重症じゃないみたいね……。打撃よりも寝技でいくべきかも……)


 表向きは余裕の笑みを崩さないレディーだったが、膝への攻撃が思った程の効果を得られない可能性を懸念し、相手との対面軸を微妙にずらしたポジショニングを選択していた。


 「ファイト!」


 試合が再開し、レディーはクレアの注意をヌンチャクに集中させる為、左半身を主体にスピーディーな攻撃を継続する。

 対するクレアは、左膝のガードを重視しながらも、ポイント差を解消する一撃を窺いながら少しずつレディーとの間合いを詰めていく。


 (ヌンチャクのリーチは長くなったけど、チェーンの間にワイヤーが入ったせいか、パワーは弱まっている様な気がする……)


 これまでの試合でレディーが見せた様な、男性をヒットして畳に這わせる程のパワーは、今のヌンチャク攻撃からは感じられない。

 

 ビシイィッ……

 

 「……!? あうっ……!」」


 クレアが思考する隙を突いて、レディーの左足から自らの右膝へとローキックが打ち込まれた。

 ヌンチャクにばかり気を取られていると、レディーの持つ格闘家としての多彩な技に圧倒されてしまう。


 (思った程痛くない……。やっぱり、セラミックプレートが効いているんだわ……よし、それなら……)


 クレアはレディーのヌンチャク対応策として、敢えてローキックに無防備な姿勢を貫き、必要以上にスピーディーな攻めを相手の右半身に仕掛けていった。


 「ハアッ!ハアッ!」


 剣道の様にリズミカルな突きでレディーのヌンチャク攻撃を押し返すその姿に、目まぐるしい攻防を求めていた観客の興奮は高まるばかり。


 「よっしゃあ!行け!クレア!」


 ベンチからクレアをけしかけるバンドー。

 レディーにもお世話になった彼ではあるが、チームメイトの勝利が第一なのは、チームリーダーとして当然の心境であった。

 

 「ふふっ、さっき右膝に喰らったのに、全然学習してないのね!」


 クレアのヌンチャクへの執着ぶりに、してやったりといった表情を浮かべるレディーは、前に出るクレアの右足の踏み込みに合わせて、再びローキックを右膝にお見舞いする。


 バシッ……


 「……くっ……!」


 右膝に2度のローキックを受けたクレアは体勢を崩し、右膝を庇って右足を引っ込めたアンバランスを左足の前進で補おうとしていた。


 だが、これはクレアの作戦である。


 「……もらったあぁ!」


 レディーは至近距離からのヌンチャク攻撃をクレアの左膝に打ち込むべく、大きなスウィングでヌンチャクを振りかぶる。


 (……今だわ!)


 リスクを犯して間合いを詰めたクレアは、自らに飛んで来るヌンチャクの柄に視界を集中させ、強度の低いワイヤー部分の切断を試みた。


 ピキイイィッ……


 ヌンチャクの侵入を左膝一歩手前で阻止したクレアの剣は、そのままワイヤー部分を切断し、前傾姿勢になっていたレディーのバランスを大きく崩す。


 「ヌンチャクが……ええい!ついでよ!」


 アレーナが一気にヒートアップを見せる中、レディーはヌンチャクの半分を失った気落ちも見せず、前傾姿勢を利用してクレアの下半身にタックルを敢行する。


 「……!? な、何すんのよ!このスケベ!」


 試合前には意気投合していた両者だったが、クレアはレディーが実は男性であった事を突如として思い出し、そのエロおやじ的行動への生理的嫌悪感から、無意識の内に右足の膝蹴りが飛び出していた。

 

 ボコッ……


 「あぎゃぎゃぎゃっ!」


 クレアの右膝蹴りが額を直撃し、もんどりうって後方へと足をもつれさせ、倒れるレディー。

 

 格闘技素人であるクレアの膝蹴りは、決してレディーをダウンさせるレベルのパワーは持っていない。

 だがしかし、セラミックプレートを埋め込んだ強度の高い防具の接触と、その接触部位がよりにもよって出血の恐れの高い額である事から、流石のレディーも踏ん張りが利かなかったのである。


 「テイクダウン!」


 「……あっ、ごめん!」


 クレアが左手を差し伸べ、本来無用な相手への情けを掛けたのは、その膝蹴りが自身の足だけによるものでは無かったからであろう。

 レディーが両手で押さえる傷口からは、僅かではあるが鮮血が流れ始めていた。


 「……あんた攻めないの!? このお人好し!」


 額を押さえながらクレアを睨み付けたレディーは強引に相手の手を掴み、全力で畳へと引き寄せる。


 「……ちょ、ちょっと……わああぁっ……!」


 見た目は女性でも鍛えた男性、レディーの腕力にクレアは成す術無く畳に倒れ込んでしまった。


 「……こんな硬い防具で膝をガードしていたとはね……。でも、寝技からは逃げられないわよ!」


 少しずつ出血が増えてきたレディーは、時間との戦いとばかりにクレアの左膝を固め、一気に寝技へと持ち込む。


 「くっ……ああああぁっ……!」


 硬いセラミックプレートの存在が仇となり、剣士としては経験した事の無いレベルの激痛がクレアを襲う。


 「……まずい!タオルを投げるぞ!」


 観客の熱気が最高潮に達する中、クレアの絶叫に居たたまれなくなったハインツは白タオルを握り締め、投入モーションに入ったその瞬間、最後の力を振り絞ったクレアの上半身が起き上がり、渾身の右フックがレディーの額を完璧にヒットした。


 「……がああぁっ……!」


 既に出血が見られていた部位への全力パンチは、古傷を完全に開かせてしまい、レフェリーからも如実に確認出来るレベルの出血がレディーに襲いかかる。


 「ストーップ!レディー選手、強めの出血が見られます!治療を行い、試合の続行を判断します!」


 アレーナに突如訪れたざわめきに、息を呑んでチームメイトを見守る、チーム・バンドー、チーム・カムイのメンバー達。

 

 そして、レディーの周囲を急ピッチで取り囲む、レフェリーと医療スタッフ。

 

 命拾いしたクレアであったが、左膝の激痛で立ち上がる事は出来ず、ただ畳を這いつくばるだけの姿はレフェリーにも目撃されていた。


 カンカンカンカン……


 静寂を切り裂く、突然のゴング。

 試合終了である。


 「只今の試合についてご説明します。レディー選手の出血がなかなか止まらず、準決勝に続く出血である事から、試合続行は不可能であると判断しました!しかし一方のクレア選手も、左膝のダメージによるダウンを今大会既に3度喫しています!現在のコンディションでは両者ともに試合続行不可能と判断し、この試合を引き分けとさせていただきます!」


 「1ラウンド3分20秒、両者ドクターストップによる引き分けとさせていただきます」


 男声アナウンスが冷静に試合結果をアレーナに伝え、クレアとレディー、そして観客ともども放心状態のまま試合にピリオドが打たれる事となった。


 

 「クレア!大丈夫か!?」


 「レディー!」


 ともに医務室への搬送が避けられない容態である為に、両チームの選手全員がチームメイトを励ましにフィールドへと飛び出して行く。

 

 昼食時に交流を深めていた両チームは、各々がチームメイトだけでなく相手選手にも声を掛け、その片隅でリンはクレアからセラミックプレートを受け取り、自らの膝に装着して意識を高めている。


 「……レディーさん、その時が来たら……あたし達にも仕事をよこして。皆で説得出来れば、きっと上手く行く……」


 「……ありがとう、クレア……」


 カムイの復讐を阻止する共闘を誓い合ったクレアとレディーは、隣同士の担架から手を伸ばし、固い握手を交わす。

 その姿に、アレーナは再び熱気を取り戻し、両者には惜しみ無い拍手と歓声が贈られていた。



 「ハッサン、魔法は使えそうか?」


 レディーの付き添いをミューゼルとゲリエに託したカムイは、準決勝で予期せぬ魔力を消費してしまったチームメイトのコンディションを気にかけている。


 「100%とは、行かないだろうな……。だが心配するな。魔法を掻い潜りさえすれば、相手は非力な女だ。あの女……リンとやらの魔力にだって、限界はあるだろうからな」


 チーム・カムイの副将であるハッサンは魔導士として知られてはいるが、格闘家としての実力も確かなものがある。

 対するチーム・バンドーの副将リンは、魔導士としては今大会No.1と言っても過言ではない能力の持ち主だが、接近戦での格闘センスには全く期待出来ない、ごく一般的な文科系の女性に過ぎなかった。


 万が一、リンがハッサンの間合いに追い詰められた時点で魔力を失った場合、チーム・バンドーは彼女の身の安全の為、格闘戦を観る前にタオルを投げ入れなければならなくなるだろう。



 「ジェシーさん、無理する必要はありませんよ。自分が控えています。カムイと戦えるのは自分だけじゃなく、ハインツさんもバンドーさんも戦えますからね。ジェシーさんのペースで戦えるまで戦ってくれたら、自分らはそれでいいんです」


 シルバは、決勝という舞台に緊張しているのか、普段より表情が固く、チームメイトの試合にも余り口を挟んでいないリンの肩を叩いて微笑みかけ、試合前のリラクゼーションの演出を意識していた。


 準決勝でバイスを窒息に追い込んだ様な魔法は消費魔力が大きく、そう何回も使う事は出来ない。

 パワーとスタミナで明らかに劣るリンとしての理想は、力勝負になる前に相手をフィールドから強制排除し、何らかのダメージを与えて20カウントまでフィールドに上がらせない、所謂フィールドアウトによる勝利である。


 だが、まだまだ魔法が初歩的なものだったメロナや、相手の攻撃を受けなければ魔法が発動しないバイスとは異なり、ハッサンは多彩な魔法を使いこなすベテランの魔導士。

 単純な戦術で勝てる相手ではない事を、リン自身が誰よりも理解していた。


 

 「チーム・バンドー副将、ジェシー・リン!」


 この大会で大ブレイクしたリンには、アレーナから誰よりも熱い歓声が送られている。

 

 隣のフィールドでは個人戦の3位決定戦が終了し、リザーバーからの勝ち上がりで見事に第3位の栄冠とファイトマネーを手にした、チーム・マガンバのベルナルドが、苦労の報われた満面の笑みで表彰を受けていたが、その注目度はリンに比べて微々たるものだった。


 リンは準決勝で見せた様なファンサービスを封印し、フィールドへゆっくりと歩みを進めながら、周囲の環境を隈無く調べ上げる。

 

 魔導士同士の戦いとあって、自然環境は万全に採り入れられており、アレーナの窓は既に全開。

 快晴としか言い様の無い、その眩しい西陽が暑苦しい程だ。


 

 「チーム・カムイ副将、アリ・ハッサン!」


 どうしても構図的にヒール役を演じざるを得ないハッサンは、敢えておどけたジェスチャーで観客を煽り、魔法を使用する前提として、首のネックレスは外されている。


 ハッサンは西陽の暑さを凌ぐ様にペットボトルの水を口に含み、小脇にはもう1本のペットボトルの姿。

 片方は飲料水用、もう片方は水魔法用……リンは勿論の事、目の肥えた観客もその利用法を疑っていなかった。


 「両者ともに魔導士だが、接近戦に於けるパワーに差があり過ぎる様に見える。展開次第では強制的に試合を止める事があるが、異論は無いか?」


 「ありません」


 レフェリーの説明が止まない内に、リンが早々とルールを承諾した事で、ハッサンはただ両腕を組んで頷くだけ。


 相手の出方を探る為、敢えてルールで決められた、待機ポジションの限界まで間合いを確保したリンは、瞳を閉じて今一度精神を集中させていた。


 (これが、私の最後の試合……。私の仕事は、シルバ君をカムイさんと戦わせる事。チームを優勝させる為に、ベストを尽くす事。皆の夢や目的を、明日に繋げるその為に、今日を守り抜く事……)

 

 「ラウンド・ワン、ファイト!」


 魔導士である両者は、基本的に相手の攻撃を引き出した後のカウンター戦術を得意としている。

 だが、女性であるリンに対して、男性相手に先手を打てと要求するのは(いささ)か酷というものである。


 アレーナの空気にやむを得ず押される形で、ハッサンはシャドーボクシングのフォームを取りながらリンの元へと駆け寄っていた。


 (接近戦はしたくない……。でも、安易な風魔法でフィールドから押し出せるレベルの魔導士ではないはず……。私に出来る攻撃……何処を使えば……?)


 リンは自問自答を繰り返しながら魔力を溜め、やがて魔力から彼女の膝に伝達が届く。


 ミュンヘンのホテルでのチームトレーニングでは、拳に魔力を溜めて岩を砕いて見せたリン。

 数に限りはあるものの、外しさえしなければ男性格闘家とも渡り合える奥の手を、彼女は持っていた。


 リンの魔力は、彼女とハッサンの身長差を考慮して、拳ではダウンを奪えないと伝達している。

 跳び膝蹴り、セラミックプレートが埋まった防具の力を含めた跳び膝蹴りを要求している。


 「どうした!? 来ないなら遠慮はしないぜ!」


 女性相手に肉弾戦は避けたいハッサンであったが、体よく決まれば秒殺可能なフィニッシュでもある。

 顔面や胸などを回避して、目立たない場所への一撃を狙い、右手での平手打ちを背後に振りかぶる。


 その瞬間、リンの瞳から蒼白い光が放たれた。


 「はああっ……!」


 助走ひとつ無く、リンの身体は瞳の蒼白い光から螺旋(らせん)を描く様な風魔法に包まれ、やがてその光は彼女の右膝を照らしていく。


 「たああぁっ!」


 まるで突風に煽られるかの様に、リンの身体は正面斜め上のハッサンの顔面に向かって高速で突き進む。

 狙いは勿論、右膝の防具を相手の額にぶつける事だ。


 (リンさん、いけません)


 その瞬間、リンの脳裏にはフクちゃんからのテレパシーとレディーの出血シーンが(よぎ)り、強引に風魔法を左手で払った彼女は、跳び膝蹴りの狙いをハッサンの額から左テンプルへと軌道修正する。


 ドオオォッ……


 アレーナの客席からはついて行けない程の、一瞬の出来事。

 

 ハッサンは平手打ちに備えて振りかぶった右手を戻す動作すら取れず、リンの右跳び膝蹴りを左テンプルに浴びていた。


 「……ぐっ……おおぉ……」


 助走すら無い、至近距離からの跳び膝蹴り。

 ハッサン自身が目の前の現実を理解出来ず、やがて静かに畳の上に崩れ落ちる。


 「……ダ、ダウン!ワーン、トゥー……」

 

 アレーナ全体が、そしてレフェリーまでもが一瞬声を失う中、刻まれるダウンカウントを子守唄に、ハッサンは一時的に気を失っている様子であった。

 

 だが、膝の防具に魔法が加わった攻撃をリンが土壇場で額から反らす事に成功した為、顔面からの大量出血は免れている。

 

 (……お願い、このまま起きないで……)

 

 バンドー、シルバ、ハインツ、そしてカムイも息を呑んでフィールドを見つめる片隅で、リンは畳の上で微動だにしないハッサンに対して両手を合わせ、彼の無事と試合の終了を願い続けていた。


 「……ファーイブ……」


 ダウンカウントがファイブを刻んだその瞬間、準決勝のトーレス戦でも見せていた、あの光景が蘇る。


 意識は未だ朦朧(もうろう)としているはずのハッサンが、首から放たれる蒼白い光、即ち魔力によって強制的に立ち上がるのだ。


 (……またか……勘弁してくれ……)


 ハッサンとて、決して敗北による安息を望んでいる訳では無いが、未経験のピンチに陥ると自らの意思では制御出来なくなる魔力の恐怖を体験し、戦慄を新たにその虚ろな瞳を見開いていく。


 リンにもこの展開は予想出来たとは言え、このままでは両者の限界まで戦いを続けざるを得なくなってしまう。

 

 早く、魔力を使い果たして貰わなければ。


 「ハッサン選手、やれるのか?」


 傍目には、カウントエイトで完全に立ち上がり、その目にも生気は戻っているハッサンに、レフェリーはおそるおそる声を掛けた。


 「……当たり前だろ!早く終わらせるぞ!」


 覚悟を決めたハッサンは声を荒げながら、未だ不気味に光り続ける全身に闘志をみなぎらせる。


 「ファイト!」


 非現実的とも言えるこの光景に、アレーナの一般客は猛烈な歓声を浴びせ、リンは少しばかりの落胆と、意外な程に元気なハッサンへの安堵感が入り混じる、複雑な心境のもと、最後の一手に打って出た。


 「……ごめんなさい!これで眠って下さいっ!」


 リンの瞳から放たれた蒼白い魔法の光は、そのまま彼女が胸の前でハッサンの為に合わせられていた両手を包み込み、やがて巨大な空気球へと変貌していく。


 準決勝で、バイスをフィールドの端まで追い詰めた空気球。

 今のハッサンの状態であれば、フィールドを逸脱してそのまま戻れない程のダメージを与えられる。


 リンは最後の魔力を振り絞り、フィールドアウト勝利に賭けていたのだ。


 「いいぜ、受けてやるよ!」


 リンが冷徹なまでに空気球を拡大する様子は、両チームのメンバー以外の人間には恐怖でしかなかったが、ハッサンの表情は意外な程の余裕に満ちていた。


 「だあああぁっ……!」


 渾身の一撃を至近距離から放つリン。

 その空気球は、彼女の情念すら感じさせる歪な楕円形となって、ハッサンを直撃する。


 「ぬおおおぉっ……!」


 クロスした両腕に空気球を受け止めるハッサン。

 彼にも魔力があるとは言え、準決勝に続く強制復活を経て、もう魔力が殆ど残されていない事は明白だった。

 

 「……どわあああぁっ……!」


 抵抗虚しく、瞬く間にフィールドの端まで追い詰められるハッサン。


 だが、そこには彼が試合前に用意していた、ペットボトルの水があった!


 「……最後の魔法だ!喰らえ!お嬢さん!」


 僅かペットボトル1本分の水は、ハッサンの声とともに細かく霧散し、空気球を飛び越えてリンの目前で液体へと生成されていく。


 「……!? そんな……!」


 小さな水の塊は、驚きよろめいたリンの顔面を高速で包み込み、彼女の呼吸を阻害した。


 「……げほっ……ぐふっ……!」


 呼吸困難に陥り、魔法を停止したリンは、そのまま畳にもんどり打って倒れ込む。


 「ジェシーさん!」


 リンのピンチを目の当たりにして、シルバはハインツが握っていた白タオルを強引に奪い取っていた。


 「うおおおぉ!死にたくなかったら、早くギブアップしな!」


 極度の興奮状態に陥ったハッサンは、畳の上で悶絶するリンに全速力で詰め寄って行く。


 「レフェリー!試合を止めて下さい!」


 シルバの手から投げられたタオルはリンの手前に着地し、呼吸困難から逃れたい彼女は、藁にもすがる思いでそのタオルを使い顔面の水を擦り落とした。


 「ストーップ!リン選手、ギブアップです!」


 カンカンカンカン……


 「1ラウンド2分25秒、勝者、アリ・ハッサン!!」


 試合終了のゴングが鳴り響き、壮絶な逆転劇にアレーナは異様な雰囲気で満たされている。

 

 だが、美しい女性魔導士、リンが窒息に悶えて敗北するという、まさに準決勝の因果応報とも言える幕切れに、チームメイトも観客も、レフェリーまでもが言葉を失っていた。


 「……畜生!損な役回りだぜ、全くよ……」


 薄氷の勝利は掴んだものの、魔力を使い果たし、後味の悪い結末を演出してしまったハッサンに、喜びの表情はない。



 「……がはっ!ご、ごめんなさい……」


 シルバの腕に抱かれ、バンドーとハインツに見守られたリンは呼吸を安定させ、彼女の謝罪を制止したバンドーの隣には、急遽駆け付けたフクちゃんが微笑みかけていた。

 彼女はホテルでの登録名、「フクコ・バンドー」を提示する事でチーム関係者と認められ、ベンチ入りを許可されたのである。


 「貴女に罪はありません。私の声も聞いてくれましたしね。リンさんとクレアさんは、もう試合に関係なくなりましたから、私が回復魔法を施します。少しばかり、リンさんをお借りしますね」


 「……ふふっ、バイスさんの気持ちが、かなり分かりましたよ……」


 自らの容態を顧みず、フクちゃんとのやり取りでユーモアを見せるリンの姿に胸を打たれたシルバは、彼女の頭を抱き寄せ、自らの勝利を熱く誓った。


 「自分は、絶対勝ちます。ジェシーさんやクレアさんが戻って来た時、優勝チームとして待ってますから……」


 シルバの真っ直ぐな熱さに共鳴したバンドーとハインツも、力強く優勝を誓い合う。


 「……おいシルバ、優勝を決めるのは俺だぜ。美味しい所は仲間にとっておけよ」


 「ケンちゃんとハインツが優勝を決めてくれたら、俺がディナー代出すわ!」


 この状況に於いてまで3段落ちを繰り出す、安定のバンドークオリティーに癒されたリンは笑顔を取り戻し、医療スタッフとフクちゃんに支えられてクレアの待つ医務室へと消えて行った。



 「……悪く思わないでくれや。ああするしか手が無かったんだ……」


 リンとの関係を察知したか、ハッサンはいち早くシルバに謝罪の意を示し、素直に受け入れられる状況ではなかったシルバも、彼の正直な謝罪は承認する意向を見せる。


 「……自分も軍隊時代、ゲリラを制圧する過程で、兵士の奥さんや子どもに手を上げなくてはいけない時がありました……。辛かったです。だから、貴方の気持ちは分かりますよ……」


 ハッサンはシルバの器の大きさに安堵し、次なる対戦相手の肩を軽く叩いて背中を向け、カムイの待つベンチに帰還しようとした瞬間、シルバに声を掛けられた。


 「貴方の気持ちは分かりますが、貴方を許すとは言っていません。自分は貴方を絶対に倒す。1分1秒でも早く、貴方をフィールドに沈めて見せる」


 これまでに無い怒りと決意に満ちたシルバの表情から、バンドーとハインツは、この決勝戦がただでは終わらない確信と、自分達が背負うべき覚悟を改めて深く噛み締めていた。



  (続く)

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― 新着の感想 ―
[良い点] バンドーの成長が著しいですね。 クレア、リンともに、順当な戦いぶりだったと思います。 さすがのリアリティと説得力ですね。 [一言] 正直に言って、リンはこの大会が終ったら、 無難に司書に戻…
2020/06/24 12:54 退会済み
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